はてなキーワード: お節介とは
いじめの世界には基本、「許す」は存在しないんじゃないか、と最近思う。
私は昔、いじめられっこだった。たぶん、自覚はしていなかったけれども、そう認識していた人は多かったように思う。
教室の空気を読むのがあまり上手でない、というよりも、クラスの中で自分がどのポジションにいるかを考えるのが苦手だった。嫌いだったのだ。誰に言い含められたわけでもないのに特定のポジションにじっとしているのが。
こんな性質を、今でいうスクールカースト概念に支配された者は煙たく思っていたに違いない。
けれども、実は今思い返しても、ポジション保持派の面子がまったく思い当たらないのだ。当時もたぶん悩んでいたはずなのに、ただの一度もたぶん、この方面で悩んだことがない。
自分が肥満児で吹き出物だらけのキモい見た目であったことが理由だろうとしか思っていなかった。
でも、小学校のみっともない思い出を、時々初対面の人にチラチラと当て擦りされるようになって、あー、彼らは何十年も経って、当時石投げつけられてたいじめられっこにまた攻撃加えてんだ、許すって概念ないんだな、と思いあたった。
彼らの恨みや憎しみの理由はよく分からないが、結局彼らの脳内で決めているスペックランキングに自分がいくつか違反していて、それが根底にあるとしたら、これはもう、どうしていいか分からないのである。
キモくてバカで不細工な私が生きて、彼らよりもまともな生活を送っているだけで腹が立つのかもしれないし、偉そうな趣味を好んだりするだけで生意気なやつと思うのかもしれない。
まあ私のガキの頃の情報をネットに悪意込めて流したやつは、要注意人物であると同時に、結構現在生活荒れてんだろうな、と推測することにする。
たぶんこの推測は正しい。
まあ、彼らが悔しがる「私の幸福」とやらがそんなにたいしたものでないことを彼らが気づいているかどうかは、私は分からないのがなんなのであるが。
一度この辺は書いておこうと思ったので増田で。
『大阪は緑が少なくて、住みにくい『ハズ』』とお節介な意見をよく書いている。
果たして、当の大阪人自体が、『緑を増やしてほしい』と思っているのかどうか、正直疑問だと思う。
都市開発の教科書では『1人辺り緑化面積を増やすべき』だが、果たしてそれは住民ニーズなのか?
『緑を5割増しにして、でも上場企業本社数が半減』という選択肢Aと、
『緑は半減するが、上場企業本社数が倍になる』という選択肢Bなら、
選択肢Bを選ぶ人の方が多い気がする。
東京の『知識人』が、勝手にAの価値観を大阪に押し付けてきて困る
★そもそも、
『まとまった広い公園がある方が、狭い公園が複数あるより優れている』という価値観も、妥当な価値観なのかどうか疑問。
ニューヨーク的なセントラルパーク公園も、『広すぎると、公園内部での犯罪リスクが高まる』という問題を抱えているらしい。
むしろ、都市政策の教科書には反するが、『ミニ公園』『ポケットパーク』を街中無数に配置した方が、個人的にはベターと思う。
★モクミツエリアであれば、まとまった公園の確保は『災害時の防火帯を作る』ということで意味があるが、
それ以外のエリアであれば、公園が『集合している』のと『散在』しているので、差はないと思う
『高齢者が歩いていけない距離に、デッカイ都市公園がある』のにはなんの意味がなく、
『高齢者が歩いて行ける距離に、ちっちゃな公園が無数にある』方が、はるかに重要じゃないか?
