はてなキーワード: 疑似科学とは
「みんながカメラマン」を使った結果、別に被害が起きなきゃ搾取される投稿者がいるだけで、別に問題ない。
具体的に言えば以下の感じ。
「自分の息子が隣の家の子供の面白ビデオを勝手に投稿、テレビ朝日に止めてくれるように頼んだが、ゴールデンで放映、隣家から苦情」
「市民活動家の許可を得て撮影し投稿、変な擬音や落書きで珍ニュース扱いのバラエティ利用。訴訟へ」
「ハリケーンで巻き上げられる自宅を観る度に精神的な被害が、と訴えられる」
「テレビ朝日は、一切の責任を負わない」「第三者からの請求には、投稿者の責任と費用で解決」「違反していた場合の損害は、投稿者が賠償」
「自分の息子が隣の家の子供の面白ビデオを勝手に投稿、テレビ朝日に止めてくれるように頼んだが、ゴールデンで放映、隣家から苦情」
表示されるのは氏名だが、「生放送中に、街の名前をうっかり放映」「放映を止めるのが間に合わない」という放送局側のミスでも、責任は投稿者にある。
結構ソフトな表現にしたが、うっかりライブ映像を投稿した場合、矢面に立つのは迂闊な子供を持つ保護者だ。
「一切の責任を負わなくて良い素材テープ」が有ったときに、「責任を負う可能性のある素材テープ」との使い方に差が出るのは、当然だろう。
「市民活動家の許可を得て撮影し投稿、変な擬音や落書きで珍ニュース扱いのバラエティ利用。訴訟へ」
同一性保持権は著作者人格権の一種なので、「著作者人格権を行使しません」とは「好きに使って良いよ」という事になる。
なので、ある市民団体や活動家に取材を申し込んで、ニュースで取り扱って貰うように投稿した結果、
番組内で「疑似科学乙ww」とか画面に書き込まれてバラエティでお笑い芸人に散々弄られても、文句は言えない。
地域・期間・回数・利用目的・利用方法・利用態様を問わず許可してしまっているので、
「大学生の時に、ブスから美人へのメイク講座としてうっかり投稿→就職後もことある毎に再放送され出版へ」となっても止められない。
「ハリケーンで巻き上げられる自宅を観る度に精神的な被害が、と訴えられる」
ハリケーン映像とか台風の被害投稿とか、結構ありがちな素材だろう。
「店の看板が一瞬写る、風評被害だ」とか「自宅が吹っ飛ぶ映像が何度も映る、苦痛だ」とか。たぶん問題ない。
たぶん問題ないんだが、訴訟になったときに、テレビ朝日が強力な弁護団を組んで、普通に勝訴したとする。
示談にした方が安く付くとか、そもそも再放送しなきゃ良いとか、テレビ朝日には関係無い。
一番判りやすいのは「「FNNビデオPost」利用規約」だが、使用権を貸与したものとして扱うことになってる。
期間や利用形態の定めがなく著作者人格権を行使しないともなっていないので、FNNは無制限に使うことが出来るが、利用者が止めてと言ったら止める必要がある。
若気の至りを止められるし、市民団体から抗議がある可能性がある編集は、FNN側が当然責任を負う事になる。
裁判になれば、無茶苦茶な利用規約は無効になるから実はあんまり関係無い。
また「ホテル従業員が芸能人の利用をTwitterに投稿」とか炎上するにしても今と変わらないこともある。
今までのビデオ投稿系と何が違うかと言えば、「著作者人格権を行使しない」ので「こんな使い方されるとは思わなかった」を許容しろって事。
WBSのトレたまに投稿した社員一同頑張ってます動画を、面白おかしく加工して銀魂でネタにされるとは思わないだろう。
幼稚園の娘がプリキュア踊ってるのを投稿したら、将来3D化された上で「ギルガメッシュナイト〜今夜はロリパーティー〜」でイジリー岡田になめ回されるとか。
著作者人格権を行使せずに、テレビ朝日が指定する第三者に利用させることが出来るって「契約」は、つまりはそういうこと。
テレビ朝日は投稿データを、地域・期間・回数・利用目的・利用方法(放送、モバイルを含むインターネット配信、出版、ビデオグラム化、その他現存し、または将来開発されるあらゆる媒体による利用)・利用態様を問わず、自由に利用し、またテレビ朝日が指定する第三者に利用させることができるものとします。当該利用にかかる対価は無償とします。
正直、テレ朝が偏向報道した結果、893のフロント企業から抗議が来て、動画投稿者の個人情報を渡して責任取ってねって振ったら、大炎上するだろう。
まず間違いなく心あるテレビマンなら止めるし、まともな上場企業の法務がチェックしてれば、そう言うことにはならない。
だから、心霊写真を投稿したつもりの女子高生の顔だけ切り出して、「いっぱいだしてね!」と入れた上でAV専門店の看板素材として提供されたりはしないだろう。
ただ、この契約というか規約上は、そう言う使い方を許容せよと書いてある。
裁判に持ってくまでは担当者の良心に依るしかない規約って、マズイと思うわけだよ。
削除は入るかどうかってところだが、正直無期限無制限に使用させろっていう割に、削除に未対応とかすごいことになってる。
