はてなキーワード: 21世紀とは
こんばんは。増田です。最近、元三洋の人が書いたスマホの記事が面白かったので、私も書いてみることにしました。
ちなみに私は電装系サプライヤー勤務。年齢は元三洋の人とおそらく同じくらいです。かつてはホンダ系列だったのですが、今はそこを離れてとある企業の傘下になってます。あのときは結構衝撃を受けましたけど、確実に働きやすくなりましたね。
さて、日本企業はEVに消極的で世界の時流に乗り遅れ、未だに内燃機関に固執している、みたいな話。半分本当で、半分ウソです。世界に先駆けてEVを積極的に取り組もうとしたのは日本でした。(ここで言うEVは純粋にバッテリーで動く電気自動車のことで、本当はBEVと書いたほうが正確なんでしょうが、ここではEVとしておきます。)
それにはいわゆる京都議定書(1997)の存在があります。これは温暖化防止の為の初めての国際的な取り決めでしたが、この会議で日本は2008~2012年に6%の温室効果ガス削減を約束しました。当時はかなり日本に不利と言われたものですが、開催国のメンツもあって政府は本気でこれを達成しようとします。その対策の一つとして推進されたのが原子力発電でした。当時日本は原発を国家をあげて推進しようとします。東芝がウェスチングハウスを買収して(2006)、原発で世界に打って出ようとしたのもこの頃です。
ただ、原発は基本的に24時間一定の効率で発電させるものです。出力調整はできないことはありませんが、かなり非効率です。昼間の電力需要を満たそうとして稼働させると夜間に電力が余るので、揚水発電などで調整するのですが、その切り札として見られたのがEVでした。つまりEVは夜は基本的に充電器につなげておくものであり、大量のEVを普及させて夜間に充電させれば、原発の電力を効率よく使って、車自体から出る温室効果ガスも減らせるわけです。
で、三菱自動車からi-MiEV(2009)、日産自動車からリーフ(2010)がほぼ同時期に発売されます。これはリチウムイオン電池を使った初の量産EVで、三菱はGSユアサと、日産もNECトーキンと巨大な工場を建てて電池の量産体制を整えます。特に日産は実際のところかなり本気の参入で、同時期に全国で充電設備の導入も急ピッチで進められました。
そして、どうだったか。まあ、売れなかったわけです。いや、世界初の量産EVとしてはこの2つは望外にできの良いものだったと思います。売れない理由はいくつか挙げられます。リーフについてはデザインがナマズみたいで全く先進的でなかったこと。エアコンやヒータを使うと走行距離が実質100km程度しかなかった。電池の劣化が想定以上に早く進んで中古市場でも値崩れしていた、トヨタのハイブリッドの出来が良すぎて先進イメージを求める層はそちらに流れた、など。一言で言えば実用的ではなかったのですが、まあそれでも初めて出てきたEVとしては大したものだったのです。でもこの評価は全くエンジニア目線でしょうねぇ。すみません。
ただ、最も大きな要因は東日本大震災(2011)でしょう。これで原発を主軸に温室効果ガスを減らすという国家戦略は完全に頓挫しましたし、それをあてにしたEVの普及など望むべくもなかったのです。実際EVはガソリン供給が途絶えた被災地でかなり役立ったのですが、その後数年間原発を失った日本は電力供給が逼迫することとなり、主戦場である日本でEVは売れなくなりました。日産はその後も地道にリーフの改良を続けますが、もはや主戦場で売れなくなったEVに積極投資はできなくなり、2代目リーフ(2017)は初代から大幅な進化はなし。i-MiEVは一代限りで姿を消します。日産はNECトーキンの電池事業を受け継いだAESCを中国のエンビジョングループに売却します。
