はてなキーワード: 不文律とは
この不文律はどうにかならねえかな?
俺は公式募集してなくてもバレンタインが近いから物理チョコ送付時にイラストそえて●●作品の●話ご出演の●●さんへ2023/2/14と自分の垢もかきこんで送る。
つまり「どのキャラあてに何の感謝をこめてだれがいつ」事務所とかスタジオとかにおくってるかを、イラスト書くほどの熱量とともに、明らかにしたかったわけ
でもそれやると添えた花とかチョコも全っ部無視されるのね! 結構高かったのにさ!
イラストがまずくてもカードなんだからよけてくれりゃいいだろが!
よく女子高生がやるみたいに、垢名だけを絵文字でつぶしてくれてもいいよ。俺も同担拒否とかで炎上したくないもんな。
去年、「サインのないめちゃうまイラスト」、花、チョコ、メッセージカードは全部公表されたのさ!
いや立派だよ!
けどたぶんそのサインないイラストは中学生だの外国人だのにグレーゾーンだ使っていいっておもわれちゃってるわけよ!
もっというと「公式絵をコピペしてラミネにして串つけて花にさして」おくるやつも公式から去年公表されてたよね!
それ堂々と著作権侵害してるのに大丈夫か?だし堂々とそれを公式がお礼をそえて公表してるわけよ!
あのキャラにはこういう熱心なファンがついてるって世間に知らしめたいわバーカ!
って中学のときの黒歴史やんけ、それをまた繰り返せっちゅうんか????
販売作品内イラストのコピペは目的によらず著作権侵害ってやっとかないといかんのちゃうのかい公式ィ?
どうにかしろやほんまに!
まあでも現実的にさ
イラストはピクシブに自前垢からのせる(収集対象であってももうしかたないよね)から、イラストカードよけていいからさ。
ほんと花・チョコが「だれあてに」来たかだけでも公表してくれ土下座。
ひとつめ
俺はピクシブとツイの垢ではキャラ同志のいちゃいちゃ妄想は軽くくりひろげているが
花に添えてるのは露出は顔しかないエロくない単体イラストだけだよ チョコつまみあげたり花もってたりするだけの無難なやつな
ふたつめ
実はチョコと花かって送ろうとしている主体はイラストかけない友達。
俺は友への援護射撃もあって書いてるだけで、本当はそのキャラは妄想できるほど最推しではない。
本当に好きではあるんだけど年に一回とか2回(キャラ誕生日)くらい単体でかっこよくかわいければそれで満足。
友人には無償で提供してる(郵送代とかプリント代を友人が持ってくれるっていうから便乗してるだけ)。
だけどやっぱりへんなとこに転用されたくないから絵師としてのサインは入れたいし(実名では一切イラスト受注してません、家族も知らないと思う)、
なにより、友が「あの人、他人の絵を自分が書きましたっていってる!なりすましだ!」ってへんなことで炎上するのもいやなわけよ
だって花もチョコも買ってファンレター書いて送付先までなんとかしらべあげてる友人が公表されなくてほかの公式コピペのが公表されるのつらくてみてられねえよ
愛がないからだよねって話なんだけど
たとえばパクリと、インスパイアやオマージュの差はなんだってことがよく論争になるけど
それで愛情があるかないか、ばれたくてやるのがオマージュで、ばれたくないのがパクリだよねみたいな定義があったりする
作家が愛情で作ったという言い訳というかエクスキューズが唯一の救いみたいになってたりする
それをオマージュなんて言葉でむりやり納得いくことにして、創作界隈はいちおう平穏を保っているわけだけど
たとえばマンダロリアンがAIで作られたとして、それで子連れ狼のパクリだと指摘されたときに、今みたいにファンは平穏を保ててるだろうか
愛もなにもないただボタンおしたスーツ野郎の金稼ぎに使われるのは我慢ならんってことにならないかな
じゃあ作家が金稼ぐためにしたパクリはいいのかよって話にもなったりするけど
「お互い様なんだから多少のことはパクリじゃなくてオマージュやインスパイアってことで許しましょうよ、我々の業界はそうやってきたんだから」
みたいな感じで成り立ってた不文律が崩れ始めて、AIを使う側と使わない側での非対称性がイライラを増幅させて炎上が止まらなくなると思う
3年前の増田である、『男性被差別論と女性被差別論が噛み合わない理由』anond:20190531160258 の内容そのものだな。
