はてなキーワード: 住宅地とは
マリオカートクラブと称し、マリオ、ルイージ、ワリオ、ワルイージ、ピーチ姫、キングテレサ、ドンキーコング、ヨッシー、キノピオ、クッパなど15種類のキャラクターに扮した20代の若者から某一部上場企業の会長さんまで約10人のメンバーからなる。当初は子どもたちに割り勘で買ってきた文房具や玩具、駄菓子を配っていたが、その後は交通安全を呼びかける活動をメインとし、活動日は主に週末としている。特にマリオは、普段から買い物や喫茶店へもそのままの格好。ちなみに、メンバーにはイタリアの特殊部隊出身の人もいるらしい。
会社役員で、防護服や除染テントの輸入販売をしている今中聡氏。名前でネット検索してみると、エアーグループジャパンリミテッド代表らしい。兵庫医科大学を中退後、ヨーロッパ各国のレスキュー隊に所属していたが、2000年の沖縄サミットをきっかけに日本へ帰国。10種類以上のレスキュー免許をもつ救急医療士、イギリス・スタフォードシャー州救急局S.C.A.T(特殊災害医療チーム)のチームマネージャー、奈良県庁防災統括室知事公室の奈良県国民保護法等専門アドバイザーなどの肩書きをもち、警察学校や消防学校、海上保安庁、病院などで災害救護や生物化学テロ対策についての講演を行っている。また、交通安全を呼びかける活動が認められ、奈良市と奈良県から表彰されている。
赤い帽子は趣味のカートに乗っていた2010年10月、ひげを見た近所の女子小学生からマリオに似ているとプレゼントされた。服はユニクロなどで買ったもの。
50ccや125ccのカートとバイク。カートは市町村にミニカー登録さえすれば普通免許で乗れ、ヘルメットも不要。価格は十数万円で、時速は60km/hまで。実は、マリオになる前から今中さんはカートレースが趣味。
高級住宅地である奈良・学園前にある。小学校の近くで、子どもたちからピーチ城と呼ばれている。かなりの豪邸で、S.C.A.T Team JapanのBranchでもある。
2004年8月、高校に入学したばかりだった今中さんの次男・篤史さん(15)が友人の運転するバイクに乗っていて、右折しようとした乗用車に巻き込まれて亡くなった。それを機に、近所の子どもたちに交通安全を呼びかけたが、子どもたちはあまり聞き入れてくれなかった。そんなとき、次男がマリオのゲームが好きだったことを思い出し、オーバーオールを着てカートに乗ってみたところ、それを見た近所の子どもがマリオの帽子をプレゼントする。そこで本格的にマリオの格好を始めてみると、最初は変なおじさんに見られることもあったが、次第に子どもたちの方から来てくれるようになり、話にも素直に聞くようになったという。
久しぶりに献血した。
数年前に子供ができてからは、乳幼児連れでの献血ルームでの献血はできないということでしばらく遠ざかっていた。
コロナ禍で都心にある献血ルームにも立ち寄れず、本当に久しぶり。
うちの近くの公民館的なところでたまにやってるのは知ってた。でも子連れだとだめなんだろうなーと思って迷いつつ行ったことはなかった。
その日は何も知らずに通りかかったのだけど、以前はいなかった呼込みの人や宣伝カーに切羽詰まったものを感じて、聞くだけと思って階段を上った。
元々小柄で体重が足りず200ml献血しかできないのに血圧が低いこともあり断られることもしばしば。子連れだと断られるだろうと思ったのだけど、なんと大丈夫だった。
感染対策はよくある入口の消毒液とマスク、間隔を空けた椅子と換気。私が行った会場は空いてたので特に不安を感じることは無かった。
過去の記録の照会と血圧測定、スポーツドリンクをもらって指先から少し血をとった(血の濃さを調べるらしい)あと医師の問診があった。思ったより血圧が高めで基準はクリアできたもののギリギリではあったみたい。問診されながら聞いた医師の話によると献血の基準自体が女性には厳しい数値でできてるということ、今回の会場では200ml献血も受け付けているけれど現在病院から要請される血の95%が400mlパックで、あなたは今後断られることもあるかもしれないけどごめんね、ということだった。
空いてたしすぐに採血されるかと思ったのだけど、ベッドは右腕採血用と左腕採血用に1つずつセットされていて私と同じ腕の人が数人待機していたのでしばらく外出させてもらった。子供と近所の公園でしばらく遊んでいよいよ採血。子供はベッド横の椅子に座らせてもらってお菓子たくさんもらって職員さんに見守られてかなりご機嫌だった。
採血自体はすぐ終わってジュースを飲み、最後に血圧を測っておやつと鉢植えのお花を貰って終了だった。お花?と思ったけど住宅地だからかな…?
