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2021-03-07

劇場版シン・エヴァンゲリオン感想

最後実写映像になり男女がVRゴーグルを取ったかと思うと、実はそいつらがマキとカヲルプレイヤーとして操作してましたってオチで、ゲームクリアした結果旧劇の「おめでとう」に繋がり、実はすべてのエヴァンゲリオンはつながってましたってオチ鳥肌が立って感動した。

暗転後「It is (not) Your Story.」の文字とともにエンドクレジット流れる演出も、中学の頃から何十年も追いかけてきたエヴァは俺らの物語でもあり、何十年と俺たちの魂を縛り付けてきたエヴァから遂に解放されたんだなって意味でもあると思うと自然に涙が出た。

ガンダムエヴァンゲリオン

この2つが放送してた当時はより人気がある作品が沢山あったと思うけど今現在も人気を保っている作品殆どない

80年代アニメガンダムと変わらずずっと人気があるのはドラゴンボールくらいで多くのアニメ時代とともに変わってきた

90年代にしてもエヴァよりセーラームーンのほうが遥かに人気があったけどリメイクしてもそんなに人気は出ていない

90年代アニメで今も当時と変わらず人気なのはエヴァンゲリオンくらいだ

ずっと新商品が出続けるという意味ガンダムエヴァンゲリオンは際立っていると思う

ロボットアニメオタクは齢を取っても応援し続けるという習慣があるのだろうか

2000年以前の名作と呼ばれる作品の中でこの2つが長く生き残れているのが不思議である

シン・エヴァ観に行く前の気持ちを書いておきたい

シン・エヴァンゲリオン劇場版、公開初日に観に行くのですが、その前に今の気持ちを書いておきたいと思いました。

そして明日3/8、これを見返したとき、どう思ってるのかも楽しみです。

まず、下記のシロクマさんのブログに書いてあることが、あまりにも自分の心情に近いので紹介します。

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■解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/.../20210306/1615017226

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そうなんです。

アニメからの26年にわたるファン自分も、いったいどんな気持ち最後エヴァを観に行っていいのかよくわかないのです。

心の準備ができておらず、戸惑いがあるのです。観たくないけど観たい、でも観なければならない。

幾度と公開延期を繰り返すたび、残念さと同時に安心感があったのです。これでまだエヴァが終わらない。まだリアルタイムに語れる子供の頃のままでいいんだ、くらいの。

登場人物葛城ミサトいつまでもお姉さんでいて欲しいというファンがいたんですが、その気持ちわからんでもないのです。

中の人物よりはるかに年上になってしまった自分たちを直視したくないのです。

からQでミサトさんがまた年上になって、またお姉さんでいてくれたことに、甘えのような嬉しさがあったのです。

それが、急に、3/8ですよ。えっもう?てなりましたよ。この26年間の想いに急激にピリオドを打たれる感じ。

番宣で「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」言われて、ああ、伝える側も、完全に終わらせに来てるな、ってのがわかりました。

Qでアスカが言ってた「エヴァ呪い」とは僕ら中年ファンのことです。

この作品に向かい合ってるときはいつまでも大人になれず、10代のノリで語ってしまうのです。

しかし気が付けば、監督も、役者も、僕らも年を取ったのです。

役者さんたちもこれ以上ひっぱれば満足な演技もできなくなるかもしれない。監督ファンも先に進めない。

からここで終わらせないといけないのです。

終わらなかった例がガンダムです。正確には新作もたくさんできてますが、アムロシャアの戦いは産業になってしまった。

もう、何が終わりだったのかもよく分かりません。

自分では逆シャアですが、ユニコーンでまさにシャアの亡霊を引きずり出してしまった。そうして旧ファンは喜んだし売れた。

エヴァは、何か寂しいけど綺麗に終わってほしい気がします。

3/8月曜に終われば、この紹介したブログに書いてある通り、エヴァ離れできなかった自分が供養されるような、穏やかな気持ちになれるような…そんなことを期待しています

から庵野監督、どうか旧劇のようなわけのわからないラストはやめてください(笑)もう引きずりたくない。

もうネット考察を書いてファン同士でバトルしあうような熱量はないんですよ…。

さて、僕は明日、何を想っているのか。楽しみです。

無事に解放と供養されているといいな…。

2021-03-04

anond:20210304222546

おれがもう、エヴァンゲリオンセントラルドグマ下りリリスに触れてくる

あれよく考えなくても

カオル君ができるなら、おれでも、単体でセントラルドグマ下りればいいんじゃないか?説というの思いついた

あの使徒を屠れるエヴァを、個人で屠れる碇シンジ というだんかいで戦力差をですね・・・

エヴァは25年の月日に潰された

1月22日、娘の前でエヴァ一挙放送の「破」を見ていた。

エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラ名前兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。

面白い?」

私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年テレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。

一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?

