はてなキーワード: ゾンビとは
なんか既にさんざん色々言われているが、渋谷と六本木のハロウィン行ってきたし、コミケにおいてはスタッフ参加・コスプレ参加・サークル参加もしたし、所属企業が企業参加もしてたんでこの件については意見をいう資格があると思って、言う。
とにかく、コミケと比較してハロウィンコスプレ連中を叩いている奴はアホだ。私は断言する。
「コスプレは自分たちが主流」という考え方もあるだろうけど、確実にあちらのほうが主流になっている。「人数が多ければメインストリームなのか!?」という意見もあるけど、人が多けりゃまぁメインストリームでしょう。さて参加者の数を正確に測定するのは日本野鳥の会を雇っても難しいんだけど、まぁコミケととなコスを合わせた数よりは多いだろうな、と言うのはチラ見でも分かると思う。
「多数がやってるからと言ってマナー違反はマナー違反だ!」という人は、自分を振り返れば分かるだろうけど、コミケ参加者だってマナー守るひともいれば守らないひとも居る。人数が多くなれば守らない人が多いような気になるものだ。
これは最大の問題なのだけれど、渋谷六本木のハロウィンは本質的には主催者がいないイベントなのだ。川崎ハロウィンはほぼ実行委員会の下にあるが、渋谷六本木については、個々のクラブイベント等の集合体に過ぎず、全体を統括する責任者だとか、共同代表だとかはいないのだ。ゆえに警察の対応も場当たり的な交通整理になるし、人の流れの動線についても責任を持つものがいない。交差点の真ん中で写メろうが、ニコ生しようがUstreamしようが、だれも止めない。警察も止める権限がない。
一応シブハロ実行委員会というのもあるが、あれもパルコとか幾つかの店舗のイベントの統括に過ぎず、渋谷のハロウィンについてなんら責任を負うものではない。
この点、コミケについてはコミケット準備会の私的なイベントであり、主催者の決めたルール(コスプレ来場・徹夜組・過剰な露出・消防動線の確保など)に従わないものはもちろん、「単に気に入らない人間だから」というだけで参加を拒否する権限すらある。一方で、その範囲内で法令違反(わいせつ物・火災・動線の失敗による転倒事故)などがあれば管理責任として、最悪は代表者や担当者が刑務所に入るリスクすらある。
また一般的な神社などのお祭りと比較する意見も見られるが、あれも神社の氏子組織とかが実行委的なものを作ってたりしますね。
ゴミ箱については、コミケのひとたちもあの巨大なコンテナゴミ箱がない状況で、ゴミをキレイに捨てられるなら言ってくださいね〜と思う。
公共担当した人ならわかるけど列移動後のゴミはどうしたって残ってるし、館内担当の人もサークル撤収後にゴミが残ってるのは何度か見てると思う。
東京都が早く、ハチ公のとことセンター街の角海老のとこあたりとかにコンテナゴミ箱設置してくれれば改善されると思う。逆にコミケだってコンテナゴミ箱を無くして「ゴミは絶対に絶対に持ち帰ってください。コンビニで買ったとかしるか!」ってやったらゴミだらけになるのではないかな。上野公園の花見だって、コンテナゴミ箱を設置するまでは恐ろしい量のゴミだらけだったし(平成元年はまだそんなだったぞ)、まぁ今も酒入って朝までやってるから多少はゴミだらけだけど、昨今はちゃんと片付ける度も高いと思うよ。
あ、あと意識高い参加者はどちらにもいて、コミケだって16時過ぎに隣サークルのゴミを拾って捨ててる人とかもいるし、渋谷も朝の…6時だっけな?ゴミ袋とトングを配ってて、路上のゴミを拾うボランティアコスプレイヤーたくさん居ましたね。素晴らしいです。
まぁ酒飲みながらコミケやるやつもあったんだけど(コミケットスペシャル)、あんまりガッツリ飲む感じじゃなかったんですよね。その点、シブハロは終電過ぎてからがメインで、クラブやバーなんかの酒を呑む店がメインだったりするのもあって、ちょっとテンションがおかしい人が増えるってのはあると思う。
「酒飲んでるからって許されるなと思うなよ」ってのはあるが、正直コミケでマナーが良いのは酒が飲めないからであって、アニソン系のダンパとか行くとわかるけどぶっ壊れっぷりはヲタ層でも昔から酷かったような・・・。
理由5:着替え場所(更衣室)の問題。または「コスプレ来場(家からコスプレ)はノーマナーなんですけど!?」問題。
更衣室が無い、そしてハロウィンメイクは化粧室を汚しやすい(血糊とかが飛んで洗面台がひどいことに)というのはある。
例えば六本木ヒルズのお手洗いについては、「ハロウィンメイク禁止」の札が貼ってあった。そうでなくとも、トイレで着替えたり仮装のためのメイクをするのは他の利用者の邪魔になる行為だ。
一般のコスプレイベントでは、これは禁止事項にあたる。コートを羽織って参加すらダメという扱いがほとんどだ(一方でメイク・つけまつげ・カラーコンタクトは許容される傾向がある)。だが、コレは必須事項だろうか?
