はてなキーワード: Pisaとは
子供の教育を理由に東京への転勤願いを出した同僚がいた、同僚は東京出身
統計上はさほど優位性はないぞ
一代上場企業の上位20社で創業社長の東京出身者は3人、15%
日本の富豪上位10人で相続を除くと東京出身は一人もいない、20位までで3人
ノーベル賞受賞者28人中、東京出身(高校)は利根川進1人だけ、3%
東大合格者の高校別で見ても東京は32%と全国平均と変わらない
戦後総理大臣の出身地、鳩山一郎、菅直人、そして岸田の三人が東京、6%
とはいえこれは出身地で世襲政治家は地盤を名目上の出生地にして東京で育てられた人も多い、
なにも我が子を大富豪、ノーベル賞、大臣を目指す必要はないがベンチマークにはなるだろう
東京に地盤のない人が子供のために東京に移り住む選択は悪手だろう
バカエリアを避ければ最善の選択なのだが、当然需要が高いのでお値段も高い
教育についてのみ。日本のかつての「定形詰め込み」教育は、熟練度の高い工場労働者の育成がベースになってる。一方、アメリカ式の教育は、意識の高い人々を生むが、結果としては天才と馬鹿を二分するエリート教育だ、という批判は確かにある。「ゆとり」教育もそれで、当時の中教審の委員は公然と「あれ(ゆとり教育)はエリート教育だ」と言い放っていた。(詳しくは「三浦朱門 エリート教育」とかでググって。)
教育に関する国際調査で話題のPISA調査が進めるのは後者の方の教育の定着度。今日のニュースで、最新のPISA調査の結果が紹介され、前回低迷していた日本の順位が大きく上がった、つまり、日本の教育もかなり後者に近くなってきた、と報道されていた。とはいえ、自己肯定感や自律性は、相変わらず全然上がっていないらしい。ひょっとしたら、日本は、PISA調査に対しても「傾向と対策」を重ねて「詰め込み」で突破しつつあるのかもしれない。面白い話である。
三つあります。一つ目は理工系を卒業した後の就職先や仕事内容のイメージが男性的であること。
二つ目は能力差別の問題です。日本の社会には、女性は数学ができないという間違った認識、いわゆる「数学ステレオタイプ」が強く存在しています。しかし、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査「PISA」によると、日本の15歳の数学の成績は男女ともにトップレベルです。数学の成績は性別によって決まる能力ではなく個人差であると考えられています。
三つ目は、数学ステレオタイプの背景にある社会的なジェンダー差別意識です。多くの人は、理系の勉強ができる人は頭がいい人、と受け止めているようです。一方で日本の社会には、優秀で論理的に議論する人は女性らしくないという古い社会風土があるようです。私たちの研究ではこうした効果が数学の男性イメージに結びついていることを明らかにしました。
私たちは進路を自由に選んだと思いがちですが、実はこうした社会風土によって、選べる選択肢が知らず知らずのうちに狭まっている面があるのです。理工系分野で学ぶ女性を増やすには、社会風土そのものを変える必要があります。
各国の知能指数は、Richard Lynn と Tatu Vanhanen (2002)、Heiner Rindermann (2007)、Khaleefa と Lynn (2008)、Ahmad、Khanum と Riaz (2008)、Lynn、Abdalla と Al-Shahomee によって実施された研究から取得されます。 (2008)、Lynn and Meisenberg (2010)、および 2000 年から 2015 年の PISA テスト。2019 年のアルスター社会調査研究所での Richard Lynn と David Becker による最近の研究 (PDF) もここに含まれています。 この中で、Lynn は以前の出版物のいくつかの値を修正しています。 これらの研究は、個々の国の特定の集団グループのみ、または少数の代表的ではない参照グループのみを考慮しているため、完全に議論の余地がないわけではありません.
