はてなキーワード: チャンネルとは
何ならジャニーズからは縁遠い(という言い方であっているかはわからないけれど)音楽ジャンルが好きで、
ジャニーズが出るときはチャンネルを変えていたくらいすれ違い人生だったけど、
記者会見を見てなんで今、お休みするんだろう?というところから色々見ていくうちに嵐にずぶずぶはまってしまった。
中でも大野くんのダンスはド素人の自分にも一目でわかるほどキレがあってしなやかで、
パワーのダンスというより布が舞っているような感じ。
パフォーマンスダンスの決め顔や派手な動きでアピールしてくる圧がどうしても受け入れられなくて、
観るのを避けてきたけど、それがない。
風に揺れる木々を眺めているような感覚で、今では口を開けたまま画面を食い入るようにダンスを目で追ってしまうほど。
今までダンスの醍醐味って、同じ振りをシンクロさせてビシッと見せることだと思っていた。
競技としてのダンスは好きで見ていたし、その魅力はもちろん現在でも感じている。
ただ、嵐のダンスは合っているようで合ってない。同じ振りでも5人それぞれの性格が溢れてて、
でも「ああ、これでいいんだ」って思える。それが嵐のダンスの魅力なんだと、最近思う。
某配信サイトのドキュメンタリーで、大野くんが振付について語ってくれているけど、
そこでさらにすとんとおちた。
その魅力を、まるのまま表現できる空気も、その魅力をさらに生かしてくれるメンバーのパフォーマンスも、
見ていてあったかい気持ちになって、この気持ちをどこかに書き記しておきたいな、と思ってダイアリー書きました。
この個性溢れるダンスを愛せるようになったら、不思議と他のダンスも全部見られるようになった。
世界は色んな形の魅力で溢れているんだ。
嵐を知れば知るほど、嵐が愛されてきた理由がわかる。
休止までもうあと一ヶ月だけど、こうして嵐を知れてよかった。ありがとう嵐。
今から個性を大爆発させた結果の大失態を上司にリモート土下座しに行ってくるけど
これを書けたから強く生きる。
noteとかたまに読むけどあれはそれなりに
物書きが趣味の人だと思うし
読みやすいって褒め言葉じゃないというけどいや褒め言葉だよねって
アホな内容でも読みやすいならオッケーだけど
改行なしとかびっちり書かれるともうダメ
まあ内容もあるけどそれはその次なんだよなー
今年の春から新卒で仕事を始めた。みんなが知っているような会社の新入社員として華々しく働き始めるつもりだった。
小さい頃から一人で遊ぶのは好きだったし、一人で勉強して、一人でそれなりの大学へは入れた。
大学では少ないながらも友達ができて、みんなで遊んだり単位をとったりして危なげなく卒業はした。
友達がいなくてもなんとかやっていける、他の人と顔合わせないほうが気楽でいいと思っていた。
他人がどういうことをやっているのかが見えなくて、自分だけが無視されているんじゃないか、ヘマして仕事が振られなくなったんじゃないか。そう思うようになってきた。
できる同期がチャットツール使って先輩や他の同期と話をして、どんどん仕事ができるようになっているのを見て焦燥にかられている。
自分ができる会話と言ったら自分のチャンネルでぼそっとつぶやくだけ、他人と話は合わせられないので他人のチャンネルになにか会話をしようと書いてもそこで会話が突然切れてしまう。
自分のコミュニケーション能力がないのはわかっている。けれどもどうやったらそれを治せるのかがわからない。
顔合わせて話をしているときなら相手がどういう返事を待っているか、どういう話をすればいいかは分かる。顔が見えないだけで自分のコミュニケーションはここまでできていないかをまざまざと見せつけられた。
自分はそれを無視できるほど鈍感ではないし、それをなんとかしようとする努力もできない。
ある程度大きい企業だから給料はそれなりにもらえている、しかし、自分が今のプロジェクトに貢献度と給与が釣り合ってない。
他人と比べても劣っているのに、誰ともうまくコミュニケーションを取れていないのに、目覚ましいような成果を仕事で上げていないのに、こんなに給料はいりません。
自分はできない人間だって自分が一番わかってる、給料が高い分それに見合った仕事量を突き付けられているような気がしてならない。
ホロライブと中台関係について詳しく書かれていた記事を見たのだが、そのブコメ等を見てもあまり共有されてないのかなと思って。
ホロライブが中国の政治的にセンシティブなとこ、もっと言えば「一つの中国原則」のような独立運動が燻る領域に突っ込んだのは今回の件が初めてではないという話。
湊あくあが昨年3/31の『【Vtuber】一週間お疲れ様でした。【湊あくあWEEK】19:00』の配信中に中国と台湾を別の国と認識していると捉えられなくもない発言をしてbilibili側が荒れた騒動。
大体経緯はこう。
4. bilibili側は荒れて、それを知ったがあまり理解できていない湊はいらすとやの土下座イラストに自分の顔を貼り付け「ごめんね」と書かれたコラをツイート
