はてなキーワード: お節介とは
「俺はそれを知っている」という自意識を介在させて見ているから、そういう心理に陥るのではないか。
すこし余計なお節介、いやお説教をさせてもらいたい。その高尚な自意識を消し、赤ちゃんのような無地でフラットな心持ちで鑑賞するスタイルを会得すれば、きっとレパートリーは広がる。この手の自意識は、「SFとしてはガバガバ」「何々のパクリ」などと言い放ち勝手に冷めてしまうアンチ気質の人々と同じ種類のもの。そんな上から目線で、あまつさえ「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな」なんてメタな目線で作者と対決するような物腰では、作品に込められた繊細な表現や演出の意図を取りこぼし、美点を感じ取れずに素直に感動できなくなってしまうだろう。
作品鑑賞は自分と作者の知恵比べではない。美意識の対決でもない。そういう楽しみ方をする人もいるかもしれないが、元々は作品自体を楽しむために見ているはずだ。
作品鑑賞とは、作者のノリに合わせることで、作者の作りし世界に没入しようとするごっこ遊びだ(小説好きな人はこの能力が高い)。とはいえ、ごっこ遊びが苦手な人でも、没入できる作品はある。矛盾のないように記述を凝らした、完璧主義の脚本ならば、誰でも没入できるのだ。とくに海外の大作あたりなら、必然的に精緻で上品なストーリーになる。文化の壁もあるから「俺はそれを知っている」状態も起きにくい。でも、そういう創作姿勢は、一つの美意識ではあるものの、絶対正義ではない。絵画でいうと写実主義だけを評価するようなものだ。
幼児と会話するときにあなたはどう意思疎通を図るか考えてほしい。その時のあなたは柔軟に好意的に欠落を補完しようとする。その時と同じような創造的な姿勢が、作品鑑賞をする読み手にも求められるのだ。なぜなら、作品というものは幼児に等しいものだから。それほどに、独自の世界観を持っていて、少しずつしかその全容が見えてこない存在であるからだ。そう捉えてもなお、作品と向き合うのが厳しいと感じる、あるいは得たものが少ないと感じるなら、それはあなたには合わない作品なのだ。対象読者ではなかったのだ。そうしてただ去ればいい。でもそれは寂しいことだ。寂しさを生んだ原因を作品だけに求めないでほしいと思う。
パターナリズムっていうのは、他人が自己の責任において選択すれば良いだけのものを、端からいやそうしたらこうなる心配があるから俺が決めてやる(道を踏み外さないような規則を作ってやる)ってやいのやいの言うことを指してる。権力構造を伴うお節介って感じ。各人が自分の判断で「面倒だから慣習に従っておくか」って決めるならそれはそれで構わない。(パターナリズムのpaterは父親が語源。パターンじゃないよ)
覚悟の上で、っていうのは、例えば「男/女らしい服装」っていう文化があるところで、そこからはずれた服を着ることって、全く個人の選択の問題ではあるけれど、とやかく言う人がいるだろうってことは予想できるでしょ。選択の重みは同じであるべき、って理想ではそうかもしれないけど、やっぱり既存の観念と違うことをしようとすると逆風があることは覚悟しないとならない。その程度の意味。
そこで、「男が女の恰好したり女が男の恰好してたらいろいろ言われるだろうから、ルールで異性装を禁止しよう」って言い出したら、それは余計なお節介というものでしょう。それと似た感じを受けるんだよな。「別姓で揉める可能性があるから禁止しとこう」っていう意見には。
アルファロメオに乗ってる。日本ではあんまり人気のないマイナーな車種。
1年前にオーナーになった後、その車種では結構有名で雑誌にも出たことのある整備士の人に預けたんだ。その人をAとしよう。
Aは個人で一人社長兼整備士をやっていて、その車種の整備にかけては右に出る人はいないですよと〝自分で”豪語する人だった。
そのAに車を預けてみて分かった。実態は口先三寸のボッタクリ。納期は守らない、5Sができていない。提示する工賃に何の根拠もない。
悪く言えば詐欺師のような整備士で、客からお金を頂くプロとして風上にも置けない仕事をする人だった。
自分はそこには車検時の整備を兼ねて一度預けたっきりで、それ以降は地元の親切なアルファオーナーに紹介してもらった、誠実に整備してくれる
別のところにお世話になりオーナーを続けられている。この前のプロフェッショナルでやってた小山兄弟のような信頼できる整備士だ。
それに引き換え問題の整備士Aは趣味の延長線上のようないい加減な仕事で、自分は走る凶器に簡単になる車をこれ以上Aに預ける気にはとてもなれなかった。
そんな杜撰な仕事を行うAだが、とても口がうまいので割と常連客がいる。中には高給職のオーナーも一定数いる。
