はてなキーワード: 疑似科学とは
日記を書くきっかけははてなに次のエントリーが飛び込んできたこと。
Wikipediaの「化学物質過敏症」の記事から、「化学物質過敏症に関する議論」の節が削除され、記事に「懐疑的意見が存在する」という事実(査読論文が出展)が消されてしまったようなのである。あらら…
私は、「化学物質は身体に甚大な悪影響を引き起こし得る」ことを否定するつもり毛頭ない。当たり前だ。
ほんの僅かでも「化学物質」(種類は問わない)が存在すれば、それは悪影響を及ぼすだろう、という過激な過敏症理論を批判したい。(洗剤の残りカスとか、濃度測定済みの建材とか)
また、高濃度の化学物質による身体影響は、「化学物質過敏症」という曖昧な病名ではなく、もっと正確な記述でないと治療の妨げになるだろう。
まず、過敏症の話の前に、疑似科学の代表として「ホメオパシー」について語らせて頂きたい。
「ホメオパシー理論」の問題点を明らかにした上で、“一部の”過激な過敏症理論がこれと似た点を持つことを示すことで、これを批判したい。
健康食品や特殊医療は数あれど、ホメオパシーほど現代科学に真っ向から対立している治療法はなかなか無いと思う。
ホメオパシーは、アレルギーなどに対し、病原物質の10倍希釈を30回繰り返したものを作り、これを服用することで、その物質に耐性が付けるというものである。
だが、10倍希釈を30回繰り返すと、コップ1杯に存在する原因物質の量は分子1個程度または0個である。
つまり、「ホメオパシーに効能がある」というのは、「病原物質の分子の個数がほとんどど0個の水溶液を飲むことに効果がある」ということを示し、『病気の原因が分子・原子に還元されない何か』に由来することを認めることなのである。
現代科学が『何か』の存在を見落としているという可能性が絶対に無いとは言えない。(例えば、18世紀末まで、科学者は空気中に二酸化炭素より多く存在する成分(アルゴン)が存在することを見落としていた。)
しかし、そんなことを言い出したら、幽霊だの怨念だのと言ったオカルトでさえ否定できなくなる。(幽霊だって存在する“証拠”はあるのだ。例えば、心霊写真など。)
この点でホメオパシーは、コラーゲン健康食品やゲルマニウムなど「有意性が無い」という実験結果によって疑似科学だと結論付けれる例とは、明らかに異なっている。(コラーゲンやゲルマニウムは、これを否定する実験結果に対して、ちゃんとした実験結果付きの反論を持ってこない。)
(仮に、実験でホメオパシーの有効性(心理効果を除く)が確認されたら大事件である。世界中の教科書を書き直すだけでは済まない事態になるだろう。)
私は「化学物質過敏症」の研究自体を疑似科学だとは思っていない。もっと正確な記述をするべきだと思うが…
それでも、一部の理論ではホメオパシーに類似したものがあるのだ。
“一部の”化学物質過敏症、機械で測定できないレベルの微量物質が原因となっている「病気」を引き起こす、というそれである。
引っ越しして新生活が始まったけど、体の調子がどうも悪い。それならば、シックハウスを疑ってみるのは良いことだろう。
信用ある業者に環境濃度測定をやってもらおう。
結果、濃度が高かったら、不調の原因はシックハウスである可能性が高い。
そうでなかったら、体の調子の悪い原因は、化学物質ではない。日射環境や食生活など別の可能性をあたってみるべきだ。
ちなみに。ホメオパシーが「病原の分子の1個程度を摂取するのは体に良い」と言ってるのに対し、過激な過敏症理論は「病原の分子の僅かでも摂取するのは体に悪い」と言っている。
だから、このホメオパシーと“一部の”過激な過敏症理論は、互いに対立し合っている理論である。
間違っても、化学物質過敏症の治療にホメオパシーに頼ったりしないようにしよう。いや、これに限らず、ホメオパシーを頼ってはいけないのだけど
| ICRPが矛盾しているなんて書いていない。またICRPは信頼性が無いとも書いていない。ICRPは科学的リスク推定で非線形モデルを、防護モデルでLNTモデルを採用していると指摘している。便宜的な理由で使い分けをしている事を、オトナの対応と表現している。
ICRPは科学的な根拠にもとづいて、実際の防護の基準を決めているのだから、それを否定するというのは、ICRPの根本を否定しているということ。
この論理構成で行くと、ICRPの防護基準ではDDREF付きのLNTモデルを採用しているので、それを否定している疑似科学ニュースはICRPの根本を否定していることになる。
『「ファインマンが理論物理学を否定している」と、』は、どこにも書いていませんよ。ファインマンも実験結果を元に、理論を構築していたと言う指摘をしたまでです。
ノーベル賞物理学者のファインマンも、再掲すると以下のように言っている。
いつもながら理論物理の教授なんぞというものは、目のつけどころを人から教わらなくてはならないもので、できることといえばただ自分の知識をひねくって、実験屋たちの観察したことを理論的に説明するだけの話なのだ!(P.198) - 困ります、ファインマンさん
あなたの感覚や解釈がおかしい。「ファインマンが理論物理学を否定している」と、白を黒とこじつけて解釈するような感覚の人と、この先少なくとも科学の分野で感覚が合うとは思えん。正直、あれで「こりゃダメだ」と思った(苦笑)。