終了後の血圧はいつもの低血圧モードだったけど、献血前は興奮して血圧が上がるそうでみんなそうなるらしい。
1ヶ月くらい前の話なので私の血ももう誰かの体を流れているんだろう。こんなに医学が進んで、お菓子やお花を用意できるお金があっても本物の血に替わるものは今も無いのだから人間の血すごい。
献血は案外近隣の施設でやってるので献血ルームに行けないと思ってる人がいたら調べてみてほしい。この年末もまたうちの近くで出張でやってくれるらしい。献血ルームは2日からやってるみたいだよ。
前は献血ルーム以外では予約できなかったと思うんだけど、昨日調べたら私が献血したようなところでも予約できるようになってたよ。(400mlだけだったけど)
親族の後期高齢者達が毎年恒例の餅つきを今年もすると言い出したから現在全力で止めてるところ。
「餅をつかんことにはねえ」
わかってる。気持ちは分かるんだが今年は餅つきを自粛して欲しいというか餅つき禁止令を出したい!
今年は餅つきをやめようと話したところ、上記内容ほぼ原文そのままに言われた。
庭先で餅をつき、土間のあるところで10人以上が集まって餅をこねる。
風通しは良い空間が人数的にはかなりの密。
三密どころじゃない。
年寄り女性達はマスク着用といえどおしゃべりに花を咲かせる。合間にはお茶を飲みながらつまみ食い。どうみてもマスク着用の意味を分かっていないと思われる。
おにぎりと味噌汁と漬け物。そしてつきたてのもち。日本酒も毎年出てる。無言で食べる……なんてことは100%ありえない。
食べる時も毎年同様だったら間違いなく三密な上に会食付きだ。
しかも餅つきを楽しみにしているのはほぼ後期高齢者軍団だ。毎年参加している親族の65歳以上を数えただけで少なくとも12人以上いる。脳疾患や血液疾患で入院したことがある親族も複数名いる。頼む!密になって餅をつくのはやめてくれ!
広島市内は現在日本の中でもトップクラスで新型コロナウィルスの感染が拡がっている。
こんな中で餅をつく必要性はあるのだろうか?
帰省自粛が叫ばれている中で、首都圏から幼児を連れて帰省してくる親族もいると聞いた。餅を着く家の直系親族には乳児と幼児もいる。私より少し年上の30代夫婦だが乳幼児を連れて餅つきに来るそうだ。
あの……今の現状わかってます?と本気で思う。
餅に罪はない。
餅を買って食べる。それでいいじゃないか。
後期高齢者の親族たちは「何かあったら(=新型コロナやインフルエンザの症状が出ても)あんたが医療従事者だから何とかなるだろう」とぬかす。年齢が近い親族も同様だ。
何ともならんわ!
今の勤務先の現状知ってる?
現在知ってて言うんか?!
何としてでも後期高齢者たちが集まる親族一同の餅つきを阻止したい。
最悪のケースを想定すると、記者会見では家庭内感染と言われるだろうが親族一同が餅つきクラスターになる可能性が捨てきれないんだ。年末の餅つきを恐怖に感じるのは私が疲れているからだろうか?
どうかこの記事を読んでくださった皆様の知恵を貸してほしい。
高齢者を中心とした餅つきクラスターは全国どこで起きてもおかしくないと私は考えている。
地域にどれくらい高齢者がいるか→町内会の8割が65歳以上の地域でその半分が後期高齢者
後期高齢者だらけの田舎で近くでクラスターも発生したことがある地域
どんな環境か→庭(屋外)で火を炊いてもち米を蒸す、蒸したもち米を土間(屋内)へ移動させる。屋外作業が5人前後、屋内作業が6畳位のスペースに65歳以上だけで10人以上は確実に集まる
食事会場→例年であれば隣の人との距離は密着状態。飛沫は間違えなく飛びまくる。作業しながら休憩中に鍋(味噌汁だったり豚汁だったり)を囲みながらおにぎりと汁物、漬け物等を食べる
餅をつくな!ではなく、親族一同10人以上が集まって餅つきをするのをやめようと提案中
最近、コロナと無関係の診療所に患者として行く機会が何度かあったんだけど、都内で駅近で近くにマンションや住宅地も多い所だったのに信じられないくらい人が居なかった
今年の2月ごろに行った時は、同じ時間帯で3時間も待たされたのに
ビックリした
親がコロナと無関係の病院で勤務医をしてるんだけど、そこも患者を制限してるらしくてあまり人が居ないらしい
テレビだとコロナ専門病院の最前線の悲惨な状況を繰り返し放送してるけど、コロナを受け入れてる病院とそうじゃない所でこんなにも落差が激しくてビックリしてる
ココ最近1ヶ月や2が月の話だけじゃなくて、春先に病院に行った時点で、30分診療所にいて患者が自分だけって事が何度かあったからな
もう少し、満遍なく患者を割り振るとか国は出来ないのだろうか?