1995年当時、エヴァ社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリーコンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。

後世に残る大ヒットをかまし作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間しか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァ時代を超えるアニメになったのだと思う。

当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリー理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。

新奇性がそこにあった。時代先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメリーズが作られ続けたのだ。

しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメ表現自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。

スペースオペラ金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代先駆者は、往々にしてその後のフォロワーから突き上げあい自分立ち位置時代性を見誤る。オリジナルからブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者時代遅れへと追いやっていく。

それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。

その神話エヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。

しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。

それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。

隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ面白いと思う?」

「うん、面白いよ、きれいですごいし」

私が子どもときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。

子ども面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。

娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterTikTok動画のようなインスタント面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。

「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。

Twitter散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァ世界に参入してきた人は見かけなかった。

もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波アスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世から20年経ち、時代エヴァを完全に置き去りにしていた。

でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。

そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。

私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。

その「エヴァらしさ」とは何か?それは「意味不明さ」である

何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。

エヴァとは何か?メカか、キャラか、ストーリーか?

制作者が出した答えは「意味不明さ」であった。

Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。

だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さらシンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。

もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ


一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?


3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。

しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。

ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様なのだと思う。それはまるで野球選手引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。

2021-02-25

地震トンボ鉛筆が上がるならイジメコーネリアスも上がれ

http://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1

取り上げられている記事はおよそ25年前、エヴァンゲリオン放映の前年である

当時はこういうのが普通に許されていたという貴重な記録

2021-02-20

君たちがつまらないって言ってるカレカノめっちゃ好きでごめんねごめんね・・・

https://anond.hatelabo.jp/20210220173238

言われてみると、他の人が書いてる通りで優等生人間自尊心をくすぐられたから、なのかな?

私がこのマンガ読んだのは私が大学入学してからです。

私は高校時代有馬君や雪乃と違って学園のトップではなくて

関西トップクラスの進学校の中で中間くらいの順位というポジションでした。

私には有馬君やら雪乃のような青春は全くなくて灰色学生生活を送ってました。

学校内ではパッとしないけれど、それでも進学校の生徒であるというプライドだけは中途半端に持っていて、

羽目を外して遊んだりみたいなことができなくて悶々としてたのね。

リアルは充実どころかプアだった。

色々と自分を押し殺しながら、未来目標に対して頑張らないとって鬱屈した学生生活を送ってたの。

から雪乃優等生であることのコンプレックス他人と共有して、

そこから自分解放していく展開は、灰色学生生活を送っていたものとしてはすごくキラキラしたものに見えたのよね。

ちなみに、たぶん作者さんは進学校に通った経験がないんだと思う。

本当に進学校の中でもトップ優等生だった人にとってはばかばかしいって思うような作品なんじゃないかな。

私みたいに進学校には通ってるけど中途半端ポジションにいたり、

自称進学校ではそこそこ頑張ってた優等生かに刺さってたんじゃないかな。

うちの高校トップの生徒はむしろ高校生活エンジョイしまくってたから。

自分は幸いに大学受験には成功たから、

自分を押し殺して高校生活勉強文化部を行き来してただけの高校生活を完全に後悔してるわけじゃないのだけれど

あの時自分がその気になればこんな生活も送れたのかなって可能性を夢想するきっかけにはなったよね。

きっと私みたいな感覚の人多かったと思うよ。

もちろんだけれど、後半の方が好き。

まさか有馬君側が単なる雪乃にとって都合のいいだけの男じゃなくてむしろこっちがメインだなんて最初想像してなかったなぁ。

ちなみに、エヴァみたいだって言ってる人が多いみたいだけれど、私はその意見は全くピンとこないです。

そもそも私は旧エヴァンゲリオンのなにが面白いのか全然からない人間なので。

エヴァンゲリオンは面白いけど、旧劇場版は何が面白かったのか逆に説明してほしいかも。

2021-02-19

シン・エヴァンゲリオンさあ、もう完成してるんなら映画館で公開するとかネット配信で金儲けするとかしてよ

気になるじゃないか

2021-02-18

必読書コピペマジレスしてみる・追補編

79. 中井英夫虚無への供物

忘れていたので追記ミステリをろくに読まずにアンチミステリを読んで気取るのもどうかと思ったが、メタフィクション的なものにひかれる性分なもので手に取ってしまった。

これはミステリを楽しむ読者に対する批評いやがらせ)であり、こじらせ文学青年崩れの自分は、こうした読者に喧嘩を売る態度を好んでいる。だから、旧劇場版エヴァンゲリオン新劇場版のQも同じ理由偏愛している。かなり楽しんだ。

