はてなキーワード: 電通とは
車のマフラーを変えると吸気系が弄りたくなり、吸気を弄ると剛性が気になり始める。これを昔、友人はボトルネック解消型消費と呼んでいた。
僕はぼんやり生きてきたので、クールビズが消費を刺激と言われても、「あー。シャツとか買うのかな」位にしか理解してなかったんだけど、今年、クールビズデビューしてみて思うのは、「ネクタイを取るってスタイル」を考えた奴は化け物だという事。
これは、(恐らく)電通さんに仕掛けられた社会全体を巻き込んだ課金ゲームなんだなー。
B.閾値を超えると一部の課金ユーザー達が金を落としてくれる。
Aは1と2で社会的な意味まで付けてドライブをかけているし、Bは一部のユーザーでなく大部分の人たちが動くので消費が刺激される。
世の中にはまだ見ぬ凄い人たちが沢山いるんだなー。。
義祖母88才。棺桶に片足つっこみつつ全く死ぬ気配はない。
何をするにもめんどくさい、みっともない、一人は気楽といってごろごろ寝てテレビを見ては昼寝。
夜になると昼間寝すぎて眠れないので「あたしは毎日眠れない」自慢をする。
長生きをすることは、たとえ健康であろうとも孤独で不幸なことだと彼女をみていると感じる。
そして、そんな老婆を端から見ていて思うのは年老いた人ほど恋をすべきだということだ。
貯めこんだお金もドンドン使ってしまえ。好きな人と会うために、会話をして頭を使え。
30年も40年も前の服ではなく新しい服を買え。
人の目なんて気にせず、どんどん恋愛すればいいんだ老人は。
どうせテレビをみている世代なんて中高年なんだから、いっそのこと電通と国が一緒になって老人恋愛キャンペーンをテレビで大々的に始めればいい。
月9の主人公は毎回70代で。CMは全部テレビショッピングにすればいい。PM9時まで起きてられないならPM6時に老人ドラマを放映すればいい。
現在の以前を参考に動作する官僚機構のようなお役所仕事では立ちいかなくなった。
つまり、官僚機構その物にメスを入れて刷新できるような政治家が必要だが
政治家が頼っているシンクタンクもまた官僚機構だし、電通に代表されるようなメディア系企業は先端のバズワードは知っているが実際には設計できず
電通やシンクタンク系のIT企業には、国家レベルの大規模設計を刷新する(過去のアーキテクチャーに依存しない)のは難しい。
結論から言って、現状 構造改革は進まず もうどうしようも無くなって、全部破壊して焼け野原からスタートしようぜ
みたいになるまで、システムは腐敗を続ける。
なにせ、いまの安倍政権が頼ってるシンクタンクも結局は官僚機構と同じエリート機構なので、同じ官僚機構の刷新は難しいだろう。
政治家が調整型ではなく主導型になればまた話は別だが、そんなことが出来る人間は外資に行けば数千万のお金と、世界レベルの仕事を任されるので政治家にはならない。
よって、あー、どうしようねと。
世の中には「新しもの好きな人」と「ほどほどに流行を気にする人」と「流行に無頓着、我が道を行く」人がいる。
自ら流行を周りに発信するほどの新しもの好きを「Aグループ」、
ほどほどに流行気にするが、そんなに熱心に新しものを追いかけない人を「Cグループ」、
Aグループが人口の5%、Bグループが15%、Cグループが60%、Dグループが15%、Eグループが5%、
そんな感じだろうか?