その整備士Aと公私で親しくしているBさんという方がいる。まだ20代の若手の弁護士だ。
Bさんは基本的に何でも自分で車をいじりたがる人で、どうしようもない場合にのみAに預けるというスタイルを貫いていた。
自分はそのアルファを買うときにBさんとその整備士Aのブログを読んだことが買ったきっかけということもあり、
Aを見限った後もBさんとはネット上では頻繁に、リアルではたまに会う付き合いを続けていた。
最近、そのBさんと自分が偶然同じ部分を修理することになった。修理箇所はブレーキの油圧系統のトラブル。
整備を一歩間違えれば車は止まることができず、自分が傷付くどころか他人にも危害を加えかねない危険な部分だ。
Bさんはその部分に関しては流石に自分ではやらず、Aに整備を一任している。
整備士AはブログでそのBさんのアルファロメオの油圧系統の部品を分解したら壊れていたという写真付きの記事をアップした。
その記事を今お世話になっている整備士の方に見てもらったところ、Aの整備ミスで故意か意図せずにその部分を壊した可能性が高いことを指摘された。
セカンドオピニオンで車に詳しい人に何人か見てもらったが、どの人もその部分が走行や経年劣化でその写真のように壊れるのは見たことがなかった。
Aの仕事の質の低さを痛いほど体験している自分は、趣味の延長線上で仕事をするAに自分や他人の命を預けるブレーキ部分をこれ以上整備させることは危険だと思い、
言う前からある程度想像はできたが、Bさんは「Aさんが壊したという証拠が不十分だ。お前は何が言いたい? 余計なお世話だ」と頑なに突っぱねてしまい、
Bさんは整備士Aをそのアルファの整備を教えてくれる師匠として古くから慕っており、Bさんより上に立っているAはそのことをうまく利用して手玉に取っている。
Aは精神的にBさんを支配するタイプで、極端に言えば教祖とマインドコントロールされている信者の関係だ。
もしブレーキ整備不良のアルファをBさんが乗ることになれば、運転する度に自分と他人が命の危機に晒されることになる。
断言しても良いが、もし事故が起こってもAは自分の整備不良を棚に上げ、アルファロメオという車自体に信頼性がないことを盾にして必ず逃げようとするだろう。
このままでは詐欺師の自動車整備士AにBさんが殺されてしまうかもしれないが、悩んだ末Bさんを見殺しにすることにした。
まあ何かあってもその人は自分で自分を弁護できるから大丈夫だろう。本人が不具になったり死んだらそれまでだ。
最初は何とかしてBさんを救いたいと思ったが、それは自分の気持ちに嘘をついていたことに気付いた。
儀礼でも虚礼でも良いから「親切にありがとう、でもね」という一言が欲しかった。
親切心をコケにされ、心無い言葉を浴びせられた自分のプライドがBさんを許せなかった。
どんな結果になるか少し怖いが、しばらく距離をおいて見守ることにする。
元増田のその主張はわかるんだが、その手の主張はどうもお節介に感じるんだよな。パターナリズムというか。
選択的別姓になっても、少なくとも最初のうちは、ほとんどは今まで通り同姓を選ぶと思うよ。慣習ってそんなもの。で、仕事の都合で別姓を選んだごく少数のうち、やっぱり大半は子供の姓はどっちかに揃えるだろう。
根拠は、別姓可の国であっても大抵の人は出身国の文化に従って姓を選んでるから。同姓文化から来てる人たちは同姓にするし、結合姓の文化から来てる人たちは結合姓にする。別姓の文化から来て別姓を選んだ人たちでも子供の姓についてはその文化の慣習に従うことがほとんど。
で、そういう中で敢えて別姓を選びさらに子供の姓で慣習に逆らおうとする人たちってのは、それによって生じ得る軋轢を引き受ける覚悟の上で敢えてそうする、と考えるのが自然だ。元増田が心配するような問題点は当然織り込み済みで選択するわけ。逆に、揉めるのがやだって人は従来の慣習に従っておけばいい。
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/2015/11/11/184513
もしも自分の子供が「就職せずに自分の夢を追いかけたい」と言ってきたら、あなたはどうしますか?
私はこの人に近い考えだと思うのだが、
今その時にやりたいことをやらせてあげるのが子供の幸せに繋がるとは限らない。
うちの子は本が好きだ。できることなら好きなだけ本を読ませてあげたいが、
放っておけば食事や身の回りの事をそっちのけで没頭する。
やむなく本を読むのは基本的な生活を逸脱しない範囲に規制せざるをえない。
食事が偏れば体調を崩す。歯を磨かなければ虫歯になる。
パッチを当てる役目は親や周りの大人たちの役割ではないだろうか?
