はてなキーワード: コンセントとは
筑波農林団地の真ん中にあるあの施設について、事前に配布されるパンフレットから読み取れないことをメモしておく。長期滞在者の参考になるといいな。
施設は清掃が行き届き清潔。
各階の給湯室には、冷蔵庫、電子レンジ、オーブントースター、ガス台、ヤカンがある。
ヤカンがあるのでドリップバッグ式のコーヒーとタンブラーを持って行くと便利。
但し炊事不可。
風呂は各階に1箇所、掃除はしてくれるがお湯は入れてくれないので気がついた人がお湯を入れなければならない。浴槽がでかいので45分位かかる。30分で止まるのでもう一度行かなければならない。
洗濯機は階ごとにある洗面所に2台。乾燥機付き。洗剤もある。聞いたことがない商品なので気になる人は、小袋を本館の売店で買おう。
自販機はビールと清涼飲料水とカップラーメン。ロングライフミルクもある。
無線LANあり。フロントでSSIDとパスワードをもらう。SSIDがステルスになっているのでモノによっては不安定になってしまうかも。モバイルルータ、Wi-Fiテザリング禁止ということになっている。
コンセントは壁の低い位置にあって、口数は2。電気スタンドとPCで埋まる。充電用に2口の延長コードがあると良いかもしれない。
ベランダには物干し竿があるが洗濯バサミは自分で用意する必要がある。場合によってはハンガーも。
バスタオルは貸してくれるけど交換してくれない。
浴衣もそう。
1週間に1回らしいけど、そんなに長くいたわけではないので知らない。
本館の食堂で食べるのなら朝夕は要予約。キャンセルは前日の14時まで。
無断キャンセルは要支払い。
昼は混む。研修の規模によっては満員になる。
夕食…。
繰り返す。キャンセルは前日の14時まで。
本館の売店は、7時30分から18時まで。ただし、農林生協の商品は、そちらのレジが開く時間まで買えないけど、野菜とか生協オリジナル商品ばかりなのであまり関係がない。
売店には100年の孤独があった。酒、おみやげ等あり。弁当もある。
セブンイレブンまで900m。
スーパーマーケット(ヨークベニマル)とでかいドラッグストア(カワチ)が並んでいるところまで1400m。
100円ショップ(セリア、でかい)のあるスーパーマーケットまで2400m。
コインロッカーの脇に積んである空きダンボールは、研修生が荷物を送り返すために取っておいてくれている。
ポータル砂漠。本館前のモニュメントがポータルになっていてRHSとRMHが入っていたので誰かの自席ポータルなのではと思ったけど届かなかった。つくバスでつくばセンターまで出れば遊べる。
待つことが大嫌いなオレ様が6sを予約しにイオンに入っているドコモまで行ってきたぞ
そもそも私は予約さえ気に入らない
5がバッテリーと電源ボタンが不調でコンセントにつないでおかないと使えないのだ
そんな多臓器不全のiPhoneを買い替える
今時のSIMフリーでも構わないのだけれど、iTunesを使っているものだから次もiPhone
お姉ぇーちゃん曰く「発売日になってみないとわかりません・・」
あなたにAppleの生産体制を聞いているわけでは無い!ここ地方のイオンのドコモショップのことですから!予約取り消すよ!
「いやいや、ここのお店で」
「ああ、たくさんの人がいらっしゃいました」
そりゃそうだ、あなたが1日でさばけるの10数人くらいかな、だってオレがソフトバンクだと確認しなかったし
とりあえずメモした、シリコンケース、ドックと、そして外面見ながらパコパコ打ち込んでいる
本当に1日に数人しかさばいていないようだ、オレみたいに色と容量をあらかじめ決めて来る客は少ないだろう
「取り扱いが無いようです」
「どの電話番号から電話がかかってくるの、日中は出られないし」
パンフレットの裏にスタンプしたイオン〇○ドコモの電話番号を見せられた、違うよメモして渡してくれよ
あーぁ、できない人って、こういう人なのだと思った
この部屋に来てから丁度1年になる。
エアコンはつけっぱなしの方が電気代がかからないという噂と生活の快適さから、その日もエアコンをつけたまま外出した。
用事から帰ってくると、そこには机の上で水浸しになったMacBookAirがあった。
急いでMacBookAirを冷蔵庫に入れて乾燥させたが、まだまだ水滴は落ちてくる。
仕方なくエアコンを一度止めたところ程なくして水漏れは止まった。
しかし暑い、暑さですぐスイッチをいれるとまた水が振ってきた。これは参った。
原因をネットで調べると、どうやらエアコンは定期的に水を流す為のホースがついており、
ネットには「ホースの出口を吸うといい」などと書いてあったがそんな汚い事出来る訳も無い。
専用の工具など通販で買えるらしいが、用事があったのでひとまずエアコンを止め、半日程外出した。
するとどうだろう、これまでの水漏れが嘘のように止まったのだ。
外出中に水漏れがおきてしまうと、最悪の場合コンセントなどに水が触れて大変な事になってしまう事もあり、
正直かなり不安だったのだが、その日はもう水漏れが起こる事はなく。
それは朝の4時頃、妙な音で目が覚めた。水漏れだ。
今までにはないダダダダダーという感じでエアコンからどんどん水が溢れていた。
最初は寝起きで混乱して手で水を受け止めていたが、これはどうしようもないと受け皿を用意してエアコンのスイッチを切ったところ、程なくして水漏れが収まった。
さすがに今回はなんとかしなければならないと思い、改めてエアコンの水漏れについて調べてみた。
「部屋で喫煙をするばあいにフィルターが詰まって〜」という記事が見つかった。
成る程、フィルターのつまりがどう影響するのかは分からないが、ちょっと様子を見てみることにした。
エアコンのカバーを開けてフィルターを取り出すとフィルター全体に2〜3mm程のヤニの埃がついていた。
これを歯ブラシで掃除、近隣の方には申し訳ないが埃を掃除機で吸い取ってしてエアコンに戻してみた。
そして今に至る。
問題解決のプロをうたうエンジニアなりに今回の原因を推測してみる。
実は今回の水漏れは水を外に排出するホースの詰まりが原因ではない、