民間企業が新商品を売り込む場合、基本的に「AグループBグループCグループを相手にすればいい」。
DグループEグループは高い宣伝費用掛けても買ってくれないし、
その宣伝費用をABCグループに投入して、リピーター、ロイヤルカスタマーに育てた方がはるかに売上は上がる。
極端な話、DグループEグループは「捨ててしまってかまわない」存在であり、民間企業はABCグループを大切にすればいい。
特に流行の発火点のAグループ(アルファブロガーなど)は重要で、企業はカネ払ってでもAグループを抱き込みにかかる。
つまるところ、民間広告は、基本的にABCグループへいかに情報を伝えるか?が勝負。
最近のネットSNS社会では、Aグループを発火点にして仕掛ける宣伝手法が進化している。
ところが、行政の啓蒙広告は、情報強者のAグループやBグループへの宣伝は意味がない。
なぜなら、AグループBグループは、情報の内容を既に知っているから。
行政啓蒙の主旨は、「リテラシー低く情報弱者なCDEグループにこそ、伝えなければならない。」という点。
つまり民間企業広告とは真逆であり、民間企業広告のメソッドは通用しない。
特にEグループの人は「自分の思い込みが激しい」「行政の広告にわざと逆らおうとする」という、
極めて「あまのじゃく」な人種の塊。
電通博報堂などは、ABCグループへの宣伝などは極めて上手だが、その手法は行政啓蒙広告には全く通用しない。
しかし行政が啓蒙広告する場合、信用と実績の電通博報堂が選ばれる。だから行政啓蒙広告は失敗する。
女性手帳が果たしてCDEグループ啓蒙に有効なツールなのか、「啓蒙工学」の真価が問われる
「こんなこと、女性なら誰でも知っている、今更女性手帳などで啓発するなんて、女性をバカにしているのか?」
と反発しているのだろう。
A・Bグループの人は、
「リテラシーボトムな人、情報弱者な人に対してこそ、情報を正しく届けなければならない、という
メディア制作会社のほとんどが首都圏にある事もあり首都圏の情報が全国に多く報道されるが、
まず首都圏とそれ以外の地方がどのような構造と関係になっているかを理解する必要がある。
皆が東大・有名大企業に入れる訳ではなく、皆が東京でしか成立しないようなマニアックな分野に関心がある訳ではない。
メジャー分野に入り込むことが出来ないからマニアックあるいはニッチ方面から切り込むしかないという点ではマニアタイプは養分タイプの派生なのかもしれない。
マニアあるいはニッチという分野は一般にメジャー分野のおこぼれ、一過性の流行によって発生するものであり、
地元の旧帝大国立大に落ちたから上京してマンモス私大に行った。地元で希望の仕事にありつけないから上京した。
言葉を選ばずに直接的な表現をすると”地元での生存競争に敗北した”のである。
地方の勝ち組は東京の勝ち組より能力的な意味でのレベルは低い。
相対的に競争が緩いので能力値を過剰に高める必要がないからである。
大学受験で例えると、北大より東大のほうが難しいのは言うまでもない。
大学受験ではなく、地元にいてもパッとしないから東京で逆転を狙うという
抽象化された基準がよくわからない可視化しにくい話になると多くの人は上記の簡単な理屈もわからなくなる。
地方の競争で勝てなかった能力の人が東京の競争でおいしいポストを獲得出来る訳がない。
しかし東日本大震災が終わってからも首都圏への人口一極集中は止まらない。
客観的に他者から見た能力値は高くないが、自己愛と自己評価が高く見栄と外見と評価を過剰に意識するパーソナリティを持った人間は
特に田舎であるほど多く、そのような人間が養分タイプ首都圏民として最も適性がある。
お金がある人=全国レベルでの競争で成功を収めた勝ち組タイプ首都圏民のことである。
お金がない首都圏民=養分タイプ首都圏民はどうなのか? 実は地方民より人生の質(quality of life、QOL)は低い。
地方では公立教育機関が強く、首都圏では私立の教育機関でなければ難関大学に合格する事は難しい
