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はてなキーワード: 90年代とは

2024-03-29

anond:20240329161838

「バトルがない」でくくるのも変かな……セカイ系をそれとイコールにするのも

まあ、俺の言い方がおかしいんだと思う。

なんていうか、捻った作品クリエイターに好まれた、ストレート作品が幼稚とみられた時期があった。90年代後半からしばらくの間。

anond:20240329153224

よしのり、なんだかんだいって団塊からな。

90年代価値観だと思うわ。

 

バトルが飽きただの、完全な悪も正義もないだの、そういう思想から多くの作品が作られて、一部はセカイ系などと呼ばれたりしてた。

現在は、そういうのエンタメ的につまらん、売れない、ということがバレたんでバトル漫画からとかエロを含むからとかで下に見るみたいな価値観は、だいたい払しょくされたと思う。面白ければ正義だし、露骨な刺激は面白さを作るのに役立つ。

 

てか、実際どこで言ってたかしらんけど、

そのバトル漫画見下し発言自体、だいぶ昔のやつじゃない? 今も同じこと言うかは怪しいぜ。

2024-03-28

anond:20240327125848

九州編集者になれなかった

 

問題なのは九州じゃない。環境のせいではなく自分能力

選択肢がなかった?自分がお勉強をさぼって都内大学に行けなかっただけ。

地域格差がある?20年前の2,000年代前半なら学習塾も増えていた。地方都市というレベルではあるが自分が住んでいた広島にも90年代ですらそれなりに塾はあった。

小5の時に夏季講習で通った塾の講師からは成績を見た後私立中受験していいんじゃないかとも言われたし教師から勉強について褒められ進学の話はあったが、増田はどうなんだ?

実のところ上澄みから見たら大したことがないレベル自分ですら教師からは光るものがあったら教師は進学を勧めてくる。

今は過疎地仕事をしているが、40年以上前中学校卒業も当たり前な地域性ながら優秀な子は都会の学校へ出させようと教師が親に頭を下げに来るなんてことはざらにあったそうだ。

昔の自分が周りを認めさせるくらい能力を磨けていれば説き伏せることはできるがそれをしなかったのは増田自身だ。

 

あと編集者という仕事についての解像度も足りていない。同人誌発行は大変な作業だが仕事としての出版業務からしたらお遊戯みたいなもの

たまたま求人覗いて募集面接あるから受けてみよで通るような業界ではない。

新卒ですら市内では1番頭がいいレベルの元神童がしのぎを削って入る枠で、中途採用にしたってそういう神童の中の勝者が応募するような枠。

そんな枠にお散歩気分で仕事に対する解像度が低い志望者が来たら困るだろうし、地方出身で血をにじむ努力をしたかと思われる採用担当からしたら増田言動侮辱しか見えないだろう。

増田立場からしたらレスバしなくてよかったよ。絶対完膚なきまでに叩き潰されていた。

 