ダメじゃん
https://www.worlddata.info/iq-by-country.php
The intelligence quotients by countries are taken from the studies conducted by Richard Lynn and Tatu Vanhanen (2002), Heiner Rindermann (2007), Khaleefa and Lynn (2008), Ahmad, Khanum and Riaz (2008), Lynn, Abdalla and Al-Shahomee (2008), Lynn and Meisenberg (2010), as well as the PISA tests from 2000 to 2015. The more recent study by Richard Lynn and David Becker (PDF) at the Ulster Institute for Social Research from 2019 was also included here. In this, Lynn corrects several values of his earlier publications. The studies are not entirely uncontroversial, as they consider only specific population groups in individual countries or only a few and thus unrepresentative reference groups.
出生率1.15、宮城の低さはなぜ 専門家3人に聞く \| 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
https://kahoku.news/articles/20220709khn000021.html
令和2年人口動態統計(確定数)の概況 - 宮城県公式ウェブサイト
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/hohusom/r2kakutei-.html
それで村井知事の肝いりでAIマッチングを搭載した結婚相談所サービスを始めたんだけどイマイチに見える
このご時世で積極的な情報提供はしていないし、2021/11-2022/6までで成婚12組って少なくない?
みやぎ結婚支援センター「みやマリ!」ご紹介動画 - YouTube
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※2021/9/30に開設して動画1本
みやぎ結婚支援センター「みや•マリ!」(@miyamari_miyagi) • Instagram写真と動画
https://www.instagram.com/miyamari_miyagi/
「みやマリ!」縁結び順調 意思固め、4組結婚へ 昨年開設の宮城県支援センター | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
https://kahoku.news/articles/20220228khn000009.html
みやマリ!のご成婚カップル4組様に知事からのお祝いコメントをいただきました♡ | お知らせ | みやぎ結婚支援センター みやマリ!
※2022/2時点での状況
“出生率ワースト2位”の県が婚活「AIマッチング」導入 登録者1800人と“右肩上がり” どんなシステムか体験取材! | tbcニュース│tbc東北放送 (1ページ)
https://note.com/frankfurtgermany/n/n44928c127713
15歳の学童を対象とした、3年ごとに繰り返されるPISA調査によると、2015年にはドイツでは平均16%の生徒が定期的に『いじめ』を受けていました。また、ドイツでは15歳の学童の約2%が身体的暴力を受けたことがあると、同調査は報告しています。
ドイツ全土の12歳から19歳までの若者1,200人を対象とした電話調査では、5人に1人が、デジタル情報や通信手段を介して、自分自身に関する誤った内容や攻撃的な内容が複数回流布されたことがあると回答しました。また、同調査によると、『いじめ』の影響をもっとも受けたのは、16~17歳でした。
11歳・13歳・15歳児の健康に関する調査では、調査対象となった11歳の男児の11%、女児の9%が「月に2~3回以上いじめられたことがある」と回答しました。15歳児では、割合は男子が6%、女子が8%でした。
国語辞典やブリタニカのような写真ではなく字が主体の百科事典の動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。
あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているような解説になっているようにみえます。
辞書の主な使い方の一つとして、文章に出てくる具象名詞がどういうものか分からないから引いてみることがありますが、この場合現物を見たことがないことも多いはずです。
ですから解説に写真を用いないならば実物と相違ない像がありありと浮かんでくるような文章で説明されていなければある意味本末転倒なのです。
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試みにあなたが知らない植物を何か一つ引いて、その説明を読んで図に描いてみてください。そしてネットの画像検索で比較してみてください。
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今はAIがありますからより科学的に辞書事典の記述の妥当性を検証できると思います。
