はてなキーワード: 新宿駅とは
いいたいことはTPOわきまえろだけだっつの
献血という社会正義への軽蔑を「正義にみせかけるための巨乳でくるんで」しかも「新宿駅に」出すのはだめ
セックスは悪ではない
だからといってセックスを表にだしっぱなしすると子供や弱者への性的虐待になる
それがすべての始まり。
セックスこそすべての根源であり
それでいてその成果たる子宝の健全な発達のためには必死で覆い隠さなければいけないものである
○ザキちゃんは外国からの客も訪れる新宿駅のコンコースにはりだされたポスターの中で
セックスをなかばむき出しにしながらそれを言い訳に献血志望者を怖いはずだと軽蔑しバカにしたのである
セックスを悪口をおおいかくすためのごまかしとして悪用したのだ
おまえのBL本は新宿駅にセックスと軽蔑をセットでむき出しにしたか?
それが答えだ。
見たくないヒトからは見えないようにしながらも、それでも自分なりにセックスを楽しみ(できれば繁殖し子育てして)愛で世の中を満たす
【要約】
【詳細】
年始(1/5~6or7)に彼氏が東京に来るんだが、まともなデートプランが思い付かん
助けて増田
『(料理が好きだから)かっぱ橋を見たい。他は...東京ようわからんしなあ、案内してや(関西弁)』
とりあえず1日目は、かっぱ橋とあわせて浅草でお参りしよう、と思うも、浅草ってどこ回ればいいのか、何度か行ってるのにも関わらず、あまりよくわかっていないのだ。
・雷門集合
・浅草寺を背中に右側を散歩。だいたいメンチカツ食べるぐらいしかしてない。浅草寺を背中に左側を散歩。だいたいイタリア(漢字)屋のジェラート食べるぐらいしかしてない。
お笑いとか見た方がいいの??私笑いのツボ深すぎて大抵のお笑い番組笑えんのだが...
2日目以降については未定である。
東京駅丸の内ぐらいは見せた方がいいとは思っている。が、他は。。。
【プラン1】
【ご飯系】
・レモンパイ(浅草西)(イートインありません!その通りです!)
【観光】
【検討】
・国会図書館(桜田門)(料理系の評論同人誌を見たいが怪しい 下見無しには採用できない)
【またいつか】
中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨の大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤で新宿駅と阿佐ヶ谷駅のあいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅に電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客は列車の中で押し黙っている。
乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄は中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。
2分間停車とアナウンスではいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客のほとんどが異変に気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンスが流れると、乗客は全員降りていった。
中野で毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売が中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場のパブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。
停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客を中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。
なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードウエイに行った。その名のとおりブロードウエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋、金物屋、肉屋、魚屋、おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ、根付、オーディオ用品、型抜き、スマートボール、骨董品、ありとあらゆるものがあった。
道路脇にプロパンガスのボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子をかぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。
キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。
暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいのテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分はポケットに入っていた南部せんべいを渡した。
これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというその男性はカメラマンで、戦場というよりは紛争地帯の取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバンの兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分が東京にいることを一瞬忘れた。
テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックのトタン屋根が、木が、電柱が、金色と紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。
ぶつかりについての増田を読んでから、ここ数日の間で雑踏で避けない人はどんな人か注視するようになった
地方都市主要駅の地下街通路という観察環境なので、新宿駅雑踏と比べるとその密度は小さいものだが……
いざ意識して観察すると――当たり前のことかもしれないが――避けない人は滅多にいなかった
もちろん新宿駅とは(自分は数度しか行ったことがないが体感として)密度は比べるべくもなく
観察環境が通路なので動線が入り乱れていないことも理由の一つだろう
ただ、滅多にいない避けない人に出くわすと印象に強く残ることはありえるかもしれないなという感想を持った
5日間意識して注視し1回やや距離が近かったかというくらいの結果で集まったデータが少なすぎる
これを書いていてふと思ったが避ける/避けないに地域性もひょっとしたらあるのだろうか?