それは、一度解決してから一定の期間水漏れが起きなかった事からも証明できる。
恐らく今回の水漏れは、フィルターがヤニやほこり等で詰まってしまったことにより、
エアコン本体と部屋の間に見えない壁ができ、これによってエアコン本体側が過剰に冷えてしまい、
この氷結が溶けるまではエアコンを一時停止しようが意味が無い。
また氷結が起きるまでの間は一切水漏れが起きない。そういう事なのだろう。
眠い。
まず、感電事故の重軽傷者の皆様の一刻も早い回復と、不幸にして亡くなられてしまった方のご冥福とをお祈りいたします。
で、感電事故の話を聞いてて思ったんだけど、逆向きに考えられない人ってすごい多いよね。
ソレは多分、発想が逆なんだと思うなあ。
まず、法律上の「電気さく」って、結構厳しい規制がかかってる。
なぜならば、食害を防ぐ柵ってすんごい勢いで普及してるし、農家の生命線だったりするから。
つまり、うっかり事故って使えなくなると、すごく不便。とても困る。だから事故らないように注意してる。
で、フツーに設置しようとすると、市販品を買うことになって、アースの設置で手間取ることはあっても、危険な事にはならない。
ちなみに、漏電遮断機の設置が義務付けられるのは、常時通電式もフォローできるように&安全側に倒して運用してるから、だね。
(まあ数千ボルトのパルス式が壊れても流れっぱなしにはならんし、100V式で裸電線に万一通電したらマズイからだと思うな)
んで、100mサイズだと、まあ3万円~5万円くらいでフツーに買える。
さて、フツーの市販品って、100万も200万もするわけじゃない。
まあ、パルス(定期的にピッピって電気流れるヤツね)式が主流で、単一電池かソーラーが多いけど、せいぜい3万ってトコロ。
つまり、3万で2個設置して6万とかを、「モッタイナイ」と思う人が、違法電気柵っていうか、自作電気柵作るわけだ。
この「なぜ自作をするのか」という動機が大抵の場合全てで、それは「安く上がるから」だったりするわけだ。
だからこの事故で「教訓として次に活かすために、漏電遮断機を入れておけば」という議論には意味が無い。
というわけで、
だったんじゃないかな、という身も蓋もない話。一応、より酷い話にはなるが、以下の可能性もある。
まあ妄想だけど、落ちないように400Vに昇圧してたんじゃないかなーって気がする。だって何故にそんな半端な上げ方するのか。
間違いなく実験してない(してたら100Vでも死ぬ)し、コンセントから取った時に問題起きないように挟んだって可能性が高いのでは。
ほんのちょっとでも電気の知識があれば、常時通電した400Vに人間が触れたらどうなるか考えなくても判る。
そもそも漏電遮断機入れようと考える人なら、市販品買ってきたほうが圧倒的に安全で楽。
つまり、考えてもわからない or そのリスクを無視する人が、電気柵を設置してたから。
田舎によくあるDIY事故って言うと身も蓋もないけど、啓蒙しか無いのかもな……
http://anond.hatelabo.jp/20150725130125
「原理的に動物相手に地絡(漏電)を起こして追っ払う装置なんだから、人間相手の漏電事故と区別できない」ってのはその通りで、なので、たいてい根っこの方に漏電遮断機ついてるよ。電気牧柵器に供給する側ね。
で、書いてて思ったんだけど、100Vの交流常時通電式の自作電気柵って、地絡が発生しない限り電気代かからないのかな。
元増田です。多少情報が増えたので、面倒臭いので逃げていた漏電遮断器の話を多少書いてみます。長いので読んでも特にためにはなりません
今回の事件で一部報道とかで『電気柵の電源部分に漏電遮断器を設置しておけば防げた事件だった』という言い方をする人がいるが、これはある意味では正しいが間違ってもいるし、今回の事件にとっては本質的な要素ではない。
電技解釈第4節「特殊施設」の第224条で[電気さくの施設]についての規定があり、
『田畑、牧場、その他これに類する場所のうち、人が容易に立ち入る場所に電気さくを施設する場合にあっては、電気さく用電源装置に電気を供給する電路には、電気用品安全法の摘要を受ける漏電遮断器(定格感度電流が15mA以下、動作時間が0.1秒以下の電流動作形の物に限る。)を施設すること』
下の方に書いてます。
http://anond.hatelabo.jp/20150724092101がよくまとまっているのでそれへの返事です。読んでも電気の知識のない人には意味不明です。
そもそも電流差で作動する漏電遮断機はこの例のように漏電させてナンボな用途には不適切じゃなかろうか。
2次端子A→(A)→電柵
2次端子B→(B)→アース
トランス2次端子A→漏電遮断器(の左側の端子)→(A)→電柵
トランス2次端子B→漏電遮断器(の右側の端子)→(B)→アース
という回路を作った場合、アースに繋いだ瞬間に漏電遮断器が落ちる可能性があるせいです。
例の、送電の勉強したときに出て来る静電容量の関係です。ちゃんと計算してはいませんが、それなりの長さで電線引っ張っていった場合、電線と地面の間をコンデンサが延々と繋いでる例の図っぽいものが再現されることになり、いきなり漏電判定される可能性があります、というかどっかの現場で似たようなことがあって原因に気付くまで大変でした(遠い目)。
保護回路いれるのなら、トランス2次側端子Aと電柵の間に電流制限する何か、
例えば mA で反応する高感度遮断機なりポリスイッチっぽい素子のような物を挟むのが正解なはず。
(それぞれ一般に売っているかは知らない)
これは現実的ではないでしょう。先述の静電容量による誤作動問題をクリアできていたとしても、別の問題、というかより本質的な問題があります。
つまり、電気さくは、人間が常時監視せずとも、ほったらかしでも動物を寄せ付けないのが最大のメリットです。高感度・高速型漏電遮断器を設置した場合、動物(や飛んできたゴミやら植物やら人間やら)が触る度に手動で再始動させてやる必要があります。
今回のような違法施工を行った設置主がそんな不便な装置に満足すると思いますか?
