はてなキーワード: より子とは
妊娠検査薬陽性だった!もうくっきりしっかり陽性!!
ちょっと熱っぽい。他は何も変化ないけど、私の中には赤さんがいるんだなー。
今日からはマジで禁酒だ!!それはつらい!けどがんばる!がんばる!
35歳。結婚7年目。
思春期のころ、母親に「わたしは子供いらない」と言ったらしくて(覚えてない)、
「○○は子供嫌いだから」「子供つくる気ないから」って言われ続けてた。
だからなんか、結婚してからも、「子供欲しい」ってなんか言いづらかった。
子供のころから親族一の年少で自分より子供と接したことがほとんどなくって、
犬とか猫とかは無条件に可愛いじゃん。でも人間は無条件で可愛くはないよ。いまでもね。
3年目からは排卵検査薬とか基礎体温とか温活とか色々がんばってみた。こっそりね。
「子供嫌いだからつくらないんでしょ?つくるつもりないんでしょ?」
「旦那さんが欲しがってるのにかわいそう、でも子供嫌いだもんね」
って言われ続けた。
なかなか子供できないから、昔、子供いらないとか言った罰かな(覚えてないけど)、とかぼんやり思ってた。
んで、今月の生理くるなくるなーーーって願って、生理予定日の昨日検査薬つかったら陽性だったのですよ!
卵管造影検査の直後だったから高確だったのかな?あーーやばい嬉しいよ。不妊外来の先生すごい!
旦那とはおしっこついた検査薬持って抱き合って喜んじゃったよ。
でもさ、この喜びを自分の実家にこのテンションで報告できなくてなんだかな。
私、ほんとにこんなに嬉しいんだよ。
なんだい、1行にまとめてくれたのかい。
そうだね。女なんてもうそろそろとっちゃおうとおもうよ。
=====
このあとしばらく自分の増田遡ってたら、自分だけはわかるようになってた。
匿名で結構リアルに愚痴かいてた。たしかに一時期、心がひどくあれてた。
自分では気づかなかったけど、別件で別の人にひどいことをいっぱいいわれてたんだ。
ネット民になぐさめられたりブクマがついたりも全くしてない)。
すべてがごっちゃになっていっぺんにおしよせてきて、
うまく切り離せなくて、体が動かないほどおちこんで、自分がねこみたいくらいだった。
それでも無理に明るくして、子供を起こして、辛いだろう学校(信用できない状況)へ
送り出そうと苦闘して、自分より子供の医者を優先して、健保効いた上で堂々と医療費控除が申請できるほどの回数で
医者にかよわせつづけた。
そりゃ心じゃなくて体でd判定も出るわ。
D判定のあと痛みが出てようやく医者にいってAちゃんママに話きいてもらって、
現状が、痛み止め飲んで検査結果待ちのGWでも、私は本当に救われたんだ。
でもAママへのご恩をAちゃん通じて恩返ししたくても
Aちゃんの行動自体はすごく迷惑だし、やはり大事な子供がこうなった遠因として早急に改めてほしいところもある。
見過ごしにできない。Aママさんにまた会ったら? 向こうは仕事中だもんな。
みんな犠牲を払ってる。何に? さあ。敢えて言えば世代間ディバイドの人間関係に。
みんなが休めているGWのうちにケリがつくといいな。
20代後半になったら、結婚したら欲しくなるものなの?人間の本能?
・育てるのが大変 専業主婦なんて今時暮らしてけないから働きながら子育てになるだろうし
・明治とか大正とかと違って特に後継を絶対生まないといけない風潮でもない
・昔より子育てにクオリティを求められている(昔:高卒でもワンチャン 今:大学進学が最低ライン?
