はてなキーワード: 稽古とは
わいもこの嫁さんと同じようなことをわいの嫁さんにやってる(やってた)
具体的には、嫁さんがすぐ被害者ぶるのでこっちも被害者ぶるようになった。
事例をあげると、
・「家事も何もしてくれない!」って喚くのでこっちも「家事も何もしてくれない!」って喚くようになった
・やりたくないことがあるとすぐ「こんなの難しくてできない!むり!」で終了させるのでこっちもやりたくないことがあったら「こんなの難しくてできない!むり!」で終了するようになった
・少しでも気に入らないことがあったら機嫌が悪くなってスネるのでこっちも少しでも気に入らないことがあったら機嫌悪くなってスネるようになった
・ちょっとでも批判めいたことを言うと「私のこと馬鹿にしてるんでしょ!」ってブチ切れるのでこっちも少しでも批判めいたことを言われたら「私のこと馬鹿にしてるんでしょ!」ってブチ切れるようになった
・ちょっとでも何かぶつかったら「いたいっ!!!!ひっどい!!」って喚くのでこっちもちょっとでも何かぶつかったら「いたいっ!!!!ひっどい!!」って喚くようになった
これら、私は本気では(本心では)やってない。ただ、嫁さんの態度をマネてやってるだけ。
これをやり始めてから嫁さんは自分の有害な女性らしさをだんだん自覚し始めて、いまでは全くやらなくなった。
たまにおどけて、有害な女性らしさを発揮する嫁さん、のマネをする私のマネをされることはある。
それに応えてこっちも有害な女性らしさゴッコをやることもある。
この手法を発見する前は、こっちもムキになって怒ったり、なぜそれが恥ずべき行為なのかを理屈でクドクドと説明した期間が長かったが、まったく効果がなかった。
ふとあるとき「泣いてる子供を泣き止ませるには、泣いてる子供の映像を撮って子供に見せればいい」という児童福祉関係の人の言葉を思い出して、嫁さんの言動をミラーリングするようになった。
自分の悪い点を抽象化されて言語的に説明されてもダメージ受けないけど、実際の言動で反撃されるとダメージ受ける。しかもそれが過去の自分の言動に起因するので反省パワーが上がる。
最近は嫁さんも私の悪い言動(「んあ〜〜」とか言ってすぐとぼける、自分勝手な振る舞い、先延ばし癖)を演技して教えてくれるので、すみませんでしたって謝罪する事が多い。
また、嫁さんのポジティブな言動もミラーリングするようになった。
例えば、男性は基本的に女性みたいに「わあ!」とか「ありがとう!うれしい!」とか「これおいしいね!」とか、感情を大げさに表現しないが、
そこは恥ずかしさを忘れて、あえて「わあ!」とか「ありがとう!うれしい!」とか「これおいしいね!」と嫁さんのマネをする。
すると、それがとても嬉しいみたいで喜ばれることが多くなった。
正直な話、こっちの中にはそこまでの感情は無いんだが、相手(異性)は異星人みたいなもので、ほぼすべてのSFで惑星間コミュニケーションは基本マネから入るように
「そういうもんだ」と納得させてやってるけど、このしっぺ返し戦略はうまくいくっぽい。
夫婦関係の問題の解決は、相手との同調と同期を取ることがコツっぽい。
追記¹
嫁さん曰く
「女はただ女であるだけでヨシヨシされて育ってくるので反省する機会が無いまま大人になってしまう」
「感情的に喚けば周りが解決してくれるので、そのような習慣が形成されてしまう」
「クリィミーマミみたいにやりたくないことは「イヤ!」の一言で強制終了させられるのが女」
とのこと。
(クリィミーマミは最近の昭和再評価みたいな流れから話題になって配信かなんかで一緒に観た。)
女も男も成長過程で普通に怒られが発生して社会生活では一人前の大人になってたとしても
子供の頃に家庭内だと甘えが通用した経験が深く刻み込まれているので、夫婦関係だと家庭内なので甘えが再発して子供っぽくなってしまうんだと思う。
確かに主語がでかかったし、「家庭内では」と限定したほうが良かった。
私も家庭内だと子供っぽくなって報連相を怠るとか自分勝手な行動するとかしてしまう。)
追記²
こっちの中に感情がなくても、嫁さんの言動をトレースすることで、ある程度相手の感情も理解できるようになったよ。
自分にこの感情のモチーフがなくても、この感情がポップしてくる合理性とか過去の出来事とかを思い出せるようになる。
そして、この被害者ぶることによって相手を悪者に仕立て上げる手法の巧みさにも気づいて、畏れ入った。
なんつうか、本当に最小限の言葉だけで最大の効果が得られるの凄いよ。被害者ぶる言動のマネは絶対にやってみた方がいい。面白いくらい強いから。
理屈じゃなく直感でこれをやってた嫁さんをある意味で尊敬してる。
追記³
これ単純に軋轢を生んでるだけだと思う。妻は夫に本心を聞いてもらえず、表面上は仲良く振る舞うようになっただけじゃないの。妻の気持ちに寄り添わないかぎり、将来的にしっぺ返しを喰らうのはあなただと思うよ。
みたいに心配されてるので。
この手法は嫁さんには内心はかなりウザがられてると思うけど、毎日嫁さんからチュウチュウしてくるし、こっちが悪いことをしたらそれはそれでやり返されてるので、しっぺ返しはすでに受けてるしあまり心配してない。
単純に被害者ぶる言動のマネをやりまくると被害者感情がインフレして価値暴落してバカバカしくなってくるんですよ。
そうするまねっこどんどん的な遊びに変化してきて、お互いに「ある感情」とか動物とか出来事とか擬音とかのマネをお互いにリクエストするようになって、いろんなモノになる遊びをやるようになってきた。
うちがたまたまそうなっただけかもしれないけど、自分以外の何かになる演技をやることによって、自分の言動を相対化する効果があるんじゃないかって気がする。
不満を感じてるならちゃんと真正面から向き合って伝えればいいのに、相手の真似をして馬鹿にするような方法はやめましょう、気持ちが離れるだけですよ、って話をしてるんだけど…...