九州編集者になれなかったんじゃない。

過去増田増田編集者にさせてくれなかったんだよ。

空白12職歴無し35歳Wワーカーワイ、ごつ盛り塩を手に着席

99円で売ってたごま高菜と99円で投げ売られてた桃屋唐辛子ソース玉子ぶっかけ食す

ごま油で濃厚に炒められた高菜の風味が唐辛子ソースで辛子高菜昇華され全てが噛み合って美味いッッッ

一瞬でペロリですわ

しか今日バイトアカンかったわ

有線が「タイムマシンに乗ってぇチクタク♪チクタク♪」みたいなクソしょうもない現代JPOPから90's~POPなっちまってさ

青いイナズマとかアジアの純真とか

R&B的な曲調に転向する前の安室ちゃん名曲が流れてきて「う~わ懐かしぃ!」ってバックヤード作業中に声に出しちまったしノッて首振っちまってたぜ

四つ打ちとかうんたんうんたん♪みたいな単純なリズムに弱いんだよな

パートの他の婦女子の方々にぜって~キモがられただろう

まあキモがられても全然OKなんだけどよ

ほんと森高千里とか止めてくれよマジで作業の手を止めちゃうじゃねえか

曲が変わると歌手が誰なのか楽しみで手を止めて聴いちゃうしよ

90年代の曲はメロディーリズムも掴み易すぎて身体自然と反応しちまってイカンですよ

いい曲が流れてくるとすげえ楽しいけど聴き入っちまって仕事にならずこりゃアカンなって思った次第

2024-03-25

90年代テレビの思い出

女子アナNG大賞」的な番組で、FNS系列だったか日テレ系列だったかの全国の女子アナを集めて、NGシーンを放映するって企画があった。ゴールデン2時間枠で。

で、漢字が読めなかったりだとか、カメラが回ってるのに気が付かなかったりだとか、普通NGシーンも流してたんだが、中継中に女子アナ強風に煽られてスカートめくられたり、転んでパンツが丸出しになったりシーンなんかも普通に放映してた。あまつさえVTR後に当事者女子アナコメント求めたりしてた。

いまだったら偶然そんなシーンが撮れたとしても速やかに削除するだろ。それを保管しておいて特番で放映して、本人にコメントさせるって。

あの時代平成だよ)、いったい何だったんだ。

女子アナも少々恥ずかしそうにしてたが、嫌そうな顔はしてなかった。控室では泣いてたのかな。

2024-03-24

anond:20240323200143

取り残されているという訳でもないのでは?実際無料で流れているものの7~8割は広告絡みだし。ステマ禁止といいながらクチコミ評価プロモーションを請け負う会社は沢山ある。Amazonの変なレビューは減らないし、Googleマップだって業者書き込みだらけだ。日本は没落しつつあり、80年代90年代の方が暮らしとしてはていねいで贅沢だった。情報文化も贅沢だった。いまは半裸巨乳女性女性キャラが氾濫する世界クリックされたら数円ゲット!貧しい世界だよね。

2024-03-22

anond:20240321150628

昔のBEVに対しての識者の見解は、車がコモディティ化するって話だった気がする。

90年代は、たしかこんなこと言ってた気がする。

エンジンと違って、モーターは電圧かければ速く回るって言う簡単な仕組みだから、もう電圧コントロールだけ。ギヤチェンジクラッチも要らない。

パーツはモーターとバッテリーとシャーシにボディだけ。

PC/AT互換機Windows覇権を握ったらパソコンメーカーが乱立したように、家電メーカーまで車を作れるようになる。

燃費でもBEVが圧勝する。

発電所は車みたいに加減速を繰り返さないから、同じ速度で燃やし続ければいいだけ。同じ石油からエネルギーを取り出すにしても、車の内燃機関にはよく精製された油しか使えない。送電ロスを考慮しても、圧勝する。

車の形も、車の動きも自由になる。

ガソリンタンクと違ってバッテリーはいろんな形にできる。モーターはエンジンより小型だし、電力を伝える配線さえできればいい。

それぞれのホイールの中にモーター入れちゃえば、それぞれタイヤが別々の動きが可能。その場で旋回だって簡単

自動運転との相性もいい。内燃機関自動運転なんて夢のまた夢だけど、シンプルなBEVなら実現の可能性がある。

んで、2010年代にそれまでアーリーアダプター向けの高級車しかさなかったテスラが、庶民も手が届く小型車を出して、いよいよBEVの時代か?

って雰囲気だった。

航続距離に多少の不便はあるにせよ、充電ステーションが各地に整備されればほとんど無視できるようになる。

ということをいろんな人が言ってたと思う。

anond:20240322000014

90年代前半の山奥の公立中学に通ったけど

1階の窓ガラスが夜のうちに全部割られるぐらいには酷かったな。

山奥なので他に中学選択肢などなかった。

anond:20240110183606

原作ではそんな描写がないのに、アニメ版だとヒロインコテコテの変身魔法少女に改変されてる(おもちゃ売るために) 」作品が源流にありそうな気もするなー

 

具体例ですぐ思いつくのが赤ずきんチャチャしかないけど

そういうケースが多かった90年代複数漫画で「もしアニメ化したらヒロイン魔法少女設定が生えんだぜw」ってギャグを見かけた

anond:20240322000014

2000年以降の中学校で荒れてたのって実は少ないんじゃない?

