はてなキーワード: トレーラーとは
トレーラーですらショボイんだけどー?
それは本質的にコロナどうこうではなく海外は格差がヤバいからなんだが?
Amazonやスーパーの買い物代行黒人ばっか、アジア系を除く有色人種の高い死亡率
Amazonの流通倉庫での蔓延、Uber eats やスーパー従業員など低所得者ほど感染
ロックダウン中も、わずか2ドルの上乗せ賃金とか、スリーストライクは有効とか、マジぱねぇ
【BBC】新型ウイルス被害は「平等ではない」とBBCキャスター 低所得者ほど感染
https://www.bbc.com/japanese/video-52253007
【CNET】アマゾンの物流拠点50カ所以上で抗議ストか--新型コロナで保護強化を要求
https://japan.cnet.com/article/35152758/
・・・が、それらは繰り返すがコロナの政策ではなく格差の問題なんだが、
そこから完全無策で放置の日本どうしたら成功しているに繋がるんだ?と言わざるを得ない
とりあえず大阪は医者がコロナで死んだことくらいは報道したようだね
「3人の医師がコロナの治療をして、お亡くなりになられたという情報はつかめていない」としていた。
茂松会長は死亡した2人について「患者を直接診る立場で、コロナに感染していた。患者の感染に気づかずに診察し、感染した可能性」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5a355d39dbd385c3908191c88069592d5073796
つーか anond:20200410144819 でも書いたけど、インフル流行ってないのに死亡超過は2月からしてるし、
死因は不明だけど死者も増えてるし、現在は病院の稼働が安定してきたとかもねぇから
だって、患者が感染してるかどうかもわからねぇんだし防ぎようが無いわ
ただ、悪いニュースばかりではなく、山梨大学のようなまともで素晴らしい対応をしているところもある
こういうの見てると日本のアカデミアも捨てたもんじゃ無いなって思う
ワイの親族の国立大教授も見習って欲しい(関係ない分野なのに無茶振り)
ポップで可愛らしく、だけどもどことなく不気味さもただようキャラクター、ミニチュアのジオラマをそのまま再現したような美しい背景。重苦しくも繊細に奏でられるオーケストラ。そのトレーラーに心を撃ち抜かれたのは2015年だった。その時は2016年に発売予定、とアナウンスされ、うずうずとして待っていた。しかし音沙汰がなく時は過ぎた。
次に動きがあったのは、実に2017年だった。サバイバル要素が生き生きと描かれており、期待は更に高まった。automatonの記事やインタビューを何度も読み返した。2018年の正式リリースと書かれていた。
…しかしその後もネット上の情報は何も更新されることはなく、Facebookのページにも同じ記事が表示されるだけだった。まさか企画は頓挫したのか。こんなにも一つのゲームの開発状況を気にかけるのは初めてだった。時々忘れかけていた。そんな時についにPS5のトレーラーについにlittle devil insideが現れた!まだ発売日は未定だけど… これほど楽しみなことはない
6月12日の「PS5 THE FUTURE OF GAMING SHOW」でデモンズソウルのリメイクが発表された。
デモンズソウルは2009年発売のソニー販売元、フロム・ソフトウェア開発のゲームで、「ソウルライク」と呼ばれるジャンルを築いた作品。
しかし公開されたトレーラーにはフロム・ソフトウェアのロゴは無く、リメイクに定評のあるアメリカの開発会社Bluepoint Gamesによる開発となっていた。
まだ情報が不十分なので確証は無いがデモンズの権利を持ってるソニーは別会社にリメイクを委託し、フロム・ソフトウェアはこのリメイクに関わっていないのだろう。
フロムは会社の方針からか一度もリメイクを作ったことが無く社長の宮崎氏は「リメイクはやらない、常に新しいものを作りたい」と発言しているので当然の采配ではある。
しかし、フロムが関わらないフルリメイクと聞いて多くのユーザーは不安に思うだろう。
デモンズソウルをやり込んだプレイヤーであれば1分46秒のトレーラーを見ただけでも原作の雰囲気が損なわれてしまっている事は容易に見て取れよう。
原作にあった荒涼感や滅びのニュアンスは失われれ、安易な洋ゲービジュアルになっているように思う。
それについて日本だけでなく海外でも賛否両論がある(フロム・ソフトウェアのゲーム売上は9割以上海外なのでマーケティング的には海外の意見が重要)。
私の意見は以下だ。
1.原作を改変しても構わない。