★東京の『デッカイ都市公園』って、 戦前の紀元2600年紀念事業の名残の公園が多い。
その意味合いは、緑被率を高めるというより、『国威発揚』と『万一の際に、空港転用できる』という理由であり、現代のニーズとはそぐわない。
現実的なニーズとしては『空襲時の延焼防止帯』であり、それは現代でも多少意味はある。
でも、戦前の時点と今と比較しても、城東方面の防火建築率はそうとう上がっており、『大規模な公園』にしなきゃならない必要性は薄い
★『大阪にも、東京並みのデッカイ都市公園を作るべきだ!そんなこともわからない大阪人はバカだ!』と上から目線な東京の知識人は、
思い返してみれば小中高大学社会人と、どこでも「もったいない奴」と言われてきた。
態度の良い優等生ではなかったし、単にお前の態度が気にくわないという意味だと思っていた。それでおおよそあってるだろう。
でも最近、態度が気にくわない以外にも、理由があるんじゃないかと気がついた。
というのも、どうも私以外の多くの人は、人生=苦行とは思っていないらしい。私にとっては驚きである。
人生とは苦行だ。死ぬまで耐え抜くレース。かといって死ぬのは怖い。子供の頃からずっとそう考えてきた。
別にとりわけ何かに困ってるわけじゃない。衣食住の心配をしたりもしてない。今、何が苦行でそんなにつらいのか、私もよく知らない。私よりつらい人なんていくらでも居る。
それでも、私にとっては当たり前の価値観で、息を吸うのと同じくらい自然なことだ。
だから、私にとって、人生の目標は、如何に苦痛を減らすかにある。
私は千の喜びのために、一の苦痛が必要ならば、何一つ喜びは要らないから、何も苦痛がない方が良いと思っている。
でも、現実には、何一つ喜びがなくても、苦痛は平気で千も万もやってくる。苦痛を回避する術を身につけなくてはならない。
従って、私にとって「能力」や「地位」は苦痛を回避するための術であり、決して現状の改善や向上のために使われる物ではない。
余計な苦痛を呼び込むなら、たとえ人がどんなに良いと言おうと、無価値どころか有害である。
小学生の頃塾に通って、中学校受験したのは、英語が得意になるとは思えなかったから、高校受験をしたくなかったからである。
いわゆる高学歴をわざわざ手にしたのは、あるのとないのでは障害の差が大きいからである。
高学歴のくせに大企業を一つも受けず(受けたところで受かったかは知らないが)、ゆるそうな中堅企業しか受けなかったのは、出世競争とか参加したくないからである。
最低限、技術の勉強とかしてるのは、ポストを完全に失うとまずいからである。
仕事を早めに終わらすのは、残業したくないし、有休を全部使い切りたいからである。
休日どこも出かけず、ひたすら寝てるだけなのは、疲れるからである。
疲れるのに仕事帰りにジムに行くのは、体力付けとかないとしんどいからである。
彼女がいたことないのも、頑張って努力して傷つくのが嫌だからである。仮に出来たとしても、つるんで疲れるのが嫌だからである。
SNSだとか、LINEをやっていないのは、そういうのでいちいち疲労するのが嫌だからである。別に情強気取ってるわけではない。
それでもコミュ障とまで言われない様に頑張ってるのは、本当にコミュ障になってしまったら、生きづらいのが目に見えているからである。
それが、人生は苦行だけじゃないと思っている周りの人から見ると、見てて気にくわないと思わせてしまうのかも知れない。
あぁ、それと、もう一つ、私はお節介ともよく言われる。
私はいい人でありたいと思っている。お天道様のしたを歩けと教えられたから。
私にとっていい人とは、苦痛を与えない人であり、苦痛をできる限り取り除いてくれる人である。
結局、これも同じ「人生=苦行」が行動原因になっているだけである。
人生は苦行でないと思ってる人には、やっぱり不快に見えるのだろう。
無駄に長くなった。ここまで読んでくれてありがとう。(はてな記法というのはよく分からんな。)
別にこれを書いて、誰かに読んでもらってどうこうというわけでもない。
なので、落ちもまとめも特にないが、何となく新鮮だったので、形にしてみたくなったんだ。
でも、こういう風に考えてる人って、私以外にもいっぱい要ると思うんだけどな。
ちょっとだけ男性物の服を着てみたこともあるけど体躯に合わない服装ってすごく不恰好に見えるし異様に目立つと気付いてやめた。
http://zozo.jp/men-category/tops/
知ってるかもしれませんが、このページでサイズをこまかく指定して検索できるので、良い感じのメンズ服みつかるかもよ。
あなたも言うように、サイズが合わないファッションは不格好なものなので、自分の身体がすっきりと見える具体的なサイズ(特に身幅と着丈)を知っておくと楽。それさえ合えばメンズ服でも良い感じに着こなせるんじゃないかな。
あと、以前あなたと似た考え方の女性にもアドバイスしたことあるんですけど、お尻が三分の二(又はすべて)隠れる丈のアウターを着ると女性性が隠せるよ。背広タイプのジャケットでもパーカーでも同じ。まあ目指すファッションのカテゴリーとか体型や顔立ちにもよるわけですが。
以上お節介でした。
ブコメを読んで:
「先に金入れてない」がトラブルの原因だと分かったのは店員の操作の後だからな。苦笑したのも唐突な攻撃的態度に対してであって、彼が知らなかった事に対するものではない。
私がもっと社交的でお節介焼きなら「お困りですか?」と声をかけても良かっただろう。だが、人が何か試行しているならそれはその人の探求の時間であって、私自身はそれを大切にしたい。だから害があったり請われない限りは教えない。プレッシャーにはならず声はかけられる程度の距離をとってたたずむ。