男性は、周囲から多少迷惑を受ける代わりに自分の迷惑も大目に見られるくらいの、やや低い道徳度の居心地がいいが、
女性は、自分を厳しく律する代わりに、他人からも迷惑を受けない高い道徳度の方が居心地よく感じやすい。
…
こう書いていくと「男は寛容と言いたいのか? 気に食わないことがあると不機嫌をあらわにしたり怒鳴る男は結構いるのに」と思う人もいるだろうが、別に男性が寛容なわけではない。
男性が好む低い道徳度ではある程度の迷惑は受け入れあうといっても、黙って微笑み受け入れるというより、場合に応じて個人レベルで衝突することが想定されている。
その頻発する、毎度結果が違う衝突や力比べも含めて道徳度低めということだ。
低い道徳度では対立相手へ直接的に力を振るいあうことが基本で、高い道徳度では社会全体のルールや不文律や権力者の力を使うことが基本になる。
オタク議論/喧嘩で言えば、男性ジャンルの揉め事は炎上リンチや荒らしといった無法の荒野みたいな雰囲気になりやすいが、女性ジャンルの揉め事は学級会などの規律を求めた管理社会的になりやすいようなものだ。
ある人(勤め始めて5年以上は経つ)が私の所属している部署に異動してくるという、一見なんでもない辞令だった。
なぜなら、彼はもう3部署も飛ばされている、言わば問題児だったからだ。
研修も終わり、配属先が決定した当日、伝説となる発言を放ったのだ。
弊社では障害者雇用も行っているため、そういった方々も多少は採用されている。
しかし、クローズで正社員雇用をすり抜けた挙句、雇用が本決定した途端に告白し、開口一番こちらからのフォローを求める発達障害者は初めてのケースだった。
障害者雇用であれば先例があるためこちらも動きやすいし、せめて面接時に「発達障害だ」と告白してくれれば、部署内で多少の受け皿を用意しておくぐらいは出来たのに。
これでは発達障害を言い訳にしているとしか思えないし、発達障害に適した環境を用意することも出来ない。
面接時に必ず申告しなければならないとも定められていない。
という訳で、同じ部署の方々は何も抵抗できず、この発達障害の方(以降Aさんとする)のフォローに奔走することになる。
話はとんで1年後。
Aさんの異動が発表された。
そのまた2年後。
またAさんの異動が発表された。
その間にも、あらゆる部署からAさんの噂は絶えず流れ込んできた。
ここまで特定の人物の多種多様な噂話を聞くのは初めてで、何も知らないながらも大変そうだ、といった印象は受けていた。
そう、この時の私は印象を受けていただけ。
何も分かっていなかった。
そして遂に、私の所属する部署にAさんが異動してくることになったのだ。
ちなみに勤務年数で言うと、Aさんは私の先輩にあたる。
が、この部署での勤務年数で言えば、勿論私の方が長くなる。
そのため、私を含め部署内全員でAさんと指導をすることとなった。
もう一度言う。私はAさんをナメていた。
実際に共に仕事をすると、今までの人達はこんな人と付き合いながら仕事をしていたのかとあまりの大変さに敬服した。
例えば仕事を教える時。メモ1つとっても、以下のような症状が見られるのだ。
・メモを取らない
・とったメモを無くす
・メモが見つかっても内容がぐちゃぐちゃすぎて参考にもならない
これでは迂闊に仕事も任せられない。
1つの仕事を任せる度、1人がAさんについて、1つ1つ懇切丁寧に教えていく。
健常者の新人とは違って、そのままの意味で任せる度に教えなければならないのだ。
つまり、Aさんが仕事をする度もう1人の労働力が無くなることになる。
だがAさんの厄介さはそれだけに留まらない。
・優先順位をつけられない
・凹みはするが反省ができない
・PDCAサイクルを回せない
・人の助言・アドバイスを受け入れられない
これらはいずれも、我々が指摘・注意した際に「発達障害なので…」と言い訳された言動の一部だ。
特に厄介なのが、「人の助言・アドバイスを受け入れられない」だ。
こちらがどれだけ優しく
「どこまで分かってるかな?すり合わせしてみよう」
「褒めて伸ばして欲しい」
「なんで皆いじめるんだ」
と暴れ馬になってしまうのだ。
こりゃ大変だと、様々な対策も打ってみた。
Aさん専用のマニュアルを作ったり、不文律を手順書に明言したり、仕事を同時に複数個与えないよう配慮したり、進捗を定期的に確認したり…それはもういろいろだ。
