はてなキーワード: がっかりとは
そりゃがっかりされるわ
だって、仕事で上司が「増田くんの半年後のタスクが多くて大変そうだから対策を考えようか。よし、ストレスが大変になった時に1人になれる場所を一緒に考えよう」とか言われたらこいつあほなのか?って思うよね。
だいたい1人になれる場所ってなんだよ。その辺散歩すりゃいくらでも1人になれるだろ。問題は安心して赤ちゃんを任せられる人がいるかどうかであって、場所じゃないよね。
伏せ字にしたほうがいいのかわかんないけどとりあえずした。
とにかく皮がむけない。
物心ついた時からオナニーが好きで、特にクリにはめちゃくちゃにお世話になってきた。初めてシャワーでイった時は、ちょっと触るだけで気持ちよくてビクビクして自分がそういう体質になったんだ!!!ってマジで嬉しくなったのを覚えてる。(少ししたら治まったのでがっかりした)
イライラしたらローターでイって、暇だったら電マでイって、クリ責めのAVとエロ漫画を漁るみたいな生活をしてきたんだけど、どうやらクリにも皮があるらしいと気付いたのが大学生の時だ。
え!マジで!?なんかエロ漫画でよくむいてる!むいて直に当てると気持ちいいみたい!そうしたい!!と思って、自分で鏡を見ながらしてみたけどなんかもう全然うまくいかない。ていうかほんと改めて見ると男性器より全然グロくて鏡で見てるの萎える。
餃子の耳のとこみたいな感じで二つ折りっぽくなってる皮?が刺激すればかなり大きくなるけどむける感覚が全然ない。
指をVの字にして引き上げるように、とか綿棒でどうのこうのとか色々やってみたけどマジで全然分からない。自分の豆の進化系が全く見えない。
包茎ってやつなのか?だとしたら余計に洗いたいんだけど??そうは思うけど皮がむけない。
大体性器はモザイクがかかってるので、クリ責め系のやつを色々見たけどやっぱり分からない。
ナカイキのがいいとかポルチオがどうとかなんか色々あるっぽいけど、そうじゃなくて自分のまだ見ぬクリを見たい。気持ちいいならやってみたい。それだけなんだけど。
○ご飯
朝:なし。昼:サーモン丼。サラダ。夜:人参と玉ねぎと豆腐とエノキの鍋。納豆。たまご。サンドイッチ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
○グラブル
でも、アニメが日本の文化ですみたいな扱いを受けるようになったゼロ年代ごろから
オタク以外もアニメを消費し始めて、いわゆるオタクと一般人の感想の差みたいなのがより荒れる要因になったと思う。
それでアニメオタクは、業界人の変わりになってアニメ作品や業界人を擁護することが頻発するようになった
なんだったら先鋭化して、流行ってるからってだけでアニメ見て適当に感想を言うやつらからアニメを守れ!
みたいな鼻息の粗さを感じることも増えたよね
今回のエヴァで一番がっかりしたのがアクションが糞だってことなんだけど
同様のことは多くの人が言ってて、そういうことを言う人ってアニメオタクではなくてカジュアルなひとなんだよね
だからなのかオタクがエヴァが分かってねーとか突っかかるのよw
エヴァって俺の中ではアクションがスゲーってイメージだったし、そもそも庵野は王立宇宙軍のロケット発射とかナウシカの巨神兵のシーンとか、アニメのすごさで評価された人だったけど
結局、エヴァを消費してるっていうより、庵野秀明を消費してるっていうか、ギョーカイを消費してるよね
(ガンダム好きにも似たような傾向あるよね、富野由悠季を御大とかいってるやつら)
ギョーカイってやつが好きなやつらのたまり場になってしまったんだよエヴァは
監督の人物像とか過去のあれこれを錦の旗に掲げて一般人とやらの純粋な感想に凸って攻撃する事ってなんか意味あるんですかね
たまにオタクって、作者の政治思想と作品は別だろ!とかいうけど、すげーリンクさせて作品評価してるじゃんw
今回のエヴァは作者がどうしたこうしたって話ばっかで、庵野庵野って感じでエヴァよりも庵野の話が多い
素直にアニメで魅せてくれればいいのに、動きでしょぼいもの出されたら
そりゃ一般人は「しょぼい」って思うわなw
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