既に出ているスクリーンショットにあるようにローマっぽい砦だったものを装飾華美のゴシック建築にしたり尖兵たんをDOOMのデーモンにしてもいい。
アクションがダクソ3のようになっても、マップや敵・アイテム配置が変わっても構わない(回復システムなど今遊ぶと古いものもあるのでソウルシリーズの進化を踏まえるほうが良い)。
このリメイクのターゲット層ははっきりしないがPS5のロンチにソウルライクの入門としてマスに売り出すのであれば遊び易くすべきだろう。
(個人的には原作準拠では既プレイには簡単過ぎるし原作をやればいいとなってしまうので、ガラッと変わってるほうが嬉しい)
しかしそれには次の条件がある。
2.PS5のデモンズソウルリメイクと原作のPS3のデモンズは別個の作品として認識させるべきである(タイトルを変えて周知すべき)。
これは同社の前作ワンダと巨像リメイクとは比べ物にならない原作改変を含むリメイクである。
したがってソニーにお願いしたいのはワンダでやったように原題そのままで発売しないことだ。
消費者に単なるグラフィック向上版として認識させたままでは原作ファンから批判の的になるだろう。
(私が大きく改変しても良いと思っているのはフロムが作らないデモンズは原作とは全くの別物だと認識しているからだ)
3.原作ファンの意見を押しつぶす盲目的な反論に違和感を覚える。
よくある反論にBluepoint Gamesはワンダを完璧にリメイクしたから今回も大丈夫だろうと言うものがあるが、原作に忠実にグラフィックのみを向上したワンダのケースと今回は趣が異なるのはトレーラーから明らかだろう。
あとバズってた塔の騎士の背景の壁から射撃用の穴が無くなって宗教施設みたいになってるとの意見は真っ当だし反論の余地は無い。
まぁぶっちゃけデモンズファンてフロムファンの中でも古参の濃い層だし思い入れの深さも加味してほしい。なんだかんだ言って皆買うだろうし。
キリンジの『エイリアンズ』って曲のレビューで、「公営団地とかバイパスとかそういうニュータウン的なものがノスタルジーを帯びるようになってきた」的なことが書かれていた
どこかで見つけた『ニュータウンの青春』って映画のトレーラーと「さよならだけが人生だ、いやマジで」ってコピーが好きだった
Twitterで「田舎ってのは田園風景・神社・山って感じじゃなくてもっとゴチャゴチャしたショボい都会の下位互換だぞ」みたいな意見をよく見る
Fozztoneってマイナーバンドの『平らな世界』って曲の"つまらない話ばかりでごめんよ つまらない街なんだよ"って歌詞が気に入った
こういうのが積み重なって、俺はガチのど田舎育ちのはずなのになんか半端な地方都市とかベッドタウン・衛星都市で育ったような気がしてきてしまった
俺が育ったのは人口500〜600人、小学校の全校児童45人、その辺にサル・イノシシ・アライグマなどが出没するマジの山村だったのに
「つまらない街なんだよ」じゃねえよ そもそも街ですらないんだよな 森に阻まれて全体像が全然掴めないからまとまりとして把握すらできねンだわ
山を2キロ下りたところにある最寄駅の周りはさすがにちょっと町っぽい!と思ってたんだけど、前に帰省したとき「駅の歩道橋から町を見渡してエモくなるやつやるか」と思い立って見渡したら全然町じゃなくてただ「道路に家々がへばりついている場所」でしかなくて絶望したんだよな この程度のものを町と思ってしまう環境で暮らしてたのか!と
公団もバイパスもないし てか何もねえわマジで 山だから田んぼすらまばらなんだよな 何があるんだ? あんなとこに住むなよな
まじでこれ。
小説家になりたい人は多いのだから、既存の賞に応募するだけではなく
どうやって自分の作品を目立たせて手に取ってもらえるかが一番大事だと思う。
マーケティング、広告デザイン、コピーライティングの本を読んで自分で作品の認知を上げる手段をとるべき。
映画のトレーラーのような動画を作ってYouTubeやツイッターに流したり
100日後に死ぬワニみたいに毎日少しずつ読める小説をツイートしたり
友達となにげない会話をするのではなく、
小説とは全然関係ない面白いツイートでファンを増やしたりするのも有効。
そこでセンスを見せつけたら長い小説にも興味をもってもらえるはず。
もうやってるのかもしれないけど。
そうでもない。
https://www.cnn.co.jp/world/35151318.html
https://www.asahi.com/articles/ASN423VT0N41UHBI024.html
そうでもない
<新型コロナ>遺体安置にトレーラー ニューヨーク 9.11以来