ちなみにウェスチングハウスを買収した東芝はその後地獄を見る事となり、今日の凋落につながるのはご承知の通り。日立も海外の原発建設から撤退します。そんな事をしている間に、中国が国家を上げて次世代の原発開発に取り組んで、技術的には完全に抜かされてしまいました。なんだか泣けてきますね。21世紀の日本は完全にツキに見放されたって感じがします。はい。
さて、じゃあ巨人トヨタはどうだったか。トヨタは保守的でEVから距離をおいていると思ったあなた、そうでもないんです。実はトヨタはあのテスラに出資(2010)し、トヨタとGMが共同で運営していた工場(NUMMI)をテスラに売却。テスラを支援していました。実際に共同でSUVのEVを出したりしています。実はテスラのスタートを支えたのはトヨタであり、テスラの主力工場は元トヨタの工場でした。ところが2014年くらいから提携を解消。トヨタのクルマづくりとテスラのクルマづくりが決定的に合わないことが原因だったと言われています。
実際、テスラの車は粗雑極まりないものでした。彼らの作り方は信頼性の高い車載用の電池ではなく、ノートパソコンなどに使われる安価な電池を大量に積んで、それを高度なマネジメントで制御するというものでしたが、クルマづくりは全くの素人。ADAS(運転支援システム)も信頼性に欠けていて、ただの支援システムなのに自動運転と銘打ったので事故が続出。生産技術もかなり問題があり、量産モデルであるモデル3が出るときは大量の予約が入っていたにもかかわらず、ちっともラインから完成車が出てこない有様。イーロン・マスク自身が工場に泊まり込みで生産を指揮したと言われています。このとき生産技術者をあちこちから引き抜いてかき集めますが、その多くが彼のやり方に従えず去っていったとのこと。
まあそんなことで、ぶっちゃけこの頃、テスラが世界をEVで席巻するなんて、私ら業界人で予想できてた人なんていなかったと思います。やっぱり車なんてそう簡単に作れねぇんだなぁザマアミロ、くらいの感じでした。まあでもその予想が全く裏切られてしまったのはご承知の通り。ただ、テスラがいかにすごいと言っても生産台数ではまだトヨタやVWの足元にも及びません。年間数百万台の車を生産するにはまだ乗り越えなければならないハードルは数多くあります。テスラの株があれほど上がっているのは、彼らはそれが出来ると思われているのでしょう。いやホントかな。どうなんだろ。
まあとにかく現状はこんな感じですが、これからEVが本当に普及するかどうか。トヨタも含めて、「世界の自動車の大半がEVになることなんてないよ!」と思っているメーカーは無いと断言してもいいと思います。どこもEVの時代はかならず来ると思っている。問題はその時期です。トヨタはもっとかかると思っていて、それは段階的に移行すると思っていました。テスラは一気に最終ゴールに攻め込んできたわけです。それについて考察してみましょう。
EVの問題点としては航続距離と充電速度。そして電池の資源の問題があります。特にコバルトなどの資源は簡単に供給を増やすわけには行かず、今のような垂直立ち上げみたいなやり方で一気に電池生産を増やすことはできないと思われていました。なのでトヨタはHVやFCVで段階的にそれを進めるつもりだったわけです。特に水素は自然エネルギーとの親和性が高く、風力発電や太陽光発電のように出力が安定しない電源でも、それによって水素を造って貯蔵すれば実質的に電池と同じ役割を果たすことができます。充電速度も航続距離も水素を使ったほうが優位です。ちなみにいまトヨタは水素エンジンをやけに宣伝していますがあれは効率が悪くて話にならない、ただの宣伝用であり、彼らが水素でやろうとしていることはあくまで燃料電池をつかったFCVです。