・物価の上昇&不景気で金銭面辛い しかも不妊治療費とかかかる場合も
・しかも育てた所で子供がレール(笑)の上を歩くとは限らない。昔より就職難なのもあってニートやフリーターになる可能性も低くはない。
現代って後継とか家の労働力要因とか考えなくていいから、子供を産む必要はないし、メリットも少ない気がするんだよなぁ。
父親に「産まなきゃよかった!」って理不尽にキレられた時は「じゃあなんで産んだんだよ!娯楽か!」と思って以来ずっと疑問だった。
明らかに私達が子供の頃の方が大声で遊んでいたのにそれを完全に棚にあげて、子供に幼稚園保育園公園でも声を出させない躾をしろだの、私たちの子供の頃より子供が煩くなったから叩かれる私達の子供の頃は親が道路で遊ばないようにきっちりしつけていたのに今時の子供はだの言うところだよ。
家庭用ゲームが出た辺りで外で遊ぶ子供の声が聞こえない不健全だとニュースで度々聞いて、それから子供の声は聞こえなくなる一方だよ。
家の前の道路で声をはりあげてゴム跳びじゅんどろバドミントン花いちもんめだのやりまくってたわ、家の中にいても夕方までずっと子供の遊び声の聞こえる状態だったわ、何であの人たち嘘をつくのかな。
これはもう既に一般に広く認知された問題。 人口全体に占める子供の割合が低下し高齢者の割合が高まることで、様々な社会現象を引き起こしているのは周知の通り。 今や高齢者予備軍を含めた50歳以上の人口が5割を超え、社会保障費が国の歳出で大きな割合を占めている。 人口が多い分どうしても政策は高齢者優遇にならざるをえない。 数の理論(有権者の数からも)からすれば当然である。 新生児は数の点で弱者である。 昨今話題の保育園に始まる諸問題も、数の弱者でありかつ数年我慢すれば当事者が当事者でなくなることが大きな要因となって 今まで余り多くの声が政権に届くことはなかった。(届いていても優先されてこなかった) なので個人的には昨今の保育園問題が話題になっているのは歓迎している。 数の弱者が救われるためには、世の中の倫理感による救済しか無いからだ。 (もしくは正しく世代を超えた投資を新生児にしようという気運の高まりによる救済もある) ところで、数の問題という点で少子高齢化問題を最初に上げたが、本当に本質を理解している人がどれだけいるかは気になっている。 少子高齢化問題の解決方法を問うと皆口をそろえて「出生数をあげろ」という。 新生児が増えても生産労働人口が増え社会を支えるようになるまでは15年のタイムラグが有る。 もちろん、生産労働人口が増える以上に老人が減ればよいのだが、長寿化や国の手厚い保護によりなかなかそうはならないだろう。 少子高齢化問題は言い換えると「老人より子供が"相対的に"少なくなること」であり、つまるところバランスである。 つまりシーソーゲームであり、片方に新生児が、片方に高齢者が乗っている状態である。 そのバランスを整える際に「出生数を上げろ(要するに産めと強要される)」という考え方にあまりに偏重がある。 これが単純なシーソーゲームなら、多い方を減らせばいいという考え方が発生するのは自然のはずである。 もちろん、皮肉なことに、倫理観により増えた高齢者を減らす(殺処分する)ことができないから(法律的にも)、というのがまっとうな答えだが本当にそうなのだろうか? 社会のバランスを考えた時に、増えすぎた高齢者を養い続けることが果たして倫理観として正しいのだろうか。 無理やり生かされる高齢者のことを本当に思っているのだろうか。 増えすぎた高齢者という負債を負わされる何も知らない子どもたちのことを本当に思っているのだろうか。 未来にために子供を作ろうという貴重な夫婦のことを本当に思っているのだろうか。 甚だ疑問である。 事なかれ主義な国民性もあるので、そうなるのは仕方ない。 しかし、今本当に高齢者に生きろと言い続ける社会は倫理観からも正常なのか? これを今一度問う必要があるのではないだろうか。 日本には安楽死が認められていない。 子供や孫に、迷惑を掛けたくなくても自ら死を合法的にかつ経済的合理性を維持した状態で(誰にも迷惑をかけることのない方法を)選択することが、今の日本ではできない。 だから増え続けた高齢者は、子供や孫の世代に負債を残し続けることを強要される。 夫婦世代が子供を生むことを強要される以上に、高齢者は社会に対して負債を残し続けることを社会から強要されている。 今一度問う。 果たしてこれが、倫理的に、社会全体の幸福のためになっているのだろうか、と。 ここからは個人的な考えになるが、やはり増えすぎた高齢者を間引く事が可能な、間引かれることを自ら高齢者が選択できるような制度は必要だと思う。 具体的にはどうするか、だが、下記の2点を法で認めるだけで良いと考えている。 1. 医師による安楽死許可 (合法であることを国が確実に保証する) 2. 安楽死を選んだ老人の資産が相続される際、限度額無しの免税を実施 もちろんこれを悪用しようと考える人は少なからず出てくるだろう。 その抑止力として、医師による安楽死以外の安楽死には殺人罪を今までどおり適応すればよいだろう。 免税にした理由は、新たな生産労働人口世代に対し高齢者が多く所有する資産を移動させるためである。 新たな資本を得ることで、生産労働人口世代が子供を産みやすくするためである。 (もちろんこの免税自体に産めという強要が少なからず存在する) 一方で減らし、一方で増やす、これを推進することで社会の人口バランスを素早く調整できるのではないかという考えである。 バラマキには限界がある。個人の利益に訴求するこの方法が認められれば、より早くより短い期間で少子高齢化問題は解決し、 さらにその先も高齢者を減らしていくためのバイアスが個人レベルでかかるため、日本は再度経済復興できるだろう。 自ら死を選べない高齢者に救済を、無理やり生かされる以外の方法があっても良いのではないかと考える時期が目の前に来ている。 次の世代により多くを残せる方法を自分は選びたい。
http://anond.hatelabo.jp/20160226222632
国を維持するのにキャリアウーマンなんて要らないんだよ。
女性の社会進出は結構だが、国の維持、という観点からすれば、女が今やってる仕事のほぼ100%は男でもできる。