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/202004/CK2020040202000254.html
死者8000人超のフランス 卸売市場の一部を臨時の遺体安置所に
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200406/k10012370021000.html
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200407-00000009-ann-int
お前が平気ならそれでいいよ
社会にとっては十分脅威だけど
https://www.cnn.co.jp/world/35151318.html
https://www.asahi.com/articles/ASN423VT0N41UHBI024.html
<新型コロナ>遺体安置にトレーラー ニューヨーク 9.11以来
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/202004/CK2020040202000254.html
死者8000人超のフランス 卸売市場の一部を臨時の遺体安置所に
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200406/k10012370021000.html
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200407-00000009-ann-int
※この文書はあくまで自分の気持ちを吐き出すために書いている。誰が悪いわけでもないし、誰かを敵意するわけでもない。
ただし、コロナ。てめぇはゆるさねぇ。
まあもう10年は前の話。
キッカケはよくある人間関係。それ以上でも以下でもないが色々あって洗脳されたり(今は解けて普通だが)、カウンセリングしたり、薬物治療したりで今に至る。
今は何とか普通に生活しているが、防衛本能として「強いストレスが掛かったり、絶望するような事があった場合無意識に泣く」と言うスキルを履修した。
これはそのままの意味で、自分の精神を安定させるために泣くのだ。
そのストレスや絶望を思い出すキッカケさえあればいつでもどこでも泣く。だが、人目があるから大抵一人の時以外は耐えるのだが。(だって、急に泣かれたら周りもびっくりするだろ?)
さて、そんな私だがなんとかかんとか生きている理由にオタ活がある。
むしろそのために働き、そのためだけに生きている。
元々発表当初から気にはしていたのだが曲を聞くだけだった。でも、曲が好きなら生で聞いて見たいと思い、チケット戦争に参加はしていた。
3rd、4thと当然ハズレ。そして今回5thになり…やっと当たった。
その瞬間、そりゃあもう声にはならない声を上げ、ご機嫌なまま帰宅し、ルンルン気分で計画を立てたものだ。
何かあったらすぐに死ぬくらいのメンタルしかなくとも、少なくともライブ終わるまでは生きるぞ!と活気に満ちていた。
それから数ヶ月後に起きたのは、コロナ蔓延によるライブ中止である。
それしか生きがいがない人生だったので、発表当初は絶望した。聞いた瞬間涙が止まらなくなった。
これを書いている今も止まらない。
ただ、この防衛本能のおかげで、マイクの曲はまったく聞けなくなった。Anthem+は一回聞いたら涙が止まらなくなりもう聞いてないし、公開されたトレーラーは一切聞いてない。情報も見たくないし(流れてくる情報は薄目で眺めるだけ)、曲を提供してくれた方々の曲も聞けなくなった。
勿論、ライブ中止になったから変わりに特別番組を配信すると言う公式には感謝しかない。
と、いうか防衛本能もそうだがライブの代替え案になるかと言えば全くならないからだ。
そもそも、人々がライブに行きたい理由は、生でアーティストを見たい。生で歌を聞きたい。あの空間を楽しみたい。そんな理由だと思う。
ずーっと長年願ってやっと行ける事になった。その思いは何物にも変えられないし、変えたくもない。
だが、中止となった今これは叶わないのだろう。
あの売れっ子声優の数と参加ゲストにしたら無理なのもわかるが…何ヶ月後でもいいから見たかったのだ。平日でも参戦はした。
これは一生悔しさと共に思い続けるのだろう。
せめて、次回のライブ時に今回当選者の当選確率上げてくれないかな…とは思っている。
まあ行けるかもわからないし、現時点でやるかもわからないのだが。(無論、現実味がない意見なのは重々承知だ)
話が逸れた。特別番組に戻る。
まだ今のところ配信日が28日と29日のどちらになるかはわからない。どんな内容かもわからない。
