はてなキーワード: 躁鬱病とは
2000年頃より、うつ病ブーム、双極性障害ブーム、発達障害ブームという流れをメンタル業界は歩んできたわけだが、次は何が「啓蒙」されるのだろうか。
マインドフルネスとかデイケアとかスピリチュアルだとか、精神医学はいよいよ変な方向に向かっている気がする。
マインドフルネスなんて、100年も前に森田正馬が提唱していた概念そのものだろうに。
グレーゾーンな人々を最も的確に表していたのは神経衰弱や神経症という言葉だろう。
DSMから神経症が消え、何でもかんでも「○○障害」となったのにはどうしても製薬会社の陰謀を感じてしまう。
私の周りで、せっせと真面目に精神科に通って良くなった人は一人もいない。本当に薬が必要なのは統合失調症と古典的なうつ病と躁鬱病(今で言う双極I型障害)だけであろう。
鬱っぽくて色々な薬を試したがどれも効かなかったという場合は、性格の問題だと考えざるを得ない。根性論を主張したいわけではないが。
ダラダラ合う薬を探すのではなく、一定のラインで薬物療法に見切りをつけるべきだと思う。
家はそれほど裕福ではなかったが喧嘩はまったくない平和な家族だった。
当時、賃貸に暮らし商売がうまくいかなくなっていた親父とおふくろを呼んで同居することに
一緒に住みはじめて1年で親父は救急車で運ばれた
原因は栄養失調
しかし栄養失調の原因は酒で食べ物を受け付けない状態になったことだ。
病院に通うことになる。
当時の親父はまだ理性的だったし
僕も仕事が忙しく子どもが生まれたばかりでアルコール依存について勉強することもなく
お袋にまかせていた。
今考えれば
親父は1年間、断酒した。
今なら分かるがこれはとても凄いことである。
僕らも説得できず親父の意志にまかせることにした。
そこからは
を繰り返した。
次第に疑うようになった
躁鬱病で
徐々に上手く行かない全ての原因を自分ではなく
それを止めようとする僕に殴りかかってきた。
反省ができない
徐々に親父が壊れていく
子どもが大きくなってきて
おかしな状況を感じはじめる。
しかし、話合いは待ってくれと
色んな理由をつけて時期を伸ばされた。
ある日、トイレにワンカップが隠してあるのを見つけた
僕は腹が立ってその酒を捨てた。
次の日
親父がいなくなった。
おふくろに聞いたら
外で暮らす。といって出ていったそうだ。
1日に2~3回お袋に会いに来た。
このままどうなるんだろう?
家族は疲れ切っており
いっそのこと失踪してくれたらいいのに
など僕は考えていた。
ある夜、事件が起きた
深夜1時ごろ
玄関のドアが開いて
浮浪者のようになった親父が入ってきた
そしてお袋の部屋に入っていった
その後、暴れだし暴言を吐き
椅子をひっくり返した
家の回りを発狂しながら
荒らし始めた
家族はみな気が動転して
命の危険を感じた。
僕はカギを締めて警察を呼ぼうとした。
それよりも先に近所の人が呼んだ。
いきなり家に来て
「警察を呼んだのはだれだ!ぶっころしてやる!」
と言ったと思ったら
孫に向かって
「かわい〜ね〜」
と言ったり。
僕は家のカギを締め切って入ってこれないようにした。
夜中にいきなりドアを開けようとする音や親父の怒鳴り声が聴こえる。
みんな寝れないし常に緊張状態にあった。
その時僕はもう
おじさんが
「俺が話す、病院に連れていく準備しとけ」
と言って親父を探しに行った。
ただただ虚しかった。
家に連れて行くのは危険なので
車の中で親父を説得することになった。
おじちゃんがどんなに説得しても
親父は病院に行く事に納得しなかった。
話し合いの途中で何度も暴れて
逃げ出そうとした
と言われた。
説得してる駐車場に向かった。
しかし、車に乗った親父は動けなくなっていた。
兄貴は180cm80kg以上でずっと格闘技をしてたゴリラのような男だ。
親父は完全に固定されていた。
おじちゃんが
と言ったので
病院までの30分は
親父は僕達を罵倒し続けた。
家を買って
みんなで住んで
本人だけじゃないくて
お袋は親父をかばって嘘をつくようになった
僕は気付けば親父とお袋を常に疑い、監視するようになった。
仲が良かった家族がどんどん崩れていった。
入院期間の三ヶ月
どうなっていくか分からない。
親父と戦うのではなく
親父と共にアルコール依存と戦うための準備をしなければいけない。
【追記】
今回はじめて投稿してのですが、こんなに沢山ブックマークが付くとは思ってませんでした。
沢山のご意見をありがとうございます。