90年代以前が酷すぎるだけでさ

このツリーで挙がってるヤバいなってエピソードも大体90年代以前でしょ?

anond:20240322000014

90年代とかは地域によっては荒れてたと思う。

その頃中学生だった親世代がその印象引きずってあんなとこ入れたくないって言ってるだけだと思うよ。

今って全体的にいい子が多いと思うし、地域ごとに階層が分かれてきてるとと思うんだよね。

anond:20240322000014

世紀末中学生だったが、入学前は荒れてるって話で親の間で噂になったけど全然そうでもなかった

90年代半ばまでがヤバかったみたい

同じ公立でも時代土地柄による差がある

他の意見を見ると80年代は酷かったって話もあるから平成初期までの社会的要因が何かしらあるのでは?

時期的には団塊ジュニア卒業してから落ち着いたような気もするが。

anond:20240322000014

ワイは90年代初頭に中学生やったやで

不良グループみたいなんはあったけど中には小学校の時は普通に遊んでた奴もおったし

基本あんまり関わりもないからそんな怖い存在でもなかったな

たまに何やら教師とじゃれあっとるわくらいで激しい暴力沙汰みたいなんもなかったしな

陰キャよりやったけどまあ友達普通に遊んで楽しく暮らしてたやで

2024-03-21

えきねっとでは大阪-新潟のきっぷが買えない

北陸新幹線敦賀まで開業したので、西へ行こうと思いえきねっとできっぷを取ってみるの巻。

近所の新幹線からみどりの窓口が消え、えきねっとが頼みの綱。

早速、えきねっとアクセスしたで候。

検索条件に最寄り駅と大阪入力さらに経由駅に富山指定した。

7時台に出る特急しらゆきを皮切りに大阪までのきっぷを所望した。検索すると「ご指定の経路ではお申込みできません(07)」との表示。3/16のダイヤ改正で乗り継ぎ割引もなくなったので、乗車券特急券を別に買えないかと思い、画面をくまなく探すと90年代個人サイトのように追加の検索条件ボタンが隠されていたので、「乗車券のみ」にチェックを入れ、検索。結局エラーで買えなかった。ゆるキャラが画面の右下でふわふわしていたので、長めのエラーコードを入れてみたところ、毒にも薬にもならないFAQが表示された。エラーコードチャットボット認識するのかと変なところに力が入っているなと関心。AIの代わりに必死Excelのワークシートに質問集を入力した人がいたんだなと一瞬裏側が見えた気がした。一番近いFAQ選択すると「問題解決されましたか」と人口無能にも劣るチャットボットがのたまうので、解決されないを選んだところ有人チャットへのご招待ボタンが表示された。勇んでクリックしてみると混んでいてつながらないとか表示された。10回くらいエラーコード入力してAIチャットボット学習に貢献したみたが、埒が明かない。チャットボットに「みどりの窓口国鉄のおじちゃん手書きで発券できたきっぷをえきねっとは何で発券できないの?」と打ち込んでみたら、「禁止ワード!」とか表示されて、急にチャット人間に切り替わり、「ご用件を伺います」と表示された。人間に切り替わったことよりもえきねっとチャットボットの機嫌を損ねた禁止ワードが何なのか気になってしかたない。そのことは水に流して、「在来線特急北陸新幹線を使った新潟-大阪富山経由の乗車券が買えないのですが」と質問してみた。「少々お待ちください」と言ったきり5分が経過、「お待たせして申し訳ございません。」と返事があったので、「よろしく頼みます」と書き込んでさらに待ってみた。チャット入力欄がもぞもぞしているので、回答を考えてくれているのかと思ってさら10分待ってみた。「乗り換え駅をすべて教えてください」と言われたので、「新潟-上越妙高-富山-敦賀-大阪」と即座に返した。加えて「この時間はくたか敦賀までいかないので、富山つるぎに乗り換えたいです!」と打ち込んだ。上越妙高から西行きは新幹線効果台無しにする30分待ちとか1時間待ちが多発するクソダイヤなので、富山ではますのすしを買って観光を楽しむつもりなのだ敦賀ではヨーロッパ軒でかつ丼定食でも食べたいなどと目論んでいる。このような途中下車の旅を目論むと新幹線特急券が分割されてとても高額になってしまう罠が潜んでいる。さら10分経過したところで、「お客様大変申し訳ございません。乗り換え数が4を越えているのと3セク区間を経由するので、そのきっぷはえきねっとでは発券できません。」とドラマホテル」の赤川一平なみの謝罪を受けた。「最後にほかにお聞きしたいことはありませんか。」とチャット氏は定型の終わりの挨拶をいれてきた。「JRおでかけネットで申し込むと糸魚川駅まで取りに行かないといけないけど、都内みどりの窓口がない駅のように取りに行くとき運賃サービスはありませんか」とダメもとでゴネてみた。「おでかけネット西日本サービスなのでこちらではご質問いただけません」とやんわりオコトワリされたのだった。最後に「失礼いたしました。JR西日本JR東日本が買収して、西日本のきっぷも東日本の駅で受け取れる未来応援しています!」と返してチャット氏との40分にわたる戦いに終止符が打たれた。

