はてなキーワード: ハッピーとは
2018年4月に入社した富士通を同年12月に退職したので、順を追って経緯を説明する。
昨今さまざまな問題が浮上している企業ではあるが、大変お世話になったことに違いはないため、最大限の敬意を払いながら語りたい。
キーワードは3つだ。①新卒採用パンフレット、②メジャー感、③人の良さ。
まず、富士通は新卒採用パンフレットの出来がよかった。大企業ながらも新しいことに取り組んでいく姿勢、ヒューマンセントリックという標語、SIerの実態とはかけ離れた煌びやかさ。(当然ではあるが)新卒者が入りたいと思うような仕上がりになっていた。いま振り返ると、自分の視野があまりに狭かったと反省するばかりだが、当時は純粋にパンフレットを読んでワクワクしていた。
また、会社のメジャー感も入社の大きな決め手となった。富士通には、大手企業ならではの採用における露出の多さや安心感があった。「最初はやっぱり大企業だよな...」社会の右も左も分からぬ中、大手企業以外の選択肢は自分にはなかった。
最後に、人の良さも入社する理由となった。老婆心で忠告しておくが、企業を「人の良さ」で判断するのは悪手だ。採用担当は「人が良い」に決まっているし、何より社内の人間は流動的で、いつ誰が辞めていくかもわからない。
とにかく、このような理由で入社することとなったが、数ヶ月後にミスマッチだと気がつくことになる。
富士通では、約4ヶ月にも渡り研修が行われる。自分にとっては、良くも悪くも学びの多い期間だった。
最初の数週間は、富士通という組織について学ぶ。会社の歴史や文化を知るだけでなく、タグラインである「shaping tomorrow with you」を、単語レベルで分解し意味を咀嚼していったりもした。この研修で、自分は富士通が大好きになった。というよりも、自分が所属する組織に誇りを持っていたかった。事実から目を背けようとしていたところもあったかもしれない。いずれにせよ、自分は至る所で「shaping tomorrow with you」と意味もなく吹聴して回った。普通に死にたい。
5月に入ると、プログラミング研修が始まった。使用する言語はJavaだった。初めてのプログラミングで不安もあったが、本当に楽しく学ぶことができた。「変数とは、配列とは」という基礎レベルから手取り足取り教えてくれる企業は富士通くらいのものだろう。文系出身の自分がプログラミングの第一歩を踏み出せたのは、他の何でもなくこの研修のおかげであり、いまでも本当にありがたく思っている。
そして7月、プログラミング研修が終わった頃、富士通に対する不安、というよりも漠然とした恐怖感を覚えた決定的な瞬間が訪れる。新入社員全員で、社内のとある講演を聞いていたときのことだ。前後の文脈は省くが、講演者の方がこのような発言をした。
「私がam I shaping tomorrow with you?と訊くので、皆さんは全員でYes! I am shaping tomorrow with you! と答えてください。am I shaping tomorrow with you?」
その後、新入社員一同が起立し、
「Yes! I am shaping tomorrow with you!」
という声が響き渡った。
場内は盛り上がっていたようだが、自分は「Yes! I am shaping tomorrow with you!」と言えず挙動不審にあたりを見回していた。「shaping tomorrow with you」というタグラインはいまでも大好きだが、あまりに画一的で、どこか宗教的な様子に一歩引いてしまったのだ。この瞬間から、「この会社は自分に合わないのかもしれない」という確信めいた気持ちが生まれていた。
8月中旬。当然のように配属は希望通りにならず、長年運用が続くレガシーシステムに携わることとなった。使われている言語は、当然のようにCOBOLとJavaアプレット。新卒パンフレットとは全然違うじゃないか!とは思わなかった。その頃にはある程度SIerの現実を知っていたからだ。だから、何とか楽しくやっていこうと思った。興味のない分野かつ、レガシーな環境だったが、自分の周りだけでもハッピーにしていくつもりだった。それに研修でも「置かれた場所で咲きなさい」と教わった。(ある種の教え込みだったのかもしれない)
業務に関して詳細を語ることは控えるが、自分のメインの仕事は「コピペ」だったのだ。EXCEL方眼紙で作られた手順書の通り、文字通り、ctrl+Cとctrl+Vを交互に押していくだけの簡単なお仕事。一日中コピペを繰り返していると、指が変になりそうだった。また、ディスプレイは貸し与えられないため、いくつものウィンドウを小さなラップトップで開き、何とかやりくりして捌いていた。
