はてなキーワード: あやしいとは
うちの家族は全員日本生まれ日本育ちの日本人。祖父母も曽祖父母も日本人。ただ、どういうわけか父も母も妹も日本語が苦手っぽい。
父は耳から入った情報を脳で処理する過程で異物が混入する。「これはペンです」という文章は「これはペンです」以上の意味はないのに、「これはペンのようですが実はペンではなく箸なんですそれに気づかない貴方はバカですね」ぐらい会話が改変されちゃう。そして「バカにされた」「騙された」とキレている。
母も会話を謎解釈する。それに加えて主語を省いて話すくせがある。昔交通事故にあった母から電話がかかってきた時のことが忘れられない。「人を轢いちゃったから動揺してるの。どうしよ〜」と言うもんだからてっきり母が誰か轢いてしまったと思ったら轢かれたのは母だった。そして車の運転手が事故直後謝罪したのを「(こんなに動揺してしまい)申し訳ありません」と解釈したみたい。運転手は冷静に警察や救急車の手配をしてくれていた。
妹は単語で喋る。小さい子どもが喋るような2語文を中学生が使っている。妹の口から複雑な文章を聞いた覚えがない。というか「○○買って」ばかり言っている印象。
私の日本語もだいぶあやしい。特に助詞や接続詞が苦手で違和感のある文章をよく作り出している。この文おかしいと気づけるならマシで、誰かに指摘されないと気づけないミスが今までたくさんあった。多分この文章もあちこちやらかしていると思う。
それでも家族の中ではマシな方なのと、家族が言いたいことを察する能力はあったので家族の言いたいことを翻訳している。母が言いたいことに適宜主語を足して父に伝え、父がキレたらどんな脳内変換されたか察して「そんなこと誰も言ってないよ。父さんは馬鹿にされてないよ」と落ち着かせる。ここに妹が加わることもある。物心ついた時からこんな調子でやってきた。なので家族は会話が噛み合わなくなると「ちょっと通訳さーん」と私を呼びつける。私のことを皆便利に使うけれど、私の話を聞いてもらった覚えはない。通訳要請を無視すればよかったのだろうけれど、朝だろうと夜中だろうと大声で喚いているのに耐えられなかった。ご近所にも嫌味を言われるし。
家族間で会話が噛み合わないならまだいい方。市役所などで手続きする時なんかは地獄だ。職員さんの話を翻訳して家族に伝えていたら、「よかったらどうぞ」と市の通訳サービスの案内をもらってしまった。ヤングケアラー支援の一環で外国人の親の通訳をする子どもの代わりをしてくれるサービスだそうだ。「日本人の家庭でも使えますか」と聞いたらびっくりされ、遠回しに無理だと言われた。
通訳さんにほとほと疲れてしまったので家から出ることにした。本当は就職するタイミングで実家から出る予定だったけれどトラブルが相次いで1ヶ月近くずれてしまった。それでも明日、ついに通訳さんを引退する。
家族に引っ越し先どころか引っ越すことも教えていない。ちょっとずつ荷物は運び出していたけど気づいていなさそうなので、私には通訳以外期待されていなかったのだと改めて思い知らされてちょっと悲しかった。
楽器のうまいへたを決めるのはピッチ(=音程)とリズム(=タイミング)だ。
このふたつのうち、ピッチのほうは「素人でも何とかなる」か「素人ではどうにもならない」かのどちらかなので、今さら慌てて手を打つ必要はない。
なぜピッチが素人でも何とかなるかというと、ギターやベースやキーボードなどの軽音楽でポピュラーな楽器は、所定の位置を指で押さえれば基本的には正しいピッチで音が出るように設計されているからだ。
なぜピッチが素人ではどうにもならないかというと、歌や管楽器のように肉体の微調整で音程を正しく合わせる必要がある楽器は、大人になってからでは獲得がなかなか難しい「音感」というものが必要になるからだ。絶対音感(音を聴いたら音名がわかる、ラの声を出せと言われたら出せる能力)までは必要ないが、相対音感(お手本の音と自分の音が *正確に* 一致しているかを聞き分ける能力)はきちんと持っていないとうまい演奏にならない。
そこでリズムである。なぜ「まずリズムを鍛える」ことが重要か。
ひとつには、リズム感は音感に比べればはるかに獲得がたやすいこと(異論はあるかもしれない)。