これらは実際には、運営者側の問題であり、さらに言えば徹夜組等で苦情が来たため・・・とかじゃないだろうか。コミケは運営方針として、基本的には『禁止事項は少なく』の方向で動いている。だから禁止事項になるのは「明白な危険(あからさまな武器と判別つかないもの)」「他人の迷惑(コス着替えでの化粧室専有とか)」に限っている。
そんななかで、長年ずっと疑問だったのが「コスプレ来場禁止」のルールだ。これ禁止するくらいなら、もっと前から「エロ紙袋禁止」をするべきだった。
ただし、正直なトコロで言えばコスプレエリアトップは館内や公共・外救とかとは違うルールっぽくてよく知らない。
とにかく別に、コスプレ来場したってそれが本人に恥ずかしく無いのであればいいんじゃないか?と思う。過激な露出がある場合ならコートとか羽織ってね。
むしろコミケの更衣室はゴミゴミした大部屋に押し込められて、キャリーバッグの上に鏡置いてメイクして…ってやってらんねーんですよ。メイク終わったあとにカラコン入れ忘れたことに気がついて手を洗いたくても洗面台は無いので外に行くかそのままの手でカラコン入れるか(目が荒れるのでやってはいけない)。。。あそこで血糊コスやったら、ジュータンの上に血糊ぶっこぼすやつが毎日10組は出るね。
血糊の話は次節に、露出については次次節に譲る。
今年も去年も、電車の中で血まみれナース服の連中をダース単位で見てたし、血まみれリーマン風ゾンビさんが酒飲んでぶったおれて寝てるのはどう見てもガチでオヤジ狩り後なんじゃないかと心配になる。血まみれでもシュッと立ってスマホ見てつり革掴んでりゃ多少はマシなんだけど。
いずれにせよ、これは
扇情的な格好、という意味ではコミケやとなコスのほうがひどいのは多いと思う。なお一部クラブとかでは過激な格好をしてるところもあると聞くが、そういうのは会員制で入れなかったりするしさておく。
一般の路上で扇情的な(谷間やヘソ・下乳が出る程度の)格好をすることの是非はあるが、コミケやワンフェスでシェリル・ノームやキルラキルコスプレがたくさんいた事を考えると、路上における露出の程度は問題ではない気がする。
「公共の道路でやることが問題なんだ!」というのも、最近のコミケでは庭園エリアとかの公共エリアとほぼおなじところでやってるのはある。
はいはい盗撮で毎年逮捕者出てるコミケはおうちに帰ろうね。。。
なお警察が100人以上出動しているのは、主に交通整理の問題であって、コミケだって公共の人たち(駅の案内・信号周辺などなど)に数百人を配置してるうえに、そもそも信号がほぼ無い湾岸エリアだもん…。
「そもそも渋谷とか狭いとこでやんなよ!」と言うのは納得ではあるが、ガイジンは渋谷と六本木がやたら好きなんだよ!理由は知らん!