わかるのは、18人全員参加と言うことだけだ。
配信なのはまあいい。元々ニコニコにチャンネルを持っているから楽なのだろう。
だが、これは確実に見れるものかと言えばそうでもない。
配信という事はネットを介して…つまりはライブ当選者やライビュ申込者以外も見れるのだ。
それは「やってるなら見るかー」な人々も同様である。
そうすると何が起きるか?簡単だ。回線がパンクする。そして見れない阿鼻叫喚。
…救済措置としてはありがたいかもしれないが、救済措置を必要とする人々が見れないのは言語道断である。
なら、せめて特別番組を円盤化してほしい。そして売るか、ライブ当選者に有料でもいいから配ってほしい。
そうしないと救済措置にならない気もする。
(手拭いがくるから救済措置にはなるだろうが、それでもショックを受けて見れない人はいるだろうな…とは思っている。少なくとも前記しているが私は今は見れない)
ただ、この自己防衛システムに関しては時と共に解決するだろう。
いや、そうしてもらわないと困るのだ。
これからも追いかけていきたいから。見るたびに泣く事がないように気持ちに整理をつけねばならない。
もしその時までアーカイブがあったなら、落ち着いて見たいと思う。
もしろん当時を思い出して泣くかもしれないが。
最後に。
しかしながら中国が黙っていたから広まった気はしないでもない。
武漢は交通の中心だし、春節と駄々被りしたからね。そりゃあ広まるわ。知らず知らずに媒介してるんだから。
そして、自粛を延長してさらに延長する政府にも嫌気が差している。
同じくらいに「自粛厨」にも腹が立つ。
ここら辺は政治の話になるからしない。面倒くさい事になるのが目に見えているから。
兎にも角にも言えるのは、
と、言う事だけである。
追伸。
これを書いてる最中に、刀ミュが開演するのが決まった。羨ましいやら妬ましいやら…ではあるが、行かれる方は十分に予防して楽しんできてください。
直接のネタバレはしていないつもりだけど、未見の方は注意!
1982生まれ、DQは FC3, 4, 5, 6, 1-2, 3(SFC), 4(PS), 5(PS2), 4(DS)の順にやった。7以降は全くやっていない。
6までは小説すべて読んだし、ゲームブックも5までは遊んだ。攻略本、モンスター物語系の関連書籍も読んだ。DQマンガ劇場も読みつぶしたし、CDシアターも聴きつぶした。J-POPより「交響組曲ドラゴンクエスト」シリーズのCDが好きだった。モンスター大集合の下敷きも使っていた。「ロトのつるぎ」のキーホルダーも持っていた(バトルえんぴつとかは興味がなかった)。
そんな自分が、暇つぶしのつもりでこの映画を見た。前情報は嫌いなので、トレーラーなどはほとんど見ていない。
どうも5の世界感らしいが、どんな感じに映像化されるのか、少し斜に構えて見ていた。
開幕早々、いや展開はえーよ!とか、このキャラの動機付けがなぁ…とか、あの演出弱いなとか、そもそも大河の5は尺的に厳しくね?2で青春ものやったほうがよくね?とか、BGMの選曲違くね?とか、ビアンカ胸でけー!とか……
実にアホな感想ばかり抱いていた。
だが、最後の最後でもうそんなことどうでもよくなった。はいはいこれでハッピーエンドね、CGキレイでよかったんじゃない?とかなんとか思っていた矢先(本当に失礼)、完全に不意打ちで泣かされた。
ヒプノシスマイクにとても夢を見ていた 女尊男卑?面白い!ラップミュージック?面白い!音楽と言葉で左右される世界、なんて面白いんだろう!ジェンダー論に興味があるしラップミュージックが好きだ 二次元、女性向けとされたジャンルでどう展開されてゆくのか、楽しみで仕方なかった
しばらく経って まず、コミカライズで女尊男卑設定がガバガバの浅慮なものだと知った 幻滅した ラップミュージックは代替わりしただけの「兵器」だと知った 心底、幻滅した なにもワクワクしなかった 絶望さえした シナリオライターは、きっとジェンダー論に興味も無ければ、ラップミュージックも好きではないと思った
ならば、ならば愛した男たちの、そのコンテクストやバックグラウンドはどうだろう?最も焦がれた男は、母親が父親を殺して自殺したという悲惨な環境にも関わらず、よく笑い、妹の誕生日にはフルコースを手料理し、珈琲の淹れ方に拘り、タワーマンションで暮らす男だった
心底、幻滅した 殺してやりたいとさえ思った
プロジェクト始動時に公開された、あの殺意に満ちた声色はどうした?もう背水の陣だと言わんばかりの、鬼気迫る台詞回しはどうした?おい、その目の前の男は、心底執着して、憎んで、殺してやりたいほど、何も、微塵も、譲れない、宿敵なんじゃないのか?どうして、そんな他愛ない言い争いをしている?