都道府県・地域別有効求人倍率 (千葉・埼玉・神奈川の有効求人倍率は実は全国最低水準である)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002pf1g-att/2r9852000002pf87.pdf
旧帝に勝てない東工大
http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/27_kdata/index.html
研究者が所属する研究機関別 配分件数 上位30機関(平成24年度 新規採択分) 10ページ
http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/27_kdata/data/haibun-mext_241026.pdf
現実を見たくないから地方(なぜか養分タイプ首都圏民にとっての”地方”は寒村や離島だったりする)を
意識的に、あるいは無意識的に自らより下位の存在として位置づけて「地方に住むよりマシ!地方に住むよりマシィィ!」と自分を信じこませている。
電通その他のメディア制作会社からマーケティングで煽られて、本来必要のないものを買わされたり、しなくてもいい行為をさせられながら
(政府・企業からのマーケティング実験、勝ち組から過大に搾取される過酷な環境にどこまで耐えられるか絶えず実験されている=まさに人体実験都市圏である)
関東と関西は昔はよく比較されたものだが一極集中が進んだ関東は”関東地方”ではなく”首都圏”と自称することが多くなり、
関西みたいな田舎と比較するなウゼェ!という反応をすることが一般的になった。
表面的な部分だけ見て田舎と切り捨てる関東民も、東京は大阪にタンコブがついた程度の都市であると考える関西民も
現実と統計が読めない無知である。関東民は”見た目の”統計を見て等身大の関西を見ているからまだマシであると言えるか。
(大阪都など、やたらと”東京になりたがる”大阪の某市長はそう言えば数学を捨てて私大洗顔で早稲田に行った人だった)
関西は関東と比較して所得が低く、街の風景も一部を除いては変わり映えがせず古臭い。
それもそのはずで、若いうちから女性の人口が男性より多い。 不詳あん分に用いた平成22年国勢調査の人口 http://www.stat.go.jp/data/jinsui/9.htm
女性の賃金は全体的に低めなので http://nensyu-labo.com/heikin_kaisou.htm
関西は貧乏人が多いと決めつけるのは早計である(親元暮らしが多く可処分所得を自分のことに費やしているため、独身女性はむしろリッチである)
(ヤリマンが多い関東 http://2r.ldblog.jp/archives/3341243.html と処女が多い関西? http://anond.hatelabo.jp/20130124013141 これは希望的観測w)
というふうに
それぞれの要素があまりにも対称的なので比較されるのであって、規模を比較されているのではない。
大学受験は国公立大学が普通で、国公立に落ちた人がしぶしぶ通う私立大学は例外
結婚するなら女性は処女が普通で、非処女は性犯罪や不幸な恋愛を経験した女性を許容する例外措置
中小企業がどれくらいあるかご存知でしょうか?
なんとその数は約430万社、日本の企業数の99.7%、雇用の約7割を占めます。
http://www.meti.go.jp/information/recruit/keizai/chuushoukigyou/01.htm
そのため、本来の”例外”が力を持って原理原則を見失い、何が普通なのかわからない人が首都圏に大量発生する。
それが拡声器の役割をするメディアに載って全国に撒き散らされる構造をしている。
首都圏発の情報は割り引いて受け取ったほうが良い。常識や原理原則はテレビ雑誌インターネットの記事になく、
「常識」や「原理原則」は”多数派の人間たちがとっている手段や価値観”と考えるとすると、
テレビをつける。
クイズ番組で頭の悪い解答をしていたり、バラエティや討論でどれだけアホくさい主張をしてたとしても、