最初は真正面から向き合って、ぶつかり稽古しまくって、結果お互いに爆発してたんですよ。だけどあまり得はなくて。
嫁さんのマネをするようになってから、嫁さんと同じ方向を向けるようになったと思います。そのほうが得られるものが大きかったです。
嫁さんも粗野な私の姿をマネしてくれますが、反省もするし、私のことを見て理解してくれてるんだろうな、と嬉しさもある。
注意
この手法をやるときは、敵として撃退しようとするんじゃなくて、相手と同じになってみようって気持ちが大切だと思われ。
相手のカタチを変えようとせず、まず自分のカタチを変えてみる経験としてやってほしい。
被害を受けて悲しむ感情を茶化すようにはして欲しくない。それは相手への侮辱だから。
そうじゃなくて、一時的にでも、本当に悲しい気分になってみてほしい。そうすると分かることもある。
市川猿之助さんを追い詰めたのは誰か。
もちろん未だにゲイを面白おかしく報道する日本のマスメディアとそれに扇動され好奇の目で芸を消費する日本社会それ自体だろう。
猿之助さんは独身の成人であり、どのような恋愛や性愛を楽しんだとて余人に後ろ指を指される筋合いはない。
共に舞台芸術を作り上げる人の輪というものは一種独特の熱をはらむもので
稽古上がりや打ち上げの際にアルコールも入れば一般人には馴染みのない関係性も生まれる。
もちろんそれが嫌だったという人の声は聴かれなければならないが
殊更に猿之助さんだけ悪辣な加害者として面白おかしく書かれる必要があったか。
猿之助さんが痛ましい自死を図った原因は遺書を読むまでもないし
何度不倫をし家族を裏切っても社会から許され続ける人間が梨園にはいくらでもいる。
中年になっても老人になってもセックスの相手に事欠かない理由はきっと肉体的魅力だけではない。
彼等のケースでも明らかに知名度や社会的パワーや金銭が背景になっているのに、
それをハラスメントと呼ぶかどうかは暗黙の社会合意によって極めて恣意的に運用されている。
未だに同性婚を認めるの認めないのという地点で議論をしているような日本だ。
伝統芸能を背負って立つ猿之助さんは特定の相手と会いを育むことも家庭を持つことも出来なかった。
寂しさに負けず仕事の場にパッションをぶつけたりクローズドな営みを持ったりしていても結局はこのように晒され自死を決意するところまで追い込まれてしまう。
「〇〇ハラスメント」だ「加害者」だ「被害者」だという口実は沢山作るが、
つまりは男が男を愛したというその一点を問題としていることは誰の目にも明らかだろう。
俺はサンクチュアリといえば史村翔原作池上遼一作画の傑作コミックの印象しかなかったので、サムネのお相撲さんを見てサンクチュアリってそういう話だったっけなーと思ったらネットフリックスオリジナルドラマだった。
身体がデカい不良が角界にスカウトされて、昔懐かしの「かわいがり」とかをうけながらも持ち前の運動神経で勝ち進んでいくんだけど相撲へのリスペクトは一切なしで稽古も軽んじる。しかし哀しき過去を持つ相撲取りと友達になったかと思ったらそいつに土俵の上で死ぬかと思うくらいボコボコに負けて張り手恐怖症になってなんやかんやあって復活して真剣に相撲取りになるぞ!と性根を入れ替えて、ボコボコにしてきた相手と再対決だ!終わり!