バラエティに使って将来DVD化する時に許可得たくないってことなんだろうけど、そう書かないとこれ駄目だよなあ。
公共性があると思って近所の火事投稿したら、週刊誌に「天誅だ!(写真はイメージです)」とか使われる可能性があるとか、フリーダムすぎる。
いつものことじゃねえか、と思うかもしれないが、今回は疑似科学信奉者や(たまに増田にも現れる)アンチナトロム教徒ではなく、天然ものである。
http://megalodon.jp/2014-0713-1445-38/d.hatena.ne.jp/NATROM/comment?date=20140626
コメント欄の「通りがけ」なるハンドルの書き込みに注目…といってもまあ、非常に退屈な内容なのでまともに読む気にはなれない人がほとんどであろう。日頃どんな反応でも書き込みがあれば大喜びでコメントするNATROMせんせーもそう思ったようで、めんどくさそうに「次は問答無用で削除します。」と、これだけ。
それだというのに三日後にまたしてもコピペを貼り付ける「通りがけ」のキチガイ無双っぷりよ。
おそらく今晩あたりNATROMせんせーは一連の書き込みを削除し、その旨コメントしてこの件は終了となるだろう。削除することに異論はないし、キチガイ相手であってもまず警告を与えるというスタイルは尊敬に値するとさえ思う。
最近、従軍慰安婦問題を中心とした歴史修正主義が大手を降って表通りを歩く様になって来ていてまったく嘆かわしい限りだが、要するになんでこんな馬鹿げた嘘つき連中に騙される善良な市民がいるのかと言うと、それはヘイトスピーチがその定義に「出自やアイデンティティに関わる属性などによって差別する」という意味があるのも知らずに、「差別をしたら罵倒された。これはヘイトスピーチに対するヘイトスピーチだ」などという滅茶苦茶な主張に騙されてしまうのにも似た、まあ一言で言えば「言葉の定義を語感でなんとなくしか捉えない」国語力の低下に起因するものであろうと考えられる。残念ながら、「歴史修正主義」という言葉を前に「歴史は仮説に過ぎないのだから、見直すのは良いことなんじゃないの?」というような自分では冷静に考えたつもりであろう意見は、単なる無知の成せるわざと断ぜられる。なんとなれば、簡単に歴史を「見直せる」と考えること自体が、疑似科学ならぬ疑似歴史学とでも呼べるような間違った発想だからだ。
歴史は元々、矛盾を内包するものである。それはどういうことかというと、普通どんな定説が作り上げられる過程にも矛盾した史料と言うのは必ず存在するということである。現存する矛盾した史料を全て集め、突き合わせ、読み込むことによって、「少なくともこの出来事はあった/なかった」をひとつひとつ確定していったものが歴史の定説なのである。この過程を史料批判と言い、要するに文書と言うものはどうで執筆者の主観、立場、その他もろもろの事情から切り離せぬものなのだから、そこを考慮して信ずべきところとそうでないところを選り分けるという作業である。特に言えば、官僚の作成した政府資料などと言うものはときの政府の都合に合わせきった単なるプロパガンダと見るのが当然であり、そんなものは歴史に限らず今のご時世だって政府発表の資料や説明をそのまま鵜呑みにするのは馬鹿のすることだとまともな大人ならわかることなので、「当時の政府は悪いことはしてないと発表している。だから悪いことはしてないはずだ」などと言う幼児のごとき論理は真っ先に排除される。
矛盾する史料を付き合わせて組み立てられた歴史の「定説」は、当然ながら、仮に今新しい、何か定説と矛盾するところのある史料が発見されたとて、そう易々と覆されうるものではない。本当にそれが未発見の新史料とでも呼べるものであったのならば、それまであった他の史料と同じ様に読み込まれ、史料批判を行い、もしかしたら定説に多少の修正が見られる可能性もないではないが、殆どの場合それほど影響をもたらさない可能性の方が高いであろう。言うまでもなく、「ここに新たなる史料の見つかった。これは定説と矛盾するからして、定説は見直されるべきである」などという歴史修正主義によくある主張は純粋にナンセンスである。歴史学は、人の書いた文章の嘘を見抜くのがその手法の重要な部分を占めている学問である。嘘をつかない自然を相手にしている自然科学とは違い、単純にひとつの事象を観測して、その観測に勘違いがなく、その上で定説や既存の理論と折り合わないようであれば十分な反証が得られたと考えるような、いわば性善説にでも則ったような発想はしないのである。