余談だが、「トップをねらえ2!」もまた、自分のやっていることに対してかなり自覚的批評的だと感じている。まっすぐな努力根性物語にも見えるくせに、根性論に否定的な者が終盤になって気合で新たな力に目覚め、努力根性ばかり口にしていたキャラクターが実は才能の塊であった、という皮肉が好きだ。

で、実際に高校生までに100冊も読む必要ってある?

小説というのは何歳になって読んでもいいものであって、ペースも人それぞれだから、何歳までの必読書という声は基本的無視していいと自分は考えている。自分学生の頃に古典ばかり読んでいたのは単純に背伸びがしたかっただけで、振り返ってみればそれ以上の意味はない。また、「ラノベエロシーンが出てきてもどうせパンチラかせいぜい裸を見るくらい。だったら本番行為やそれ以上の何でもありの純文学を読みたい」と考えたからでもある。もしかしたら、自分男子校出身者だったから、女子のいる高校生活を読むことがうらやましくて耐えられなかったからかもしれないが。

さて、好きに読めばいいと書いたものの、若いうちに読んでおいたほうがいいと考える理由もそれなりにある。一つは体力的な問題だ。年齢を重ねると物理的に目が酷使できなくなってくるし、重苦しい物語を読む体力もなくなってくる。自分も身につまされる話よりも、読んでいて気持ちがいい話ばかり読むようになってきてしまったし、芥川賞さえ読んでいない作品が多い。もう一つの理由は、だんだんフィクションに飽きてくることだ。飽きるというか、何となく手が伸びなくなってくる。その代わりにエッセイ的なもの、身辺雑記的なものに魅力を感じるようになった。「永日小品」とか「武蔵野」とか、古典の日記文学だとか。

それも飽きたら、ノンフィクションを手に取ることにしている。最近読んで面白かったのはリチャード・C・フランシス家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」だ。好きなものを好きな時に好きなように読む。読書ってはそういう私的もので、他人からとやかく言われる筋合いのものではない。

ぶっちゃけ古典って読む必要ある?

正直なところ、同時代作品を読んだほうが財産になる気がする。古典は、好きな作家が薦めていたのだとか、尊敬する人が影響を受けた作品だとか、国語の授業で出てきて面白そうなのや、読書家の友人の一押し作品、くらいを読めば十分だろう。現在の僕らの問題意識に直接答えるのは現代作品だ。現代作品に飽きたら古典に手を出すのはありかもしれないが。

もちろん、古典はいものばかり残っているからはずれを引きにくい、というメリットもある。自分が読んでいた理由の一つがそれだ。加えて、古典が答えをくれることもある。古典場合、素朴な問いに正面から取り組んでいることが多く、僕らみたいな一般人が考える哲学的な疑問はとっくに古典で扱っているので、さまざまな疑問を僕らの代わりに考えてくれており思考節約になるし、多くの場合安易ハッピーエンドとも無縁だ。好きになったから読んだ、それだけのことだ。

それに、古典知識があると、同時代芸術をより楽しめたり、当時の日本世界空気空想する楽しみが増えたりする。古典翻案作品も深く楽しめる。だが、古いのばかり読んでいては現代から目を背けてしまうことになるだろう。

もちろん、現代から逃避するために古典を読むのもありではあるけれども、自分にとって古典を読むことは、現実に直面するための準備・バッファでもあった。言い換えるならば、最初は逃避のつもりだったけれども、古典を読むことで蓄積された感受性が、面倒くさい現実対処する能力を多少は授けてくれた、ということだ。

また、もしもまっとうな作家を目指しているのなら、最先端作品のみならず、そのジャンル古典的な作品を最低限読む必要は出てくる。ミステリなら基本的トリックSFなら実在架空を問わず科学的な理論を知らないと書けない。けれども、読書エンジョイ勢としては気にする必要はない。必読書リスト必要になってくるのは作家になりたい人間くらいだろう。

