はてなキーワード: 社会人とは
就職活動失敗したまま大学卒業して実家でぶらぶらしてた。親には「公務員になる」とは言ったものの殆ど勉強せず小遣い貰いながらソシャゲか快活通いで2年連続筆記落ち。
ニート3年目、25歳になる直前に母親同士が仲良くて部活の後輩だった子から帰省ついでと飲みに誘われた。
「しっかりして下さいよ」とか色々言われてたけど適当に聞き流してて、後輩も暖簾に腕押しなのを見てか話を変えてきた。
俺「ないよ」
後輩「じゃあまだ童貞なんですか?」
俺「そう」
後輩「セックスしてみたいですか?」
俺「できる!したい!」(めっちゃ食い気味だったと思う)
後輩「じゃあ公務員試験受かるかちゃんと正社員になったらセックスしましょう」
と言われた。
後輩は普通に可愛くて、中学時代は自慰行為時の妄想への出演頻度3、4位だった。なんとなく幼少期から知ってる子って感じで実際に付き合いたいとか男女の関係になりたいとかは思ったことなかったが俄然やる気が出た。
その日の帰宅後からめっちゃ勉強して、ハローワークがやってる若者向けの面接対策講座も見つけて通い始めた。自慰もめっちゃした。次の年に県庁所在地の市役所に合格した。
後輩に連絡したら「おめでとうございます!」って言われ、その後に「セックスのこと本気にしてましたか?社会人になるんですから自分で相手探して下さい。私の方が社会人としては先輩なのでご飯くらいは連れてってあげます」という感じの返信が来た。
後日、焼き蟹も食べられる高い焼き肉屋に連れて行ってくれてご馳走してくれたが俺はセックスがしたかったな…。
でもありがとう。
社会人3年目にもなるとそれなりに仕事ができるようになり、得意分野では先輩を追い越すこともある。
さらにビジネス書や技術書を読み知識だけが身につき、本に書かれていたベストプラクティスを実践していない先輩を軽く見下すようになる。
そしてすべて自分が正しいと思うようになる。
これってみんなが通る道だよね?私だけ?
左翼がーネトウヨがーといっているのは氷河期のニートだから。相応の年齢だけど、まともな社会人生活は送ることができていないので、色々欠陥というか欠けているところが多い。
【中学生くらいの頃】
・純粋に子どもが好き。将来はお父さんとお母さんみたいに結婚して子ども産んで生きていくのだろうと思っていた。
というか、子ども欲しいとか欲しくないとか、そんなことはただ考えず漠然と家庭を築いているんだろうなぁと想像妄想していたと思う。
【高校生くらいの頃】
・メンタルがやられ、なんて自分はダメ人間なんだと本当に落ち込む。絶対来世は人間にならないと誓う。絶対に人間なんかなるもんか。自殺は痛いから嫌だけど、本当に消えたかった。
・もしかしたら、いじめられるかもしれないし、人をいじめるかもしれないし。すごく理不尽な目に遭うかもしれないし、悲惨な事故に巻き込まれるかもしれない。可哀想で辛すぎる。そこまでひどくなくても、まぁ生きていれば辛いことがある。そんな酷い仕打ちを我が子にはさせたくない。が、かといって辛いことが何もありません、というふにゃけた人間になっても生きづらいだろうな、と思う。
・自分は子どもを産むことが許されるほど、能力を持っていない。子どもに受け継がれる全ての遺伝子が可哀想。ごめんね。
・絶対に子どもは産まない!と固く決意し、兄弟に子どもを産みたいと言ったら全力で止めてねと言っておく。いや〜止めないよ。と和やかに言われる。
・なんと好きな人ができて、この人に子どもを抱っこさせたい、でも私の子どもは嫌だという大問題に直面。ただ好きな人の子どもは私だって見たい。
・自分の遺伝子が問題なんだよ。でも好きな人に他人の卵子と受精させ子を育てさせること、養子をとることは違う気がする。代理母出産も申し訳ない。その痛み経験したい気もする。なんてわがままなんだ。
彼に失礼。自分のメンタル治せ!いや性分か?自分を愛することで他人を愛することができる!と自分の中の修造が言っている気がする。
・ごちゃごちゃ言いつつ、なんだかんだ今とても幸せで、人と環境と運に恵まれたと感じている。今の人生と同じ人に巡り会えるならもう一度人間をやってもいいかな、と思えるようになった。
・生まれてくる子は絶対大変だ、辛いはずと決めつけてしまっていたが、それは私が決めることではないし、今わかることではない。辛いかもしれないし、辛くないかもしれない。それは本人のメンタルの持ちようにもよるだろうし。まぁそのメンタルの基盤を作るのは、本人の性分と、親がいかに関わるか、周りの環境がどうであるかではあるのですが。遺伝と環境の相互作用。辛いか辛くないか、それは私達の努力も大切ではあるが、それが全てだと思わなくてもいいのかな?と考えるようになった。