「コミケは外国人がたくさん参加してる!」って言うけど、少なくとも所属企業の外国人従業員30人前後のTwitterやFacebookを見る限り、コミケに行ったのは2,3人くらいだけど、ハロウィンは20人以上いってたからな。
もちろん外国人にも趣味はあるけど、初音ミクが好きすぎて日本に就職したガイジンですら、ハロウィン参加していたからな(コミケももちろん行ってたけど)。
あと、やっぱりパット見でガイジンと分かる人たち(非アジア系の外国人たち)の存在率考えても、渋谷六本木のハロウィンはコミケの10倍はガイジン密度高いと思います。
実際に歩くとガイジンばっかだなーって思いますよ。コミケじゃごくたまに見るくらいですね。
まぁコミケは既に文化となってて、日本に留学してコミケ含むオタク文化について論文書いて博士号取った人とかもいるのにくらべると、ハロウィンは文化的にまだまだーというのはありますが。
巨大レンズぶら下げて取る専なカメコは多分ハロウィンには居ない・・・か居てもかなり少ない。コミケだとカメコ率以上に高いのに比べると、みんなスマホかせいぜいコンデジ。
何十人も取り囲んでローアングラーが張り付いてスタッフがカウントするまで囲みが動かない・・・ということはない。
コレについてはよくわからない。結局のところ外部経済であるのは飲食ぐらいで、コミケだってなんだかんだでオタク同士の輪のなかでの内部経済みたいなもんじゃないのだろうか。ハロウィンの警備で警察が出て税金使ってるけど、コミケも救急車も警察も消防もキテルんだヨー。だから熱中症対策はちゃんとしようねー。
ROを経験した人間にはなかば常識ではあるが、ノーマナーという言葉は
> 「自分にとって不愉快な行為をした人間」に対して「ルール違反」的な意味合いとして、レッテルの貼り付け
として使われている。
総論:
そんなわけで、渋谷と六本木のハロウィンを綜覧して語ってみた。とは言え六本木も渋谷も、ストリートではなくてクラブの中で様々なことが行われていて、その中では新堂エルのマンガに出てくるような黒人が、新堂エルのマンガに出てくるようなことをしているのかもしれない。新堂エルのマンガに出てくるようなことをしたい。
とにかくコミケ参加者たちが自分たちが特権階級のように言っているのがムカつく。既にメインストリームはあちらに移っていて、完全に時代から取り残されつつあるのに「マスコミはダブルスタンダードだ」としか言ってないのがムカつく。時代は現在、新たなる局面へ向かいつつある!我々も表に出ていくべきときなのだ!時代は新たなオタクたちのものだ!立てよ国民!
もう全員が100%ぜったいパーフェクトに確実に “ラッキースケベ目当て ” でそのシーズンごとのイベントに乗っかってるだけのクセにぜったいに家出るまえにはいつもより念入りにちんこまんこ洗ってから来てるくせにそんなことはお首にも出さず
「楽しいイベントを素直に楽しめるノリの良いおれ、ワタシ」みたいな顔しやがって 、どうせギンギンにおっ立てながらマリオの格好してるくせに、ビッショビショに濡らしながらゾンビナースの格好してるくせに、
「いまとゆう時間をめいっぱい楽しまなきゃ!レッツエンジョイ!キャハ」みたいな顔しながらギンギンのビッショビショのくせに、それに参加しないとノリが悪くて人生楽しめない哀れなヤツみたいな目で見てきたりしてまじでクソ
もう全員ハッピーハロインハッピーハロインとか絶叫しながら中出ししてできちゃった結婚して少子化に歯止めをかけてください
少人数の対人はサバゲーっぽくていいし、大人数戦争ゲーは軍人気分が味わえて、勝てると嬉しい。
オープンワールド系だと、街中で唐突に一般市民を乱射し始めるとかもいい。
ピストルだけでパンパンパン、アサルトライフルでババババ、ショットガンで吹っ飛ばし、スナイパーライフルで遠くの敵をヘッドショット。
とにかく、撃ち殺すのすげー楽しい。相手はゾンビやモンスターの時もあるけど、それらも殆ど人を模して作った創作物。
そこに善悪はなくて、とにかく弾の出るもので人型のものを狙って殺すこと自体が楽しい。