この記事に感化されて10年ぶりくらいに日記を書きたくなった。
産んだばかりの赤子を置いて遊びに行く事もままならないから、そんなTLが楽しいわけもないしおおよそ素性をふんわりさせることが
暗黙の了解になってる(それが心地よくもある)女オタという特性がらリアル生活や育児の愚痴も書きづらい。
久々に日記でも書こうと思ったのはそれもある。
3月生まれ、0歳クラス何それ美味しいの?といううちの子に来た1歳クラスへの通知は「保育室内定」だった。
保育室…「待機児童を解消するための緊急対策として平成21年度から区が整備している認可外の保育施設」
主に待機児童の多い1歳児・2歳児向に認可保育園とほぼ変わらない金額で入れる認可外保育園くらいの規模の施設だ。
認可保育園の1歳クラスは当然のように落ちた。むしろ保育室も落ちたと思っていた。
なんで同じ申込書に書いた保育園と保育室の合否通知を2倍の送料かけて2通に分けて寄越すのか意味がわからないが
(そのせいで最初に開けた「認可保育園落選」通知で保育室も落ちたと思いその旨家族に伝えた後に2通目の封書に
気が付いて呆気にとられたものだ)とにかく「緊急対策」には引っかかった形だ。
「フルタイムで立派に勤め続けて子供も作った、そんな自分にこの仕打ちか」とはとてもじゃないが言える立場にない。
なぜなら私は昨年の秋まで無職だった。
「妊娠を機に」以前の会社を辞めた事にしているが、正直な話上司と折り合いが悪かっただけだ。
今通っている認可外保育園には到底通えるわけもないような額面だった。
実際「育休取ったけど認可保育園が決まらず結局辞めざるを得なかった」社員もいたという話を聞く。
そりゃ、あの給料で認可外通わすなんてどだい無理な話だ。
というわけで当初は「しばらくは働く事を考えず育児だけすっか」と考えていた私だったのだが、
減っていく貯金額を見ているうちに心のバランスが崩れ、突然就活を始めた。
表面上、保育園はフルタイム労働者だけでなくパートタイマーはもちろん、就活中の人だって利用できる。
だがそれだと当然「ポイント」が足りないから入れるわけもない。
11月の申し込み時点でフルに働いている実績が無いとだめだというから。
結果としてなんとか秋の間に仕事を決めることができた。契約社員だけど。
すぐに入れる認可外保育園を見つけてきた。電車で通う距離だけど。
以前勤めていた会社の人にも「あなたは社会人に向いてない」とすら言われた。
でも生きないといけない。
結婚式で親戚に「お前が結婚できるなんて」と面と向かって言われたくらいの私が、だ。
正直自分が良い母になれる自信も無いし上記のとおり主婦適性もないから、
三十路前に結婚したけどアラフォーになるまで子作りは待ってもらった。
そして何よりも私も夫も一人っ子だ。
「もう逃げ場が無い」
子作りにあたりそう思ったのは事実だ。
夫は正規雇用でフルタイム労働者だ。しかし悲しいくらいに給料が安い。
給料が安い以外はすごく良い夫だ。よくこんないいとこなしの私と結婚したなと思う。
出会った当時は今の倍の給料があったので「給料が安いから選択肢が無かったわけでもない。
今の仕事は少なくとも当時よりはずっと楽しそうだしやりがいもあるようだ。
私は再就職にあたり夫より100万多い年収の会社を決めてきた。
これでとりあえず「若年貧困層」から「中流以上」の世帯年収にはなった。
もちろんいつ切られるか分からない身だけれど。
というかそもそも「社会人に向いてない」と言われるくらいのポンコツなので多分来年には切られると思う。
そうしたらまた就活だが、それについては自分のせいなので仕方ない。
「保活」
なぜ当たり前のサービスを当たり前に受けるだけなのに「活動」が必要なんだ。
メディアは待機児童問題に絡めて面白おかしくこの言葉を取り上げる。
しかしその内容はすっかすかだ。
見学なんて「保活」じゃなくて普通のことだ。そもそも何十か所なんて数、どう考えても現実的に通えない場所も含まれている。
そしてメディアが言えない本当の「保活」はここにきちんと書かれていた。
絶対にやりたくない。
そういうわけで私は保活を一切しなかった。
…と、ここまで書くくらいだから自覚もしてるんだけど、私は「意識の低さ」ならぴかいちだ。
少なくとも「総合職でバリバリ働き納税してきたのに保育園に入れない働くお母さん」には到底及ばない。
「こんな意識の低い母親がいるなんて」と思われるのは何より子供に申し訳ないから匿名じゃないと書けない。
そんな意識の低い私だから端から認可保育園に受かるなんて思っていなかった。
ただ「受かる思っていなかった」ことと「実際に落ちる」ことは話が別だ。
そして保育室には内定した。
【今通っている認可外保育園】
・月8万5千円△補助金3万円=月5万5千円
【内定の出た保育室】
・月5万円△補助金3万円=月2万円
なんだよかったじゃん、意識低いくせに運だけ良すぎだろ…でもいいことばかりじゃない。
まず保育室は緊急対策施設のためか延長保育が無い。18時30分完全クローズ。
定時は18時。周りに頭下げながら定時ダッシュしたとて30分で保育室まで着けるわけもない。
そして2歳が終わると同時に卒園。一定の「卒園点」(笑)がもらえるとはいえまた吐き気のする「保活」を
視野に入れなくてはならないのかと思うと缶チューハイ開けたくなる。(授乳時期は過ぎました)
今は仕事があるけど非正規だし来年には無職になるかもしれない。そうしたらまた若年貧困層に逆戻りだ。
半認可ながら保育園は決まったけど、現実問題として本当に働きながら通えるか分からない。
我が家の未来はいつまでも不透明だけど、子供ができたら後戻りはできないわけだから、
まずは明日食べるご飯代を稼がなければならない。漕ぎだした車輪を止めたら親亀も子亀も転んでしまう。
生きよう。
…ところで私が住む杉並区は、数年前「お母さん一揆」が起きた事で有名だ。
もちろんそれでもまだ全然足りていないわけだが、実は今回内定の出た保育室はこの2年の間にできた施設だ。
あの時頑張ったお母さん達のお陰で、少なくともこんな生きることだけに必死なポンコツにもギリギリ手が差し伸べられた。
どこかでお会いすることができたらその点は本当に心からお礼を言いたいし、今後私にも何かできないだろうかとは思っている。
日案(今日はこんなことして過ごすよ!)