ということで、結局のところ成城石井が初上陸して駐車場が激込みになった県都の駅のみどりの窓口を目指さないと大阪行きのきっぷは買えないのであった。

そんじゃーね

Z世代ブランド

Z世代って昔よりもブランドへのプライオリティが高い気がするんだけど気の所為

・幼少期からあり

世界企業であり

・手が届くけどそこそこお高めで

・変わらない何かを提供していて

特に女子から愛されている企業

 

例えばスタバとかさ

スタバギフト券」が誕生日プレゼント足り得るんだよ

昔ってそういうのあったかなぁ??

 

マクドナルドユニクロみたいなのも意外だよね

おっさんから安かろう悪かろうイメージあったけど、Z世代から裏返ってしまった

 

逆に、じゃあなんで90年代まれ世代とかはそうでもないんだ?

90年代まれプライオリティ高いのって何だろ、生活面で

 

Appleなんかもそうだよね

iPhoneがこれほど流行る前までは、言うてPCメーカーの一つだったと思うんだけど

なんならiPods出たときくらいにはそこまで圧倒的なブランド力を感じていなかった、観測範囲問題か?

 

圧倒的なブランド力を感じるようになったのはここ3年くらいか

 

キャラクタービジネスも同時に強まっていった気がする

サンリオとかディズニーかめっちゃ強いじゃん

というか、もっと広く言うと推し活か?

推しって要はブランドだよね、崇拝対象というか

昔の若者ブランド物を買い漁って身を包んだ気がするけど、似た文脈で今の若者ブランド推してるような気がするし

それが友人感で共通認識になっている、のか?それとも自分観測範囲が変わったのか

 

でもでも、LVMHとか今強いじゃん

なんだろうなあこの現象

情報が氾濫する中での安心感みたいなものか?

 

___

 

うそう、コンビニも強いんだよね

おっさんからすると「所詮コンビニ」みたいなのがあるんだけど

思った以上に若者は一個一個の商品キャンペーンを見てる

コンビニで買った商品って若者にとって意外と日常の外にあったりするよね、まあ高いからかな

(ちなみにコンビニの客層はここ20年くらいでめっちゃ高齢化してる)

anond:20240320174433

ラルクキンキなど90年代時間が止まった中折れ独身男性ならその認識も納得

身長婚活から排除されたから娘や娘の友達と会話する機会もないだろうし

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-19

anond:20240319170135

はてなーに一番多い40代アラフォー層は90年代10年前と思っている

草。文才があっていい

よくあるなろう設定でも厨二設定でも別にぜんぜん楽しめるということに気付いた

厨二設定の中でも比較的上質な方かつ、たくさんの信者を抱えるに至る魅力的な作品を発表している型月をdisたことをここにお詫び申し上げます🙇

 