5. bilibiliのあくあのチャンネルが凍結される
まあ「日本の飲み物のシークワーサージュース飲んだよ」「沖縄の飲み物だよ」「沖縄の飲み物なんだ」みたいな感じ。
沖縄は台湾の代わりの喩えとして不適切?まあそうかもしれないけど。
何にせよ要するに「中国の飲み物」を否定し「台湾の飲み物」だと訂正した発言だと捉えられたわけだ。
とはいえ、この騒動は「炎上」と評されがちだがBANはされども特に公式の謝罪はなかったはずだし実際そこまで燃えていなかったようだ。
当時の書き込みを調べると無知な湊を誘導するようなコメントを書いたのが許せないという論もあったようだし。
一方で台湾を独立した国だと捉えているような発言をすればBANされるという可能性をこの時点で示してもいたのである。
癒月ちょこの6/11の配信『【#ちょこオネア】第6回ちょこオネア今回のゲストはスバおかコンビ!無事クリアすることができるのか?!』においてチベットを独立した国として扱っているかのような出題を行い問題視された騒動。
事前に視聴者から募集した問題として次のような問題が出された。
Q.日本の十二支に猫がいないのは有名な話ですが、世界には十二支に猫がいる国があります。では、次のうち十二支に猫がいない国はどこでしょうか。
まあbilibiliでは「チベットは中国の領土であり国ではない」ということで燃えました。
特に今回はタピオカの時とは違って前準備の段階でチェックできたはずでしかも国と明言されているという違いもある。
ここに至ってカバー公式も言及せざるをえなくなりbilibiliに次のような声明が投稿された(何故か日本語)。
上記の問題について弊社は深く反省し、事態の重大さを改めて認識致しました。
今回のクイズに関しては、監修が不十分だったため、それぞれの問題について確認が疎かになっていました。
その事で、中国のファンの方々の感情を深く傷つけてしまった事を深くお詫び申し上げます。
今後同様の問題を避けるために、コンプライアンスに対する教育や研修を進める中で、中国に関する知識の教育も行なってまいります。
これまでのご声援、誠にありがとうございます。
この問題を投稿した視聴者が叩かれるという可哀想な出来事もありつつも声明以降炎上は終息していった。
「今後同様の問題を避けるために、コンプライアンスに対する教育や研修を進める中で、中国に関する知識の教育も行なってまいります。」というわけでタピオカの件から1年越しで中国進出による政治的リスクへの対策も取られることが明言されしばらくこの手の問題は起こらないと思われた。
9/24に赤井はあとが配信した『緊急会議!はあちゃまのプロヂュース作戦!』において「どの国が多いか」という質問に対しYouTubeのアナリティクスを読み上げたのだがその中に「台湾」が入っていた。
これによりbilibili側が燻っている最中、翌日9/25、時間にして約12時間後に桐生ココが『あさココLIVE 9/25 #asacoco』を配信しその中で今度はアナリティクスそのものを開示した。
もちろん内容はYouTube側が作ったグラフそのものだが、「上位の国」に「台湾」があるという構造になっており国扱いしていると炎上した。
結局赤井・桐生両名はbilibiliでの生放送権限が剥奪されることとなった。
赤井の権限剥奪が先だったか桐生の配信が先だったかは今となっては調べようがない(記事:https://ytranking.net/blog/archives/36947によれば赤井が剥奪されたのが先っぽいか?)が、これを問題視する中国人からすれば赤井の配信が燃えている最中に桐生が問題視されていた行動と同様の行為を更に一歩踏み込んだ形で行ってきたように映ったようだ――つまり不幸なことに赤井はミスだが桐生については偶発的事故ではなく重大過失または故意があると見なされたのだろう。
特に一部の過激派は桐生の行為は台湾問題に敏感な中国人に対する挑発的な宣戦布告と受け取ったのである。
一方で赤井の発言はそれなりに問題視されどもそこまで大きな炎上となってもいなかった。
もちろん最近上がった記事で解説された諸々を巡る政治状況や以前からあったbilibili側の不満等が無ければ桐生に悪意があると捉えられることもなかっただろうし複雑な背景が絡み合った結果でもある。
ただ、仮に赤井の件がなく桐生がアナリティクスを言及したのが最初という状況なら、炎上は起きてただろうがここまで悪し様に解釈されたかは微妙なところではないか。分からんけど。
この後のカバーと「ひとつの中国」を巡る話はブコメでもよく知られているので省く。
カバーは中国から事実上撤退するようだがそれは間違った行動ではなかったと思う。むしろ自分は支持している。
というのもカバーがチャイナリスクと付き合えるとは到底思えないからだ。
著作権問題の際にも6月に問題が発覚してから過去の動画を一部非公開するだけの場当たり的対応をした(任天堂には直接謝罪を行ったようだが他については不明)ために、7月末にそれまで放置していたゴーストトリックの配信アーカイブを権利者削除されて結果所属VtuberがYouTubeのペナルティを受けて休止に追い込まれている。
