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はてなキーワード: 反動とは

2020-09-14

女性が髪を切ったとき誰も気付いてくれないとしょんぼりするように、

同僚のパソコンHDDからSSDに替えたのに、気付いてくれないなんて!バカバカバカ!!!

と言うかさすがにこれだけ速さが違うので気が付かない方がおかしいと思うんですが、特に起動は爆速だと思いますよ。言われなきゃ気が付かないんですね。

まあ秘密裏上司が交換遂行せよとのことだったんで暗躍しただけのはなしですが。

と言うことでディスク交換したことで、旧ディスクには起動・シャットダウンログが残らないので、その間雇用調整助成金上、会社に出社してないことになりますめでたしめでたしです。

今日増田を書きましたが、トラバブクマがつきませんでした。

今日はもう帰ります

雇用調整の反動で逆に一定の人に仕事が集まってきているような気もしますが、それはそれで大変です。

また明日よろしくお願いします。

anond:20200913222754

娘がピンクきじゃなくなったら抑圧しそうで怖い。

女児ってピンクにはまる時期があるけど、その反動で「ピンクなんてダサくて子供っぽい」と言い出す時期もあるよね。

アンパンマンにはまる赤ちゃん時代を過ぎるとアンパンマンなんて恥ずかしいと嫌がるようになるのと同じようなもんで。

2020-09-13

2020/秋アニメ視聴予定メモ

夏はあまりパッとしなかった反動で秋は良さげなアニメが多すぎてチェックしきれないゾ

ちょっと早めだけど、生きがいのためにメモ

必ず見る


たぶん見る


印象しだいで見る

2020-09-08

anond:20200908230828

ショタコンかどうかは知らんが、こんな掃き溜めのトラバを全部読み返して反論ドヤしたがる精神はわりと何かのコンプレックスか相当な疲れが溜まってると思うよ。

その反論ドヤもただ言い返したいだけで、そもそも自分の筋なんてもの存在していない。

話す内容は少女漫画だろうがなんだろうが、元増田には何だっていいんだよね。要は相手言葉、発する単語の一つ一つに反論してスッとしたいだけ。だから言うことはコロコロ変わるし、人を困らせることに優位性を求めて気持ちよくなってる。

第一反抗期時にうまく自我を養えなかった反動なのか、それとも私生活で上手く行ってないのかはわからないけど、ネットで発散するのもほどほどにね。

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-09-05

気が付けばCM中にチャンネルポチポチしてた俺

俺の実家にはテレビが一つしかない。

夕方家族みんなで夕飯を囲みながら、居間ででテレビを見る。家はそんな古き良きお茶の間風景みたいな感じだった。

俺の父親は、必ずと言っていいほどCMの合間にチャンネルを変えた。

バラエティ番組を見ていようが、アニメを見ていようが、CMの隙にリモコンポチポチした。

兄弟で一斉にブーイングをしても、父親は「すぐ戻すから」といって聞かない。そして大概、ちょっと間に合ってない。

どうして俺の父親はこんなことをするんだろう。そう思ってた記憶がある。

俺が実家を出て数年。

気が付けば俺は、一人暮らしの部屋の中で、テレビに向けてリモコンポチポチしていた。観ていたバラエティ番組CM中の事である

仕事で疲れていた。メールを観たくないかスマホはいじらなかった。

何となくテレビ番組を眺めていたが、さほど興味を持てなかった。何か面白いものは無いか無意識に探っていた。

自分クタクタになっている事に気付いた時、俺は昔の実家食卓を思い出したのだ。

今になって初めて分かった。父親にとって俺達が観ていたテレビはつまらなかったのだ。

当時子どもだった俺達にチャンネル権を譲ってくれていたが、やはり少しは気分転換がしたかったのだろう。

今になってそんなことに気付くなんて、俺は親不孝だと思った。

今はスマホタブレットで観たい番組を選べる時代だ。これからは心置きなく、好きなコンテンツを楽しんでもらいたい。

不器用で優しい父親に向けてそう想いを馳せていたが、ふと、実家に住んでいた兄弟からラインが届いた。

父親が録画をしまくるせいで実家HDを埋め尽くして困っているという。

ケーブルテレビ契約して以来、父親は気になる映画を片っ端から録画してしまうらしい。

然も、観ている間にすぐ寝落ちしてしまうので、なかなか消化できないんだそうだ。

あの頃に我慢していた反動が大きすぎるなと、静かなワンルームスマホをたぷたぷしながら俺は思った。

2020-09-03

anond:20200903104823

俺はもともとヘビースモーカーだったが(1日20〜30本)、10年前の大増税禁煙外来ですっぱり辞められた。リバウンドも全くない。

しかし、その反動飲酒の量が増えた。

毎週のように飲み会に行き自宅でも毎晩酒を飲んでいた。おそらく初期のアル中だろうと自覚していた。

年子供が生まれたのをきっかけに晩酌することを辞めた。嫁さんが免許を持ってないから何かあったら俺が車を出さなきゃならないのでな。

禁酒したつもりは無いので飲み会には参加するつもりだったがコロナの影響で結果的に丸2ヶ月ほど飲んでないが案外平気だ。ノンアルや強めの炭酸代用できている。

甘いもの代用に何が良いかは思いつかないが、依存症対策のヒントは代用品だと思った。

2020-09-01

anond:20200901192943

じっさい💩ではしゃぐ子供っているもんな

増田にもいるし

なんだろうな?忌避されてることの反動かな

となると萌絵とかいうのが人気なのも親が嫌うことの反動なのかもな

親が嫌ってるのかしらんけど

アラフォーが変身体験しに行ったら、昔のいじめっ子出会った話

いい年して変身体験が大好き(笑)