つまり、「漏電遮断器を設置していれば」というのは、「ちゃんとした電気柵用の電源装置を使っていれば」とか「専門の業者に施工を依頼していれば」とか「あんな高電圧を流してなければ」とか「あじさいぐらい鹿に食われてもええやん」と言ってるのと大差ないです。
ポリスイッチも、動作特性的に感電から人間を保護できるほど反応の速度の速い物があるかは疑問です。
「毎回の放電の度に、それこそ高速型漏電遮断器が動作した場合よりもさらに高速で電源を遮断している」
的な回路になっています。電流値を監視して一定値より大きかったら遮断しようとか何とか、そういうややこしい判断は挟まず、毎回毎回止める方が確実でしょう。
何にせよ2次側は2次側で閉じた系になるはずだから、1次側上流に漏電遮断機が入っていても反応し
ないんじゃなかろうか、ってのには同意。
この点はその通りです。と言いたいところですが、単巻トランス(一部ブコメで出ていたスライダックも単巻です)とか1次側2次側が非絶縁のトランスだと、縁切りできてないので、先ほど書いた「アースに接続した瞬間に静電容量のせいで漏電遮断器がトリップする」もあるんじゃないかと思います。まあよっぽど敏感でない限り作動しないとは思いますが、一応。
というわけで「漏電遮断器と電気さくの話はあまり関係ない」というのが結論になります。
電気解釈に書いてるとおりの場所に漏電遮断器を設置した場合の目的とは、
「電気さく用電源装置が故障して、装置から漏電していた場合の事故を防ぐ」
ということになると思われます(ここはちょっと自信なし。識者の解説希望)。
市販品の電気さく用電源装置は(ごくごく短時間動作の繰り返しとはいえ)、数千ボルトの高電圧を発生させています。こういう装置については、漏電遮断器を設置すべしと定めるのは、たしかに理に適っています。
電技解釈で漏電遮断器について書いてるのは第40条[地絡遮断装置等の施設]なんですが、これだけでは電気さく用電源装置が該当するかしないか分かりにくいので、第224条に明記しておくという方針は理解できます。
以上が本題です。以下は余談です。やる気がなくなったら書くの止めるし対象読者特に決めずに書き始めるので尻切れトンボになってたらお前ら察しろ
遮断器の一種です。漏電(electric leakage)が起きたときに、回路を遮断する機器(circuit breaker)です。一般的な略号はELB。
現場で「漏電ブレーカー」という言い方もしますが、大変紛らわしいことに「漏電警報付きブレーカー」というものも世界には存在しており、それもよく「漏電ブレーカー」と呼んでる人がいます。間違えると困る場面ではちゃんと確認しましょう(電気屋以外そんな場面に遭遇しねえよ)。
基本的に電源というのは端子が二つ(以上)ついており、一方の端子から送り出した電気がもう一方の端子から戻ってくる、という形で電気が流れます。
※嘘です。送り出し端子と戻り端子に同時に触ると普通は感電してとても危ないです。
で、送り出した電気が、そのまま戻ってこないで、どこか違う場所に流れるのが「漏電」です。
「どこか違う場所」と書きましたが、漏電の場合には実際流れる場所はほぼ決まっており、アース、つまり「地面」へと流れ出すのがほとんどです。
これを「地絡」と言います。
慣用的に「漏電」と呼んでるものは「地絡」、つまり本来の電気が通る道(電路)の途中で電気の一部が漏れて、地面に流れ出してしまうことです。
送り出しの電路と戻りの電路に同時に触った事による感電事故ももちろんたくさんあるのですが、今回の事故、そして日常的にもよく発生するのは、こっちの漏電による感電事故の方です。
さて、先ほど書いたとおり、電源というのは端子が2つ(以上)ついてて、送り出しと戻りとがあって、両方を繋ぐことで初めて電気が流れます。
ですので、電気が流れ出さない状態であれば、たとえば裸電線に素手で触っても電気は流れず、感電もしません。
「地面には無限に電気が流れ込むから漏電(地絡)が起きる」と考えている人がいるかも知れませんが、そういうものでもありません。
たとえば、バッテリーを用意して、一方の極だけを地面に繋いでやって、もう一方の極は何も繋がない状態にしても、電流はほぼ流れません。
じゃあどうして地絡が起きるのかというと、電源の一方の極が、実際には地面に繋がっているからです。
さて普通の交流電源は、極の一つが接地、つまり地面に接続した状態で供給されています。家庭で普通に使うコンセントに供給される電源も同じです。