みたいな感じの話。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
俺の中で相撲漫画の傑作と言えばバチバチなんだけど、それには遠く及ばんかったな。
借金で店を手放してからは気力もなくなった主人公の父親が交通事故で植物状態になったり、出てった母親はクソビッチだったりっていう展開は正直ノイズだなと思ったし、もともと政治部の記者だったけど上司に裏切られて相撲担当に変えられたヒロインが”時代に沿った”ジェンダー論や相撲のあるべき論を語るのはくっせぇ!と思ったし、主人公の財布盗むキャバ嬢は結局なんやってんって感じだし。部屋のメンバーもなんか、こう、キャラが濃いのか薄いのかはっきりしない。
相撲を中心にした人間ドラマ感を出してはいるけど、どれも味付けとして濃いわりに後味すっきりしない感じなのがおもんないなーって感じ。
ただ主人公役の人はクローズ2では普通にマッチョ系のガタイのいい喧嘩強そうなおっさん顔って感じだったのが、今回はマジで相撲取りみたいになっててこれはなかなか近年まれに見るレベルだなって感じだったのは素直にすごい。なんか出演者は1年かけて身体と技術を作りこんだらしい。
元力士芸人とかが多いので全部が全部、未経験からってことはないだろうけどちゃんと相撲取りのドラマに見えたのはネットフリックスの地力を見たなとは思った。
当方、30代後半になる。会社員男だ。現場の仕事で疲れた時、帰りに自分好みの居酒屋に寄ることがある。約一年前に、そこで珍しい体験をした。あんな気分になったのは初めてだった。懐かしいし、嬉しいけど、でもちょっと怖い。ツキがありすぎて、逆にツイてないんじゃないかと思った。
実をいうと、中学生の時に柔道合宿で知り合いになった女性と再会した。二度と会えないと思っていた。思い出が記憶の水槽に残っていたのを自覚した。
それは、居酒屋のカウンターに座った瞬間だった。どちらからともなく「昔会ったことあるよね」「増田君だよね」「Yさんだよね」という流れになって、しばらく話し込んだ。
少しばかり、昔のことを綴ってみたい。2000年代前半のことだ。
中二の夏休みだった。当時、広島県の海の見える田舎で柔道をやっていた。普段は中学校単位で練習しているが、隣の市にある工業高校で柔道合宿があるらしい。顧問の先生が是非とも参加したいと主張していた。それは6泊7日の長期合宿で、うちの中学は途中日程で二泊三日だけお邪魔させてもらうことになった。
当時は弱い方だった。黒帯には遠く及ばず、公式戦でも黒星が多かった。白星が増えつつはあったけど。不安だったのを覚えている。高校生にボコボコにされると思った。でも柔道は好きだったから、ちょっと期待もあった。
朝八時くらいに工業高校に到着したのだが、柔道場に入ると、すでに数十人の高校生と、県大会で活躍するレベルの男子中学生が畳の上でぐったりしていた(ランニングウェアで)。朝6時からの朝練で相当しぼられたらしい。
朝9時半に柔道の練習が始まったのだが、背丈が185、体重が90くらいある高校生が、「これから、午前の練習を、始めるッ!!」みたいに野太い声で開始を宣言した。今でも覚えている、とても高校生には見えなかった。『テニスの王子様』で、すごいおっさんの高校生が出てくるだろ。そんな感じだった。
準備体操や受け身の練習を終えて、中学生だった自分達は、いよいよ投げ技の打ち込み(二人組になって技に入る直前までやる。20本で交代で、組み合わせが順番にグルグル回る)に入った。高校生と組むことが多かったのだが、レベルの差がありすぎて向こうの練習になってなかった。こちらは、綺麗に受けてくれるお陰で練習になっていたが。
柔道場には女子が何人もいた。別に珍しくはない。工業高校があるのは大きい市だったから、柔道をやってる女子はたくさんいる。うちの地区には女子は数えるほどしかいない。
その中で、打ち込み練習で自分の前に立った女子(Yさん)は、ほかの女子とは違う気がした。体型は大きめで、上半身が丸っこい感じがしたのを覚えてる。
めっちゃ気が強そうだった。目の鋭さが違う、子どもって感じがしない。実際にそうだった。打ち込みで自分と組み合ったと思うと、真っ先に大外刈り(※技の解説はあまりしない。適当にググってほしい)に入り始めた。女子と打ち込みをしたのは、その時が初めてだった。なんか、男子と明らかに感じが違う。柔らかくて繊細で、リズムがあった。
残念ながら、リズムが良すぎて技の受けが噛み合わなかった。「んん~!!」という不機嫌そうな声とともに、Yさんは20本目を終えた。Yさんと交代して自分は、おそるおそる大外刈りの打ち込みに入った。
……やっぱり、男子とは明らかに違う。振りかぶった足で相手を刈る技なんだが、大外刈りは相手と胸を密着させる必要がある。男子だと問題なくできるのだが、どうしても胸が合わなかった。こちらの胸板をぶつけると、反動とともに弾き返される。何度もぶつけようとするが、うまくいかない。Yさんの方から、「チッ!」みたいな舌打ちが聞こえた。正直ビビっていた。
自分はナメられやすい見た目だった。あなたの周りにも、40代ほどで小太りで、中肉中背のマッタリとした雰囲気のおじさんがいないだろうか。その予備軍みたいな中学生だった。今の妻にも「おじさんみたいじゃん」「お腹触らせて~」などと言われることがある。※けっこうな頻度でぜい肉を握られる。