歩きながら本を読んで車にはねられてからでは取り返しがつかない。
成人しているのなら、
というか言われるまでもなく好きにするだろう。
かつての自分がそうであったように。
その夢が自身や周りの人々の心と身体と金銭に対して脆弱性を持っているなら、
きっと私は黙って見過ごすことは出来ないだろう。
出来る限りは手や口を出さずに見守るだけに留めたい。
幸せに暮らして欲しいと願うが、子がそれに応えて幸せに暮らす義務は無い。
あと十数年、彼女達が大人になるまでに子離れできるだろうか。
お節介すぎるよなあ周囲
ブラック企業になぞらえるけど、パワハラ相談室だって本人からの訴えが無きゃ動かねえよ
んで以下は俺の感想なんだけど
デビュー出来ない見込み無いダメ男なんだから、主夫のツテをつけてやるのって最適ではないかもしれないけど一つの解決策だと思うんだよなあ
あーかわいそ
ヒモザイルの休載が決まったそう。残念、わりと楽しみにしてたのと、これを機会に一組二組のカップルが生まれればわりといいことだなと思っていたので。
よく言われていることではあるけど、あの漫画に関して男性はわりと寛容で、女性は厳しい人が多い印象。当方も男性であり寛容派。
正直あの漫画に特に悪意は感じなかった。そりゃ漫画を面白くするために面白可笑しい表現もあっただろうけど、具体的にどれが問題なのかもよくわからない。
最初の、主婦(だったか?)がまずかったのか? しかしああいう人が世の中にいるのは事実だし、それを描くのが悪いというのはよくわからない。(漫画の良し悪しと登場人物の良し悪しを混同してはいまいか?)描き方が悪かったのか? 漫画の中で主人公が納得してしまったことが? しかしこの先ずっとアシスタントではまずいことも確かだし、アシスタントも企画が成功すれば幸福になれるような種類の目標を持っているようだった。
思うに、あの漫画を叩いていた人は作者より「更に」お節介なのだ。
あの漫画の作者への批判は「勝手にアシスタントの幸せを決めるな!」というのがあったような気がするけど、それは叩いてるあなたにも決められないことだ。
そして叩いてる人にそれはできないし、作者にはそれができる(作中でもやっていた)
皮肉なことに、他人の不幸を決めつけて結果的に不幸を呼び寄せたのは(幸福への道をくじいたのは)叩いた側だった。
「あんなふうになったらどうしよう」
そう、それだ。あの作品への叩きは「あんなふうになったらどうしよう」だった。
勝手にアシスタントたちの境遇を「不幸」と決めつけ、そこに「問題」があると決めつけ、対話なしに、ただ自分自身の「不愉快」や「怒り」を根拠にぽろっと出てしまった言葉。
主婦の「あんなふうになったらどうしよう」は結果としてアシスタントを幸せに導こうとする「対話込みの」企画を駆動した。
野次馬の「あんなふうになったらどうしよう」は「対話なしに」「対話込みの」企画を停止した。
この差は何か?
単純に、「対話」をどの程度重要視するか、どの程度重要視する人物が周囲にいて、その人の行動をどのように促したか、だ。
思うに批判するにせよ、叩く側がやるべきは連載を(すなわち企画を)止めることではなく、より詳細な対話を促し「不幸なすれ違い」を無くすことではなかったか。
いまとなっては、遅いが。
■追記
コメント欄にも真っ先にこういう反応が……。
>自分がマンガを面白く読むためなら漫画家アシスタントのブラック作業環境はどうでもいい派か。
「あんなふうになったらどうしよう」と、やはり同じ、ということだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ブサイクな人間が嫉妬や自虐に使い、肝心のイケメンの人格を排除している時点で、低俗なミームであることは自明だっただろう。
元ネタに込められた思いなんて、今では何処吹く風だ。
まあ“そういう人間”は、「ただし性格のいい人に限る」とかだったとしても分が悪いとは思うが。
最近ではそれがターゲットを変えて「童貞を殺す服」になっているのかな。
“彼ら”にはぜひとも逆に殺してやるくらいの気概を見せてもらいたいものだな。
なんなら「処女を殺す服」でも作ったらどうだ?
君の発明にしてくれて構わないぞ。
おいおい、君はまだそんな次元で話しているのか。
「ただしイケメンに限る」といった低俗なミームが風化してから何年経ったと思っている。
なのに、いまだそんな不毛な質問するのは、君の中で「外見だけで人を判断するなんて酷い」だとか、画一的な価値観を前提に語っているからだ。
君がよほど未成熟な人間でないのなら、そのような評価基準に是非を求めようだなんてことはナンセンスだと気づくはずだ。
そもそも人間は総体的に評価すべきで、各々で重視する側面はあっても、決して「それだけ」でいいわけではない。
住む部屋を探している人は何を重視するかはともかく、「その条件さえ満たせば後は何でもいい」とはまず思わないだろう。
また、現在進行形で対象を求めているかどうかでも、回答への真剣度は変わってくるしな。
いずれにしても総体的に評価すべき価値判断を、一つの要素だけ抜き出して語っても意味はない。
愛すべきは「要素」ではない、「人」だろう。
まあ、そこに君の求める真実があって、それで人生が豊かになるのならば好きにすればいい。
そ、そうか……。
偶然そうやって出会いに恵まれていない人を捕まえて「だから結婚できないんだよ!」なんて言うのはお門違いではあるのだが……。
君は高学歴高収入を「高望み」といっているが、もう少し考えてみて欲しい。
自分と同程度のスペックで、かつ一緒にいたいと思え、相手も君とパートナーになりたいと思っている。
それは、高学歴高収入と比べて本当にハードルが低いのかどうか。
それにハードル走も、それはそれで大変だと思うぞ。
……それらを踏まえたうえで結婚できるのか?