入院させてしまったあと、言いようのない気持ちを一気に吐き出してしまったため
いろいろな部分を端折ってしまったり説明不足な部分があったり、
今後同じような状況になってしまった人が少しでも参考になるようなことを追記したいと思います。
・嫁さんついて
嫁さんは僕には勿体無いくらい良い人です。元々両親とも仲が良く、同居の際もきちんと話し合って決定しました。
僕にとって彼女は全てを話せる妻であり、気の合う友人であり、優秀な仕事仲間であり、頼りになる母でもあります。
同居はじめてアルコール依存の問題以外にも色々な問題が起きましたが全て隠さずしっかり話し合って解決してきました。
逆に嫁さんに何かトラブルが起きたときは僕は全力で問題解決をします。
・こどもについて
相当近くにいかないと酒を呑んでいることが分からない状態でした。
ただ、躁鬱があり、落ち込むときはひどかったのですが
孫達と遊ぶことで元気になりました。
孫のおかげで躁鬱はかなり良くなったと思います。
親父がおかしくなってきたのはこの1年くらいでしたが
もし良くなって帰ってきた時のために
僕らも子どもたちと親父の距離感や説明については細心の注意を払ってました。
両親は貯金も年金もない状態で、雨漏りするようなボロボロの事務所だったので家業の売上もどんどん下がって
お金が貯まらないので広告もテコ入れもできない、毎月仕送りをしないと家計が回らない状態でした。
そこで、解決策として
親父は躁鬱を治すために何がいいかなと考え
僕のPCをあげました。
SNSで昔の友人と繋がったり
僕の友人と仲良くなったりで
とても充実した毎日になりつつありました。
家に帰っても不機嫌で中学生になるまでほとんど会話らしい会話をしてない状況でした。
状況は常に聞いていました。
説得されていました。
お袋の話を信じて、通院せずに自分の力で治すことに納得してました。
この1年間、沢山の本を読み、話を聞き、病院で先生の話を聞きました。
最初は変化が見えにくく
進行が進むと嘘をつくようになり
約束をやぶり
信じたいけど、本当かどうかわからない。
「否認」
です。
https://www.dansyu.jp/アスクヒューマンケア/
親父はこの否認がかなり強く出る傾向にありました。
頭が良い人なので、飲酒理由と環境を作るための理論武装が上手でした。
それは信頼関係が構築されていればいるほど見抜けません。
仮に見抜いて指摘をしても
家族に対して不信感を抱く段階にくると
そうなると強制入院か底付きで死にかける(もしくは死ぬ)結末が待ってます。
そういうときは警察に連絡して一緒に病院まで連れてきてもらってもいいと病院で言われました。
8月結婚をした、音楽を聴く時間が無くなった、とはいえポイントはなるべく抑えてる
という事で2017年、この混沌とした一年間の音楽をざっと見てみたい。
個人的には5月に体調を崩し、職場で血を吐き、休職、気付いたら退職→無職、誰も助けてはくれない。35でだ。
途方にくれてた俺は、精神科へ行き、安定剤と睡眠導入剤で毎日寝たきりの生活をし、栄養失調になる
恐らくうつ病も発症していただろう。人生で最悪な年だ、何もやる気が起きない、身体が動かない、このまま消え去り合い
1. Salve - Kid Fresino
これは彼の真摯な姿勢、音楽に真っ直ぐなプリミティブさを感じで心の底から感動したEPだ、MVも晴れたブルーの空でマッチしている
Kid Fresino、不思議な人だスマホを持たず、SkypeのみでNYから連絡し合ってたらしい。詳しいことは分からない。
ただこの時期は個人的にはこの曲を聴きながらマシンガンを持ってテロ一歩寸前のところまで精神状態がやられてた。
仕事が上手くいかず、落ち込んで自信を喪失していたのだ、彼らのMVの青空は眩しすぎた。
2. D.A.N. - SSWB
これが小山田米呂が出演してるということでMVを見た、オシャレ、TOKYOのライフスタイル、多分ハイプ、
必ず皆コンビニのクソ飯を食らい勢いのみでやってる。俺にはその印象
スチールパンの音を入れてるのは良いなと思うけど、Voが何を言ってるのかがまったくわからないし踊れないんだ。
おじさんがちょっとグッとこなかったよ、わりい
3.Diggin In The Carts : A Collection Of Pioneering Japanese Video Game Music (Original Game Soundtrack)