打ち込みでは、その子以外の女子とも組んだ。背負い投げは背丈の関係で入りにくそうだったので、全員大外刈りにした。でも、Yさんほど入りにくくはなかった。みんな、スッと胸を合わせて密着することができた。
そんなこんなで投げ技の乱取りが始まった。ここからは男女別に分かれた。男子は40人以上いて、女子は6~8人だったかな。女子は柔道場の端っこの方で乱取りをこなしていた。黒帯も白帯も一緒だった。やはりYちゃんは圧倒的な強さのようで、福山市では中二にして57kg級で優勝していた。
ところで、当時の日記には「強くなれる機会だ。でも、高校生に投げられたらめちゃ痛そう」と書いていた。実際そんなことはなかった。というのも、白帯は白帯だけのグループでの乱取りだった。黒帯のグループを見ると、自分がいる市で一番強い体重90kgほどの男子が、細身の高校生にボロ雑巾のように背負いで投げ飛ばされていた。
その時、見てしまった。その男子が体格を活かして大外刈りに入った――と認識した時、一瞬で空中二回転半する勢いで、その高校生のしゃがみ込む背負いで畳の上に叩きつけられていた。いや、あれはもう畳にめり込んでいた。「バァーーーンッ!!」という音がしたのを覚えてる。でも不思議かな、そんな勢いで強い人に投げられてもぜんぜん痛くない。
当時の自分は、柔道が強くなりかけていた。黒帯にはほど遠かったけど。黒帯の乱取りグループに入れてもらいたかった。だから、頑張って、頑張って、ひたすらに白帯の中学生や高校生を投げ続けた。そしたら、あっちのグループに入れてもらえるかなと思った。そんな気配はなかった。
午後は、寝技の稽古だった。初めの方は先生が模範の攻めパターンを見せてくれて、二人組を作って互いに掛け合う流れだった。やがて、小休憩を挟んで寝技の乱取りがスタートした。自分はやはり黒帯のグループに行きたかったので、必死で相手を抑え込んでいた。
それで、寝技の乱取りの三本目か四本目の終わりに「ビイイイイッッ!!」と電子タイマーのブザーが鳴ると、工業高校の先生と、もうひとりの先生(Yさんの顧問)に呼ばれた。ほかの白帯も二人ほど一緒だった。
「おみゃーらは、次はこっちに入ってもらうけえ。君らの先生に許可はもらっとる」
※標準的な備後弁(名古屋弁×広島弁みたいな感じ)だ。特に乱暴な口調ではない。
その時また、電子タイマーのブザーが鳴って――目の前にはYさんがいた。この時が、人生で一番驚いた。黒帯のグループを夢見ていたのに、反対に女子のグループに入ってしまった。
「お願いしまーす!!」
「……」
礼儀正しい方がYさんだ。自分は無言だった。「なんで、なんで」と心の中で思っていた。当時の感情は覚えてる。ウダウダしていて情けなかった。
Yさんや、ほかの女子との寝技の乱取りを回想してみる。当時の乱取りは確か、互いに両ひざをついた姿勢でスタートだ。Yさんはフツーに力が強かった。筋肉がある。男子と比べても劣らない。
で、ぐいぐいと畳に引き込まれて、コロッと転がされた。脇の下にサッと手を入れられて、そのまま横四方固めになった。こんなにあっさり決められたのは、言い訳になるがショックを受けていたからだ。
Yさんの身体越しに真上を見ると、さっきの工業高校の先生がこちらを観ていた。恥ずかしい気分になった。黒帯のグループに入りたかったのに、とまだ未練がましく思っていた。先生が「Y。ええぞ、逃がすな」と言っていた。
その瞬間、自分は空いていた右手でYさんの黒帯の後ろを掴んだ。左手の肘を同じく太ももに押し当てて、ブリッジをした。すると、Yさんの体がきれいにひっくり返って、そのまま横四方固めをやり返す格好になった。
「あぁーーーーーもーーーーーッ!!!!」
今でも覚えてる。Yさんは本当に叫んだのだ。横四方で抑え込まれたまま、わっせわっせと両手を互いの身体の間に挟んで、腹ばいに転がろうとするのだが、当時の自分の体重は65kgあった。女子の力で動かすのは困難だった。
しかし、女子を横四方固めで抑えると、両者の身体の間に空間ができることがある。Yさんの場合は特にそうだった。Yさんの顧問の先生も、ずっとこっちを見ていた。
先生の声が聞こえてきた。
Yさんの抵抗が激しくなって、指先を顔にぶつけてきて痛かった。人差し指が唇にぶつかって、「いてっ」と叫んだところで、ぐるりと転がって脱出された。
また、寝姿勢のまま組み合ったところで、Yさんが自ら背中をついて(いわゆるグラウンドポジション)、こっちを引き込もうとして、もちろん抵抗して――終了のブザーが鳴った。
「うん。次はこっちじゃ」
連れて行かれた先には、ほかの女子がいた。今度は白帯の子だ。小柄だった。自分と同じ市の中学一年生だった。
電子ブザーが鳴ると、両ひざを立てて組み合ったのだが、Yさんに比べると力がない。組んだ感じだと、その子の体重は40~45kgだった。指先をひねるくらいの勢いで押すと、真横にコロンと転がった。よいしょっと上に乗って、丁寧に上四方固めになった。
今度は余裕があったから、「両手をお腹のところに入れて」「押して押して、空間を作って回転して~」みたいに教えていた。教えるのはおこがましいかもしれなかったが、でも、その子の練習にならないから……と思っていた。