写実的な絵を描くことに定評がある人達から同じ植物の絵を集めて、模範的な絵として学習させたら、同じような人たちからその植物をまだ知らない人たちを選出し、辞書の説明だけを頼りにその植物の絵を描かせます。
次のパターンとして、絵は全くの素人という人たちに実物を見せてその絵を描いてもらったら、既に学習させた模範的な絵との比較で、両パターンの近似度の平均をそれぞれ算出します。おそらく全くの素人が実物を見て描いたものの方がまだ高い近似度を持っていることでしょう。
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広く捉えればこれは国語教育の問題かもしれません。つまり国民全体において辞書等から正しいイメージが得られないというのが平均的な水準として示されるならば、それは個人によつ勉学の怠慢という自己責任ではなく、教育制度側の過失といえることになります。
PISAではごく単純な論理パズルのような説明文を読ませて正答を導かせるようなことを行ってきていますが、一度、文章からそれが示す物体やその配置に関する図を選択させる問題も出してみるべきだと思います。
数学には取って付きのマグカップとドーナッツを「同型」とみなすようなトポロジーという学問がありますが、そのような緩い制約の下ですら構造的に異なるような一群を選択肢としても、なお正解を選べない人がごまんと出てくる結果となるかもしれません。
そうだとすれば小説の情景描写もまたまともに機能していないかもしれません。自覚のないあきめくらが読者かもしれませんから。
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本をたくさん読めば読解力が身に付くという考えが横行しています。この根性論のような考えも問題です。
PISA等で国民の文章からイメージを自分の頭に形成する力の低下が判明したら、文章とそれが一般的に指し示す図の対応ということに焦点を当てた学習法をぜひ初等教育に取り入れるべきでしょう。
やみくもに本を読んでれば読解力が上がるというのは、読書に慣れるとか、知らない単語を発見することで知識を埋め合わせる機会が得られるということが考えられるのである意味で正しいですが、しかし言葉をイメージに還元する力の育むに際しては根本的に、原理的に無力だと思います。
我々の脳よりもはるかに高い処理能力を持つAIでさえも、一部の学習に際してはフィードバックという一定の手順を必要するのです。
我々が文章から正しいイメージを得るようになる過程についても同じことが言えると思います。
「そのイメージで合ってるよ」「そのイメージは間違ってるよ」と教えられることによるフィードバックがなければ、自分の読みが修正される機会がなく、何かを読んでもトポロジー的にすら間違ったイメージを展開していくようになるでしょう。
あるいはそれは教育されなかった「ヒト」としての自然な姿なのでしょうけども、それはそれとして。
話を戻せば、するべきことは、文と図との基礎的な対応表を作って、九九のように叩き込ませることです。
これは一見根性論めいているかもしれませんが、無計画な多読よりも遥かに効率的でしょう。
基礎的な表がクリアできたら、もう少し複雑な文や文章でも作成しておいた対応表へと移行していけばよく、方式としても構造化されていて明快です。
結局これは数学において基礎をおろそかにすれば応用問題で容易につまづくようなこと、たとえば掛け算ができなければ割り算はできないとか、微積分の原理が分かってないのでは微分方程式は解けないということと同じです。数学に取り組むのとある意味で同じ態度で国語の学習にも臨まれるべきだと思います。
具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係が三次元的に脳内に構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。
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小説は漫画とかと違ってイメージが押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物の容姿)」という文言が省略されているように思える。
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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説は想像することを楽しむものって手段と目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。
くだんの小説も建物の「構造」について図があるからといってイメージを押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから、文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。
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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく
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https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit
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そしてどうしてもこれだけは抜粋しときたい(5chのレスから)
文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?
なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」
みたいな変な部分が必ず出てくる
読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景の説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。
各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。
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前記の小説の施設を見学するシーンでも各区画を主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。
確かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下の関係で足取りが立体交差できるような文章だったか。
区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。
なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。
そもそも自然言語というものはねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係を表現するのに不向きなのかもしれない。
そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景の説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。
ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから。
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「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。
「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。
この話は作家自身の航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。
たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定な姿勢だから、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。
思い込みで文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるから、ちゃんと正確に書いてほしい。
正確に書けば書くほど想像の余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。
想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るとアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。
酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義のフレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態の概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。
俳句は小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像の余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。
むしろ想像の喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿の描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女のイメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説をカップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現そのものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ。
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必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。
しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。
不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。
作者は思い描いた風景を必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。
小説には攻略本もITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。
二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。
人工知能は与えられた文章をイメージに接地させずに意味を理解できるが、人間としてはイメージに還元できないことには文章を味わうことはできない。
もちろん読者側の能力の問題かもしれないからそこは見極めなければならない。
先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界に小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育を刷新するか、そういう判断の指針が得られる。
教育を刷新するというのは単に文章を多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。
単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。
基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。
たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章をイメージに還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。
https://www.keinet.ne.jp/magazine/guideline/backnumber/08/04/pisa.pdf
これ見てなるほどねって思った。