「この箱に映ってる連中は全て、学校時代は(カーストとして)半分より上にいて
人並みに恋愛を楽しんでいたり体育の授業がある日の朝に憂鬱な気分になったりせずに
日々を過ごしていた。
もしも半分より下のカーストだったとしても(爆笑問題の太田とか)
そいつは血反吐吐くほどの努力を積んだ人間なんだよ・・・」てな感じで。
最近まで、俺はテレビを見ても「あーあ、また洗脳してるよ。電通の策略!作られたブーム!」
って憤って「洗脳箱」と勝手に命名して完全に馬鹿にしくさったテレビが。
今では「劣等感増幅箱」です。
自分よりも遙かに年収・コミュニケーション能力・恋愛経験が上の人間が、
どのチャンネルにも絶えず映っている。
ぶっさいくな男のアナウンサーでも年収1千万以上あって夜は美人とセックスしまくっている。
「役不足」という言葉を誤用して使った頭の悪そうな芸人も、いたる番組でみるから
年収ウン百万か数千万かしらんが俺よりは遙かにもらっているし綺麗な彼女とセックスセックスセックス。
そんなちっちゃな言葉の揚げ足取りをする自分に激しく自己嫌悪したのち、害のなさそうなチャンネルにする。
ドラマ。みんな勝ち組だ。役者だ。モテモテだ。年収1千万で美人・イケメンとセックスだ。
ニュース。みんな勝ち組だ。この男性アナはイケメンだ。中学で童貞捨てて大学もリア充生活で今夜も美人とセックスするのか。
バラエティ。こいつらの平均経験人数は18人だ・・コミュ力あるし金もあるだろうな。友達も多そう。学校時代は間違いなく人気者。
野球中継。年収数千万。いや数億か。美人中の美人とセックスしまくってるんだろうな。高校時代から人気者なんだろうな。
どんな番組を見ても劣等感しか抱けないため、一日の平均視聴時間は10分。
映画も同様だ。
十数年前、
小学校時代にドラえもんの長編(何かすら忘れた)を見て以来映画は見てない。
嫌なんだ。スクリーンの中のイケメン・イケ女を見ると自分の人生のあまりのしょぼさで胸が苦しくなるんだ。
彼等は間違いなく充実した人生を歩んで数億の年収をもってて夜は素晴らしいセックスをしているんだ。
なんであれで感動できるんだろう。劣等感を刺激されてゲンナリするよ。
またそれを見て「俺の勝っているのは年齢だけだ。それ以外は全ての面でなにもかも君たちより劣っている。」
なんて考えたり。
そういうわけで、自分より明らかに劣ったキモヲタとかすれ違うと
そいつに聞こえる大きさの声で「きもっ」とつぶやくことがある。
服装だけは普通だからな(死ぬ気で脱ヲタしたわけだが・・・。)。
普段劣等感を感じてやまない人間が下を見つけてこれ見よがしに馬鹿にする、
という死にきれない構図。
なんて思っちゃう。
でも結婚願望はあるし「幸せな家庭を築きたい」なんてふと思うこともある。
とは言え、こういう人生を生きて、こういう非常に歪んだものの考えをしていると、
ただしそれを作ってる人間は決して見たくない。
漫画家はたいがいブサイクだろうが年収数千万で美女とセックスしてるから
深く考えるとドツボにはまる。
本人らの写真できるだけ見ないようにしてる。
どいつもこいつもイケメンだらけだ。
不細工なクリエーターでも年収数千万で美女とセックスしてるから鬱になる。
音楽・漫画・ゲームともに作品を味わう限りは劣等感を感じないのだが
作者がしゃしゃり出るとそういうことを考えて鬱になる。
コード覚えたり機材買ってPCで編集したり。漫画は模写してるだけだが。
仕事の合間に少しずつやってる。いつか公開したい。
それで食っていくつもりなんてない。
314 ソーゾー君 [] 2012/10/14(日) 12:09:00 ID:fFCwkWjY Be:
①はそれだけじゃないだろ?
↑これだけじゃねーだろ?
ACジャパンが広告主の通信社が原発の真実を報道すると思ってんのか?
NHKは親方日の丸だから行政府=司法の権限剥奪しなければまともにはならない。
民間で広告禁止になれば資金源は読者になるだろ?
今、朝日や読売等の新聞を不買いしたりテレビを見ない運動ても効果がない理由が解らんのか?