ちなみに、度を越して読破量を自慢してくる人間は気にしなくていい。そういうのは根本的に、ポケモン名前をどれだけ言えるようになったかを見せびらかしているようなものだ、と自分は考えている。何かを全部暗記したリコレクションしたりするのは楽しいものだけれども、興味がない人に自慢してもしょうがないし、敷居を高くするだけのことだ。それよりは、気に入った作品を何度も読み返すほうがよほど豊かな読書ライフを送れる。通読でなくても本棚から二三冊手に取って、ぱらぱらとお気に入りのページを読み返すことでどれほど心が休まることか。

自分にとって文学とは、わけのわからない世界に対する防壁だった。近頃は昔ほど心に壁を築いてはいいかもしれないが、物語が今まで自分を守ってくれた記憶に、今でも支えられている。

続きは?

気が向いたら日本文学編、あるいは池澤夏樹世界文学全集編を(オリジナルで)やるかもしれない。しかし、面倒くさいので相当先になりそうだ。

以上。

元増田https://anond.hatelabo.jp/20210215101500

2021-02-04

シン・シリーズ第4弾は?

シン・ゴジラ

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

シン・ウルトラマン

これらに続く第4段は何が来る?いや、お前なら何が見たい?

2021-01-30

シン・エヴァンゲリオン

シン・ゴジラ

シン・ウルトラマン

と続いて次の「シン」は何なのだろう。

 

シン・ナウシカか。

シン・ガンダムとかでもいいんだけど。

あるいはシン・シン・エヴァンゲリオンループするのだろうか。

2021-01-28

鬼滅やエヴァ主人公子どもでなければならない理由

フィクション内の設定について疑問を持っているわけではなく、なぜそのような設定(戦士子ども)で物語を描いたのか」が疑問ということなのでそこに絞って回答する。

 

エヴァ簡単イニシエーション物語から

当初の碇シンジファザコンでありエヴァに乗ることからも逃げていたが、他者と接する内に成長し、父親に認められるためではなく自分がどうしたいかという意志に基づいて行動するようになる。それは子ども大人になるということであり、エヴァンゲリオンという物語アクション要素とわけわからん用語の羅列を除けばおよそそういうイニシエーションを描くことで成立している。

また同時に、碇シンジの周囲にいる大人たちは大人に見えて対して大人ではないということも並行して描かれる。ゲンドウをはじめとしてその誰もが未成熟で、言ってしまえば幼稚な欲望に振り回されている。子ども大人になる物語でありつつ、周囲の大人もだましだまし大人をやってるにすぎないという身も蓋もなさがエヴァという物語でもある(そもそも人類補完計画からして他者が怖いか同化しようという幼稚な思想産物であるし)。

 

鬼滅は複数の要素によって成立しているので一言ではまとまらないのだがひとつ特徴的な要素を挙げるとすると「継承」になろう。竈門家は木こり家系だが、呼吸の始祖と関わりがあったため、竈門炭治郎は父祖から「日の呼吸」を受け継いでいる。それと同じように鱗滝左近からは鬼殺隊の一員として戦うための基礎と水の呼吸を、煉獄杏寿郎からは心構えを受け継いだ。そうやって受け継ぐ度に炭治郎は肉体的にも精神的にも練り上げられ強くなっていく。これが大人主人公であれば受け継ぐことができないのでそういった成長を描けない。

この「大人主人公だと受け継ぐことができない」は歴代ジャンプ大人だった主人公を補助線にするとわかりやすい。北斗の拳ケンシロウシティーハンター冴羽獠るろうに剣心緋村剣心。いずれも道を極めし者であり、子ども大人に教えてもらうような形で何かを受け継いだり成長したりすることはできない。彼らの場合は肉体的にも精神的にも練達しているがどこか欠けたところがあって、その恢復物語の主軸となる(ことが多い)。このように子ども主人公大人主人公では描ける物語が違うのである

鬼滅に話を戻すと、炭治郎たちの敵である鬼舞辻無惨は自らを天災になぞらえる怪物であり1人の人間どころか1つの時代ですら手に余る。ゆえに産屋敷家は何世代にも亘って呼吸の使い手を育ててきた。鬼舞辻無惨という怪物を倒したのは過去から現在現在から未来へと連綿と受け継がれてきた呼吸や想いであり、炭治郎たちはその連なりの終端にいただけにすぎない。つまり鬼滅は天災のような存在と、それと戦う先人から技や心構えを受け継ぎし少年少女物語だと言える。