以上が、原理原則から歴史修正主義の疑似歴史学性、それが如何に歴史学的な主張として正当を欠いたものであるのかの説明であるが、もっと現実的な処世術として持っていると便利な視点は、歴史修正主義とはためにする運動以外の何ものでもないと言うことだ。歴史修正主義者は常に結論から全てを考える。結論に合わせて史料を探し(多くの場合彼らのいわゆる「新史料」は実は史料批判の終わっている既知のものである)、求めるものから逆算して史料を読み、ときにその史料が結論を裏付けてくれるものでないと知れれば、あっさりとそれを捨て別の史料に根拠を求める。こういったやり方が史料批判という歴史学的な手法に反しているのは言うまでもないが、残念ながらこの恥知らずな姑息さこそが、善良な素人をして歴史修正主義に理ありと錯覚させることもある要因となっているのも否めない。素人目に一見正しそうに見える主張をしている手合いにこそ、その「正しそう」に見える部分が何か狡猾な手段から来たものでないのか、学問的な手順の不正によるものではないのかと疑うことが必須である。
歴史修正主義は疑似歴史学である。それが用いるロジックは一言で言って詭弁であり、歴史を簡単に見直し、修正することが出来るかの様に喧伝する議論は学問的にまったく正当性がないのみならず、不見識な素人を騙すためならなんでもする詐欺師にも似た卑劣な活動に他ならない。昨今の日本の歴史修正主義の台頭は、国外から戦後体制に対する反逆と見られるのみならず、こと21世紀に至ってもまったく成長の見られない日本人の論理的な思考力の弱さ、都合の良い結論への飛びつきやすさ、畢竟ためにする勢力のプロパガンダに如何に簡単に騙され流されるかという知的な脆弱さを露呈しているのである。
ロリコンは生きていた!! 更なる研鑚を積みコンビニ店長が甦った!!!
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com (注:甦ってません)
はてなサヨク Apemanだァ――――!!!
本を読みしだい語りまくってやる!!
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/
真の社会派記事を知らしめたい!! 青二才 三沢文也だァ!!!
http://ch.nicovideo.jp/huckleberry
ブラック企業対策は完璧だ!! 脱社畜ブログ 日野瑛太郎!!!!
http://dennou-kurage.hatenablog.com
はてな村語りなら絶対に敗けん!!
精神科医の分析見せたる オタクドクター p_shirokumaだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/
http://gallerycraft.hateblo.jp
埼玉県からはてな女子が上陸だ!! デトックス 体調わる子!!!
http://geriharawatako.hatenablog.com
ルールのないブログが書きたいから第三のブロガーを名乗ったのだ!!
めい土の土産にenchantMOONとはよく言ったもの!!
ユビキタスエンターテインメント 清水亮社長だ―――!!!
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
就活ニュースを配信したいからここまできたッ キャリア一切不明!!!!
揉め事の本場は今や発言小町にある!! 私を驚かせる釣り師はいないのか!!
トピシュだ!!!
そんじゃァァァァァねッ
説明不要!! 140000users!!! 70000000PV!!!
ちきりんだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/
サッカー解説にいつのまにか磨きをかけ ”キノコ” pal-9999が帰ってきたァ!!!
http://pal-9999.hatenablog.com
今の五輪に経済効果はないッッ!! 経済のトリセツ 山形浩生!!!
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/
運営九年の妙技が今ベールを脱ぐ!! 公式から はてなブックマークニュースだ!!!
http://b.hatena.ne.jp/articles
idはないしょだ!!! はてな匿名ダイアリー!
増田たちがきてくれた―――!!!
はてサのデンジャラス・ウルフ hokke-ookamiだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/
実戦だったらこの人を外せない!! 超A級ブロガー Rootportだ!!!
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/
超一流ブロガーの超一流の喧嘩だ!! ディスプレイ越しに拝んでオドロキやがれッ
MCあ、ざ、な、え、る、なわのごとし!! paradisecircus69!!!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com
ネットWatchはこの男が完成させた!!