それは私が決めることじゃあない。
もしかしたら高学歴高収入の人と結婚できるかもしれないし、君のいったような条件の人と結婚できるかもしれない。
だが不確定要素が大きい以上、結婚の条件を弄ぶ人間に他者がいえることはそこまで多くないんだ。
いずれにしても、私がいえる教訓はこれだ。
「現実を見ろ」
陳腐な教訓だが、こんな所でいるかどうかも分からない人間を前提に語っている時点で、本当に理解している人は少ないんじゃないかな。
それにしても、いやはや……。
恋愛や結婚が自由になり、親戚などの「お節介システム」も廃れたのが現代だと思ったが。
今も形を変えて、そのシステムをお金を払ってまで求める人が多くいるとは。
各々が自由を追い求めた結果が今だとするなら、何とも難儀な話だな。
今回は自身関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
パソコンやスマホ(フォ)にあるメモ帳に、質問や回答を下書きしているね。
他にも候補はあるが、お節介な機能がほとんど排除されている方が個人的にはありがたいな。
いざここで本文を乗せる際もイメージから離れすぎていなくて都合がいい。
思いついたらメモ帳に列挙して、途中で何らかの表現を思いついたら追加したり、逆に削ぎ落としたり。
そうやって、ある程度の回答がいくつかできたら、適当にテーマを決めてコピー&ペースト、投稿という流れだ。
もちろん、投稿前に全文を確認して、その上で何か思いついたら付け加えたり、削ぎ落とすことも多々あるね。
このシリーズは私の価値観を表明する場というより、如何にそれっぽいことを書けるかがテーマなんだ。
実際、しばらく前の回答を読み返したら、自分でもよく分からないことを書いているケースも多々あったし。
タイトルの「FAQ」をクリックすれば、私の過去のシリーズは簡単に見つかるが、あまりオススメはできない。
その二元論で語ること自体がナンセンスだと思うが、それでも答えるなら私は凡人だろう。
なぜなら、私は私以外の才能を正しく知覚できる能力がない。
ピカソの絵を初めて見たとき、私は当時「なんだこのラクガキは」と思った。
もちろん、ピカソがすごい人物であるということを知ってはいるが、「知っているだけ」なんだ。
他人の評価を介して知覚することは出来ても、私自身の価値観でもって正しく知覚できない。
だから凡人なんだ。
まあ、それで私としては何ら問題がないのだが。
何も評価をもっと上げろだとか、他のアニメよりこのアニメのほうが優れているだとか、そういうのを言いたいわけじゃないんだ。
「見たら○○の素晴らしさがわかる」だとか、「評価しない奴はゴミだ」とか、「これだからアニメ業界は……」とか、そういうのを言いたいんじゃない。
見たとしてもほとんどの人が全く気に入らないかもしれない。
というか、絶対ウケないだろう。
『放課後のプレアデス』は「何者でもない少女たち」がほんの少しだけ成長する、ただそれだけの作品だ。
ならば、視聴者も「何者でもない」子供たちであってほしいと思うのだ。
もう歳をとって何者かになってしまった大人の自分が見るよりも、彼らのほうが何かを得られるかもしれない。
このアニメは人の心に種を蒔く。
その種は芽を出すのか、花を咲かせるのか、わからないけど、心の中に何かを残す。
そういう作品だから、彼らがこの作品に出会える機会があってほしい。
id:iwashioyaji 経験的にはトラバでブクマを貰えると想定するのは効率が悪いと思う。あと、目的が構ってチャンなら2chの方に回ったほうが精神衛生上にもいいような気がする。世界は広い。
2chは7年くらい前に通った
SNSも色々回って、それなりにかまってもらってはいたのだが、
しかし、困難な道ほど私を熱くする
色々ブコメ有り難う
id:annuifok 増田なんてそんなもんだ。気にせず投稿すればいい。
構ってチャンよりお節介焼きなのな
休憩室では他の従業員も休んでいて、僕と同じように食事をしていたり、談笑していたりなど思い思いのことをしていた。
一際目立つのは、従業員たちの間でも特に人気のあるA崎さんと副店長が、二人で何か会話していることだろう。
「……ほんと大変です。もし理想の相手と出会えても、相手が私を選んでくれるかは別の話ですし」
「『選ぶ側』と『選ばれる側』、二つの側面を同時に考えないとアカンからなあ」
聞き耳を立てるつもりはないのだが、僕の近くで会話をしているものだから嫌でも内容は耳に入ってくる。
「なかなかいい人と出会えないんですよねー。そこまで選り好みしているつもりないんですけど」
A崎さんは現在、婚活をしているらしく、相手に求める条件やらで副店長に相談しているようだった。
この職場で既婚者は店長と副店長くらいなので、妥当な相談相手だろう。
「まあ『選ばれる側』でもある以上、条件が緩いからってそう簡単にはいかないやろ」
「それはそうなんですけど、別に『高学歴高収入』とか高望みしているってわけでもないのに、こんなに出会えないんだなあ、て」
「ふうん……ちなみにどんな感じの条件?」
「ザックリいうなら、私と同じくらいのスペックでいいんですよ。そこそこルックスよければ言うことなしなんですけど」
「ほ……ほぉ~」
「……あ! そういうのがどうでもいいと思えるような人格者なら、実のところスペックとか関係ないんです。ルックスとかが決め手になるわけじゃないんですよ、本当に」