マニュアルより思い込み優先で動いたり、手順書の存在を忘れたり、やるべき事ではなくやりたいことを優先させてしまったり、進捗を確認しても「出来てます」と虚偽の報告をされる。
勿論そんな人には本当に簡単な仕事(もはや仕事とも呼べないレベルだが)しか任せられない。
いや実際にはコピーや掃除などの仕事すら満足に回せていない状態なのだが…
そんな状況でも、我々は諦めなかった。
閑散期には彼にもう一度仕事を教え直したり、誰かとグループを組んで共に仕事をしたり、打てる手は打っているつもりだった。
しかし、我々が耐えているのと同時に彼も我慢していたのだろう。遂にこう騒ぎ出した。
「なぜ仲間はずれにするんだ」
「なぜ皆自分を育てようとしてくれないんだ」
…恐ろしいことに、彼は自分は仕事ができる、もっと仕事を任せてもらえて当然だと思い込んでいたのだ。
ここまで来て、全員が彼を諦めた。もうお手上げなのだ。
今まで働いてきて人にネガティブな感情も抱いたことも無かったし、むしろいい人ばかりだ。
表には出さないが、もう、誰もAさんの話をまともに聞かない。
しかし既に何かを察したのか、もうAさんに確認をもらったり、助言を求めたり、仕事の説明をしてもらったりすることが無くなった。
悲しい話だ。しかしそれはそうだろう。
こちらがどれだけ寄り添ってももっともっとと強請り、自分は何も与えないどころか足を引っ張るのみ。
その癖自己愛や自己評価は高く、傷つきやすく、現実とのギャップを埋められるだけの能力もなければ、改善策も実行しない、考えることもしない。
そんなAさんの傍若無人っぷりは今も健在だ。
皆耐えている。社会人でいたいから、加害者になりたくないから、解雇する権利がないから。
なぜ我慢するのか?
発達障害者の面倒を見るために、重い体を引き摺って通勤している訳では無い。
我々はママでも介護士でも先生でもなければ、会社は学校でも就職支援センターでもない。
発達障害者の面倒を請け負って仕事を倍こなしても、給料も上がらなければ手当も出ない。
寧ろ、自分たちの1/5も仕事をしていない人間と同じ給料で働かされていると思うと、怒りすら湧いてくる。
もはや、Aさんを起点に部署全体がどんどん悪い方へ向かっているのだ。
分かっている。この状況はAさんにも我々のためにもならない。
もうAさんには直接言うべきだろう。
やりたいことと出来ることは違うと。
だってそんな簡単なことすら、発達障害者は分からないらしいのだ。
彼さえやめれば元の職場に戻るのに…と、心がどす黒いもので埋まっていく感覚は、何とも言い表せない不快感がある。
そして痛々しい位に、苛つく自分自身への自責の念と、怒りの感情の葛藤で追い込まれる。
もう耐えられないと。
私は同士であり、友人でもあった彼女を止めることなどできなかった。
Aさんが異動してきてから、私は嫌という程思い知った。
発達障害は甘くないと。
発達障害者と共にやっていけないという声が上がる度、その内容や考え方に怒る「発達障害擁護派」はちまたに溢れかえる。
お恥ずかしい話、私も当初は「発達障害者も平等に仕事が与えられるべき」と軽く考えていた。
だが今なら断言出来る。彼らは発達障害者のサポート・フォローに苦労した経験がないのだ。
こういった人達は、総じて私と立場が変わった瞬間に掌を返すだろう。
きっと誰だってこうなる。なぜなら人間は聖人じゃないのだから。
そもそも、同じ給料を貰う以上、極端に効率が悪い人がいると不満が出るのは自然な事だ。
特に私のケースでは、正社員として雇用された上で発達障害者のフォローを求めるところがそもそもおかしかったのだ。
健常者と働きたいなら、健常者と同じように雇われたなら、健常者と同じ効率や働きぶりを求められるのは当たり前だ。
勿論、ここで述べたような人間とは違う、もっとまともに働いていらっしゃる発達障害者の方もいらっしゃるのだろう。
そういった必死に努力している方の事は応援したいし、能力を適切な場所で発揮してもらいたいとも思う。
「勉強不足だ」
「悪気はないんだから許してあげて」
と叩かれることが往々にしてある。
そもそも、片方のみに負担を強いるその精神に異議を唱えたい。もはや異常だ。
これらの何がおかしいのかも分からないお花畑っぷりに、グロテスクさを感じる。
健常者だからという理由だけで、我々の人生がイージーモードだと思っているのだろうか?