ちなみに大正という時代設定も、人の命が現代よりはるかに軽かったがゆえに鬼殺隊のような人権無視甚だしい組織が描きやすかったというのもあろうが、大正で勝ち得た平和現代で当たり前のように享受するラストシーンを描きたかたからという面もあるだろう。それが当たり前であればあるほど忘れがちだけど、その当たり前を勝ち取るためにかつて戦った人たちがいるのだ。

 

話を簡単にまとめると、子ども大人になる過程しか描けない物語があって、鬼滅もエヴァもそういうタイプ物語だ、ということ。以上。

2021-01-26

エンジニアになるきっかけでバズってるnoteの人が同じ学科OBだった

在学期間被ってなさそうだし、知ってる人でもないから完全に他人なんだけど

学生時代から落ちこぼれてる底辺OL的には優秀な方は人生選択肢多くてよろしいなぁ…って感想しかないんだけど、大学入学経緯は面白かったな

仲の良かった友達とか先輩とか、落ちこぼれ自分とつるんでるようなタイプ20人くらいの狭い範囲だけど、自分含めてほぼ全員が第一志望落ちてあの学部だった。該当しないのは推薦で入った子くらい?

今は知らんけど当時は偏差値そんなに高くなかったし、割と僻地だし、第一志望に選ぶほどの感じじゃなかったのかな

自分都内国立落ちたから、もうこの際センターの成績で入れそうなとこならどこでもええわ…って感じで選んだし

プログラミングの授業とか突然コンパイルデバッグエラーコード?なにそれ?みたいな感じで1ミリ意味わからんから間内で先輩に回してもらった前の年の課題丸コピペして出してたな…数学も必修であるけど数ⅡBまでしかわからん文系にも容赦なく数Ⅲ?C?の内容で進められるから何なら高校の頃より参考書読んで勉強したわ…懐かし…

お陰で理系とかIT系向いてないのわかったか一般企業事務職に就いたけど、学部名前IT詳しい人みたいなの期待されて採用されてたっぽくて新卒の頃は無駄に苦労した

転職する時にも学部名前のせいでシステム系の仕事打診されたりしてそういう点では大学選択失敗したか

遊ぶとこは全然なかったけど生活費も安かったしぬる〜く四年間遊べたから良かったかな〜

オタクも多かったか普通な恋人とか出来なさそうな感じの同級生同士とか先輩とかと付き合ってそのまま結婚した人も多かったし、学生時代彼氏とった・とられたみたいな話があったり、オタサーの姫って実在するんだな〜って感じで面白かったな

全然オタクじゃなかったかエヴァンゲリオンガンダムプリキュア声優BLもわかんなかったけど、なんだかんだ仲良くしてくれる子が結構いて、もう今は結婚したり子供まれたりで疎遠になってる子も多いけど、当時色々オタクなこと教えてもらってアニメ見たりゲームしたりするようになって趣味も増えたから、第一志望の大学で四年間ぼっちで過ごすよりは良かったなって感じ

たまたま自分友達とかそこそこ出来たけど、何年か前に友達ができなくてぼっちだった人が半年で辞めたなんて噂もあったりしたから、本命滑ってどこでもよくなってるなら友達できそうなとこにするのもアリかも…って何年か前に受験生の従弟に言ったら縁起でもないことを言うなと叔母に怒られたけど、結構本気でそう思う

2021-01-24

フェミ女「エヴァ観てるけどいちいち女の裸とかが出てきて集中できん。男は15分おきに女の体が出てこないと最後まで観れんのか」

中年しか出てこないロボットアニメボトムズ」や、女がモブ以外に全く出てこない「刃牙」をどうして見ないの?