普段普通に道を歩いていて人を避けなければいけない状況になることはまずない。
なのでたまに東京に行ったりすると、
びっくりするぐらい人にぶつかる。
運動神経が悪い私のせいなんだろうが。
何度も睨まれて舌打ちされて本当に悲しくなるが仕方がないのかも。
沖縄のゆっくり閉じる電車のドアに挟まった都内在住の友人が東京では障害物のないようかのようにすいすいと歩いて行くのには驚いたし。
傘さす日なんかもう最悪。
私なりに気を使って傘を上下させるけど
結局現地の人が調整した方がスムーズに行き違えることに気づいて頑として傘の位置は固定させてたのも思い出す。
一言だけ言わせてください。
わざとじゃないんです、ほんと。
まれに混んだりする電車内でわざと肘鉄ぶつけてくる女は確かにいるな、と思い出した。
なんだろうねあの女。
先日ついうっかり足を捻挫してしまい、しばらく松葉杖生活となった。
その際に気付いたことがあるので書き留めておこうと思う。
「男性はぶつかってくる」
男性は駅や街の雑踏でぶつかってくる。それは女性を無意識に見下していて、避けないからだ。
これは女性なら多かれ少なかれ心のなかに共有された理解であると思う。私もそう思っていた。
もちろんわざわざぶつかってくる一種の変態もいる。彼らを置いておいて、男性一般に関しての話だ。
これらは集団としては成立するが、これを個人個人に還元しようとするのはナンセンスだろう。あくまでもマクロな話であると念を押しておく。
私が気付いたのは、「女性はぶつかってくる」ということである。
私は定期の関係で新宿や秋葉原でよく下車するため、コロナ禍の中でも雑踏を通る機会は多い。
それらの街は動線がグチャグチャだが、周囲に注意しつつ動けばなんとか動ける。そんな感じだ。
性別問わず誰も彼もぶつかってくるように見えたし、実際何度もぶつかりかけた。
結局どうしても動けず電話で友人を頼って一緒に助けてもらうこともあったが。
何日か経つと、なんとなく動けるようになった。
人の動きに意識を向けていると、なんとなく今まで意識していなかった法則性がつかめてくる。
真正面から来る人を避けるには、二人合わせて1人分の幅を譲り合えばいい。簡単のため、これを「人幅」という単位で表すことにする。
まずは男性。男性は比較的早い段階、10メートルほど前方から回避を始めている。これは意外だった。
男性は平均して0.7人幅ほど回避してくれる。(松葉杖をしているときはほぼ1人幅避けてくれていた)
あとの0.3人幅はあなたが避けてくださいね、ということだろう。
会計で女性に少額だけ出させて貸し借りにしないというのと同種の心遣いであろうか。(もちろんそこまで深く考えてのことではないだろうが。)
こちらも少しだけ避ければ回避できる。これは実にスマートなやり方である。
これはたまたまだが、検証の段階でわざとぶつかってくる男性とは遭遇しなかった。
一方、女性。
女性はあと数歩という段になって、ようやくこちらを認識し、迷惑そうな顔をしてきっかり0.5人幅回避する。
繰り返すが、平均である。きちんと回避する女性もいるのは当たり前である。
しかしその数歩、1.5メートル前後で回避できるのは運が良い時だけ。
他の通行人や互いの相対速度など、他の要素が入れば容易にその安全距離は消え、ぶつかってしまう。
こちらが検証ということで十全に注意していたから良かったものの、普段ならぶつかってしまうようなインシデントは多くあった。
ここから導き出されるのは以下の仮説だ。
1.男性と男性は互いに0.7人幅ずつずれているので、ぶつからない。
2.男性と女性は、男性が0.7人幅ずれている状態で、残りの0.3をずれるかどうかでぶつかるかが決まる。
3.女性同士は相対速度が小さいため、ぶつかりにくい。
さらなる検証が必要である。自分に加え、同僚の男性A氏の協力(意識と記録をしながら一週間通勤してもらった)もとりつけて実験を続行した。
1は、新宿駅中央通路での観察の結果、おそらく正しいという結論に至った。A氏の経験と観察からも、恐らく正しいということだった。
A氏は検証のため何度もぶつかりかけながら、正しいと結論付けた。
体感として「あと数歩で女性が0.3人幅避けるパターン」は4割、「女性が避けないため自分が避ける」のが6割ということだった。
6割のうち、男性が避けないことがあれば、それが「ぶつかった」ということであり、女性からすれば「男性がぶつかってきた」ということになるのだろう。
実際は男性が0.7避けてくれていて、大体の場合1.0人幅を丸々回避させてしまっているだけなのにも関わらずである。
自分でも観察したが、恐らくこれは正しい。もっとも、私の観察する限り男性が避けるパターンが8割ほどだった。
「女性が0.3人幅避けない」パターンだった。男性はきちんと避けていた。女性が全く避けなかったのだ。
男性は不快そうな顔をしただけで行ってしまったが、女性は痛そうにしていた。体格が違いすぎるのだ。私は自分の苦い思い出と重ね合わせつつ同情した。
男性の方も少しくらい心配しても良いではないか、と怒りが込み上げてきたが、彼からすれば「自分は0.7も避けてやったのにぶつかってきた」ということになるのだろう。これは客観的に見て正しいし、彼は道理としては被害者ではある。が、やはり痛そうにしている人のことを放っておくのは見ていて忍びない。