こんな僕ですが、先日好きになった女の子がゲームでも何かを殺すのはいけないと思うって言ってたので人を殺すゲームはよくないと思います。
追記(2015/11/05)
ホッテントリ入っててびびった。
今年はMGSV:TPPとFallout4とSTARWARSバトルフロントをやらないといけないから来年から人殺すゲームはよくないと思うことにする。
「3巻以内完結のおすすめマンガ」にブコメしてもよかったが、語りたかったので増田にする。
この増田で言いたいことを一行で書くとしたら、これが大傑作だったと思ったということだ。
四コママンガ形式だけど長編。台詞が写植ではなく手書きであることを嫌う人がamazonのレビューにいたから人を選ぶかもしれない。だけど読んで損はない。
舞台は女子高。とある一日、校舎の屋上に、偶然、様々な生徒が集まってくる。主人公格の漫才研究会のコンビ、ソフトボール部員、漫研、生徒会、保健委員、不良少女、ぼっちの引きこもり少女…
漫才研究会コンビを主人公格と書いたのは、彼女ら以外の登場人物のほぼ全員にも、背景となるドラマがあるからだ。
ふと彼女らが屋上から校庭や校舎を見回すと、恐るべき光景が! 街がゾンビの大群に襲われ、彼女らは孤立してしまったのだ…という設定だ。
初めのほうは軽やかなギャグが連発される。それが徐々に、残酷なスプラッタに変わる。登場人物たちが次々に、容赦なく殺されてゆく。
笑いが恐怖に変わるというと中島らもの傑作戯曲『こどもの一生』が思い出されるが、あれより救いはない。救いは全然ない。『まどマギに』似ているかもしれない。それも違うか。
マンガを読む価値が現実では体験できない感情をかき立てられることにあるとしたら、この作品は見事にそれに成功していると思った。それを言いたかったのだ。
「舞台っぽいな」と思ったら元は戯曲でそれをコミック化したものだそうだ。原作者は麻草郁という人で、やはりはてなーだった。idはscreammachine。
ネタバレになるから書けないが、あのラストを読んだ時、なんとなく作者は絶対に女性に違いないと思ったが、はてなブログやプロフィールの写真を見ると男性だった。
他にも…
・となりの801ちゃん+(3巻続刊)
“+”はプラスと読み、ヒロインがお母さんになったという意味だと思う。
先行の『となりの801ちゃん』(6巻完結)の巻末には京都御薗橋801商店街のゆるキャラ「801ちゃん」とのコラボページがついていたが、“+”ではそれがなくなっていた。
とか…
『はてな村奇譚』だけの小島アジコ先生じゃないのだ。本業で頑張ってる人がはてなで我々に構ってくれることに、たまにはちょっとぐらい感謝してもバチは当たるまい。
借金をした。
多くの借金をした。
返す目途は立たず、この調子では首をくくってしまわねばならん。
最高の人生だ。
まぁ前も書いてた通り競輪で失敗したんです。
まぁ、なんとかなるかなぁなんて思ってたのか思ってなかったのか、借金も全部競輪に使っちゃって全部すったんですね。最高です。
他人には「こうすればいいんじゃね?」なんて言いながら自分は自分の手元に何もない不安から金が集まりやすい公営ギャンブルで一発逆転を狙ってしまった。
そこからなんか見つかるかもって思ってしまったのだ。結果はこれだ。
不安感に襲われながら自分自身を呪いながらそれでもまだ将来的なことも何も見当たらないまま金銭を求めて求めて喉から手が出る力もない程衰弱しきってしまった。
恐ろしい人生だ。恐ろしい。表面上は笑顔でいるが内面は自分に対する絶望で崩壊しかけている。
それでもまだ生きていけたら、またどこかで会いましょう。
「下校時刻の哲学的ゾンビ」というマンガが話題になってるのを知って
はじめは「構成とかよく考えられてて面白い」と思ってたんだけど
最近、ある疑問を持つようになった(知らない人はこちら→http://omocoro.jp/kiji/64616/)。
補修プリントやっているピンク髪に、メガネが話しかけてるんだけど
自発的な意思をもたない哲学的ゾンビが、他人にキャラメルあげようとか思うのかなと。
哲学的ゾンビなら、授業終わったらさっさと家に帰るんじゃないの?