金子氏の紹介も良く引用しているが、氏の言及は実験に限らない。
参照先に疑いをかけるのは構わないが、良く参照しているものに言及すべきであろう。
なお、「線量率効果」で検索すると、上記に限らず、かなりの量の研究にたどり着けるはず。メタ・アナリシスを紹介しているページとして、放射線安全研究センターのページにリンクを貼ってもいる。
ICRPがDDREF(線量・線量率効果係数)を採用しているので、線量率効果を疑似科学と主張することは、ICRPを疑わしいと非難することになる。疑わしくないとも言えないわけだが。
| 動物実験で低線量被曝の健康被害を示す結果が得られていない事と、ビッグマウス実験やそれに似た実験で同様の線量率効果が確認されているから、追試に成功していると言える。
低線量というのは100ミリシーベルト以下ってことでOK?低線量の発癌率は、個々のデータで矛盾するから、「確認されていない」とされているのであって、ゼロだということではない。
「線量率効果」なので、発がん率が無いと言う意味ではない。例えば、低線量率で3Svの被曝と、高線量率で3Svの被曝で、後者の方が発がん率が高い効果の事を言う。低線量で発がん率がゼロでも、線量率効果があると言えるが、線量あたりの発がん率が異なればいい。
線量率効果の実際の係数(DDREF)は推定にばらつきがあるものの、線量率効果を否定するような研究は無いように思える。ICRPは2を設定している。線量率効果がある場合は、LNT仮説は成立しない。
動物実験で矛盾するような結果がそう示されているわけではなく、むしろ一貫して線量率効果が示唆されている。だからこそLNT仮説への疑問が生じて、ICRPがリスク推定で非線形モデルを使うようになったのでは無いであろうか?
最初の方から、データ的に採用できないと答えている。初めから論点は、計量分析をベースにしている。
追記(2013/06/21 22:00):
要点としては、
の四点から、LNT仮説が有力とは言えない。
科学方法論的に実験や観測が重視されること、実験で因果関係の方向が分かることなどが理解されていなかったようなので余談を多くしたが、論点は最初から最後まで同じ。
ランダム化比較試験というものを親切に説明してくれているのだが、なぜuncorrelatedがこの話をしたがるのが、いまいちよくわからないんだよね。議論になっているテーマの解決に役立つとは思えないのだが。
疫学データだけでは無く、RCTを使った実験データも線量率効果を示している。メガマウス実験や古瀬らの研究、つまり動物実験はRCTになるので信頼性が高い。そして線量率効果の存在は、LNT仮説の棄却になる。
uncorrelatedはこれまで統計データを中心に自説を述べてきた。なので俺も彼に合わせてそういう話を中心にしてきた。それは実験室内の話ではない。
これだけ実験について言及をしている。実験データを統計処理すると言う発想さえ、無いのかも知れないが。
培養細胞と動物実験などからの知見から、リスクと被曝線量が非線形モデルに従うと思われているので、ICRPは計量モデルとして非線形モデルを採用したのであろう。
立証したと証拠を出してきたら、統計分析が正しいか *7、追試で同じ結果が出るかを、例えば大槻義彦教授が確認する。
*7 疫学データなどは適切な処理が困難な事も多く、ランダム化比較試験(RCT)など、データ取得手法自体を工夫するほうが望ましい事も多い。
統計や計量は、誤差などを含む観測データから「事象」を切り出す手法だが、信頼性の高いランダム化対照実験(RCT)*2もあれば、解釈に注意がいる単回帰分析まで手法は幅広い。
実験室のRCTならば理屈抜き、ブラックボックスありで信用され、そこから因果関係を見出すこともされている(e.g. 薬剤)
なお本文で「ランダム化対照実験(RCT)」を示唆しておいたが、この方法をとれればバイアスの大部分をコントロールすることができる。つまり実験データでは、原則としてバイアスは入らないと考える。
疫学データの非線形モデルは擬似相関の可能性は排除できないが、ランダム化比較試験(RCT)を用いた動物実験は排除できている。
何度も明記しているが、ランダム化比較試験(RCT)を使えば因果関係は特定できる。さらにRCTの結果と整合的な疫学データがあれば、その結果の信憑性は高まる。
Naoki Takahashi
どの記事についての話か確認したいのでソースを出して欲しいんだけど
NaokiTakahashiくんが「社会反映論」を「芸であり文芸批評であって科学ではない」と規定して許されるなら
「精神科医なら科学的な根拠を持って発言してくれよ」と期待するのはわかるし
一般人に比べて厳しい目を向けられるのも致し方なしと思うが
医者だってサブカル批評家/一ブロガーとして読み物を書くことがないわけじゃあなし
本人が科学ですと言っていない文章にまで科学的実証性を求めるのはネタにマジレスだと思うね
そもそも、そういうNaokiTakahashiくんだって、プロのライターであるからして
「そんなの知ったことか。いつでもプロとして発言してるわけじゃねーよ」という態度でいるのではないかね
それでもあくまで目くじら立てるなら、NaokiTakahashiくんの「社会反映論」()にも相応の論拠は必要だよね