じゃあ、もういい わかった 賢い消費者なので、手にする商品を選ぶことができる 大丈夫 見たくないものは見ないし、要らないものは手に取らない それでいい 楽曲は、歌は、言葉だけは正しいだろ それだけがわたしの中のほんとうであって、正義だ 大丈夫 そうして、4/24を待った
終わった そう思った 俺のヒプノシスマイクは終わった、死んだ!
正直TDDの楽曲の時から引っかかりは感じていた 作曲者がアニソン畑の人間なこと、伝説のグループの代表曲だというには、少しばかりポップなチューンだということ いや、それもただ、ささいなこと、ささいなことだった 目を瞑れた Hoodstarのサビが急にブロードウェイになるのも構わなかった 目を瞑れた
TLでstellaの感想を読んだ!心底、心待ちにした トレーラーすら聞かなかった 全ての楽曲の中で、最もPCCSが好きだ、愛している!世界はもっと面白いはずだと、そう親愛なる共犯者が言ったので!だったら彼らの作る曲は、歌は、紡ぐ言葉は、いつだって奮い立たせると 本気でそう思った
まず語りから入るのがダメだった ポエトリーラップですらない、ただのキャラクターとしてのセリフ ダメだった だってそれはラップミュージックというか、アートというか、キャラクターソングであって、それは、音楽というか、キャラクターのセリフではないか?
もうその時点で興味は八割失せていた 彼らのなにを聞いてもダメだった 心が、受け付けなかった もうこれは、ダメなものだと そう思ってしまった
それでもTLの親愛なる彼らは楽曲を絶賛した Stellaは最高!やっぱり楽曲は信じられる!アルバム、ハズレ曲なんて一つもない! 目を疑った 嘘だろ、わたしにとっては、どれも当たってない
ああ、終わった もう本当に、「呼ばれていない」 そう思った
以前から度々友人と話していたことには、わたしらは「呼ばれていない」のだと 客層ではない ヒプノシスマイクはビジネスだ 彼らの求める顧客層というのは、掛け軸を五万で買う人間であり、バトルとなれば何十万と金を掛けて票を投じる人間であるのだ
そもそも論、アーティストとして彼らを見ている姿勢こそが、楽曲のアート性を求めることそのものが、わたしが、ダメなのだ、呼ばれていないのだ、わたしは、ヒプノシスマイクの客に、なれなかった
悲しい 悲しいなあ だってよかったじゃん、楽曲 なんだよ 今更そんな、そんなことする?なんで、なんでキャラクターにするんだ なんで だってチグリジアだって、PCCSだって、BBBだって、デスリスペクトだって、よかったじゃあないか、なんで、なんでだよ、あんな良い曲だったのに、なんで、なんでだ、
でも、あのね、これは「女性向け二次元コンテンツ」なんだよ、アーティスト視することそのものが間違いなんだよ、わかるだろ、キャラクターソングじゃないか!と憤ることが、嘆くことが、それこそがそもそも間違いなんだよ、わかるだろ、顔と声の付属品なんだよ、曲は なあそうだろ?