今回の中国問題についても、「台湾を中国と別の国だと捉えたと解釈されるとBANされる」「チベットに対して国という表現をすると燃える」という先例を身をもって知っていたはずであった。
それにも関わらず再発を防げなかったのである。
こうした弥縫策ばかり行う傾向にあっては騒動が起こるのは早いか遅いかでしかなかった。
これは事の善し悪しの問題ではない。しかし現地調査をして政治的タブーやリスクを避けるのは海外進出の際の必須条件ではなかろうか。
それができないのであれば目に見えて大きな地雷が埋まっていた地域、今回で言えば中国には進出するべきではなかったろう。
まあ英語翻訳の最大手だったHololive Moments(解散済)は中国人運営だったし、そう考えると海外展開は今のような形と変わっていたのかもしれない。
今年15年目、M-1ラストイヤーの年だ。残念ながら、準々決勝で敗退した。
準々決勝で敗退したコンビの1組がワイルドカードとして準決勝に進むことができる。
進める方法は、Gyaoの準々決勝ネタ動画の再生数1位が進むことができる。
Dr.ハインリッヒは、女性の双子漫才師なのだが、双子を意識したネタはやっていない。
どんな漫才かと言われると、漫才というか芸術なんじゃないかと言われるくらい。
Dr.ハインリッヒ M-1グランプリ2020 準々決勝 https://gyao.yahoo.co.jp/episode/5fb66b3a-f17a-45b5-a349-a14c60d437b3]
どうだった?気にはならないだろうか
今年の2回戦のネタも特殊なネタで準々決勝に行けるか心配だったが面白い。
Dr.ハインリッヒ M-1グランプリ2020 2回戦 https://gyao.yahoo.co.jp/episode/5f9b1703-7990-4030-af0c-8375e91fa965]
どうだろう、他のネタも見たくなった人もいるはずだ。
以下の記事のごときものは、自分の管理するブログを持っているから、そこで書いて発表すれば良いのだろう。だが、私のブログは人の訪れるものでない。そこでよりは人の目に触れて、多くの人に読んでもらえもするかと想像して、ここに投稿する。
大統領選の投票日以降、いわゆる確実な証拠を挙げよとの要請を口にして、あちこちから報告される選挙での不正に関心を向けることを否定し、さらに不正に目を向けながら、大統領選の帰趨について論評することを控えるべきであるとする人たちがいる。
この眼差しの持ち方と態度を守る人たちの中で、次のような人たちのことは、私は特に気にしない。例えば、バイデン民主党候補を応援している者、トランプ大統領の退場を望んでいる者。これらの者たちがそうあるのは当然のことであろうから。
私が気になるのは、トランプを応援しているし、トランプ大統領の2期目に期待していると口にして、しかし不正への関心を抑制し、それから視線を外して、どちらの候補が大統領になるか、もはや自分たちの論評すべきものでない、と口にする者たちである。
代表として上念司、奥山真司の二人の名前を挙げておこう。とは言え、この二人に限るわけではない。彼らは、他の者たちよりは多少は筋道立てて、先の眼差しと態度をとる理由を説明しているから、私には扱いやすいのである。
ところでお気づきの人もあろう、私は Youtube の虎ノ門ニュース、アメ通 Live をこの一年、大変勉強になると感じて視聴してきた。加えて、上念司チャンネル、文化人放送局、DHC テレビのニュース女子なども、興味深いと視聴を続けてきている。ついでに加えれば、SakuraSoTV とか、古是三春・篠原常一郎チャンネル、さらにはラジオの文化放送局、おはよう寺ちゃんなども、同じ関心に叶うところから視聴している。つまり私は、これらが人々に伝えて、解説する時局、情勢の認識や批評が、現状の政治や社会を、他のところでのものよりよく捉えていると評価しているし、自分の理解を形作る参考にしているのである。
さてそれで、先の二人が自らの態度について言うところは、いくつかの論点から成り立っている。ここで彼らの議論の論点全てを取り上げはしないし、そのまま辿ることもしない。同意できるところをあらかじめ挙げておけば、未確定情報に振り回されないようにすべき、選挙不正の論評にいたずらに促されて米国への評価自体を損なってはならない、などの主張を、私もしかるべきものとひとまずは同意しよう。
だが、総評的にか、つけたりなのか、まるで根本的な姿勢の取り方の如きに、私たちは米国大統領の選挙権があるわけではない、他国の指導者の選択であって自分たちの指導者を選ぶわけではない、かように申し立てるところは、さしあたって尤もなことと感じながらも、何かうまくいなされた気分を覚えてしまう。