女性にとっては「男性がぶつかってきた」という記憶となって残ることだろう。誰も得をしていない。
3は、間違っていた。
女性同士は軽度の接触事故を多々起こしている。ニアミスもこのパターンが最も多い。
しかし運動エネルギーE=1/2mv^2の、mもvも互いに小さいために痛くない。(威力に握力は関係ない)
恐らく記憶に残りにくいのであろう。
ここまでの実験で「女性はぶつかってくる」ということがある程度立証できたと思う。
では何故ぶつかってくるのか。私は生物学にも文化人類学にも社会学にも明るくないため、門外漢(門外女?)の適当な妄想ではあるが考えてみた。
仮説1: 女性は動体視力や空間認識力がよくないため、相手の動線を上手く認識できない。
これは女性が運転が苦手な理由としてインターネットで見たものを流用した。狩猟を行っていたために動体視力が発達した男性に対し、女性は採集をしていたため静物を見るのが得意なのだ、という主張だ。が、これはいくらなんでもおかしい。現に私はきちんと認識できたし、人間の歩行速度なんてたかが知れている。トンデモ説として却下した。
これは若干迷ったが、却下した。確かに女性の方が歩きスマホ率は高かった。しかも見ていて気付いたのは、男性は歩きスマホをしていても前をこまめにチラチラと見ている場合が多いのに対し、女性は前を見る周期が低いかあるいは全く前を見ていない場合が多いということである。全く前を見ない女性は今までよくもまあ無事に生きてきたものだと感心してしまった。が、これも論拠としては弱いように思われる。スマホをしていなくてもぶつかってくる女性は多い。
仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない
これだろうという気がした。
相手が避けてくれるだろう、自分が避ける必要はない。何故自分が避けなければならない? こういう意識で歩いているのではないかという気がする。そうすれば最もうまく説明がつく。上の危険歩きスマホもこれが根底にあると思われる。考えてみれば口喧嘩でもなんでも、女性の方が自説を曲げることが少ないような気がする。
これがポジティブに女性が胸を張って歩ける社会が来たと見るのか、ネガティブに女性が社会的に甘やかされているためだと見るのか、女性が本能的に傲慢だからと見るのか、どれが正しいのかは分からない。
これだけは言える。
そして世の女性諸氏に、ぶつかっているのは男性ではなく自分自身なのだと気付いてほしい。
ただ、男性には申し訳ないがもう少し避けてくれることをお願いしたい。あなたがたが避けてくれていることはよく分かった。でもあなた方はぶつかってもなんともないだろうが、女性との体重差は2倍近い。ぶつかられた方は、ものすごく痛い。少しだけ進行方向を変えるだけで救える命があります。
長くなったが、このささやかな研究に協力してくれた同僚のA氏、同居猫のB太、それから勝手に観察させてもらった新宿駅の通行人の皆様に感謝を伝えたい。
懺悔したいことがある。
車椅子に乗っている男性が「すいません、すいません……」と声をあげていた。
明らかに困っていた。人々がびゅんびゅん通り過ぎるような道のど真ん中で、おろおろと声をあげている。あ、と思った。どうしよう、と思った。時計を見る。遅刻寸前だった。
そしてあろうことか、私はその男性を無視したのだった! なんて最低なのだろう。
いつもなら足を止める。いつもなら声を掛ける。いつもなら邪険にされても構わないと行動を起こす。いつもなら、いつもなら、いつもなら……。
どれだけ言い訳を並べても、困っている人を見捨てたことには変わりない。
背中越しに聞こえる「すいません……」が遠のく。私は「自分」と「困っている人」を天秤にかけて、咄嗟に「自分」を取るような最低な人間だった。
ごめんなさい。謝っても謝り切れないことをしました。許されないことをしました。
っていうかほんとに客観的に見てもこんな記事を書いているのがオナニーにしか思えない。本当に最低。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であることをうっすらと理解した。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(おじさん達の家の棚の写真)
(おじさん達の竈の写真)
(おじさん達の物干し台の写真)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(家の写真3枚)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々である。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
地面に脈絡なく落ちている札びらというのは、これは非常に不思議なもので、とにかく物凄く目立つ。悲しいかな、人間の目というのは「紙幣」というものをものすごく精細に認識するように日々チューニングされているらしい。
それで、ここからが滑稽なのだが、札びらを見た瞬間、「え? 札落ちてねえ?」「いや、そんなはずないか…」 「…って、マジで札じゃねえか?」「いや、でもこんな人通しの激しいところで、誰も落とした素振りもないし、(どう見ても紙幣なんだけど)誰にも拾われず、ただ落ちてるって異常だよなあ」「ただ、どう見ても金…」という往復ビンタのような思考が数秒のうちに脳内でスパークする。