しかしイーロンはそんなまどろっこしいことしなくても、電線で電気を運んでバッテリに入れた方がいい、そのための障壁となる電池の欠点の改良にリソースを全振りしたほうがいいに決まっていると言うわけです。電池の開発というのは時間がかかり変化も漸進的であり、そんなことは無理だろうというのがわずか5年前までのほとんどの業界人の見解でした。しかしいま世界はイーロンの言うとおりに進んでいます。資源の問題は中国メーカーを中心にリン酸鉄系電池で解決されつつあり、急速充電の問題、それを可能にする電力インフラの問題、自然エネルギーの出力が不安定な問題、これらの問題がすべて電池技術で解決されようとしています。まったく、なんちゅうことでしょう。
今日本はオーストラリアの褐炭を使って水素を取り出して運ぶとかいろいろ考えてやっていますが、おそらくすべて失敗して産業の墓場になる未来が見えます。まあでも、長距離トラックくらいはひょっとしたらFCVの入る余地があるかも知れません。しかしそれも充電技術の進歩によって電池で解決される可能性が高いです。
・トヨタ
電動車についての卓越した技術蓄積を持ち、電池技術も電池への投資余力も持つ稀有な会社。ここが死んだらもうおしまい。パナと一緒に電池の開発と生産に勤しんでいるが、実はパナはライバルテスラに電池を供給する関係でもある。ちなみに傘下の豊田通商は電池に不可欠なリチウム資源をガッチリ握っている。実はEVの技術開発や投資も怠ることなくやってきたが、誤算はその流れがあまりに早すぎたことだろう。今年スバルと共同でEVを投入予定。
・ホンダ
米GMと組んでEVに取り組む。2040年までに内燃機関を全廃すると宣言したが、彼らが満を持して出した量産EV「Honda e」はあまりな出来で全然売れてない。電池は韓国LGケムあたりから買う予定らしい。HVには早くから取り組んできたが、トヨタがTHSを地道に改良していくのに大して、ホンダのHV技術はコロコロ変わり、イマイチものにならないイメージ。企業イメージは先進的だが、実は社風はかなり保守的である。evについての意気込みはすごいが、個人的にはいま最も心配なメーカー。
言わずと知れたEVにおいて世界で最も先行していたメーカー。しかしそのアドバンテージをほとんど活かせず、極めて信頼性の高い電池も持っていたが、コスト的に折り合わず中国エンビジョンに売却。リーフは長年世界トップの売り上げを誇るEV車種だったが、今はトップテンからも外れた。まだアライアンスを組むルノーのほうが健闘している。日産アリアで挽回できるか。無理だろうな。
・マツダ
未だに直6エンジンを開発するなど、一見時代遅れに見えるが、実は割とクレバーじゃないかと思われるメーカー。というのは、EVが普及期に入れば、eアクスルといった駆動システムをメガサプライヤーから買ったほうがいいし、電池にしてもCATLやLGあたりの最も安くて性能の良いメーカーから調達したほうが有利である。ADASもコンチネンタルやモービルアイから買ったほうがいい。要はみんな似たりよったりの車になる。となると、自動車メーカーに求められるのは制御技術とデザイン、そしてブランドである。今マツダはそれを必死に磨いている。マツダくらいの規模のメーカーだと案外この戦略が一番いいのかも知れない。
・スバル
卓越した四輪駆動の技術を持つ。売り上げの大半が北米。多分、トヨタにひっついてその一ブランドとして生き残るつもりでしょう。
コンパクトカーを安く作る卓越した技術を持っていて、100万円以内でアルトやミライースを作れる生産技術はたいしたもの。この点において強力な強みを持ち、ダイハツは東南アジア、スズキはインドで高いシェアを持つ。しかしこの強力な強みを速攻で無効にするのがEVであったりする。ダイハツもスズキも海外市場は中国EVメーカーに席巻されてシェアを失う未来が見える。国内で軽EVを地道に作るかも知れないが、それすらも中国メーカーの台頭で怪しい。将来は暗いだろう。