「資金源が断てねーからだよ・・叩くべきは広告主なんだよ間抜け。」
「視聴率や発行部数なんかどーでも良いんだよ・・独占と搾取さえ維持できたら問題ねーんだよ」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341367879/
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
何の価値も無い記事をセルクマして広告する行為は確かにスパムかもしれないが、本源的に価値があるものを広告して何が悪いのだろう。むしろ価値があるものを広告する行為自体は賞賛されえるべきだと思うし、そもそもセルクマをはてなは禁止しておらず、運営に認められた普遍的なブログ執筆活動の一貫。また、ブログを書くという行為は自分の時間を切り売りしているわけだから、当然その行為で生まれた価値を広告する権利をブログ運営者は持っていると思う。多くの有益なブログを運営する人はセルクマを批判するナンセンスな人には惑わされてはいけませんよ。そういう人ってたいていは匿名だし。そんなことで本源的に価値のあるブログ記事を埋没させた方が日本にとっての損失ですから。
それから、セルクマ批判あるいは執筆者のはてなブックマークのジャンル変更を否定する人は広告活動自体を否定しているんでしょうけどど、それっていわば文明否定というか、電気使うなみたいなもんですよね。文明は地球を蝕んでいるから電気使うなって言ってるようなもの。現代において広告活動はモノ作りと同様に語られるべき経済活動なのに、その価値を理解できないというだけで広告活動を否定するのは極めてナンセンス。電通とか博報堂に価値が無いと言っているようなもの。電通に価値が無いですか?あるでしょう。セルクマして記事を広告する行為に価値が無いですか?あるでしょう。
おそらくセルクマ批判する人は自分が価値のあるブログを運営した事が無いのではないかなとも思いますね。人の足を引っ張るよりは、自分自身を高めて、自ら有益な情報発信者となるべきです。自戒を込めて書いてみました。
悪の根源は電通と設定すれば楽だよな。
車離れは極単純で、生活に必要がないものはいらない。もしくは欲しいと思うことはあっても、そのために免許、車、駐車場やメンテ、そのお金と労力を考えたら、買うのがバカらしくなってしまう。だから電通が車持つのがかっこいいとあおっても無駄。
恋愛に関して電通が煽ってきたのは童貞はかっこ悪いというもの。だから男にとってsexはゴール。女にはスタート。というギャップが生まれる。のでなかなかsexまで到達しない。男はそのために服装、持ち物にお金をかけ、流行をチェックし、なんとも電通に都合のいい人間になる。sexの初体験だけなら3万くらい払えば済ませることはできるけど、電通はもっとお金使ってほしいから素人童貞という言葉を作る。
若者の恋愛離れは、sexは生活に必要がない。もしくはしたいと思うことはあるけど、そのために多大なお金や労力を使うのがバカらしいから・・・
ただ性の問題には、大きく分けて3つの側面がある。愛情表現(ラブ)、性的娯楽(エロス)、そして生理現象としての側面。とホワイトハンズ坂爪真吾氏が語るようにsexは一概に子作りとか性欲処理では語れない側面もある。風俗に行くと熟年のプロより素人新人の方が人気がある。行為よりも風俗嬢との会話の方が楽しかったりする。
それはメディアのせいで私たちがsexに対して何を求めてるか分からなくなっているからで、本当の自分の欲求を分からなくするのもまた電通の得意とするところである。
テレビを見なくなって久しい。今ではいつどんな番組をやっているのかさえよく知らない。だから今年の24時間テレビがもう終わってたことも知らなかった。2ちゃんねるのまとめブログで「出演者にギャラはらってチャリティーって言いながらクズばっか」みたいなエントリーがアップされるのを見て、あぁこんな季節にやってたっけなと思い出したくらいだ。昔は僕自身も「へっ偽善者番組がっ!!」などと思っていたがテレビを見なくなってテレビ文化から離れてしまった今となってはそんな怒りはわかなくなった。距離を置いたことで冷静に見られるようになったのかもしれない。
さて、出演者のギャラについてだが結論から言えばこれは悪いことだとは僕は思わない。むしろタレントへのギャラがよくないという意見に若干の違和感を感じる。