なんかもう、脱力だよ もう何もいいや あーあ
大好きなゲームがゲーム会社の手によって殺されようとしている。
ゲーム性や音楽も最高なのだが、何よりシナリオが好きだった。ほどよくシリアスで、考察もできて、何より主人公がカッコいいしサブキャラクターも魅力的に描かれていた。悪役ですらクセになるようなそんな最高のシナリオだった。
だが8年ほど前にシナリオライターが代わった。前ライターは会社を辞めた。代わりに入ったライターは外国の人だったが、どうやら有名シリーズを手掛けた人らしくまあまあの期待値でゲームをプレイした。
ところがそのライターが大好きなゲームの大好きなシナリオをぶち壊したのである。
全編通して寒いギャグしか言わない主人公。歩く名言メーカーだった前作までとは大違いでただただウザい。本当にウザい。寒い。
しかも散々出していた自分の価値観までひん曲げるような台詞すらあった。調べたらシナリオライターはこのゲームシリーズのことなんか知りもしなかったし引き受けた後もシナリオに目を通しすらしていなかった。
意味が分からない。クリエイター職とは縁もゆかりもない一般人なので詳しくないが、シナリオの仕事を引き受けるなら、シリーズものならそれまでのそのキャラクターの価値観とか、そういうのってチェックするものなのではないのか。何もチェックせず「ぼくのかんがえたいいかんじの主人公」を描いたのなら、それは同人以下なのではないのか。ミリしらもいいとこだろ。
外国人ライターを起用した理由はそのゲームシリーズが高く評価されている外国キッズへのウケを狙ってのことらしいがどうやらライターは子供向けと子供騙しを知らないらしい。そのくらいお粗末なシナリオだった。
恐ろしいことにこのライターは常駐した。マジで毎回書いた。会社はこのライターに弱みでも握られてるの?ってくらい毎度毎度クソみたいなシナリオを量産した。それを笑顔で発表するチームの偉い人にも腹が立って仕方がなかった。
なんで?このゲームの魅力ってアクションと音楽さえあればシナリオはどうだっていいの?
疑問は尽きなかったが、そういえばファンイベントでシナリオについて言及したことなんてなかった。つまりそれが答えなんだろう。私は「あーあ、もうこれはシナリオは諦めるしかないかな」と思っていた。この人達はシナリオなんてどーーでもいいんだなと。前任の時からずっと彼らにとってシナリオは食玩のラムネでしかなかったわけだ。今のシナリオはラムネ以下だというのも知らないで。
そんなクソシナリオに耐えていたら、最新作が出た。トレーラー、めっちゃかっこよかった。
チームの人は言った。「シリアスで重厚なストーリーを用意しました」「今度のシナリオは国産です」
私はアホみたいに歓喜した。やっと気づいてくれたんだ。やっっとあのシナリオライター変えてくれるんだって。
発売日を心待ちにした。その為に持っていなかったハードまで揃えた。本当に楽しみに待っていたのだ。久々のシリアスストーリー、プレイ終わるまではTwitterも見ないようにしようとすら決めたしみんなに宣言もした。
私がTwitter復帰したのは開封から4時間後のことだった。
耐えきれなかったわけじゃない。ゲームが超上手かったわけでもない。むしろド下手な部類だ。じゃあなんで復帰したか、答えは単純。クリアしたから
え?ってなるよね。散々「シリアス」「重厚」「壮大なスケール」ってワードで宣伝してたゲーム、4時間で終わってしまった。
びっくりするほど起伏がなかった。あっさり塩味どころか無味だった。
Twitterではいつもの戦犯ライターが「今回も書きました」とのたまい、wikiを見ればライターのところにしっかり戦犯の名前が刻まれている。たしかに日本人ライターもいた。だが国産シナリオです!って言っていつものクソシナリオ以下って意味不明すぎた。しかもその後のイベントで語られた没シナリオは正式採用されたシナリオの何倍も面白そうだったしシリアスだった。なんでそっちにしなかったのかも意味わからない。テレビシリーズとかで見せた主人公の魅力は何処へやら、クソ尻軽な主人公を見せつけられた我々はもうどうすればいいのか分からなかった。魅力的なサブキャラクターですか?そんなものはない。アレはモブでした。このシナリオライター、とことんサブキャラクターを知る気がないらしい。勝気な性格のヒロインはすげーおとなしい子へと変貌を遂げた。だれおま