電源プラグをコンセントに差し込むときに、左右の向きを気にする人はあまりいないと思いますが、実際には左右で電気的な意味は大きく違っていて、普通は一方が接地側極、もう一方は電圧側極と呼ばれる物になっています(左右どっちがどっちかは本当は規定があるんですが、間違って繋がれてることが割とあるのでここでは書きません。調べるとすぐに分かりますし)。
接地側極に素手で触っても、普通は感電しません。一方、電圧側極に素手で触ると…感電しないことも実はたまにはあるのですが、普通は感電します。
電源の電圧側極→電線→コンセントの電圧側極→人体→(家とか床とか何か地面まで繋がっているもの)→地面→電源の接地線→電源の接地側極
という経路で電気が流れます。途中の家とか床とかの絶縁が完璧であれば、たぶん感電しないで済みます。
逆に地面の上に直接立ってる状態だと激しくびりびりします。この事故を防ぐのが漏電遮断器の役目です。
電源の電圧側極→電線→ELB(慣習的には左側端子)→電線→コンセントの電圧側極→何かの電気器具→コンセントの接地側極→電線→ELB(の右側端子)→電線→電源の接地側極
という経路で電気が流れています。ELBを通って流れた電気は、ELBを通って電源に戻っています。このとき、ELBは何もしません。
ここで地絡事故が起きると(話を簡単にするために地面の上に立っていたとします)、
電源の電圧側極→電線→ELB(慣習的には左側端子)→電線→コンセントの電圧側極→人体→地面→電源の接地線→電源の接地側極
という経路で流れます。先ほどと違って、ELBの右側端子を通らずに電気が流れていますね。そうするとELBは
「あ、左側端子を通っている電気と右側端子を通っている電気の量が違う! これは漏電だ、ヤバい!」
と判断して電源を遮断します(これをトリップするとか飛ぶとか言います)。
当然、停電するので、懐中電灯を用意して漏電遮断器の設置してある分電盤まで出掛けて
「あ、やっぱりトリップしてる」
と言いながら手作業で復旧動作しないといけません(で、漏電原因が取り除けてなくてすぐにまたトリップする、というのもよくある話です)。
ざっくり言うと、普通の電気柵は「地絡事故を起こしてその時の電気ショックで動物を追い払う装置」です。
ですので、漏電遮断器を直接繋いだ場合に起きることとは普通は「電気は流れっぱなしで漏電遮断器は作動せず、保護の役を果たさない」か「動物が触ると毎回毎回停電して手動で復旧しないといけない」のいずれかになります。
※電気さくには稀に「裸電線aと裸電線bに同時に触れると感電事故が起きてその時の電気ショック以下同文」というものもあるらしいですが、とりあえず今回の話には関係しない、と思われます。
上の方に書いた
トランス2次端子A→漏電遮断器(の左側の端子)→(A)→電柵
トランス2次端子B→漏電遮断器(の右側の端子)→(B)→アース
と接続したとします。電柵に触ると、トランス2次端子Aから出た電気はアースを通ってトランス2次端子Bに戻ります。当然、漏電遮断器は「左側端子を通っている電気と右側端子を通っている電気の量が同じだ。これは漏電ではない」となります。役に立ちませんね。
さて、こう書きましたが、この漏電遮断器が実際には動作する可能性も少しはあります。なぜかというとアースに繋がれているのはトランスの2次側端子Bだけではなく、さらに上流の電源についても言えることです。この場合、
(略)→電柵→動物→地面→(略)トランス2次端子Bの経路以外に、
(略)→電柵→動物→地面→地面→大元の電源の接地線→大元の電源の接地側極、
という経路でも電気が流れる可能性があるためです。実際にどういう条件だとどうなるかは面倒で計算していませんが、そっちの別ルートで十分な量の電気が流れた場合、漏電遮断器はトリップして手動復旧する必要があります。
で、さっきまで書いたのは「電気さくに漏電遮断器を直接繋いだ場合」の話です。
次はツッコミ記事の時にも少し書いた「1次側の漏電遮断器」の話です。
といっても実際に起きることは9割方「動作しない場合」と同じです。
ですので、仮に報道の通り、100Vのコンセントに400Vに電圧上げるためのトランスが直結されていたとしても、本当なら30÷4や15÷4で7.5mAや3.75mAの漏電で作動する、はずです。
ここがそもそもおかしい。
失礼ながら元増田はトランスの2次側の事故を1次側で検出できないことを知らないのでは?