番組制作の枠組みとか流れを考えてみよう。ネットで見た意見の中には「募金をタレントのギャラに使ってる」などというのもあったがこういったのは誤解であると思われるし。まず24時間テレビに限ったことではなく日本のテレビというのは広告主(スポンサー)、放送局、視聴者という三つの要素から成り立っている。
これに電通、博報堂などの広告代理店とか番組制作会社とかあといろいろが絡んでくるわけだけどそれは一旦置いとく。このように日本のテレビというのは広告媒体として発展してきたわけだ。ただCMとか流しても見てもらえるわけないから面白い番組を放送してその合間にCMを流すことでコマーシャルの質を高めてる。
さて広告主から資金を得て効率よくコマーシャルを流すのが放送局の役目。得た資金を元に「番組」というコンテンツを作らなければならない。コンテンツが面白く視聴率がよくないと広告主は資金を出す意味がないからね。コンテンツを作るために放送局は製作会社に依頼する。制作会社はコンテンツを作るための場所と物と人と企画を用意する。たとえば武道館という場所を借りるにはお金がかかる。タレントという出演者をに出てもらうにもお金がかかる。もちろんこれにかかる費用は広告主から出された資金を元にしている。こうして番組が作られている。そして番組とともにコマーシャルを流す。24時間テレビであっても変わらないはずだ。24時間テレビでもコマーシャルは流れるよね?(もし流れないんだったらこのエントリー自体の意味がなくなるが笑)
番組の制作費は広告主から出ている。これ重要。けして視聴者から集めた募金から番組を制作しているのではない。
http://www.ntv.co.jp/24h/contents/how2012.html
募金は全額福祉環境災害活動に使うという方針らしい。(収支報告を出しているかどうかまではわからなかった。)つまりコンテンツの制作にかかる費用は全くの別会計、別の流れがあるということだ。で、問題になっているタレントのギャランティーだがこれはコンテンツの製作費に含まれるということになる。「タレントにギャラを払うのはおかしい」というのは何となくわかる気がしながらも違和感を感じていたのはここにポイントがある。コンテンツ制作の流れを見てわかる様に24時間テレビにおける「タレントのギャラ」は「武道館のレンタル料」と同じことだ。調べた限り証拠はなかったがたぶん武道館にはレンタル料払っているのだろう。これは人を用意するのと場所を用意するのの違いだけで基本的には同じ費用の類だ。でも今まで見た批判の中に「武道館へのレンタル料を払っているのはおかしい」という意見は見たことがない。あったら教えて欲しい。タレントがチャリティーで儲けるなと批判するなら武道館はチャリティーで儲けるなという批判もあるべきだ。結局はタレントへのギャランティーの問題は視聴者の「タレントはテレビの人」というイメージの問題に収斂するのではないだろうか。タレントはコンテンツのソフトとして”使われている”だけで本来は放送局と同じカテゴリーのものではない。もちろんそういった「テレビの人」というパブリックイメージを用いて経済活動をしている限りチャリティーのギャラには節度が必要という意見はあってしかるべきだとは思う。
たとえば平々凡々な一般人たる僕がチャリティーをしようと思う。そうだ、Tシャツを作って売ってその収益を寄付しよう。拙いながらデザインを起こしてTシャツを買い、印刷会社にプリントを発注する。かかった経費の3掛けで売ろう。なんとか作った分完売。交通費や販売に関しての諸経費は考えないことにして収益は全額赤十字に寄付した。領収書はスキャンしてブログで公開。
さて、批判されるところはあるだろうか?偽善と言われるのはしかたない。だって偽善だもの。でもTシャツのメーカーや印刷会社を批判する人はいないと思う。24時間テレビにおける出演者はまぁこの印刷会社と一緒だ。Tシャツ売るってチャリティーで儲けてるやつらがいるぜ、糞と味噌の区別もできずに批判しているのと同じだ。ギャランティーを支払われるのは批判されることではない。と思う。
最後にはなるが「チャリティー」と銘打ってる限りイメージや収支に関する説明責任とかは大事だ。それは番組の内容にも係わってくるがそれはこの日記のテーマの出演者のギャラとは別の問題だ。そしてそれに関しては僕は語る言葉を持たない。