自販機のUIは面白い話題でそこに食いついたブコメも多かったけれども、主題はそこではない。ましてや先客が遅くて私が迷惑したという話でもない。考えたいのはトラバ先のやよい軒での話を書いた増田の解釈だ。一見理不尽に怒っているようだが、良く見るとシステムと不適合を起こして困惑しているだけかもしれない人が居ましたよ、と。それは決して切り捨てていい「細かいこと」ではないだろう。
「何があるだろうか」と結んだのは確かに正義面だろう。だが私もまた困惑しているのだ。
トラバより:
書き始めたら奇妙な文体が立ち上がってきたので、ねちっこい描写にしてみた。お褒めの言葉として受け取っておきます。ありがとう。なおラノベを読んだ事は無い。あと、こんな事考えてる俺かっけー、が無かったかと言うとそれは嘘になる。
■その1。
久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。
……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気、ハートフルな人情ものを志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクターの個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリーが相対的に弱く、物語のバランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。
しかも、この作品の場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語の方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語の転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。
しかし、登場人物たちとの交流や恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品を評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマの主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。
あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢で方向性が似たものが多く、プレイヤーがストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活を俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。
■その2。
この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的にAVGのシステムで作られているので、その辺の違和感が最後まで気になってしまった。
全体としては、ストレートな物語を志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。
冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所と短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。
また、[エロゲーの主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。
また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近のエロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。
先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。
霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。
その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。
看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオの最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。
しかし、諦観と怨嗟が交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。
[生を肯定すること]をテーマに据え、病院を舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。
総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。
■忍び寄る総括。
個人的意見。えっ、紅葉とラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台の病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。
