『大阪は緑が少なくて、住みにくい『ハズ』』とお節介な意見をよく書いている。
果たして、当の大阪人自体が、『緑を増やしてほしい』と思っているのかどうか、正直疑問だと思う。
都市開発の教科書では『1人辺り緑化面積を増やすべき』だが、果たしてそれは住民ニーズなのか?
『緑を5割増しにして、でも上場企業本社数が半減』という選択肢Aと、
『緑は半減するが、上場企業本社数が倍になる』という選択肢Bなら、
選択肢Bを選ぶ人の方が多い気がする。
東京の『知識人』が、勝手にAの価値観を大阪に押し付けてきて困る
★そもそも、
『まとまった広い公園がある方が、狭い公園が複数あるより優れている』という価値観も、妥当な価値観なのかどうか疑問。
ニューヨーク的なセントラルパーク公園も、『広すぎると、公園内部での犯罪リスクが高まる』という問題を抱えているらしい。
むしろ、都市政策の教科書には反するが、『ミニ公園』『ポケットパーク』を街中無数に配置した方が、個人的にはベターと思う。
★モクミツエリアであれば、まとまった公園の確保は『災害時の防火帯を作る』ということで意味があるが、
それ以外のエリアであれば、公園が『集合している』のと『散在』しているので、差はないと思う
『高齢者が歩いていけない距離に、デッカイ都市公園がある』のにはなんの意味がなく、
『高齢者が歩いて行ける距離に、ちっちゃな公園が無数にある』方が、はるかに重要じゃないか?
★東京の『デッカイ都市公園』って、 戦前の紀元2600年紀念事業の名残の公園が多い。
その意味合いは、緑被率を高めるというより、『国威発揚』と『万一の際に、空港転用できる』という理由であり、現代のニーズとはそぐわない。
現実的なニーズとしては『空襲時の延焼防止帯』であり、それは現代でも多少意味はある。
でも、戦前の時点と今と比較しても、城東方面の防火建築率はそうとう上がっており、『大規模な公園』にしなきゃならない必要性は薄い
★『大阪にも、東京並みのデッカイ都市公園を作るべきだ!そんなこともわからない大阪人はバカだ!』と上から目線な東京の知識人は、
靭公園も長居公園もあるし関東と違って山が近いから日帰りで兵庫や生駒方面の自然公園にすぐ行けるのよ