あと、一人か二人の女子と寝技の乱取りをした。Yさんと同じくらい力のある子はいたけど、本気でやると自分が勝った。男子と女子には体力差があるのだ……。その後、白帯のグループに帰された。
それからも立ち技や寝技の乱取りの最中に、たまに先生方に呼ばれて女子の練習相手をした。Yさんという例外を除いて自分が勝つので、ずっと相手の実力に合わせるみたいに柔道をしていた。周りの先生が、その女子にリアルタイムで指導をするのを聞きながら。
当時は、女子と組まされて悔しい!! と感じたけど、感覚としては間違ってない。今の自分は、柔道を教える人としては約十年目なのだが、あの先生方の気持ちは理解できる。あの時、あの場所ではこういう情況があった。
1.強い女子(Yさん)の練習になる相手がいない。男子と手合わせさせたい。
②Yさんと同じくらいの体格
3.白帯のグループから2.の傾向がある子を抜いて練習相手にする
こんなところか。要するところ、あの先生方からはこういう視線で見られていた。
・増田はほどほどに弱い
・体格がそこまで大きくない(164cm,65kg)
※Yさんは当時おそらく163cm,55kg前後
今では納得している。実際、2.の③④は特に重要だったりする(女子の保護者から言われるのだ……)。
よくない人間だと、指導とみせかけて女子選手の身体を触るとか、嫌な気分にさせるとか、そういうことが実際にある。一般的な寝技の練習風景だと、男子と女子が寝技の乱取りをすることになった場合、女子の仲間が数人単位で乱取りの様子をずっと見ているのが基本だ。「セクハラは見ています」というメッセージを暗に伝えている。
また、練習環境によっては、女子選手が自ら男子選手を捕まえて乱取りをせねばならないことがあるが、女子が捕まえる男子は、概ね2.の条件を満たしている(女子選手も人間なので、特定の男子が大人気で順番待ちということもある)。
合宿のすべての日で、Yさんと乱取りをすることになった。寝技の方はだいぶ慣れた。抑えたり抑え込まれたり、実力は拮抗していた。
立ち技が難しかった。はっきりってYさんの方が強かった。体力では勝っているが、Yさんの方がセンスがある。組み手争い(上手く組めると優位に立てる)について、Yさんは特にこだわるタイプだった。うまく組めなかった場合だと、「ああ、もおっ!!」みたいに怒り出してしまう。男性ホルモンが強いタイプの女子だった。
ところでYさんは、合宿所に自転車で来れるくらいの学校に通っていた。漫画やアニメに出てきてもおかしくない学校名だったのを覚えている。それで毎朝早朝、自転車で工業高校にやってくる。
当校にとっての合宿最終日の朝、柔道場がある体育棟の軒先でYさんと出くわすことがあって、「おはようございます」と言った。Yさんも「おはよ」と言って、ほかの女子数人と着替えに行った。
三日目もこれまでと同様、白帯グループと女子グループの間を行ったり来たりだった。だが、この日の最後にはなんと、黒帯のグループに入ることができた。もちろんコテンパンにされたけど、いい経験になった。
それで、最終日の夕方の部のことだった。この日は、ベテランの講師陣によるストレッチ講座があった。この日だけは、ほかの中学の女子は帰らずに参加していた。
講師が二人いて、ほかの生徒らはラフな格好で畳に座って開始を待っていたのだが、そこにYさんが黒いTシャツと、下はジャージ姿で現れた。入口のスノコが踏まれた時の音を覚えている。
あの光景は、当時男としては相当初心だった自分でも察せる状況だった。ほかの男子は皆、畳の上を颯爽と歩くYさんを観ていた。一応、いろんな人が読んでる場なのでサクッというけど、物凄い大きさだった。その膨らみが、真っ黒のシャツの中で踊っていた。自分は知っていたけど、柔道着なしのTシャツ越しだとさらに目立っていた。
しかし、当時の自分は関心がなかった。大きいなぁとは思ったが、すぐにどうでもよくなった。畳に視線をやって、ジャンプ漫画のジョジョ(第6部・ストーンオーシャン)のことを考えていた。
性の目覚めが遅いタイプだった。『いちご100%』を読んでも何が面白いのかわからない少年だった。初めて人を好きになったのは21の時だ。遅すぎる。
それで、ストレッチ教室の講師が説明を始めて、いろいろ体を動かして、いろんな部位がグキグキッとなって、1時間も経つ頃には終わって……うちの中学は解散ということになった。顧問の先生と一緒に、最後に工業高校の柔道部員みんなに礼をして、さあ帰ろうかというタイミングだった。
柔道場入口のスノコの前まで行ったところで、Yさんやほかの中学の女子が屯していた。Yさんがこっちを見ていた。声をかけようか迷ったけど、けっきょく声をかけた。あまり知らない異性に声をかけたのは、おそらくこの時が初めてだ。
「お、これはYさんではないですか。お疲れ様です!!」
「お疲れさま」
「修業になってよかったね」
「うち、今日で終わりじゃないよ。最終日まで。あと二日あるんよ」
「Yさんは近所の学校なん?」
「うん」
「俺は尾道」
「うん。知ってる」
「うん」
「絶対だぞ」
「……頑張る」
「多分もう会えんよ」
「うん、そうかも」