振り返りの書類(イベント、成功したかな?反省点を書き連ねるよ)
電話(もしも怪我してたら大変だしね)
保育(いちばん基本だよね!)
連絡帳記入(もちろん手書き!心をこめてね)
3歳なら限界25人責任もって親も子供も全員に平等に接しないといけない。
最近の求人もアルバイトと変わらない、じゃあやらないよね。こんな寝不足上等、命預かる責任重大な仕事だし。
保育科の友達は10人に1人続けてればいい方。ほかの子は他に資格取ったりしてる。
厚生労働省さん、文部科学省の幼稚園担当者さん、これが現実です。
認定こども園や小規模保育園、間違ってはいないけれど、小規模園は微妙じゃない?ギュウギュウでわが子がしんどそうだったよ。的外れだよー><
保育士の取り合いはいいけど、900円で責任を負えないよ。政令指定都市でこの時給、コンビニと変わらないよ?
ピアノだって、体操だって、実習だって本当に厳しかったし理不尽に感じたけど頑張ったよ。
子供の笑顔に触れるなんてほんの数時間。あとは胃が痛くなる時間。
待機児童がー、って言ってるなら財源下に回してよ。
壁面とかもっと楽にさせてよ。
誰しもがお前らみたいにゲームにそんな思い入れあるわけじゃあるまいし。
きっと高嶋ちさ子も息子がお前らみたいに、ゲーム破壊されたら発狂して死ぬ奴だったなら、壊してないよ。
何が「大丈夫、ネットのみんなは君のお母さんがおかしいとわかってる」だ。
逆にお前らが叩いてるの見て多分息子は泣くわ。全然喜ばねーわ。
エキセントリックだけど、楽しく生活して子供を可愛がる普通の親じゃねーか。
宿題をしない息子にどう向かい合うか試行錯誤する普通の親だろ。
別に虫の居所が悪いだけで子供に暴力を振るってる親とは全然ちげーし。
ちょっと変な女だけど金出して飯食わせて教育して愛してるちゃんとした親だろ。
あとな、「嘘つく子供にした自分の教育が悪かったとは思わないのか」とか言ってる奴。
俺みたいに親に何度怒られても嘘つき続ける奴は吐き続けるし、
同じ育てられ方されても素直で嘘つかない俺の兄弟みたいなやつはいるし、
教育で人が全て変えられるわけねーんだよ、その子に合わせて対処しなきゃなの!ばか!
俺もそうだけど、ちゃんと愛があれば、親が頭おかしくても、子供が理解するだろ。
「ああ、うちの親はこういう変な人なんだな」って。
自らの子供を育ててみてわかったことは、人間もやっぱり動物だということだ。
知性がなければ糞尿は垂れ流すものだし、理性がなければマナーは愚かろくに欲求をコントロールすることはできない。
飛び散る食べ物と格闘しながら、睡眠などろくにとれずとも糞尿にまみれながらもわが子を育て続けられたのは、そこに確固たる愛情があったからに他ならない。
そんな子供の安らかな寝顔を見ながらわかったことは、本来、親から子への愛情は一方通行なのだということだ。
なぜなら、「親の愛情」というものを実感したことがないからだ。
親になってみてみるまで、何故親というものはあんなにも子供を信じず心配ばかりするのかが理解できなかった。
しかし今になってそれが少しずつわかってきたような気がする。
親が子供を厳しく叱るのは、コントロールができないことに苛立っているのではない。
そうまでしてでも、危険というものを理解させようとしていたのだということがいまさらながらに理解できたのだ。
単純な話、親になってはじめて自分がどれほど愛されていたのかが理解できたのだ。
この内から湧き出る感情は、どれほどの言葉を並べても伝えられない自信がある。
子供の排泄部の処理なんてものは、この愛情があれば造作も無いことだ。
自身は過去、多少の潔癖症である自覚があった(子育てへの影響も心配していた)が、そんなものはすぐに消えて無くなった。
単純な話、汚れることのストレスより子供を汚いままにさせておくストレスの方が大きいのだ。
そうして子供を育てる大変さを痛感しながら、いつも頭に浮かんでくるのは親への感謝だった。
こうして一番手間をかけた頃の記憶を失っているだなんて、自分とはなんて都合のいい生き物だと思ったものだ。
子育ての経験がなければ介護ができないということを言いたいのではない。
しかし、少なくとも子供を育てた経験を持つものは、この感謝に気づく可能性がそれだけ高いということを意味している。
認知症になり、我が子に対する記憶でさえ失ってしまった親に対して、それでも愛情をもって接することができるかどうかは、この感謝という実感の存在に大きく左右されることだろう。