あと、ザマァは基本的に嫌いだけど、物によっては大丈夫だと言うことに気付いたのでご報告しま

ザマァのためにあからさまに頭の悪い悪役が出てきたり、ザマァのために胸糞の展開が続くのは変わらず無理だけど、

最強悪役が毎回サクッと死んだり(ワンパンマン様式)、そこそこストーリーや絡みがある敵対キャラ、なんらかのバックストーリーがありそうな敵対キャラも、

最強悪役と同じく "平等に" 毎回サクッと死んだりするのは、量産タイプでもフツーに楽しめるみたいです

 

ほんでアレいったい何が楽しいの?って思ってたが、

 

たぶん、現代における、暴れん坊将軍的な、遠山の金さん的な、三匹が斬る!的な、水戸黄門的な、スカッ時代劇じゃないですかね

ただ、ナーロッパ は、時代劇時空の江戸よりも色んなものがこぼれ落ちてるし、単純に時代劇時空の作品の方がどんな媒体でも作成コスト掛かるので、

なろう作品だらけになった現代を憂いる気持ちは分からないでもない

2024-03-18

外人日本RPGに対して抱いている不満とは 「なぜ子供パーティに加わるのか」「悪役に魅力がない」

日本では相変わらずの人気ジャンルである一方、海外ではそこまで人気というほどでもないRPG最近では「JRPG」という言葉も定着しつつあり、「Fallout3」や「Fable II」のような海外RPGと、日本RPGとを明確に分けて考える動きもあったりする。

そんな中、イギリスゲーム雑誌「THE OFFICIAL XBOX MAGAZINE」のサイトにおいて、「JRPGが変えなければならない7つのこと」(原題「7 J-RPG Hates(And What Needs To Change)」)なる記事掲載されて話題を呼んでいる。

多少筆者による意訳が入ってはいものの、記事内で指摘されている「変えなければならないこと」とは、簡単にまとめると以下の7点。

 

1:子供キャラクターパーティに加えるのをやめさせるべき

パーティに一人はいる、幼い子供キャラクター。でも生きるか死ぬかのミッションに、9歳の子供を連れていくのはどうなの?

 

2:悪人もっとクール

90年代以前のような、記憶に残るような悪役がいない。誰だって魅力のないケチな悪役なんかと対立したくはない。

 

3:装備を変えたら外見も変わるべき

せっかくすばらしい防具を手に入れて装備しても、彼らが着ているのはいつも同じ服。主人公たちが成長している実感がない。

 

4:もっとまともな声優

日本語のオリジナル音声に比べて、吹き替え声優がチープ。

 

5:ムービーシーンであっさり死ぬキャラクター

ほんのちょっと前までは華麗に銃弾をかわし、巨大なモンスター翻弄していたキャラクターを、ムービーシーンで突然殺すのはやめてほしい。

 

6:もっとダンジョンパズル要素を

ゼルダの伝説」のように、ダンジョンではもっと頭を使わせてほしい。単にザコとのランダムバトルでイライラさせられるだけのダンジョンにはうんざり

 

7:ヒーローにも悪の側面を

私たちが見たいのはもっと複雑で、深みのあるストーリー世界はそうはっきりと白黒に塗り分けられるものではないし、時には世界破壊するようなヒーロー必要では?

http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0902/03/news054.html

2024-03-16

anond:20240316023303

2000年代のほうは同意するけど、オタクは博識という90年代価値観も間違いでしょというところ

特権意識を持つ以前にすでに自称し始めてる

anond:20240316010156

これがキョロ充の見本。

オタクブランディングされ、コミュニケーションツール量産型アイデンティティクールジャパンとして売り出された00年代以降に参入してきた層。

90年代発見されたオタク知識もあったので尊敬される側面があったからね。

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