老いた会長は亡くなったッ
俺達は君の冥福を祈っているッッッ
しなもんの登場だ――――――――ッ
http://cinnamon.hatenablog.com
……ッッ どーやらhagexは忘れられた様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
関連
今更ながら、「米のとぎ汁乳酸菌」というのを知った。
米のとぎ汁をペットボトルに入れて蓋をして一週間放置する。できたものが臭かったら失敗、酸っぱいにおいなら「米のとぎ汁乳酸菌」の出来上がり、というものらしい。これを飲んだり部屋に撒いたり庭に撒いたりすると、この中に含まれる光合成菌が放射能を分解するのだそうだ。
僕は一応理系の人間なので、まずは「マジありえない、馬鹿馬鹿しい」と思った。と同時に、似非科学批判をかじった人間なので、「これ信じる人も結構いるんだろうな」とも思った。「米のとぎ汁乳酸菌」の記事を読み進めると、「EM」という言葉が出てきた。有名で代表的な疑似科学だ。僕は苦々しい気持ちになった。
EMについては、すでに沢山の方々が批判を書いておられるので、ここではEMの非をあげつらうことはしない。以下に書くのは、僕とEMとの、個人的でささやかな、しかし長い期間の関わりについてだ。EMやコメのとぎ汁乳酸菌についての検証や批判を読みたい人は、このページを閉じて別のところに行った方がいい。
初めて「EM」に触れたのは、僕が中学生の頃だった。母がどこからかEMというのを仕入れてきた。世の中の割と多くの母親が、「化学」や「合成」よりも「自然」「天然」を好むのと同じく、僕の母もそういう人であった。母は毎晩米をといで、とぎ汁とEM菌と糖蜜をペットボトルに入れて蓋をし、家族が入り終わった後の浴槽に浮かべるようになった。そうして出来上がった汁を「発酵液」などと呼んでいたが、母はそれを庭やトイレに撒くだけでは飽き足らず、洗濯にも使うようになった。洗いあがったタオルを触って、母は「柔軟剤使ってないのにふわっとしてるでしょ?」と訊いてきた。言われてみればふんわりしているような気がしないでもなかったので、「うーん、そうだね」などと曖昧な返事をした。しかし、菌は菌である。発酵液の臭いは、糖蜜の甘いにおいに何とも言えない酸っぱいにおいが重なっていて、あまり嗅ぎたい臭いではなかった。その上、僕の家では入浴剤を入れた風呂の残り湯を翌日の洗濯に使っていたので、洗いあがった洗濯物は他所では嗅げない独特の臭いがしていた。僕は小学生のころから、洗濯だけは自分のものを分けて洗っていたので、服についてはEM洗濯の被害を免れたのだが、EM洗濯をはじめてからは自分専用のタオル類も自分で洗うようになった。
EMを使っている母は楽しそうに見えた。環境に良いコトをしているのがうれしかったのかもしれない。僕はそんなにEMのことは好きになれなかったが、楽しそうにしている母を見るのは悪くなかった。その後僕は(EMとは無関係のところで興味を持って)生物学を学べるところに進学した。進学が決まったころ、母が「学校で習ったら、菌のこと教えてね」と言ってきて、僕は快く返事をした。
僕が進学して、非リアながらも楽しいスクールライフを送っているあいだに、母はEMを個人の趣味から団体での活動へとシフトさせていった。僕と違って母は顔が広く、何人かの知人女性たちと一緒にEMの活動を推進しはじめていた。
進学してからしばらくして、母が僕にEM関係の頼みごとをしてきた。自治体に提出する、EMの影響について実験したレポートを添削してほしいという事だった。僕は菌の種類やBODなどについてようやく学んだところで、教科書や図書館の本を参考にしてレポートを読んでみたが、そのレポートは、凡そ科学とはかけ離れたものであった。実験といっても、比較対象もなくデータの単位もあやふやでデータ数も少なすぎた。未熟ながらも科学者としては、「この実験からは何の結論も言えない」としか言えなかった。だがレポートの結論は「EMは有効」と決まっていた。それで僕は、「この実験からEMが有効であるという結論は導けない」ということをオブラートに包みながら母に言った。母を失望させるのはしのびなかったが、科学者(の卵)としての良心にも嘘はつけなかったので、これが僕の当時の精一杯の対応だった。しかし結局そのレポートが議会で承認されたのか、母のEM活動はさらに拡大していくことになった。
やがて僕は一人暮らしを始めた。高速のインターネット環境を手に入れ、ネットの海をひとしきり漂った挙句、とある疑似科学批判のコミュニティにたどり着いた。僕は一応科学者の端くれを自認していたし、マイナスイオンなどの詐欺的な疑似科学的言説に憤りを感じてもいたから、コミュニティに参加(ROM専だったけど)し、そのなかの議論を観察し続けた。当然ながらそこには、EMに対する批判もあった。
僕はそれまで、EMが批判されていることを知らなかった。僕自身はEMを胡散臭く感じていたし、好んでもいなかったけれど、たとえEMで川が綺麗にならなかったとしても汚くなることもないだろうし、多少なりとも良い点があるのならば別にいいんじゃないか、と思っていた。母が推進しているEM活動に対して、きっぱりと批判の対象にしてしまうのが怖かったのかもしれない。少なくとも、他の疑似科学みたいにお金を儲けたり人を殺したりしているわけじゃない、と。
でも僕は知ってしまった。疑似科学と人の善意が交わると嫌なことが起こったり、困ったことになったりする。しかも善意だから、批判しにくいこともあるし、批判された方も自分の善意を否定されたと感じて素直に受け入れられない。特に子供がかかわってくると問題は複雑になる。