それが何週間にも渡って続き、9月の中旬には退職を決意していた。
しかし、そんなすぐには会社を辞められるはずもなく、当面は転職のための勉強を続けながら働くことになった。
念のため言っておくと、富士通での仕事は決して悪いことばかりではなかった。メインの業務は相変わらずコピペだったが、トレーナーが不憫に思ったのか、マネジメントや社内ツールの作成にも携わる裁量を与えてくれた。残業はほとんどなく、毎日定時で帰ることができた。それでも自分がたったの9ヶ月で退職をしたのは、「今のままではマズイ」という本能的な危機感だった。コピペやEXCEL方眼紙の業務では何のスキルも身につかないし、たとえ開発に携われたとしても言語はCOBOLだ。自分の未来は果たしてどうなるのか?ひたすらに頭を捻った。自分の人生について、初めて本気で真っ正面から考えた。
...可能な限り早い段階での退職。それがベストな答えだと悟った。
退職するに当たって、一切の問題は発生しなかった。退職の旨を伝えた際、引き止められることはあっても理不尽なことはなかった。手続きも大変スムーズであり、非常に感謝している。
自分はこれから、Webのエンジニアになることが決まっている。結果として、富士通での9ヶ月は「自分が本当にやりたいこと、実現したいことは何か」に気づくための期間となった。周りよりも一手遅れてしまったが、とにかく、富士通での業務は自分にとって必要なステップだったのだと思う。昨今、富士通に対するネガティブな記事が数多く出回っているが、富士通をはじめとするSIerは決して悪ではない。そこにはただ「合う合わない」があるだけだ。誰もが自分に合う職場で、ハッピーに働いていければそれでいいと思う。苦い経験ではあったが、富士通での経験無くして今の自分はいないということを忘れず、これからもハッピーに働いていきたい。
2019年4月8日、私の好きなバンドの一つであるヒトリエのボーカル/ギターを務めていたwowakaが亡くなったと発表された。
さかのぼれば私が二次元オタクになった最初のきっかけはボーカロイドだった。世代だったと一言いえば済む話だが、私は中学二年生の頃に初めてインターネットという世界に触れ、ボーカロイドを知りそこからずぶずぶとネットの海におぼれていき、現在では息の仕方を忘れるほどになっている。そんな話は置いておいて、そのボーカロイドと触れ合う中で知ったのがwowakaという作曲家だった。しかし私がはまり始めたころには彼はちょうどその世界からは離れ始めていたころだったように思う。それから様々なボーカロイドの楽曲に触れあいはしたけど、初めて曲を買おう思ったのは彼の『アンハッピーリフレイン』だった。CDの買い方を覚えてからは少しづついろいろな曲を買ったけれど。
そんなこんなでwowakaの新しい楽曲を聞けなくなったころ、私は一つのCDのジャケットに惹かれてジャケット買いをしようと試みる。でもやっぱり慎重派なのでどんな人が作っているのかを調べてみるとwowakaの文字があった。ヒトリエの『ルームシック・ガールズエスケープ』だった。衝撃だった。彼はボーカロイドの使用をやめ、自分で歌い始めていたのだ。すぐに買うことを決め家に帰ってCDを聴いた。その時初めて人間(ボカロ以外)のCDを買った自分にはそれはとても新鮮で新しい酸素がどんどん入ってくるみたいだった。いままでのボカロが歌っていた曲はあくまでボカロで、本来の彼の音はこの音なのだと思った。それからというものヒトリエというバンドの音が好きになり、そこから他のバンド曲も聞き出した。私にとってwowakaという人間は私の音楽の様々な部分を踏み出させてくれた人間だった。
バンドを好きな人間からしたらライブに行くのは当たり前かもしれないけどやっとインターネットを使い始めたり、CDを買い始めたりとやっと人生の楽しみ方を知りだした人間にはまだハードルが高かった。世間知らずなのでいまだに様々なもののチケットを取るということが理解できていない。それでも彼らの曲がCD音源として聴けるだけで私はすごくうれしかった。彼らの音が聴けていればよかった。
なのに彼らの音が急に聴けなくなった。いや音源的な意味で言えばCDは残っているので間違っているのかもしれない。でも私にとって音を聴くということは彼らが新しく作っていく進化していく曲を聴くことだとも思う。あまりにも急だった。こんなことなら自分の知識の無さを言い訳にせずライブに行くべきだった。私は馬鹿だ。