シリーズの命運をかけたとか散々言っといてこれか。もうおしまいだろ。課金すればするだけウンコ出されて、期待すればするほど裏切られてこんな悲しいことないだろ。ああそういえば映画やるんだっけ。まあシナリオはもう期待しないから映像だけ綺麗ならいいやと思ってた。
ビックリした。主人公とは似ても似つかぬよくわかんない化け物が映ってるポスターを公開し出した。名前だけ知ってるけどコイツ誰って感じ。いやマジで誰。
どうやら私はこのシリーズに対してついにキャラクタービジュアルまで期待してはいけなかったらしい。嘘だろ。きっっしょほんまキモいんだけど。
これには外国人ファンからも非難殺到。当たり前だよなぁ?だって映画やるって言ってから4年経ってやっと公開された情報がこれだぜ。しかもそんなファンをおちょくるような広報アカウントすら出来た。もうダメだこの会社、このシリーズのことすらどうでもいいんだ。
シナリオもクソ、デザインもクソ。チームスタッフは口を揃えて大昔にヒットしたタイトルの話しかしない。
なんなんだろうこのシリーズ。なんで生きてるんだろうこのシリーズ。
大好きなカッコいい主人公がもう見れないのなら、いっそ課金しないでいいよね。 そして早くなくなってしまえばいい。シリーズを殺したのはファンじゃない。ファンの大多数の意見を無視して暴走したチームのせいで会社のせいです。
まさか産みの会社にゲームシリーズが殺されるなんて思わなかったよな
こんな増田誰も読まないと思うけどもし読んだ人がいたら悪いことは言わない。課金した分をしっかり次作で還元してくれるジャンルに移り住むんだぞ
フロリダの海辺の街で、ボートの修理をして生計を立てている独り身のフランク。彼は、天才数学者だったが志半ばで自殺してしまった姉の一人娘、メアリーを養っている。彼女は、先天的な数学の天才児“ギフテッド”であり、周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリンが現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく――。
映画『ギフテッド』オフィシャルサイト| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント
ストーリーはあちこちで語られまくっているからここではもう書かない。
本作のもうひとつの魅力はキャラクターが魅力的なことだと思う。
ただし直接言葉で描写されるのではなく、会話の断片やちらりと映る写真からキャラクターの背景が浮かび上がってくるスタイルなので人によっては伝わりにくいかもしれない。語りたいので勝手に語る。以下全部ネタバレ。
彼の最初のイメージは、バーに入り浸り汚い家でいい加減な生活をしている駄目おやじだ。
軽口を言い合う娘との関係がなんともいえず良い。
主人公は娘を一人の人間として対等に扱い誠実に会話をする。その様子が心地よく暖かい。2人は強い信頼と愛情で結ばれている。
母親から娘を託された時点では彼はオックスフォードの准教授であったらしい。
仕事と育児が両立できずに辞職し、現在ではボートの修理工として不安定な生活を送る。
浮かび上がってくるのは、育児のためにキャリアも収入も捨てその苦労を娘にわからないように振る舞う気丈な男親の姿だ。
人生のほとんどを育児に捧げたその結果、家が汚いことと収入の不安定さを理由に娘を取り上げられてしまうのはあまりにも理不尽だ。つらい。
「五分でいいから自由な時間が欲しい」とうっかりこぼし、娘が激しく傷ついてしまうシーンがある。
彼は行政にも保育園にも頼らずたった1人で子供を育てて来た。娘が天才であることがバレたら取り上げられてしまうのではないか、という危惧からだ。彼の危惧は現実となった。小学校で天才であることがバレ、またトラブルを起こしたことからほぼ放校処分。英才教育校への転入するように言われる。英才教育を望むおばあちゃんにより養育権を巡る裁判が起こされるという事態になる。