結局2017年にの音、これにつきるよ、おっさん世代には刺さるレベルはとしてコンパイルしてないのはkode9のインタビューから読み取れるが
何より素晴らしい音像、アーティスト性、レアグルーブ魂、ワクワクする、これは久しくなかった感情だ
何故イベントに行かなかったのか、それはキメてラリラリだったからだ、そんな時外になんか行くか!あとで死ぬほど公開
4. Hi-Standard - Gift
これは良かった、何より1曲目全てをふっとばすようなパワーがあるMVも良かった
だが、すぐ飽きるなメロコアの重要な欠点だ、何年かに1回聴く程度でいいが、ありがたい存在だハイスタというものは
VaVaちゃんの世界は中々良い、世代は離れてるがガチで話してみたい
何か受け流してる、世の中の事をサっと避けてる、だが期待してる、この先の希望を抱いてる
俺はこのやり方が心地良い、ライブも良かった、VaVaちゃんのセンスだけじゃなく、もっと仲間巻き込んで
混沌とした世界観を構築して欲しい、何故ならそれは20代にしかできない事だと思うからだ。
作品を残す、すごく大事だと思う、インスタ?自撮り?まあそれもいいが、表現活動が一番残るよね
6.PUNPEE - Modern Times
作り込みが一他のものとは一線を化す
Pの曲は安心するほど良いんだが夜を使い果たしてあたりから冷めてきていしまった、
ファンだから一生懸命探したよ良いとこ、いくつかあったけど、2回くらいしかアルバム聴けなかった
まあそんなもんかな、同世代だし、一緒に死ぬ年齢も同じだなと、その時の閻魔大王の前で並んでる時の姿楽しみだぜ
7.Keys open door ft.Campanella (Official Live )
これに尽きるかな
俺も所帯持ってそのわりに無職で何やってっんだ、クソだなー
この先いつ発狂してもおかしくないし、躁鬱病の気もあるしもうギリギリ、何が起こるかわからない人生
そうしようもない不安、何をすれば良いのか
気付いた、街のゴミ拾いする
俺は底辺だ
ゴミだ
罵倒してくれ
18歳くらいでなりというのも、その頃は病識もなく今思えば摂食障害になっていたんだなと思う。
その後ものすごい恐怖感が襲ってきた。
とんでもない物を食べてしまった。
これでは太っちゃう。
よし、一週間食べることをやめようと。
水だけで翌週は過ごした。
妙に達成感があった。
やれば出来るじゃん。
他は何も出来ないけど、これなら自信を持って他の人より出来ることだって思った。
その後、本格的に食べなくなり、53キロが25キロになり入院した。
入院ですることは、高カロリー輸液をIVH挿入して太らせること。
これがきつい。
摂食障害は太りたくないのに、治療は太らせること、命をつなぐことだった。
太れば痩せようとするので、三食の食事を付き添いの親の目を盗んで点滴をひきずりながらトイレに捨てに行かなくてはならない。
ベッドからほとんど起き上がれない状況なのに、捨てに行くことに全ての体力を奪われた。
なんとか大部屋に移動できたが、ここからがまたきつい。
摂食障害が入院するのは精神科で、同じフロアにいるのは当然精神領域の疾患を持っている人が多い。
躁鬱病、統合失調症、認知症などと同じフロアに摂食障害が入院する。
摂食障害が食べるのが怖くて、
「看護師さん、怖くて食べられません。」
と言うと、
「駄目です。食べてください。美味しいから。それだけじゃ太らないから。」
という回答になる。
いや、まずいから食べたくないとか、太りたくないから食べたくないのではなくて、食べることがすごい怖いから食べたくないんですよ。
というと、先生を呼ばれてでは薬を変えましょうかとか言って安定剤が追加されるパターンとなる。
こうなると、恐怖があっても誰にも言えないという感じになってしまう。
摂食障害がこの状況で健康保険でできることは、三食食べさせる事と行動制限。
私はこんなに食べてるのに痩せてるよという話を一日中話す。
すると、自分が食べるのが怖くなる。
みんなでその人の食事しているところを見に行って本当に食べているかを確認する。
実際には食べていなくて、ゴミ箱に捨てていたり、トイレに捨てに行ってたりするのを見つけたり、トイレで吐いていたりする。
ベッドでギッギッって音がずっとなっているのはほぼ筋トレしている。
大量の下剤を服用するタイプもいる。
本当にご苦労さんだねw
こんな事を24時間やらないといけないのがとても疲れる。
自分の好きなものも当然食えないから早く退院したいって気持ちもあるけど、退院したら痩せる食事しか選べないからまたいずれ入院することになる。
