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2024-09-15

弱者男性はいい加減、女性を捨てて幸せになろう。皆、不幸なんだよ

相対的剥奪問題を考えている。相対的剥奪とは、例えばこのようなものだ。専業主婦Aがママ友と一緒にランチに行ったとする。そこで、他のママ友から、夫の職業医者だとか、いつも家に居てくれるだとか、そういう話を聞かされる。オマケに、家事も手伝ってくれるのだという。専業主婦Aは今まで幸福だったが、それら全て持っていなかった。なぜ私の旦那年収が500万ちょっとしかないのだろう。家にはいないし、家事も手伝ってくれない。不幸である。これが相対的剥奪と、相対的不幸である。そして、ママ友とのランチとは比べ物にならないレベルでこれが日常的に発生している。SNSである

「人と比べない」のは極めて難しい。これを堂々と掲げている人の多くは、人と比べても大概は勝てる地位にいるが、一部には負けるぐらいで、「比べても仕方ないよな」となっている人である。そして、大概の人は人と比べる。それでも、昔は、上位20%ぐらいの人間は、このマウントゲームに勝てたし、もしくは、上位50%人間は争わずに済んだであろう。問題なのはインターネットにおいて、身近に人生の勝者が跋扈している現代である。この時点において、少なくとも99%は敗者である。もしくは、勝者がいない可能性すらある。レペゼン地球青汁社長HIKARUコムドット、幸福なのだろうか。幸福そうではあるが、実際の所は分からない。

この相対的剥奪によって何が起こるかを考えてみよう。まず、男は今まで以上に男性的魅力を求められる。なぜなら、インターネットを見れば、それを持つ男性が多くいるかであるSNS身長が180cmの男を見た。よって、男の身長は最低でも170cm以上。SNS年収が1億の男を見た。よって、年収は最低でも1000万は欲しい。あと、超絶イケメン自撮り上げてる男とFFフツメン(つまり、ほぼイケメン)でなければ却下学歴MARCH以上。これは昔からそうかもしれない。なんにせよ、

ここまで酷くはないかもしれない。もしくは、女性について書かないのはアンフェアかもしれない。女性容姿ハードルが上がっている。でも、上がったハードル適応して、皆可愛くなっている。当然、男性女性に求めるものは、性格容姿ぐらいなので、その二つは対応可能である男性対応不可能である。これが尋常でない少子化の一要因になっているのは、言うまでもない。

とはいえカップルが成立しない訳ではない。しかし、強者男性強者女性以外のカップルは、大抵メンヘラカップル化する。何を隠そう、私も、数年前までメンヘラカップルを営んでは、破綻して別れる事に定評があった。SNSで周りを見れば、メンヘラゴロゴロといて、皆で不幸を分かち合っている。弱者男性基本的発狂し、相対的剥奪の影響をあまり受けていない女性は、ごく一部のみメンヘラ化しているが、大半は幸せそうにチー牛を煽っている。

ここが分水嶺である。ここで、女性に憎しみを燃やすのは、自然現象ではあるのだが、正気を保っている弱者男性の多くは、この欲求抵抗し、自分幸せを探し求める道を選ぶ。これが正しい道である。なぜなら、ここからは推察だが、チー牛煽りをしている女性も、恐らく大して幸せではないからだ。そんな女性に憎しみを燃やすのは、不幸なもの同士で刺激しあっているに等しい。全部忘れて、他で幸せを作った方が良いに決まっている。結局のところ、最終的な解決策は仏教である。女に対する執着を捨てるのだ。その上で、空から女が降ってくるのを待とう。弱者男性はもう、自らの努力女性を手に入れるのを諦めるべきだ。それで、自らが幸せになったら、当然、幸せな人には人が寄ってくる。まずは幸せになるべきだ。女性なしで。男も勝手幸せになろう。

2024-09-14

昨今の一般職ボリュームゾーン早慶MARCH女子という話が流れてきたが、MARCHはともかく早慶出身一般職での就職希望者なんて今日存在するのか? 架空存在じゃないか