ピンク髪の「いっそ死にたい~、っていうか消えたい」というコトバ(=入力)を
たまたま耳にして「話しかける」という行動(=反応)を出力してしまい
話の行きがかり上、ゾンビ化キャラメルをあげることになったということなのか。
あと、終わり近くのコマで、ゾンビ化したピンク髪とメガネが友達っぽくなってるけど
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/Charlotte_end
「なぜシャーロットで不満が出まくるのか」って話、
自分はスタートが学園ものに見えたのがよくなかったって思ってる。
あのアニメ、有名なゲーム会社が手掛けたシリーズ的な、ゲーム会社特有の世界観を強く打ち出したもの、
OPでたくさん出てくるキャラがメインキャラだと思ってみるし、
で、8話?あたりで出てきた、目が見えないわけしり顔の女性がなにかキーになる人物だと思うわけ。
(いまだにあの女性はなんだったのか謎)
主要人物は急に変わるし、
後半は知らない人の出てくるアニメ見ているようだった。
そして、そのまま終わってしまった。
ちゃんと異常要素をチラつかせて予定通りの視聴者をつかんだのに対し、
シャーロットは学園ものに見せかけてSFに持っていってしまい、
学園ものを期待して視聴継続を決めた人にとっては予想外のストーリー展開になってしまったわけだ。
ゆえに、期待と違うとなって文句が続出してる。
結論としては、頭3話のつくりを間違ったんだと思う。
それなりの客をつかみたいならば、そこまででもっと記憶やら未来と過去やらを
初見でも分かるように(わざとらしく)もっと入れていかなければならなかった。
兄がいる話もそう、もっと主人公が変な記憶がある、あるいは覚えのないものを持っている等が必要だった。
と自分は思うのだが、どうなんだろう。
がっこうぐらし! 6巻までの考察 まとめ その1 ランダル・コーポレーションの目的 登場人物の謎を追及!(ネタバレあり)
http://blog.livedoor.jp/cry_out1005/archives/1037193989.html
まあSFで見られるトリックだな、ever17やyu-noやルートダブルしか知らんけど。細かい仕組みを考えた作者は頑張ったと思うが、萌え・日常・ゾンビって要素が著しく作品のランクを落としてる。萌系の絵柄でなくリアル風、日常を作り出すならその意味がある、やすっぽいゾンビでなく奇病扱い。
であれば、日常系SF漫画の傑作になり得たかもしれないと思う。
更に言えば、この俯瞰視点は神のみぞ知るセカイで用いて欲しかったネタのひとつだ。安易なタイムトラベルで済ませず、こちらの作者にはエロゲー界隈で傑作と呼ばれる作品のネタを丁寧に救い上げていって欲しかった。もちろん作者がオリジナルの美少女ゲー的漫画を描きたく、そして桂馬が最期にとった選択肢を魅せるため、ということなら何も言うまい。
いまさらトリアーとかハネケとか教えてもらわなくても情強はてなユーザー様はご存知なんだよっ!!
お前たちが求めているのはもっと最悪になれる、もっと最悪な映画だっ!
ということで俺が「後味最悪のオススメ映画ベスト10」をお前らに教えてやるッ!
三行でなっ!
10位!『ウォーム・ボディーズ』
表層は青春ピュア・ラブストーリー meets ゾンビ映画だ!
ラストシーンに込められた「おれたち」への悪意を読み取ったとき! この映画は最悪の後味に変わる!!!
9位!『灼熱の魂』!
(明示はされないが)レバノンあたりの混乱を背景に綴られる亡き母の悲劇の個人史!
必死に生き抜こうとした女性の前にある日つきつけられる残酷で俗悪な真実を前に震えろ!!
イヤ映画の帝王、ドゥニ・ヴィルヌーヴだと『プリズナーズ』も最高に後味がというかむしろ咀嚼してる最中から最悪でいっそ気持ちいいぞ!!!