「どうやって帰るん?先生の車?」
「うちも歩くんよ。福山駅まで」
この日の夜、家族が泊まってる親戚の家に合流することになっていた。家族が柔道合宿に合わせてくれたんだと今では思ってる。親戚の家の最寄り駅まで、誰かが迎えにくる予定だった。
この時、Yさんに「じゃあ一緒に帰ろうよ」と提案した。
同じ中学の柔道部員は外に出ていたが、顧問の先生はこちらを見ていた。「ほかのみんなは先生の車じゃけえ。暗いから気を付けるように」と言って、スノコを踏んで体育棟の出口に歩いて行った。それから自分も、Yさんと一緒に工業高校を出た。
Yさんと駅まで一緒に帰る途中、いろいろ話はしたけど内容はよく覚えてない。柔道の話ばかりだったのは覚えてる。冗談で、Yさんにお腹のぜい肉を触られたっけ。最後にメアドを交換する話になったが、当時は携帯電話を持ってなかった。
あっという間に福山駅に着いて、Yさんと手を振って別れて(またね、とお互いに言ってた)、福塩線の電車に乗って、親戚の家の近くの駅で降りると、叔父さんと叔母さんが迎えに来ていた。
それから、Yさんと話すことはなかった。県大会の会場でも、中国大会の会場でも、お互いに姿を認めることはあったけど、別に話をすることはなかった。目は何度も合ったのだけど、こっちは試合前でピリピリしてるし、Yさんもそうだと思うと話しかけづらかった。
それで、高校になるとYさんを見かけることはなくなった。Yさんとの思い出は終わったのだ。
冒頭に戻る。
偶然、Yさんと居酒屋で再会して話が盛り上がった。確か、こんな感じのことを話した。
・お互いに1回離婚をしていること
・お互いにあまり変わっていないこと
・二人とも同じ市内に住んでいること
最後に電話番号を交換した。Yさんと話ができて一番よかったのは、当時の感情が脳裏に浮かんできたことだ。中学二年生の時の思い出が蘇るって、あんなにしみじみとした気分になるんだな。
好きな演者がいるというより、自分が気になる題材や、世間で話題の舞台に行きます
本題
コロナ禍でお稽古がっつりできないのか舞台上でセリフを噛む場面に出くわすことが増えた体感です
さすがに公演期間が長期のものでは出くわさないので、やはり稽古不足(役者個人もカンパニー全体も)が否めないかんじ
宝塚が好きな友人によると、噛んだらレア回だけどあとであちこち謝罪してまわる生徒さんのことを思うと気の毒になるとか
謝罪!?
話がそれました
特に朗読劇で噛まれると、演者の芝居心と客の自分の妄想力で物語に入り込んで堪能していた世界から一瞬で現実に引き戻されてしまいます
良い感じの決めゼリフで噛まれた日にはこちらが切腹したくなります
最近朗読劇流行りなのは、演者がセリフ覚えなくていいし、お稽古スケジュールあまり押さえられない多忙な人気ある演者もキャストにできるし、衣装つけてやればブロマイドも売れるし…と闇な感情がわいてきてしまうのですが
.5好きな友人が推しさんがあまりに噛みまくった舞台のあとの配信でその旨コメントしたら、台本手にしながら演技すると台本がうまく見えないとか噛むのもライブ感あっていいだろ?みたいに反論されて泣いてた
そんなこんなで私は絶許派です
濱大樹幸一郎(はまたいき こういちろう 2320年4月3日 - )は、北海道広尾郡大樹町(現:釧路國広域行政区大樹)出身の元大相撲力士。第211代横綱。本名は濱田幸一郎。
天興24(2320)年4月3日、北海道広尾郡大樹町浜大樹で漁業を営む家に生まれる。実家に近い大樹町の漁港宇宙港は、内陸にある中心市街と対比して浜大樹と呼ばれており、のちの四股名の由来になっている。代々の家業である漁業と大樹宇宙港での不安定な重力下での積荷の上げ下ろしを繰り返し強靭な足腰を鍛えあげた。大樹高校卒業後に家業を手伝うも、専門知識や技術を身につけたいと上京を決意。新新とかち帯広空港から羽田大気圏内空港に降り立ったところ、別の入門者の到着を待ち構えていた宮城野部屋の力士に、その筋骨隆々で偉丈夫の姿から入門者と間違われ部屋まで連れてこられてしまう。事情を説明し去ろうとしたところ、女将からの説得を受け入門を決意した。
如上の経緯から序の口からの出身となったが、漁港と宇宙港重力下高層域および大気圏外での積卸の経験による筋力とバランス感覚の良さで順調に昇進。入門後4年ほどで十両に昇進した。ところが2342年に勃発した火星独立運動に突然単身従軍。これは大樹時代の思い人が火星に移住していたことが遠因と言われる。そこで右ふくらはぎにレーザー銃による貫通創を追う。紛争後、3年のブランクののち宮城野部屋に戻った濱大樹は火星から連れ帰った弟弟子布雄母巣(フォボス)と泥茂巣(デイモス)らとともに再び猛稽古に励み、2349年に大関でTOYOTA場所で13勝2敗、秋場所11勝4敗、九州場所で13勝2敗と安定した成績を収め、横綱に昇進した。横綱審議委委員会では第24代内館牧子委員の熱烈な推薦の一幕もあった。