去年、台湾の有名な変身写真館で、友人すら私と気づかない位の

大変貌を遂げて、ますますハマった。

普段シンプルな服にノーメイクで過ごすことが多い反動

ドレスとか大好き。

しろフォーマルな格好がしたいがために、わざわざちょっといいホテル

滞在することを楽しむ位。

今年は身動きが取れないのでおとなしくしようと思っていたけど

ポイント有効期限が近づいていて、かつクーポン券があったので

地元の某変身体験のお店を予約した。

今回はドレスを着るだけなので、試着気分でいつも通りの

ほぼノーメイクでお店に入ったら名前を呼ばれてびっくり。

中高の同級生しかも私をいじめた子だった。。

私にも恥じらい位あります

いい年して1人でそんなところに入って、お姫様ごっこなんて

家族に言うのもちょっと恥ずかしい。

よしんば知り合いなんて、まして、自分いじめてた子なんて

普段でも会いたくないでしょ。。

回れ右して帰ろうかと思ったけど、名前で予約してるし

彼女がお店のスタッフだし、むしろ、私の名前見て、

わざわざお店で待っててくれたなんて言われて絶望

いじめっ子あるあるだけど、昔何したか覚えてない?のか

すごくうれしそうに親しげに話しかけてくる。

こっちは恥ずかしいし、過去のいろんな思い出が出てくるし

ももうやけっぱちになっていたので、相手テンションに合わせて

感動の再会を演出

もうさっさとドレスだけ来て、帰ろうと思ってたけど

クーポンがあるからと、スタッフによる撮影付きを選んでしまったので

ドレス選びからスタイリング撮影まで全て彼女にやっていただきました。

私がいない同窓会で、ドレス着てる私の写真がばらまかれる想像をする位は

この彼女のことを信用してない。

でも、コロナ下で観光業をいとなむ彼女の状況を聞いたり、私の近況を話したり

しながら、カツラアクセサリーを選んでもらって、

知人だからと言うことで、写真もたくさん撮ってもらったり、

サービスしてもらっているうちに、彼女も大変なんだなぁと思った。

地元観光業の話はうっすら漏れ聞いていたので、少なくとも

お客として私が来た事を本気で喜んでいるんだろうとは思った。

私はオンライン仕事してるので、むしろ仕事が増え、幸運だった分、

非常に性格が悪いけれど、彼女に対する多少の優越感はあったと思う。

それがなかったら、私こんなに堂々とできなかった。

いじめた方は忘れてるだろうけど、された方は一生忘れないわよ?

ざまぁみろって思われても仕方がないと思う。

再会したのが今だったから、よかったとも思う。

語弊を承知で言うと、上下関係が昔と逆転してたんだから

だけどコロナがない時で、お店がブイブイ言ってた頃に私が

来店していたら、きっと影で笑われてただろう。

お店のスタッフだけあって、スタイリングも素晴らしくて

写真女優ライトまで使って撮ってくれたので、ノーメイクなのに

写真だといい感じに撮れた。

まれて初めて金髪カツラかぶったけど、案外いける気がする(笑)

グレイヘアになったら1回染めてみようかな。

友人に見せたら、銀髪の方が似合いそうって言われたけど。

同級生に会うことなんてほとんどないので、過去はともかく

その場かぎりのプチ同窓会になってなんだかんだ楽しかった。

そして、20年以上も前のこと、許す許さないじゃなくて、もうどうでも

いいと思った。

今が幸せなんだから

コロナの中での再会だったからこそ起こったことだと思う。

こんなことがなければ、きっと、中学時代の力関係のまま再会して

馬鹿にされてたんだろう。

コロナで良かったとか、再会できてよかったとか思わないけど

結果として、過去なんだなってことがわかったのは収穫なのかな。

そして自分がどれだけ今恵まれいるか、実感した。

この数週間、何年も連絡とってなかった人たちと再会することが続いていて

当時を思い出すたびに、今が1番幸せってすごく思う。

世間的にはアラフォー独身不安定フリーランス

まぁ、うらやましいと思えない身分かもしれないけど、

仕事があってかわいい犬猫に囲まれ健康で、何より心穏やかに

自分の好きな仕事ができること。

カツカツだとは言え、それで食べていけるのであれば

ものすごく恵まれてるんだと思った。

明日39歳になる。

人生の第二ステージまであと1年、と思ってきたけど

違うんだ。

人生第一ステージ集大成の年が39歳。

今までの人生棚卸しをして、次のステージに備える。

仕事生き方も。

気持ちが引き締まった。

2020-08-31

anond:20200830111054

なんでもかんでも盲目的にリベラルを受け入れればいいというものではない。

「今の時代に合わせなければ」と強迫的に受容しても、いつか反動となってよみがえってくる。

従来親しんできた規範感情と、理論的に「正しい」とされる思想とは相克があって当然。

「正しい理論だって時代によって常に流動する。進歩的にも反動的にも。

両方を認識したうえでそれらを止揚するのが哲学の役目。

いま感じている違和感を忘れずに、関連分野の理論勉強していったらいいと思う。

2020-08-29

anond:20200829202643

西海岸系は煽られるとすぐ「でもジャップデブには教育必要から」って聖書読み始めるからな まあ白人キッズ小銃振り回して2人殺し事件反動だろうけど

https://anond.hatelabo.jp/20200829073400

え?私が思ってた量産型オタクと違う

よれよれTシャツ眼鏡リュックみたいなのじゃないの

量産型オタクってもっぱら男オタクに対する呼称

先にオタク達が若い女性の写真晒し量産型女子だのなんだのと叩いた反動が来たってやつだと思うんだけど

2020-08-28

大坂なおみさんについて。お前ら……それ本心で言ってる?