好き好んで美少女アニメエヴァンゲリオンを見て女が裸とか言ってることがおかし

2021-01-22

息子「エヴァンゲリオンって有名ロボアニメランキング何位なの?」

私「そらー2位じゃない?」

息子「じゃあ1位は何?」

私「ガンダムじゃない?」

息子「じゃあ3位は何?」

私「え…?マジンガーZ鉄人28号?てゆーかアトムアトム忘れてた、でもアトムは一位では?…つーか今ロボアニメって言われてアトム的なもん連想する人ほぼ居ないよな、ロボ出てたらロボアニメではない、ドラえもんをロボアニメとは言わんし、ドラえもん入ったら有名ランキングぶっちぎりトップじゃん…そもそもボアニメとは?」

ボアニメって何なんだろう。

2021-01-20

anond:20210119010410

14歳でなければならない、より先に「なんでエヴァンゲリオンでなければならないのか」について触れてない時点で何の意味もない。

戦うこと、敵を倒すことが目的だったらコスパも悪いし搭乗者の安全も確保できてないし暴走危険のあるエヴァンゲリオンなんか使わなくても優れた無人兵器であるジェットアローンを量産すればいいだけなのにネルフジェットアローンのプロジェクトをはかりごとをして潰したわけじゃん。

その件に一切触れてない時点で何の意味もない議論だわ。

2021-01-19

エヴァンゲリオンブルーレイディスクをもってるけど

BDプレイヤーなんてもう何年も使ってなくてモニターにつながってないわ。

セッティングするのが面倒だな。

配信サイト販売してれば買うのに、レンタルしかなかったわ。

14歳でないと起動しない設定を作ったのは何故か?という話←そうか?

まず問題であるtweetはこれ↓ね。

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、

戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

と友人に話したら、「エヴァは知らんけど、鬼滅は少年ジャンプで連載してたからでは?」と言われて話が終わった。

 

それでこれのブコメトップがこれ↓

cinefuk 『エヴァ14歳でないと動かせないんだぞ?知らんのか?』というreplyが多数ついていて、理解力の低さに呆れる。

14歳でないと起動しない設定を作ったのは何故か?」という話なんだが アニメ オタク

2021/01/17 リンク yellow211yellow

 

 

1.

要点としてはツイ主がどういう質問をしているのかというところで、

cinefukさん「ツイ主はメタ的な問いかけをしているんだぞ、作中の設定で答えるのは理解力のない馬鹿。」

↑これがトップなんだけど本当にそうか?

  

 

だってさあ、ツイ主の発言

組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

だよ?

これは、私には、何回検討しても、作中設定に関するオタクに見える。

 

そもそももしツイ主がcinefukさん解釈のようなことを言いたいのであれば

フィクション子供を戦わせるのが不愉快って言えばいいじゃん?

うそのまんま。あん文字数も要らない。

 

最大限問いか形式にするにしても

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、なぜ子供が戦う必要があるのか?ということ。」

とかでいいじゃん?

 

 

2.

フラットによく読んでほしい所だけど、元ツイ主は

組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

と言っている。 

 

これは国語的にどう読んでも、子供が戦うこと全般リジェクトする立場の表明ではない。

作中の設定を受け止めたうえでその合理性リアリティを問うオタク的な質問と読むほかない。

 

cinefukさんの主張するように、「なぜフィクション子供を戦わせるのか(子供を戦わせるの反対)」がツイ主の問いたい(訴えたい)ことなら、

組織的戦士を育てて戦わせるのなら~」なんて前提全く要らないよね。

だってどういう設定やどういう前提があろうがフィクション子供を戦わせるのに反対なんだから

「こういう設定の場合は疑問」て言い方したら、限定的疑義ということになる。

 

なのでもしもツイ主の言いたかたことがcinefukさんの主張通りなら

とっても余計な、誤解を生むしかないことを言ってるということになるし、

逆にこのtweetからあの回答をするcinefukさんは、ふつーに国語の点数低いと思う。

 

まとめると

ツイ主の意志がどうであってもcinefukさん国語の点数が低いのは確定していて、

ツイ主の言いたいことがcinefukさん解釈通りならツイ主とcinefukさんの2人の国語の点数が低いし、

ツイ主の言いたいことがcinefukさん解釈と違うならcinefukさんだけ国語の点数が低い。

  

 

3.鬼殺隊は畜生

以上で国語の話は終わりでここからが本題なんだけど、

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

と友人に話したら、「エヴァは知らんけど、鬼滅は少年ジャンプで連載してたからでは?」と言われて話が終わった。

これを設定に関するツッコミオタク的な質問だと解釈して鬼滅について答えると、

鬼殺隊は元々すんごい畜生組織であるということが疑問に答える重要な手掛かりになる。

  