入院している間は、自分でご飯を選ばないで済むから安心だけど退院してご飯の選択が無理って思っちゃう。
スーパーでガリガリの子が、何時間もパンやヨーグルトのカロリーを見ながら厳選していたら100%摂食障害です。
何時間もかけて、このカロリーならきっと大丈夫!と自分に暗示をかけている状況です。
入院している間は万引きする心配がないけど、退院したらまたしちゃうんじゃないかっていう心配しか無い。
そっち系の摂食障害も結構いて、一緒に入院していた摂食障害の子が数日後万引きで捕まったと新聞で知ることもある。
犯行を侵さないための入院とか、退院したら自分でご飯を選ぶことが出来ないので入院しているって人がほとんど。
太ったら退院、痩せたら入院っていうのをかれこれ8回も繰り返してる。
普通の食事をするなんて、一生かかっても絶対に無理としか思えない。
多分それは病のせい。
僕が患っている病。双極性障害。
躁鬱病と書くと狂人のように激しい感情の起伏を催すように思うかもしれないが、僕の場合は双極性障害“二型”だから激しすぎる起伏は無い。
症状のほとんどはうつ状態として現れる。長い長いどんよりとしたうつ状態が続き、時々、本当に時々、些細な躁状態になることがある。そんな病。
僕もこの前までは、うつ病だと診断されていた。
でも幸いと言うべきか、ほんの少しの期間だけ発症する躁状態がたまたま出てきたおかげで躁鬱病だと正しく診断されることができた。
うつでも躁でもない、普通の状態というのがどういうものなのか。
エネルギーがなく気持ちも塞ぎ込んでいる時は「うつ状態」。それは解りやすい。
エネルギーが満ち溢れていて気持ちも前向き。これも「躁状態」だと解りやすい。
けれど、エネルギーはそこそこあるけど気持ちが塞ぎ込んでる時もある。
そしてこれは多分「軽いうつ状態」ということになる。
では、エネルギーがそこそこあって気持ちが前向きになっている時、これはなんだろう?
いやこれは「軽い躁状態」なんじゃないのか?
そう考えると「普通」って一体なんなんだろうかと思えてくるのだ。
実は人間はみんな躁鬱病で、人間の状態には「うつ」と「躁」しか無いんじゃないか?
死にたいと思うことだって、特別なことではないように思う。誰だって一度は死にたいと思ったことがあるだろう。
何が「普通」で、何が「異常」なのか?
その線引きは一体誰がどうやって決めてるんだろう。
僕がまだ思春期だったころから、ときどき気分が上下するときがある
鬱っぽい気分のときはあまりキッカケがなくて、とにかく何もやりたくなくなる
出社するのは億劫で、昼飯は他の社員と話したくないので、弁当を買って一人車のなかでたべてる
定形の仕事以外は本当に苦痛で定時で帰れるように最大限の努力を重ねて、定時で速攻帰ってる
帰宅しても何もやる気がなくて、ぼーっとPCで増田とか掲示板を見て眠くなったら寝るという生活に自分でもうんざりしているけれど止められない
一番つらいことは、趣味の読書に対するやる気がなくなって「何をしても無駄」という気持ちでいっぱいになる
なんで生きてるんだろうって本気で悩むし、どうせ皆死ぬんだっていう絶望感に包まれる
しかし、無気力でもこんな感じの状態が3日〜2週間くらい続いて、突然気分が晴れて普通の気分になるときもあるし、躁転することもある
頭痛がして耐えられなくなって頭痛薬を飲んで昼寝すると、躁っぽくなる
躁っぽいときは朝目が覚めるのが目覚ましより早いし目覚めが最高に良い
会社に行くのが楽しみで、クリエイティブ系業務のアイデアが山のように生まれる
仕事が楽しいのでガンガン進むし、疲れをあまり感じないので少し残業もする
こんなときは誰に会っても物怖じしないし、他人の意見を積極的に聞きたいし、意見も言いたい気分になる
誇張なしで「世界のすべてを知りたい」というおおらかな気分になる
こっちの躁っぽい感じは3日くらいしかつづかなくて、1周間はつづかない
躁っぽい状態は大学生くらいのとき、とくに夏休みに頻発してたけど最近は年に4〜5回しか体験できない
鬱っぽい症状は昔と頻度は変わらず月に1回くらいある
躁鬱病というにはちょっとマイルドすぎるんだけど、自分に制御できない気分の上下に悩んでいる増田いる?
躁っぽいときの僕と、鬱っぽいときのぼくでどちらが本当の自分なんだろうって思う?
会社では平常心を装ってるけど、気分が沈んでるときは誰とも話したくないし、気分が良いときははっちゃけたくなる気持ちを押さえてる
みんなどうやって対策してる?