本当に?

 

一連の大坂なおみさんの言動について何か全面的に支持賛同批判全面的に叩くみたいなコメントに100も200もスターが付いていて混乱している。

そんな違和感があってこれを書いている。文章がとっちらかっているけど、なんとか私の意図を読み取ってくれると嬉しいな。

 

銃撃事件から

大坂なおみさんが棄権選手賛同運営賛同運営に乗っかる形で大坂なおみさんも棄権を取り下げ…… みたいな流れ。だよね。

棄権の取り下げについては一旦置いておくとして(プレーした方が抗議になると言うのはよく分からないけど)、あまりにも最初棄権が早すぎる。周りの人に相談してないよね明らかに

文化を知らない俺からは、短絡的な自己アピールしか思えない。何をそんなに急いでいるの?

男性が撃たれたニュースを見て「またなの!?」 ってどうして思った? めちゃくちゃに撃たれたとはいえ裁判もしてないのにその人は絶対的正義か?

 

なあ……あの時銃撃した警官が逆に殺されてたら、最悪相討ちになってたら、、、 お前らどっちの味方になる?

 

実名(またはアカウント名)でコメントすること

本当なら名前を出して書きたいけどSNSアカウントだろうと個人と紐付けされるわけで。

そんなわけでこんな事をTwitterに書いたらもしかすると友達には見られるだろうし上司にも見られるかもしれない。

正直に言うと大坂なおみさんを批判するのはヘイト扱いされそうで怖い。

お前らも、はてなやその他SNSで、本心言えてないよね?  だからそんなコメントしてるんだよね?

 

差別だなんだということ

そもそも黒人白人という区分けが嫌いなんでこの増田にも極力こういう単語は使っていない。俺たちは黒人から差別される低レイヤーモンゴロイドらしい。とりあえずそれは置いておいて。

一連のBLMの流れは、俺の目には黒人を名乗る人たちの権力闘争しか見えない。だからALMを言う白人は殺されても大したニュースにならないんだよね。

けどそんなこと言ったらヘイトになるから大っぴらに言えない。

お前らはどう思ってるの? 単に流行に乗ろうとか思ってるわけじゃなく、無批判にBLMに賛同とか、国内デモに参加とかしてるの? それはなぜ?

 

本心を言えない状況

この状況がどう捉えられているか、票がどこにいくかという意味米大統領選が割と楽しみだったりする。

それはともかく、無批判大坂なおみさんやポリコレ賛同することが是とされたり批判的な人間排除したりとかするやり方ってどうなんだ?

日本国内ならまだそんな風潮が高まってないからいいけどさ。

大坂なおみさんも色々な批判ヘイトを浴びてる(から大会中はせめてSNSやめた方がいいと思う)のはすごくかわいそうで、そんな中頑張ってるのはよく分かるけど、

この一連の裏で泣いてる人もいるんじゃないかな? 具体的には対戦相手とかスポンサーとかなんだけど。

対戦相手なんてその試合の一日のためにコンディションのピークを持ってきてたんだよね?

スポンサーも本当は自社の宣伝のため、大坂なおみさんに試合に出てほしいのに(結果的撤回したけど)いきなり棄権とかおいおい… って絶対言いたいけど言ったらヘイトから何も言わないんだよね?

それに対して大坂なおみさんが何も言わないのは卑怯だと思うんだよね。周りの勝手解釈に任せようとしている。

せめて「『 対戦相手には悪いけど』棄権を取り下げるわ。分かってくれるよね?」くらい言ったらいいのに。こういうことこれまで言ったことある

 

批判を許さな環境ってその場その時点ではいいけど、言えないことによる色んな人の色んなネガティブな思いが水面下に積み重なっていって、

それがいつか反動みたいに爆発しないか心配なんだよ。

 

本心

正直に言う。私は大坂なおみさんを批判的に見ている。

 

そのきっかけになったのは大阪6月のBLMデモTwitterで「お願いしいますママ)」と宣伝したことだ。いやあるいは宣伝する意図はなかったかもしれない。個人の感想かもしれない。

が、あれは宣伝だった。スポーツで得た知名度は、Twitterでの発信力にそのまま反映されているんだよ。本人はそう思ってるか思ってて利用しているか知れないけど。

 

いや分かる。あのデモ日本にもBLMに賛同する人間がいるというアピールには確かになっただろうよ。だったらなおさら宣伝すべきじゃないと言うこともできるよな?

大坂なおみさんファンが1000人集まった事じゃなくて』自発的にBLMに賛同する人間日本にも確かにいた事をアピールしたいのなら、宣伝すべきじゃないよな?