・周りの子は経済的に不安を感じて出産を悩んでいた。私も友人もありがたいことに何不自由なく育ててきてもらっており、親がしてくれたような水準で子どもに関わってあげられる自信がない。そう思うと、大学まで金銭的援助ができる自信がないのに産んでいいのか?と不安になる。だって大学のお金まで出してあげたいと思ってしまう。理想としては。
「身の丈をわきまえろ」「脳内お花畑か」「奨学金制度使えばいいじゃないか」と言われそうだが、奨学金を借りない方向で子育てをしたいと考えている為、何不自由なく過ごせる経済的自信がないのなら産まない方がいいのかな?と思っているが、そもそも経済的自信満々で子育てをしている人はごく僅かだと思う。なんだかんだうちも「家計が火の車だよ」と言っていた。親のやりくり力すごい。
・優生思考、資本主義社会のこの世の中で戦い抜ける我が子を産み育てる自信がない。そもそも遺伝子に自信がないのだから、ね。親はちゃんとしていたのに、親に申し訳ない。
・私ものらりくらりと生きているということは、なんとか楽しく生きられる可能性50%、毎日死にたく生きる可能性50%?そもそも人間の人生って白か黒か、くっくり色分けできるものではなくグラデーションなのでは?なので何とも言えないのか?
【今の考え】
・この先100年辛そうだし、子どもが可哀想だからあんまり産みたくはない。しかし彼の人生にも関わることだから、申し訳ない。彼のことを考えると産みたい。多分いいパパになれると思うから。
今日も今日とてアンチに勤しんでいるし、別公演のグッズにもパクリだって騒いでいるよ。あなたたちが鬼の首をとったように話題に上げてる香水の話はパクリ問題とは違うからちゃんと調べようね。ちょっとイタイファンを見つけては民度wwwwって悪口も書いてるみたいだね。プリンセスなんて高貴な愛称が台無しだね。みんなが絡まれてツイ消しするのは後ろめたいんじゃなくてあなたたちが怖いからだよ。自分たちが特典枯らしたの自慢みたいだけど、入場者プレゼントがすぐ無くならないようにたくさん用意してくれてる運営がうらやましいんだよね。平日映画館通えない社会人が多くてごめんね。頑張って稼いで行ける時に行くからね。せいぜいサ終にならないように頑張るね。
某ドームで配信者のライブ?やるみたい(後から調べた)でオタク女さんがいっぱいいたんだけど異様な光景にドン引きしたので書いておく。
個人レベルで注目したら不審な人はほとんどいない。ジロジロ見たらセクハラだだし注視してるわけじゃないが
電車に乗ってても特に気にしない位に周囲に溶け込んでいると思う。
男オタク君は社会人として大丈夫かよ…みたいなのがわんさか居ることを考えれば比べ物にならない。
…のだが
葬式でもあるのかな?は言い過ぎだがマジで白黒コーデ率が半端ない。50%以上は白黒だった。
ライブの時ってそれぞれのファン層の特徴が出てて面白くはあるんだけど
ああ、分かった。
普通のファンはグッズ広げてライブの準備してるんだ。ライブの変なグッズも会場では微笑ましい光景なんだよね。
でもオタク女さんたちってグッズも身に着けず白黒の暗すぎる格好で待機してるヤツが多すぎるんだ。
推しの結婚発表でもあったのか?って思うような雰囲気でマジで終わっててキモかった。
オタク女って普段「擬態」とか言って隠れてるアピールしてるけどさ、
あれって単独では個性と区別がつかない程度に陰キャの恰好して紛れるのが簡単なだけで
中学生の頃に一緒に帰ったりしてて、高校生になってから付き合い始めた同級生の彼女がいたんだけど、その子は高校3年生の時に亡くなったんだよね。
彼女の死を引きずって立ち直れず、なんてことはなく、その後も普通に毎日高校に行って大学受験を経て大学生になって、サークルワイワイやって、バイト先の女の子と付き合って、就活して、ゼミの仲間と旅行行って、社会人になって、共通の友人がいる女性と付き合って結婚して、子供が産まれてみたいな感じで生きてきた。
未だに彼女の事を思い出して涙が出る、なんてこともない。声も顔も忘れかけているので悲しい気持ちにすらならない。むしろ子供がいる身としては一人娘を失った彼女の親の立場から同情してしまうようになった。
ただ一つだけ引っかかるのが「高校生のまま死んだはずの彼女より大人になれた気がしない」ってことなんだよね。別に彼女が特段周りより大人っぽい子だったわけではなく、年相応の普通の女の子だったはず。