①日本語が甘い
③聞いててこっちが恥ずかしくなってくる
さて、好きな韓国アイドルグループがある。韓国人が多いが、英語や中国語を喋れるメンバーもいるので割りとグローバルだと思う。日本のファンも沢山いる。
彼らのことは大好きだ。セルフプロデュースと銘打って、ダンスの振り付け、作詞作曲等、プロと力を合わせて彼ら自身でコンテンツを作っている。まじアニメなんじゃないの?ってくらい凄い。そして日本を愛してくれている。韓国というとやはり反日教育だとかあんまり良い噂は聞かないが、がんばって日本語覚えてくれたり、アプリの生放送中に流れた簡単な日本語をさっと読んでくれたりする。ちなみに日本で流行ったバブリーダンスをライブで披露してくれるファンサービスなんかもあったりした。すごいな。
しかし、もう日本語で歌わなくていいよ、と言いたい。頑張って日本語でシングルを出してくれる。それも一度きりじゃなくて、何度も続けて日本語verで歌ってくれている。これは本来ならやらなくて良い行為だ。いつも母国語の韓国語で歌ってるのを買っているから、別にわざわざ日本語で歌わなくたって大丈夫だよ。
彼らは、レコーディングのチェックも彼ら自身で行う。作詞作曲をする韓国人アイドルメンバーが、プロデューサーのように指示を出し、確認する。ここで驚きなのが、日本語のチェックも韓国人がやるのである。そうとう日本語を勉強してくれているのは痛いほど分かるし、ありがたい。でも、やはりネイティブではないので、日本語を母国語とする私が聞くと、失礼だが恥ずかしくなって聞くのをやめてしまう。典型的な例をだすと、日本語の「ツ」がほとんど「チュ」になってしまう。韓国人の話す日本語モノマネでよく見ると思う。
そして外国語だと大体意味が分からないので、どんな内容かあまり理解せず聞くことができる。洋楽などもそうだが、意味が分からないから良いのである。彼らのキャッチーなメロディーの歌詞を和訳した字幕がYouTubeで出るのだが、結構日本のアイドルとそう変わらないチープなことばかり書かれていてがっかりした。それから私は歌詞の日本語訳は見ないことにしている。だって大体「君が好きだ」とか「落ち込んだりすることもあるけど前を向こうよ」とかありきたりなのである。あと日本語訳が単にださい。外国だからもっとカッコイイこと言ってるんだろうなという幻想を保つため、歌詞は見ない。MVとコンセプトだけで十分だ。
ただ感動したのが、韓国人、中国人、アメリカ人がいるこのグループで、日本語verの冒頭を歌うのが中国人だったということだ。冒頭の歌詞の四文字目に日本語の「ち」があるのだが、中国人の発音は素晴らしかった。日本の溶けるような柔らかい発音だった。
あとラップは日本語と相性が良くない。刺すような鋭さがあるラップが好きなのだが、なかなか日本語だと難しい。もちろん日本でもラップ文化はあるし某ラップアニメは目の付け所がシャープだなあと思う。
わざわざ日本語で歌わなくても買うんで、歌いやすい言葉で歌ってくださいな、という感想。
ここ10年以上毎週視聴してTwitterでハッシュタグつけて呟くほどには大河クラスタだという自覚はある
真田丸で考証の丸島先生が先鞭をつけて以降、毎週毎週放送終了後に日本史クラスタの詳しい人や専門の先生方が
史実ではこうだった、この演出はこんな事実を踏まえている、なんて蘊蓄を聞かせてくれて、
それを見て勉強しながら感想を呟くのが大河クラスタのトレンドになってた面があったじゃないですか
んで来年の大河の脚本が細かいところまで史実を拾って書く三谷先生で、考証にあの応仁の乱の呉座先生が!ってことで
楽しみにしてた大河クラスタいっぱいいたと思うんですよ俺自身も含めて
そこへきてあの醜態ですよ
あれ見てどう思った?史料をフラットな目で検証する学問的態度を持つ学者に見えた?俺には見えなかった
少なくとも俺には自らのミソジニーイデオロギーのためにガンガン筆曲げる御仁だとしか思えなかったよ
井沢元彦や百田尚樹をめちゃくちゃ批判してたけど、Twitter上の振る舞い見るに同レベル以下だわ
ただでさえ来年の大河では日本史上でも有数の女傑と評判の北条政子が出るわけじゃない?