早慶文系24卒だがゆるふわ〜な働き方を求める同期の女は軒並みIT系企業就職先決めてたぞ

フルリモ出来てフレックス制で働けて基本東京勤務で転勤もなく、一次請け二次請けの会社ならそこそこの年収保証されてるから

実際そんな働き方が可能なのかは別として

学習院から日銀一般職就職した同級生の話は耳にしたことがあるので、いくら何でもニッコマMARCHボリューム層だろ

2024-09-11

普通の人が普通に働いてるドラマもっと増やしたほうがいいと思う

朝ドラでさえ「ステレオタイプな気狂い田舎者常識外れなことを大声で喋って失笑を誘うドラマ」「政治バリバリ法廷フェミズミドラマ」の二本立てになっていて味付けが濃すぎる。

こういう話をすると皆が口にするあの作品だって健啖家がやたら独り言を言いまくってはなんでもないメシを食ってはキメ顔で至るグルメドラマ」であり、普通の人の普通日常を描いているとはいい難い。

もっと普通の人が普通暮らしているだけの話をするべきだ。

普通中学生学校から帰ってきて親がいないのが分かると勉強もせずにオナニーに励んだり、普通高校生が「部活とか時間無駄だろ」と塾に通ってMARCHぐらいの学校に受かって「うーん。これぐらいの学歴なら将来は大丈夫かなあ?」と大して嬉しそうでもない感じだったり、普通サラリーマンが月の残業50時間上司に呼び出されては「まあ45時間制限とか言っても、俺の若い頃は100時間とか普通だったんだよなあ」と何が言いたいのか分からない説教を食らったり、普通ママ浮気相手マンションセックスしながら子供にバレない程度の時間で帰れるかを気にしてシャワーを浴びる時間を逆算したり、普通のパパがムラムラした日に風俗に行こうとしてから家族旅行の積立金について考えてから個室ビデオ店で妥協したり、普通のお祖父ちゃんが薬を飲んでも止まらない尿もれに苦しみ周りからクセークセー言われながら過ごしたり、普通のおばあちゃんが何気ない動きにさえ苦労することに対して老人ホームに行くべきかデイケアを頼むか悩んでいる自分をアルジャーノンに重ねたり、そういう超普通の人の普通ドラマを描こうとしない連中ばかりなのはなんでなのかな?

2024-09-05

手帳三級持ちの障害者雇用で働いている

わたしADHDで、障害者雇用正規職員としてなんとか勤務している。ちなみに仕事全然できない。給料もかなり低い。それでもなんとか生きていられるのは、わたしの親が日本有数の大企業勤めで給料が高く、持ち家が東京にあり、わたし自身MARCHのどこかの大学卒業していて、食うに困らない資格を持っており、優秀な友達がそれなりにいて、貯金資産が同世代よりも多くできていて、帰国子女というアドバンテージを持っているからだ。それでも、精神障害者というたった一つのディスアドバンテージは私を毎日どん底に陥れる。正直、これほどのアドバンテージを持っていても毎日死にたいと思ってしまうのだから、やはり精神障害者はよほど裕福な境遇にないと幸せにはなれないと思う。

わたしも、自分の恵まれてる要素のうちどれか一つでもかけていたら自殺していた。

2024-09-02

すまん、日本に「若い女」ってどこにいんの?