車載電池のトップを突っ走っていたが、CATLとLGケムに抜かれて現在3位。テスラの株を売却して多額の利益を得たが、なぜかをそれをブルーヨンダー買収に使い、電池の新技術や設備への投資は先をゆく二社に比べると消極的。トヨタはパナソニックを見限り始めていると聞く。
・日本電産
EVモーターやeアクスルで覇権企業を狙う。しかし永守が死んだらどうなるんだろう。
他にもいろいろ書きたいことがあるけど、疲れたのでやめる。ところで、元三洋の人の書き込みをみて、ずっと今までiPhoneを使っていたのを、GooglePixelに買い替えました。なんでかって言うとね、それについたユーザー体験がうんちゃらという大量のブコメを見て、iPhoneを使い続けることが、結局新しいものに積極的にスイッチできない日本人の保守性から来てるんじゃないかと思ったから。それで思い切ってAndroidにしようと思った。中華スマホはちょっと怖いのでPixelです。そんだけ。以上。
↓これをみて思い出したんだけど、
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https://togetter.com/li/1794159
(ブコメでmukudori69さんが既に挙げておられるが)
「ティファニーで朝食を」に「Mr.ユニオシ」なる架空の日本人が登場する。
日本語ネイティブからすると、日本人の名前としては実在しそうもない上に、意味も通じない、変な名前だ。
(まあ「由仁雄+氏」とかならあるかも知れん)
ところが21世紀になって「〇〇推し」なる日本語が登場したおかげで、
ニックネームやペンネームとしてなら、あり得るし、意味も通じる名前(「ユニ」というキャラクターを推してる人の意)になってしまったんだよな。
もはや、女性だって精神的にタフで体力があって子無しだったら、普通に出世できる社会が実現している。
男性のほうが精神と体力と子育てで有利だとしても、別に本気の女性に覆せないほどの差ではない。
本気じゃない女性、働きたいわけじゃない女性が社会で労働するようになる。
俺だってそう。好きで労働してるわけない。出世とかどうでもいい。女さんだってそうだろ。
出世したくもない働きたくもない女性を働かせないと、男性と女性の給料だの役員数だのは、同じになんかならないよ。
男女平等に関する思想って、これまでそういう状況を想定してこなかったと思うんだよね。
どうすんだこれ。
フロンガスを使うことでオゾン層が破壊されて穴が空いてしまったという問題。
1987年のモントリオール議定書によってフロンガスの使用が禁止された結果、オゾンホールには縮小の兆候が見られている。
とはいえ、オゾンホールはいまだ大きく、本格的な問題解決は21世紀末になるという。
が、とりあえずは打てる手は打ったし、ということで、あまり言われなくなったのだろう。
工場の煙などに含まれる汚染物質により、雨が酸性になって木々が枯れ、人体にも悪影響を与えるかもしれないという問題。
日本では80年代から現在に至るまでずっとpH4.7くらいで変わっていないようだ。
国際条約で二酸化硫黄や窒素酸化物の規制が進んだことで、それらの排出量は減少し、欧米では酸性雨は「解決」扱いになっている。
日本でも排出ガスの規制は進んでいるし、「pH4.7くらいなら思ったより悪影響なくね?」みたいな論調もあって、あまり言われなくなったようだ。
窒素酸化物や炭化水素が、日光の紫外線により変質してオゾンを発生させることにより、人体に健康被害をもたらす、という問題。
ピークは70年代だけど、現在でも続いていて、たとえば近年の東京では年間5〜10日ほど光化学スモッグ注意報が発令されているようだ。
とはいえ、排出ガス規制により窒素酸化物の排出は減っているし、70年代ほどの被害にはなっていないから、ということで言われなくなったのか?