もうさあ、政子に対してどんな演出が施されるのか今からもう疑いの目しか向けられないわ
童貞を喪失したのは、僕が20代前半で大学院の博士課程前期の時だった。
その時の僕は、研究室と自宅を往復する生活で、外出と言えば、時折、専門書を買いに書店へ行く程度だった。
友人がいないわけではなかったが、そう頻繁に会うわけでもない。
相手の女性は40代の既婚者で、大学生のお子さんがいると言っていた。
最初に会った時(会ったのは1度だけだが)、一目見て、美人だと思った。
髪は肩にかかる程、痩身ではないが太ってはおらず、胸が大きい人で、色気のある体系だったことは覚えている。
下を舐めてもらうのが好きらしく、その手の掲示板で女性が募集の書込みをしていたのがきっかけである。
「主人も舐めてくれるが積極的にはしてくれないので、してくれる人を探している」という内容の書き込みだった。
当時、研究以外にはネットの情報を漁るくらいしか趣味がなかったから、たまたま興味本位でフリーメールで何人かにメールを送った。
返信があったのがその女性で、最初の返信は「若いですね。息子としてる気分になりそう」だった。
返事なんて大抵は来るものではないので驚いたし、それに、知り合えたのは奇跡的な確率と言っても良いかもしれない。
その後の展開は、速かった。
第1通目のメールを送ったのが夕方くらいなのだが、何通かのやりとりをし、当日の夜に会うことになった。
年齢、容姿はどんなか、どこに住んでいるか、そんなやりとりだった気がする。
「私、おばさんだけど、本当にいいの?」と言われたが、同年代より年上のほうが付き合いやすかったのが当時の自分だったし、それに、好奇心のほうが勝った。
京都市駅近くの、安くはないビジネスホテルを見栄をはって予約し、待ち合わせの京都駅へ向かった。
不安は正直あったが、興味のほうが大きかった。
当時の記憶は正確に思い出せないけど、単純に、好奇心で行動していたと思う。
確かに見た目は40代かもしれないが、笑顔が素敵で、険悪な感じが全くない。
会話した感じも明るく、積極的で、容姿も美人と言える人だった。
率直に、こんな人と出会えるなんて信じられない…という驚きの気持ち。
しかも、優し人で、お互いに晩ご飯がまだだったから、コンビニ弁当と飲み物を買ってきてくれていた。
「本当に、私でいいの?」
と、初めに言われた。
緊張していて、僕がその時に何を言ったか覚えていないが、ともかく、そのまま2人でホテルに直行した。
でも、道中(と言っても歩いて5分くらいだが)の会話は、そんなギクシャクしたものではなかった。
「もし、ホテルの人に関係きかれたら、就活で来た親子ってことにしとこうか」
と、笑いながら言われた。
ホテルの部屋で、お弁当を食べながらお話をしたが、非日常的というより、全く日常的な会話だった。
女性のお子さんのこととか、仕事のこととか(ただ、自分が何を言ったかを覚えていない…)。
でも、女性のほうがから、ふいに、「一人でしたりするの?」とか「彼女としたことないの?」とか、そんな話になり、
遠慮と緊張で「舐めるだけで大丈夫ですから」みたいなことを言ったら、
どういう経過でかは忘れたけど、「お薬飲んでるから、私は本番してもいいよ」と明るい声で言われた。
「私、初めての人とするの初めてだから」と言われ、部屋を真っ暗にした。
正直、ディープキスも初めてだし、胸を触るのも舐めるのも、下半身を舐めるのも初めてだったが、
相手の体温を感じながらやるのは、一人でする時よりは断然良かった。
下を舐めるのは変わった味がするけれど、でも、悪くなかった。
驚いたのが、女性のほうが舐めるのがすごく上手で、相手から69をしてきたことだった。
色んな姿勢でしたし、手でもさせてくれた。
初めて入れた時、思っていたよりも入れている感覚というか、締め付けがあるわけでもなかったのには驚いた。
でも、1回目はすぐに終わって、そのあと、すぐに2回目をした。
「中でいいよ」と言われたので、生だったし出したけど、まるでAVみたいだと思った。