日本はPISAの2003年調査では参加41カ国中14位でした。8位から14位へと順位が下がったことと同時に、24点という低下幅が参加国・地域中最大だったことが衝撃を与えました。この最大の要因は、自由記述問題の無回答率の高さです。
(中略)
日本の高校生は自分の意見を述べたり、テキストの中の情報を抽出したり、記述する形式の自由記述式の出題に慣れていないために無回答率が高かったのです。
つまり教育内容に含まれていない以上、(日本教育における)学力や学習努力とは関係性が低く、むしろ「お気持ち表明」しやすいタイプのほうが、「無回答」にしないだけ得点が上がりやすい、って言われるとそりゃそうね、という感じ。
どうおもってるの?
そもそも海外の教育のほうが日本より進んでいるっていうのは一体どういう点で進んでいるって思っているんだろう?
OECDのPISAなんかでは日本は下がったのなんのと大騒ぎされているが、実際の順位はかなり上位だ。プロ野球から草野球までひっくるめた野球全体の、プロ野球リーグで順位がどうとか大騒ぎしている滑稽な感じがする。
そして日本の教育は遅れていると大騒ぎするんだが、日本のこういう人が大好きな北欧諸国なんかは別に対して勝っててもいない。2018年で言うと科学リテラシーは日本は2位、数学的リテラシーは5位、読解力は8位だ。
よく考えてみてほしいんだが、日本の教育が先進的かって言うとそうではないとも思う。未だにどこか軍隊臭がする。ただ、海外の教育が進んでいるっていう人たちは、そういう国々でどんどん貧富の差が広がっていることを受け入れる国民が量産されていることをどう思っているんだろう。
ニュージーランドなんかは貧富の差が広がりすぎてて、貧困層なんか最低賃金上げられたら収入が減る有様だ。この構図は少し考えりゃわかるが、貧困層にはもうどうしようもないとこまで貧富の差が広がってしまった。
確かに海外の教育は、たまにすごい人を排出するし、その頻度は日本よりも上かもしれない。そういう点では進んでいると言っていい。ただ、海外のそういうすごい人を排出する教育っていうのは、実は「上位数%ばかりに熱心でほかを切り捨てる教育」という側面もある。なので、ごく一部のスーパーマンと他のだめなほとんどの人たち、という状況を作っている教育とも言える。
更に言うと、そういうすごい人を排出する教育も富裕層に向けて行われており、貧困層向けの教育は読み書きそろばんができりゃそれでいいです程度のことしかできていない。
なので、全体的な平均値の底上げを狙う日本みたいな教育と、一部の人(大体富裕層だったりする)のために他の殆どを見捨てる西洋型の教育、きちんとフェアに見比べる必要がある。
宮城県が金を出して一般社団法人にやらせている婚活支援サービス PISA
http://seinenkaikan.or.jp/pisa/
良いのか悪いのか分からんが2018年に入って2019年は1回、2020年は今日まで2回紹介された
四捨五入してもう普通におっさんになったのでなんだかなと思った
書類作成時、年収の欄を手取りにされて500万円→390万円になってしまったが
昨年は750万円ほど稼いで手取りも550万円になったので書類を提出したら
電話が掛かってきて
「え、年収550万じゃなく750万ですよね」
「前の担当者が手取りで書かされましたので550万でしょ。なにか?」
「えーと、いえ、750万円にしておきます」
となった
でも3人目の方から断られたので年収の項目を確認をしたら修正されていなくてうーんとなる
好みじゃなくてもすべてお見合いすることとして提出しているが
今まで紹介された3人とも断られた
でも何なんだろうなこれ
自治体が金を出して一般社団法人にやらせている婚活サービスって
すべてこんなんじゃないのって思ってきた
まあ受付が電話のみで書類は現地作成って感じで時代錯誤まっしぐら
確認しただけで事務所には4人居て月々200万円程度の運営している感じに見えるので
あと2人紹介されるみたいだがどうせってなってきてるので
見合いに関するプロセスがかなりイケてないのでやっぱりタイトル通りになる
ここのシステムは事務所で記載した書類の複製と写真が郵送で送られてきて
お見合いするかしないかを付属用紙に書いて届いた書類も合わせて返送する
担当者に「到着後1週間ぐらいで返信してくだい」と言われているので
土日以外は基本家に居ないので休みの日にやってる郵便局まで行って速達で返送していた
返送後にすぐにお断りの封筒が届いていたので今回もそんなもんだろうと思っていた
女性にはそんなことを言ってないようで12月20日に送った両者の
お見合い書類は年始過ぎの1月8日頃届いたらしくたまたまお見合いしても良いことになったらしい
そこからお見合い成立させるために担当者は女性の予定だけど先行して聞いて
私に対していきなり「5日後に見合いが決まりした」と電話連絡してきた
今回もキャンセルだろと予定を入れていたので日程変更を申しでたら
「○をつけていたんだしもう決まりましたから」の一点張りでなんだかなと思った
とりあえず日程変更を申し出て了承させて電話を切ったが
電話が来たときに顔を思い出せない人だったので逆にやりたいと思ったら
相手に悪いと思っていたので
なんでこんなに適当な事業をやっていて宮城県自体は何も言わないのだろう
今になっても、その結果の封筒がまだ自宅に届いていない。
しかしある日、私はいつものように漢字の意味を調べるために、電子辞書を使って勉強し、ふと思いついたことがある。
「もし常用漢字や単語の意味を多く理解し、読み書きができ、漢字検定2級の合格通知が出たとしても…
果たして長文の読解能力も、本当に同時に身に付けているかどうか?」である…
実は半年以上前に出版された『AI vs. 教科書が読めない子供達』という有名な本を一回だけ読んだことがあるものの、
その時はあまり印象が薄く、「なんだ…漢字とか単語の意味を電子辞書を使って覚えれば、文章の理解ができるんじゃないの?」という軽い感想だけで終わってしまった。
ところが今になって、前に読んだその本の内容についてをよく思い出して考えると、
「それじゃあ…漢字の読み書きと長文の読解能力は、別なのか?」といった、少し難問で深い疑問も生まれた…
さすがに放っておくワケにはいかなかったので、自分で読解を使ったテストを実施してみました。
まず、書店で売られている中学校の国語の長文読解の問題集を購入し、やってみた結果について話します…
やはり、常用漢字の単語を多く覚えていたとしても、長文で書かれた物語や説明の意味を理解し、解いていく力は、結局あまり変わらなかったようです…
つまり何が言いたいかと言えば、「単語の意味の理解」と「文章の仕組みの理解」とはあまり比例しなかったということである。
そりゃそうですよね…。だいたい、コミュニケーション能力や文節の仕組みの理解力を高めない限り、「長文の読解力」は上がらないわな……
結果が出たところで、「よし、問題解決したわ!」と楽観的で終わるワケにいかないのです。
そう…もし文字や漢字の読み書きができても、読解力が低いままだと、何が起こると思いますか?