仮に昇圧トランスの2次側が接地されていたとしても、1次側の漏電遮断機は動作しない。
この事件の焦点は”どうして漏電遮断機を設置していなかったか?”だけど
おそらく漏電遮断機を設置できなかったんだと思う。
現場がどういう状況か知らないが、
この状態だと漏電遮断機なんておいたらすぐ動作して使い物にならない。
だから夜に通電して朝落とすといった使い方をしていたんだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150720190643の続編。
電気屋的にはNHKニュース、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150722/k10010162021000.htmlでほぼ完結で特段疑問は残らないんだけど、ブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20150722/k10010162021000.htmlを見ると結構勘違いしている人が多いようなので多少フォローしてみる。
法令上定義されている電気さくではありませんでした。今回の事故の原因となったブツは「交流を流しっぱなしにしてある裸電線」です。
前回書いた平成21年の淡路島で起きた死亡事故も電気さくの事故でなく「100Vの電気が剥き身で流れている電線」の事故でした。
今回はさらにその上を行く「400Vの電気が抜き身で流れている電線」での事故です。
前回も書いたとおり、人間が感電死する場合、胸部を通過した電流が心筋を誤作動させて心臓を止める、というのが圧倒的1位です。
この時に必要な電流値はというと0.1ミリアンペア程度です。理科の実験で作ったレモン電池(いまでもやるのか?)程度の電気でも、体内の心臓のすぐそばに電極設置して流せば人は死にます。
じゃあなんでレモン電池に触っても死なないかというと、電圧が低くて、それなりに電気抵抗の高い皮膚を突破して体の内部まで電気を流す力がない、というのが一番簡単な説明です。ですので、電流電流とうるさい人たちが批判している、電圧の方を気にした報道の方が、相当に理に適っていると言えます(最初に100Vが流れていたとか飛ばし記事書いたどこぞの新聞、オメーはアウトだ)。
いいえ。電気さくに触っても死なないのは電流制御とは別の方法です。というか電流値をそんな高度に制御できたら苦労はないというか次の開発機で頼みたいことあるから連絡よこしやがれ下さい。
「0.9997秒ぐらい電気が流れてない時間→0.0003秒ぐらい4000Vの電気が流れる→0.9997秒ぐらい電気が流れない時間→……」
の繰り返しで動いています。
前回貼った基礎資料、https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1999/00268/contents/039.htm
の最初に、『表4.1.2 電撃時間に対する危険接触電圧と危険電流』が掲載されています。
見ると分かるとおり、感電の危険さは、電流値そのものだけでなく、電気が流れる時間にも大きく左右されるのが分かりますね。
市販の電気柵がショックだけで済む最大の理由は、電気がこんな短い時間しか流れてないからです。電流値とか関係ない。そりゃ4000Vだから、瞬間的には100mAとか1Aとかの、ずっと流れていたら人が死ぬぐらいの電気は流れますよ、そりゃ。普通に売ってる市販品で0.0003秒しか流れない電流値を制御するとか無理の無理無理です。
逆に言うと、今回の事故は「400Vの電気がずーっっと流しっぱなしになっていた」から起きた事故です。電流とか、さらに何一つ関係ない電力とかを気にしてるブコメは貴様の知ってる電流制御の方法をよこしやがれ下さいお願いしますと言う感じです。
繰り返しますが、人が感電で死ぬのは大火傷するような大電流が流れたような大事故でないかぎり、心臓近くに電気が通って心筋が誤作動してしまったからです。それを引き起こすのは大電力ではありませんし、大電流でもありません。そんな深いところまで電気を届けるだけの高電圧か、あるいは人体の電気抵抗の低下です。
今回は「400Vという高電圧」と「水場で体が濡れて電気抵抗が下がっていた」の合わせ技で起きた悲劇とみるのが普通です。
今回のような感電事故では、普通のブレーカー(やヒューズ)は役に立ちません。普通のブレーカーの役目は大きく二つ、
「電気の使いすぎの防止」と「短絡事故(ショート)が起きたときの遮断」です。
電気の使いすぎ、というのはよくあるエアコンと電子レンジを同時に入れるとブレーカーが落ちる、という奴ですね。電気は電線で運ぶのですが、電線は超伝導ではないので抵抗があり、電流を流すと発熱します。流れる電流が増えれば増えるだけ発熱し、最終的にはどっかで発火するか溶着するかします。
短絡もほぼ同じですね。コンセントの両極を金属(のような抵抗の低い物)で直結するととんでもない大電流が流れるので、遮断しないとさらに大変なこと(最悪、電柱の上のトランスが焼けるとか)になります。
ブレーカーの動作電流は様々ですが、基本的には一般家庭向けの契約だと最小10Aなので、これだと人を何回も殺してお釣りが来ることになります。ブレーカーで感電事故を防ぐことは望み薄です。
感電事故を防ぐ上でもう少しアテになるのは漏電遮断器です。現状、新築の家であればホーム分電盤は大抵は漏電遮断器がついてて、30mAとか15mAの漏電が起きると止まることになっています。
ですので、仮に報道の通り、100Vのコンセントに400Vに電圧上げるためのトランスが直結されていたとしても、本当なら30÷4や15÷4で7.5mAや3.75mAの漏電で作動する、はずです。このぐらいの電気ではなかなか人は死なない、はずです※。
※なお漏電遮断器が本当に人命を守るための機器かというと微妙な部分もありますが、そこ書いてるとやっぱり長くなるので省きます。
技術的に言うと単巻トランスの一種です。出力電圧を連続的に変化させることが出来て、交流を使った実験をやるときにはとても便利です。うちにも何台かあります。
で、「電圧を変えることが出来る」という文言だけ見て勘違いした人がいただけでしょう。普通のスライダックは100V入力でも上限電圧はせいぜい130Vぐらいです。100V入力して400V出て来るとかそんなスライダックがあったら便利だからよこしやがれ下さい。
「2次側(いや実は1次側かもですが)に複数の端子がついていて、どこに繋ぐかで出力電圧が変わる」というよくあるマルチタップのトランスでしょう。
余談の余談ですが、スライダックというのは本当は(今話題の)東芝の商品名だったんですが、現在は製造されてません。ですが、『出力電圧を連続的に変化させられる摺動型単巻トランス』のことはみんながみんなスライダックと読んでて違う呼び方してる人に遭遇したことはないです。