女性が言うのは、服を脱いで抱き合ってキスした時、僕の体は震えていたらしい。
「初めてなんだなって思った」と言われた。
なんというか、頭の中は真っ白という感じだったと思う。
終わった後は、少しお話をして、一緒のベッドで手を繋いで寝た。
朝起きると、机の上にメモが置いてあって、「ホテル代ありがとう。エッチ代出せなくてごめんね」と書いてあった。
僕は、部屋のシャワーを浴びて、鏡の自分を見て、うまく言葉で言い表せないけど、変な気持ちになった。
行為中は気持ち良いかもしれないが、終わった後は、どちらかと言えば寂しい。
もう1度同じ体験をしたいかと言われれば、したいとは心からは言えない。
「私のことどう思ってる?」
とっさに答えられず、「若く見える」と答えた気がする。
それを聞いた女性は、少しため息をついて「まあ、よくそう言われる」と、少しがっかりした感じで言った。
僕は自分の気持ちを表現することが極度に苦手なので、あっさりした対応をすることがよくあるけど、未だに、「もう少し、良い答え方があったのでは」と考えることがある。
その後、こちらから女性に「会いたい」とメールしたことは一度もない。
でも、もし会うことがもしあれば、行為なんて別にいらないから、その時のことを会話してみたいとは思う。
もう少し気持ちを出すべきだったのかもしれない。
文章が話題になって、雑誌にエッセイを毎月書いている著名人がいる。
彼女は容姿がとても可愛くて、でもその容姿からは想像できない切れ味のいい文章や喋りを評価されている。私もたまに雑誌やテレビで見かける彼女のことが好きだった。推しとかではないけど、インスタはフォローして、ネット記事が出たら読むくらいにはファンだ。
一方、私にはネットで文章を書いたり同人誌を出したりしている友人がいる。友人といっても大学時代の友達で、会うのは年に数回、いまはSNSかグループLINEでやりとりするのがメインの間柄だ。彼女のブログはSNSで知っていて、応援していた。
最近、その著名人の書くもので、友人のブログに似ている文章を見かけた。
見かけたのは3回。1回目は、似てるなあ、と思ったくらい。でも2回目3回目と続くにつれて、ええ…と思っている自分がいる。
友人はオタクで、ブログに漫画やアニメといった自分の好きなコンテンツの感想を書いている。そしてその著名人もコンテンツについて書くコラムが多い。
もちろん感想だから似てるのかと思った。オタクの感想はすぐ似る。みんな同じことを思う。でも、コラムとブログ、あまりにも言い回しや構成が似すぎていた。
もしかしたら著名人が友人のブログ読んでるのかなーだとしたらすごいなーと最初は思っていたけれど。3回目は、ちょっとこれはないんじゃないか、と思う自分がいる。もちろん友人のブログの方が先に世に出たものだ。
彼女は友人の知り合いの出版関係の人と仕事することもあったらしく(これは私がSNSで見かけた情報だから定かじゃないけど)、友人のブログを読んでないって断定はできないよな…と気になってしまう。
そして友人ではなく、私がいつも読んでいるブログのとある持論そっくりの言い回しを、彼女がコラムで書いているのも見かけた。
私はただの一介の読者だし、似てると言っても一言一句違わない丸パクリではない。だから私が気にしてもしょうがない。でもあまりに気になって、その著名人の評判をネットで調べると、過去にも彼女の文章にパクリ騒動はあったらしい。でもパクった相手が匿名だったからあんまり話題になってないらしい。
芸能人だったらよくあることなのかな、忙しい中文章なんて真面目に書いてらんないもんな、と思いつつなんかがっかりしてる。そして彼女の評判はなんだったんだと思う自分もいる。
私の気にしすぎなのかもしれない。偶然なのかもしれない。
というか、他人の言い回しや構成や感想の一部を、自分の文章で真似てしまうくらいなら、問題じゃないのかもしれない。誰だってやってしまうことなのかもしれない。