「そ、そうですよね。『見た目で選ぶなんて酷い奴だ』みたいに思われたんじゃないかと焦っちゃいました」
「思わへんて。外見がどうとか中身がどうとか、判断基準に是非なんて求めへんから」
「とはいっても、『だけ』で選んだらさすがにアレですよねえ?」
「まあ悪いとかは別として、単純やとは思うな。その『だけ』に入る言葉が何であれ」
「やっぱり今の条件くらいが丁度いいんでしょうか」
「それはA崎さんが決めようや。未来のもろもろ考えるんやったら、納得のいかない相手と結婚したって後悔するのは目に見えとるで」
「うーん……あ、もうすぐ休憩終わりですね。そろそろ持ち場に戻りますね。相談ありがとうございました」
A崎さんは会釈をすると、早足で休憩室を出て行った。
副店長は、A崎さんの出て行った方角を見ながら、僕の近くにあるイスに腰掛けた。
「難儀やなあ……」
「え……ああ、何がですか?」
「いやね。アタシが結婚したきっかけは見合いなんやけど……相手は叔母ちゃんからの紹介で、まあお節介ってやつや」
「やから、結果的に感謝はしとるよ。でも、あの子はその『お節介』を、金を払ってまでして貰っているわけやろ?」
「なんかなあ。自由な恋愛や結婚が認められた社会になってきてんのに、結局はそういう需要もあるんやなって」
「そうなんか……しかし、A崎さん分かっとんのかなあ」
「?」
「『私と同じくらいのスペック』って、つまり学歴だとか収入だとか、他にも容姿だとか趣味だとか、諸々の相性を合算した条件やろ」
「健全ではあるけれど、A崎さんが思ってるほど緩い条件ちゃうで。各ハードルが高くなくても、数が増えれば難易度は上がっていくし」
「種目がハードル飛びじゃなくて、ハードル走になっているわけですか」
「高いハードルのほうが飛びにくいとは限らない、と?」
「『スペックなんてどうでもいいから、それでも一緒になりたい人』と比較しての話や。あれはあれで厳しい条件やと思わん?」
「そんなこと言い出したら、ほとんど『高望み』になりますよ。それに出会いは水物ですから。僕たちがA崎さんの首根っこを捕まえて、『だから結婚できないんだよ!』というのは違うと思いますし」
「確かになあ……というかワタシら、他人の話で盛り上がりすぎや」
「些か下世話でしたかね。昼休みももうすぐ終わりますし、僕も持ち場に戻ります」
僕はあのときの話は忘れており、機械的な祝福を皆と粛々と行っていた。
その日の昼休み、A崎さんは結婚相手のことを周りの従業員に色々語っていた。
遠巻きにそれを眺めていると、僕の近くにいた副店長が呟いた。
僕はその言葉で、数ヶ月前にあった話を思い出す。
副店長の言葉の調子に悪意はなく、何の気なしに言った様子だった。
僕は「いやいや~」と、苦笑いしながら月並みなことを返していた。
まあ、A崎さんは幸せそうに見えたし。めでたし、めでたし。だろう。
付き合う→同棲→お別れ(同棲解消)→友達となり、最近はまた良い関係になってきて、復縁したいな…と考えていたところに、
向こう(モテる)が他の方から猛アタックをされ、結果、付き合うことになったということで
私(モテない)とは完全なお別れとなりました。
そんな経験から気持ちの整理ということもあって、同棲しようとしている、しようと思っている皆さんへ、
お節介を語ってみようと思った次第です。
・同棲って意外となんとかなるよ
不安に思ってることは、愛情があればなんとかなっちゃうなあもんだなあと思いました。
炊事、掃除、洗濯、お金がない、大抵のことはなんとかなっちゃいます。
広い部屋なんか借りれなくても全然大丈夫です。
愛ってすごいです(すごかった)
同棲をはじめて少し経つとまるでもう結婚しているような感覚に陥いるんですよ。
同棲生活が長く続けば続くほど結婚を意識しつつも、踏み切れずにいました。
でも別れって突然やってきますよ。
そのタイミングがたぶんベストな結婚のタイミング(なはず)なのです。
・同棲を解消する時
想像してみてください。
引っ越し先をそれぞれ決める、今使ってる生活用品をどっちが持っていくか分ける、引っ越しまでの間の気まずい生活、
などなど悲しい(或いは怒りの)気持ちのまま、これらを二人で協力して進めなければいけません。
これはかなり大変です。
それと、引っ越し屋さんを見積もりに呼ぶのもちょっとだけ気まずいですよ。
だって、これとこれはこっちの家、これはあっちの家って説明しないといけませんからね。。。
・同棲を解消して。
圧倒的な孤独感に溢れていました。
二人で使っていた物が一人の生活空間にあるわけですから、ふとした時に悲しみが襲ってきます。
時間が解決してくれますが、ある程度時間が経つまではなるべく一人でゴハンを食べないように
新しい恋人がいるのが一番いいんでしょうね…。
いかがでしたでしょうか。アウトプットしてみて強く思ったのは、やっぱり結婚ってしたいと思った時に
するべきなんだなと言う事です。
もっと相手のことを見極めてから?同棲しようと思った時点でその方はきっと結婚に値する方ですよ。
経済的な自信がついてから?そんな保障なんて誰にもありません。保障もないのに待たせるなんて時間の無駄ですよ。
○○が不安?それが解消する保障はあるんですか?保障もないのに待たせるなんて時間の無(略
ずっと一緒にいたいならすぐに結婚しちゃいなさい。
はあ、ビール飲んで寝ょ...