なぜ健常者が理解を深めなければならないのか?
支援は当然だという声には、こういった反抗心すら覚える。
誰かに足を引っ張られた時に、無限に、穏便に手を差し伸べられるほどの余裕は無いのだ。
こう言ってはなんだが、生産性がマイナスの人間は働かずに生きれるよう、福祉をもっと充実させるべきだと思う。
普通の仕事をしなくても生活できるように社会的な補助が必要だ。
もしくは、フォローする人には別途手当を与えたり、給料を増額したりといった、メリットがあると思わせる程度の手当が必要になるだろう。
そちらの方が、発達障害者に取っても、我々にとっても、お互い適度な距離をとって友好的に接することができるのではないだろうか。
労働という効率や生産性を求められる場から離れれば、我々はもっと上手い付き合い方ができるのではないだろうか。
どうか、どうか。
我々を助けていただけないだろうか。
加害者になどなりたくはない、そして被害者にもなりたくないのだ。
https://archive.ph/2022.08.26-152931/https://note.com/tender_tulip463/n/n6bfa6436ae65
なんども同じ質問しちゃってごめんね。
お世話になってる絵師がいる。
彼女は普段はほぼデフォルメ調の可愛らしいキャラ絵を描いている。
しかし最新作は久しぶりに R-18 で、あまりにエッッッッ だったんで感想欄でつい、
「セクハラすべきではない」「誰も聞いてない」「こういうのがいるから女性絵師はつらい」
いつだか同じような事があった。酔った勢いで
「ケツでか女は後ろからヤルのが良いんだよなぁ」
ってコメントしてしまったときも総叩きの憂き目にあった。実在の女性にそう思ってるんではなく
描かれてる絵の状況に共感しただけだったんだって説明したけど聞き入れて貰えなかった。
ブコメで
これはオレには「表現の自由の範囲内だから、叩くのは止そう」って言ってるように見える。
でも「表現の自由は批判されない権利じゃない」って立場の人も結構いるよね。
民法や刑法で明文化するとカドが立つから、暗黙の不文律として線引きを守らせるのを民間の自警団に委託しました、ってのと事実上同型なのでは???
モラルという名の時流とTPOで変動するルールに違反した場合は、炎上刑に処す。社会的制裁を与える。
それと何が違うんだ?
『キノの旅』でそんな話があったと思う。
殺人が禁止されてない国を訪れた旅人が、人を殺したら人々が集まってきて殺されちゃうやつ。
旅人が絶命するとき、人殺しが禁止されてないというのは人殺しが許されてるという意味ではないのだよ、みたいな説教をされて終わる。
——…表現の自由って許されてないよね。
横槍だけど、そういう自問自答をしてきたのよ、男オタクがというより昔のオタクは。
「生モノは対象の目には絶対触れないところでやる」という不文律もあった。
でもあなたは、そういう自問自答をしてこないまま、蝶よ花よと天狗のままに成人したのだろうし、
そういった女性のオタクが最近増えてきたから今回のVは心が折れたんだろうし。
「自分の快・不快が最も優先されて当然だし、言いたいことを言う欲 > 推し対象の幸せ」
みたいになっている人が最近増えているようで、平成のオタクとしてはちょっとどうなのかなって思いました。
TikTokやっているってあたり、それなりにお若いんでしょう?
この件で攻撃的になるのではなく、少し他者を気遣う心を持って欲しいところ。
そして、なんでそのVの名前をいちいち出すの? 鍵垢とかで言えば?