俺は20代後半だが、今まで一度も彼女ができたことがない。

自分で言うのも何だが、顔は悪くないと思う。

背も170台後半はあるし、太ってもいない。

だけど、今まで出会いという出会いがなかった。

自分なりに分析してみたのだが、それって「若い女」が周りにいなかったからなんじゃないか

俺は高校男子校だったし、大学文系ではあったが男女比7:3で、入っていたサークルも男ばかりだった。

職場もオバサンを除くと基本男しかいない。

これじゃあ出会えるわけがないよな。

俺は街中で逆ナンされたり、マチアプで入れ食いになるほどのイケメンでもなければ金もいか日常生活20代の女と出会う機会は現状、ほぼない。

まり、女日照りの環境じゃほとんどのスペックの男が彼女なんて作るのは無理なんだ。

じゃあどうすればいいかといえば、そりゃあ女の多い場所に行けばいいわけだが、ここで疑問が浮かぶ

「 『若い女』ってどこにいんの?」

大学の頃は文芸部に入っていたが、男女比は7:3くらいだった。

教育サークル茶道部はさすがに女が多かったが、女が多いのはそれくらいなもんで、あとは男ばかりだった。

俺の大学が女の数が少ないということもあるが、大半の大学は男の方が多いだろう。

試しに有名大学の男女比を調べてみたが、早稲田慶應も男の方が多いし、March青学立教以外は男の方が多い。

きょうび、大学進学率に男女差なんてないのに、おかしいよな。

共学であれば高校までは男女半々なのに、大学以降おかしなことになっている。

職場だって医療教育系などの一部職種以外はだいたい男ばかりだろう。


街を歩いていれば若い女結構いるが、今時ナンパなんて流行りじゃないし、やってもほとんどガン無視だ。

チアプも女の入れ食い状態で、ほとんどの男はかなりのコストをかけなければ出会えない。

要するに、若い女特定場所に偏在している上に、容姿コミュ力・金を持つ強者男性が女を総取りしているという社会構造存在するのだ。

現代日本においては、大半の男は普通に日常生活を送っているだけでは女と出会ことなんてできない。

世の中男女半々なのに、これは絶対おかしいと思う。

2024-08-31

原語より翻訳版のほうが表現が優れているパターンってあるの?

俺もあんま思いつかないんだよね。

とある中国産ゲームに「三月なのか」って名前キャラが出てくるんだけど、言質の言葉だと「三月七日」で英語だと「March 7th」なんよ。

ぶっちゃけこの3つの中でまともに名前として成立してるのって「三月なのか」だけだと思うんだよな。

「なのか」はパっと見だと「菜乃花」の平仮名表記っぽくも見えるし、三月って名字も超珍しいけど実在しないわけじゃない。

からこれを見ていきなり「3月7日」という意味を見出すことはあんまないと思うし、そのおかげでその意味にふと気付いたときインパクト生まれる。

そんでさ、三月七日はともかくとして「March 7th」はもう完全に人の名前じゃないだろ?

なんかの登録番号かなんかにさえ見えてきて、アンドロイドかなんかじゃないのかっていうミスリードになってしまっている。

じゃあ母国語三月七日はどうかといえば、これは見た瞬間に日付だと分かってしまう。

日付を名前にしているって情報が前に出すぎていて、日本語版のような一見した自然さがない。

まり翻訳チームの努力っていうか言葉と設定の相性のお陰で「三月なのか」という人名に関してだけ言えば日本語版本家版を超えてしまっていると俺は思うんだよな。

こういうのって他にあるのかなあ。

翻訳小説の名手が完璧かました名翻訳言語で読んだら言葉が下手くそすぎたってパターンとかは割とあるのか?

翻訳が凄かった小説といえばアルジャーノンに花束をが思い浮かぶけど、アレを原語で読むのは結構しんどそうだなあ。英語から頑張れば出来そうだけど。

2024-08-24

anond:20240824090318

どうぞ

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2024-08-19

成瀬潤という法政大学から中央ローのMARCH弁護士

会ったことあるんだが良い印象はないな。とにかく無愛想だし、岡野タケシとは面識あるんだろうか?アトム法律事務所弁護士さんです。あの態度で積極的に依頼したい人は少ないのではないか

2024-08-15

某9浪学歴インフルエンサー東大院に合格する方法

anond:20230401230947

元増田です。

早稲田9浪インフルエンサーの彼が東大院に合格する方法を1年間考えていました。

彼は、教育格差特に地域間教育格差研究をしたいそうですが、それだと受からないと思います

そんなことは他の研究者もやっていることです。

彼が大学院研究すべきテーマは、ずばり「大学受験浪人意味があるのかどうか?」です。

かに大学受験の結果だけを考えたら、浪人有効手段です。

現役時に早慶不合格明治合格した人が、1年間浪人したら、早慶合格することは十分にありえます

1浪だと就職にも響かないから、浪人することができるなら浪人するのもアリです。

しかし、その浪人は本当に人生にとって有益なのでしょうか?

たとえば、次のケース。

A君は、早慶不合格で現役で明治合格、進学しました。

B君は、現役時、早慶不合格明治合格でしたが、浪人し、1浪で、早慶合格しました。

学歴としてはB君の方が上ですが、では、ふたり卒業後の就職先・年収に違いはあるのでしょうか?