「コンビニは仕事めちゃくちゃある」とか言われていますけど結局のとこどうなの?という疑問に応えるべく、
夜勤はしたことないので朝7:00〜夜24:00くらいまでです。
・ポットのお湯を切らさない
→冷凍庫から出して揚げた後管理ノートに記入し規定時間経過で廃棄の管理
・商品の廃棄を取る
→取り忘れると後でレジで弾かれ新しいのに交換しに行くという余計な手間が増えるので必死に探す
・入荷した荷物を並べる
・店裏のストックを並べる
・店内清掃
これを1日1000人以上の客がくる中で行います。うちはだいたい1200人くらい
シフトは3人で固定ですけど人がいない時は2人です。
2人だとレジ周辺で手一杯なので「コピー機の紙が切れた」「コーヒーが出てこない」など言われるともう地獄です
休憩は1人15分まで
一日中立ちっぱなし
店内ラジオに脳がやられる
そして何より最低時給
もうやってられないっすね…
不機嫌な店員に当たってもどうか許してやって下さい
「自分と他人の好きが違うのなんて当たり前、だから楽しいのよ!」って言う弦巻こころみたいな純粋なリベラルマインドを持っているから自信をもって勧められるんだよ。弦巻こころが分からんなら典型的なポジティブ欧米人のノリと思えばいい。
全体的に、自分がどう(悪く)思われるだとか、相手をどう(悪く)思う、みたいな事には関心がなく、勧めたいモノが主役と考えているし、うまくマッチすればハッピーという事しか考えていない(それ以外を考える意義はない)ということだね。
いくつもの原因が積み重なって、
いくつもの偶然が積み重なって、
思い切って別居した。
別居ってすごく大変で辛いことだらけのように思ってたけど、わりと楽しいことも多くて、当然だけど辛いことも多い。
一緒に住んでる時とは別のベクトルで忙しい。
でもトータルで考えればハッピーなんだろうな、というくらいには落ち着いたと思う。
別居して世界が変わったなんて大げさだけど、別居しないとわからないことがたくさんあったなと気がついたことは確かで。
当たり前のことだと言われそうだけど、半年前の自分とは変わったのを感じる。
まず一番は、家族がいないとさみしいかと思ったけどわりと平気なこと。
子どものいない私たちは仕事以外はべったりで、そのくせセックスレスだったりしたんだけど、ひとりぼっちになってしまうことがすごく不安で踏み切れなかったことが何度もある。
でも、1人になるのがさみしいと思う時点で、そばにいてくれる人なら誰でも良かったんだろーな。
やることがない週末を持て余すこともあるけど、2人でいてケンカしたりモヤモヤしてたことを考えるとずっとずっと心は平穏。
さみしいかと言われたらさみしい。でも私はもっと強いさみしさを彼といて感じてたんだと知ることになった。
あの頃に比べたらまし。簡単に言うとそういうことなんだろうな。
次に、別居するのは簡単だけど、別居してしまうと離婚の重みを感じにくくなるということ。
あれほど離婚しかないと決意して飛び出したのに、不思議なもんだ。
あーこれからどうしよっかなって帰り道にふと思ったりもする。
でも彼の思いはわからないけれど、もう何ヶ月も連絡を取っていないと、いくら旦那でもその存在は軽くなっていく。
乱暴な言い方をしてしまうと、離婚しようがしまいが、私の苗字が変わるくらいで今の生活には変わりがないのだ。
2人でよく聴いていた歌や、彼が好きだったものを見るとふと思い出す。
あ、そうだ私結婚してたんだ、って。
あんなに毎日悩んでいたのに、忘れてしまう日が来るとは思わなかった。
彼と分かり合えないのなら生きている意味なんてないような気がしていたのにな。
いつかははっきりしなきゃいけないんだろうなぁと思いつつ、なんでも問題を先延ばしにしてきた私たちは籍を入れたまま別々に生活をしている。
私たち夫婦にはセックスレスだけが問題ではなく、その他にも問題はたくさんあったのだけど、別居当初の話し合いで彼はいくつもの解決策を提示してくれた。
その内容は、たぶん私がこれから先どんな手を使っても手に入らないような、私にとって都合の良い条件だった。
軽々しいことを言わない彼の性格から、本当にその条件を飲むつもりで提示したのだというのも想像できた。
今戻れば、私にとっては都合の良い楽な生活が待っている。
打算的だと言われようと、生活に疲れていた私には魅力的にも思えた。
でも、どうしても、
セックスレスで悩んでいたのに、だ。
望んでいたものが手に入る。
でもそれは私が望んでいたものではないような気がした。
今さらどんな顔して抱かれればいいの?