状況がはっきりしなので、現時点での報道、主に以下の二つのソースに依存。
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150720/CK2015072002000095.html
http://www.47news.jp/CN/201507/CN2015072001001513.html
47NEWS(共同通信)の記事にははっきりしない点もあるが、『川遊び中に倒れた小学生の男児が左手に重いやけどを負っていた』は気になる。火傷を負ったから相当な電気が流れたはずだが、この男児は死亡していない。
さて、死亡せずに火傷するような電気を浴びようと思ったら、一番簡単な方法は火傷する部位に限定して電気を流すことである。
つまり、この男児が左手で電線を握った状態で倒れた、と考えると一応辻褄は合う。
電気というのは極が最低2つないと流れない。理科の時間にやったように、直流の場合は+極と-極。電気柵の場合、電線側とアース側となる。アースって何かと疑問に思う人もいるかも知れないが、文字通り大地、地面のことである。地面は電気をよく通す導体である。
電気さくの原理は、電線に電気を流しておくと、動物がそれに触ったときに、
電源装置の電線側端子~電線~《動物の体》~地面~電源装置のアース側端子
という経路で電気が流れてビリっと来て「うわっ」とびびって動物は近寄らなくなる、というもの。
参考:http://www.getter.co.jp/electric_fence1.html(イラストがかわいい)
参考:http://kitaharadenboku.com/cyoujyuu/power.html(記述が詳しい)
つまり、空中浮遊して移動する動物がいたら、体が地面に触れてないので電気は流れず、電気さくでは防げないことになる。
閑話休題。最初から電線が水中にあったのか、陸上にあったのを掴んで水中に転落したのか、はたまたもっと違う状況だったかは不明なので立ち入らないが、とりあえず火傷した男児が電線を掴んだ状態で倒れていたとすると、
という経路で電気が流れることになる。これはこれで危険だが、人間が感電死する場合、胸部を通過した電流が心筋を誤作動させて心臓を止める、というのが圧倒的1位である。この経路なら、手の火傷で済んで命に別状なかったとしても説明は付く。
で、大人二人が亡くなっているのは、たとえばこの男児を助け起こそうとしたときに、
という経路で電気が流れて、この際に運悪く心臓近くを十分な量の電流が流れてしまった、という状況や、もしくは男児が掴んでいる電線をはずそうとしたとか、電線を踏んでしまったとか(この場合の経路はなんとも言えないが、こういうのでたまたま心臓近くまで電気が通ったというパターンも考えられる)、そうやって感電した、と考えれば辻褄は合う。
一応補足しておくと、
人間の体、特に皮膚は絶縁度が高く、乾燥していれば1万Ω程度はあり、これなら仮に100V電源に触れても流れる電流は10ミリアンペア程度で命に別状ないことがほとんどである。
参考:https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1999/00268/contents/039.htm
ところが、この絶縁機能は水濡れで簡単に低下する。今回のような水遊びをしていたケースでは皮膚の電気抵抗はほぼ期待できないレベルまで下がっていたと推測される。人体内部の抵抗は慣習的に500Ωで計算することになっているので、皮膚の電気抵抗がゼロだった場合、100Vでも200mA(とても危険)が流れることになる。
平成21年に淡路島で起きた死亡事故は、法令上の電気さくでなく、「100Vの電気が剥き身で流れている電線」の事故で、電気的に言えば家庭用コンセントに金属製のドライバー突っ込んで感電死した、と大差ないぐらいの危険行動だった。
電気さくメーカー各社はそんな危ないものではなく、感電死などの事故をさけられるように工夫した電源装置を作っている。
今回、中日新聞は100Vが流れていたと書いているが、これはまず考えられない。記者が現場に到着した時点で電気が流れていたとは考えにくいし、流れていても近寄って電圧を測定できたとも思えない。もちろん、たまたまテスターをもった記者が現場近くにいて、警察が駆けつけて現場保全する前に到着し、修羅場となっている事件現場をガン無視して電気さくの電線をわざわざ測定したら100Vだった、という可能性もゼロではないが。
また、47newsの記事に『家庭用コンセント(電圧100ボルト)と変圧器を介してつながっていたことも判明』とあるので、これは普通は「電気さくには100Vは流れていなかった」というニュースである。
変圧器というのは電圧を変えるための装置であり、電圧を上げるものも下げるものもある。この文章は、例えば充電中の携帯電話のバッテリーが発火した事件を報道する時に「充電器の電源が100Vだった」と書くのと大差ないレベルで「いや報道すべき事は他にあるだろ」としか突っ込みようがない。
例えば使用状況が悪くてコンセント側(1次側)の電気がそのまま電気さく側(2次側)に流れる、という事態もあり得なくもないが、なかなか考えにくい。
分かりません、としか答えようがない。47newsの記事にある「変圧器」が何か分からないからである。
電気屋が「変圧器」と言ったらそれは普通は変圧器(トランス)単体のことなのだが、この記事は訂正前は『変圧器は付けられていたが、作動していなかった可能性もあるとみられる』という、電気屋的には謎としか言いようのない一文が入っていたので、執筆した記者にあまり電気の素養が無いことはほぼ確定している。
よって、
などの場合が考えられる。もっと言うと、コンセントでも200V用とかあるので、警察の人や記者が誤解していて、100Vでなく200Vだった可能性すらゼロではない。
お手上げであり、続報を待つしか無い。
これも分かりません、としか答えようがない。上記の状況のいずれかが不明なためである。その他、この家の受電状況とか漏電ブレーカーが付いてるのか付いてないのか故障していたのか否か等、分からないことが多すぎるためである。
お手上げであり、続報を待つしか無い。
こんにちはれいむだよ。ゆっゆっゆっ。
カフェ探訪記事も3回目だよ。こんなのが続くと思ってなかったかられいむもびっくりだよ。まああまあまさんは生活必需品だから仕方ないよね。