ところで彼の言動は子供を育てる親の「あるある」が詰まっていてとてもよい。
『育て始めて最初の2週間で自分の手には負えないことがわかっていた。明日こそ児童相談所に行こうと毎日思った。でもその度にあの子は何かをしでかすんだ。思いもよらないことをね。』泣いたり笑ったり。あの子はいろんなことをするんだ。それでいつのまにか手放せなくなっていたと彼は続ける。
そうだろうなあ。わかる。わかるよ。
どこからどう見ても英才教育クソババアなんだけれども、物語が進むにつれ彼女の背景も明らかになる。
どうやら彼女自身も相当に優秀な数学の研究者であったらしい。はっきりとは描写されていないがミレニアム問題のひとつ、ナビエ・ストークス方程式の解について研究していたようだ。
結婚出産で研究の道を諦めたが彼女の魂は数学に囚われたままだ。出来た子供(母親)が数学の天才で自身の夢を託してしまったようだ。
英才教育の建前のもと子供の人生に介入しまくるクソ親で、子供がボーイフレンドと遊びに行くと誘拐だと言って通報する、裁判を起こすと別れるまで脅し続けるなどやっていることは無茶苦茶だ。
どうも彼女自身も男運がないようで「男はみんな駄目男」と思っているかもしれない。この辺りも子供のプライベートに介入しまくる理由のひとつなのだろう。
物語を通して2つの関係が描かれる。主人公と娘、そしておばあちゃんと母親の関係だ。
物語ラストシーン、母親に対する自身のこれまでの行いを後悔し泣く。子供である母親と向き合い、彼女の死に対して始めて涙を流す。
いつのまにか母親に感情移入して見ていたので救われる思いだった。ボロボロ泣いてしまった。
一切出てこないのにすごい存在感。
天才として生まれ英才教育を受け、娘を残して自殺してしまった母親。
『親に愛されたかった』『親は私を愛さなかった。数学の才能にしか興味はなかった』
母親の人生はおばあちゃんに完全にコントロールされてしまっている。
そのせいで母親は生活能力がなく男を見る目もない。それを見ておばあちゃんは「自分がなんとかしなければ」とますます母親を支配する。
妊娠して男に捨てられ親(おばあちゃん)に相談するも突き放され、弟である主人公に娘を託して自殺。
自分のようにしないで、普通に育ててと主人公に娘を託すが・・・
ませていて可愛くて、繊細で、言動が突拍子もなくて目が離せない。本当に魅力的。
見ていない人はぜひトレーラーだけでも見て欲しい。
ちょっとした子供の仕草が本当にリアル。すきあらば体をよじ登って来るとか、上に乗っかって寝始めるとか
あるあるある。
映画を観る前は「アイアムサム」みたいな内容かな?と思っていたのだけれども娘の立ち位置がこの映画をもう少し複雑にしている。
母親は普通に育てるようにと遺言を残したけれども娘自身は数学を望んでいる。
普通の小学校に通うことを拒否しおばあちゃんの持ってきたPCや数学書に純粋に喜ぶ。
母親はおばあちゃんの価値観を押し付けられ苦しんだ。母親は「自分と同じにしないように普通に育てて」というが
皮肉なことにそれが母親から娘への価値観の押し付けにも見て取れる。当然だけれども母親と娘も別の人間なわけで。
もちろん娘は主人公との暮らしを望んでいるし、明らかにおばあちゃんはダメすぎるのけれども。
この映画の感想に「天才には適した教育をすべき」という主張の人がかなりいることにちょっと驚いたのだけれども
おそらく彼らは娘に強く感情移入しながら見たひとたちなのだろう。
映画は素晴らしかった。たまに映るホワイトボードやノートの数式もいいかんじ。娘の成長具合がなんとなくわかる。この手の映画は数式が不自然にわざとらしくなりがちだけどそんなことない。よい。けれども1箇所だけちょっといいたい。
天才を試す問題にガウス積分はないでしょーー。しかも符号書き間違えるか??ぐちゃぐちゃ長い式書いていたけれどもいったい何を書いたんだ。式が長い方が絵的に映えるのかもしれないけれどー。筋の悪い人に見えちゃうよー。極座標にしようよ。
いや小学1年生がガウス積分はすごいけれども、彼女は少なくとも微分方程式までは勉強しているわけでとうに知っているでしょう。