8位!『ナイトクローラー』!
なんとただいま絶賛公開中! まだ見てない不届きものは今すぐ観ろ! 金券屋でチケット買ってでも観ろ!!
爬虫類じみたヤバイ目つきの底辺サイコパスが圧倒的成長(笑)を遂げて社会的に成功する物語、といえば聞こえはいいかもしれんが、実際のところはヤバイやつがヤバイ手法でのし上がっていくピカレスク・ロマンだ。
一切共感を呼ばない人格の主人公が次々と成功を手に入れていく様は『ウルフオブウォールストリート』と並んで「でも今エスタブリッシュメント以外で金持ってるやつらって、ほどよくこういう感じだよな……」というよくわからない諦念を催させて最高に厭な気分になるぞ!!!
7位!『祇園の姉妹』!
きたあああああ!!! 日本からは厭な映画の帝王(二人目)にして、世界に冠たる巨匠、溝口健二がエントリーだ!
おっとりした姉とイマドキで要領のいい妹、ふたりの芸妓はんがそれぞれに自分たちの幸せを希求するんだけど……というお話。
ラストの妹(当時十九歳の山田五十鈴)のしぼりだすような怨嗟は、昭和十一年から戦争をぶちぬいて現在まで届く、重い重い叫びだ。
六部作計9時間30分の大河映画! その9時間30分のあいだただひたすら主人公が、善きことをなそうとして裏目裏目に出まくるというイヤ展が続いていくぞ!
厭な気分にひたりたいときにはとにかくこの映画だ! どのシーンを切っても最悪な気分になれること請け合い!
もちろん、無常感溢れるラストはあなたに最悪の後味を約束するぞ!!!
「原作の感動話を忠実に繋げたら、のび太が惚れるに値しない最低のクズ野郎になりました!」とF先生の原作から感動を否定しにかかるまさかの展開。ドラえもんで育った一億二千万の日本国民の皆様は「おれたちは今までこんなクズ野郎の冒険やドラマに涙していたのか……」と厭な意味で泣けてくるぞ!
これこそが21世紀の「ドラ泣き」だっ!
厭な事件ファンのみんな! もちろん「カティンの森」事件は知ってるよね??? 知らなきゃググろう!
要約すると、ある日とつぜん隣国に侵略され捕虜と鳴った弱小国の軍人たちが、森のなかで食肉のごとく「「「処理」」」」された凄惨な虐殺事件だ!
その事実を踏まえたうえで!どういうラストシーンになるか予想してほしい!予想しましたか???
その厭な気持ちを二百倍ほど濃くした後味をあじわえるのが『カティンの森』です!!!
人生の墓場、ゾンビ映画!!! アーサー・C・クラークの法則を軽やかに超越して99.9999999%の高確率でどうしもようない駄作を量産しつづけるこのジャンルが生んだリーサル・ウェポンがこれだ!!!!
実写版『デビルバン』はまだいい……知名度があるぶん、他の人達とクソさを笑いながらシェアできるから。コミュニケーションになるから。
しかし!!!まず断言してもいいがこの『忍者ゾンビ』はお前の周囲じゃひっっっっっとりも観てない!!!!感想を共有できない!笑いあえない!!!!まさに最悪さがその後の人生で何十年にもわたってつづいていくのだ!!! 「あの地獄を味わったのはおれだけなんだ……」という嘆きとともにな!!
マイナークソ映画にぶちあたったときのやりばのない絶望! それを一人で抱えて生きなければならないときのやるせなさ! あえて内容は説明するまい! 『忍者ゾンビ』は究極のマゾ映画だ!!
2位! 『ブラック・シー』
一攫千金のサルベージをあてこんだおんぼろ潜水艦の密室で、憎しみいがみ合うクルー(全員元無職)たち!
そんな部下たちを「本当の敵は『やつら』なのに……」とはがゆい思いで仲裁する船長!