さらにまた、不正については、裁判で決することができるのだから、その判断を待つべきである、不正は訴えることができるのである、裁判を起こす権利が彼らにはあるのである、三権分立が云々と教え諭されるところになると、いやどうも不正に目眩して冷静さを見失っていましたと反省させられる。
がしかし、先のいなされた気分の中で、この反省を自らに強いてみると、何かおかしなもの、しかもどこか剣呑さを持ったものが潜んでいる不安に、私は囚われるのである。
それが何かと自らに問うてみるに、例えばこんな風に先の主張を言い直してみよう、すなわち、他国の重要な政治的選択は、他国民の決めることであって、こちらが論うことではない、他国の政治不正については、他国の政治制度か、なんらかの強固な社会的規範が解決するのを、こちらはただその行く末を見ているべきである、まずはこのように言い換えてみよう。
そして、他所の国や社会に存在していると知らされたり、生じつつあると報じられたり、行われる可能性があると訴えられる不正について、私たちは須く他国の政治の解決に待つべきなのである、他国の政治か社会の能力に期待すべきなのである、このように答えて恬然自若としているべきなのであろうか、このように問うてみよう。
この記事の主題であり、私が気にかかるところの、大統領選挙での不正に対する眼差しと態度に沿うならば、この問いに対しては、然りそうあるべきである、と肯定的に答えることになろう。
ここに私の不安は、むくむくと大きな黒い影となって、私の胸を塞いでくる。
なんとなれば、それならば中国でのウイグル人の例の話題や、香港のことも、同じような態度をとって、それらは中国の政治的選択と政治的能力の処置すべきことであって、不正だの不正義だのと感情を昂らせるようなことではない、中国の政治的解決に期待して、その帰趨を見ているべきなのである、このような主張も肯定してしまうことになるからである。
中国は共産党独裁で、人権もないが、アメリカは民主主義国で、権利と法とがあり爾斯く斯くと言っても、なんの反論にもならない。何故なら、不正からは目を逸らして、ことの成り行きを待とうと説く者たちは、その態度から当然引出される主張として、バイデン大統領が就任することになったならば、そうなった米国を見据えて、どう米国と接していくか、どんな外交技術でもって日本の国益を実現させていくか、このことに注視せばならないとも力説しているのである。
ここで再び指摘しよう、それならば中国の例の件についてもまた、中国でどんな推移を経ていくのか、それを見定めて、その上で、どう中国と接するか、どんな外交でもって日本の国益を実現させていくか、その工夫に腐心すれば良い、かように唱えるのが主張するところに忠実な態度であると言わねばならないからである。
我々は米国民ではない、だから米国大統領選について、なんら口を開くことはできない、物を言ったとしても、なんの意味もない、かように言うならば、これと同じくまた、我々は中国人民ではない、中国人民の状況について、なんらの口を開くべきでもなく、他所の国の我々が何かを指摘したとしても、なんの意味もない、このように言うべきことになるからである。
名前を挙げた二人についてみれば、上念司は不正に対する感情を、自らにおいても他者においても、抑制せねばならないと留意するところから、先の態度を唱えているように見受けられる。その抑制の理由も、私かに慮れば、納得できないものでもなく思える。しかしながら、政治への冷静さを得るための距離を取らんとして、政治的無関心・アパシーへと導く主張に近づいているように、私は思うのである。そして私がこれについて恐れるのは、政治的不正への無関心を理屈だてる主張の、その一歩先に、人々の無関心によって批判されることなく、剥き出しの欲望が自由になっている、そんな地平が広がっていると考えているからである。
他方奥山真司については、私の貧しい知識ながら理解する地政学よりして、選挙での不正といったものも、人権侵害といったものも、そうした政治的価値に反することや、あるいは何かしらの理念に悖ることなどは、さしあたって考察の中になく、いやおそらく関心を向けるところですらなく、そんなことはどうであっても、つまり習近平の中国が共産党独裁国家らしいあり方をし続けていくのに対して、またバイデンの米国が民主党主導で営まれていくのに対して、日本国が自ら所持し、かつ国際的に構築できる政治的な力・リアルなパワーを行使して、日本の国益を実現していく道筋を見つけることが、彼の主たる関心であり、もしかしたらそれが全てではないかと思える。
いつ頃までのことであったろうか、昔は、ジャーナリズムというものが言われていて、それを実践するに努めたテレビや新聞の報道では、何かしら政治的不正が行われている国が、ことの重要性に応じて、熱心に取材され、分析され、そして批評されて、テレビ番組や新聞記事となっていたものである。
一つの話題が集中的に報じられるときには、国際世論の喚起という風に目的づけか性格づけがなされたもので、問題ある国に対して、国際社会には厳しい批判や非難が湧き起こっているぞと感じさせて牽制を与えることで、その国の不正が深刻なものとならないように働きかけるのだ、そんな意義づけもなされていたと覚えている。