元増田や延々とやり取りしているあなたみたいに、心が折れたVが、「トラウマが~」を見て余計に傷つくかもしれないという可能性を考えずに言いたいことだけ好き放題書いているのを見てそう思いました。
土日や祝日、大型連休、夏季や冬季の休暇期間に休日限定ドライバーたちは走り始める
普段の出勤や外出は電車やバスを活用したり、運転する距離も自宅と職場の往復と帰宅途中のスーパーなどに寄る程度である彼らは、なぜか休日になると我も我もと車に乗り込みハンドルを握り不慣れな運転で走り出す
我が家の近所には大型のショッピングモールと会員制の倉庫型店舗があるため、自宅の窓からそれらに続く道を見ると朝の9時から夜19時くらいまで、ずらーっと車列が続いている
どこまでも続く赤いテールランプが綺麗で、という状態だ
そして残念なことに、地図アプリの進化により我が家周辺の細い道が抜け道として活用される
軽自動車が2台ぎりぎりで並べる程度の道に、久しぶりの運転で目がバキバキになっている大人がハンドルを握るワンボックスカーが突っ込んできたり、通れないと悟った車が敷地内に堂々と入り転回していったりと、まるで緩いペースで襲ってくる山賊の趣すらある
そんな日はできるだけ家から出ないで済むように前日までに買い物などをしておくのだが、祝日の今日、混雑が確定しているエリアへどうしても行かなければならない用事ができてしまい、萎える気持ちを奮い立たせて車に乗り込んだ
地元民だけが知る抜け道を駆使し、混雑する交差点で立ち往生する他県ナンバーを横目に、普段の1.5倍程度の時間で目的地へ着いた
駐車場へ入ると割といい位置で空いていた駐車スペースを発見し停車しようとハザードをつけ、後続車を先に行かせようとしたがその後続車はピクリとも動かない
もしかすると通り抜けるのに狭いのかなと思い、停車している車両に限界まで近づいてさらにスペースを広げたが、それでもなぜか動かない
待ってくれているのかと思いやや右前方へ車を振り駐車行動を開始した時、先程までは不動だった後続車がなぜか車間を詰めてきた
何をしたいのか全く意味が分からず窓を開け後続車を見ると、まるでこちらの行動が異常であるかのように目を見開き口をパクパクと動かしていた
「当たるから下がって」とジェスチャーをしても無視し、これはいよいよ降りて説明した方がいいのかなと思いシートベルトに手をかけた瞬間に、その後続車はほぼピッタリの隙間を加速して通り抜けていった
いやいやちょっと待て、いったいこちらの何に腹を立ててそんなことをしたんだと聞きたくて追いかけようとしたものの、助手席の同乗者に止められ、大人しく駐車を完了させた
「さっきの車はなんだったんだろう」と話しながら車から降り店舗入り口へ向かうと、その入り口を先ほどの車が塞ぐように斜めに停まっていた
目を凝らして見ると先ほどの目バキバキ口パクパクアラフォー女性が乗っていたのが見え、その瞬間にエンジンが止まり荷物を持ち降りようとしているのがわかった
駐車スペースでもないその場所は、大きな荷物を運ぶ他の客の通行の邪魔になるし、そもそも駐車車両が斜めになっている分、ワンボックスカーも気をつけて通過しないといけないほどだった
先程のやり取りの真意も知りたく、降りてきたその女性に声をかけて、悲鳴をあげられても困ると思い冷静な声のトーンで慎重に話した
こちらの質問にも回答はあり会話こそ成立しているようだったが、その女性の言い分を要約すると
・私が停めようとしたところにあなたが停まろうとしたから、どいて欲しくて後ろで待った
・ここは駐車スペースでないかもしれないが、ここには以前ほかの車が停まっていたのを見たから問題ない
・(駐車のための操作中にハザードをつけないことについて)そんなことは法律に書いてないし習っていないから違法ではない
・(駐車場内でもウインカーをつけないことについて)周りが気をつければいいことだし、これも違法ではない
という、マイ交通ルールがしっかりと出来上がった、途中でうんざりしてしまう内容だった
久しぶりの運転で疲れているのになんなの?と文句を言われ、慣れない人に譲るのが常識だとか言い出したので、運転向いてないですよと余計な一言を伝えて店内に入った
久しぶりだの慣れていないだのと言うからには、きっと彼女も休日限定ドライバーなのだろう
世の中の交通作法の習得や不文律的なマナーは彼女にまで届かない
ウインカーやハザードがただの保安部品ではなく、事故の発生を抑制する潤滑油の役割を果たすことなど知らないまま、運転をやめる日がくるのだろう
などと思っていたら店内でもその女性と何度か擦れ違い、大型のカートを通路の中央に置いたまま、冷蔵ケースの中身を吟味していたし、なんとなくできている人の流れをまるで修行のように逆行していた
ただの強い人だった