そもそもプロトタイプ読み切りが先ず酷くて、

子供捨て駒みたいに鬼と戦わせてかろうじて生き延びたけど不具になった子をもう役に立たんから放り出すという凄い対鬼組織が出てくる。

プロトタイプはこの不具になった子供義手義足武器を仕込んだベルセルクみたいなダークハード少年主人公で、

「これはきつすぎるのでこの世界もっと明るい少年いないですか」って担当が水を向けて主人公だけ明るくなったっていうのが連載初期。

 

から鬼殺隊は初期構想では絶対畜生組織のままなんですよね。

これは別に私がプロトタイプの印象を引きずって勝手妄想してるんじゃなくて、作中描写証拠があることです。

まず入隊試験がクソ過ぎるでしょ。

失格する奴は死ぬんだぜ。全員。

 

あい試験って、「剣士たりえない奴は無駄死にや足手まといになっちゃうから入れてあげません」って帰すことに意味があるでしょ。

なのにあの入隊試験は森の中に剣士志願の少年少女を鬼と一緒に数日閉じ込めて、生きて出てきた奴が合格

主人公の代もウジャウジャいたのに5人しか合格しなかった。他全員鬼に食われて死んでるの。

何これ? 

 

これはどう言い訳したって人の命を大事にしてないし、人の命を道具にすらしてないんのよね。純然たる無駄死に。

まり鬼殺隊は目的のために先鋭化しすぎて人の心を失ってる組織なんです。信念に凝り固まってて命が鴻毛より軽い。ISISです。末期大日本帝国です。

 

ついでに言うとあの試験サバイバル能力を試しちゃうので兵士選抜はいいですけど剣士選抜になってないんですよね。

あの森で生き延びるのは、状況を見ながら逃げ隠れして体力を保ってとにかく自分生存出来る、現代兵士みたいな奴です。

どんなに強くても次々に鬼に挑んでいったら体力尽きたり装備がダメになったりして死にますよね。難易度設定も壊れてるし。

から水柱の親友みたいに勇敢に鬼に立ち向かえて強くて一杯斬って弱い者を庇うという、剣士として正しい資質を持ってる奴が息切れしてやられて死んじゃう。

 

才能ない奴の命を何とも思わない畜生試験であるうえに、

剣士適性のある金の卵まで潰す、下手すりゃ優先的に殺していくというとんでもない試験

それが鬼殺隊の入団試験なんです。

 

さらに柱が登場する回でも全員子供隊士を待機違反のかどで処刑すると言って盛り上がってるわけ。

仲間であり子供である隊士にかける慈悲もためらいもなんにもなく処刑処刑だって盛り上がってて、

あれはどう考えても人格異常者の描写です。

 

本当はもう少しじっくり話を進めるはずで、

炭治郎少年が鬼殺隊のヤバさに気付いたりぶつかりあったりして改心できる奴を改心させていくようなパートが予定されてたと思います

御屋形様もすごい不穏なんですよ。声の特殊なゆらぎで隊士たちに安心感と心服をもたらしてる。

わざわざ声のそういう効果説明があるの。

この御屋形様も、鬼撲滅の悲願に囚われて人の道を外れて隊士の命をコマとして見るようになっちゃってるヤベー奴だったと思います。当初設定は。

  

まっすぐな炭治郎少年が柱や御屋形様の異常さに気付いて頭突きで改心させたり、あるいは袂を分かったり、設定や状況見るとどうもそういう話が用意されてたのに

何らかの理由で物凄く展開を急いで、本来やれたイベントを沢山潰して話を進めてるんです。

ライブ感というか急に急ぎだした。(不謹慎な例えだけど「作者が不治の病にかかって描けるうちに描き切ることにした」とか言う事情ならとても納得する。)

 

どこ見てるかわからない目で子供処刑しようとした煉獄さんは次に出てきたら人格ヤバいところなんか微塵もないナイスガイになってたし

子供死ぬと聞いて頬を染めながらハァハァしてた胸元開けすぎサイコビッチは次に出てきたら純真少女(服は変な奴に騙されてるだけ)になってました。

「古き良き少年漫画のライブ感」だけでは説明がつかない、明らかに何らかのイベントが飛んでいるし、明らかに邪悪に歪んだ性格は元からなかったことになった。

  

 

それで質問から脱線しましたが

鬼滅の刃エヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。

鬼殺隊についてこの疑問に答えるなら簡単

あんバタバタ死ぬ組織剣士目指してくれるのは狂人バカ

鬼に家族殺された復讐者を除けば世間知の無い子供・身寄りのない子供なので

そういうのを探し回っては拾ってきて育成してるんだよ

ということです。

 