100年以上も前から「あと数十年で石油は枯渇する!」と言われてきた問題。
もともと「可採年数」というのは「既に発見されていて、技術的に採掘可能で、採掘コストに見合う石油の量」にもとづいているので、
新しく油田が発見されれば可採年数は伸びるし、シェール革命のような新技術で安く採掘できるようになっても伸びる、ということらしい。
21世紀の何の罪も犯してない奴隷でもない人間の生活とは思えない。
普通の家に生まれ普通に学校行って普通に就職した人間がこういう暮らしをしてても普通である(これに近い状況の知り合いが何人も思い浮かぶ)状況は異常。日本人はなんだかんだで大体みんな飯を食えて暮らせてはいるのでイマイチ気付いてないが失われた30年とか、日本だけ経済成長してないというのはこういうこと。みんな貧困というと小学校で見せられたアフリカのガリガリで腹だけ出てる子供達の写真とか思い浮かべると思うが、実際はそういう極端な絵でなくこのように周りで起きてても気にならないほど静かに進行する。そしてもう後戻りはできないし全国民が逆立ちしてもこの状況をひっくり返すことはできない。ここまで来たらいっそ気付かないまま死んでいく方がまだ幸せなんだろうか。
VTuberというのはVirtual YouTuberという意味からすると、基本YouTubeを活動にするものと普通は考える。
しかしながら、今やその活動の場はつべに限らず、色んなサービスやイベントで見かけるようになってきた。
具体的に言えば、基本無料視聴可能な動画配信サイトでも、つべだけでなくTwitch、ニコ動などがあり、
他に課金限定の有料配信も複数あり、リアルにハコを借りてのライブ(+配信)ももちろんある。
そうなると、あるVTuberがつべの他に色んな所で活動するようになると、もっと具体的にはカバー曲を歌うようになると、
権利上、サービスによっては歌えない曲があったり、場合によっては会場に客を集めてのライブ以外では披露できない歌が出てくる。
まあVtuberが存在しないどころか、配信主流の時代が来る前であっても、CDに収録されない曲があったことを思えば、
当然の流れなのかもしれないが。
その中で、特にYouTubeの無料配信で行われる歌枠や3Dライブで絶対に歌われず、個人的にとても残念なのが、アイドルマスター関係の楽曲だ。
特に、先日発売の1stアルバムが、各種ウィークリー国内DLランキングで首位を獲得したことで話題の星街すいせいが、某VRライブで歌ったTrancing Pulseや、
すいちゃんの所属事務所の後輩である桃鈴ねねがやはり同じVRライブで歌ったOTAHEN アンセムとか、どちらも非常にマッチしていただけに、また聴きたいことこの上ない。
どちらも期間限定の有料配信で、今の所ソフト化の予定は出てきていない。
他にもアイマス関係は、気がつけば21世紀の代表的タイトルに数えられるくらい歴史を重ねているだけあって、本当に神曲が多い。
ここでの”正しさ”は”善悪”と置き換えても同じかもしれません。人種、性、ハンディキャップに関する議論がかつてないぐらいに盛んになっている2020年代において個人の価値観で”正しさ”を論じるのは無理なんじゃないかなー?と思っています。
しかも、誰かにとっての”正義”が別の誰かにとっては”悪”であることは21世紀の国際情勢が明々白々にしていますし、仮に「客観的なデータによって正しさが証明されている」という主張があっても、そのデータが客観的であると判断する最終的な根拠は個人の価値観だと僕は思っています。
昨今のワクチン云々の話に関しても打った方がいい派と打たない派の人がいますが、打ちたくても打てない派の人がいる以上、打った方がいい派の主張は一方的な正義を振りかざす悪の存在と思う人がいても不思議ではありません。
どれだけ”あくまで個人の意見です”という前置きやお断りを入れたとしても善悪に関する話題は少なからず個人の価値観に楔を打ち込んでしまうのでハレーションを起こしやすいですし、「切り取り」という大変便利な手法が生み出されてしまった現在のはてなブックマークをはじめとするSNSで”正しさ”を語るのはやっぱり向かないんじゃないかなーと思っています。