セックスしたい。
それが叶わない苦しみと恨みで、きっと私は彼への愛情を食べつくしてしまったんだろうな。
本当のところ、彼にもわからないのかもしれない。
もう少し早くに2人で向き合っていれば。
何かが変わったのかもしれない。
でももうどうやっても、私が世界で一番抱かれたくないのが彼なのだ。
セックスレスで悩みながらも、解決策が見つからないまま、一緒に住んでいるのだから、いつか解決する日が来るか、その前に欲求が枯れてしまうのかな、なんて考えていた、
最後の最後に、こうしてセックスレスが目の前に立ち塞がる日がくるなんてな。
そのほかにも、なんでも1人で解決しなきゃいけないとか、体調崩すと心細いとか、私はペーパードライバーなので遠出できないとか、別居してみて、あ、不便だな、とか、大事にしてくれてたんだな、と感じる瞬間がうんざりするほどあった。
そう強く思う反面、今の私たちではもう一緒に幸せになれないんだなと実感する。
一番抱かれたい人が、一番抱かれたくない人。
何度考えてみても揺るがないその思いを抱えて、まだ慣れないマンションのドアを開けて仕事へ行く。
泣きわめきもしないし、食欲もある。
たくさん笑えてるし、新しい環境にも慣れた。
夜眠りにつく前に真っ暗な部屋で、ずいぶん遠い場所に来てしまったのだな、とぼんやりと思ったりもする。
自分がいなくなった部屋で1人暮らす彼を思ったりもする。
それもきっと、いつか忘れてしまうのだろうな。
取り返しのつかないことが夫婦にはあるんだ。
その当たり前のような事実を私は知らなかった。
タイムマシンがあれば、私は絶対に出会った頃の彼に会いに行く。
彼は嫌がるだろうが、私はあの頃の彼に抱かれたい。
最寄りが新宿あたりのIT系の数十人規模の会社にいた。大きな公園の近く。役員的なことをやってた。会社立ち上げから参画しててお給料もたくさんもらってた。業績もまぁまぁで行く末は自分が代表になって皆を引っ張っていくんだと思ってた。辞める数年前に結婚して子供ができた。
結婚してすぐに代表の社内不倫が発覚した。発覚したというか、もう見るからに社内不倫してた。自分が部下を引き連れバーとかに飲みに行くといちゃいちゃしてる現場に遭遇した。
自分が結婚するまでは自分本位で動いていたものの、結婚してからは家族のため、子供のために金をしこたま稼いでいた。
社内不倫している代表の会社にいるのはなんなんだ?自分が頑張った分代表の奥さんが不幸せになるのか?と思うと精神が崩壊した。近くの大きな公園に行って一人で彷徨いながら泣いた。俺の幸せは他人の不幸なんだと。
やってられなくなり、ナンバー2に告発した。彼も同じ時期に結婚・子供が出来ていたので分かり会えるだろうと。分かり会えなかった。許容範囲だとのこと。他の役員も許しているらしい。要は金を稼げば何をしてもいいらしい。本当かどうかは分からないが。代表は相当優秀&実績を残しているためそう言うのも分からなくもない。
転職した。10年以上連れ添った会社&育てた会社を辞めた。転職先はすぐに見つかったけれど100万位年収が下がった。社員数は15倍位に増えた。社食があったり福利厚生が充実していて年収が減ってもなんとかやっていけた。あらゆるストレスがなくなってのびのび仕事に打ち込めるようになった。
なにこれ。
ハッピーじゃん。
代表の奥さん見てるー?旦那さん不倫しまくりだよー!職場ではセクハラしまくりだよー!