受け入れたらテレビでやってる悲惨な状態で、受け入れなくても人が少ない
自営業の町医者と違って、勤務医だとコロナで患者減ってもそう簡単にあの高い給料下げられないだろうし大変だな
今後、どうなっていくんだろう
・商店街に個人経営の果物屋、肉屋、魚屋、八百屋、惣菜店、電器店、書店や花屋があった。いまはすべてなくなった。
・住宅地と商店街の境目に酒屋と豆腐屋と米屋と牛乳屋があって、米屋はプラッシーを売ってたなあ。あと正月には餅を米屋経由で買っていた。酒屋以外はつぶれちゃった
・風呂屋が複数あった。やはりすべてなくなった。年に1回くらい連れてってもらってマミーという瓶の飲料を飲んでいた
・冷房の電車がまだ珍しかった記憶がある。電車も扇風機があたりまえで、冬になるとカバーが掛かってて、それがなぜか「ワリトー」とか「みじかな東銀、ひろがる世界」だったはず。
・うちが貧乏だったのかもしれないが、夏は扇風機で、冬は石油ストーブでなんとかしていた。
・不発弾がみつかると自衛隊が処理してくれるんだけど、処理が終わるまでは体育館のような場所に行く必要があって家に近づけなかった
・春先になるとあたりまえのようにストがあった。バスに〇〇日スト決行!とか貼ってあった。
・近所の大きめな企業の下請けの小さな工場が複数あった。いまから思えばプレス機だったと思うのだけど、プレス機の音が記憶に残ってる。その下請け工場も大企業の工場もやはりひとつも残ってない。
書くと長いので省略するが、色々しんどいこともある。
日頃の鬱々とした気分を晴らすために、週に1〜2度、主に週末の夜、子供を寝かしつけた後に家を抜け出していた。向かうのは近所の高台にある公園だ。
昼間は散歩するご老人や犬の散歩する人々もいるが、夜は誰もいない。田舎の山沿いの住宅地なので、住民以外に通り掛かる人もいない。
その誰もいない高台の公園で水筒のお茶を飲みながら(贅沢したい日は缶コーヒーを買って飲みながら)夜景を眺めるのだ。
田舎の住宅地の夜景なので、住宅の明かりと、その向こうの田んぼの暗闇と、更にその向こうの国道沿いの靴屋の明かりくらいしか見えないがそれでも十分だった。ただ一人でぼーっと見ていられたらそれで良かった。
2ヶ月ほど前、その日も私は高台の公園に向かっていた。いつものように公園に向かう階段を登り始めた途端、階段脇の植え込みで突然ガサガサッ!と大きな音がした。続いて、「ブフォーッ」何か大きな獣の鼻息が。
多分イノシシだ。メイビー イノシシ。プロバブリー、の方がいいか。とにかくイノシシだろう。私はじりじりと後退りし、そのまま家に逃げ帰った。
そういえば役場からイノシシ出没のお知らせはあった。でも出没地点は町の反対側で離れていたので油断していた。甘かった。
憩いの場をイノシシに奪われ、週末に出かけることもなくなった。その結果、まず
・4キロ痩せた
驚きのダイエット効果。イノシシダイエットと名付ける。ご存知でしたか?