そうなると「じゃあはてなブックマークは何を語るのが向いてるのか?」という問いが出てくると思うのですが、たぶんこれはtwitterやSNSが始まった頃からあまり変わってないと思うのですが、
まず、自分は「児相・弁護士会ルートでの一時保護専用施設や児童養護施設の受入対象ではなく(あるいは馴染めず)、DVシェルターに親と一緒に入所できる対象でもないが、家庭内で虐待を受け、孤立している子」については、性別を問わず広く受け皿が整備され、より多くの対象者が保護・救済されたらいいなと思っています。
その受け皿のひとつである子どもシェルターは、まいと@虐待どっとネットさんのおっしゃる通り、女性用子どもシェルターが主で(といっても絶対数自体が非常に少ないですが)、男性が入れる子どもシェルター(両性用・男性用)は非常に少ない状況だと思います。
一方で、そうした男性対象者の受け皿としては、歴史的には自立援助ホームが中心的な役割を果たしてきたと思います。主な対象者は20歳未満と子どもシェルターの中心的保護対象とほぼ同じで、都市部にも地方にも多数存在し(子どもシェルターの約10倍)、男性・女性の定員は全国で450人程度でほぼ同数です。http://zenjienkyou.jp/%E8%87%AA%E7%AB%8B%E6%8F%B4%E5%8A%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%B8%80%E8%A6%A7/ (法的には、子どもシェルターも自立援助ホームの一種として公費支給されているそうです)
ご指摘の「カリヨン子どもセンター」では、「カリヨン子どもの家ボーイズ」と男性用自立援助ホームの「とびらの家」が併設されていますが、他の子どもシェルター運営団体では、シェルターは女性のみ受け入れつつ、自立援助ホームでは男性または両性をケアしているところもあります。例えば「ピピオ子どもセンター」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性用です。「子どもシェルターモモ」は、子どもシェルターは女性用で、自立援助ホームは男性・女性それぞれの施設があります。
こうした性別によるケア体制の差は、ひとつには「女性より男性のほうが、20歳以下でもそこそこの収入を得て自立できる仕事があった」という歴史的事情もあるのかもしれません。男性は未成年でも「自分で働いて稼いで暮らしていく」というルートに早期から乗せやすいから、(入所中に一定の費用負担がある)自立援助ホームを中心に「孤立や虐待で家庭にいられなくなった子」を救済してきたように思います。一方で女性の場合は、この年齢で自立生活できるだけの収入のある仕事が相対的に少なく(あってもいわゆる夜職が中心)、最初から自費負担しながら自立援助ホームに入るというコースが取りにくいことから、先行する配偶者DVシェルターの枠組を一部援用する形で、自費負担のない「女性用子どもシェルター」という救済枠組が整備されていったように思います。カリヨン運営の方もこのような認識は持たれているようです。
社会福祉法人カリヨン子どもセンター事務局長の石井花梨氏は,「男の子の場合は,いわゆる『ガテン系』(肉体労働)の仕事があるので,特に若いうちは日給で働いても,割と安定的な収入を得られます。しかし女の子は,どうしても飲食系の仕事が多く,特に今はほんとうにアルバイトしかないので,よほど頑張らないと,アパートで独り暮らしするところまで,なかなかいけません。そこで頑張れなくなったときには,性産業に走ってしまう。そのことも含めて私たちは性被害だと思っています」
もうひとつ、これは個人的印象によるところが大ですけど、DV加害者である親側の「子に対する執着」の傾向には子の性別による違いがあり、親の家を出た18〜20歳の子は、男性の場合は親側には子を奪還しようとする意思がより弱く、女性の場合は親側の奪還意思がより強いため、現場では配偶者DVシェルターと同じように保護対象のセキュリティを重視し、運営場所を秘匿して運営される「女性用子どもシェルター」のニーズが強く認識され、提供されるようになったのではないかと思います。