今から思えば、そうした国際報道も国際規模でメディアを利用しての政治工作、そんなものと感じないでもないが、たとえそうであれ、米国の今回の大統領選挙では、こんな不正、こんな暴力、こんな悪事が行われているのだと、盛んに話題にするならば、外国でそんな風に言われてしまっていることが、よしやごくわずかなものとしても、それなりの牽制になるだろうと、やはり私は思うのである。
お父さんの思い出
ねこのお父さんは
先生だった
家でも先生のようにふるまうので
で。
「週刊こどもニュース」を見てる父。
「なんでこんなのみてるの?」きいたら
「お父さんでも知らないことがあるだろ、子供向きの番組だけどよくわかるように説明されてていいよね」
とのこと、
そういえば「大人でも中学生用の子供のための英字新聞を読んで英語を身に着けた人」のはなしを
きいたことがあったなー。
なのでうちでは家族で
「週刊こどもニュース」をみていました
勉強してるひとでした。
そのへんは尊敬してたにゃ。
なのでネコチャンこどもじゃないけど
よく判るニャ。
大好きだった女性配信者が投げ銭一発でがらっと変わってしまった。
よく見れば美人だけどオタク特有の挙動不審さとか、飾りっ気のない素朴な服装とか、自分の趣味に対して誰の目を気にするでもなく好きな気持ちを垂れ流している様子とか、自分にとっては天使過ぎて毎日配信を眺めていた。
毎日といっても、デスクワーク中にタブを開きっぱなしにして、興味ある話題だとコメントを返すくらいの関係だが。
おそらくは高校を卒業したばかりか就職もせず暇な日常を送っているようで、金銭的に支援したい気持ちがなかったわけではない。
でも、なんとなくこの配信者自体がお金よりも共通の話題で盛り上がれる相手を探してそうな感じに見えたから、とりあえずは投げ銭はしなでおこうと思っていた。
そんなある日、彼女の配信が始まったので見に行ってみると、配信画面にステータスバーのようなものができていた。
通常こういうものには期限が設定されるのだが、そこは彼女らしく”気長に待つ!”とだけ書かれていた。
最近は少しずつフォロワーも増えてきたし、そろそろ始めてもいい頃合いだったのかもしれないが、10万円とはまた背伸びをしたものだ。
なんとなく面白い話題とか面白いシーンとかが流れればちょっとずつ投げ銭して、たまっていく様子を彼女と一緒に気長に眺めてみるのもいいかな、、、と仕事にもどった矢先だった。
課金を告げる音が響くと、それまでとりとめなく垂れ流していた彼女の趣味に対する話が絶句のように途切れた。
仕事をしながら耳だけで聞いていたので、配信でも切れたかな?と思いつつ仕事を続けていると、彼女が消え入りそうな声で「え、、、うそ?」とつぶやいた。
画面の隅々に視線を泳がせてみるとおまけ程度についてたステータスバーの色が変わっている。
すごいやはさで流れていくコメント欄。
口を両手で塞いだままの彼女を見て察する。
今まで誰の目も気にせずに途切れることなく趣味の話をし続けていた彼女は、急に投げ銭をしたユーザーのリクエストばかりに答えるようになった。
事あるごとにそのユーザーへの感謝を口にし、フォロワーが増えた通知音が流れても今までのように”さんきゅーふぉろうぃん”すら言わなくなってしまった。
10万円の投げ銭の前では、自分を含め多くのフォロワーは雑魚だ。
その後、その日の配信では誰かが投げ銭をするようなことはなかった。
次の日の配信が始まると、こころなしかいつもよりも顔色のいい彼女がいた。
いや、顔色が良いというよりはなんとなく不自然で、目の周りとかもなんだかケバケバしていた。
あぁ、化粧をしたのだ。慣れないチークが風呂上がりで火照ったように赤い。
ふと昨日一瞬にして色を変えたバーを見てみると、色の変わっていない部分が増えている代わりに、横の文字が100,000/400,000となっていた。
同じく期限は”気長に待つ!”となっていたが、彼女は何やら照れているかの様子で、「一応説明しておくと、すでにたまっていると載せている意味がないかなと思って、かといってこれだけ多めの目標にしておけば気長にたまっていく様子が楽しめるからと思って」と口にしていた。
そのどこか誰かに媚びるような物の言い方に、自分の中で急激に熱が奪われていくことを感じて、そっとウィンドウを閉じてしまった。
ショックからしばらくは配信サイトを開くことすらためらわれた。
2週間が経って、いつものように配信開始の通知でスマホがブルった。
そういえばどうなったのだろうと彼女のチャンネルを開いてみることにした。
化粧は少し上手になったのか自然さを取り戻していたが、着ている服から見える肌色が明らかに増えていた。
腕、足、首元。
別にグラマラスな肢体の持ち主なわけではなかったが、それでも精一杯にアピールしようとしていることがわかった。
いつからこんなことに。