横綱昇進後も安定した成績を収めたが、生涯には1度しか優勝の機会に恵まれなかった。これは当時土星・木星系力士の全盛期に当たっていたためと言われる。同時代の横綱土星山(どせいさん)や丸輪花(まるわっか)、名大関の大赤斑ら、高重力下で鍛えた力士たちが鎬を削っており、たびたび優勝決定戦での激戦が繰り広げられた。2352年の優勝の際には、21年ぶりの地球惑星出身の力士の優勝となり、列島はもとより出身の大樹町では住民たちが7昼夜にわたり祝宴を催し、漁船及び宇宙港船のデジタル大漁旗の皓々たる明かりは月世界からも確認できたという。さらなる活躍が期待された濱大樹であったが、2355年の冥王星巡業へ行く途上、日本宇宙航空分解事故により、天王星沖で消息を絶つ。
先述の通り土星・木星系力士全盛の時代に、普通重力下で育った力士として出世したため、地球人からの人気が高かった。また火星への従軍経験から火星系人類にもファンが多く、くわえて戦傷したことから傷痍軍人からの人気も得ていた。さらに土星・木星人のなかにも地元出身力士のライバルとして語り継がれるなど、惑星植民時代の力士の象徴的存在として言及される。
日本大相撲協会の火星巡業で現地を訪れた際、土俵上が火星重力のままである経験をした。当時は重力制御のためのエネルギーが十分でなく、先述の土星・木星系は高重力であり、火星や各惑星の衛星植民地や小惑星帯植民地は程度の差こそあれ低重力下での生活を強いられていた。濱大樹はこうした現状を目の当たりにし、「まずは土俵から」と一重力土俵(土俵内部に重力制御装置を埋設したもの)を低重力植民圏各地の小学校に設置する運動を始めた。その運動は濱大樹の消息不明後も宮城野部屋により継続された。一重力土俵普及運動はその後各地の生活圏一重力獲得運動へと展開し、現在の様な地球と変わらない生活環境の実現に一役買うことになる。
2352年に行われた、木星と火星の中間に位置する小惑星フローラの巡業にて行った土俵入りの際、あまりに強い四股のためフローラの地軸が0.8度ほど傾いた。移動式一重力土俵を用いての巡業だったこともあり、宮城野部屋はNASAから厳重注意を受けた。ただし当時の在フローラ人からは大変好評でフローラ毎日新聞には「この土地に箔がついた」の見出しが躍った。またこの一件は、火星の歌人である種田オリンポス山頭火(明治から昭和にかけて活躍した種田山頭火とは別人)により
と詠まれた。
大樹での幼少期に濱大樹が思慕していた女性は、大樹宇宙港から火星に赴いた。その後火星事変中に火星結核によりこの世を去っている。濱大樹は火星巡業の際には必ず立候補し参加しており、巡業中にはヘラス平原の無天蓋墓地にアホみたいな大きさの特製対外活動服で墓参りする謎の人物の姿が度々目撃されている。
日本宇宙航空分解事故の際、乗客乗員の多くは緊急脱出ポッドに乗り込む時間的猶予があったと言われている。実際に機体の通信記録からは緊急脱出ポッドの相当数の稼働履歴が検出されている。その中でも特に注目するべきは連結ポッドである。2つ分の緊急脱出ポッドを連結されたものが8機射出された記録がある。これは冥王星巡業で当地に向かった力士の人数と合致しており「関取」ならぬ「席取」により生存の可能性を知ることができる。このため宮城野部屋及び日本相撲協会は、太陽系外縁を航空する機体に今もなお周知活動をしており、懸賞金もかけられている。
もし無事に脱出ポッドに乗り込んでいた場合、濱大樹の身体はコールドスリープ状態にある。ただし、当時の科学水準においては現在のような2000年単位での冷凍睡眠技術は確立されておらず、独自統御をなすAIも搭載されていない。ポッドの寿命は持って300年程度と言われる。乾徳49(2517)年、エリス天文台の宙域スキャンにより、脱出ポッドの可能性のある古い時代の物質が検出され、地元大樹でも話題になった。第389代横綱大譚(たいたん)はこのニュースを受け「もし復帰されたら胸を借りたい」と述べ、世紀を超えた名横綱対決が実現する可能性もある。
濱大樹の業績を称え、大樹宇宙港の地上部に横綱濱大樹伝承記念館があり、当時の低重力下火星土俵の再現や横綱の手形や化粧回しなど展示があるほか、濱大樹の立ち合いの威力や得意技のけたぐりの威力を体験できるコーナーがある。また宇宙港高層域にも濱大樹資料室が存在する。さらに濱大樹の巨大なブロンズ像が宇宙港正面入口に所在し、この地の宇宙開発の立役者である堀江貴文翁顕彰記念碑と肩を並べており、宇宙港を訪れた際の撮影スポットになっている。
人間暇になると、
はぁ~。
こないだ私4回引いたやつ。
そのうち2つは私の好きな大好きなメインのキャラの景品が当たって思わずその場で飛び込み前転してクジ引きの案内をしてもらって景品交換もしてもらった店員さんも引いてしまうほどクジだけにってダブルミーニングなほどの嬉しさの舞を現すまだ獅子舞には早い時期の季節での喜びを現すぐらいだったってぐらい。
結局今日また2回引いちゃって、
まあ結果たるや
私の想像通り
あのままその時私の中の天使と悪魔がじっくりコトコト煮込んだスープを簡単にお湯を注いでじっくりコトコトの手間を省いて簡単にスープ作るぐらいに煮詰まった話し合いのとおり
お気に入りのキャラの景品が前回みたいに当たるわけないじゃん、
あれは運が良かったんだ、
次引いてお目当てのお前が好きなキャラが当たらなかったらガッカリするのがオチだぜって。
彼の言ったとおりにしたらよかったわ。
天使は、
なーに持ってんの?なーに持ってんの?クジ引きたりないから持ってるのー!ポイントカードで引いちゃえよ!