最後に、物理的事情もあると思います。子どもシェルターも自立援助ホームも一軒家を借り上げて定員6人前後で運営するパターンが多いため、団体のキャパシティが小さければ男性は自立援助ホームでケアし、大きければ男性向けもシェルターと自立援助ホームを分けて、入所者のステージと課題の変化に対応したケアを提供しているように感じます。東京拠点でキャパシティも大きいカリヨンは、男性対象者の支援を2ステップに分け、緊急・短期支援段階は「ボーイズ」で、生活構築段階では「とびらの家」でと切り分けているように思いました。
(なお、まいとさんの場合、児相ルートの児童養護施設と自立援助ホームどちらにも入所を検討されたものの、精神的不調がある、精神科への受診歴があるという理由で入所できず、不幸にもこれらの受け皿の両方にアクセスできなかったとのことでした。https://readyfor.jp/projects/gyakutaiN_first これは確かに制度の欠陥であり、改善されるべきだと思います)
こういう事情もあって、「虐待に遭う男児・女児は同数なのだから、子どもシェルターも同数あるべきだ」という一部の論旨には、自分は首肯しかねます。一方で自分が「それと別に男性専用シェルターが必要かと言われると、自分はその当事者ニーズをあまり認知してない」と書いたのは、多くが女性スタッフで運営されている女性用子どもシェルターの対照物として「男性スタッフによって運営され、男性のみが入所することで『セキュアな空間』を提供できるシェルター」が当事者に求められている、という感覚があまりなかったからなのですが、ここについては、振り返ってみると、自分も勝手に「対照的存在としての」という(元の文脈にはない)読み込みをしており、反省しています。「児童福祉法の保護対象から外れた未成年のDV被害」という要素に対して、多くの自立援助ホームの枠組では最重視されていない種類のケアを男性向けにも提供できるなら、それが当事者にとって「よりよい」ことなのは間違いないです。そういう観点にもとづいて既存の男性用自立援助ホームの機能強化・支援強化を図ること、あるいは自立援助ホームとは別に男性が入所可能な子どもシェルターを作ることは、どちらも賛成します。
一方で、男性用子どもシェルターが希少なことで、あたかも家庭で虐待を受けている男性当事者を保護する仕組みが全く存在しないかのような印象を持たれている方々が批判者・擁護者の両方に見受けられるのは、それはそれで実態と乖離しているとも思います(nero氏のまとめだけを読んだら、そう思う方は多い気がしますが)。児相の一時保護所・子どもシェルター・自立援助ホーム・DVシェルターの随伴入所など、相互に補完しあう分散的な児童福祉セーフティネットが現にあることを前提に、どうやってこのセーフティネットを「より漏れや隙間がなく、きめ細やかな仕組み」に整えていけばいいか、という観点で話をしていくのが良いように思いました。
個人的に、その参考になるのが更正保護関連の仕組みだと思っています。保護司制度、更生保護施設、自立準備ホーム(自立援助ホームとは別)など法的根拠を持った救済基盤が整備されていて、就労支援事業者機構という組織を中心に官民連携も密になされており、企業会員の寄付や協力雇用主会員をベースにした生態系を作っています(地方の大手企業の役員などが機構メンバーになって、中小企業相手にこまめに案内・勧誘したりしています)。制度化によって硬直化してる面も感じなくはないですが、こういう、金の出処も確保した官民連携が更正保護以外の分野にも拡大されていったらいいなと思います。