このふたつを比べると、後者のほうがずっとまともな演奏に聞こえるからだ(あやしい程度にもよるが)。つまりかけた時間に対して得るものが大きい。ある程度うまく聞こえる演奏するにはリズムを鍛えるのが近道なのだ。
さまざまな練習法があるが、いずれも「正確なリズムを刻む何かと一緒に弾いてズレをなくす」ことを主眼にしている。
もっとも手軽にできるのは「メトロノームを聞きながら手拍子を叩く方法」だ。
メトロノームの音はなるべく鋭く短い音がいい。プッ、プッ、はだめ。ピッ、ピッ、のほうがマシ。余韻のないカ、カ、といった音が理想的。
一定のテンポで鳴る音に合わせて手を叩いて、手拍子かメトロノームの音のどちらかが消えてなくなればタイミングがピッタリ、両方聞こえていたらズレている。
本当にドンピシャでタイミングが揃うとどちらかの音(耳に届く音量が小さいほうだと思う)がかき消える。
← これはあやしいなあ。
例えば全国の方言のアクセントパターンの分布を見てみると、西日本も含めて全国的には東京式アクセントの方言が圧倒的に多くて、近畿地方の京阪式アクセントだけが方言の島のように存在している。これって昔の日本語は東京式アクセントであった所へ後から入って来た集団が近畿地方にもたらした言語の影響が残っていると見るのが自然なのでは?(日本書紀の世界だね)
さらに言うと、出雲や十津川はその京阪式アクセントの地域の中にさらに島のように残った非京阪式で東京式寄りのアクセントパターンの方言のようだから、京阪式アクセントに塗りつぶされずに残った昔の(原日本語の?)名残とも考えられる。両方とも東日本の方言みたいなアクセントでしょ。(ついでに言うと、この見方って伝承とも一致するし)
下のコメなんだけどほとんどデマで生み出された恐怖だとしたらトイレ管理者に責任はないだろ?
hate_flag いや、実際に異様なネジでもって恐怖を感じたんなら被害はあったんだよ。女性を怖がらせるような状況を作ってはいけない。
①不確かなネットで得た知識で女性がある店舗で雑に施工されたトイレのネジが盗撮カメラではないかと恐怖する
↓
②女性がトイレにあったあやしいということでネジの画像でツイッターに上げる
そのときのネジの画像は専門家が見ても判断できないような解像度
↓
③誰も事実を確認できず無責任なツイッタラーが盗撮カメラに違いないとか他にもこういうのは盗撮カメラに違いないと騒ぐ
↓
↓
↓
⑤トイレに入った④女性があいまいな知識でネジやそのほかの物品で恐怖する
以下ループ
このアホみたいなループを防ぐには盗撮カメラかどうか確かな知識を得て①を冷静に判断するか
知識がないにしてもネット上の知識ある人の力を借りるために②で検証可能な写真をネットに上げるか
③でツイッタラーが判断不能なあいまいな情報を軽率に議論するのは慎むという態度が必要だろ。
それでさ…↓
ivory105 「まともに取り合ってくれない」が積み重なった結果だから仕方ないんじゃないの。いじめだって訴えても揉み消しされるからマスコミだのSNSだので戦うのが主流になってしまったし
じゃねぇんだよ!ネットに流すにしても責任ある情報発信とネット上での議論しろって話なの!
ネットに流して告発成功した例だと実名とか録画や録音があったとか確からしさがあったケースが多いだろ。
iroha2_hohe すぐみんな忘れるが、不審な物を置いてる奴が一番悪いんだぞ?そんな奴がしょっちゅういるからいらん警戒しなきゃいかん訳で、勘違いした女性を叩いても何も解決しない。変態を社会から排除していかないと。
俺はあの人権侵害に繋がりかねない不確かな情報発信を勘違いで済ませていいとは思わない。
それと変態という言葉と排除を繋げるのは良くない。主流派から外れた存在である変態も尊重できるようでないと人権とはいえないし、
のび太があやしいサイトで拾ったものは、なんと無限に表示されるm9(^Д^)プギャーへのリンクだった!!
さっそくなんJに貼り付けると、のび太とドラえもんは、しずちゃんをさそってジャイアンを挑発し、m9(^Д^)プギャーを擦り回して遊んでいた。
ところが、そこでとてつもないことが判明する。このm9(^Д^)プギャーには、コンピューターを10年で破壊してしまうほどのおそろしい無限ループが備わっていたのである!!