ハーイ!引いて引いて引いて~
引いちゃえ!クジ引いちゃえ!って
もうこれでクジは絶対に次の次シーズン景品が一掃して変わらない限りやんないわ。
もう天使には騙されない!
世の中そんなものよね。
本当に今年最後の運試しは終了に終わったわ。
かろうじてハンカチには私の好きなメインのキャラが4分の1の面積にプリントされているから
かろうじてまあ内容は良かったは良かったのよね。
これで今年2回目の有終の美を飾ることが出来たわ。
有終の美は何度飾ってもいいものよね。
花もない絵もない歌もない贈る言葉もないあんな飾りっ気のない居酒屋よりはマシよ。
そんで、
暇を持て余しているからそのアニメの配信の音を録って録音ファイルをスマホに入れていつでも大好きな回を聞けるようにまた全話録音しつつ観るわ。
我ながら健気だわ。
まだまだブルーレイとか出るのずいぶんと先みたいなので、
でもさ
明日からついにいよいよスプラトゥーン3の年明け1発目のフェス前のヨビ祭が始まるので忙しくなるわよ!
またここでスプラトゥーン3の話ばかりしていても年末間がないので、
私あれ苦手なのよね
清く正しく美しく生きるのこそが全てよ!ってそこまで高望み五合目までは登り詰めないけど、
健康に気を付けてて元気いっぱいだったらそれで十分よ。
強いて言うなら
整理整頓伝票はすぐに処理する!
年末一気にやんの面倒くさいじゃない。
一応は概ね今年の分のそう言う伝票処理や整理は片付けたつもりなので、
あとは確定申告本番待ったなし!ってところよ。
こうやってちゃんとお仕事も抜かりなくやってますよーってところをアピールしておかないと
そうね、
計画的には思い出すまで忘れている
ブログの増田のコピペもすっかり思い出すまで忘れていたブログの気が向いたらの更新と
これも気が向いたら電子書籍にしてみたいなってのが
一向に進まなくってそっちの方は捗らないわね。
でも昨日近所の公園の前を通ったらお正月の獅子舞の稽古の練習をしている人たちがいたので
練習がてらに私の頭囓ってもらいました!
これスゴいラッキーじゃない?
さすがにいらすとやさんも獅子舞に頭を噛まれている女性のイラストは絶対に無いと思うぐらいのレヴェルで、
あ!これもしかして獅子舞に頭囓ってもらってまたクジ引いたら良い運気邪気が払えていいのが当たるんじゃね?ってまたよからぬことを考えつつも
調子に乗ってクジハズしたらまた凹むぜ!って大塚明夫さんが声の吹き替えをやってるイメージでの言葉を胸に
獅子舞に頭囓ってもらったのを今年3回目の有終の美を飾ることが出来つつ、
年末までの間に有終の美をトータル16回ぐらいはまだまだ飾れるんじゃないの?ってぐらいな勢いの一気に沢村一樹じゃない方の一気の方の一気にいいことが訪れるんじゃ?っと思うけど、
釘を胸に打つことにしたわ。
でもラストまで気が抜けないので
また有終の美を飾ることが出来たら
みんなに教えるわね!
うふふ。
珍しくみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の角の喫茶店はモーニング和食もやっているって言っても
簡単なご飯とお味噌汁にランダム1品の何かのおおよその焼き魚がつく家賃の味がしないワンコイン500円のモーニングで
獅子舞に頭噛んでもらったゆえかも!
焼きたての鯖の表面がまだパチパチと焼けて音がしているところを持ってきてくれるから、
たまーにしか行かないここの喫茶店の和食モーニングは美味しくてワー!ショック!なんて言わないよ絶対に~!って槇原敬之さん風味でいいのよ。
焼きたて鯖美味しいやったー!ってところね。
ホッツ緑茶ウォーラーをちゃんと急須で煎れて2杯ぐらいゆっくりのめるゆとりのある休日の時間って感じがして
人間よからぬことを考ええるとクジを引いてしまい兼ねないように
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!