そう思ってアーカイブを見ようとサムネイルをクリックすると、画面に現れたのは「サブスクライバー限定」の文字。
(これは、月に数百円程度このチャンネルに課金しないと見られないという意味だ。)
言葉が出なかった。
配信に戻ると、投げ銭の金額を知らせるバーは12万くらいに増えていた。
こういう表現がよくないことはわかっている。
でも、他の言葉が見つからないからあえて言わせてもらうと、彼女は急に女になってしまった。
(さらに言い訳をするなら、女性を卑下するつもりではなく、こうした慣用句的に表現される状態に変わってしまったと受け取っていただきたい)
女性の部分を武器にして、性的なアピールでお金を稼ごうとする商品になってしまったのだ。
きっかけは投げ銭を要求するバーを設置した彼女にあるかもしれない。
でも、その段階では、まだ、視聴者みんなで気長にゆっくりとたまっていく様子を楽しむつもりだったはずだ。
だから許せないのは、一度に10万円もの金額を投げ銭したやろうの存在だ。
言ってしまえば、たった10万円で、僕の楽しみはぶち壊されてしまったのだ。
もう彼女は、一度に10万円の投げ銭を受け取ってしまう前の彼女に戻ることは絶対にない。
これからじっくりと磨きがかかっていくであろう宝石の原石が、一度のハンマーで粉々になってしまった。
どういうつもりで10万円を投資したのか、その人にとって10万円という金額にどれくらいの価値があるのかはわからない。
ただ一つ言わせてくれ。くたばれクソやろう。
世の中には価格のつけられない価値というものがあると信じている。
逆を返せば、価格がついていないからこそ無限の価値があると言えるのだ。
つまり、投げ銭やろうが犯した罪は、その無限の価値に価格をつけることで、価値を有限にしてしまったという罪だ。
10万円がたまっていく様子を彼女とみんなで気長に楽しむという価値を、こいつがたった一瞬でぶちこわしてしまったのだ。
しかし彼女は、自分自身の配信に10万円の価値があると勘違いをしてしまった。
その数万円を稼ぐために、彼女はどんどん自分の価値を安売りしてしまった。
もともとは相手に気に入られたい、相手の願いを叶えてあげたい。そんな善意に似た気持ちからの事かもしれない。
だけど、やはり透けている本音は隠しきれないよ。
ほらみろ。そんなことをするから彼女は価値ごと壊れてしまった。
野に咲く花は野に咲いているからきれいなのであって、独り占めしようと摘んでしまえば価値なんて残らないのだことをゆめゆめ忘れてはならない。
※本人が限定をされるのも嫌なので、ところどころ単位や表現を変えてぼかしていますので、特定サービスに対する批判とかはおやめ下さい。
市場価値とかそういうこととか もう経済関係のことまるごと別にしていいよ
商売でいいとか悪いとか 実際別のなにがあるとか言っても意味ない
結果からいうと転売は別にいいよ そういうもんだから そこで思考停止してもどんだけ語ってもおんなじ話
それでPS5の話がやーのやーのいわれてるのは みんなが気に入らないから
みんなが気に入ってないから市場からバイヤーがあらぬうわさで害をこうむっても商売として自然なので問題ないよね
ただ商売とか商法とかいうのだったら PS5とかほかの新発売が転売ヤーに買い占められて値段あげられておかしいっていわれるのも
商社の運営方針が悪いから文句いわれるだけで民意で淘汰されても市場原理からして自然なのでどうでもいいでしょ
それをいったところでわだかまりがのこるのは 他とどういう差で消費者に触れてるかよく考えてないからじゃないの?
新製品を発売してすぐ買い占めて 高値でうるのはおかしくないし問題ないしそれは商売のかたちとしては自然だよ
定価で仕入れるって無茶をして商売をしてるのは かなりへりくだって商売してるなとは思う 転売ヤーなら店舗もって仕入れ業者として定価以下で買うべきでしょ
競争力を市場から商品をさらって機会価値を高めてうることでそれをカバーしてるけど実質量がへればそれもうまくいかない
そういう動作的なことはどうでもいい
買い占めて高値でうるってことを商売っていう言葉以外にするなら「この商品の価値は○○円であるべきだ。そういう価値を俺はこの市場で感じる」ということじゃん
遠い外国のお茶とか絨毯がそうだとおもって 現金で買い占めてもってきて 手数料ふくめまた買いに行ける利益を乗せてうる そういうもんでしょ
PS5でそれしてなにがわるい ってそれ原産国で現地のひとは通常定価でかえる(この価値は○○円ですと出てる)ものを 「これはもっと高い価値がこの市場においてはある」って言いだす人がいるだけ
悪くはない ただ感じ悪いでしょ
隣の人が100円で飲んでるコーヒーを「あなたには300円の価値がある」って別の会計されるの ただ感じ悪い それイメージよくするのは商売人がその価値を高めた理由なりをなにか買う理由にすべきじゃん
みんながやってて悪い事じゃないから 問題がない 以外の理由で転売のミリョクとか語るならまあ納得されたりするんじゃない?