明治大学就活勝ち組は、早慶生の中央値を上回るでしょう。

MARCHレベルでは、上澄み層は過半の早慶生よりも就職先や年収で勝ちます

しかしたら、A君はそういう明治大学の上澄み層になるかもしれない。

B君は早慶では平均レベル就職先かもしれない。

卒業後の就職先・年収で、A君=B君となることは十分にあり得ます

そうなると、B君の浪人は実は意味がなかったかもしれない。

行動遺伝学では、歳を取るほど、遺伝(持って生まれ性質)の影響が強くなってくると考えます

世の中が平等であるほど、遺伝の影響が強くなる。

となると、浪人してワンランク上の大学に進学したとしても、卒業してしばらく経ったら、浪人しなかった場合ほとんど変わらない年収になるかもしれない。

あるいは、どういう人・条件なら、浪人した場合社会的地位年収が高くなるのか。

どういう人なら、浪人しても意味がないのか。

まだまだここら辺は分かっていません。(人それぞれと言える)。

からこそ、分析モデルを組み立てて、データを集めて、何らかの結果を出したなら、面白い

某9浪氏の知名度があれば、修士論文出版社から本として出版されることもあるでしょう。

上記研究をするのに、東大教育学の院がふさわしいかどうかは分かりません。

社会学とか経済学のほうがいいかもしれないし、東大にこだわる必要も無いです。

別に東大の院でなくても、研究成果を出して、大学教授になれたら、「勝ち」だと思いませんか?

ちなみに、社会学では「体育会系学生就活は有利かどうか」を調べて博士論文にしたものがあります

就職体育会系神話 大学スポーツ企業社会学』という本です。

この本の著者によると、体育会系学生就活で有利になるのは、「一流大学男子学生がチームスポーツをしていた場合」に限られる。

中堅以下の大学では体育会系就活で有利になることはない。

との結論でした。

こういうのも、言われれば、まあその通りだと納得しますが、実際に調べてみないと分かりません。

9浪さんも同じように「浪人人生の「勝ち」に結びつくのかどうか」調べて論文にしたらいいと思います

2024-08-14

35歳の女の子

35歳になった。

自分で言うのもなんだけど、わりかし容姿に恵まれて生まれて来て、トントンMARCH卒のJTC一般職入社して、順風満帆人生を送ってた。この間までは。

学生時代ビッチwと揶揄して蔑んでた友達は三児の母に。

転勤w残業かわいそwと思ってた総合職入社の同期は出世イケメンの後輩と結婚

スペック問題ないけど、エスコートが物足りずこっぴどく振った男は、良きパパに。

Fランドンマイwブラック企業ドンマイwと馬鹿にしてた友人はバリバリ出世

婚活必死で惨めwと、思ってた友人は幸せ結婚をした。

その間私は、何してたのだろう。35歳彼氏なし、データ入力雑用しかスキルがない不機嫌なおばさんになってしまった。

会社から促された昇進試験総合職試験資格取得も無視し続けた。今は誰も促してくれない。

お盆もみんな忙しそうで遊んでくれない。父母は弟家族と出かけてしまった。私に声かけもせずに。

私も出世したいし、結婚したい。

けれど何をしたらいいかからない。

急に特別スキル発見されて、出世したいし、王子様が現れて幸せになりたい。

自称弱者男性同士の「ガチ弱者男性なのか?」を決める配信意味不明だった

とある弱者男性が、炎上していた。

彼女バレや、フォロワーとのキメセク、あるいは100万以上する嗜好品が写った写真が原因だった。

炎上した男性精神疾患職歴無しだと必死反論したが、職歴がかなりあることやMARCH卒などがバレて、さら炎上した。

その鎮火のために、アンチ口論する配信が開かれた。

  

アンチからは「弱者男性で本当に困ってる人たちがいるのに、弱者をいつわってもらうと困る、本当に困ってる人たちに失礼だ」というのがおおよその意見だった。

炎上していた某弱者男性は、最初は「フォロワー数少ない奴らが何言ってるの?w」という態度だったり、「だったらリアルタイマンして決めるか?」とかだった。

しかし、アンチもすごい奴らがそろい、精神障害がガン首並べて、40代フォロワー2万人程の奴らも出てきて、ガンガン弱者男性じゃないよと反論しまくっていた。

最後の方は、炎上弱者男性も、「俺、弱者男性じゃないじゃん」という認識になってきた。

  