あれをアメリカに住んでいる日本人の大坂なおみさんが、コロナで大変な時期の日本で、デモ扇動したこと。それはこれからも忘れない。

 

それまでTwitterで(たとえヘイトであったとしても)他人批判的なツイート引用晒し上げて過激発言を浴びせたこともあったが、それはまだ彼女らしいなと思っていた。が、これは看過できなかった。

 

大坂なおみさん、あなた立場は何だ? ハイチアメリカ人と日本人のハーフで、アメリカに住む日本人で、黒人差別に反対してるんだよな?

白人黒人に撃たれたら何て言ってくれるんだ? 日本人が差別されたら抗議してくれるのか?

 

 

で、お前らはどう思ってる?

2020-08-27

自分は今32歳だ。東京タラレバ娘漫画の初刊だけ読んで、東京オリンピック開催時に32歳?うっそ信じられない、わかるわその怖さ、的な反応を確か2014年くらいにした記憶を今唐突に思い出したけど、その32歳になってしまった。けれども、三十路から眺める人生地図 - みんからきりまで を読んでいて、「完熟してしまったプラットフォームへの興味関心を失うこと」、「加齢によるパフォーマンスの衰え」、わかるわーめっちゃわかるわーってうなづきながら読んでしまった。違うといえば、30歳という具体的な峠を過ぎて全力で下り坂を転がっていることくらい。でもこれから失いつつあるであろうものへの恐れが依然として残ってるので、もうなんだろうねとしみったれた心でやりきれない毎日を過ごしている。

1月まれ自分にとっては、4月はじまりではなく1月はじまり一年を振り返る癖が社会人になってから自然と身についた。つまり自分の中では32歳の半年がすでに過ぎたわけだけれどもコロナ一人暮らし歴14年の子供部屋おじさん的には心の未熟さを痛感する次第だった。長引くリモート生活で、昼夜が完全に逆転して、朝11からあった部会を完全に寝過ごしてお水エンジニアってあだ名営業の人にいただいたり。それでさすがにやばいと思って完封したはずの個人輸入禁止前に大量に買い占めたデパス錠...正確にはゾピクロン錠か、を取り出して完全に依存症と化したり。薬の副作用ちょっとしたことで切れやすくなる自分をあ、今きれているのは明らかにおかしいと自覚しながらキレて、その後正気に戻っては眠れなくなることを繰り返してたった三か月前しか経ってない今はまだちょっと当時を振り返りたくない。ぶっちゃけ今でも週末の金曜など薬の影響が平日に及ぼさない日にいまだに飲んでるし、抜けられていない。

あ、そうだ、身体変化か。全て薬のせいなら良かったのだろうけど、薬抜いても何も変わらないね集中力すぐに切れるね。30分が維持できないねアスペの傾向だったのでむしろシングルタスクなら処理速度指標は高い自負があったのだけど、ここ数年は完全にアドバンテージを失ってしまった。いや、考えてみれば普通に第一志望大学を落ちたあの日以来、なにか本腰いれられたことってあったのかな。リングアウトアドベンチャーは高い抽選倍率をくぐり抜けて変えた反動四天王が闇落ちするぐらいまでは毎日やったけど、ぷっつり飽きたぜ。

完熟されたプラットフォームといえば、自分転職前はAndroidアプリケーションもLinuxKernelちょっとやっていたから成長中の楽しさはすごくわかる。kotlinぶっちゃけほとんど覚えれなかったへぼプログラマー戯言だけど、Dagger2の登場でまるっきりプロジェクト構成が変わってしまったアプリケーション構成はおおおおおおおおすげーーーーー!!jUnitってこうやって使うんやーーー!!t_wadaさんのセリフがやっとわかったぜー!!!って感動があったものだ。PFレベルで言えば、AndroidOS4.3から6.0くらいがめっさしかった気がする。昔話しかできなくてごめんなさい。でも、AndroidOS4.3のBLE対応で知ったIoT世界AndroidOS4.4のKならkuzumochiやろと勝手に思ってたらkitkatって名前に決まって失望しちゃったけどOSとしては意外と悪くなかったこと、AndroidOS5.0のバージョンごと抹消されるレベルの混乱、5.1は覚えてないけど、AndroidOS6.0でWiFiSSIDがbackendで取れなくなって代わりの手段を探すことになったりセキュリティ基準の変更に色々戸惑ったこと、バージョン更新ごとにいろんな出会いがあり、お祭りがあった。客先常駐だけど、品川とか武蔵小杉とか日本Androidの開発拠点があった場所にいさせてもらって色々楽しかった。まー、自分増田ほど人ができてないから当時知り合った人たちで今も交流がある人はそういえばまったくいないけど。人脈とか友情とかそっち方面資産はまったくできなかったな。変わっていくプラットフォームは楽しかった。