でもインスタをフォローするくらいには憧れていた、聡明な著名人の文章の中身が、コピペの切り貼りみたいなものなのかもと思うと、悲しくなってしまう。しかも本人はそのコピペに自覚がなさそうな気がする。わからないけど。それってゴーストライター使ってるより嫌だ。
あともしほんとうにコピペなんだとしたら、友人の文章が友人の知らないところでもっと有名な誰かの言葉になっているのも、理不尽だな、と感じる。私がどうこう言うことではないけど。
インスタで彼女の顔を見て可愛いなあと思うたび、ちょっと胸がぎゅっとする。でも第三者が何か言うことでもないし、友人にわざわざ伝わってほしいことでもないし、なにより私の妄想かもしれないから、誰にも言えない。でも誰かに言いたかった。
公開からだいぶたったし、もうネタバレ書いても大丈夫だよね。。
エヴァという作品は基本的に、意味深な伏線をはりまくって、超・カッコイイシーンの寄せ集めが面白いだけの作品で
だから、ゼーレの目的がどうとか、ゲンドウと冬月先生のたくらみはなんだとか、庵野がシンジなのかゲンドウなのかとか、
そんなことはぶっちゃけ、、どーでもよかったんです。
シーンさえかっこよければ、観ていて気持ちいいい。それがヱヴァンゲリヲンなんです。
シンエヴァは、作画も音楽もセリフもすべてがいい感じで、終盤間際までは普通に楽しめていたんですが、
最後の最後にセリフで「ネオンジェネシス!」って言われた瞬間、思わず、椅子から滑り落ちるくらい、
シンエヴァを見た。
ワクワクもドキドキもハラハラもしない、感動もない。ただ「綺麗に風呂敷畳んだね、見てる人に殴りかかるんじゃなくて、言葉で説明できるだけの理性はついたんだね、監督おとなになって偉いね」という意味で「良かった」と思った。EOEでぐちゃぐちゃにされた子供の頃の恨みみたいなものが成仏していたのに気がついた。シンを見て成仏したのではない。自分はとっくにおとなになっていて成仏していたのだ。そういう映画だった。
徹頭徹尾オタクが気にしてること、気にしそうなことを説明して潰しにかかっていたのは笑いそうになった。ミサトさんが無責任で酷いって気にしてたんですかね? 昔のエヴァならあんな違和感たっぷりの説明的なセリフ垂れ流さなかったでしょうよ。アスカやレイ、カヲルがベルトコンベアで流れてくる商品を選り分けるように、事務的に淡々と処理されていくのは本当に白けた。有名声優が何人も説明的なセリフを言うだけに参加してるのもシュールだ。
それでも終わっただけで「良かったよ」って言えたのは、多分今のエヴァに新鮮な楽しさや驚き、痛みや苦しみを描く力なんて無いとどこかでわかって、諦めていたからだと思う。ちゃんと終わらせること以外期待してなかった。
リアタイ世代で録画を何度も見て、映画もおこづかいをはたいて全部劇場で見た子供だった私も、大人になって見えてなかったものが見えるようになった。良質なエンタメにもたくさん出会った。少ない知識に狭い視野で、初めて見たショッキングなエンタメだったからのめり込んで、特別に思った時期があったのだろう。そういう期限は切れていた。期待しないようになっていた。
余談だが子供だった自分はアスカが生きたまま腸食い散らかされるのがあまりにも怖くて、ショックで眠れなくなったりうなされたりした。生きたまま食われるなんて考えたことも無かったので、本当に怖くて震えた。思えば初めて見たグロっぽい暴力的で悲惨なシーンだったのかもしれない。EOEまでは本当にいろいろと心に傷を刻んだ作品だった。
とにかくエヴァは畳まれた。シンエヴァは畳むために作られたものだ。物語として楽しくする気なかったでしょう? 嫌いなエヴァオタクと、終わってないことに言及されること消すために時間とセリフがあった。
監督ももうエヴァは見えないところにしまって、自由になりたかったんだろう。だから面白くなくてもファンやエヴァオタクががっかりしてもどうでもいいのだ。破まではエンタメとして良いものに作り変えようという気が見えたけれど、もうそんなのはどこにもない。
監督がエヴァオタクを嫌いっていうのは有名な話だ。インタで自分でも言っている。今も嫌いだろうと欠片も疑っていない。
