最近以前に比べ、心がだいぶ落ち着いて来たので、自分がなぜこんな人間になってしまったかを、ためしに少し文章にしてみる。
ただただ吐きたいので、内容が支離滅裂になったり、とても言葉足らずであったりするが許してほしい。
なぜこうなったかまとめてみると、考え過ぎで人とかかわらなかったからだと思う。
昔から両親は仕事が忙しく、家にはあまり居なかった。その割には家にお金は無く。ほしいものを言葉にしてもかなわない。
昔からこんな家庭環境で育って、人と関わったとしても、周りの人間にも好かれないだろう。そんなことをぼんやり思っていた。
誘われて遊びはするけど、他人の顔色ばかり気にしすぎて、いつしか無難なことしか話せなくなった。
こんな思考をする人間であるから、小中学生のときには、多少いじめられることもあった。
殴られたり、机に落書きされたりしたが、悔しいと言うよりは、
なんでこんなことになってしまうんだろう。
やった人は何を考えているんだろう。
意味がわからない。やはり自分にとって人と関わることがおかしいのかと思っていた。
高校では人間関係が一掃され、いじめなどということは無かった。
しかし、進路を考えると自分は何者になりたいんだろうという考えが頭の中にこびりついて離れなくなり、ついには不登校になってしまった。
なぜ幸せになれないんだろうと思ったり、うまく(適切な表現が見つからない)生きている他人とは何が違うのかなど、ひたすら考えていた。
その後精神科に通い、今まで人に言えなかった本音を話したり、薬を飲んだりして、禅問答をすることが少なくなった。
勉強はできないわけではなかったので、それなりの大学にはストレートで進むことはできた。
ここでも人間関係は一掃され、精神科に行ったことにより気持ちが少し楽になった。
不登校期間の悩みは人と関われば解決すると思えるようになり、少しだけ外交的になれた。
そこでできた友人に自分のことを話してみると、
「他人というのは完全には理解できない、いままでのことなんてそこまで気にしなくてもいいんだよ。」
と言われ、たしかにそのとおりである、自分は何に悩んできたのだと思えるようになった。
精神的に良い方向に向かっているとは思うが、振り返って20年、このような思考を送って過ごしてきた時間と言うものは二度と戻ってこない。
自分はこれから何をしたらいいのだろう。誰か教えて欲しい。 すき家でバイト
自分も同じように20歳のころ躁鬱病を患い檻とトイレのある病室に入った。 その後四苦八苦しながら人間世界になじもうとしている。 人間に出来ることは今を感じることしかできない。...