善逸少年借金の肩代わりでこんなことやる羽目になっていますし 

炭治郎少年は親兄弟が鬼に殺され身寄りもなくしたという理想的素材です。

 

こういう奴等をローティーンから育成してハイティーンデビューさせて20代の全盛期でなるべくたくさん鬼を斬って死ね

とそういうビジョンで鬼殺隊は運営されています

訓練も最終試験もかなり狂ってるし任務でみるみる消耗(身体欠損)するため、

大人になってから始めても遅いし、大人だと「この組織おかしい!」と気付いてしまうからダメなんです。

 

これらは曲解や悪ふざけの読みとかではなくあの作者はどう見てもこれぐらいのことまで考えて描いています

2021-01-17

エヴァンゲリオンの戦ってるところだけ好き。

ドラマ邪魔から戦闘シーンだけ抜き出し総集編とか作らないかな。

2021-01-06

子供を戦わせんなよ

エヴァンゲリオンを見てまず思ったのはこれだった。

子供に何してるんこのだめ大人共。

見てて大人からシンジの扱いの酷さがきつくなって止めてしまった。

私ロボアニメ苦手なんだけど、子供が命がけで戦うのが駄目だったんだなと認識できた。

子供向けアニメ子供に戦わせるなと言うのは野暮すぎる、見ないしかない。

このままではプリキュアも駄目になってしまうかもしれないので、子供が戦う子供向けアニメは命がけ感をあまりさないでほしい。

2021-01-03

タイムフライヤーねえ

鬼滅の刃の盛り上がりも一段落した感のあるこの3が日。

しかしながら、鬼滅の刃については原作TVアニメもノーチェックだった上、仕事で代わりがいないクソみたいな状況と、高齢家族がいる=映画館コロナを拾うわけにはいかないことから個人的にはスルーせざるを得ない事情があり、今の所は完全に他人事


から仕方なくというわけではないのだが、ずーっと食わず嫌いしてきた君の名は。今頃やっと見た。

ちなみに天気の子は「敷居が低い」と判断映画館リアルタイムチェックした点で、間違いなくキモオタ側の人間感想ということで一つ。


いや、本当に驚いた。間違いなく凄い作品

最初の30分くらいはちょっと見ていて恥ずかしかったけど、それを差っ引いても一見価値があるだろう。

アニメを見慣れていない人にとっては純粋驚愕の内容として素直に感動できると思うし、自分みたくアニメを頻繁に見ていた人にとっても、展開・画作りともに「ああなるほど、魅せるねえ」と唸らせ、惹き込ませる内容だったかと。


しかしながら一番驚いたのは、新海誠という作家から君の名は。みたいな作品が出てくる事で、それ自体奇跡に感じられた。

しょーもない例えで恐縮だが、麻雀で言ったら四槓子和了ったみたいな話というか、後にも先にもこの人からこんなマスターピースが生まれることは二度となさそう。

というのも、これは見くびり過ぎかもしれないが、過去作品から逆算(?)すると、新海誠という作家感性君の名は。みたいな作品は、どう考えても生まれようがないからだ。

実際、後年上映された天気の子の方が往年の新海作品っぽいというか、新海誠の原点

(=その昔、某評論家からポストエヴァンゲリオン症候群」と揶揄されたセカイ系や、ゼロ年代に一部オタクの間で熱狂的に支持された泣きゲー系譜)

に忠実だったと思う。

それ故に作品の格としての天気の子は、君の名は。から段落ちると言わざるを得ないのだが。

言い換えれば、セカイ系泣きゲーの要素からB級以下の部分を削ぎ落としたというか、本当に色んな人から共感を得られそうな部分だけを抽出して組み上げたのが、君の名は。なのだろう。

しかしながら、そんなことを新海誠本人だけの力でなし得たとは到底思えず、なにか別のアクションがあったのでは?と感じている。

それこそジブリ宮崎駿に対する鈴木敏夫みたいな名プロデューサーがいたとか?


さて、世間コロナで色々大変で、未だに収束の気配はない。

まあ、ワクチンが出回るまでは家に引きこもって楽しめることをやるしかない。

君の名は。今頃見た理由でもあるが、その流れで鬼滅の刃についても、原作電子書籍で全巻読破してみてもいいかな?と思っていたり。

VTuberばっかり見ているのも飽き気味だし、それはそれで肩凝るので。

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