自分たちが買い占めてお金もらえたら商品わたすよってのは問題ないし お金で序列化するのは差別なくていいとおもうよ
今買える商品について 代理店なり中間業者なり卸なりが小売りになる(顧客に販売)時点で一人一個とか限定で手に入らないとかになってないのに
「手に入りにくいため市場の価値はこれくらいだ」って言えるほどに必要ない分買い占めるのは 単的に嫌がらせな感じがするので感じがわるいよね
もしイメージをよくしたいとかおもっているなら落としどころはここなんじゃない?
「朝早く並んで買ってくるのもただじゃない」
できればみんなはそれを自分も同じコストで同じ支払い方法で買いたいのはわかってあげて 朝早く起きて3時間ならぶのとか 自分ならできる って人とも競合してる
競合してる人と物理的にもみ合って買ってきて その高級な商品をお金で解決してくれるならしょうがない
競りで一億円になった鮪を食べるのには みあった価格をつけるか「その価値でもって別の消費をうながす」とかに使うことで 一般の人も手に入れるかどうかの選択肢に不満はなくなるよね
PS5買うためにどれだけ努力したか動画でもアップすればいいんじゃないかな
アピールの仕方には注意しないとすぐ炎上すると思うけどね 高級店を救ってほしいってクラファンしたとしたら お金がないからつらいのでってアピールしても炎上しかしない気がするよね
たしかに魅力がある商品だから とおせんぼされて通行料はらえって意味わからないお金をカツアゲされても それが手に入るならっての いい商売だとおもうよ
企業はそれを適正価格とか社会貢献とかで持続的に商売ができるように 適正だとか納税だとかしてるだけ 継続性のない単発的な商売ならなんでもできるよ
「僕らが君たちより先に買って 君たちより先にならんで だれに譲るかはお金できめるから」って人が「もうけたお金は次まただれかの順番とりに使うから」って言われて応援する気は起きにくいんじゃないかな
儲けてる人もいるよね ほかの人のいらいらをすこしでも「お金で解決してあげよう」って人 だれかれなしにイライラさせて お金でそれを譲ってあげる自分は買わないけど順番に並んでみたってコストを払う人
憎まれ商売やってるのだから その機会をお金で買う人が「お金で解決しやがって」って言われるだけの憎まれを肩代わりしてあげてるんだからむしろいい事かと思うよ
あと店舗在庫をなくすまでに(実際の使用率は別として)消費者階層に商品を持ってくるのも経済的にはいいと思うよ
やってることは お金持ちのパパがお金持ち息子に「ゲームやりたいよー」ってのを「よしパパがお金でかってやるぞ」の構造を作ってあげる匿名のコンシェルジュをやってるのは 一般にうけがよくないだけだとおもうよ
そのお金で抽選の運とかそういうのを解決したい人が「それいくらで譲ってくれる?」っていう お金持ちが通り過ぎていくときに金で解決するものがもとより商売とか善悪とか関係なく うざいって思うだけなんだよ
なんかね 貧乏だから商品をかう労働力を使って 自分ちでたのしまずにお金持ちが貢物を買ってくれるのをささげて待ってる姿が 娘を売りに出す農民の時代みたいだなあと感じたりするわけだよ
買い占めた人が実際のプレイ動画で販促したりしたら人気でもでるんじゃない? 平等に評価がでるのは価格なわけだし
別にいくらで買おうが商品の価値がかわるわけでも なにがどうなるわけでもないんだわ 次もそれで買おうって思うならね
おそらく本物のお金持ちは手数料や会費とかバカ高いサービスで「それ一つかっといて」とかで手に入るはずだしそれはそれでいいよね
でも毎回激安スーパーでお客様の皆様へって言ってるサービス品を「俺の賽銭箱にいれないと買わせないレジ的な意味ではなく暴力的な意味で」ってやってるのが迷惑に感じるだけ
ユニクロに殺到して破壊したり家電量販店でレジで何時間も口論になったりとかしなければ転売商品しいれていいよ 高値でかう情弱貧乏も買ってもいいし
ほんとに問題視してる人は買わないし 買わないだけで充分意味がある 文句をいまいう必要はとくにない
今できなくても死なないし 我慢できないなら我慢しているその欲望を吐き出すための社会の受け皿を用意する「お金」をよりたくさん稼げばいいだけだから
実際転売ヤーの「一般消費者への妨害行為」が問題になるとしたら 問題にしないように「一般消費者ががんばって転売ヤーの吐く毒に耐える」ことでも転売ヤー自体をたたくことでもない
「消費者が継続して購入する契機を逃している」それは「プレイしない人活用しない人が在庫として流通させていないからだ」とメーカーがみて対策をするときに 問題がでてくる
転売ヤーのつけてる値段の上限がおそらく「今の市場における価値上限」だと思うよ