最近、鬱とのつきあいが、上手にできるようになってきた。でも、また将来、くじけそうになるかもわからんから、ここに書いておく。僕自身の忘備録が誰かの役に立つかもわからないし、役に立たないかもしれない。これは自分の忘備録として書くのであって、誰かにお節介して教えるとか訓示を垂れるということではない。そう断っておいて、以下、「僕の鬱が治ったきっかけ」を列挙しておく
僕が鬱で精神科に入院したのは、去年の11月。ちょうど一年前の話だ。仕事 恋愛 家庭 すべての破局が一気にきて、自殺未遂してしまって、入院させられた。鬱での入院といっても、拘束されるわけでもなんでもない。「安静病棟」という名前の病棟で、同じような悩みを抱える人たちと一週間寝起きをともにした。寝起きをともにした っていっても、みんな個室。ただ、気が向けば食堂やホールで一緒にご飯を食べたりする。で、ストレス軽減のために、病院だけど建物の中に喫煙室がある。だから、喫煙室で病棟仲間にあう。
この喫煙室の経験が本当によかった。 僕は初めての入院だったけど、もう何度も同じ病院で入退院を繰り返している人がたくさんいた。その人々の話を聞いていると、「なんで鬱になったか」とか一切しないのね。とにかく延々、「医者の悪口」と「薬の悪口」と「療法の悪口」が続く。僕も、医者にも薬にも療法にも不満があったから、最初はみんなの話につきあってた。でもあるとき、患者さんたちを観察していて、「入院歴がたくさんある人ほど、医者の悪口と薬の悪口を頻繁に繰り返す」ということに気づいた。そして、僕が入院している間に、目に見えて快方に向かっている人は反対に「医者の悪口と薬の悪口の頻度が減る」ということに気づいた。そんなある日、僕は、医者に、「僕の個室は朝、朝日の直射日光が差し込むので、部屋を変えてくれ」という相談をした。医者は即座に「いいですよ!病室変更しましょう」と応じてくれた。ただ、こうも付け加えた「ほんとはね、朝日を浴びて欲しいんですよ。朝日を浴びるとね、セロトニン増えて、治療的にも好ましいんですがね。まあ、鬱って病気は『治る方法こそを拒否する』という症状がでますからね。まぁあまり無理しないでおきましょう。。。。」と。
この医者の一言と、「医者と薬の悪口ばかりをいう患者たち」の言動が一気に結びついた。「結局のところ、患者が薬と医者の悪口ばかりいうのは、『治りたがらない』という症状そのものだ」ということに気づけた。
その後、僕は、医者のいうことや進めることに一切拒否しないこととにした。そして、他人からもらうアドバイスを選択するときも、「もっとも嫌な話」こそを参考にすることとした。
入院するということは、強制的に規則正しい生活を送らされることでもある。規則正しい生活を送った結果、一気に12kg痩せた。まあそれまで太り過ぎていたこともあるけどもね。みるみる痩せていくのが面白くて、入院中から腕立て伏せとか腹筋とかやるようになった。これもいままで運動したことなかったからか、目に見えて筋肉が増えて行くのが面白く、どんどんのめり込んでいくようになった。
退院した直後にやったことは、近所のジムへの入会。それから週3回、ベンチプレス スクワット デッドリフトという基本種目だけをぎっちりやるようになった。これが、本当に、効く。
もう歳も歳だから若い人みたいに、プロテインがんがん飲んでウェイトがんがんあげたら筋肉がんがん付くみたいなことはない。おっさんだから、あゆみは亀よりのろい。もう一年やってるのに、いまだにベンチプレスは自分の体重以上はあげられない。胸の筋肉もたいしたことない。でも、目に見えて変化が現れたのは、精神面。週3回のトレーニングは夕方に行うんだけど、もうね、次の日の調子がまったく違うのよ。鬱の人ならわかると思うが、あの頭の中のもやもやや、なんかわからん罪悪感や後ろめたさが、一切発生しない。もうね、笑うほどなんもない。かといってキャハ〜っと躁になるわけでもない。本当に「フラット」な状態になる。
これは医者に後日聞いたことだが、「筋肉トレーニングは、どんな薬よりも成長ホルモンを分泌する。成長ホルモンが出ると脳内のセロトニンの分泌が正常化する」とのことだった。
この医者の解説は自分の体感とも合致した。とにかく、筋トレ後の「フラットさ」は異常だった。鬱でもない躁でもない、本当にノーマルな状態がやってくる。そして筋トレ歴が伸びるにつれ、最初半日ももたなかった「フラットな感じ」がいまでは、一両日は維持できるようになってきた。
これが「この文章は僕の忘備録であって他人に進めるものではない」という根拠。
これはあくまでも僕の個人的な体感の話なので、そのつもりで読んでほしい。
筋トレでだいぶ改善したとはいえ、それでも数ヶ月に一度、強烈なもやもやが襲ってくる。そういうとき、ちょとだけ断食してみる。断食といっても薬はのまなきゃいけないから、食後の薬を飲める量分の食事はちょこととる。具体的には牛乳いっぱいとかお粥だけとかね。そういう食生活を三日だけつづけてみる。すると、内臓が休むからか、体がすーっと軽くなる。これは体重が減った軽さじゃない。感覚でいうと「風邪が治った軽さ」みたいな感じ。ほんとにすーっと体が軽くなる。すると、頭の中のもやもやも消える。ちょっと荒療治だが、「それでも襲ってくるもやもや」に対する対抗策は、いまのところこれしか見つけられていない。
以上、僕の対処法。
今この方法で、だいぶ自分の鬱をマネジメントできている。でもきっと将来、マネジメントに失敗することがあるとおもう。その時にこの忘備録にもどって、自分の対処法を見直してみるつもりだ。
思考回路そのものより一言多いと言うか、余計なネガティブワード入れちゃうのがまずいんじゃね?
ってシンプルにまとめたらええだけの話でないの。