ここで、事件が起こった。

なんと、炎上した某弱者男性彼女というアカウント配信に乗り込んできた。

彼女さんは、一年以上、ネット交流しているらしく、一度も会ったことないが彼女らしい。20歳くらいらしい。

彼女さんは、「弱者を名乗って前向きな努力をしないのはよくない、ここにいる弱者男性たちも、弱者男性ステータスにしてるんじゃなく、前向きな努力すべきだ」と。

彼女さんによると、フォロワーとキメセクというのは嘘だとのこと、脱法麻薬をやったのは事実らしいが、面白くするために炎上弱者男性が嘘をついていたとのことだった。

  

なんと、その配信にいた弱者男性の態度が、いきなり軟化した。

俺はびっくりした。

おいおい、君ら弱者男性ステータスにしてたんじゃないのか?彼女かいたら弱者じゃないとか言ってなかったか???しかも、彼女さん、なんか、元々は炎上弱者男性ファンだった的な、ファン食いじゃねーか???それ一番ダメだろ!!!

なんか、そのまま、チン騎士ノリで、炎上弱者男性くんこれからは気をつけようね〜でその配信は終わった。

  

正直、自分は聞いてて、イライラした。

自分は、彼女いない歴=年齢の弱者男性なので、やっぱり彼女がいたり、フォロワーとキメセクしまくってるみたいなのはなんか引っかかっていた。

女が出てきても、絶対にこの思考は変わらないのだけど。

なんか、他の弱者男性は、いきなりチン騎士みたいな感じになって、炎上弱者男性くんにも丁寧な言葉をかけ出した。

違うだろおおおおおおお!!!???

喪男板なら絶対そんな態度許されないぞ???

なんやねんこいつらあああ!!!

女叩きしろやあああああ!!!

ってなった。

今思い出しても、MARCH出た自分や友人が時給900円のコンビニバイトダスキンブラック飛び込み営業契約社員栃木パチ屋就職してた氷河期時代って頭おかし過ぎたなって気持ちしかない

さすがに今MARCHどころか大東亜帝国以下でもこんなレベルの所に就職するやつおらんだろ

2024-07-30

ソシャゲ運営をしていた時の思い出 1/2


前の会社を辞めて、今月でちょうど十年になる。いい機会だから振り返ってみたい。若かりし日のことを。

この振り返りの日記が、ソーシャルゲーム業界や、ゲーム開発者への理解を深めるきっかけになれば幸いだ。

大学を出て、新卒で入ったのがその会社(以下D社とする)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中で一番ノッてくる時期だった。

出身大学は、準MARCH的な目立たないところである。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。

リクルート仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドア自分にはちょっとメーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。そして、残ったのがゲームエンタメIT世界だった。

在学中にD社のサービス体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらお互いにwinwin」だと思っていた。

それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。自分の魅力をアピールできたと思う。

私は採用パンフレットに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。



ソーシャルゲームを開発する部署への配属だった。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事委託先がやってくれる。主には企画開発がメインだった。

ソーシャルゲーム、という言葉はまだ一般的じゃなかった。言われ始めた頃だったかな。いろんな会社DeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと、雨後の筍のように湧いていた。

新入社員の頃は、どうだったかな? 研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそうだ。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプル研修だった。

配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、職場や協力会社見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを言っていた。レベルは低かったと思う。

デバッグはよくやった。専用の画面でゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。すると、エンジニアの人がババッとコードが入った画面を開いて、適宜修正検討する。当然私にはできなかった。今ならコードを読むことはできる。

Q&Aの仕事もやらされた。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。「やらされた」というと受け身だけど、本来はほかの部署仕事だった。社内アルバイトのようなものベンチャーなので、そのあたりの垣根は低い。

文章を作る力は、わりかし評価されていた。中学生高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくることがあったけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど……チームリーダーに褒めてもらえた。

意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな? と思っていたら、40代ほどのおじさんおばさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、どう考えても子どもが名付けそうな名前(卍侍候extreme卍 みたいな...「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分世界が狭くて気付かなかった。こういう体験は今でも大事にしてる。

社会一年目は、ひたすら下働きをして学びを深めていった。年度の最後の方では、担当ゲームひとつ持たせてもらえた。開発チームの末端だったけど嬉しかった。



二年目は……といっても、二年目で当日記(に書く内容)は終わりだ。一言いっておきたい。

すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかったし、おそらく消費者庁に提出する反省文の原案を作らないといけなかったし、ほかのチームメンバーも死にそうな顔だったし、毎日とんでもない量の苦情の電話メールがあって辛かった。