いい年して彼氏が居ないというのが他人にばれると色々とお節介を焼かれるわけだけど、その中で言われる「ちょっといいなと思う人もいないの?」というのがよく分からなかった。
私は物心ついたときからデブで可愛い服とかお化粧とかも興味ない、でも人と馴染むのは割と得意でクラス替えのあともすぐに隣の席と話が出来るし、男性にそれをやっても惚れられないので男女関係なく友達として話せる、そういう感じのデブスキャラ。
だから普通に仲良い男性は何人もいて、友達だからもちろん好きだし、いい所も悪い所もあると思ってる。
でもそれを「ちょっといい人」に含めたら、よっぽど反りの合わない人以外全部対象になっちゃうじゃない? 何なら女性の友達も含んじゃうじゃない? きっとそういうことを聞かれてるんじゃないだろうから…私はまだ未経験だけど、「この人いい!」って思う瞬間があるものなのかな? 恋は突然に!って感じ? とか思ってた。
が、さっき急に脈絡なく気づいたんだけど、積極的に恋人を作ろうとしてる人って、きっと異性(同性愛者なら同姓)と会ったときはいつも「恋人としてどうか」っていう視点で見てるんだね!
チャンスをモノにできるのはチャンスを待ってる人だけ、みたいなことなんだ。ようやく分かったよ。遅ぇな!
自分としては今のところ特に彼氏も欲しくないので、その視点を持つのは欲しくなったらでいいやと思うけど(そのときはもう売れ残りで手遅れかもしれないけど)、言われたことの意味が分かってスッキリした。
ここまで変な奴が次から次へと押し寄せてくるのは、本人のせいでもあるんだろうけれど、それ以上に「こいつは適当に扱っても良い」という変なコンセンサスが出来上がり始めてる兆候だとしか思えない。
自衛のためにも青二才は、自分が臨まぬ話題を降ってくる奴に対しては会話せずにブロックしていく、で良いと思うぞ。
現在と未来の青二才こと三沢文也さんへ - 私は流行、あなたは世間
こうやってちょっと見知った程度で知ったような口調で自分語りを初めて、その経験を相手に押し付けようとするのって何なの。善意のつもりなの?余計なお世話。ちょっと検索すれば青二才が散々ネットの振る舞いのおかしさから自己愛性人格障害だの境界性人格障害だのなんだのと言われて苦しんで、そのあとナースの手引で専門医の診断を受けて発達障害および躁うつ病だという診断をうけたことくらいわかる。長々とした記事を書く暇があったらまずちゃんと調べろ。
そういう手間を惜しんでる時点で、誠意が感じられないんだよ。
@filmstar75 専門知識もなく人格障害呼ばわりする人は僕が躁うつ病という診断結果をもらう以前からいっぱいいましたが、それはあたってません。差別的にそういった見解を振りかざされることに大変迷惑しています。— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 ああ、有難うございます。エントリ読まれたのですね。非常に失礼な質問をしますので、お気に障ったならブロックして下さい。「あたってません」と断言される根拠はどこにおありですか? あと確かに「人格障害」という言葉は「差別的」な響きがするので、私自身実は使いたくないのです— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
これだけ不愉快な思いを率直に伝えてるのに迷惑だったらブロックしてくださいねと言いながらも話しかける図々しさがまず理解できない。
@tm2501 そうなんですね。私も実は境界性人格障害ではないかという疑いを抱いていて、医師や知人からは「いや発達障碍であってそのケはないよ」と言われたのですよ。ですが、自分は境界性人格障害だと考えた方が生きやすいのです。ひとつの尺度として、そんな視点も取り入れた方がいいかと……— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@tm2501 有難うございます。まあ、三沢さんがそれで生きていけるというのであればいいのですが(定型発達者であっても心の何処かは病んでいる、という極論も成り立ちますし)、私からしてみれば今の三沢さんはかなり苦しい立場に追い込まれているように思われたので、お節介を焼いたという……— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@filmstar75 多くフォロワーを抱え、人気のブログを運営するということはこうした窮地はつきものだと思ってます。もちろん、私自身の最近のマイナス思考・卑屈さが彼らに付け入る隙を与えたのは認めますが、基本的には「ネットにいれば、抱えうるトラブル」と言う認識です。— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
あまり言いたくないけど、僕が失言をしたというよりも、僕が書いたことに対して、自分と言うバイアスを掛けていいの悪いのと騒いでるだけの人が多すぎる。もしくは連綿と書き連ねたはずのものから1ツイートだけを抜き出して叩く流れがね— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 本物川氏は悪く無いといった口ぶりなら私はもう話すことはありません。いかがでしょうか?— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 では、今の私が聞けぬのは私が未熟ゆえと…そう仰りたいのでしょうか— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 @filmstar75 10;横から失礼します10;本人にも周囲にも多大な被害を与える典型的なBPDは少数派で、むしろ、診断上微妙なラインでマイルドなBPD的要素を持っている、というタイプの方が多いそうです10;いずれにしても、自覚出来るかが一番の予後改善因子だと思いますよ— Hilenn@充電期間 (@Hilenn) 2015, 6月 21