私は最近、壊れかけている古い携帯電話から、新しい携帯電話を買うために携帯ショッピングに行き、休憩室で待機した時のことです。
「なんでこんな請求書なんだ!?もっと安くしろといったはずだぁっ!おい店員さん!」
契約場から、いきなりクレーマーオジサンの怒鳴り声が聞こえたのです。
「前回、前より無駄のない便利なプランを変えて、安心修理プランも加えれば、料金が200円は発生しますと忠告をしたのですが…」と分かりやすく説明しているのに
「そんなの聞いてないわ!とにかくムダ金減らせよコノヤロー!」
と怒鳴り続ける…
クレーマーオジサン…携帯電話の契約書に書かれている説明の内容、どうやら理解していないようだと、私は感じました…。
本当に深刻です…
文章の内容の理解力が低ければ、こういった勘違いも起きてしまい、大問題になるのです。
2018年、PISAによる学習到達度調査が行われ、その中に「読解力」についての分野がある。
結果を見ると、日本の読解力はなんと…、読み書きのできない非識字者が約1600万人もいるアメリカより下だったのだ…。
「一体これはどういうこと?」「先進国のはずの日本が、なぜ読解力がこんなに低いの?」と、
反応ありがとう。
日本の小学生について性差と科目を結びつける圧力がどのぐらいあるのかは、コミュニティにも依存しそうでちょっと判らない。個人的には、特に上位層に関係しそうなコミュニティではあまり違いを強調する育て方はしていないように見える。少なくとも、中学高校以降で見られるような何らかの選別(理数コースとか)があるというシステムにはなっていないように思う。
また国際的に見ても初等教育時点での能力差はあり(小学校は見つけられなかったけど15歳の参考↓)、特に算数の上位層では男子の優位性が顕著になるという傾向はあるように見える。逆に国語は女子の能力が高いが、その差は下位層で顕著であり、上位層になるにつれて減少する。
参考:Gender Gaps in PISA Test Scores
(なお上記の資料では、母親から娘への社会的影響が重要という結論になっている)
あるいは、理由はともかく小学生でこれだけ顕著な差が現れているなら、対策をするならその段階以前から取り組むべきであり、大人の職能集団のレベルでなんとか辻褄を合わせろという圧力は不毛だと思う。
私はとある自治体の教育委員会で教育情報化の担当をしています。
GIGAスクールって何?って人は文科省のサイト見てください。
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_00001.htm
補正予算の締め切りまで残り一週間を切る中で、文科省からはまだ要綱も示されていません。こんなもん、間に合わないのではないかと、どこの自治体も強い危機感を持って、焦っています。
一方で、今回の事業が持つ意味やその先のことについては、ほぼ考えられていないのが現実です。
担当部署でこうなのだから、一般の人はもちろん学校現場でもまるで理解されていないことは容易に想像できます。
以前から教育情報化を積極的に推進する立場にある人たちは、大変盛り上がっていますが、地に足がついていないというか、勇み足になっているというか、前提が共有されていないのに難しいことを言い過ぎていて、その世界の外側との溝が深まっている気がします。
なので、当事者のひとりとして、一般の人や学校現場に伝えたいことをここに書いてみたいと思います。
まず、今回のGIGAスクール事業において注目されている一人一台端末ですが、騒ぐようなことじゃないと個人的には思ってます。
「何の役に立つのか」とか、「何に使うのか」とか、そういった面倒な議論になりがちですが、とても便利なものなんだから、「とりあえず役に立つに決まってるだろ」というのが本音です。
みんなスマホを一人一台持ってますよね?オフィスのパソコンが共用しかないとか無いですよね?