札びらという存在感とそれが雑踏の路上に無意味に落ちているという光景には、それだけ、理解を拒絶させるものがあった。俺の前を歩いていたカップルも同じように気づいていたようだが、まるで動物の死体とかエロ本とか、なんか明らかに見てはいけないものを視界に入れてしまった、という感じだった。
金を落とした当事者を除いて誰がこの金を拾うのが最善かと言えばそれは交番にちゃんと届ける気でいる人間であって、俺は俺が交番に届けるつもりなのを知っているので、思い切って俺が誰よりも先に拾う。合理的判断。のはず。
そのとき、俺の目と鼻の先で、ホームレスがうずたかく積まれた荷物の横に段ボールを敷いて横になっているのが見えた。その隣では別の男性が、あぐらをかいて雑踏を見ていた。
金はこの人たちの、ほんの数m近くに落ちていながら、誰にも気づかれず、あるいはもっと奇妙なことに、「無視されていた」のだ。この人たちもそれに気づかなかった。
俺はなんだか、札びらを指の間に挟みながら、頭がぐらぐらしてしまった。ホームレスの目の前に、元は何が入っていたのかやたらデカい空き缶が置かれていて、10円だの100円だのが、まばらに浅く積もっていた。
俺はふと、この金はあの缶の中に投下されるべきなのか? と思ったが、完全な誤謬だ。なぜなら、これはそもそも落とし主の金だからだ。
それに、ホームレスが金に気づかなかった、というのもおかしな角度のついた狂った偏見だ。ホームレスが落ちてる金を見たらそれを拾得するだろうか? するかもしれないが、それはホームレス以外でも同じだし、実際にその瞬間までどうするかは誰にもわからない。
妙な状況でテンパると酔っぱらったような発想が出てきてよくない。俺は疲労で千鳥足になりながら交番へ。
交番は遠かった。スマートフォンで地図を調べながら、人々がなんで路上の金を無視していたのか(俺にはtodokeru or hutokoro の二択だったのだが…)よくわかった。
とにかくめんどくさいんだ。俺だって札びらなんて拾わなかったらヨドバシの地下で酒買ってすぐに帰りたかった。手を出した時点で、犯罪か善行の極端などちらかになってしまう。路上の紙幣を無視、という行動にはちゃんと理屈があったわけだ。
交番には無事届け出た。
「落とし主出てきたら一部要る?」
「要らないっすね」
「じゃあ出てこなかったら?」
「もらいます」
年末ぐらいまでに誰も現れなかったら法的にも俺の物になるっぽい。慈善に使うか酒に変えるかはそのときのノリで決めようと思う。
やつらが「車所有民を見下す俺様カッコイイイイという自分の価値観以外のパラダイムを認知するための脳の容量がゼロだから」な。
そうじゃないただの首都圏在住者を自称シティボーイとは思いません。
でさあ、
自称シティボーイが突如口から泡飛ばしながら早口になるのって必ず車の話題なのよ。
俺が自家用車がないと生活上不便だよねってことを何気なく言うと
「あっふーん(察し) 車が無いと生活出来ないなんて相当田舎に住んでたんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。
え?いや親父は地方国立卒で地元企業勤めてて年収は人並みだったよっていうと
もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。
何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと
「車がないとまともに暮らせない田舎民がまともな生活送るとかありえない 俺の父親は慶應卒だぞ 認められない」
っていう話らしいのね。
当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど
要するに都会暮らしと親の学歴くらいしか自慢するものが無い自分の価値観を否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。
俺もさすがに
いやなんでそんなに怒るのかわからんし
特に不自由も感じずそれで育ったし(「県庁所在地まで車で1時間!不便じゃないか!」って言われた)
嘘だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの
っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。
要するに首都圏でしか暮らしたことがない人と田舎で暮らしてる人間の断絶な訳よ。
俺は生涯田舎だけど、首都圏では電車が2分に1本来るし便利なんやろな―っていうのは想像は出来る。
GoToキャンペーンで東京に観光に行ったときはあースイカ買えばよかったんだなって思ったし。(まあ田舎民だから新宿駅で迷子にならない自信なかったけど)
でもなぜか自称シティボーイはその逆の想像が全然できないのよね。
田舎だとあなたが日々実感してるような都会生活の便利さが全然感じられないし
駐車場代とか要らなくていつも青空駐車だし、無人野菜販売所も発達してるし、
ライフスタイルにもよるけど親を自慢していいのは競走馬と皇族くらいですよ
ってことがどうしても認められない。
どっかの首都圏在住者に「うちの父親の知り合いの息子が通ってる塾の講師も慶應卒だ」って言ったら
「慶應出て塾講師してる人も居るのか…想像したこともなかった」ではなく