最初からそうできるよう努力する気もないのに「努力します」って言っちゃったらそれはウソになっちゃうけど、「成功できるように努力する」部分が言動共に事実であれば、結果はともかくとして増田は嘘つきとは呼ばれないよ。
自分が増田について直すべきと感じるのはここだけ(相手に不信を与えるような余計なネガティブワードを使わない)だったけどな。
出来もしないと分かっている事に嘘をつきたくないって誠実さ自体は、その動機がどうあれ増田の長所なんじゃねえの。
あともう一個お節介をするなら、自分で生きる分の金を稼げて人様の迷惑や法に触れることをしない(=意図的にしないよう努力している)なら、ダメだろうがクズだろうが向上心がなかろうが高い目標設定ができなかろうが予防線張りまくりの責任逃れ野郎だろうが、もう人間として上々だと思いますよ、自分はね。
そうやって開き直ることを「変わる」行動の一つとして考えたら、苦しかった頃と比べて随分生きるの楽になりましたよ。
結婚できない http://anond.hatelabo.jp/20140918193931
こういう人でも、昭和30年代ぐらいなら、どこからか世話焼き婆とかが表れて適当に結婚相手を見繕ってきたりしたんだろうなと思った
ただ現代だと、この白痴さ加減では結婚するにしろしないで自活するにしろ、生き残りにくいだろうなぁ
でもまぁ、お節介な地元の世話焼き婆的なるものは、イヤだと決別してきた何十年があるから、もう後戻りはしにくいね
そもそもそういう「生きるためのお節介」周りは、この20年ぐらいで悉くビジネス化されてしまっている
恋愛も、結婚も、子供が生まれる、育つ、進学する、結婚する、孫が生まれて「孫消費」…と
私たちの暮らしは、すべてが、もうマーケット化しつくしてしまっている
私はそういう商業主義的なところから離れてロハスに暮らす⇒ロハス雑誌花盛り
私は子供を産んでキラキラしたい⇒子育てブログとそれをすぐコンテンツ化する人たち
こだわりのあるライフスタイルとやらだって、すべてが「こうすればあなたの理想の暮らしになりますよ(そしてXX円頂きます)」と教えてくれる
親切で醜悪なシステム
これ深刻な問題だよね。
色んな考えの人が色んなところでどんどん注意喚起したほうがいい。
「特殊部隊オタではまったくないんだが、しかし自分の特殊部隊オタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない特殊部隊の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、特殊部隊ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、特殊部隊のことを紹介するために
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に特殊部隊を布教するのではなく
あくまで「入口」なので、理解に過大な負担を伴う発展途上国の特殊部隊は避けたい。
あと、いくら特殊部隊的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
特殊部隊知識はいわゆる「GIジェーン」的なものを除けば、ネオ麦茶事件程度は知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「グリーンベレー以前」を濃縮しきっていて、「グリーンベレー以後」を決定づけたという点では
ただ、ここでベトナム戦争トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な部隊について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな特殊部隊(そうオタクが思い込んでいるだけ。
実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、
それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「特殊部隊オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の第二次大戦オタクが持ってる北アフリカ戦線への憧憬と、その後の対テロ作戦のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも軍隊系特殊部隊的な
「Special Air Service」を体現してない部隊名
の二つをはじめとして、特殊部隊オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「スペツナズナイフだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の部隊がソ連崩壊後も続いていること、スペツナズナイフが日本では大人気になったこと、
浦沢直樹 のパイナップルARMYにもでてきて、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり特殊部隊は治安維持のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「銃器対策部隊」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この特殊部隊にかける日本警察の思いが好きだから。