そのことに気づいてから、身の回りにいる十分に大人と言える人間たちの行動をみてある傾向が見えてきた。
老人に冷たい人間は、総じて子育てを経験していない傾向にあるのだ。
例えば老人の咀嚼音、咳などの生活音に対して、敏感に嫌悪感を示すのはほとんどが子供を持ったことのない大人だった。
逆に、仕事上は冷徹な人間であっても何故か老人に優しい大人は、大半が子育てを経験したことのある大人だった。
今までは祖父母が身近いたかどうかが大きな要因だと考えていたが、どうやらそれだけはないようだ。
以前から、子育てをすれば一人前かどうかということがよく議論に上がるが、もし、老若男女だれに対しても優しくできる人間を一人前と呼ぶのだとすれば、このことは大きく影響のあるものだと言えるのだろう。
桐壺
薄幸の美女。
身分が低く後ろ楯がなかったのに桐壺帝の寵愛を一身に受けて光源氏を産んたせいで、他の嫁や貴族から猛烈に虐められ光源氏が3歳の時に亡くなる。
桐壺に似ていたために桐壺帝の嫁になる、光源氏を幼い頃から弟のように可愛がっていたが、やがて光源氏の初恋の女性となりあやまちをおかし光源氏の息子冷泉院を託卵し、光源氏に言い寄られるのに困り息子を守るために出家して逃げ切る、光源氏は一生藤壺を求め続ける事になる。永遠の女性。
帝の妃になるように気位が高く育てられていたが年下の光源氏の正妻にされ年下夫相手にどう接すればいいのか解らずツンツンしてしまう、藤壺に夢中の光源氏は優しい藤壺に比べてツンツンしてばかりの嫁を愛せず浮気をしまくり、余計にツンツンする悪循環で夫婦仲は冷えきるが、妊娠して弱った姿に萌えた光源氏にデレたとたんに、息子を出産後間もなく六条御息所の生き霊に殺される。
美しく気品があり教養知性身分全てが優れた東宮の未亡人に言い寄って付き合うが、やがて完璧すぎて癒されない疲れると持てあまし離れていく。
六条御息所のプライドや世間体はズタボロになり光源氏への独占欲を押し殺し耐えるが、無意識のうちに生き霊を飛ばして光源氏の女達を殺してしまいおののく。
娘には手を出さないように遺言を残し娘を託して病没後、光源氏は彼女の住まいに女を集めてハーレムを作るが、当然死霊になって女達に祟る。
夕顔
源氏の友人の側室として娘を産んだが、正妻の嫉妬をうけて姿をくらまし光源氏と恋に落ちる。
男の全てを包み込み愛し何も求めない儚げで朗らかな性質で六条御息所に疲れていた光源氏を虜にするが、すぐに祟られて死亡する。
玉鬘
15才年下の美女。
夕顔の娘、田舎で乳母に育てられていたが田舎者の強引な求婚から逃れるために上京、親を探す途中で光源氏に保護され養女にされて言い寄られるが拒み続ける。
光源氏が調子にのって美しい養女をチラリズムで男達に見せびらかしていたら、メンヘラ嫁に疲れていた髭面のおっさんに強姦され連れ去られて嫁にされてしまう。
花散里
中の下程度のブス。ほんわか癒し系。
家庭的で温和で慎ましい女性で癒しを求める光源氏に愛される、女として愛されるのは早々にドロップアウトし肉体関係は求めず光源氏を癒すことに専念。
光源氏の息子夕霧を預けられ、さらに夕霧の子供も孫のように可愛がり育て、源氏物語で一番幸福な女性だと思われる。
源典侍
仕事もでき趣味も声も良いが、大変な色好みで年齢をわきまえない若作りをする。
美しい光源氏とその友達に目をつけて言い寄り、光源氏と出来てると勘違いした友人が好奇心から食われ、光源氏も老人孝行に食われた。
末摘花
悲劇の美女だと勘違いした光源氏と親友が競って落としたが物凄いブスだった。
後にあばら家で光源氏を信じて待ち続けた彼女を発見しハーレムに住ませた。
空蝉
上流貴族の娘だったが父親が死に落ちぶれ、父親ほども年の離れた身分が低い男の後妻になる。
それに興味を抱いた光源氏が身分低いから嫁に手を出しても何も出来なかろうと襲いに来て、一度寝てしまうがその後は誇り高く断固として拒否。
光源氏は拒否されて燃え上がりさらに忍んでくるが衣一枚を残して逃げ去りその場にいた空蝉の継娘とやり惚れられる。
源氏が18の時に藤壺に瓜二つの9才の少女に一目惚れし、藤壺の姪と知りさらに執着し誘拐する。
5年親子のように育てられ14才で強姦されショックを受けるがやがて愛するようになり、容姿も内面も完璧な最も光源氏から愛された妻になる。
しかし女遊びが激しい光源氏に生涯苦しみ、光源氏が40で14の少女を正妻に貰ったのに決定的ダメージを受け重病にかかり出家を望むが光源氏に許されないまま病死。