たとえば、「陵辱マンガはオタクいじめオタク蔑視オタク抑圧を割と素直に露骨に反映してきたもの」
この前提となる
・オタクイジメ、オタク蔑視、オタク抑圧という社会現象は本当に存在するのか
・存在するとしたら具体的にどのような状況を言うのか
・その社会現象に晒されているオタク層と、「陵辱マンガ」の主要消費者層がどの程度一致しているのか
そこから厳密に規定しないと「論」とも言えないわけだろ?
「サブカル芸だから」というエクスキューズで許されると思っちゃあいかんわ
どちらにせよ
であることに変わりないですがね
Naoki Takahashi @NaokiTakahashi
それはデータに基づかず言ってたり、データに基づかなくていいように反証不可能な主張を構成してたりする
と主張している
そこがシロクマ氏との厳然たる違いということですね
あくまでシロクマ氏とは違うのだと言い張り
データを提示して下さいと言っているのです
シロクマ批判はどうでもいいから実証データを提出して欲しかったんですが
答えられなくなって話をそらしているようですね
https://twitter.com/NaokiTakahashi
Naoki Takahashi @NaokiTakahashi
それはデータに基づかず言ってたり、データに基づかなくていいように反証不可能な主張を構成してたりする
結局これはホラ吹きだったわけですか…
Naoki Takahashi @NaokiTakahashi
シロクマせんせに関してはだね、一番最初に絡んだときに、エロゲ(ToHeart等)の主人公像について
適当なこと言ってたので違いますよと指摘して以来、いい加減な人だなーという印象がずっとあったのだけども。
Naoki Takahashi @NaokiTakahashi
それはデータに基づかず言ってたり、データに基づかなくていいように反証不可能な主張を構成してたりする
「俺の発言はデータなわけじゃん。」
宗教団体の信者などを対象に、マインドコントロールされていると揶揄する人が多い。
しかし、マインドコントロールというのは疑似科学の可能性もあり、ある意味マスゴミ用語でもある。
マインドコントロールが疑似科学かどうかは別としても、人間心理に働きかけて、あらかじめ決められた結論へと誘導するのは普通のことだし、これなしではほとんどの社会活動ができなくなる。
学校教育なんかはその典型だし、企業の営業活動なんかもそうだろう。
マスコミによる扇動も、マインドコントロールそのものだ。
この前知り合いと飲み屋で、その知り合いの女性が4万もする個人セラピーをやってるのは如何なものかというお話になった。私もホメオパシーなど半信半疑に思っている。歌手のUAがホメオパシーを好きだがUAの音楽は大好きだがそういう部分に関しては疑問がある、例えばこういう事件もあった。
2009年8月、山口市在住の女性が助産師の指導のもと長女を自宅出産した。同年10月、長女は生後2ヶ月でビタミンK欠乏性出血症による硬膜下血腫が原因で死亡した。
死亡した新生児は、ビタミンK欠乏症によって出血死(新生児メレナ)したと考えられる。母子を担当した助産師は、ビタミンKの「記憶」や「波動」、「オーラ」を持ち「ビタミンK」と同程度の効果を持つと彼女や彼女が所属していた団体が主張している砂糖(いわゆる「レメディー」)をビタミンKの代わりに新生児に舐めさせた。担当医師に気づかれないよう母子手帳には「ビタミンK投与」と偽って記載されていたことがわかっている。
精神世界は否定はしないけど(むしろ興味が有るくらいだが)、それが個人の心の逃げ場や役立つものと思われるならそれこそ自己啓発のビジネスミナーや詐欺まがいの新興宗教と変わりないんじゃないかと思う。
昨年夏にも精神世界に精通してる高齢女性の集会に行ったが、テーマは次世代エネルギーについてだったがこの方の集会では必ず泣き出す人がいるそうだ。
EMというやつも口蹄疫や震災や放射能の不安から疑似科学化して元々用途は農業用だったが子供の風呂に使ったりと少しカルト化して付和雷同している面がある。昔EMを土壌使った野菜を食べた事はあるが活き活きとして美味しかった。
結局精神世界や疑似科学に行く人はナチュラリストの人が多いが人間関係(既婚者なら旦那との不仲など)や資本主義の嫌悪で自然に逃避している風に思える。(大学時代、馬術部のお手伝いをした事があるが動物や自然に逃避して大学に馴染めない人の集まりという感じだった)
知能テストは、20歳になって出来る事が、その年齢でどの程度出来ているかを見るものかと思ってたら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0 知能指数
>一般的に知能指数・IQと呼び習わすものには、生活年齢と精神年齢の比を基準とした「従来の知能指数 (IQ) 」と、同年齢集団内 での位置を基準とした標準得点 としての「 偏差知能指数 (Deviation IQ, DIQ, 偏差IQ、偏差値知能指数)」の2種類がある。
今はこうなってるんだ。
wikipediaで見ると全部正常の範囲だし、言語理解は平均より良いし、そんなに騒ぐ事なのかな医者の伝え方も悪かったんじゃないのかな?
