はてなキーワード: 三浦朱門とは
教育についてのみ。日本のかつての「定形詰め込み」教育は、熟練度の高い工場労働者の育成がベースになってる。一方、アメリカ式の教育は、意識の高い人々を生むが、結果としては天才と馬鹿を二分するエリート教育だ、という批判は確かにある。「ゆとり」教育もそれで、当時の中教審の委員は公然と「あれ(ゆとり教育)はエリート教育だ」と言い放っていた。(詳しくは「三浦朱門 エリート教育」とかでググって。)
教育に関する国際調査で話題のPISA調査が進めるのは後者の方の教育の定着度。今日のニュースで、最新のPISA調査の結果が紹介され、前回低迷していた日本の順位が大きく上がった、つまり、日本の教育もかなり後者に近くなってきた、と報道されていた。とはいえ、自己肯定感や自律性は、相変わらず全然上がっていないらしい。ひょっとしたら、日本は、PISA調査に対しても「傾向と対策」を重ねて「詰め込み」で突破しつつあるのかもしれない。面白い話である。
中途半端に「日本には福祉があります」「生活保護という最後のセーフティネットがあります」っていう、社会からドロップアウトした人間が最低限度の暮らしを営めてしまうような福祉制度があるからこそ、人を殺して死刑になろうとする無敵の人や、なんの罪もない通行人を切りつけたりする奴が出てくるんでしょ。
だからこそ、日本はさらに格差社会化を推し進めるべきだと思うんだよね。理想はカースト制。
作家の三浦朱門が言ったように、「魚屋の息子が官僚になる」ような事態が起きるのは、国民にとって不幸をもたらすだけだと思う。だから貧民・中流・上級という区分に分けるくらいに格差社会化を進めればいい。むしろ、中途半端に貧困層に希望を抱かせるから、勝手に「裏切られた」っていう感情を持たれ、その狂った刃が罪のない人に向けられる。
これをなくすためには、徹底的に格差社会を推し進めて、そもそも貧民が育たないようにするしかない。金持ちが貧乏人を生産することはあるけど、貧乏人が金持ちを生産することは不可能なんだよ。だから、貧乏人がやがていなくなる、あるいは貧乏人から子供が生まれないようにするくらいに日本は格差社会を目指すべき。
中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と言った(この後、夫の三浦朱門(後の文化庁長官)が教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)。
すげえwwwwww
たった一人のキチガイが国力どんだけ低下させたんだwwwwww