同じことです。
さらに、みんなが一人一台持ってるのが当たり前になったら、それを前提としたサービスがどんどん生まれてきます。
家庭に一台だとLINEはここまで普及していません。
一人一台だから変わることがあって、全国でインフラ整備されると学校向けのサービス設計が根本的に変わります。
今回の事業における国の狙いとしては、今後のためのインフラ整備という面が一番大きいと思われるので、現場が必要以上にどういう教育に使おうかと頭を抱える必要はありません。
どう使えば便利か、先生自身が楽になるか、効率的に授業できるか、現場レベルではそういう発想で十分です。難しく考えて逃げられるのがいちばん困ります。
従来の3クラスに1クラス分だと、どう使わせるべきか、こっちもかなり頭を悩ませてたんですが、一人一台だと気軽に使ってもらえばそれでいいので、ずいぶん楽です。
一斉授業からの脱却とか個別最適化された学習なんかは、仕組みを考える人の仕事です。
そのうちサービスが出揃って嫌でも巻き込まれるので、それを待ってりゃ良いです。
本当は各家庭で端末買って持ち込むBYODができれば良かったんですが、こういうサービスが出揃って常識が変わってからでないとそれは難しいから、順番としては今回のやり方が正しいのでしょう。
多分、あと5年もすれば世の中の常識が大きく変わっているはずで、それができなければ文科省の大失態だと言うしかないです。
導入の担当者として、一人一台になるにあたり現場にやって欲しいこと、考えて欲しいこと、気をつけて欲しいことというのは他にありまして、それは、授業以外の場面で、可能な限り子どもたちの自由に使わせてあげて欲しいということです。
OECDの学習到達度調査(PISA)で衝撃的な結果が出ました。
日本の子どもたちは加盟国中で一番チャットやゲームにICTを活用するのに、学習に使うのは最も少ないという結果です。
ゲーム&チャットは1位で学習は最下位…日本の15歳のICT活用の実態
https://www.google.co.jp/amp/s/s.resemom.jp/article/2020/01/09/54151.amp.html
これは間違いなく、学校教育が意図的にICT活用を避けてきた結果です。
プライベートだけで、誰から教えられるでもなく、何の導きもなくICT使ってたら、ゲームとLINEとYouTubeだけになるのは、当然のことでしょう。
遊び以外にICTを使う目的やヒントを与え、見守り、助言する役割を担う大人が必要です。
ゲームが好きなら、ただ消費するんじゃなくて自分で作る楽しみを教えてみるとか、YouTuberになりたいんならとりあえず動画作らせてみるとか、きっかけを作ってあげることはとても大切だと思います。
それを親に期待できない場合は、誰ができるんでしょうか。
また、インターネットは昔の子どもたちが生きてきた世界(学校や地域社会)とは違って、子どもを子ども扱いしてくれません。
ひとりの消費者として、賢い大人たちが用意する色んなサービスや商品と向き合わないといけないです。
そこで生きていく術を、大人の目が届いて、ある程度の安全が確保されている範囲内で学ばせることが必要です。
ヒントを与えて見守るというのは制限するより負担が大きいので、現場に嫌がられることは理解していますが、必要なことです。
個人的には、ICTを活用した授業研究より、はるかに大切だと思ってます。
なので、私はこれから一人一台端末を導入する際に、子どもたちに出来るだけ自由に触らせてあげて欲しいと、繰り返し現場にお願いし続けようと思ってます。
もし、これを同業者や学校現場の方が読まれたなら、今回整備される端末の用途を授業に限定して過度な制限をかけることはやめて欲しいと思います。
職員室のパソコンが一人一台になって悪くなったことなんて何一つないのと同じように、子どもたち一人一台端末で悪くなることなんてないです。
手書きの良さがとか言う人がいますが、パソコン入っても手書きは無くなりません。もちろん習字の授業も無くなりません。
冗談だと思いますが、目が悪くなると言う人もいます。視力に影響するほど授業に使ってもらえるなんて、考えられません。
単純に、今より少し便利になるだけで、そんな大袈裟に考える必要はありません。
教育を変革するような大きな話は、制度を考える人やサービスを提供する人の仕事です。
私たち現場に近い人間は、子どもたちが遊び以外に上手くICTを活用できるように、見守り、サポートすることを大切にしましょう。