さて第一回ではITC(意識高いカフェ)、二回ではIHC(意識低いカフェ)を紹介したんだけど今回紹介するのはそんな「意識軸」にカウンターを加える存在だよ。カフェ業界にはこの「意識軸」に対応する思想としてニューウェーブであるKOFC(これが俺らじゃ普通だからカフェ)という潮流があるんだよ。
具体的に言うと地方色を押し出したカフェだね。意識が高いとか低いとかは関係ない。俺たちのシマじゃこれがデフォルトスタンダードだからね。自然体だから。そういう主張を武器に展開するカフェです。
まあITCってものそのものが、欧米的なKOFC主張(NYじゃこれが普通だから、パリじゃこれがスタンダードだから)をありがたがって舶来輸入したという背景が無きにしも非ずなので、れいむも水筒をじゃばじゃばあらってラテを入れてもらってありがたく職場に帰ったりもしたものだよ。
どうでもいいけど、そういうことをやってると、竹筒を持参した氏子さんに御親水を入れてあげてた巫女時代を思い出すね。ゆっくりしたライフだったよ。境内の日蔭部分に竹ベンチを作って、そこで竹水筒(バンブーボトル)に自家製麦茶を詰めてあげれば500円くらいとれるんじゃないかな。神社が近所のひとびとの喫茶ポイントになる画期的アイデアだと思うんだけど、なんでそういうの無いのかな。あ、そか。Wifi環境と電源が必要だからか。むずかしいね。
話が脱線しちゃったよ。
今回は国内KOFC(これが俺らじゃ普通だからカフェ)の雄「珈琲所コメダ珈琲店」にやってきたよ。国内の喫茶店文化の中でも異形の進化を遂げたギアナ高地ナゴヤから現れたニューヒーローだよ。
れいむが普段通っているのは都内僻地にあるコメダなんだけどね。
どれくらい僻地かっていうと近所の住んでる住民ですらそこが都内だとは意識してないというような場所にあるんだ。この地域にある都内有数の巨大公園は首なしライダー都市伝説発祥の地として名高いよ。
さてそんな地域にできたコメダ珈琲なのでヤンクのたまり場になっているかというとそんなこともなく、客の過半数は老夫妻、老婦人数人連れという落ち着いたものだよ。男性老人が老眼鏡をかけて新聞をにらんでいたりもする。
コメダ珈琲の思想性はメニューを見ても明らかだけどコーヒー豆の種類とか女々しいことは言わないよ。そんなの選ばせたって庶民はわからないもんね。こっちでブレンドしたのを飲めって感じだよ。アイスコーシーかアイスオーレでいいんだよ。ゆっゆっゆっ。
れいむのおすすめは「たっぷりアイスオーレ」だよ。ガムシロは事前に入れてもらえるよ。大きな金属マグカップに入って出てくるんだけど、このマグカップは中空断熱だとおもうよ。いつまでたっても氷が解けないからね。
コメダと言えばモーニングだとか大盛りだとかハンバーガーでかいとかなんだけど、このへんは実をいうとそこまで感銘を受けなかったよ。最近どこのファミレスでもモーニングを500円前後でやってるしね。ボリューム勝負をするのであれば大差はないよ。コメダのイートメニューの美点はその気取りのなさで、サンドイッチもバーガー系も、自宅で惣菜をはさんだような素朴なおいしさがあるよ。
客層に反してここのコメダも全席にコンセントがあるので、れいむはれいむのカフェ日記を書くこともできる。いたれりつくせりだね。やったー。ぴょんぴょん。
などとここまでコメダ珈琲を普段使いのできるカフェとして持ち上げておいたけれど、隣の席に女子中学生集団がやってきてかき氷を食いだしてから霧散しちゃったよ。うわー。引くわ。どんびきだわ。
女子中学生が「やべえ」「まじやべえ」っていってるよ。普段だったら「お前たちの語学力がまじでやばい」と突っ込む(内心)だけど、横目で見たられいむも「あれはやばい」って呟いちゃったよ。
コメダ珈琲のかき氷はレギュラーサイズとミニサイズに100円しか差がないから、そりゃ、それくらいならレギュラー食っとくかと思う。みんなそう思う。その考えを察知して、レギュラーを下痢確実なサイズに巨大化するのは、れいむどうかと思う。罠なのかな。
割とかわいい女子中学生三人組がお腹をさするカフェという意味不明を目撃してしまったよ。
そんなわけでれいむのカフェ探訪3はおわりだよ。
機会があったらまた報告を書くよ。
俺には生きる目的がない。夢もない。ただ漫然とゲームやアニメ等のコンテンツを浪費し、飯を食って生きながらえてしまっている。死にたい。
おそらく、かつては生きる目的はあった。勉学に励み、大学から研究の道へと進み、父親のように研究者として生きたかった。大学中に恋をし、早いうちに結婚したかった。社会の役に立てることをし、名声を得られなくとも慎ましく生きていきたかった。
だが大学の研究室で現実を知った。俺には新しいことを考え出す力が決定的に不足していた。学部生として配属されたときに最初に与えられた目的が希薄であり、自分で目標を作り目的を見出さなければならないことを知った。日々の作業はただただ雑務であり、教授の話す夢物語と現実の作業の差を感じた。そこには楽しさもうれしさもなかった。
結果、研究室に入って数か月で鬱状態となり、修士卒業までの3年を無駄に過ごした。元々の人付き合いスキルのなさもあり、在学中に出会いなどあるはずがなあった。利子なしの奨学金も取れたが、あてにしていた返済免除などとれるわけがなかった。
修士に入ってすぐ、研究の道へ進むことをあきらめた。得たことは、お前の目標とこれまでそれに走ってきた人生は間違っていたのだ、という現実だけだった。
社会的には「幸いにも」、俺にとっては「不幸にも」、俺がこれまで勉強してきた方面で、有名大学の推薦枠で、大企業の子会社かつそうそう潰れないメーカー会社に就職した。
大学での研究の道はあきらめても、企業の開発部門なら心機一転できるし、あくまで利益追求という目的があるから、君にはそっちのほうが向いているのではないか、と大学教授から勧められたからだ。
だが、入社して1年経った今、仕事にも生活にも虚無感しかない。
やりたいかもしれないと思っていたことはすでに分業化されており、統括の立場になるには20年はかかるであろうことが容易に予測できた。
研修後、ある程度希望を出した部署には配属されたが、全く興味がない仕事に半年従事させられた。人手が足りないから応援にいってこい、ついでに仕事の進め方を学んでおけ、と言われたが、いかにうまく手を抜いてサボるかを学んだだけで仕事の目的と意味をいくら聞いてもさっぱり理解できなかった。
楽しいともやりがいがあるとも全く感じられない。これを20年耐えたところで、俺のやりたいかもしれないことができるとは思えない。
別にやりたくもない仕事を押し付けられるのは社会ではよくあることだろうから、そこは仕方がないと思ってやるしかないのだろう。だが、仕方がないと思ってやるのは何故かといえば、仕事だからであり、なぜ仕事をやるのかといえば、金を稼いで飯を食って生きるためである。ではなぜ皆そんなにやりたくもない仕事してまで生きるのか?