@Hilenn @filmstar75 傾向ぐらいならまだ認めないでもないですが、今回の場合、いきなり朝っぱらからネットで言及したのなんのと書いてきたと思ったら、ヤれお前は人格障害だ、ヤれ今の君にはわからない、ヤれ未来の君に語ってるですからね…怒らせる気でしてるとしか思えません— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 痛みなど客観視こともできないので、言い張るだけ無意味でしょうが自分の人生があきらめと敗戦処理だと感じるほどの相当な痛い目に遭ってますけどね…。それで「君は痛い目を見てないからわからない。未熟だ」とおっしゃるわけですから人に物を話す態度ではないでしょう— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
正しいか間違ってるかの問題じゃないと僕に説教がましく炎上してるさいに行ってきたのに、炎上した後にやってきた人がこれが正しいのだ。言い方はどうでもいいんだと言う態度でやってくることにいつもいつも「あ、この人僕と同じかそれ以上に自分が見えてないんだ」と感じる次第— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
私に言わせれば、資質も論理も言い回しも全部「お前が気に食わない」というためだけにやってる人をいっぱいみかける。だから、そういったものに対する信用がないし、そういったものに騙されて私の旗色次第で「アイツは抜けたやつだった」と後出しジャンケンしたりする人がいて信用ならない(実際いた— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 いや「痛い目を『全く』見てない」とは言いませんよ。三沢さんの生きづらさに関しては、私も繰り返しますが発達障碍者なので共感するところも大です。応援したいとも思ってますよ。ただ、今の三沢さんの生きづらさを客観視しラクになる中に「人格障害」という目指しを組み入れては、と— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@Hilenn @tm2501 ああ、有難うございます。そういうものなんですね。リプライが後手に回ってしまって申し訳ありません。私の場合マイルドなのかなあ……(あくまで「私の場合」)。ネットで本当に炎上を繰り返して来た痛い過去があるので、この年齢になってもその自覚は消えないですね— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@filmstar75 私の母はあなたのためと言いながら、発達障害の人間が最も嫌がることを25年間繰り返し、高校時代にはもうすでに抑うつ傾向にあって精神が壊れそうだった体験をし、そこから5年、地面を這うように生きてきましたが再び病みました。それが私の答えです— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 私は三十三歳という、人生をやり直すには遅過ぎる年齢で「発達障碍」だと自覚しました。今でも底辺を這いずり回っています。事情通なら三沢さんに向けて申し上げていることは全て「お前が言うな」で片づけられることなんだろうと思うんです。ですのでアドヴァンテージは全然ありません— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
医者がそういった記事を書いてる事をリンクを張った事について読まなかったのか…。この人にかぎらず、こういった書き込みが多いから「あんたら、本当にこっちが書いたものを読んでるのか?」感。 https://t.co/cNqfPA1Vx3— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
君みたいな反応をする奴がいるからこの記事は書いてから公開しようか1ヶ月ぐらい保留にしてたんだわ…。で、保留にしてた時に「1ヶ月のうちに治すだろ」と思って予約投稿設定にしてたら出たわけでして…あ、返事とかいらないからミュートにするわ https://t.co/8VzWIjjFzA— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
君のような人に悪口を書くことしかできぬような人格的なクズがネットの居心地を悪くしてるのに、クズに怯えろとクズの存在を正当化しないでいただきたい。まぁ、クズであることを貫いている点いかにもそれらしい発言だが https://t.co/6qOsIrhUwY— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
「凡人から優しさを取ったら何が残る」と述べたmebaeさんは優しい人だ。だって、僕と違って優しさが人から取り除けるプラスの何かだと考えてる。根本的にズレてる人が優しさだ、あなたのためだということの迷惑さにmebaeさんは触れてないからね。優しさなんて性質でしかないと思う人と違って— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
私は今回の体験でもっと積極的に人払いしないといけないと思ったから、ガンガン人払いしていく。話の取っ掛かりからして「これは駄目だ」と思えば、話すだけ話すけど聞かないし、私につきまとうしかない人についてはブロックかミュートにしていく。必要なことだ— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
「幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化」というホッテントリがあったが、
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/06/19/013111
これ「幼なじみ婚の増加」というのは、1%⇒2%になった程度で、いわば「統計誤差」。
むしろこのデータ(国立人口問題研データ)、幼なじみ婚の傾向より、はるかにいろいろ面白いことが読み取れるので、それをここで分析してみる。
★この調査で一番注目すべきは、「結婚のキッカケが職場」という割合が、1992年の35%をピークとして、どんどん低下傾向にあるということ。
直近2010年は29.3%にまで低下。
つまり、「職場で結婚相手を見つける」ことが、徐々に難しくなりつつある
私見だが、職場で「異性の社員に下手に声掛けすると、セクハラと疑われかねない」というコンプラ意識の普及が、職場交際を「委縮」させてしまっているのでは?