去年出会ったKubernetes=k8sもそう。一時期RSS等でKubernetes情報がないか人力クロールを何度も繰り返すレベルだったけど、かといってrepositoryにPR送れたこともdoc系ぐらい?かかわりも薄いまま、いつのまにか今のバージョンからサポート期間が一年に延びたというではないか。Sidecar周りの整理だとかまだ課題はいくつか残っているけど、SIGによっては今後の機能拡張ネタは明確に決まってないところもあるし、あーもう成熟しつつあるんだなって当時の熱情を失いつつある。rustが来ると聞いて、k8sつながりでrust-vmmとか追ってみたけど、mailinglistのData量的に明らかに去年がピークだった。多分勢いを失いつつあると思う。これfirecracker以外に来るのか?rust/wasmはYewがあるし、Envoyのpluginもあるし、フロントエンドバックエンドサービスとしては今後に期待だけれども、kernelに対しての適用、driver周りから浸透する未来はちょい疑義的。とりあえず、Kubernetesという超巨大プロジェクトを突き詰められた感じもしないまま、多分EKSしか触れない今、オンプレ系の構築、運用技術Kubernetes the hard wayの第四章のオレオレ証明書取得処理がコマンド打つだけなのに辛かったという記憶を残して風化するんだろうな、あと一年ぐらいで。そんな予感がある。

改めて人との縁が残っているこの人がうらやましい。ヒューマンスキルが元から皆無な自分にはわからないけど、漏れ聞こえた話だと新人とまじ会話繋がらなかったという話もあるし、10歳差を超えた会話はスキルじゃなくてもう才能でしょレベルなので結局同時間、同時代を一緒に生きた同年代の人たちをかかわりをどれだけ残すかなんだと思う。新しい縁ができなくてもそれは衰えじゃなくて自然なのだろう。過去十年を振り返るなら、自分はその維持をまったくしてこなかった。だからこれからお金で買おうと思う。多分後十年くらいして月1~2万円所得を上げられたら、バーチャル嬢に昇給した所得を全部突っ込んで、桜蘭高校ホスト部の環x鏡夜編がいかに良かったかもうずっとその話ばかりする予定だ。それだけを生きがいに生きていく予定だ。カビが生えたレベルjavaスタックk8sとrust、その辺でエンジニアとしてうだつの上がらない生活を送りながら。

2020-08-26

anond:20200826204643

フェミニストは叩きやすいが、海外企業はたたけないと思うよ。

今後は、Apple, Google, Amazonにより電子内の規制が強化されて、その反動が紙媒体コラボポスターエロになってくる。

そこにさら反動があり、紙媒体コラボ系に規制強化が入り、健全で退屈な世界になることを予想。

日本電子書籍プラットフォーム盛り上げないと沈むぞ。

コロナが終息し、インフレが来る

株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているか株価が上がる。シンプル

なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。

実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ企業価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がり株価回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。

なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。

いや、資金がなければ、リスクへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家公的基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府コロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場ピンポイント必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安時代であり自粛時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場ちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。

それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから市場にカネがだぶついているとわかっているとき株価が上がるのなら、手持ち資金現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。

ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。

コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題過去のものになる。確かにwithコロナ時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムード批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。

本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。

身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。

投資家たちは、実体経済インフレになり、その反動株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない

コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなた死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。