次から次へと襲いかかるエクストリームな困難を、犠牲を払いながらも乗り越えていく彼らだったが……
いったい誰が悪いのか! 生まれた俺が悪いのか! 生まれた社会が悪いのか! 何もしないで生きていくならば、それすら容易くないのが現代格差社会だ!!!!! 絶望しろ!!!!
本当はちょっとだけ後味いいです。
1位! いいかげん気づいてきたな! これはランキングではない! おもいついた順におもいついた映画をおもいつきで並べているだけだ!
そういうわけで、いいかげんネタもつきてきた!! そもそもおれはそんなに映画詳しくないぞ!!!! 普通に『ミリオンダラー・ベイビー』とかすすめるブロガーとして生まれたかった……
どうしても何か決めろってんなら、『ミスト』ってことで。
宝くじの当選して有り余る金を手に入れ、二重生活する人の話書いてほしい。ミステリ風で、なんか途中で死んだり殺されたり事件が起こるかんじで。二重生活する人はめっちゃ平凡な人で。男でも女でもいいんだけど、かなりキャラ変えていくの。片方はキティちゃんのサンダル履いて夜な夜な男の車でドンキに行くようなキャラ、片方は地方のカルチャースクールにいくような地味なOL、みたいな。どちらもかなり離れた地方なの。東京と名古屋くらいのかんじで。
というのを考えてたけど、なんかありがちではあるな…。だめだったら梅田の地下街でゾンビ発生するようなやつ書いてほしいと思ったけど、これは昔あったよね。泉の広場セーブポイントでよろしく。
パートナーに朝起こされながらも半分無視して眠っていたら出社時間を見事に遅刻した。
代わりに、悪夢とは言えないけれども緊張感がずっと続く、
映画のような夢をはっきり思い出せるほど見ていたので良いかと思う。
ゾンビが出てくる夢でした。
正確には、ゾンビに半分浸潤された世界のゾンビと人の境界域で人がいなくなった家を家探ししては生計を立ててる一団の子供……という立場。
ハンドルを握っているのはもちろん自分ではないし、義理の父母は全く知らない顔という心ぼそさを抱えながら、必死に生きてました。
夢の中で家探しをする間、夜眼に動く人影がないか見張るのが自分の役目で、見つけた後は逃げる自動車の後部座席から後ろの状況を実況するという。
ゾンビの活動期に繁閑期があって、ちょうど繁忙期にあたってゾンビのトレイン行為を引き起こしながら難民キャンプを突き抜けるのが夢のハイライトでした。
礫死体が去り行く風景に明らかにごろごろしていて、それとそれを跨ぎながら走り寄ってくるゾンビの群れを見ながら、よく分からない奇声で自分は泣き叫んでいた。
走りきった後、釣りをするあたりで誰かが戯けて、それを見ながら乾いた声で笑いながら夢は終わった。
今思い返してもうまく消化できない。
もうすぐ家族も出来る中で、映画の主役に夢の中でもなれないことに、今思い返せばとても凹む。
朝置いてかれたのは、夜実際に叫んで煩かったからなのだろうか。
実際に起こされたのかもしれないが記憶にない。
起床した後、ここ十年くらい続いている、右耳に心因性の低い音がいつものように反響していて、誰かさんの唸り声に聞こえなくもなかった。
これが右にあるということは、日本が右傾化しているという意味である。単に右ではなく右上なのは、想像の斜め上を行くような右傾化であるということを示している。
日の丸を除くと、アルファベットが残る。これは二つの文字、IとZの組み合わせである。Iは「私」を意味しているが、Zは何か?映画ファンならすぐに分かるであろう。Zといえば、ゾンビである。つまり、「私はゾンビ」ということを意味している。つまり、このデザインを作った人はすでにゾンビ、すなわち、生ける屍であるということである。
あるいは、私=日本人と考えれば、既に日本人はゾンビ化しているということを世界に警告しているということになる。
追記:
白黒以外の色は、金と銀と赤である。これは「こがね」「しろがね」「あかがね」であり、金銀銅のメダルを表している。そして赤が日の丸も表していることから、日本が金や銀ではなくて、銅メダルに値するということを意味している。