でも彼の会社はエヴァの版権使用料がないとスタッフが食っていけなかったんじゃないかと思う。彼を慕い、憧れ、優しいスタッフと理解ある嫁を食わすには、大嫌いでもエヴァオタクからキャラクターで金を搾り取るのが一番儲かる。
ところがゴジラが当たった。ウルトラマンも撮らせてもらえる。もうエヴァがなくても稼ぐあてが出来た。だからエヴァはとっとと畳んで開放されても良い。というわけで前は急げで完成に至ったのではないだろうか。モチベ上がったでしょう。キャラクターをサクサクとエヴァオタクが金を払う気がなくなるような処理しをして片付けた。もうこっちくるんじゃねえぞってなもんで。
シンゴジの時はじめて心から嬉しそうな監督を見たからね。監督はあっちに行くし、エヴァオタには付いてきてほしくないのだ。ちなみにオタクにいちいち「エヴァ」ってつけるのは、監督は特撮オタに関しては嫌いではないし、彼自身オタクだから。アニメと特撮のオタク。エヴァに散りばめられたオマージュのおおさからして、けっこうディープなオタクだと思う。
シンエヴァの感想をいくつか読んだら、それぞれのキャラクターの処理について不満を漏らすと、案の定卒業しろよとかキモいと叩かれていた。まとめサイトに晒し上げられていた。流石にそれは酷いくないか?今までキャラ萌え的な商売しまくって、金を搾り取られた人たちが嘆いたって良いだろう。だって公式はそういう商売をしてたじゃん。中学生が脱衣する麻雀、ヒロインといちゃつけるゲーム、シンジをカヲルで落とせるゲーム。それを元にした漫画。同人作家にカヲルとシンジのBL描かせて監督が対談までしてる書籍もある。その他にも把握しきれないくらい色んなモノが出ている。エヴァくらい節操がなく金のためにキャラを売っていた作品も無いだろう。
キャラクター商品はキャラクターが好きだから買うものだ。キャラクターが好きだから金を出す人たちからずっと搾り取ってきた。それで飯食ってたんだよ何年も。Qから8年も食いつないでるんだよ。ゴジラがあっても、大半はエヴァの収入があったから8年完成させずにすんだんでしょう。もういらないからポイしたわけだが。所詮オタクは一方通行で金をつぎ込むだけで、優しくされるどころか捨てられたって文句は言えないものだ。でも悲鳴くらい上げても良いんじゃないの?25年前から根本的に変わらない作品にずっとついてきて、どんなにエグい商売でも金はらってきた猛者たちだぞ?流石に期待しなかったから文句もない私より愛があっただろう人たちが叩かれてるのは可哀想だ。好きじゃない人ほど簡単にさよならできるもんなんだから。
私は良かったと思ったから当初は否定的な感想や、点数の低い映画レビューを見ていなかった。けれど絶賛よりもTLに流れてくる苦言に、全部なるほどと納得したので見てみた。そうしたら感情的におかしくなって叩いてるとかアンチとかじゃなく、理路整然と嘆いていて、反論もなくそのとおりだと思ったものが多かった。ただ私にはそれに怒ったり悲しんだりする好意がもうエヴァにはない。良かったねー、終わったねーって流して終わった。
良かったで流した層、怒って細かく説明してる層が多くて、ほとんどの人が一回見ればリピートしない映画ではないだろうか。それでも何度かリピートしていろいろ考えてる人たちが少数いるけど、お金あるなあという感想だ。考察や小ネタ拾いは楽しくて好きだが、シンエヴァはそれをするには料金に見合わないと思ってしまう。そろそろ大抵の空白や説明のないところは、思わせぶりなだけでなんもない可能性が高い思いようになった。きちんと描けるなら描いてるだろうし、監督には無理だと思う。その上でエヴァは出来ないものはそれっぽく空白にしとけばファンが勝手に考察して想像して楽しんでくれるから、開き直って描いてないだけ。監督は25年かけても描けないものを描けるようにはならなかった。ピュアで傷つきやすく、作品が成功したために人間的に成長しなくても生きていけるようになった子供のままの人。それが痛いほどわかるのがシンエヴァじゃないか? 意味があるのかわからない考察をするなら、円盤をアマゾンで安く買えばいい。そもそも今回の映画、考察合戦する相手も少ないのでは。