実際それくらいの高級品ではある PS5は 転売ヤーもいい仕事してるね
それが一番やすく手に入る方法は暴力 強奪だね それの一歩手前をしてるから転売ヤーは嫌われてる
そこで10万円もだしてPS5がしたいってひとは出せばいいだけ 出せない人は買わなければいいだけ
メーカーもこれから続けて会費だのアクセサリだのソフトだのサービスだのと せっかくつくったプラットフォームから直接お客様のお財布にリーチするチャンネルを作るチャンスに
結局支払いのない無料ユーザーをPS5の安価配布でつくったところでうれしくない
ところがもし PS5のメーカーが 5万円ならゲーム機が買える顧客にも年中たのしめて次のプラットフォーム構築までのあいだ消費をつづけられるように設計していたなら
その層が不活性なのは不満でしょう そうなれば飽和攻撃よろしく転売むけスターターキットは2割増しで販売 最初のふつうの消費者は巻き込み事故になるけど続編から大幅値下げとか
ファーストロットの売り上げから予算も大きくなるから供給計画を数期にわけて公表しておくとかもありかも 最初にソフトを出さないとかみたいな手もあるかもしれないけどね
そうなるまでは「その値段では買えない買わない層」は不満はいだきつつ静観しておけば 市場は自然に動くでしょう
ゲーム中毒で最新ゲームしたい病で神経がやられてつらい人は 精神科とかにいって「いまのロットはベータで会員制度 お金はらえば会員なれるけど製品版をまって期が満ちたら買いましょう」って催眠でもかけてもらったらいい
いまはまだ販売してないっておもえば 買わなくても苦でなくなるのでは そういう事じゃないっていうならそれはもう一般人どおしが話をしても解決するわけじゃないので病院でなにかを処方してもらわないとしょうがないよね
ほんと感じのわるい商売で感じのわるい層を擁護してるのが目に見えると不快なだけなんだよね
転売は「フリーのプレミアムアウトレット闇市」とか名乗って潜んで商売してくれたらいいのに 日の明るいところで子供もみえる範囲で裏稼業やってるのが その稼業の価値をしる人がみてやだなあって思うわけ
別にイメージで商売してるわけでも 金以外に求めてるものはなにもないとおもうから 金で解決するやつらの憎まれを買ってあげてるその価値が転売価格だってわかれば
なんだか貧乏人同士とかんがえると 貧乏人からみて裏切り者って感じをうけちゃうかもしれないけど そういうもんだしいいのでは
むしろ憎まれる度合いが大きいほど おおきな商売なんでしょうきっと
イメージよく憎まれずにできる商売でもないし 憎まれたほうがいい憎まれ商売なんだから いっぱい文句いってもらえたほうが 一般庶民の罵声を浴びれた数だけ意味のある商売だと思うよ
褒められたい仕事をするなら 継続的で安心して顧客に直接つながる商売をしたり そういう仕事をするべきだしそんな選択肢もあるんだから その商売のイメージをいま綺麗にする必要もないよね
夫の人生が輝いている。
ここ1ヶ月ぐらい、夫は暇さえあれば霜降り明星のチャンネルを見ている。
映画でも漫画でも、あらゆるコンテンツに対して「ああ、面白いよね」ぐらいのフラットな姿勢しか示してこなかった夫が、今は前のめりになって霜降り明星のことを知ろうとしている。
なんなら飢えている。霜降り明星は毎日18時頃にYouTubeに動画を上げるらしいのだが、いつも早々に消費しきって次の配信を待ち焦がれている。
夫がハードな会議に揉まれて遅くに帰ってきた日、「霜降り見たら?」と言うと「我慢できずに帰りの電車で見てしまった……」とこぼす。霜降り明星が私を差しおいて彼の精神の支えになっている。
けれど、zoomの一件の直後にせいやが2時間ぶっ通しでボケ続けたラジオの神回の話をしたら、そこからぽつぽつと霜降り明星をチェックし始めた気がする。
夫は地頭のいい人間が好きだ。仕事のできるタイプと言い換えてもいい。粗品の喋り口にそれを感じるらしい。
それでいてコンビ愛に厚いところもたまらないという。せいやが競馬のモノマネをする時のはしゃいだ笑顔が好きだと言っていた。
そして、番組でせいやへの手紙を朗読する際、「本当にいい奴なので幸せになってほしい」と読むところでたまらず涙が溢れてしまった粗品が推せるとも言っていた。
コンビ愛といえば、2人がコンビを結成する時のエピソードも好きらしい。ピンで売れ始めていた粗品が教師を目指していたせいやに猛アタックをかまして結成したらしく、ゆえに何とか売れたあと粗品がせいやの家族に挨拶に行くエピソードがめちゃくちゃアツいそうだ。
こんな話を毎日聞いている。粗品は私より愛されているかもしれない。だけど、夫がここ最近信じられないほど楽しそうなので、このまま粗品を好きな夫を好きでいようと思う。