時々は実家に帰る。風呂場には今もEMのペットボトルが転がっているし、食器洗いを手伝うときはEMを混ぜ込んだ茶色い食器用洗剤を使う。台所の隅には生ごみのコンポストがあり、蓋を開けるとあの何とも言えない異臭が漂う。母は一時期、電磁波を遮断するというEMブレスレットをつけていたこともあったし、あの有名な「水からの伝言」を持っていたこともある。そういうものを見かけるたびに、皮肉を混ぜ込んだうえオブラートで包んだ僕の意見を伝えてきた。そのためかわからないが今では母はもう僕にそういうものを勧めてくることはなくなった。
母は知人にEMを配布したりしているのだが、それに同行したことがある。その知人には一人暮らしを始める娘さんがいて、母は彼女にもEMを渡していた。彼女は笑顔で受け取り、「これを入れるとトイレが本当に臭くならないんですよね」と言った。僕よりも若い娘さんが、一人暮らしの部屋でEMを使う。そのことを考えると、とても奇妙な心地がした。
僕は今も母のEM活動を静観しつづけている。EMは母の日常に完璧に溶け込んでいる。そしてもはや母一人の活動ではなく、親戚や知人や自治体、さらに周辺の自治体や団体にまで影響範囲は拡大している。僕にはそれを止める力はないし、母との関係を悪くしたくもない。
ネットで疑似科学を叩けても、母には何も言わなかった、僕は卑怯者かもしれない。
だけど今の僕には何もできない。
「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針-訳文できました - うさうさメモ
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター - うさうさメモ
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
2.理論や技術がピア・レビューされあるいは出版されていること。
3.結果を評価するために誤差率や標準的な手法が明らかにされていること。
分析的基準が決められ、それがどの程度の誤りが生じるのか明らかにされていること。
4.専門分野で一般的に受け入られていること。
ドーバート基準で証拠価値が否定される次のターゲットは銃器鑑識である
科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。
「ダメな科学」を見分けるためのおおまかな指針-訳文できました - うさうさメモ
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター - うさうさメモ
医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
科学的に物を言うには、「ブラインド(二重盲検査法)」という手法を使わなければいけません。その検体が誰のものか分からないという設定でなければいけません。
2.理論や技術がピア・レビューされあるいは出版されていること。
3.結果を評価するために誤差率や標準的な手法が明らかにされていること。
分析的基準が決められ、それがどの程度の誤りが生じるのか明らかにされていること。
4.専門分野で一般的に受け入られていること。
もしも起訴されたら99.9%有罪になる―無実でも有罪になる「密室裁判」というシステム (日文新書): 井上 薫: 本
刑事裁判の光と陰―有罪率99%の意味するもの (有斐閣人権ライブラリイ): 渡部 保夫, 大野 正男: 本
「無実を探せ! イノセンス・プロジェクト DNA鑑定で冤罪を晴らした人々」 Actual Innocence|朝日新聞グローブ (GLOBE)
BS世界のドキュメンタリー|冤罪から救出せよ ~アメリカ無実プロジェクト~
asahi.com:米の死刑囚ら188人、DNA鑑定で続々、無実を証明 - 国際
銃器工具痕鑑定の非科学性を主張する元FBI研究室長の宣誓供述書
写真から指紋を複製、認証システムをスピード突破可能に… : ギズモード・ジャパン
はてなブックマーク - 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
++ 【飯塚事件】国家による殺人か? 〜有罪の決め手は科警研が実施した精度の低いDNA型鑑定だった」第二の足利事件といわれ ++
DNA 証拠の許容性ー Daubert 判決の解釈とその適用
G2|DNA鑑定はウソをつく(諸永裕司)|第1回:突然の死刑執行〈1〉
全文表示 | 日展審査で「不正発覚」と朝日スクープ 美術関係者「あ~あ、そこは秘密ってコトだったのに」 : J-CASTニュース
「厳格な検査がありますから平気だと思いますが。というより産地が◯◯県ですから、遠く離れてますよね」
「でもねえ……放射能入ってたら怖いでしょ。もう怖くてこわくて」
初老くらいのおばちゃん。
どうしたもんかなーと思ったけど、とりあえず
「こういう事故があった時期だからこそ、かえって厳格な検査になってるんだと思いますよ。むしろそういう事故が表面化しなかった時期の野菜とかのほうが、よほど怖かった、ということもあるかもしれません」
とかてきとーなこと言っといた。
んでまあ、このときは産地が福島から離れてたから特に問題なく買ってった。
実際に福島県産の野菜とか入ってくると、いまだに売れない。反射神経的には「えーかげんにせーよ」と思うし、むしろ風評被害とかあって売れなくなってるからこそ、かえって現地の人は一生懸命なんで、ちったー信用してやれよと人情の面では思う。
しかしそれで終わらせてはどうしようもない。なんでだろうと考えるわけだ。まあ「放射能」の誤用はどうでもいい。なにがそこまで怖いんだと。そもそもあんたは放射能汚染についていったいなにを調べたんだと問いたい。