死んでしまえ
高校なんて行かない。だから塾も行かない。中学2年生の君はそう言って、塾に来なくなった。
塾の先生が困っているみたいのなので、なにかアドバイスのようなものを書いてみようと思う。
親御さんとは話せたけど、本人とは話せていないみたいだから。
まあもしもその子が塾に来てくれたらどんな話をするかなと。
とりあえず説教するのはやめておこう。ゲームするな、勉強しろって言ってもどうせ聞かないでしょ。
このままじゃ高校受験が手遅れになるよとか、脅すのもよくないかな。
ネガティブアプローチはおすすめしないし、好みじゃない。まあとりあえず本人の話を聞いてみよう。
でもさ、よく話を聞くっていうけどさ、先生が偉そうにさ、ほら話せって言ってもさ、なんか話したくないよね。警察の尋問じゃないんだから。
それが人の話を聞く態度ですかって逆に言い返したくなるよね。まずさ話せる雰囲気をつくろうよ。
とりあえず腹減ってない?なんか食う?喉乾いてない?なんか飲む?
最近どうよ。塾こねーじゃん。とかいきなり本題に入るのも早いかな。
まだまだ心のシャッター降りてるはず。
ゲームなんて10年ぶりだよ。最近やってたのはポケモンGOぐらいだよ。
歳とるとゲームやる元気もないのよ、仕事終わって家帰っても。ゲーム動画見てるほうが楽だね。
でPUBGは最初は死にまくりで面白くないんだけど、誘ってくれた人がいろいろ教えてくれてさ。
だんだ勝てるようになってさ、初めてドン勝ちできたときは嬉しかったな。
最近はバイオハザードのゾンビモードとかあってまじでムズイのよ。
APEXも面白いらしいじゃん。
動画見たけど、個別のスキルみたいなのがあって戦略的に面白そうだよね。
どんな感じなのよ。キャラ何使ってるの?なんでそれ選んだの?
ってところからなんでAPEX始めたのか、なんではまってるのか聞いてみよう。
で、人がゲームにはまる理由というかモチベーションが何かあるはず。
塾に通わせる事ができるぐらいにはお金あるみたいだし。
あ、うんこ漏らしてない?
もしも両親から暴力を受けてるとか、両親が喧嘩してて家の中めちゃくちゃとか
安心して眠れない状況があるなら、ゲームの世界に逃げるのも悪くない。
夜の街を出歩くよりは、ゲームの世界のほうが安全かもしれない。
マンガやアニメやゲームは現実を忘れさせてくれる素晴らしいモノだ。
現実と戦えって言われるかもだけど、待つとか逃げるっていう戦略も全然悪くない。
もしも君がそんな状況なら、君からゲームを取り上げるのは良くない気がする。
今を生きのびるためにゲームをしてもいいと思う。
できることがない、もしくは動かないほうがいいと思うなら、ゲームをやってじっと待とう。
受験勉強どころじゃないんだろ。
家に帰ってから一人でひたすら桃鉄っていうゲームをやっていたよ。
最強クラスのコンピューター3人相手に100年期間で全物件制覇とかしてたよ。
あ、おじさん話長いね。
塾の先生はそれとなく家庭の状況を聞いてみるかなあ。
解決できることは手を出せばいいし、
成績良くないとクソ扱い?無償の愛ではなく条件付きの愛?
兄弟や姉妹はいる?めっちゃ区別されてるなーとか思うところあるかい?
って直接聞いても本人知らねーよなあ。で、変えられないよなぁ。
無条件で家族の一員として認められてると感じられないとかなりつらいもんがある。
家族の愛が厳しい場合は、この友達関係が所属の欲求の基盤になる。
たとえそれが不良グループであっても。孤独よりはマシだと思うよね。
いわゆる居場所ってやつだ。
生きていくのに自分の居場所は食べ物と安全の次に大切ってことだ。
みんな苦労すると思うけどスクールカースト的な。
おじさんはあんまり友達付き合いが上手くなくて、孤独を感じることはよくあった。
自分は一匹狼だと思ってたけど、ただのつまんないやつだったぜ。
親がアウトドアな人で、週末はとにかくどこかに連れて行ってもらった。
こどもが学校でつらい思いしてる場合、親御さんは週末にどっか連れて行ってあげたらいいと思うの。
旅行しよう。家から出てどっか行くだけでこどもの幸福度ってすごい上がると思う。
家庭が地獄、友達もできん、そんな場合は、依存的な恋愛に向かう人もいるよね。
でも結構危うくて、恋人がいなくなったら世界の終わりみたいになっちゃう。
すんごい束縛するか、ちょっとでもフラれそうになったら次を見つけて切れないようにするとか。
この所属の欲求が満たされてて自立した人同士の恋愛はまあ安定してるけど、
満たされていない自立してない人同士の恋愛は共依存になるよね。
所属の欲求といえば、野球とかサッカーの特定のチームの熱狂的なファンもこれに入りそうだよね。
居場所の一つだと思う。これは話が長くなりそうだから広げない。
家庭が地獄、友達もダメ、恋人とかありえない、不良グループとか無理。
アニメやマンガの世界にしか自分の居場所が無いって、まあよくあるよね。
で、君はそれがゲームだったのかもしれない。
もしかしてチームとかに入っている?いっつも一緒にプレイする廃人がいる?