電車通勤してたんだけど、夜に電車ホームに入ってくるのを見ると、「飛び込んでみようかな」と思ったりした。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、とも思った。

その年の4月時点で、所属チームが開発していたのは地味なゲームだった。

ほかの同業他社が出してるソシャゲは、日の目が当たるキャラ性の主体がメインでゲーム世界を形作っていた(海賊とかドラゴンとか)。対してこちらは、ドリルで地面に穴を掘り続けるゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた。

私の仕事ルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である一般社会でいうと、道路管理するための特殊車両がウインウインウイン……と低速で走っていて、アスファルト舗装の亀裂を見つけてると思う。ああいう地味な仕事だ。

みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じていないか点検したり、ユーザーから質問に答えたりする。

その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了のようだった。老舗タイトルだったからか、名前だけは残された。

私は、ガワだけを変えたそのソシャゲカードゲーム(以下、『幣タイトル』とする。今のゲームに例えると、「グランブルーファンタジー」や「Fate/Grand Order」をもっとシンプルにした感じ~)のチームへと異動になった。

多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲーム10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。

穴掘りゲームと比べたら射幸性が高い。みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンも進んでくれたし、回復アイテムを買ってくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。

ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。業務量はものすごかったけど、あの頃は楽しかった。社会の役に立っている実感があった。ただ若かっただけかもしれないけど。

秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世間に知られるゲームになっていた。自分リリースからちょっとの間だけどプレイしていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さがいい。

ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定カードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。

ちょっとだけ確率の話をする。例えば、10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする。最初の1枚目のカードの入手確率50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%だった。プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。

電子上のガチャというのは、コンビニくじ引きとは違って箱の中味が無限だ。この場合ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)がある場合だと、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上のガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。

※箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性もある。電子上のガチャハイリスクハイリターンということだ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグなので。

実際のコンプガチャでは、一番難しい入手率2~3%のカードを引けた時には、ほかのカードも揃っている可能性が高いためだろうか~~期待値は約10~15万円ほどで推移していた。

コンプガチャというのは、「影響力の武器」などの名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。とにかく、まず最初にやってもらうということだ。

この仕組みを考えたのが誰かは知らない。「自分が考えました」と主張する人間が、当時の開発チームのリーダーや、他部署の先輩・上司役員クラスまで含めて、少なくとも5名はいた。誰が最初の考案者かは本当にわからない。

あの頃は、「うちの会社は儲かってる。CMもこんなにやってる。やった、すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。今では思う。当時の自分達がやっていたのは、暗号資産投資本質は一緒だった。

まり、純然たる賭博(ギャンブル)であるものを別の何かで覆い隠している。ビットコイン場合は『未来技術』であり、幣タイトル場合は『ソーシャルカードゲーム』になる。

会社飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は新興ゲーム業界リーディングカンパニーであり、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……といった未来を、和風洋風エスニック、いろんなお店がある都内エリア飲み屋で深夜まで語り明かしていた。

__________________

文字数が入りきらないので一旦切ります

残りは推敲して明日の同じくらいの時間投稿

同じくらいの文字数です。

後半

https://anond.hatelabo.jp/20240731192822

2024-07-26

anond:20240725200007

ほぼ同年代っぽいな

自衛隊の倍率エグくて曹候補MARCHや院卒当たり前に何人もいたからな

2024-07-24

歴史改竄でどうこうはアサクリより前からやっている。坂上田村麻呂黒人に始まり、ネトフリでYASUKEアニメ化の時も SHOGUN の時も増田でやってたでしょ

ま~た日本語すら検索すら検索しない人による謎の主張が出ているので、コピペしとくね

 

Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? - Quora

https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African

一例:

 

7mo

The original answer and your comment are both wrong. It is very easy to prove Yasuke was a samurai, you just have to check a Japanese dictionary. I searched for 侍・士 (samurai) on the Japanese online encyclopedia コトバンク (Kotobank), which produced a result from 精選版 日本国語大辞典 (Carefully Selected Edition of the Nihon Kokugo Daijiten, aka Shogakukan’s Japanese Dictionary). I’ll post the link at the bottom, but here is the relevant section in Japanese and my translation in English.