まあたぶん調べてない。なんか怖そうだから怖いんだろう。入ってる「かもしれない」から怖いわけだ。実際には汚染の影響なんぞ絶対に及ばないような遠くの産地のものでも入ってる「かもしれない」わけだ。いやいやそんな場所で人体に影響のあるレベルの汚染あったら首都圏壊滅でしょとか思うわけだけど、このおばちゃんにとってはそうじゃなかった。
これなんかに似てるなーと思った。
なんだっけ、こういう「あるかもしれない」ものが怖いのって……。
ちょっと考えた末に「怖い」というおばちゃんの表情を思い出して、気がついた。ありゃオカルトだ。正体不明のおそろしいものがあるかもしれない。「かもしれない」と思うから余計怖い。テレビとかで解説してくれてるけど、これはオカルト嫌いの人がいくら科学的な説明のもとに「幽霊なんかいない」といっても、効果のない人にはないのとよく似てる。まあ幽霊に会ったことないから知らないけど。
そう考えると、いわゆる「放射脳」の人たちがああも必死になってすべてが放射能汚染されてると力説したがるのも、まあ理屈としてはわかる気がする。幽霊っつーか、もっと広くとらえるとオカルトみたいなもんだけど、まず怖いんだと思う。すごく怖いので、どこにいるかわからない。その結果、いる証拠ばかり探してしまう。いないなんて言っている人は信じられない。科学的思考なんて言ってるけど、発見されていない影響がないとはいえない。だいたい科学なんてものが世界の法則を決めているなんて思えない。反証は自分の経験。こういうものが陰謀論と相性がいいのもよくわかる。なるほど、ちょっとすっきりした。
まあそんなような。
余談になるけど、うちの親類に霊感が強いという触れ込みの人がいる。いま住んでる物件を探しに来たときに一緒に来ていて「ここは出るよ」と言ってたんだけども、そのときの反応が夫婦揃って「どこ? どこ? 見える? 会話できる!?」というもので、その人は「あんたたちの前には絶対に出ない」と言ってた。で、それから数年間住んでるけど、ゆうれいなんか見えない!
話を戻して。
んでこの「なんか怖いかもしれない」って「なんかいいことあるかもしれない」とよく似てるなーとも思った。いや、このやりとりのあと、バイトとちょっとしたやりとりがあって。
そいつはけっこう体弱くて、特に内臓関連が弱い。にもかかわらず、しょっちゅうレッドブル飲んでる。カフェインけっこう入ってる飲み物を摂取していいはずない。で、そのことを言ってみたんだけど「そうなんですか!」という反応。
「薬なんかでもそうだけど、なんかの効果があるときには、たいてい裏側に副作用があるわけじゃん。その副作用の部分が作用より小さい、特に無視できるほど小さいときに、まあコンビニでも売っていいかな、っていうレベルものになるわけで。そんでおまえは内臓が弱い。ふつうの人が無視できるほどのものでも、おまえにとってはそうじゃないかもしんないじゃん」
「あー」
そんでまあ、このバイトが「うまい話」みたいなものに実によく引っかかる。世のなかのたいていのものは、それが商品である限り、売れるためにはいいことしか言わない。その「いいこと」を完全に額面どおりに受け取るので、見てて危なっかしくてしかたない。
なんでそんなことになるのかなーと思ったんだけど、以前にこのバイトが言ってたことを思い出した。
なるほどなー。書いてないことは存在しないのか。
で、このバイトと話をしていて気がついたんだけど、どうもこのバイトは、この世には「うまい話」というのがあると信じているようだ。「うまい話」を信じる心理ってのがよくわからんのだが、どうもここには「この世界は相当なところまで、ルールでがんじがらめにされている」ということを知らない、というのがあるらしい。
「うまい話」とやらが成立しない理由は簡単だろう。そんなもんがあったら、みんながそこに殺到してうまくなくなる。情報はすぐに広まる。あったとしてもそれを享受できるのは最初に気づいたごく一握りの人間だけで、そこから先は儲けられない。おまえははたしてその一握りの人間になりうるのか、という話。
放射脳とうまい話。これたぶん疑似科学みたいなもんもそうだと思うんだけど、こういうものを信じこんでしまう背景には「この世のたいていのことは説明されうる」ということ、そして「説明されえないこと」は、いまもそれを解明すべく死力を尽くしている人たちがたくさんいるということ、だからそこから外れるものは死力を尽くした果てにしかないんだということ、まあそんなようなことに対するわきまえから来るんだと思う。現状は、各所における最善の追求の集積としてこのようであるのであって、それを一足飛びに越えるものなどない、ということだ。
過去にどんな最善が、あるいは最悪がおこなわれたかを知ること、ひいては世界がこのようなかたちであるのはなぜなのかを、たとえ大雑把にでもいいから知ること。そういうものを教養というのだと思う。
さて、そのことをどうやってバイトに説明したらよいものか、といま考えている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/26/020932
「パロネタは熱い中に打て」とばかりに数カ所のみ改変したものを戯れに投下したところ、
補足1:これはパロディ(と呼ぶのもおこがましい改変ネタ)です
一行目にリンクを記載した記事(「21世紀の生存戦略」様)が元ネタです。桜蔭生かわいい。
これは、元記事の表現をそのまま用いた物ですが、元記事においては打ち消し線があります。
補足3:東大への進学実績について
2013年度において東大へは現浪合わせ99名が進学するようです。
学年あたりの生徒数が160名程度なので、約60%と算出しました。
(参考資料、pdf注意)
http://www.komaba-s.tsukuba.ac.jp/home/wp-content/uploads/2013/05/2013kokkouritu_zenkikouki0409.pdf