色々な知り合いに相談してみたが、「生きてるから仕方ないじゃない」「死んだらほかの人が悲しむから」程度の回答しか得られなかった。
理由もなしにそんなに必死に生きていられるのか。言わないだけで目標とかこう生きたいとかあるんだろ?と勘ぐっても、それが何かは皆目見当がつかない。
さらに言うなら、俺にはそういう目標やらこう生きたいとかやらもない。
いや、正しくは最初に述べたとおりのことはあったが、もうかなわない夢物語と化している。代替案はない。
一山当てて海外を豪遊したいだとか、結婚したいだとか、そういうことはなくもないが、その理由は「そういうことをすれば他人から称賛されるから」というクソな理由であり、俺が自発的にやりたいことではない。
少なくとも、俺は俺が嫌いだ。俺の性格が嫌いだ。
俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
いくら表現方法を変えようと、手管を尽くそうと、我慢しようと、精神に負荷がかかると必ずこの性格が顔を出してしまう。変えられない形質というやつだ。
こんな性格を持つ俺自身を俺は全く好きになれない。むしろ大嫌いである。
自己啓発本とかでよく言われているように、まずは自分を認めなければ始まらない、だから認めたらどうだ?アホか、こんな人間なぞ信用もできないし認めてやることなんかできない。
だから、死にたい。俺には苦しんでまで生きる意味なんて、目標なんてないのだから。
一方で、この俺の行動を「構ってチャン乙」と冷めた目で見ている俺がいる。当然だ、こんなことを書いているのは俺かわいそうアピールに他ならない。
こういう風に書き散らしてみたり、酒を飲んで人に八つ当たりしたり。世から見ればこんなことをしているのはメンヘラとレッテルを貼られ、忌み嫌われ、蔑まれていく。
こんなことをする奴を助けてくれる奴なんていない。この世にスーパーマンはいない。いたら詐欺師か霊感商法か宗教勧誘だろう。
さらに、俺の周りには俺が生きたかったような人生を送っている奴がゴロゴロいる。まさに最初に挙げたような、研究職について人生順風満帆なやつが何人もいる。つきあっただの結婚しただの子供作っただの、というやつも何人もいる。仲良しグループですらそういう話題に事欠かない。
そういう話を聞くたびに、激しい嫉妬に駆られる。どうして俺はそうなれなかったんだ。どうしてお前らは。どうして。どうして。
生きているだけで、そういう話がどうやっても耳に飛び込んでくる。別に友達に限らず、仕事の付き合いでの雑談でも絶対に出てくる。避けることはできない。
俺は愛情というものがよくわからない。恋人や結婚相手、子供が欲しいとは思うが、それは社会的ステータスのために欲しいのであり、純粋に誰かを好きになったことはない。さらに口下手のオタッキーだから、これまでに付き合ったことなどないし、当然童貞である。
恋愛関係については何も知らない赤ん坊であるのだろう。だが、完璧主義のため失敗は許されない。付き合うためのきっかけもわからない。職場には女性がいない。出会い系は危険というニュースのイメージを子供のうちにさんざん刷り込まれている。街コンは行ってくれる知り合いがいない。そもそも、恋愛をするメリットが分からないまま、他人の恋愛事情に嫉妬している現状が意味不明である。
当然知識はある。山の深くへ入り込んでも、海へ入水しても、首を吊っても、道や線路へ飛び出しても、薬品やガスを使っても、風呂場でコンセントをショートさせても、すぐに死ねるだろう。他人への迷惑度など知らん。
ではなぜ衝動に駆られてもそうしないのかというと、きっと死とはどういうことかを知らないからだと思う。
幸か不幸か、物心がついた後では私の身内や親しい間柄の人間では未だに誰も死んでいない。葬式に出たことがない。ペットも飼っていなかったので、親しい生物の死に直面したことはない。
二度と会えなくなるということはわかっているが、理解したことはない。
死んだらどうなるのか?魂なんてものや天国地獄なんてものはないだろうが、そうあってほしいという願望はある。
俺がこの詰み状態から抜け出すには、俺のことを受け止めてくれるそこそこかわいい未婚女性と、ネットやゲームに張り付くよりも楽しく生産的な何かが必要なのだろう。あと金。
だがそれは降ってはこない。だが掴み取るためには今よりもっと酷い精神状態になりながら人生に打ち込まなければならない。だが、そもそもこれまでに目標を勉学以外で自発的に達成できたことなどない。
それらが欲しいなら、どうすればそれを手に入れられるか?という戦略を立て、目標と妥協点を立て、行動しなければいけないのだろう。そのような気力はない。そもそも前提として俺の性格が人間失格レベルなのだから、人生は詰んでいるのだ。
また明日から仕事だ。死にたい。死ぬのがだるい。死にたい。助けてくれ、だが無理なんだろう。死にたい。
15/5/11