帰宅途中、先行車が交差点内で急停車し対向車両がいなくなってからウインカーを出しながら曲がる場面に遭遇したが、同乗者と顔を見合わせながら「はい強い〜」と苦笑いするほかなかった
向かった先は人口が多いエリアから自動車で約40分ほど掛かる、山里の中にある知る人ぞ知る川遊びスポット
夏休みの週末ともなれば都会のプール並みの芋洗状態は覚悟しなければならない、そんな川へ遊びに出かけた
朝8時に川にほど近い駐車エリアに到着したが、平日ということもありどうやら一番乗りだったようで、これは気が楽だねとテントやバーベキューコンロの準備を始めた
その間に子どもたちは軽めの朝食を摂り、水着姿になると誰がどの水鉄砲を使うかを話し合い出した
もろもろの準備を整え終え、家族揃って川へ向かう通路をたどりいざ川の中へ
「冷たいねー!」「その水鉄砲、次は僕が使う!」と子どもたちも楽しそうだし、私も妻も心地よい川の水温と蝉の声、時折吹く風に癒されていた
それから1時間半ほど経過した頃、ここ最近で一番の猛暑になるという予報通り、1台また1台と駐車場に自動車が増え始めた
太陽が頂点からやや西側に傾くころには、週末ほどではないにしろ、多くの家族連れでそこそこの賑わいを見せていた
私の家族もバーベキューを堪能し、帰り支度を始める前にもう少し遊ぼうと川に向かった
川へ向かう通路を進むと、そこには3脚並べられた椅子に座る家族がいて、川に続く通路が通り抜けづらくなっていた
椅子が並べられた場所は川へ入る河原へ続くルートということもあり、どれほど混雑していても誰もそこには居座らない場所なのだが、その家族はほかの人たちが避けて通ることもお構いなしで座り続けていた
不文律や周囲の雰囲気に気づかない、もしくは気づいても違法ではないとばかりに受け流すタイプなのだろう
白い目で見られようが横を通り際に「邪魔だなぁ」と呟かれようが一切気にしない様子で、その肝の太さだけは見習いたいとも思った
その後、浮き輪で浮かんだりフィンをつけて泳いだり、岩から川に飛び込んだりと遊んでいると、例の家族が河原へと下りてきた
父親はサングラスを掛けふわっとしたパーマを掛けたオシャレ風な雰囲気で、母親は川に入る気が全くないワンピースに女優サイズのつばが大きな帽子とサングラスに日傘
二人に見守られるように立つ子どもはライフジャケットにシュノーケルセットというフル装備の出立ちで、とにかく田舎の川には似つかわしくない格好の家族だった
まずはその子どもが川に入るが、予想以上に冷たかったのだろう、すぐに出ようとすると「大丈夫だから!」と父親が大きな声で言う
その声にまた川に入ろうとするものの、少し躊躇ったところで「冷たさなんてすぐに慣れる!」と腕組みをした父親の大きな声がさらに飛んでくる
意を決したように子どもは川に勢いをつけて飛び込んだ
そんなやりとりをなんとなく眺めていて、(父親が一緒に入ってやればいいのに)と思いながらもその親子の近くはなにか嫌だなぁと、少し離れたところへ移動した
そのあとも定期的に父親の無駄に大きい声が響き、それに応えようと子どもが動く
まるで父親の声に反応して動くラジコンのようで、目に入るたびに楽しい気分が少しずつ冷めていくようだった
フル装備の子どもがようやく川に顔をつけられるようになると、それまで偉そうに仁王立ちしていた父親は母親が持っていたカバンから筒を取り出し、子どもの近くに向かっていった
足が濡れないように最新の注意を払いながら大きな岩の上に立つと、持っていた筒を川に向かって振り出した
「いたか?見えたか?」とまた無駄に大きい声が響き、子どもは川から顔を出すと「わかんない」と答える
そのやりとりが数度続いた時に、その親子の周りから人がスーッと離れていった
そろそろ帰る準備をしようと、その親子の近くを通った時、父親が振っていた筒が「魚の餌」であることに気づいた
彼らは川に魚の餌を撒くことで川魚を誘き寄せ、子どもに川に棲む魚を実際に見せたかったようだ
それからも父親は何度も何度も筒を振り、水面にぽちゃぽちゃと餌が降り注いでいた
その親子の周囲から人がいきなり少なくなったのは、魚の餌を撒き始めたことに気づいたからなのだろう
通路に置かれた椅子に子どもだけが川に入っていく姿、その子どもに何かあっても対応できなさそうな格好の両親、そしてほかの人への配慮の欠片もない魚の餌撒き……行動のすべてからその両親の正気を疑った
どうしてそのスペースがぽっかりと空いていたのかを考えたり、周囲を見回してどんなスペースなのか考えたりしないのだろうか
水難事故のニュースが流れる季節に、なぜ両親だけはまるで都会のカフェに行くような服装で川遊びに来たのだろうか
いったい誰が自分の子どもが遊ぶすぐ上流で魚の餌を撒かれて喜ぶと思ったのだろうか
自然の川の中で生きる魚を見せてあげたいと思い実際に行動するほど、きっと教育について熱心なのだろう