補足4:仕事について
だいたい似たような物だなと思って改変しなかったのですが、公務員、医者に加え、研究職や弁護士なども多いです。
民間就職する人間は安定した企業勤めが多いですが、もちろん起業志向もある人間もいます。
補足5:関西の雄について
補足6:その他
桜蔭、筑駒に限らずだいたいの都内進学校には当てはまるだろう、というご意見は完全に同意します。
とはいえ、筑駒生が結婚相手として優良なパートナーたりえることは、ここに強調しておきたいと思います。
乱文失礼。
さらに正確に観測をしていった結果、地動説の方が正しく記述できることがわかったわけで、
過去の観測が間違っているわけではないが、地動説が天動説の拡張であるわけではありません。
特殊相対論についても、その頃まではエーテル仮説が非常によく現象を表し、相対論の様な話が出てきた時には根本的に理論がくつがえるので簡単には受け入れられなかった。
エーテル化説は古典力学の様に特殊相対論の"近似"ではありません。全く別のものです。
ですので、「これまでの理論がくつがした」が疑似科学と言われるとそれは間違い。物理学の世界ですら。
ただ、物理にしろ医療にしろ、「これまでの理論がくつがした」様なレベルのものが、一般に伝わるには長い時間がかかります。
物理に関しては相対論が近年ようやくGPS等で身近に使える様になってきたレベルなので、例えば物理で新しい理論が考えられても、その検証に数十年、
実際に使えるようになるのに更に数十年かかるような物もあります。
医療に関しても長期に渡る臨床実験が必要なので、いきなり「これまでの理論をくつがえした」などということはないでしょう。
そもそも、いきなり「くつがえす」様なものが出てくることはまず無いので。
ですので、結果的に、マスコミが騒いだり、企業が「理論」を全面に押し出してきてる時は都合の良い所だけを取り出して、事実とはかけ離れている(悪い部分がすべて無視されてる、良い部分も誇張されている)事が殆どでしょう。
これについては難しいでしょう。「メディア」は殆どあてになりません。
学者というのであれば、メディア等に登場する様なよくわからない学者は殆ど駄目でしょう。
実際に正しいことをいう学者だとしても、メディア側に要求されることだけを言わされたり、余計な部分はカットされてることが多いので。
後は最近だとTwitterなんかで、本当に権威のある人まで発言してくれてるので、実際その分野に近い人ならその人がどれだけのことを知っていて、
正しいことを言ってるか判断出来ますが、これも一般の人から見れば判断は難しいでしょう。
権威ある教授とかですら、知ったかで自分の専門分野で無いことに口出ししてめちゃめちゃなことを言ってることもあるので…
1つ簡単な区別方法をあげれば、海外でも同じ様な製品があるか、売れているか、ということ。
マイナスイオンドライヤーなんて海外に無いわけで(そもそも所謂日本語の"マイナスイオン"そのものが"存在"しないので対応する言葉すらない)
流石に科学的に証明されててこれだけ広く使われるものが日本でしか商品化されてない、ということはおかしいことが分かるでしょう。
後は、その様に大きく歌われている物で、自分で明らかに実感出来る様なものでなければ、それはすべて自分にとっては"付加価値"として必要が無いものです。
そこを、言われたまま信じこんでしまって、なんとなくそう感じる、いや、絶対そうだ、ということを止める事が出来さえすればおかしなものにはハマりません。
結局のところ、詐欺的な商売にひっかからない、と言う感覚で、まともな商品であっても内容について、ひっかからない、と言う姿勢で、きっちり見ることが必要です。
簡単に見分けるのであれば、一般的な商品に比べて、大きな謳い文句でよくわからない裏付けで付加価値が付いて高くなってるものがあり、
他の商品でも実用上問題が無いものであれば、無駄に高く付加価値が付いたものを買わなければ良いだけでしょう。
追記
ブコメであったが、別に海外で信じられてればそれを信じて良い、と言う意味ではありません。。
少なくとも、マイナスイオンドライヤーとか、海外で全く出てないものはおかしいと思っても良いでしょう、ということ。一つの目安として。
アヤシゲな話に騙されない為にも、何が擬似科学で何がそうじゃないかを見分ける能力を身につけるのは
重要な事だと思うのだが、擬似科学を扱ったサイトを見てみても、そういった事を書いたのは少ないし、
あったとしても「科学リテラシをつける」みたいな感じの「そんなのできたら苦労しないよ」ってなのが多い。
そこで私がいつも使ってる、とても簡単な擬似科学判別方法を紹介する。
といってもかなり荒っぽいものだから、後述するようにうまく当てはまらない場合もあるけど、
擬似科学を疑う最初のステップとしては非常によい方法だと自負している。
その方法は、「これまでの研究をくつがえした」と言ったら、とりあえず眉に唾をつけるというものだ。
で、なぜこの方法がうまくいくか。それはそもそも科学がどういうものかを考えてみればわかる。
科学、とくに物理学の素晴らしさは、物理学のいろんな分野が膨大な現象を説明し、数百年もの間に膨大な工業製品に応用されているにも関わらず、
定説となった科学理論はどれも、世界中で行われた膨大な数の実験と、膨大な整合性確認という強烈な淘汰で勝ち抜いたものだ。
だからこそこうした驚嘆すべき整合性があり、その整合性こそが科学の根本的価値の一つである。
であるのだから、「これまでの研究をくつがえす」などという事は基本的に起こらない。
だって過去の理論がくつがえったのだとしたら、それってそれを実証した膨大な実験が全て実験ミスだったって事でしょ?