しかし、のび太は不思議な警察ヒョウゴケンケイと出会い、ついその秘密を話してしまう。
それが原因で、やがてのび太たちはとんでもない事実と直面する。
なんとヒョウゴケンケイが、m9(^Д^)プギャーを中学生逮捕のための理由にしたてあげていたのだ。
まもなく中学生を捕獲するための侵略ロボット集団、鉄人兵団が地球にやってくるという。
少なくとも需要が発生していたため性犯罪を犯してまで盗撮ビデオを作成して供給して富を得ていたということは言えるので、一番最初のきっかけは研修生の内からあふれる欲望だったとしても
それを焚き付ける形で祭り上げ長期にわたり彼に性犯罪を犯させ被害者を増やした件に関して当事者意識を持てよ
とはいえ、そもそもそういう需要(欲望)があるのであればどうにかして発散させた方がいいのではないかという考えなのだが(=二次元ポルノを規制したら大変なことになるぞ、ということにしときたいという思惑がある)
供給が絶たれた盗撮ビデオファンが自分で盗撮をする可能性を危惧してるね
創作物が人に影響を及ぼして性犯罪等に走らせるというのはエビデンスがないし、簡単に結びつけるべきではないと思ってるが、盗撮ビデオは創作物と扱っていいのかどうかはあやしい
あやしいが、盗撮ビデオに影響されて自分もやろうと思った人は、いるのかもしれないしいないのかもしれない
そこはなんともわからないが、俺の感覚では新作の供給が絶たれて2,3年たった後第二第三の研修生が現れるんじゃないかという気がしてる
マクロで言うならそういう需要があることはもうどうしようもないから、技術革新でそういうニーズに合法的に答えられるようなものが出てくるのを期待するしかないな
今日ではじめて書き込み始めてからだいたい三カ月になる。毎日1から3つのエントリを書き続けた。
文章を書くのは苦じゃないから特に努力したこともなく達成できた。
むしろTwitter全盛期のいまだと長文書けないから伸び伸びと書けてたのしかったくらいだ。
それより書いたものにほぼまったく反応が無いのは寂しいかった。
いま40歳でガキのころにあやしいから始まって、2ちゃんねる、ふたばから爆サイまでいろいろな匿名サービスで書き込みしてきたけど
どこも集中して閲覧して書き込むと二、三か月あれば馴染んで適当な雑談ができるようにはなった。
あっても「うんちぶりぶり」とかそういうのばかりだ。
色々試行錯誤しながらやってきたけど全然分からない というが結論だ。
他の人のやりとりを見てると変わった決まり事やルールがあるように思えないから、普通に書いて反応がないのが謎でどうしようもない。
じゃあもう書き込むのをやめるか?というと書き込むだろうなと思う。
麻原彰晃がかつて90年代前半にテレビや雑誌に出演していたことを何かメディアへの批判みたいに使う人をそれなりに見るけど
結局、麻原彰晃自体をメディアに出してはいけない・いけなかった具体的理由って何なの?
「カルト教祖だから」というならその社会に受容されてるか否かを問わず宗教関係者全員メディアから追い出せって規模ならまだ分かるが「あそこだけはダメ」ってのはただの趣味じゃん
「麻原みたいなのをテレビに出して面白がっていたから〜」という良くある憤りのあとの接続が良くわからんのよ
麻原がテレビに出て「実は弁護士殺してました、すみません、自首します」なんて言うわけないんだし
なんなら87年の片岡鶴太郎の番組に出てた時点では(薬事法違反とかはあるが)大犯罪犯してなかったからセーフで、90年代の生ダラ出演はアウトみたいな線引きでもするのかね
社会的影響力なんて、(麻原の対談相手でもあった)ビートたけしはフライデー襲撃したがいくらでもテレビ出てるし、他の芸能人は言わずもがなじゃん(オウムもサンデー毎日やTBSと揉めてとけど)
結局「サリン撒いた連中が、自分の身近にいた」と言う恐怖や複雑さに耐えられなくて、なんかメディアとか受容の問題にしてるんじゃないの
「ある(発覚前の)犯罪者、宗教指導者がメディアに出ていました」から導き出されるのが、「テレビはなんかあやしいあやふやな奴を出すな!」「なんか、こう、時代の空気を反省しろ!」なのって、発想が貧困過ぎんか?