 

(3)鎌倉幕府では、侍は僕従を有し、騎上の資格ある武士で、郎従等の凡下と厳重に区別する身分規定が行なわれた。しかし、鎌倉中期以降、その範囲が次第に拡大、戦国時代以降は、諸国大名の家臣をも広く侍と称するようになり、武士一般の称として用いられるようになる。

 

(3) In the Kamakura Shogunate (1185 - 1333 AD), samurai were professional warriors who had servants and were qualified to ride on horseback, and their status was strictly differentiated from ordinary subordinates such as roju. However, from the middle of the Kamakura Shogunate onwards, its scope gradually expanded, and from the Sengoku Period (1467 - 1615 AD) onwards, vassals of feudal lords in various provinces came to be widely referred to as samurai, and it came to be used as a general term for professional warriors.

 

Now we have to ask three questions to see whether Yasuke met this definition:

 

Q: When did Yasuke work for the feudal lord Oda Nobunaga?

 

A: From April 1581 to June 1582. We know this from multiple eyewitness accounts, which I also mention below.

 

Q: Was Yasuke a vassal of Oda Nobunaga?

 

A: Yes, as evidenced by the fact that he was given a stipend, a house, and a job as spear-bearer (a type of bodyguard for the leader of a samurai family). He was also given a short sword called a koshigatana, which was worn as a status symbol and weapon for self-defense at all times by high status samurai. This we know from the Chronicle of Lord Nobunaga, written by Oda Nobunaga’s vassal Ota Gyuichi.

 

Q: Was Yasuke a warrior fighting for Oda Nobunaga?

 

A: Yes, as evidenced by the fact that he fought in three important conflicts. One, Yasuke fought in the Second Tensho Iga War in September 1581. This we can infer because the Jesuits said Oda Nobunaga took Yasuke everywhere with him and he led his own troops into this war. Two, Yasuke fought in the Koshu Conquest from February to March 1582. This we know from the Diary of Ietada, written by Matsudaira Ietada, a vassal of Tokugawa Ieyasu, who was himself a vassal of Oda Nobunaga. Three, Yasuke fought in the Honno-ji Incident of June 1582, in which he tried but failed to save the lives of both Oda Nobunaga and his son Oda Nobutada until Yasuke was the last Oda man standing and surrendered to the traitor Akechi Mitsuhide, who spared his life and returned him to the Jesuits. This we know from letters written by the Jesuits, who were glad to have Yasuke back. According to the Oda family today, Nobunaga’s final order was for Yasuke to help him commit seppuku (ritual suicide by stomach cutting) by decapitating him and bring his head to a courier that returned it to the Oda family, so it could not be used as evidence of victory by Akechi Mitsuhide.

 

So there you have it. Yasuke was a vassal and a warrior for the most powerful feudal lord in all of Japan, during the Sengoku Period. He even assisted his lord’s suicide, a role strictly reserved for samurai. Therefore, he was a samurai. Below is a link to the definition of samurai on Kotobank.

 

 

この界隈で定番日本ことわざは、

"For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood "

(侍が勇敢であるためには、少しの黒人の血を持っていなければならない)

日本人ならそんなことわざないこと誰でも知ってると思うんですけど、当然アサクリ関係ないサイトで見ることになる

 

Where Are The Black People in 'Shogun'? | LEVEL

https://www.levelman.com/where-black-people-fx-shogun/

 

リンク貼れないけど下記とか

"For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood" is an old Japanese proverb. What do they mean with that? : r/AskHistorians

 

 

ちな、悪気なさそうな教師向けサイト子ども向けサイトでも、YASUKEサイキョーは見ます

というか、そもそもUBIがインタビュー動画の中で日系人っぽいアジアンの監修スタッフに『YASUKEは日本で広く受け入れらている』とか言わせてます

 

参考になりましたか

anond:20240724030834

2024-07-09

anond:20240709211633

猿未満が課金してやっとこMARCHに入れてもらってるのやで

ガチャ外れの家はかわいそうやね

anond:20240709204451

そりゃMARCHなんて猿がさいころ投げても入れるから

学力関係ないんだから遺伝課金もいらんだろ

anond:20240709204451

ほんなら、あんさん、ほんまにすごいお人なんやなぁ。

両親高卒やのにMARCH余裕やなんて、きっと夜なべしてまで猛勉強したんやろなぁ。

塾なしでそこまで行けるんやからもしかして天才さんかも知れへんね。

ま、普通の人には無理やわなぁ。

でも、あんさんのような特別な方には関係ない話しやったんやろなぁ。ほんま、羨ましいわ。

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