身体の不調じゃないことだけは分かって、イライラするとかムカつくとか悲しいとかそういうことじゃなくて、
なんだか「やばい」って感覚だけはハッキリ分かる。前にもあったんだけど、今回のは特にひどかった。
耐えられない感じがして、毛布ひっかぶったり電気消したり、光の入らない風呂場で仮眠をとったりしたけどどうもダメで、
つらいとか怖いに似た感覚にずっと支配されてた。親にも友達にもなんていって電話したり連絡したりすればいいのか分からないし、
なにより電話をとってもらえなかったり返信が来ないのが怖くてできなかった。
本当にダメで、耐えられなくなってタオルを口に押し当てていると呼吸が荒くなるみたいなどうしようもない状態で、
腹を切ったら大丈夫になるだろうかって思うほどだった。指先の感覚が奇妙になって、暗い中で近くの材質の違うものを延々と触り続けたけど、それでもだめだった。
本はだめだった。そんな余裕は無いし、音楽もこの状態になるとむしろリズムが合わなくて気色の悪い状態になるんだよ。
とにかく家の中に居てはいけないと深夜に家を飛び出した。
頭の中がすごくごちゃごちゃして、考え事のスピードが多分恐ろしく早くなってたんだと思う。
考えてることを口でなぞろうとしても、全然間に合わなかった。脳内に三つ子がいるんじゃないかってぐらいに
一つ考え事をすると「そうだね」「それでいいんじゃないかな」「どうしようもないよね」みたいな言葉が文字を流し読むレベルのスピードで勝手に浮かんできて、
「うるさい」って強く考えるしかなくなった。
知り合いがいそうなファミレスに一人で行くのもなんだか嫌になって、延々と一人で食べることが出来る場所まで歩こうとしたんだけど、
田舎だからさ、小さな小道を通ろうとしたら真っ暗なところにぽつんと街灯があって、それが丸く地面を照らしてるみたいな所があるんだよ。
へろへろふらふらしながら歩いてたオレはそれを見てSIRENみたいだ、って思った。
それも画像みたいな。pngで出来てますみたいな、はっきりとした一枚の絵なんだ。
オレは人と視線が合わないって言われるし事実そうで、歩いてるときとかもかろうじで左下を見たりピントをぼやかしたり、極力人の顔を認識しないように歩いてるんだけど
(顔をじっと見てたら何見てんだよって言われた経験とかもあるんだけど)歩いてるときもそうなのな。
普通の車道の横の歩道でも後ろから車が音を伴って来る、道がこんな風にある、ってのはあるけど、決して風景みたいなものじゃないんだよ。
映画館で3Dを見てるときの違和感みたいなのが外に出ると四六時中ある。
それが、街灯を見たときはまったくなかったんだよ。一枚の絵みたいで、完璧で、ああ、ゲーム画面みたいだなって思った。
FPSっていうのかな、主人公視点で進むやつ。本当にあんな画面みたいだった。ピントがバラバラになりうることがない、ただ一枚の平面的な世界。
街灯の所を抜けるとオレはまたやっぱり「だめな」感覚に支配されて、メガネをはずして乱視の強すぎる世界をふらふらとゾンビみたいに彷徨ったりしたわけだけど、
なぁ、他の奴は、オレ以外は、あんな、ゲーム画面みたいに世界が見えてるの?
歩いてるときに視線を向けられずにずっとストレスを感じたりしないのか?俯きながら歩き続けるのも変だからって無理やりピントをぐちゃぐちゃにして歩かなくて済むのか?
ゲーム画面みたいに世界が見えるのか?眼鏡の度があってないとかそういう話じゃないんだよ。
外に出るのも人が多い場所を歩くのも、全部の光景はゲーム画面みたいに見えるのか。
オレ、映画を見るときは端から端まで何もかも見てもよくって、本当に気分が良いんだよ。みんなは近くに来た人間が視界の端すぎて老婆だか少年だか分かんなかったら確認できるのかよ。
みんな立体視をやってるみたいな、なんか気持ち悪い感覚が街中を歩くときにないのか?
それともオレが感じてる見え方ってみんなと同じなのか?