大学で初めて出来た彼も神戸の人で、二人とも神戸の街が好きだった。
正月は一緒に帰省してお互いの家に挨拶にいったり、お互いのお気に入りの場所を回ったりしていた。
全く電話が繋がらなくて不安だったけど、2日経ってようやく向こうからかかってきて家族も家も無事なことを確認した。彼の家も無事だった。
テレビからは大好きだった街や建物が破壊されてる映像が流れてくる。
怖かった。
亡くなってたら悲しいし、もし無事でも家が壊れてたら、なんて言えばいいのかとか、よくわからない事を考えてた。
高校時代毎日遊んでた友達もいたのに、安否を確認するのがとにかく怖かった。
彼とはその年のうちに別れた。
少し冷静になると、今度は罪悪感が生まれてくる。
なんで友達に連絡しなかったのかとか、帰れるタイミングでも帰らなかったのかとか、自己中な考え方にうんざりした。
謎の後ろめたさで神戸に帰れなくなった。
東京で被災者が集まるセラピーみたいなのがあったので行ってみた。
私は罪悪感について話した。
家族を亡くした人、仕事をなくした人、大事な場所が壊された人、子供を連れて引っ越してきたら子共がいじめにあったこと、色んな話を聞いた。
気が楽になったわけではないけど、みんなで乗り越えましょうという言葉に奮い立たせれたのを覚えている。
んなもん、キリないやん? なんでそう、病的にまで、悪者になるのを避けようとするん? PTSDよりも先に、ソッチの素質のほうを自覚するべきなんちゃうん
増田BL
自分も神戸から引っ越した3年後に震災があって、連絡を取ろうと思ったけど取れなくて
いつもこの時期になると思い出すことをまた思い出した。 何かの縁がある人が被災地に対して思いを寄せてくれることはありがたい。 凄惨な経験をした人が経験を語り継いでくれること...
ワイと同年代なんかな 当日の三宮がを今も夢に見る
東日本大震災やコロナ、その他の大事件大事故もこのように様々な人の人生に暗い影を落とし、尾を引き続けるんだろうね。 こんなに苦心して人が生き続ける意味とは何なんだろう。