「職場結婚比率」は、1982⇒1987⇒1992は「増えている」ように見えるが、これは「見合い結婚」の中で、相当部分「職場を介した見合い婚」があったのでは?と思われる。
実質的な職場結婚の割合は、1982年頃の方が高かったのでは?
★次に注目すべきは、「友人の紹介」「兄弟姉妹を通じて」という比率がじわじわ増え、2005・2010年調査ではついに職場結婚を抜いて「第一位」に躍り出たこと。
たかが1%の変動でしかない幼馴染婚云々よりも、この事実が「この表から最初に読み取るべきこと」だろう。
少子化対策として「出会いの促進」「婚活の促進」みたいなことが言われているが、このデータを見る限り、
「友人とか、兄弟姉妹のネットワークを密にして、異性の紹介を得る」のが、結婚相手を見つける近道、ということがわかるが、
「友人兄弟姉妹紹介婚が増えていて、職場婚をも抜いている」という事実の方が、幼なじみ婚よりも圧倒的に重要で、もっと世間に周知されるべき
★「結婚相手を紹介した友人兄弟姉妹には、報奨金10万円を上げます」みたいな制度を自治体が創設した方が、圧倒的に婚活そして少子化対策の実効性がある、ということになる。
そういう目鱗な事実に気づかせてくれた、という意味で、「幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化」記事は有用だった
★三番目に注目すべきが「学校で」知り合った、という人の比率がじわじわ増えていること。
これがまさに「大学時代に、相手をゲットしなければ、マズイ」という、この作者ももう一つのエントリに繋がる話になる。
★あと、昔ながらの「見合い」と現代風の「婚活」の合計値の割合も、着実に減少している。
オーネットとかツヴァイは、まだまだ力不足ということが、データから読み取れる。
★「街中や旅先で、結婚相手と知り合った」比率は長期的には減少している。
これはつまり、「ナンパ」の類が、一時的な快楽目的なら兎も角、結婚相手獲得目的だと極めて効率が悪いことがわかる
★「その他・不詳」が2000年を境に有意に増えているようだ。
「ネットで知り合った」の類が、「その他・不詳」にカウントされている可能性があり、次回調査からは独立した項目にすることが求められる。
★「友人や兄弟姉妹からの紹介が、結婚ルートで最多を占める」というデータ、これって
「紹介してもらった相手といい加減な交際をして、ポイっと捨てたら、友人の顔に泥を塗る」という世間体もあるんだろうな。
あと、その紹介した友人が、「ねえねえ●●さんとの交際、うまく行ってるの?」と世話を焼いてしまうという「効果」もあるんだろうな。
★「友人や兄弟姉妹からの異性紹介は、結婚に結びつきやすい」というトリビアは、結婚願望で相手がいない全若者が知っておくべき知識。
そういう間柄で交際始めた場合、相手方も「友人等の顔に泥を塗れない」から、結果として浮気せずにキチンと付き合ってくれる。
自力で結婚相手を見つけるスキルのない人は、結婚相談所に行くよりも、
「そういう相手を紹介してくれそうな、お節介な友人」を、大学時代とかに作っておくことですな。持つべきは友。
★いわゆる結婚相談所とか、婚活サイトが、データの面では「うまく行ってない」のは、多分「話を断るハードルが低いから」だろうな。
見ず知らずの結婚あっせん人の顔に泥を塗っても、罪悪感はあまりない/友人知人ルートの交際が、「顔に泥を塗れない」が為に、結婚に結びつきやすいのと好対照
結婚相談所は、「相談する敷居の低さ」をウリにしているところが多いが、それって結果に結びつかない。
変な話、敷居が高い方が「結果」に結びつく。
今話題の「ライザップ」と同じ理屈。高額を払うから、敷居が高いから、「ダイエットしなきゃ」と思うようになり、結果になる。
楽天とかリクルートとか、ネット系の企業が、「敷居の低い、ネットの気軽な婚活」をウリにしているが、それって結局「結果に結びつきにくい」ことになりそう。
ある程度、敷居の高さを感じさせる、或は「斡旋人に、悪いなあ」と思わせるような婚活の仕組みの方が、トータルの成婚率は高くなると思う。
つまり、リアルな世話焼き人がいろいろお膳立てして、「顔をつぶすのは悪いなあ」と、自分が、それ以上に「相手が」感じることが重要