監督とは反対に、声優は成長をひしひしと感じる人が多かった。声優の演技力にだいぶ助けられた映画だった。監督はそれに気がついただろうか。親子を多用するくせに父親も母親も描けないところに、それっぽい色を付けたのは声優陣だ。パンフのコメントは感慨深く読んだ。皆さんお疲れさまでした。緒方さん、宮村さん、山口さんは特にお疲れさまでした。シンジの声は最後まで緒方さんが良かったです。
貞本さんが参加されてなかったのは残念でした。彼の人間性とかは知らん。描く絵が好きだし、監督が投げ出したものを漫画版できちんと描ききったのを高く評価している。漫画版はキャラクターの心情もちゃんと丁寧に描いていたし、なによりきちんと完成させた。それが出来るか出来ないかが、本当のプロとアマチュアの差だと思う。貞本さんだってエヴァオタのいろんなものにさらされた人だったでしょうに、仕事を完遂した。傷ついたのは監督だけではない。エヴァの根本は監督の私小説だが、作品としてはたくさんの人の力で出来ているものなのだから、負の影響だって受けた人はたくさんいるでしょう。傷ついたからと膝を抱えて元気になるのを待ってても良いような環境にあった人は少なかっただけ。
公園にはアイスクリームを売りに来たソジュンと息子のハジュンも車で来ていた。
もう20年も前のことだ。
ドユンはソアはクラスメイトで、ドユンはソアが密かに好きだった。ドユンはソアを公園へデートに誘うために、何度もソアの家に電話した。
ソアには母親がいない。父親のウヌは自営業のためいつも家にいた。
ウヌは娘に言い寄る男に厳しかったため、ウヌではなくソア自身が電話に出てくれるまで、日を改めて何度もかける必要があったのだ。
やっとの思いでソアを公園デートに誘うことに成功し、その日は初めてのデートだった。
ソアとハジュンは家が近く、幼馴染で、仲がよさそうだった。せっかくのデートの邪魔が入ったとドユンはがっかりしていた。
ソアはアイスクリームを買いたかったが、ソアもドユンもお金を持ってきていなかった。
ソアがハジュンに相談すると、ソジュンなら午後も同じ公園にいるというので、ソアはお金を取りに戻った。
ソアと家が近いハジュンが、ソアを家まで送ろうとしないよう、ドユンはハジュンを鉄棒遊びに誘った。本当は一緒に遊びたくなかった。
しばらくしてソジュンに髪の長い女性が声をかけた。ドユンはハジュンに「お母さん?」と聞いたが、違った。
女性の名前はジウというらしく、ソジュンとジウはとても親密なように見えた。
子供を連れているわけでもなく、よく一人で公園に来てソジュンからアイスを買ったり、ただ話だけして帰ることもあるらしい。
二人がしばらく話した後、
ソジュンは教会に行くとハジュンに伝えるのをドユンは横で聞いていた。ジウはソジュンの車に乗り込み公園を去っていった。
ソジュンは公園から去る途中、家に戻る途中のソアに追いつき「今日は急用でアイスを売ってあげられなくなったけど、また来てね」と言った。
【イスラム教めぐる佐賀県内の不適切模試 教徒が受験 衝撃受ける】
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210204/k10012849051000.html
>「衝撃的でがっかり。イスラム教はテロを勧める宗教ではない」
いや、なにいってるの・・・普通にイスラームってテロを推奨してますからね(イスラム原理主義ではなくイスラム教自体の話)
「イスラム恐怖症」って単語があり、日本人はイスラム教徒を誤解している!みたいな言説が多いですけど、普通に誤解じゃないでしょ。
ここ読めば分かりますけど、「イスラム最高指導者が直々に暗殺を命令して」「謝罪も撤回もせず」「支援財団は数億円の懸賞金を立てて煽り立てる」って宗教なのに何が誤解なの???っていうね。
肯定的に思ってほしいなら少なくともこの件に謝罪してからの話ですけど、戒律からして不可能だから「誤解」が解けることは絶対にないです。