2020-08-25

どんどんブラックになって給料が下がって、はいないぞ

コロナダメージ比較的軽く済んでる業界だし

ただ、そもそもコンピュータに興味ない人が大量に入ってくるイベントがあると、荒れるんだよな

今のITスクールSESブーム反動があると思う

anond:20200824123740

9上げ8下げする人たちの声が大きかった反動

あといきなり等身低くなった

2020-08-23

anond:20200823140600

動画を16倍速で見ると頭スカッとする。けど、その後反動が来て脳がしんどい

感想文が苦手だった人間気持ち

https://anond.hatelabo.jp/20200821200053

https://anond.hatelabo.jp/20200821141701

私もまた感想文は苦手だった。

感想を書いて自分の内心を外部に晒す苦痛恥辱、弱点を晒す、言質を取られる、そんな感情を伴う。

今でこそ「内心の自由侵害であり、黙秘を許さぬ虐待しかない」と言えるが、年端も行かぬ小学生にそんな抗弁もできようハズがない。

しかもこれは理由の一端である

他にも、どんなアドバイスを受けようとも「それは自分言葉でない」「自分はそんな事は言わない」という、

頭の引き出しの中になにもないクセに、外から来るすべてを拒絶するという性質があった。

何故なら「自分で書いたモノ」と自己が切り離されず、そのような外から来た言葉を混ぜることは

アイデンティティ喪失意味するため、拒絶するしかないのだ。

初めて「なんか適当にそれっぽいこと書いて、意識高い感じ出しとけ」と出来たのは大学1年生のときだが、

思ってもないことを書いた反動で、以来その講義レポートは2度と出せなかった。

感想文苦手の子も、思っていること、考えていることは沢山あるだろう。

でもそれを表現するには、上述の文章くらいは自分で書ける程度の土台が必要だ。

考えというもの言語化できて初めて認識されると言って良い。

から言語化するには複雑だったり多くの言葉を費やさなければならない感想であると、

時には面倒だから、或いは困難だから、「感想はない」にならざるを得ない事もある。

そもそも、ほぼそういう物語があったんだという事実認定で終わるだけで、「ふーん」だけが感想場合もある。

からおもしろかったです(本当は別に何も思わなかった)」しか書けない。

「ふーん」だけではなく「ふーんそうなのかー」と思った行を見つけて何か書いておく、そうやって字数を稼ぐのが私の感想文だった。

それでも字数が足りずに行き詰まることも多々あった。

ダラダラと書いて最終的に何を言いたいということもなく、

どういうオチを付けるのか、締め方も分からなくなっていき、

まるで自分で意義を認められないものが出来上がった時、書いたものすべて消しゴムにかける。

増田は称賛されているようだが、こういう私のような人間には何一つ響くものがない。

書けない人間とはどのようなものかも知らず、

どこからともなく冗長で軽薄な言葉を湧かせ、

読む相手蔑ろにしなければ出来ないであろう、嘘を並べ立てる不真面目な虚言家として軽蔑する。

そんな反感を、少なくとも高校生くらいまでなら覚えていただろう。

端的に言うと、感想文を書かせるのは無理だ。

無い袖は振れない。上述でいうところの土台がない。

出来るのはせいぜいニュースなど折に触れては親の考えを植え付け、

子ども大人になって「吐き気を催す」と捨てられるまでの間、引き出しの中身としてやることだ。

2020/08/23 追記

この感想文が書けているのは、第一には土台があること。

言葉概念思考技術、さすがにもういい年なので、それなりに備わった。

第二に、ふーんでは終わらない内容であること。

書けないのは何より心の問題だった。

乾いたスポンジに、まだ数滴の目薬しか垂らしていないのに、一体そこから何が絞り出されるのか。

真に琴線に触れたのならば、心から滲み出たものをそのまま文にしたためることも出来ようが、

何とも思わなかった物語に対して、架空の心を生み出して代弁させるのに必要精神機能は、

一体心の発達段階の何歳頃であれば可能なのだろうか。

テンプレートの穴埋めから感想文を書くという手法もある。

だが、仮に「アメリカは〇〇人の国である」という穴埋めがあったとしよう。

白人黒人アジア人……いずれも当てはまらず、書けない。

感想がないこと、言い表せないこと、それが混沌状態であっても「そのままであること」が物語の正しい姿であるのに、

100%正しい表現ではない言葉で決めつけてしまうと、自分の心の中にある物語が壊れ、損なってしまう。

子ども心にそれは悲しいことで、感想を書けなかった記憶もある。

もはや感想というよりは随想であるが、元増田のように書くには余程精神が活性でなけれれば出来ないだろう。

から見れば亢進ともいうべき状態で、余人の真似出来るところではないように思える。

私がスポンジに吸収したものから言葉を出しているのだとすれば、元増田は溢れ出る泉のようだ。

2020-08-16

ノーコードの次に流行りそうなモノを予想してみた

最近、ノーコード流行っていますね。誰でもコーディング不要Webサイトアプリが作れちゃう

中には、それで収益を上げている人もいるようです。

ただ、ガートナーのハイプ曲線で見ると、今ノーコード流行期だと思います

なので、これから反動期がやってきて「やっぱノーコードダメだ!」という時期がやってきます

なので、少し気が早いけど、ノーコードの次に流行りそうなモノを予想したいと思います

~ ノーコードの次に流行るのはクラウド開発環境

私はノーコードの次にクラウド開発環境流行ると思っています

今って殆ど場合ローカルターミナルVSCodeを立ち上げて開発しています。そ

れらを全部SaaS提供するサービス上で開発する流れがくるんじゃないかと思っています

私が思うに、開発環境って全然クラウドネイティブじゃないんですよね。

プログラミングをやるためには、ハードウェアちゃんとしたものを揃えないといけません。

少し前、メモリ16GB以下のPCだと人権がないというツイートがバズっていました、まだまだハードウェア依存している部分が多い感じです。アプリ開発だと、未だにPCスマホケーブル接続するか、同じネットワーク環境接続する必要ありますしね。

そこで、もし開発環境クラウド化してSaaSとして使えるようになれば、ハードウェア的な問題には悩まされず、家ではノートPC、移動中はスマホみたいな感じで開発できるようになる時代がくるかもしれません。

~ ノーコード解決したもの

https://speakerdeck.com/twada/understanding-the-spiral-of-technologies

こちらのスライドは、 Developers Summit 2018 でベストスピーカー賞を取った和田卓人さんのスライドです。

技術の変化は流行り廃りの振り子のように見えて、実は螺旋状に進化しているということが書いてあります

このスライドでは、集中と分散が例として上がっていますが、ノーコードにも同じことが言えます

実は、数年前にノーコードによく似たMDAという技術が登場したりしました。

MDAは、図を書くとコード自動生成されるツールです。

登場した当時は今のノーコードっぽい持ち上げられ方をしていて、エンジニア不要論がでたりしてました。

しかし、残念ながらMDAは開発の主流になることはありませんでした。

ツールが高いなど、いろいろ敷居が高かったことが原因だと思います

じゃあ、ノーコードMDAと何が一番違うのかというと、SaaSとして提供されていることだと思います

誰でも、そのサイトアクセスして、アカウントさえ作れば、開発をスタートできます。料金も無料から初められるものが多いです。この手軽さが、MDAにあったエンプラ感を解決し、今のノーコード流行を後押ししてるんじゃないかと思います

先程の技術進化螺旋理論で行けば、ノーコードで取り入れられたSaaS化の流れが、今のコーディング環境に取り入れられる未来想像やすいと思います

ネットに繋がりさえすれば、すぐにどの言語でも開発をスタートすることができるようになれば、多くの人にプログラミングの門を解放すると思います

~ 着々と進行しているクラウド開発環境下地

実は、クラウド開発環境の流れはすでに起こっています

先日、GitHubオンラインエディタとしてVSCodeベースエディタが使えるようになることを発表しました。

すでに、GitHubActionPagesなど、ビルド環境ホスティングサービスを展開しています

そこに、エディタも登場してきて、いよいよGitHubだけで全てが完結してきそうな流れがでてきました。

このように、クラウド開発環境は確実に登場しています

オンラインプログラミング教育サービスのPaizaやProgateもクラウドで開発環境が用意されブラウザアクセスするだけで、すぐに使えることを売りにしています

この流れで、toB向けの開発環境も、どんどんクラウド化していくんじゃ何でしょうか?