差別とはその対象を構成する何らかの身体的特徴,性格,出自,思想,その他肉体/精神を問わない何らかに対しそれをあげつらうことだとする。
一方,区別はその対象は同じだが,そこに線引きをする,ということに差別との違いがある。
たとえば,遊園地におけるアトラクションの身長制限は安全上の「区別」であり,これを「差別」と捉える人はまず居ないだろう。
また,男女でトイレを分けることも,身体的特徴からくる排泄行為の違い,及び盗撮などの各種犯罪行為を抑制するための「区別」と捉えることができる。
しかし,差別と区別を分ける本質的な線引きは存在しない。なぜなら,何らかの発言や措置をどう捉えるかは個人によって大きく異なるからである。
たとえば,(文脈にも依存するが)「バカ」と言われて喜ぶ人もいれば,烈火の如く怒る人もいる。電車やバスにおいて席を譲るにしても,
「私がそんな年寄りに見えるか!」と怒る人は少なからず存在する。
では,なぜ男女でトイレを分けることが「区別」で,人種によってトイレを分けることが「差別」とおそらく一般には広く認識されているかと言えば,
それは圧倒的多くの人,つまり世間がそう考えているからに過ぎない。世間や時代が変わればその境界は大きく揺らぐだろう。
たとえば低身長でも完全に安全なアトラクションが導入されたとして,そのアトラクションに対し「120cm未満の身長のお子様はお乗りになれません」という
ルールがあれば,119cmの兄は121cmの弟を逆恨みし,これは差別だと断じるだろう。
ここで重要なのは,ある発言を「差別」と受け取るか,「区別」と受け取るかはそれを言われた本人にしか決定できない,ということにある。
つまり,「ヘイトスピーチ」が世間を構成する人の殆どが差別的だと捉えたとしても,「ヘイトスピーチを行う人は差別主義者である」という発言を
ヘイトスピーチを行う人がその発言は差別だと認識する限りにおいて,「差別は常に行うべきでない」という前提があるのであれば,
「ヘイトスピーチを行う人は差別的」だからと言ってそれを「差別」することはできなくなる.ここにパラドックスが生じる。
これらから導かれる1つの思想は,「他者に危害を加えない限りにおいて,あらゆる思想や言動は許されるべきである」という自由主義的発想である。
この思想に従えば,「他者に危害を加えない限り」ヘイトスピーチも,反ヘイトスピーチも共に許容されるべきである。
ここで,「他者に危害を加える」ということがどこまで含むかをよく考える必要がある。
仮に,「反感を覚える」ことまでも「危害を加えられた」と定義する場合,反感を覚えるかはやはり主観によるため,
原理的にあらゆる思想・言動を規制することが可能となる。従って,ノイローゼになったとか,躁鬱病になったといったような
より別の基準を設ける必要があると考えられる。ここにはまだ議論の余地がある。
そもそも,なぜ議論が必要かというと,人間の発想・思想は不完全であり真理ではない,という理由が挙げられる。
従って,あらゆる批判を相互に許し,良いところは伸ばし,悪いところは修正を図ることで真理に近づくことができる,というのが
自由主義の考え方である。しかし,自由な批判を行うためには論理的な思考能力,互いの尊重,感情的発言の極限までの抑制などが
必要となる。それらの能力はどこでどのように身に付けるべきなのか。
義務教育において教え込むことで,非常に長期的視野に経てば数世代交代する頃には「大多数」がそのような能力を身に付けることが
可能になると考えられるが,そもそも,論理的な思考能力を身に付けるべきというこの自由主義的発想そのものも常に正しいと言えるのか,
批判の対象でなければならない.そのような対象を義務教育によりある意味では洗脳のように教え込むことは,所詮は多数派による
現体制の維持に繋がる行為であり,自らその必要性を強く感じ,そのような能力を獲得することが望ましい。
しかし,その必要性を感じるには,論理的思考能力が必要である。それはどこで身に付けるのか。
最近,このようなことをずっと考えている。
2017/04/14 10:52 Typo修正.劣化版ミルというよりも完全にミルの考えそのもの。
2017/04/14 10:52 ミルは『自由論』において多数派が小数派を多数決で圧殺することを無効化するため,
立場によらず,是々非々で相互批判を可能にするために「他人に危害を加えない範囲であればどのような自由も許される」という原則を提示している。
ただし,この前提として「分別がある」ということを挙げ,子供と発展途上国はその例外だから教え込むしかないと言っており,
この前提はたしかに現実的な前提ではあるものの,私は懐疑的立場を取っている。
「分別」はどこで付くのか.たしかに小学校の頃はないとしても,大学生ならついていると言えるのか。高校生はどうか?
また,この自由主義が「多数派」にもしなったとき,教育によりその体制を維持するというのは自由主義による「圧政」ではないのか?
