2022-08-04

教育熱心な父親と、その義務と寵愛を一身に受ける子ども

昨日、子どもたちを連れて家族で川遊びへ出かけた

向かった先は人口が多いエリアから自動車で約40分ほど掛かる、山里の中にある知る人ぞ知る川遊びスポット

夏休みの週末ともなれば都会のプール並みの芋洗状態覚悟しなければならない、そんな川へ遊びに出かけた

朝8時に川にほど近い駐車エリアに到着したが、平日ということもありどうやら一番乗りだったようで、これは気が楽だねとテントバーベキューコンロの準備を始めた

その間に子どもたちは軽めの朝食を摂り、水着姿になると誰がどの水鉄砲を使うかを話し合い出した

もろもろの準備を整え終え、家族揃って川へ向かう通路をたどりいざ川の中へ

「冷たいねー!」「その水鉄砲、次は僕が使う!」と子どもたちも楽しそうだし、私も妻も心地よい川の水温と蝉の声、時折吹く風に癒されていた

それから1時間半ほど経過した頃、ここ最近で一番の猛暑になるという予報通り、1台また1台と駐車場自動車が増え始めた

太陽が頂点からやや西側に傾くころには、週末ほどではないにしろ、多くの家族連れでそこそこの賑わいを見せていた

私の家族バーベキューを堪能し、帰り支度を始める前にもう少し遊ぼうと川に向かった

川へ向かう通路を進むと、そこには3脚並べられた椅子に座る家族がいて、川に続く通路が通り抜けづらくなっていた

椅子が並べられた場所は川へ入る河原へ続くルートということもあり、どれほど混雑していても誰もそこには居座らない場所なのだが、その家族はほかの人たちが避けて通ることもお構いなしで座り続けていた

不文律や周囲の雰囲気に気づかない、もしくは気づいても違法ではないとばかりに受け流すタイプなのだろう

白い目で見られようが横を通り際に「邪魔だなぁ」と呟かれようが一切気にしない様子で、その肝の太さだけは見習いたいとも思った

その後、浮き輪で浮かんだりフィンをつけて泳いだり、岩から川に飛び込んだりと遊んでいると、例の家族河原へと下りてきた

父親サングラスを掛けふわっとしたパーマを掛けたオシャレ風な雰囲気で、母親は川に入る気が全くないワンピース女優サイズのつばが大きな帽子サングラス日傘

二人に見守られるように立つ子どもライフジャケットシュノーケルセットというフル装備の出立ちで、とにかく田舎の川には似つかわしくない格好の家族だった

まずはその子どもが川に入るが、予想以上に冷たかったのだろう、すぐに出ようとすると「大丈夫から!」と父親が大きな声で言う

その声にまた川に入ろうとするものの、少し躊躇ったところで「冷たさなんてすぐに慣れる!」と腕組みをした父親の大きな声がさらに飛んでくる

意を決したように子どもは川に勢いをつけて飛び込んだ

そんなやりとりをなんとなく眺めていて、(父親が一緒に入ってやればいいのに)と思いながらもその親子の近くはなにか嫌だなぁと、少し離れたところへ移動した

そのあとも定期的に父親無駄に大きい声が響き、それに応えようと子どもが動く

まるで父親の声に反応して動くラジコンのようで、目に入るたびに楽しい気分が少しずつ冷めていくようだった

フル装備の子どもがようやく川に顔をつけられるようになると、それまで偉そうに仁王立ちしていた父親母親が持っていたカバンから筒を取り出し、子どもの近くに向かっていった

足が濡れないように最新の注意を払いながら大きな岩の上に立つと、持っていた筒を川に向かって振り出した

「いたか?見えたか?」とまた無駄に大きい声が響き、子どもは川から顔を出すと「わかんない」と答える

そのやりとりが数度続いた時に、その親子の周りから人がスーッと離れていった

そろそろ帰る準備をしようと、その親子の近くを通った時、父親が振っていた筒が「魚の餌」であることに気づいた

彼らは川に魚の餌を撒くことで川魚を誘き寄せ、子どもに川に棲む魚を実際に見せたかったようだ

それから父親は何度も何度も筒を振り、水面にぽちぽちゃと餌が降り注いでいた

その親子の周囲から人がいきなり少なくなったのは、魚の餌を撒き始めたことに気づいたかなのだろう

通路に置かれた椅子子どもけが川に入っていく姿、その子どもに何かあっても対応できなさそうな格好の両親、そしてほかの人への配慮の欠片もない魚の餌撒き……行動のすべてからその両親の正気を疑った

どうしてそのスペースがぽっかりと空いていたのかを考えたり、周囲を見回してどんなスペースなのか考えたりしないのだろうか

水難事故ニュース流れる季節に、なぜ両親だけはまるで都会のカフェに行くような服装で川遊びに来たのだろうか

いったい誰が自分の子どもが遊ぶすぐ上流で魚の餌を撒かれて喜ぶと思ったのだろうか

自然の川の中で生きる魚を見せてあげたいと思い実際に行動するほど、きっと教育について熱心なのだろう

そのためには思い通りに動かない子どもに向かって大声で指示を出したり、周囲を気にすることなく餌を撒けるのだろう

フル装備の子どもがまた川面から顔を上げる

「いたよ!さかな、いたよ!」と嬉しそうだ

それを聞いて嬉しそうな顔でさらに餌の筒を振る父親と、そんなやりとりをまるで女優のように眺める母親

これほどまでに自分たちだけの世界で生きていくのは、どれほど楽なのだろうか

教育という理由があれば周囲を蔑ろにしてもよいと思い行動できるのは、どれほど無神経なのだろうか

帰りの支度をするために椅子が並べられたその通路を通る時、反対側から川へ向かってくるガラの悪い男性が「なんだこれ邪魔だ」と椅子を一つ蹴り飛ばしたのを見て、この世界は思ったよりも理性的ではないと感じた

30分ほどで片付けが終わったころ、忘れ物がないか河原下りたが、あの父親はまだ魚の餌が入った筒を振っていた

教えることは他にあるだろうが、きっとあの両親では子どもに教えることなんてできないだろう

  • 子供に教育とか周りの家族に迷惑とかじゃなくて、魚の餌をばら蒔いたりすると水域が富栄養化してヘドロが溜まったりして自然環境が壊れることを突っ込めよ

  • (^^)https://www.irasutoya.com/2013/11/blog-post_2891.html?m=1

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