今の俺は30後半で、彼女の倍近く生きている。成人迎えて、大学卒業して、社会人経験が10年以上あって、結婚もして、子供も育てている。
高校生のままで死んでしまった彼女よりも確実に色々なことを経験して大人になってるはずなのに、あの時の彼女よりも大人になった気がしない。
大学を卒業して社会人になった日から全部が止まっている気がする。
自分がもう何年も何年も働いていて、その間に転職や入院をした強烈な記憶があってなお、大学を出た年から人生が全く動いてない気がする。
成長が止まっているのが原因だろう。
仕事のことは身についているが、日本社会の外に出れば何の役にもたたないだろう。
科学や語学の知識、論文の書き方、飲み会のセッティング、社会に出てから使った知識、使ってはいないがいつか使う能力、そのどれもが学生時代に既に身につけていたものみたいに思える。
会社の中でしか使えない身内ルールの経験値、取引がある会社の商品に偏った業界知識、そういったものを身につける裏で基礎的な学力は日に日に落ちていくのが分かる。
中学校の数学さえいきなりテストを受けたらボロボロだろう。公式がちゃんと頭に入っている気もしないし、問題文と結びつけるセンスが喪われている。
歴史も地理も地学も、日常で出番のないものはまるで分からない。
47都道府県の全ての県庁所在地を並べるのはもう出来ない。単純に思い出す力が下がっているから、一生忘れないはずのことさえ咄嗟に思い出せないのだ。半日すれば思い出せるかも知れないが、その場で諳んじれないのは中学生であれば恥ずべきことだろう。だが、大人の中にはそういう人間が大勢いるんだ。
そういった劣化や成長の無さから目を逸らしたいのか、体感年齢はずっと止まっている。
身体や記憶がボロボロになっていくので歳を取っているのは実感するが、その時間経過に付随するはずの人生に対しての手応えがない。
夢に向かって進んでいたはずという認識が自分につかれていた嘘だったことにある日気づき、そこから慌ててとりあえずで仕事を見つけ、それから世界は止まったままだ。
鏡に映る中年を見るたび、自分の年齢を書き込むたび、強い違和感とともに現実を思い出す。
あったはずの人生が失われている。「失われた○年」が自分の中で起きている。確かに積み上げた年齢を証明するものがない。預貯金はそれなりに増えているし、肩は上がらなくなってきた。ただそれだけだ。人生の次のステージにたどり着くことが出来ないままずっと昔通った道をグルグル回っている。
仕事は学生時代のバイトの延長をどこまでもしているような感覚しかない。責任を求められているのはバイトリーダー的な責任からの延長のようなものとしか思えない。自分が所属してる組織の正式な構成員であるという実感がなく。やっているビジネスがどういう経緯で人を雇えるレベルで成立しているのか実はよく分からない。
子供の頃に想像した漠然としたサラリーマン像の中で今も生きている。夢から醒めれば自分はまだ中学生なんじゃないかとさえ何度も何度も思ってしまう。
それほどここ何年もの人生に対しての実感がない。本当に自分は生きてきたのだろうか。偽の記憶を植え付けられているのではないか、実は就活に失敗した男の妄想でまだ大学を出て一ヶ月ほどなのではないか。そういった妄想に一理も二理もあると考えてしまうほどに自分の体感年齢が狂っている。狂っていくのだ。
けど都会に需要あるのも一定以上の学歴を持っていてなおかつ自立して社会人生活を送れる人or低賃金サービス業なわけで、前者は地方でも需要あるから仮に地方で需要がなくて出てくる人は後者に行き着くわけでしょ
もちろんないわけじゃないんだけど女の場合元々の採用枠が激狭の上にコネ持ちがやってくるから椅子がない、少なくとも新卒の時点では
却って地方だと中途の方が技能優先で見られる分良かったりするんだけど、中途になると産休育休警戒されてそもそも20-30代女性は正社員では取りませんに変わるからまた枠が狭い
けど都会に需要あるのも一定以上の学歴を持っていてなおかつ自立して社会人生活を送れる人or低賃金サービス業なわけで、前者は地方でも需要あるから仮に地方で需要がなくて出てくる人は後者に行き着くわけでしょ
当方、30代の女。同性と話していると、車関係でぞんざいに扱われた経験がある人がままいる。
私も昔、いや~な経験をしており、それ以来、車関係には気を付けるようにしている。
これから車を買う方、または車を買った若い方の参考になったら…と言いつつ、単純に長い愚痴である。
先に言っておくと、当時はそこそこの知識しかなく資金力もない学生だったことにより、