光源氏の異母兄の東宮の嫁になる予定だったが光源氏と関係を持ってしまい結婚取り止め、光源氏に結婚を申し入れるが断られ、仕方なく東宮の尚侍になり寵愛を一身に受けるが光源氏との浮気も続け発覚してしまう。
東宮は自分の魅力は光源氏よりないからと朧月夜を責めず愛し続け、東宮の出家後に一度だけ光源氏とやってから出家する。
明石の方
父親が夢で国母の母となるとお告げをうけて娘に京の姫レベルの教育をして、国母の母になれないなら海に身を投げろと厳しく育て上げ、光源氏を手引きして妊娠させる。
上京してからは身分が低いので別宅に住み、娘は紫の上の養女にされ、娘が成人するまで会えなくなる。
ハーレム完成後はそこに移り住み、娘の嫁入り時の付き添いになる事が出来た。
娘は国母になった。
朝顔の姫君
光源氏にどれだけ言い寄られても嫉妬で苦しみたくないと拒み続けて友人になり生涯独身で尼になった。
光源氏の姪、光源氏が40の時に14で結婚をする。ロリ&寝とられ属性。
高貴な女を嫁にしたい、藤壺の姪だから似ているかもしれないという気持ちで結婚したが似ておらず、父親から溺愛されたせいで年齢より子供っぽい性格で光源氏に愛されなかった。
そんな時に彼女に片想いをしている男から強姦され託卵、気がついた光源氏に皮肉られ耐えきれず出家。
先週金曜日、12wにして血液検査により稽留流産の診断がおりた。
先月初旬から、胎嚢が育ってない週もあり、宣告されたときは「ああ、やっぱり」と思った。
1ヶ月以上時間与えられたものだから、少し気持ちの整理が出来たからかもしれない。思ったより冷静に宣告を受けれた。
そして今日12/11、日帰りで子宮内除去手術(そうは手術)を受けてきたのでここに可能な限り情報と経過を記す。
手術を受けるその時まで、ずっとネットで同じ手術を受けた方の体験記を読んでだいぶ助かったところもあったので。
夫、私とともに20代後半。出産・中絶経験なしの今回が初めての妊娠。
10月下旬に妊娠検査薬で陽性が出て、病院でエコー検査により妊娠確定。
最終生理開始日を妊娠0日と換算すると、宣告時は12w。ただし生理周期が不定期なため、実際の排卵日(2wと計算される)は予測不可。
11月初旬から胎嚢の大きさは7~9wの間で変化。卵黄嚢は確認できるも胎児・心音ともに確認できず。子宮内で出血のようなものが見られ、2週間ほど止血剤を飲んだ。
2週間ほど前から繋留流産の疑いあり、基礎体温をつけた。36.3~36.6の間で高温期にはなっていない。つわりは継続中。
確定させるために先週月曜日と金曜日で血液検査を実施し、HCGホルモンの数値(安定期にまでは絶対に下がらないもの)を確認。この間ホルモンの値が下がり、診断。
1周間経過観察をして自然流産を待つものの、出血もなくこれ以上待っても母体へ影響がある場合を考え手術を決断した。
自然流産を推奨する医者もいるので、そこはどちらが自分にとって良いか、よく医者と相談するべきだと思う。納得出来ないときはセカンドオピニオンもおすすめする。
私は、自然流産でもかなり痛みは伴うし、いつ始まるかわからない上完全に排出しきらない場合もあり、そうなると結果手術は避けられないというデメリットが大きいと思ったので手術に踏み切った。
この時間から絶食。水とお茶に限ってはごくごく飲まなければ当日6時くらいまでならおk。
18:30頃に、その日来てくれていた実家の母が取ってくれた特上寿司を夫と2人で食べていたので、お腹は満腹。
ただ自由に飲めないという制約のせいか微妙に喉が乾く。ごまかすために歯を磨いたり口を濯いだりする。
手術したその日は入浴もシャワー浴もできないため、念入りに洗った。
手術への半端な知識のせいで、痛みへの恐怖が拭えずほぼ不眠。時折ウトウトする程度。この時間に布団から起き上がる。
夫が朝食を食べている横で、着替えを済ませ準備物の確認。()は個人的に用意して役に立ったもの。
・手術同意書
・サニタリーショーツ
(・袖がない綿入れ)
水筒がなかったので、ペットボトルを用意した。寝ながら飲むことになりそうと言われたので、ストローつきのキャップを事前に購入して装着。100均などで買える。
着いたと同時に、今日1日過ごす部屋に通される。隣は手術室。
セミダブルサイズのベッドで個室。待合室も兼ねているので、夫がくつろぐスペースもありありがたい。暖房がきいてとても暖かく快適だ。
入院着に着替えて診察室へ。
点滴(ラクテック)装着。血管が細すぎる上、つわりのせいで栄養状態が悪く、利き手じゃない方に4回入れて失敗。手の甲に失敗されるのはやっぱり痛いぞ。