近い将来、GitHubアカウントさえ開設したら、アプリWebサービスの開発から公開まで行える時代がくるかもしれませんね。

~ノーコードはどうなるの?~

一旦冬の時代がくると思います

今のノーコードツールって、コーディング不要にしたかもしれないけど、設計力は求められるんですよね。

しろ、ノーコードアプリを作るほうが、実装サンプルが少ないぶん、普通プログラミング言語より、設計力求められるんじゃないでしょうか?

今どきは、どの言語でも少しググれば、やりたいことを実現する方法はでてきますしね。

なんというか、今のノーコードは、NewsPicks記事がでたあたりからバズワードなっちゃった気がします。

コーディング不要アプリが作れる!」という言葉だけ一人歩きして、プログラミング能力自体不要勘違いさせちゃってます

たぶん、もうちょっとしたら「コーディング不要」につられてやってきた大量の人が「やっぱダメじゃん」って言い始める時期が来ると思います

多くの人は、アプリWebサイトを作る設計力は持ち合わせていないと思うので...。

次にノーコード流行り始めるとしたら、設計も面倒見てくれるようなツールが登場するころだと思います

そのときに、ノーコードいう名前か、別の名前で呼ばれているかはわかりません。

~まとめ ~

というわけで、ノーコードの次はクラウド開発環境が来る!という予想でした。

もし、この予想を信じてくれる人は記事を「いいね」してくると嬉しいです。

最後に、ノーコード自体は、多くの人にアプリサービス開発の扉を開かせる大変素晴らしいツールだし、無料で始められるので、気になっている人は片っ端からやってみることをオススメします。

それでは。

2020-08-12

anond:20200812105504

ごく簡潔に言うと「自意識肥大化しすぎて暴走していろいろやりすぎちゃってインターネットに居場所がなくなった」というのが何年か前にこの人に起こったことの顛末なのよ。

本人見てるかもしれないか忠告だけど、もう戻ってくるのはやめたほうがいいよ。

たぶん自分で気づいてると思うけど、あなた自意識制御不可能でしょ。また同じこと繰り返すよ。

それに数年前とはネット全体の意識もガラリと変わってる。あの頃と同じことしてたら反動は前の比じゃない。たぶん前よりもっとひどい結末になるよ。

たまにこうして増田投稿して承認欲求満たすだけでいいじゃん。十分だよ。

ネットいくらちやほやされたって、そんなの広い広い世界の超狭い狭い一部の界隈のことでしかないし、何の意味もないよ。

それより家族仕事大事にしなさい。本当に。

2020-08-03

いち非モテ男子大学生恋愛

恋心すらセクハラ若い男性が抱える「新しい生きづらさ」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74555

例の記事を読んでそれなりに共感したりしなかったりしたので、年端もいかない大学生左巻き界のボトムズことはてなブックマークに常駐してこじらせるとこうなる、という例を、記事引用横槍を入れる形で追加してみたいと思う。

病院には付き添わない

1年生の女子部員練習中に足をひねり、歩行困難な状態になってしまった。部員怪我対応も彼の担当であったため、その女子部員を車に乗せて病院まで付き添った。

自分だと同期の女子に頼むかな、と思う。歩行困難になった以上、病院までの道で身体を使った補助も必要となる可能性が高く、そこで大して好意を持っていない男性に密着されたら恐怖感を与える可能性があるからだ。ただ奇しくも自分山岳部部長をやっていた経験からすると、極端に女子が少ないジャンルなので部内に対応できる他の女子存在しない可能性は十二分にあり、仕方ないかなと思う面もある。

先輩と後輩で本当にフェアな関係はあり得ない

Sさんは救護担当役職として、病院への送迎を申し出た。しか彼女は「ありがとうございます。でも自分病院に通えるので大丈夫です」と遠慮した。

これ自体はそんなに不自然なやりとりではないと思う。問題は次だ

この一件をきっかけに心を病み、その後2年間の休学を余儀なくされている。

めっちゃ衝撃受けてて草

ここから読み取れるのは、彼が救護を開始してから一年生に「大丈夫です」と言われるまで、彼と彼女の間の権力構造に一切自覚が無かったということ。逆に言えば、「困ったことがあったら言ってくれ」という言葉は、表面上ではあくま彼女に対する対等で純粋善意を取り繕えているという認識のもと発せられ、彼女がそれを断る理由は無いと考えていたことも読み取れる。

はっきり言って先輩と後輩が一対一でフェアな関係などありえない。まして女子部員には自分がケガをして先輩に治療させた負い目がある。仮に恋愛感情を持ってしまったのならその二重三重の不均衡を軽減するために、他者目線を置いたり、ムードなど気にしない正面から確認をしたり…といった配慮が不可欠で、女子部員から少しでも座りが悪そうな反応が見られたら感情ねじ切って立ち去る覚悟絶対必要だと思う。