断腸の思いで増やして300人、っていう人員が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「増やす」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
人員の多さを俺自身は冗長とは思わないし、もう増やせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
アメリカだったらきっちり足りずに増やしまくってるだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけてきっちり300人にしてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ日本警察がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。部隊が行った作戦自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ミュンヘンオリンピックより前の段階で、ドイツ赤軍とかテロ対策部隊の必要性とかは頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの部隊が海外でハイジャック事件を解決したんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく同じ敗戦国としては不思議に誇らしいし、
いわゆる東西統一後でしかドイツを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
陸自の「資格」あるいは「部隊づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「即応性を高めた精鋭部隊」的な感覚が特殊部隊オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ日本版『レンジャー』はアメリカのレンジャー部隊の模倣以外ではあり得なかったとも思う。
「レンジャー資格者の数がより多い部隊」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はレンジャーき章を有する者にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
非人道的なアンチ・マテリアル・ライフルを犯人に使用して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9部隊まではあっさり決まったんだけど10部隊目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にUSSOCOMを選んだ。
グリーンベレーから始まってUSSOCOMで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、 1987年以降の陸・海・空、三軍が統一された
特殊部時代でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい部隊がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10部隊はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
かしこいかもーと思う半面現実的じゃないかもなぁと思うこの頃。
現在、人生の半分ぐらいで中小零細から無事大企業へジョブチェンジできて現在それなりに長くいて思うんだけど、正直みんな大企業には入れればきっと幸せになれてよいなぁと思う半面、入れなかった人が中小零細に行ってとにかくひどい環境と有様で未来のあまりなさそうな苦行に従事してくれないと大企業が成り立たない現実も見ていて、なんだかなーとは思うこの頃です。こういう問題を解決できるように日本人が進化することを実は本気で望むので、書く。
※この酷い有様をなんとかできるテクノロジーは日本に無いのか?
こんなむちゃくちゃと、理不尽いつまでも続かせるのはおかしいだろ?税収減ったら困るのは一緒だろ?なぁ?>日本政府。もうちょっとさ、何かアイデア出せよ!ブログ書いて無邪気に何かアイデア出せよ、改善のための勉強会開けよ。ITエンジニアみたいにさ!これは資本主義のゲームのルールだけでは改善できないんだよ!>日本の公務員さん!
たまに「子供の個人情報を親が勝手に流すと云々」という余計なお節介、もとい心配していただく意見をいただくことがあるんですが、我々の個人情報は望む望まざるに関わらずダダ漏れになっていく社会に向かっているのは必然でして、今後は漏れている前提でいかにコントロールしていくかが大事になっていくわけです。
漏れても構わない、は依然として問題ありですが、いかに漏れない前提を守るかを議論するよりは、漏れている(自分自身が知らないうちに漏らしている事を含みます)前提を考えて行動したほうが建設的なのは間違いないわけで、つまりは余計なお世話なわけです。
もちろん、親が、依然として変わらず、漏れても構わない、という態度をとるのは問題ですが、ここは二回いいました。コントロールが大事と。これも二回いいました。
はてブトップが小樽の話題だったのでついでに聞きたいんだけど、夏に4泊か5泊かで北海道旅行に行くつもりで、まだ詳しくは決めてないんだけど札幌、旭川、函館、あと富良野あたりには行きたいと思ってるんだけど、小樽は行った方がいいかな?