以前入院していたときも同じことがあったので、利き腕の関節にある静脈に挿してもらう。針がずれないように腕を固定しないといけないから嫌がられるけれどしょーがない。
利き手が固定されてスマホいじりづらいなーって思っていたら、主治医の先生に呼ばれ内診へ。
経膣エコーで再度子宮内を確認、前回と胎嚢の大きさ変わらず7w程度しかない。卵黄嚢は見えても胎児や心音はやっぱり確認できず。
そのまま前処置開始。
麻酔なしで子宮口にラミセルをつっこむこの処置、とにかく痛い、激痛と評判で、これだけはしょうがないから頑張れと言われたもの。
ラミセルとは時間が経つと膨らんでいく性質のもので、子宮口を開くときに使うものである。同じ役割を果たすものとして海藻が成分のラミナリアがあり、後者のほうが一般的だ。
ラミセルを使い、普段赤ちゃんが出てくることのないよう固く閉じている子宮口をゆっくり開き、手術中に器具が入りやすい状態へ導く。男性は、体の中にある肛門(大便が漏れないよう固く閉じているイメージ)を器具を使って開くと考えるとわかりやすいのではないか。
先生が「今から入れるよー」と言った瞬間、なんとも言えない不快感。
痛い?ような?でもとにかく気持ち悪い。思わず「先生痛いよ~」って言ってしまう。
「◯◯さん不安そうな顔していたけど、この処置が怖かったでしょ~?色々調べていたみたいだからねえ。大丈夫もうすぐおわるよー」「がんばれがんばれー」と先生や看護師さんが話しかけてくれて気が紛れた。これはものすごくありがたかった。
数分と経たずに前処置終了。何本入れたかは敢えて聞かなかった。緊張が一気にほぐれて饒舌になる私。頑張ったねーとほめてくれる先生、いい方である。
待合室で待っていた夫が「一気に顔色良くなったね」と笑う。
ラミセル挿入後は、評判通り生理痛のようだ。私は生理痛がかなり重い方で、これなら普段より軽いくらいだな~と感じた。ずーんと重いけれど、寝転んでいれば耐えられそうな感じ。
病室へ戻りベッドへ寝かされる。鎮痛剤いる?と聞かれたけれど我慢できそうだったので断った。
今日は外来(個人病院で婦人科の他に内科もやっている)が多いので、そちらが少し落ち着いたら手術を始めますと言われた。なんとなくそうだろうなーと思ったので軽く了承。
うーん、我慢できるとは言え痛いなあと思いつつ、寝転がるより体を起こしている方が楽だと気づきそうしていると、途中点滴の様子を見に来た看護師さんにびっくりされた。
寝てていいんだよ!?って言われたけれど、体起こしている方が楽で…って言うと、背中が楽になるように枕をもう1つ持ってきてくれた。親切だな~。
その後は夫と2人でぽつぽつしゃべりつつスマホいじって時間を過ごす。暇な時間が多いと予測されたので、文庫本を持って行ったが正解だった。病室にテレビがなかったし。
待つ時間が結構長い。いつ呼ばれるかわからないので外出も出来ない。付き添う旦那がお腹空くのではないかと気の毒だったので、パンでも持ってくるんだったなーって思った。
午前中の外来が終わったようで、手術室へ呼ばれる。トイレを済ませ下着まで全部脱いで行く。
やぱり麻酔かけるとはいえ緊張してくる。手術台へ上がると、心電図をつけられ、両足を開いて固定したところで主治医の先生がいらした。
「静脈麻酔をかけるけど、前に言ったとおり血管痛があると思います。でもその後は大丈夫だから安心してね」
「はい」
「じゃ、入れます」
点滴に何やら先生が注入した(術後説明でソセゴンとセルシンと判明)
痛くなるよー、と言われたけれど感じられず。ここ数年注射は慣れっこだから鈍感になったのかな?と思ったところで上半身がカッ!と熱くなった。
以前肩こり解消のために処方された薬を飲んだ時のようだ。筋肉が弛緩しているのを感じる。
まったく眠くならない。むしろ意識がはっきりしている。あれ?いつ意識落ちるの?と思いつつも、そのうち落ちることに期待をしていた。
しかし。
「お腹ちょっと冷たいよ」と先生が言って少し経った後、子宮付近?とにかくお腹の中に激痛。さっきの前処置とは比べ物にならない。
と言うも止まってくれない。そうだよな…と冷静に思う自分はいるけれどとにかく痛い。ギリギリ我慢できないほどの疝痛。
「◯◯さんがんばって、ごめんね、もうすぐ終わる、綺麗に取れるよ」
「◯◯さんもうちょっとだよ~」
先生も看護師さんも励ましてくれている中、お腹の中で何か動いて吸い取っているのがわかった。かき回される感じもする。
ようやく終わった。
麻酔、効いてくれなかった…………