だがSさん提案を断られるまでそうした関係性をまったく考慮せず、断られた瞬間全てを悟りひとり絶望している。これはむしろ喜劇といっていい。

(まあそんな都合の良い中途半端ピュアさを持ち合わせた男子大学生なんてそんなに居ないと思うから嘘松感は拭えない)

とはいえ一年女子にも意思はある

自分としてはそんなに深く絶望するほどではなく、きちんと主張してくれた後輩女子感謝しながら反省しきっぱり身を引けばそれで済むことだと思う。加えて言うなら一年生の女子にも自由意志はある。男性に対する余程のトラウマでもない限り、一般的恋愛の手順を踏めば嫌な段階でお断りしてくれると信じても買いかぶりとは言えないだろう。このSさんの反応は極端すぎて逆に女性意思の無いお人形扱いしているような失礼さすら感じるのだが、何も考えてなかったが故の反動なのだろうか。イマイチ共感できない。

Sさんの行動とセクハラは地続き

一方で、筆者の以下の主張には疑問が残る。

彼女の中に警戒心や恐怖心が発生した可能性も否定はできない。でも、それを罪として問うことはおそらく不可能だ。(中略)少なくとも客観的にはSさんの取った行動になんら落ち度はない

いや、罪に問われないから落ち度はない、ってそれセクハラ常習犯の主張ですやん。相談内容もたまたま女子部員が断ってSさん悟りを開いたからそれ以上の事態に発展しなかっただけで、ここから先展開されてたかもしれないゴリ押し恋愛と完全に地続きだろ。その地続きの問題勝手に程度問題に貶め、著者一人の主観で「切り分け」て何か良い事言ったつもりになってる様には不信感しか湧かない。「──というのが私たちの出した結論だ。」じゃねーよ。どこからもの言っとんねん。普通に貴方の言う通り悪いとこあったし人を傷つけたかもしれんで、これから気を付けような」でダメ理由を教えてほしい。

俺の性癖

だいたい自分スタンス理解していただけただろうか。

自分は後輩との恋愛はほぼ無理だ。後輩に対し性的好意が発生しかけた瞬間、記事突っ込みを入れているような自分感情抑制を行い、彼女恋愛対象から外してしまう。裸を見ても興奮できないだろう[要出典]。この権力の差みたいなものが関わるとイマイチテンションが上がらなくなってしま性質が、どのラインまで許容しているのかは自分にも分からない。先輩後輩の関係でいうなら、1年差とかならギリ大丈夫大学1年と4年ならアウトな気がするが、社会人4年目と8年目ならオッケーな気がする。結局自分が決めた主観まみれのラインしかなく、さらに言えばそれこそ"性癖"でしかない。でもそれが生きづらさだとは思わない。俺が勝手に思って、勝手自分制限してるだけだから。1年とのセックスを求め続けるヤリチンチャラ上級生にもこれといった感情はない。そういうのを受け入れる二人でセックスする分にはいいんじゃないかな、一年生が後悔したなら訴える権利はあるんじゃないかな、といった程度。

ひとつ、大きな不安がある。企業入社してからのことだ。

社会人として仕事を始めた途端、ここでいう「権力構造」どころではないハンパない数のノイズ自分を襲うことになる。年収役職企業名、学歴居住地……。これが完全に対等な状態での恋愛など、もはや夢物語しかない。そうなったときに、自分はどうなってしまうのだろうか。年収に差がある女性を好きになっても、勝手に負い目を感じて、相手感情純粋恋愛感情以外に左右されていることを恐れて、感情を殺してしまうのだろうか。

とまあごちゃごちゃと書いてたら無駄に長くなって誰も読まない文になってしまった。死ね

あと実ははてブ最近までそんなにやってなかった。5ch(旧2ch)の革新気取ってるのに女は叩くゴミ板に長く常駐しつつ逆張りして女叩き叩きをしていたのでその影響が一番強いと思う。ごめんブクマカ。やっぱ死ね

あとこちらには大変共感した。「そこで悩んでることをアピールする自分キモさ」が嫌すぎて増田みたいな掃きだめにしかこんなこと書けない。もちろんtwitterでも一切発信していないわよ。悲しいなぁ。

記事後半のほう書くかはわからん

俺の姉は強かった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。

我が家学歴コンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃からいい大学に出て、良い会社就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃からの子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去トラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。

転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビ放送されていたスラムダンク兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元バスケチームに入りたいと両親に相談をした。

父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃん大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。

それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。

からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。

やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所引越し、1ヶ月に1度程度会関係になった。

母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。

次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキ駄菓子屋自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。

店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。

中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校サボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。

俺が高校生になった頃。よく姉が仕事休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。

姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプ居酒屋ランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。

「ねえ、姉ちゃんってレズなん?」

姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。

話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。

そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋バイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。

その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。

そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲から偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。

社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。

半年後、姉は彼氏同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。

姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。

思っていたのに。

2年後姉はボロボロ状態で帰って来た。

髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。

「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」

だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」

嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。

彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後からである事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。

「お前みたいな厨二病メンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。

俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」

俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。

俺は5人家族、3兄弟末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。

対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。

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