・食事作るのが遅くなる
前なら弁当作るのに一時間あれば出来ていたのが1時間半〜2時間かかるようになってしまった。一度に複数の作業やるのがしんどい。かぼちゃが煮込まれるのをぼーっと待っていたりする。夕食も同じく。こうして文章に書いてみると何が悪いのかわかりやすいので、事細かに作業内容を書き出して作業スケジュールを組んでみることにする。
夜、外に出られないのでベランダから星を見てみた。大きな赤い星が見えた。火星かな?でもあの方向には見えないのでは…と思ってよく見たら飛行機だった。
こうやって文章に書くとと少し気が楽になった気がする。増田は夜の町の灯りのようだ。
イノシシを倒したらまた書き込もうと思う。
それまで灯りが絶えませんように。
近所にはものすごいおうちがいっぱいある。普通の家とすごい家が通りによっていろいろ建ってて、自分の家は新興住宅地にありそうな普通の一戸建て。
立派な庭園の家は多くて、バスケットゴールとか置いてあるのは全然普通で、中には長く続く高い門がすごすぎて家が全く見えない家とか、何部屋あるのか外からじゃ皆目見当もつかない家とかある。
ただ、近所付き合いのあっさりした地域なので町内会でも細かく分かれた同じ班の限られた人にしか会ったことない。
でも今回バチェロレッテ見てて
この家々の持ち主は必ずしもここにだけに住んでるんじゃなくて「神戸のおうち」「仙台のおうち」という感じで複数の家を持っているのかもしれないのか!と初めて合致して、目から鱗。いやー庶民には思い至らなかった。別荘地ではないから、そういう考えなかったわー。
都内に何個かおうちある家庭とか避暑地に別荘を1つ持つ家庭とかなら確かに出会ったことあるし、多拠点生活もわかるんだけど、近所の豪邸と繋げて考えたことなかった。生活拠点が大きな規模でいくつも存在するとか世の中には考えもつかない生活の仕方があるんだなぁ。
いや本当にそうかはわかんないんだけどね。
追記部分の
ここだよね
車にせよ新築一戸建にせよ、はてなに多い都内車なし賃貸アパート暮らしだと車や新築一戸建のコストばかりに注目してそこから得られる定性的な価値を過小評価してしまってるんだよな(あるいはコストやリスクを過剰評価しているかその両方)
例えば車の価値を「速く走れる機械」くらいの認識でコストと天秤にかけちゃってる
実は速く走れるだけじゃなく
雨風無効、空調完備、(手で持てる量に比べれば)荷物運搬量無制限のうえスマートフォンの充電もできる動くプライベートスペースなわけで
新築一戸建も「広い住居」くらいの認識でコストと比較してるけど
今の新築一戸建に住むって、はてな民大好きなビルトイン食洗機が当たり前にあって、ドラム式洗濯乾燥機が余裕で置けるスペースがある家に住むってことなわけよ
あとこないだ「来訪者の動画が自動的に記録されてるカメラ付きインターホン」に驚くブコメが星集めてたの見たけど
そんな細かい便利機能はたくさんあるし、新築一戸建なら自分でそれが取捨選択できる
そもそも固定資産税や修繕費について言う割には住宅ローン控除や団体信用生命保険やすまい給付金や次世代住宅ポイントや住宅地特例なんかはまるっと無視しててコストやリスク的なことも正確に語られてないこと多いしな
ともかく東京と地方の生活コストを考えるときはそこまで認識したうえで、さらに満員電車や長時間労働や待機児童などのデメリットを許容してでも、東京のメリットは享受したいものかと考えないとQOLを損なってしまうということだ
区民センターに住民票を取りに行ったついでに、区の歴史を展示するコーナーに寄って、壁に展示してある古い写真のパネルを見た。こういう自治体の地味な歴史展示コーナーがけっこう好きだ。見たことのない写真とかが飾ってあるから。
家の近所の風景だという戦前の写真を見たら、辺り一面の田園地帯で、牧場があって牛の放牧をやっていたらしい。今は家がぎっしり並ぶ住宅地になっているので、想像もつかない。なんかこう、広々とした田園風景が高度成長期ぐらいからどんどん消えていく予感を感じる度に、現代の自分でもちょっと胸が苦しくなる。
その隣の写真は道路の拡張工事をやっている写真で、昭和時代の漫画に出てくるような土方の格好の人たちがたくさん働いていた。この通りは昔はもっと細くて柳並木があるだけで、ほとんど何もなかったらしい。今は車が一日中飛び交う幹線道路になっていて、通り沿いにはオフィスビルやサラリーマン向けの飲食店が並んでいる。
そうなんだよな、となんだか一人で納得した。東京の高度成長期には、車のための道路を作る事が都市計画の要で正義だったんだろう。人は道の端っこを歩くように追いやられて。でも当時は車そのものがかっこよくて、国を発展させる未来そのものに映っていたから、誰も人間のことなど気にしなかったのだろう。
今はどうかというと、なんとなく親しみが感じられないな、よそよそしくて、元気がなくて、歩きにくいなと感じる街は、太い車道が中心に走っている街だ。戦後の都市計画どおりに作られた、車中心の街。逆に、なんだか感じがよくて、人がゆっくり歩いていて、オメガラーメンみたいに個性的な小さな店が出店する余地があるような街は、高度成長期の開発に取り残されて、古い街並みがそのまま残ったまま、店の新陳代謝が進んだところだったりする。
この流れが変わることはあるのかな、車中心の街作りになってしまった街が、人が歩きやすいように作り変えられることは。当面はないだろうな、と思いながら小さなため息をついて区民センターを出た。外を出たら曇り空で肌寒くて、なんだか元気が欲しくなったから、あの小さな商店街に行ってラーメンでも食べようと思った。