病室へストレッチャーで運ばれる。夫の心配そうな顔が見えたけれど何も言う気力がなく、手術が終わった後もお腹はズキンズキンと痛んで泣きそうになりながらベッドへ移される。子宮が収縮しているようだ。
「ちょっと麻酔がうまく効かなかったみたいで、もう少ししたらお腹の痛みも落ち着くと思いますが、耐えられなくなったらナースコール押してください」と夫か私かに説明する声が聞こえた。
大丈夫?と撫でられるが答えるのも嫌で首をふる。手を握って貰ってひたすら丸まって痛みに耐えた。
なんで麻酔効かなかったんだ、なんのための麻酔なんだよ、と悲しさが頭をぐるぐる回る。
しかし、しばらく目を閉じていたら、少しずつお腹の痛みを癒え、起きることができた。
1時間位して看護師さんが見回りに来た時は、喉が乾いているんで持参したお茶飲んでいいですか?と聞いてたくらいには元気に。
枕もなく寝転ぶのがきつくて、枕を使う許可求めたけれど両方ダメ。ぐぐると麻酔後はどっちも落ち着くまでは喉に何かをつまらせたり気管を圧迫する恐れがあるためダメらしい。
おまけに前日夜から絶食してることもあってお腹も空いてきた。帰ったらカツ丼かラーメンかカレー食べたいなと考える。
途中看護師さんがトイレの介助に来てくれたが、殆ど助けもいらずスタスタ歩けた。ふらつきもなし。
そのご先ほどと同じように元気になってから2時間くらいは、夫としゃべりつつ先生の診察を待つことに。
主治医の先生が病室へいらして、診察と手術後の説明に。膣に入れてたガーゼを抜いてくれるとき、申し訳ないとひたすら謝ってくれた。
「私不運でしたねえ」
「我慢してくれたおかげで、子宮内は綺麗に取ることができたよ」と、手術後のエコー写真(いつ撮ってたのかわからないが手術後すぐに撮ったっぽい)とカルテに記載してくれた図をもって詳しく説明してくれた。
「この後出血が続くけれど、正常だから。薬出しておくので1週間後にまた来てください」とのこと。
術前の説明だと4日後だったけれど延びたらしい。やったぜ。
薬の内容は、止血剤(トラネキサム酸・オダノン)と子宮伸縮薬(メテルギン)と抗生物質(セフジトレンピボキシル)。
「しかし、麻酔後にこんなしっかり受け答えできてふらふらしたり嘔吐したりしないのってすごい」と感心された。術後の具合悪さは覚悟していたのだが、まったくない。
まあ、痛みが取れなかったのと考えればプラマイ0かなあと考えることにした。
前回の診察後に総額2万弱だろうと言われていたが、実際は薬と合わせて1万程度だった。
主治医の先生は、初診の頃から雑談を交えて親しげに話してくれる方だった。
色々勉強してくる妊婦さんは好きだからと、質問をしたり、経過観察のときに症例を挙げて詳しく説明してくれたり、いい先生に巡り会えたと感じる。
ただ、今回の手術を説明する用紙にデカデカと"人工中絶手術"と書いてあって閉口した。今回私が受けた手術とやり方が同じということは事前に知っていたとはいえ。
慌てて看護師さんがその文言を消してくれたが、書式2つ用意しておいたほうが神経質な妊婦さんにはいいのではないかなと思ったり。
手術も蓋を開けてみれば、一番怯えていた前処置より子宮内除去のほうがよほど痛くてびっくりした。
麻酔かからず激痛だった方の体験談は読んでいたけれど、かなり稀なパターンと聞いたのでまさか自分に降りかかると思わなかった。
私自身アルコールはかなり弱いし、アルコール弱い人は麻酔にかかりやすいはずなのになあ。
耐えられたけれど、もう二度と経験したくない。
今これを書いている現在、じわじわと子どもを亡くした悲しみが襲ってきている。正直のところ今日までは手術の痛みの恐怖に怯え、悲しむ余裕がなかった。
初期流産の殆どの原因は染色体異常によるもので、母体がどうだったとしても防げないものだとは説明を受けた。
母も双方の祖母も、叔母も流産経験者で、おまけに義母もそうだった。知らないだけで経験してる方は多いのだなと思う。前もって知っていたので、何で私だけ!というショックは少し和らいだような気がする。
妊娠中、コウノドリという産婦人科医の漫画を読んだこともあって、子どもが無事に生まれてきてくれるというのは奇跡だなと身を持って知った。
初めて流産の疑いがあると言われ、怯えて過ごし次の週検査に訪れた時胎嚢が育っていて大喜びして泣いてしまったことがある。
そのとき先生が「産んだ子どもが成長していく過程で、やれあの子より成長が遅い、あの子より成績が悪いと嘆くことがあるだろうけれど、その時無事に育って生まれてきたときの喜びを思い出してみてね」と言ってくれた。