社会人や大学生と一緒にプレイしている?まったり雑談とかしてる?
君がゲームにはまる要因が、所属欲求でAPEXがそれを満たしているのであれば
それはそれで居場所がみつかってよかったと思う。
学校や家庭がつらくても、APEXに帰ればいつもの仲間と最高の体験が待っている。
もしもここで君からゲームを取り上げたら、せっかく居心地のいい居場所がなくなってしまうよね。
それは君の人生においてつらいだろう。
急に家族と連絡取れない状況になったらつらい。こどもに会えないとかつらい。
受験終わるまで友達と話せないとかつらい。しかも自分だけとか。
家族や恋人や友達関係といった居場所は食べ物と見の安全の次に必要なものだから、
先生どうしましょ。もしその子にとって本当にAPEXしか居場所がないのであれば、
塾は家でも学校でもない第3のスペースだから、こどもにとってのスタバになれないかな。
親はゲーム時間を制限できるから安心だし、先生はきっと儲かるし。
さて、君はどうするか。APEXが重要な居場所だというのはよくわかった。
高校に行かずにAPEXを自分の居場所とするのも悪くないかもだけど、
APEXがチートだらけで過疎ったり、よく遊ぶメンバーが卒業しちゃったり。
え、家庭環境はいいし、友だちもいるし、恋人もいるし、リア充だけど。
先生何言ってるの?
夜遅いので、続きは明日書く。
つい先日、一緒に暮らしていた文鳥が落鳥した。落鳥という言葉は一般的なのかな?平たく言うと、死んだ。5歳なので、中年からおじいちゃんに差し掛かったあたりのイメージだと思う。風邪からの炎症がひどくなっていて、冬の換羽を乗り切れなかった。
いつものように仕事から帰宅して枝の上にいるはずの文鳥に「ただいま」を言おうとしたら、いるはずの場所におらず、ケージの網の上に横たわっていた。見た瞬間「あ、これはもう生きてないな……」と分かったけど、現実をうまく受け止めることができず、ケージから亡骸を出して手の上で温めたりふわふわの羽で包まれた体を撫でたりしていた。しばらくして冷静に観察して嘴が少し黒くなってきていること、足の指に血が通っている気配がないことを確認して、全部終わったのだときちんと頭で理解することができた。「コンビニで買ってきた晩御飯、温めてもらったしな……食べないと冷めちゃうし……」と思って、亡骸を綺麗な白いタオルハンカチの上に乗せて、まずは落ち着こうと思ってご飯を食べた。当人はその時はいたって冷静なつもりだったけど、今考えると全く冷静じゃないな……。
ご飯を食べ終わって、恋人に報告しなきゃと思ってLINEを送った。すぐに折り返しの電話があって、状況を冷静に伝えようと喋り始めたところでボロボロと涙が出てきた。父親が亡くなった時は涙ひとつこぼさなかったのに、多分人生で一番泣いたんじゃないかな。電話を切ったあと、ネットで文鳥の火葬の方法や火葬するまでの保存の方法について調べた。冷蔵庫に入れておくとしばらく保つと書いてあったので、申し訳ないけど週末まで冷蔵庫に入っていてもらうことにした。
翌日は「家の事情で」と会社に連絡して午前半休をもらって、火葬の依頼の電話をした。なんでか、電話をするまでに随分時間がかかった。かけるまでの間にまたちょっと泣いたりしていた。仕事が忙しい時期だったのでなんとか気持ちを切り替えて平日を乗り切って、ようやく昨日、火葬して送り出すことができた。
思えば一緒に暮らした4年半くらいの間、ずっと文鳥に支えていてもらったように思う。人生において一番シンドい出来事が起こったときに、ペットショップで予約していた文鳥が「一人餌(自分で餌を食べられるようになること)になったから引き取りに来てください」と連絡があった。タイミングが良すぎて、運命かな?と思った。
初めて我が家にやってきた文鳥は慣れない場所に戸惑って、ずっとまんじりともせず動かずに無表情だった。餌も食べず水も飲まないから(文鳥は警戒心がとても強い)「大丈夫かな……」と、文鳥が神経質にならないよう布団の中に隠れてずっと観察をしていた。ようやく餌をついばみ始めたときに「やっと大丈夫だー!」と、ホッとしたのを覚えている。