気になるのは、母親が医者にしたがってるのか、随分酷い口調で医者を目指すのは難しいという意味の事を言ってる事
本人が医者になりたいわけでもないのに。変じゃないのだろうか?
というか、そんな接し方をされていたら、本人の自発的な意思に基づく行動が取れなくなって当然だし、意欲に欠ける人と思われたり、ちょうど他ツリー増田にあった無趣味な人(ttp://anond.hatelabo.jp/20130121013723 )のように面白味がない人と思われ、人と社交的に接する事も出来なくなるのではないかと思うけど・・・
他増田が書くように、手帳や年金や、特殊な配慮が必要な状態なのかなあ。(年金や手帳の話は他ツリー)
健常者の行く学校という言い方を、診断された人がするのかな? 「 健常者向けの 普通高校 や専門高校に通学しているのなら、かなり早い段階で 自分が通 う学校以外にいるであろう 障害者 の就職活動 に詳しい人を見つけてみるといいのかな 」って書いてる人が居るけど。
発達障害って、アスペルガー症候群で、元々は自閉症の一種で、それだけでは異常とも障害とも症状とも言えない状態だったはずなのに。。。
だから、健常者とは言わずに「定型」という言葉を使うはずなのに。
発達障害が手を広げておかしいのは、軽度と付けて、軽度発達障害とか言うから。
ちょっと前の本だと、自閉症スペクトラムとか言って、定型とか健常と言われる人との間に、濃い薄いはあっても無限段階にあった区切ると、ごく薄くは誰でもあって、それが濃い人が発達障害とか定義付けしてた。
でもこれって、極めて疑似科学的というか、何だか怪しげ過ぎて何だかなあと思った。
そうしたら、やっぱり範囲を広げすぎて手を広げすぎ、という指摘をする専門家もいた。
こんな状況なのに、増田で文章見ただけで、障害者の求職活動とか、遅かれ早かれ公的サポートが必要になるとか、変だなあ、変な誘導だなあと思う。
相関と因果は一致しない 女性平均寿命 NHKの放送受信契約数
多数論証
科学者による多数決ベースの気候変動レポート 気候変動覚え書き/ウェブリブログ
犯罪者の98%はパンを食べている。
パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。
パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを異常にほしがる。
六〇〇〇年前には、現在より二~三メートル高い位置まで海が広がり、複雑な海岸線をもつ入江には多種多様の貝が生息し、台地上には多くの貝塚がつくられた。
すみません。前にも書きましたが
http://d.hatena.ne.jp/ROYGB/20091127
と言いたいことはほぼ一緒です。
なまはげは物理的に人がやるから良いのであって「悪い子、無く子のところにはなまはげが来るぞ(でも結局こない)」とだけ教えるならよくないと思う。
ああ、そういうことなら了解。
方便として超常的存在を利用することが、大人になってから超常的存在に振り回される下地になっているんじゃないかと思っている。
「方便としての超常的存在を一切知らされなかった子供は、大人になってから初めて触れる超常的存在に振り回されるんじゃないか」
おかしいと思う。
なまはげは物理的に人がやるから良いのであって「悪い子、無く子のところにはなまはげが来るぞ(でも結局こない)」とだけ教えるならよくないと思う。
というか、疑似科学という言い方が悪かったけど
方便として超常的存在を利用することが、大人になってから超常的存在に振り回される下地になっているんじゃないかと思っている。
サンタクロース然り、「おじいちゃんはお星様になったのよ」然り。