そのためには思い通りに動かない子どもに向かって大声で指示を出したり、周囲を気にすることなく餌を撒けるのだろう
「いたよ!さかな、いたよ!」と嬉しそうだ
それを聞いて嬉しそうな顔でさらに餌の筒を振る父親と、そんなやりとりをまるで女優のように眺める母親
これほどまでに自分たちだけの世界で生きていくのは、どれほど楽なのだろうか
教育という理由があれば周囲を蔑ろにしてもよいと思い行動できるのは、どれほど無神経なのだろうか
帰りの支度をするために椅子が並べられたその通路を通る時、反対側から川へ向かってくるガラの悪い男性が「なんだこれ邪魔だ」と椅子を一つ蹴り飛ばしたのを見て、この世界は思ったよりも理性的ではないと感じた
いきなり告白するんじゃなくてまずはいい感じになってから告白すればいいという意見がめちゃくちゃ多いけれど、どうやってその「いい感じ」になれというのだろうか?
挨拶をする→通勤ですれ違うとか店員と客とかその程度の関係性なら、挨拶をした時点でキモがられる可能性が高い。
会話して親しくなる→職場や趣味のサークルは出会いの場じゃないと散々言われて、出会いを求める人間は非難されてるよね?職場では仕事、趣味の場では趣味以外の話をしたら駄目だという不文律があるじゃん。それを越えても許されるのは元から黙っていても異性が寄ってくるような高スペ人間だけ。
ランチや映画に誘う→親しくない相手から告白されるのも、ランチや映画に誘われるのも、ドン引きするって点では同じ事では?客が店員にいきなり連絡先を渡して警察沙汰になった事例なんて枚挙に事欠かないじゃん。そこまで行かなくとも断られたらそこで終了だ。
うっせぇわって歌はこのぐらい不穏じゃないとあの歌い方は合わない気がする
正しさとは。愚かさとは
それが何か見せつけてやる
ちっちゃな頃には優等生
気付いたら戦になっていた
持ち合わせる金もなく
でもメシが足りない。水も足りない。
腐っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
それもそっか
純情な精神で入隊しワーク
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
嗚呼よく似合う
その可もなく不可もないメロディ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
頭の出来が悪いので問題はナシ
つっても私模範人間
犯したりするのはノーセンキュー
だったら鉛の銃口を
その頭に突きつけて撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて成れの果て
クソだりぃな
穴が空いた壁があれば直ぐに伏せなさい
皆が走りやすいように道をあけなさい
会戦で中坊は先陣を切る
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
くせぇ弾防げや限界です
もう見飽きたわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
点々と肉焦げたその盤面にバツ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
私が国に言う人災です
うっせぇうっせぇうっせぇわ
何回聞かせるんだそのメロディ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
アタシも大概だけど
私は異なる考えを持っている。
尊厳の考え方は、クラス全員の男にヌード写真が出回るのと、クラス全員が彼女の裸を妄想して自慰するのは、実質的には変わらない、とすると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20220525213803
電車の中で、隣に座った女性と肌を触れ合いを、後で振り返って楽しむのは… よくないと思う。
あなたの自制心や理性を疑ってるわけではないんだ。相手に下心を気取られないように細心の注意を払い、それは成功するだろう。
だから隣の女性は、「この男性は性的に消費する意図で触れ合いを記憶しているんだろうな」と想像する。肩が触れたたくさんの男たちの中には、確率的に理性の箍が緩いケモノもいるはずだ。女たちは常に威迫されながら、脅威に怯えて生きている。
性的まなざしを向け、一般女性を性的消費するのを是としている現代日本では、生きづらさは女性性にビルトインされている。男たち全員が「一般女性をオカズに妄想したりはしないよ」って言い続ける必要がある。不文律を破って威迫行為をした人を咎める必要がある。さもなくば理不尽な性の不平等は消えないよ。