そんな事ありえるはずがないのだ。
…こんな事を書くと、「相対性理論はそれまでの理論をくつがえしたじゃん」って指摘が入りそうだけど、これは認識が間違っている。
(本論とは関係ないので興味の無い人は「話を戻そう」の行まで飛ばしてください。)
これはちょっと説明を要する。まず相対性理論以前の理論ってのは、物体が「常識的なスピード」で動いているケースを扱ったものだ。
ここで「常識的」ってのがどの程度なのかは略すが、時速1000キロくらいでも何ら問題ない。
それに対し、相対性理論ってのはさらにずっと速く秒速30万キロ(=光の速度)程度のものを扱った理論だ。
ってなわけで相対性理論はそれまでの理論と適応範囲が違うので、決して前者が後者を「くつがえした」わけではないし、
過去の実験も全て物体が常識的なスピードで動いているケースのものなので、尋常でない速度を扱った相対性理論とは矛盾しない。
(相対性理論が示したのは、それまでの理論が適応できる範囲には近似の点から見て限界があるという事。)
むしろ相対性理論が作られた時求められたのは、それまでの理論や過去の実験結果との整合性だ。
前にも言ったように、整合性が取れてなければ、過去の成果が全て実験ミスだったという無茶な結論になるからだ。
…話を戻そう。
ってなわけで、科学の理論は基本的にはくつがえされないし、「これまでの理論をくつがえした」と称するものは大抵単なる大嘘だ。
だから前述の方法は大抵の場合、擬似科学のよい判断基準となる。
しかしこの判断基準も絶対ではなく、うまく擬似科学を判別できないケースもある。
最後にそれを指摘して本稿を終わろうと思う。
この場合はまだ科学の側が準備不足なので、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。
しかしこうしたケースではそもそも正しい理論がなんなのか誰も知らない状態なのだから、
いずれにせよ眉に唾つけてかからねばならない事には変わりが無い。
もう一つのケースは何らかの理由で実験がしづらかったりデータがとりづらかったりする分野の理論の場合。
(例えば医学では倫理的理由で実験ができない場合があるし、深海の奥底のように人類が到達できなくてデータが取れない場合。)
前述のように科学の信頼性は実験とそれを支えるデータにより担保されているので、
こうしたケースで完璧な信頼性を保証するのは難しく、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。
しかしこうしたケースであっても前述の擬似科学判定法はある程度よい基準になる。
なぜなら、科学の進歩は普通の人が考えるよりもずっと遅く、10年かかってやっと一歩進むか進まないか、
残念ながらテレビを見ていると自称・科学者達が「これまでの理論がくつがした」と称して
怪しげな自説を言っているのを頻繁に見かけるが、
科学の進歩が数十年単位である事を考えれば、こうした自説の大半は間違いなのだ。
だから「これまでの理論がくつがした」ものにはいずれにせよ眉に唾をつけ、
はじめて新説をちょっと真面目に調べてみる、というくらいの距離の取りかたでも十分では無いかと思うのだ。
追記:
いうまでもない事だが、本稿がいいたいのは、「「これまでの理論がくつがした」といったら大抵は擬似科学」というものであり、
「「これまでの理論がくつがした」と言わなかったものは擬似科学ではない」というものではないので、その点は注意。
さらなる追記:
本稿はあくまで「科学にあまり詳しくない人が努力せずに疑似科学を見分ける」という視点で書かれているので
論を簡単にする為細かいところで色々とごまかしたのだが、その辺を的確に指摘してくれた方(http://anond.hatelabo.jp/20130821065224)がいるので
興味のある方はそちらも参照ください。また同じ方の指摘により、誤解されそうな部分を微修正した。指摘してくれた方、感謝。