最近AKB48が何かと話題だ。先日あった総選挙なんかはいよいよ全国盛り上がる国民的イベントの様相を帯びてきて当団体の人気を示すものになっている。一方でその商法などなど問題点が多いこともかねてから指摘されて久しい。ちょっと自分用メモ程度にまとめていくのでよかったら参考にしてください。
いや、別に言うまでもないことだけど総合プロデュースの秋元康氏、AKS窪田氏、Office48芝氏が電通らメディアを巻き込んで立ち上げたアイドルプロジェクトになります。このへんキーワードにしてググるだけでもいろいろ出てくるので興味のある方は調べてみればいいんじゃないかなと。各メディア巻き込んで且つ、所属メンバーの事務所を分散したまさに"総占拠”。素敵ですね。(※参考 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120607/233074/)
まさかここまで人気になるとか思ってもなかったんじゃないかな。とかとか言ってみるものの別に個人的にAKB自体を負の塊のような見方はしてなくて、むしろ不況やら自然災害やらでなんだか閉塞感漂う日本の世の中に明るさをもたらしている側面は少なからずあると思っていて、その点は少なからず本当に意義のある団体だと思うんです。
ただ一方で最近になって様々に問題点を指摘する声が多くなってきたのでちょっと整理。もちろんマスメディアはAKBを扱うのはタブー的になってしまうのは理解されるところなのでね。あそこまで様々に数字持ってる団体と関係が悪化するのなんて、そりゃその数字で飯食ってる業界からしたら下手に触れないのは理解できるわけで。まあそれはともかくとして、
最も頻繁に取り沙汰されるのがこの握手券商法に関して。これでCDを売ってもCDは廃棄にいって音楽としての価値は微妙なのに握手券欲しさにCDが売れてオリコン1位常連に。これって音楽業界的にどうなの、的な話が多い昨今ですね。(※参考 http://matome.naver.jp/odai/2133826050573002201)
で、結論からいうとこれに関してはいろいろと分けて考えなきゃいけないなあと。個人的にはよく言われるほど悪いこと一辺倒ではないのかなとは思ったりします。
音楽業界からするとCDが売れること自体はもちろんいいことなわけで、AKB団体自体や関連事務所らもそれを喜びます。また資源にやさしくないので握手券だけ売ればいいじゃないか的な、批判が多かったのだけれど、これも個人的には業界利益を考えると必ずしも合理的では無いと思っていて、ここで書いたレーベルやまたプレス(要するにCDという商品それ自体を実際に作るところ)にも利益をもたらすことになるので「たとえ無駄でもCDを作って売ったことにする」ことをやめるというのは業界だけの部分合理性を考えるとそう簡単にやめよう、とはならんのがわかります。(というかその辺の音楽業界全体に利益がわたって、悪い顔されないようにしてるあたりが前述の秋元さんはじめとするマネージャ陣のしたたかなところかなと。)まあ、もちろん環境的によくないというのは事実なので、それなら環境団体NPOみたいなのが頑張って反対するくらいの話にしかならんでしょさしあたり。
よって「CDの過剰生産」自体は何を問題とするかによるけれどもちろん必ずしも悪といえないということになります。論点として環境・資源的視点 対 商業 に凝り固まってるきらいがあるけれど、音楽業界の延命治療的な側面(まあ穴掘って自分で埋める公共事業的なもんですね)を置き去りにするとこの話はあまりに短絡的になりすぎるかなと。(もちろん新しいビジネスモデルを構築できずに苦しんでいる音楽業界をこのような形で延命治療するのはいかがなものか、という批判はここにおいて非常に真っ当且つ建設的なものだと思います。ここは後述)
で、音楽業界の目的として、やはり「よりよい音楽を消費者に提供する」のが一応建前上の至上命題ということになってます。で、そのためにはもちろん健全な利益を出して業界自体のサステナビリティを保っていくようなのは手段の一つとして認められるところなので(この辺出版業界の押し紙的な話と非常に似てますね)、この商法が音楽業界が「よりよい音楽を消費者に提供する」目的には経済的には音楽業界に資している一方で、他のアーティストの露出機会を食ってしまっているという機会費用的な側面を考え合わせるともしかすると我々の音楽文化はよりよいものにはなっていないのかもしれません。カラオケで歌う曲とか良い感じの作業用BGMが継続的に提供されるだけで嬉しいんですけどね。最近そういった状況が実現できているかというと正直微妙でしょ。AKBの曲ばっかりヘビーローテションするのも飽きちゃった。
