2024-03-16

オタクであることのハードル

まず、属性としてのオタク1983年中森明夫

「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づける」

と書いたのがはじまり

この明らか蔑称属性オタク自身自称するようになる。

それは自負というよりも自虐

何かが好きな人という要素より、今で言う陰キャのような意味あいである

まり自分ネガティブな部分を肯定する意味あい本質だ。

最近アニメ漫画も楽しまなくなり、オタクじゃなくなった」といった話もよく耳にする。

だが、原点に立ち変えればそんなにポジティブハードルが高い言葉ではないとわかる。

  • これがキョロ充の見本。 オタクがブランディングされ、コミュニケーションツール•量産型アイデンティティ•クールジャパンとして売り出された00年代以降に参入してきた層。 90年代...

    • 引用されたコラムで知識があってすごいなんて一言も言われてないよ Wikipediaとかにももう少し長い文で引用されてる

      • Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化、陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん 世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作...

        • 2000年代のほうは同意するけど、オタクは博識という90年代の価値観も間違いでしょというところ 特権意識を持つ以前にすでに自称し始めてる

    • 「オタクは知識があってすごい」っていうイメージ自体が、「オタク学」とかやり始めた岡田斗司夫のブランディングの影響なんだよなあ

      • 岡田斗司夫が「自分が中学の頃のオタクはもっと博識だった」とか言っててその時代オタクなんて意識ねえだろって思った

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