2017/04/15
追記した。またね
というのも、何人か、躁鬱病を自分で言ってて、それでも普通に医者やってる先生いるから。
ただ、実際に診断されたことが後々何かに響いてくるとかあったと思ったんですが、なんだったか……
診察とかは、何とか普通ですが。
今ものすごく弱っていて、誰かと話をしたいのに。こういう時に話をできる友人が僕には1人もいない。ちょっと死にそうになっていて、誰かと自分が今何をしたいのか何をしなきゃいけないのかそういうのを話したい。
いや違う、そういうのではなくてただただ楽しい話をして元気を出したいんだけれども、僕にはそういう話ができる友人がいない。まるでいない。楽しいことがわからない、誰かと共有できる楽しいこと。創作が好きだったけど、今は創作自身が苦痛で、物語が好きだったけれども、今は物語のことを考えたくない。
美味しいものを食べに行くと言うことも楽しみではない。友人と共通の友人の話をしたりして、どうでもいい話をして人は自分のしんどいことやそういうことをごまかしたりするんだろうけれども、そもそも友人がいないので僕には共通の友人と友人の話をするということができない。
毎日を生きる上で、やらなければならないことがたくさんあって、家族の上で、家族が嫌うので、そーゆー人間関係を、全部断ち切ってきた。そのツケがいままわってきてるんだけれども、その時は家にどういう選択肢があったのかわからない。生きているのはもうそれだけでしんどい、誰かに助けて欲しいと思うけれども、助けてくれる誰かいない。
いのちの電話に電話してみたけれどもずっと話し中でつながらなくて、あーこういうものって全く役に立たないなぁって思った。
何もすることができない。体中からエネルギーが抜けてしまって、頭の中で、これから作るもののイメージやディティールが、全く像を結ばない。昔はできたのに。
昔はできていたことがどんどんできなくなる。年をとっていると言うこともあるんだけれども、やりたいことや欲しいものを我慢して我慢するのも疲れるので、心の中からそういう願望そのものを削り取って、何も感じなくなるようにしてやりすごした結果こんな感じになってしまった。
人が何かを作るときや行動するとき、新しいことを始める時、それ以外でも何かはがんばる時に必要な事は欲望だと思う、それはそのやらなければならない事とつながってなくてもいい。何か欲しいものやりたいもの、そういうのがあるからこそ人は頑張れるんだと思う。
昔は、やりたいことが、あったはずなのに、今はもう、思い出せない。パソコンの奥にいくつかメモがある。やりたいことの企画やしたい事のリストにもならない残滓。でもそれを見ても、今の自分には、それが一体何なのか、理解できなくなっている。
疲れた。本当に疲れた。本当に休みたい。休みたいけれども、やらないとならないことがたくさんあって、休むことができない。休むことができないけれども、そのやらなければならないことが、力が全然入ってこなくて、やることができない。
生きるのがただ辛い。ずっと辛い。この10年間ずっと辛い。朝起きたら偶然死んでないか、そういうことを望んでいる。死ぬと困る人がたくさんいて、死ぬこともできない。でも生きるためのよすがが全くどこにもない。
欲しかったものが思い出せない、何かのために頑張りたいけど、その何かがどこにもない。誰かに〇〇のために頑張れと言われて、それは世間一般的にとても正しいことなので、本当に自分のしたかった、多分、世間一般的に見て、正しくない歪んでいる事、誰かを傷つけること、そういうことを、自分の中から追い出していた結果、いつの間にか、空っぽになってしまった。
偽物の願望は、やっぱり偽物で、頑張れば頑張るほど、どんどん虚しくなっていく、疲労だけがたまる。折れそう。
10年間患った鬱は結局直らなかった。双極性障害、つまり躁鬱病の二次障害としてのうつ病で、また、もともと発達障害の部分があり、つまり生きるのが辛い、普通に生きてても、社会との軋轢がすごいあって、ただただ削れる。
ただ、小さい頃からそんなふうにずっと削れていたので、そんなふうに削れて辛いのは当たり前のことだと思ってた。辛いのにもうきついのにも慣れていた。
も慣れるのと、体が耐えられると言うのは全く別のことで、大人になって会社に勤めだして数年が経った時に、倒れて動けなくなってしまった。
ずっと生きるのがきつくて、もう、高校生ぐらいから、ずっと朝起きたら死んでいたらいいのにと思っていた。だから倒れてこのまま死んでしまいてたらそれでいいと思っていたけれども、当時恋人がいて、恋人が悲しむし、家族も悲しむので、死ぬわけにはいかなくて、なんとかすごくきついの耐えて頑張ってる、そろそろ限界だけど。
それから結婚して、子供ができた。子供作った理由は、子供がいれば、自分が死んでも死んでいなくなっても残った人間は、自分のかわりに子供を糧にして、生きていけるだろうと思った。とりあえず自分がいなくなっても何とか持っていけるようにしたかった。自分がなくなって大丈夫な状態を作りたかった。