また、メンバーがその他業界に今後展開していく(お芝居、グラビアとか)にあたってパフォーマンスが非常に下がることが予想されます。これも個人的には実はあまりよく思ってません。やっぱりどうしても彼女らにそういったパフォ-マンスの質を求めるのはかなり難しいからです、ただでさえ忙しくて稽古はできないし、またグラビアとか見てもお世辞にもルックスが他のグラビアやってる人達よりいいとはいえないあたり、別に彼女らをDISりたいわけではなくて、やっぱり専門で分業を行うことがより豊かなものを生み出せることがあるのでこの場合も然りなのかなと思ってる次第です。
いろいろ漏れやダブリがある記述なのはさておき、ファンは幸せなの、つまり消費者の側はどうなのかね、っていう話。これもあまり言い始めるときりはないからなあ... ただガチャとかの話に似て、一人で何百枚購入とかして破産寸前までいったり依存的な精神状態になったりするのがいたりするけどそれ自体はこの団体に関連するものに一切を責めれないですよね...(コンプガチャの件も規制理由は射幸心煽るなとかだし)会いにいけるのコンセプト自体はファンを喜ばせるのに成功してるんじゃないでしょうか。
あまり焦点があてられないのは個人的には少し不思議に思うのは、少女ら側の労働負担に関してです。これだけの人気団体になったのだから、多少は忙しくて当たり前、というのは至極当然で、まあ有名税だ贅沢な悩みを吐かずに頑張れ、というのは一理あるとは思うのですが、これも程度問題なので、例えば最近とあるメンバーが体調を崩して入院したけれどもなんとか復活してライブで笑顔を見せた、みたいな話もあったじゃないですか。どうなんですかね、健康な15やそこらの少女が過労で体調を崩すような労働環境が果たして健全なんですかね。
また、より個別の話をするなら、ここにおいて握手会の商法は最も糾弾されるべきだと個人的には思っています。なぜならちょっと知ってる方なら知ってる話しなんですが、握手会これずっと立ちっぱなしでベルトコンベア的に次々流れるファンの人々と握手をすることになってるんです。一人10秒とかで。これ非常にきついですよ。もちろんこれだけで体壊した、というわけではないんですが、自分も一度参加させてもらったことがあるんですが、大したコミュニケーションができる場ではなかったように記憶してます。(※偏見を拝するために書いておくけど、そこまで熱心なファンではないけど社会見学的なノリで行きました)あれだったら、もっと抽選くらいにして一人あたりのコミュニケーションを高めたほうがいいとは思うのですが、もちろん握手券の拡販のためにはそれができないジレンマを抱えるため、そのような案は検討されなくなるのは言うまでもありません。本当にファンならこの辺声をあげたらいいのにと思うけどそういう話ってないんですね。
それでありながら個別の有名所、例えば前田敦子さんや大島優子さんらでも個人の給与が推計で3~4千万と出てますね。末端メンバーになるとまさにワーキングプアに近いような言い方をされることが時々ありますね。これだけ稼ぎだす団体がこのような利益配分というのは少し胴元が持って行きすぎに見えるんですけどどうなんですかね。これで夢を売るとか言っても無理だと思うんだけど、アメリカンドリームな壮大な夢を見ないのは日本のお国柄かしらね。
とりとめもなくメモしたんだけど何かしら参考になれば幸いです。以上見たように、個人的には世の中を明るくしたり、共通の話題としてはすごくいい、けど、音楽業界がその微妙な体質を無駄に延命するのに加担してしまっていたり、本業以外に今後侵食することで他のコンテンツの質が下がることが予想されること、またメンバーの人達の労働環境に大いに改善部分が見られるあたりは問題なのかなと思っています。
もちろん繰り返すけど世の中を楽しくするあれってことで総合的にはいいと思ってるんですけどね。総選挙の大島さんの笑顔の写真は良かったですね。