Googleで「小樽」で画像検索すると、ズラーッと同じ角度から撮った運河の写真が並んでて、あちゃーこれって他に見所がないパターンか?って思ってしまった。(都市名で画像検索して同じ名所しか出てこない所って、それしかない場所が多い。失礼。)
モダン建築好きだけど札幌函館だけでもいいような気がするしなあ。でも札幌からまあ近いしすぐ行けるなら行った方がいいかなとも思うなあ。
他に見所ありますかね?ね?
あともうひとつ、世界遺産になってる知床って、北海道の人はどれぐらい旅行したことあるんだろう?神奈川県民だったら鎌倉とか箱根は遠足で行くけどね。
※補足
ブコメとトラバで教えてくれた優しい人達ありがとう。函館は行くなら最後に札幌か旭川から飛行機で飛んで、一泊して帰ろうかな、と考えてる。多分北海道観光は人生で一度きりになると思うから、お金かかってもなるべく多めに周りたいんだ。あ、でもそう考えると、札幌はもしかしたら出張で行く可能性もあるから、外してもいいような気がしてきたな…。まだあんまり考えてなかったけど、コレがきっかけで早めに計画立てる気になった。
※補足2
こんな生意気な増田に多くのアドバイスをくれて本当にありがとう。はてなの人はお節介な所もあるけど根は優しくて良い人が多いね。
元ネタ http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の Syrup16g オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない Syrup16g の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、Syrup16g のことを紹介するために覚えるべき10の曲を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に Syrup16g を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、オタ度の高い未発表曲などは避けたい。できれば CD 収録曲、かつ Syrup16g 名義の楽曲にとどめたい。生還ライブで「赤いカラス」は演奏したと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。
彼女の設定は
邦ロック知識はいわゆるメインストリーム的なものを除けば、ART-SCHOOL などのバンド名程度は知ってる
メンヘラ度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Reborn 以前」を濃縮しきっていて、「Reborn 以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。生還一曲目だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず桜井和寿にならず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな Syrup16g(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「Syrup16g オタとしてはこの二曲は“ロック”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の鬱ロックバンドオタが持ってる青春への憧憬と、Syrup16g オタ的な行き当たりばったり感を彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも Syrup16g な
の二点をはじめとして、オタ好きのする要素を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを聴いた彼女は「フジくんだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがフジくんきっかけのファン内では大人気になったこと、キレイになって透き通って、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり Syrup16g はメンヘラのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「手首」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける五十嵐の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも6分44秒、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その前半の雑音部分を「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
正常の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがベストアルバムやライブだったらきっちり5分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて6分44秒を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ五十嵐がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。武道館ライブでのキタダマキの弾き狂う姿も合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で Free Throw 現物見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Copy よりも前の段階で、五十嵐の曲作りとか言葉選びとかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がミニアルバムでこの時代に収録されていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく Syrup16g 好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる「動脈」「静脈」でしか Syrup16g を知らない彼女には聴かせてあげたいなと思う。
五十嵐の「シャッフル」あるいは「軽快さ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから聴かせる、ということではなくて。
「終わらない開き直り人生を生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ武道館ライブ最終曲は昇華Tシャツ以外ではあり得なかったとも思う。
「生きづらい日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は実弾にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう寝不足感のあるアンニュイなロックをこういうかたちでギターも持たずに演奏して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に翌日を選んだ。
Reborn から始まって翌日で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、生還ライブの締めとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。