家に来てしばらくして下手くそな歌の練習を始めて、ようやくちゃんとオスだと分かった(大まかなオスメスの見分け方はあるけど、ちゃんと分かるのはオスは求愛ダンスを踊ったとき、メスは卵を産んだときだと思う)。幼い時は手の中が大好きで、放っておくと手の中に無理やり入りこんできた。大きくなってからは相変わらず手が好きで、でも幼い頃ほどではなく、たまに「仕方ない、入っててやるか……」と握られてやってる感を出すこともあった。春も、夏も、秋も、冬も一緒で、仕事が終わって帰ってきたら放鳥して毎日必ず遊んだ。IT戦士の家庭なので、他所の文鳥より生活が不規則ではあったけど(すまん、文鳥)、仕事から帰宅すると大体「出せー」と言わんばかりにチュンチュン鳴いた。
「毎日一緒に遊ぶ時間とられて、自由になる時間が少なくなる」とか、
「飲んで帰った日も文鳥のお世話しないと」とか、
そう思ったことがなかったわけじゃないけど、でも、そういうんじゃないんだよ。いなくなったら意味ないじゃん。なんなんだよー、ちくしょう。ちょっと落ち着いたと思っていたけど、また涙目になってきた。
こうやってここに書いたのは、なんとなく今日の気持ちをどこかに残しておきたかったのと、気持ちを整理して日常を取り戻したかったから。辛くて悲しくても、腹は減るし、時は進むし、働かなくちゃ食っていけないし。日常をどうにかして「やっていく」しかない。
飲酒をしながらこれを書いてる。こんなに長い文章あんま読んでもらえないだろうけど、もし読んでくれる人がいたならありがとうと言いたい。
今まで一緒にいてくれた文鳥には、ただただ感謝しかない。本当にありがとう。「10歳を超える長寿の子も!」と言われる中、長生きさせてあげられなくてごめんなさい。夢の中にも出てきてくれてもいいよ。お盆に帰ってきてくれてもいいよ。四十九日までの間はケージは片付けないでおくから、帰ってきたら揺らして知らせてほしい。(でも実際やられるとホラーだしビビりそう……)
自分が死んだら虹の橋でもう一度会えるはずなので。それまでの間、もうちょい待ってて。またね、文鳥。
初の増田投稿なのにこんなにたくさんの人に暖かい言葉をもらえてとてもありがたい。全部のコメント読ませてもらってます。
四十九日待たずあの世に行ける、というのはホントに良い情報でした。1分1秒でも早く文鳥がハッピーになれるなら、それは何より素晴らしいことだし。
死に目にあいたかったなと思っていたけど、その瞬間を看取る辛さもあるんだね……。
これだけは言っておかねば。文鳥と暮らした日々、「こうすれば良かった」「ああすれば良かった」という後悔はあれど、お迎えしたことを後悔したことは一度も無いです。また将来一緒に暮らしたいなという気持ちはあるけど、まあ当面はないかな……。
とりあえず文鳥へのご奉公が終わったらしようと思っていた、二泊以上の旅行に行こうかなと今は思ってる。ハワイ行きたいんだよな、野生の文鳥いるし。色んなところに行って、後々にウチの文鳥にその感想を伝えたい。
小さい頃からずっと私の神様であり、友達であり、恋人であったあなた
今の顔になるまでも何度か整形していたの知った時ショックだったけど
中身は変わらないんだからって納得してたつもりだった
(いま「中身」で笑ったやつはくたばれ)
でも自分が5歳の時から握手してくれた、ハグしてくれた、キスしてくれた、ステージでパレードでショーで感動をくれた私の思い出の中のあの容姿にはもう会えなくなるんだなって思うと心がスカスカになるね。
神対応しか求めてない人間が年間3000万人も来る場所でいつもハッピーをくれるあなたが大好きなのは変わらないけどね、慣れるまでにちょっと時間がかかるかも。許してね。まぁあなたがゲストを許してくれないなんてないんだけど....