結局失敗して、子供の分、さらに生きて行かなきゃならなくなったし、お金も育児をしている分だけ働ける時間が少なくなって、厳しくなった。働きたいけれども働けなくなった。本当はお金を貯めて自分がいなくなる分の先の分をなんとかしたかったけれどもどんどんどうにもならなくなっていく。
借金を返すために働けば働くほどなぜか借金が増えていく、吉原の風俗嬢みたい。または昔の遊女とか。
働きたくても、働く時間が作れない。いくらか仕事の企画やアイディアしたいこともあったけれども、そーゆー部分にさく、時間や精神的なメモリの余裕がなくて、できないタスクに、ずっとメモリの1部を使い続けているわけにはいかなくて、自分のしたかったことを削ったみたいに、そのアイディアやそれを必要とするための脳の機能、考え方、その他必要なアプリみたいなものも一緒に削ってしまった。そうしないと育児ができなかったから。
自分のような、アスペルガー気質、いや、アスペルガーの人間にもいろいろいるから、これは自分自身だけの問題で、自分には育児が、本当に大変だった。能力的にものすごく厳しかった。連続して長い間ひとつのことに集中せずに、いろんなことをマルチタスクで集中してみると言う事はものすごく疲弊する。子供を育てると言う事は、ものすごくマルチタスクの能力と判断力を要求される。睡眠時間を取らないとものすごく判断力が鈍るけれども、子供は夜中に起きるので全く寝ることができない。予定を組んでも必ず子供が風邪をひいたり急な病気になったりとして絶対に予定通りにはいかないんだけれども、自分の特性として予定通りに物事が運ばないとものすごくダメになる。その後計画していた予定すべてをする気力をうしなってしまう。気合でどうにかできるものではないと言うことをこの10年で思い知った。
若いうちは若さとかエネルギーとかそういうので無理矢理自分の気質を捻じ曲げていたのだけれども、結局それによって削れてしまって倒れてしまって、それからはもう、本当に無理が効かないようになってしまった。
ただ育児は無理をしないとどうしようもない。もっと自分を削って行かないといけない、自分の欲求や自分を形成している1番大事な部分、そういう部分のタスクを削って育児に、割いて行かないといけない。もともと他人との生活が難しくて、人と暮らすと言うことで削れていっていた分がますますひどくなった。
死にたいって思ってるずっと。それが無理ならせめて1人になりたい。
自分のこういうような性質。何かをするエネルギーが外から持って来れなくて、限界を超えたときに、そうやって自分自身を削れば何とかなると言う性質、マルチタスクができなくて、すごく集中すれば人と会話をしたり子供と楽しく生したりはできるけれども、それがものすごく体力を使うことだということが妻にもわかってもらえてなくて。
少し前のテレビ番組であったらしいんだけれども、発達障害のピアニストの人が、生徒に教えるとき、いつもはのだめカンタービレの主人公のようにふわふわとしているのが、ものすごくしっかりとした、音楽の先生のようになって教えていたと言う。ただ30分が限界でその後はばったりと倒れこんでしまうと言う。
自分も同じで、無理をすればできる。無理をしないとできない。その2択なのに、できる範囲でとか、困る。後で倒れるならやめてと言われてもどうしても倒れてしまう。それ以上頑張ろうと思ったら、自分の精神自体を、削っていくしかない、削ったら何とかなる。だから何とかしてる。そういうことをずっと小さい頃からやってきて、でもそろそろ本当に限界みたいだ。
多分これを読んでいる人は、これが一体何を書いているのかほとんどわからないと思うけど、何か生きづらい人がたくさんいるはてなだったら、何人か分かってもらえると思う。
もう無理がきかなくなってきていて、大体1年位前からで、頭が何かを考えることができない。手癖のようなもので、仕事をしているけれども、どんどん質が下がっていく。今作っているものはとても商品になるものではないと思ってる。でもそのクオリティを上げることができない。ディティールが想像できない。
がんばらないといけないんだけど、気力だけではどうにもならない位の力がなくなってしまっていて、気力自身も振り絞るのが難しい。
失敗した、僕は失敗した。僕が失敗した。
最近以前に比べ、心がだいぶ落ち着いて来たので、自分がなぜこんな人間になってしまったかを、ためしに少し文章にしてみる。
ただただ吐きたいので、内容が支離滅裂になったり、とても言葉足らずであったりするが許してほしい。
なぜこうなったかまとめてみると、考え過ぎで人とかかわらなかったからだと思う。
昔から両親は仕事が忙しく、家にはあまり居なかった。その割には家にお金は無く。ほしいものを言葉にしてもかなわない。
昔からこんな家庭環境で育って、人と関わったとしても、周りの人間にも好かれないだろう。そんなことをぼんやり思っていた。