ここまで書いて思ったんですが、もしかしたら、2022年4月からの成年年齢の引き下げによって、「制度の狭間」(民法上の親権下にあるが、児童福祉法の保護対象ではない)となる18〜20歳の救済を中心に構築されてきた子どもシェルターの性格は、今後は大きく変わって行くのかもしれないなと思いました。児童福祉法の定める保護年齢と成年年齢が一致したことで、結果的に制度の隙間が解消され、「個別入所者にコタン弁護士がついて、親権者との調整を図る」という子どもシェルター独特の法的支援要素が不要になるわけです。今後は子どもシェルターは自立援助ホームと再融合していくのかもしれませんし、よりDV被害のケアを焦点化した支援組織になっていくのかもしれません。そのあたりは両方を運営している団体の方々がどう考えているのか知りたいなと思いました。
ブコメにもちょっと書いたけど、物理学的なところだけ見て考えられそうなことを書いてみるな。
最初に結論を言うと、「もし時間が戻ったら、歴史は同じことを繰り返すか?」と答えは「繰り返す」だろうと思う。量子力学によれば世界は確率的に決まるのだから、そんなことはない、と思うかもしれないが聞いてくれ。あと、「歴史が変わるタイプの時間の戻し方」の説明もする。
そもそも、時間というのは物理学的には一つの「次元」である。縦、横、高さと同じようなもので、我々は実は四次元空間にいるんである。そして、静止する我々は光の速さ(比喩ではなく)で時間次元方向に進んでいる。で、我々の速度はいつでも光の速さで一定。なので、もし縦方向に光の速さの半分で進めばその分時間方向の速度が遅くなる(時間の流れが遅くなる)という相対性理論的不思議現象が起きるのである。
ここで時間の次元を我々にとっての空間の次元のように観察することができる上位存在を仮定しよう。その存在からは世界が時間方向にぶっ飛んでいるように見えるわけだが、その存在がなんらかの力で我々の世界を時間軸方向に動かしたとするとどうなるか?我々の世界で起きた色々な歴史的事象は、「それが未来に起きるポテンシャル状態」に回帰することになる。が、あくまで上位存在からすれば、一つの次元方向に動かしただけなので量子力学的な確率分布の収束が変化する理由がない。我々が空間的に一旦別の場所に置いてから元の位置に戻した時、空間次元の観点からは本質的な変化が一切ないのと同じだ。この場合、歴史は変化しないことになる。
一方で、「時間が戻る」というのが、今この瞬間の宇宙を一旦分解して、例えば1000年前の宇宙と寸分たがわぬ宇宙に再構築する(量子テレポーテーションのようなイメージで、量子レベルで全く同一の宇宙を作る)、もしくは寸分たがわぬ別の宇宙を新しく作る。としたら話は変わる。上述の上位存在的にも、時間次元方向に動いていた世界が突然姿を変えるだけ(新しく生まれるだけ)である。そうすると、今度はそこから時間次元で先に進んだときに、確率分布が前回と同じところに収束する理由がない。なので、こんどは逆にありとあらゆる量子力学的事象が異なる収束先に収束するようになるわけだ(偶然同じところに収束することもあるだろうが)。
こっちのほうが元増田的にはロマンがある「時間の巻き戻し」だと思う。
ちなみに、量子力学的な現象はナノメートルオーダーのミクロでしか起きないので、「歴史を変えるほどの変化が歴史に起きるの?」という疑問を持つ人もいるかもだけど、これは「十分ある」。量子力学が日常スケールに影響を与える簡単な例の一つが、放射性物質の崩壊だ。放射性の原子一個がどのタイミングで崩壊するのかは量子力学的事象なのだけど、その結果出てくる放射線は日常スケールにも影響を与えうるんだよね。つまり、アレキサンダー大王の体内の自然由来の放射性物質が、偶然アレキサンダー大王を癌で早死させるタイミングで放射線を出した結果、アジアとヨーロッパの交流が格段に少ない歴史を歩んだ21世紀が来る可能性も全然あるわけ。早死するのがアレキサンダーでもカエサルでもヒトラーでも良いし、今の歴史で無名の誰かが癌死を免れて長生きした結果歴史が変わるのでも良いんだけどね。そういう現象自体はレアだけど、全人類、全動物で起きるその手のイベントがカオティックに影響し合うので、再構築から100年もすればなかり違う歴史になるんじゃないかなって個人的には思う。