誘われて遊びはするけど、他人の顔色ばかり気にしすぎて、いつしか無難なことしか話せなくなった。
こんな思考をする人間であるから、小中学生のときには、多少いじめられることもあった。
殴られたり、机に落書きされたりしたが、悔しいと言うよりは、
なんでこんなことになってしまうんだろう。
やった人は何を考えているんだろう。
意味がわからない。やはり自分にとって人と関わることがおかしいのかと思っていた。
高校では人間関係が一掃され、いじめなどということは無かった。
しかし、進路を考えると自分は何者になりたいんだろうという考えが頭の中にこびりついて離れなくなり、ついには不登校になってしまった。
なぜ幸せになれないんだろうと思ったり、うまく(適切な表現が見つからない)生きている他人とは何が違うのかなど、ひたすら考えていた。
その後精神科に通い、今まで人に言えなかった本音を話したり、薬を飲んだりして、禅問答をすることが少なくなった。
勉強はできないわけではなかったので、それなりの大学にはストレートで進むことはできた。
ここでも人間関係は一掃され、精神科に行ったことにより気持ちが少し楽になった。
不登校期間の悩みは人と関われば解決すると思えるようになり、少しだけ外交的になれた。
そこでできた友人に自分のことを話してみると、
「他人というのは完全には理解できない、いままでのことなんてそこまで気にしなくてもいいんだよ。」
と言われ、たしかにそのとおりである、自分は何に悩んできたのだと思えるようになった。
精神的に良い方向に向かっているとは思うが、振り返って20年、このような思考を送って過ごしてきた時間と言うものは二度と戻ってこない。
もうこの1年以上
・離婚
・友人の裏切り
・転職失敗
・借金
と思いながらもどんどん状況は悪くなり
その反動でまた傷つき
昔いた会社の同年代は皆家族を築き、家を買い、仕事を逓増させ、半面ゴミクズのような自分を見て情けなくなり
任意整理して前に進もうとしても
また今日体と心がとことん苦しくなり
ただひたすら死にたくなり
休職しているときに家で寝るしかないあの生活は恐ろしすぎてつらすぎてもう絶対にいやだと
いま辞めたら土方やるしかなくなると
怖くて、死にたくて、つらくて、消えそうで、死にたくて、苦しくて
どうしたらいいか
そう思います
人間ってなんだろう
何を信じたらいいのかわからない
そう思います
楽になりたい
消えてしまいたい
誰も私なんて必要としていないんです
かつて自分を囲んでいた人たちも
好きでいてくれた人も
全部去った
なんで僕だけがここまで不幸にならないといけないんでしょうか。
という病気があることは知っていた。
だってあれじゃん、ようするに躁鬱病でしょ?躁の時はすごい多幸感とか誇大妄想とかが症状として出て、結果莫大な借金したり人間関係が破壊されたりするやつだよね、作家だと北杜夫とか中島らもとかあの辺の人。そういうイメージ。
でもある時そういう世間的によく知られている典型的な躁鬱病ってのは双極Ⅰ型っていうやつで、周囲の人間にあまり影響を及ぼさない軽躁状態の症状が出る双極Ⅱ型ってのがあるのを知ってあれって思った。あと躁状態って単にハイになるだけじゃなくて不機嫌になったり、攻撃的になったりする場合もあるらしい。
あのさ、道歩いてるとたまに変な文句ぶつぶつ言いながら道行く人に因縁つけたりするヤバい年寄りとかいるじゃん。私あの手のじいさんやおっさんと怒鳴りあいとか掴み合いになったことが何回かあんのね。ほら、ああいう人ってさ、弱そうな人狙うからさ、わたしみたいな一見大人しそうな人間から口汚い言葉で罵られたあげく胸ぐらつかまれて引きずり回されたりするとすげえびっくりして狼狽えるわけよ。その狼狽えた間抜け面見るとすごくテンションあがるのね。
で、そういう小競り合いしたあとはめっちゃテンションあがってなんでもできんの。
なんか多分人格障害かそれでなかったら複雑な性癖の発露だったりすんのかなーと思ってたんだけど、そもそも喧嘩売られなきゃ私は何にもしないし警察沙汰になっても頭下げるだけですんだしまあ病院行くほどじゃないだろうと思ってた。
でも他にもⅡ型の症状に合致する部分があったので精神科行ったらデパケンとかいう気分調整薬が処方された。
飲んでたら私びっくりするほど穏やかになったよ、上の立場にいる嫌な人にも楯突かず上手くいなせるようになった。
結果仕事が続くようになった。
私こんなだから職場でも対人トラブル起こして仕事長続きしたことなかったんだよ、そういうこと続くとさ、もう働くのやだ、引きこもってようって当然思うわけじゃん。でも引きこもるの3ヶ月が限界なんだよ、だって飽きるじゃん。
よく考えるとこの引きこもるのに飽きるってのも軽躁状態の為せる業だったのかもしれない。
まあとにかく性格上のことだから直ることがないだろうと思っていた自分のキチガイぶりが薬一つで収まって驚いてる。人間の脳って不思議だね。そんだけ。