販売店に違和感を抱きつつも店を変えるという判断ができなかった私自身にもたくさん反省点がある。
でも若いときって、ある程度の知識があっても柔軟に対応できなかったりすると思う。そういう話として読んでいただければ。
地方の大学生→大学院生。高3で免許取って親の車をずっと乗ってた。
交通の便が悪い実家から都市部の大学に通っており、1年間は自転車→バス→電車→バスで通学したもののくちゃ不便で
かつ交通費もかなり嵩んだことから車購入を決めた(当時はガソリンがとても安く、自宅から車通いの方が経済的だった)。
問題のディーラーで中古車を2台買うことになる。親が車に詳しいから私もすこし車の知識があるくらい。
販売店は、両親が車を購入した地元に昔からある店舗ではなく、大学へ行く途中にある、全国展開の中古車販売もしている某ディーラーで購入することになった。
これは両親が通っている店は自宅から遠く、かつ私の大学と反対方向にあるため、私の生活圏から大きく外れて不便だったから。
当時はこのディーラーの評判は悪くなく、地元の友人や近所の人のなかにも結構ここで購入している人がいた。
(今思えばこの選択の時点で間違ってた。めちゃくちゃ不便だけど、せめて両親が世話になっている地元のディーラーに行けばよかった。)
なお、初めて車を買ったのは大学2年のとき。この時は両親に中古の軽を買ってもらった。
この時の担当は女性店長で、すごく良くしていただいて不満もなかった。
(女性店長はその後エリアマネージャー?的なものになって首都圏に栄転した。優秀な人だったのだろう。)
ちなみに、ほんとうに不便な場所に住んでいて、一人一台車を持つのがごく当たり前の地域だ。
学生身分で車を買ってもらうことについては大目に見てほしい。(社会人になってお金は返しました。)
院進してすぐに2台目を買うことになった。1台目は5年落ち、走行距離5万キロ程度だったが、
私が通学&バイトで少なくとも1日往復80キロほど運転し、すぐに走行距離がとんでもないことになったからだ。
父(自動車製造業に従事し、車好きだから着いてきた)とディーラーを訪れると、新店長(以下「クソ」という。)に引き継がれていた。
今回はバイトで貯めた100万円を基に自分でローンを払うことにしていた。最初にクソに「自分で買うので予算はこれくらいで…」と言っていたのにも関わらず、
クソはずっと父親に向かって話し、お伺いを立てる。父は「娘に着いてきただけで、お金は娘が払うので(娘にきいて)…」と何度も言うが、クソは私を無視。
挙句私には「これはAT車といって…」と免許持ってる人間なら当然知っているようなことを説明しだす。
私が父がついてきて鬱陶しかったが、かえって父がいて良かったかもとげんなりした。
世間では、若い女性がカーディーラーで下に見られることがあるというが、それをまざまざと実感した。
いや、これまでもこの店舗に男性スタッフはいたが、彼らに馬鹿にされたことはなかった。
目の前にいたクソがクソすぎて際立ってクソだったのだ。
何とか苦痛に耐え、購入を決定。買うのは私のため契約するのも私なのだが、クソは父親に契約書を渡した。
父は「娘が買うので…」私に渡してきたが。不毛なやり取りだった。
今思うと、この違和感を感じた時点で車の購入を辞めておけばよかったけど、若さゆえか購入してしまった。後悔している。
車を購入して半年後の点検を購入店ですることが多いとおもうが、私もそうした。
というか購入時に「6か月点検どうしますか?」と言われ、その場で点検日も決めて予約したのだ。
で、点検の1か月前にはディーラーから点検日リマインドの葉書がちゃんと来た。
当日。リマインドの葉書を念のため持ってディーラーへ向かう。予約の13時。
入店して「点検お願いします!」と店員さんにキーを渡すと横からクソが出てきて、
「お姉さん、点検は事前に予約しないとできないの知らないんですか~?」と小馬鹿にしたような感じで笑われる。
えっ、こんなクソが社会で働いているの?と怒り爆発だったが、こちらも大人として冷静に葉書を見せると罰の悪そうな顔をして
ゴニョゴニョ「ハイ、ヤリマァス…」とキー持って整備士に渡しに行った。
退店前にも「1時間程度で終わるんですよね?」と念のため聞く。事前にはそう聞いていたが、念のためバイトを17時からにしていた。
ところがクソは「いや~もしかしたら夕方になるかも」とアホみたいなことを抜かすので、「何時ですか?」と問い詰めると「16時」と。なぜ?
んで、16時ちょい前に車を受けとりに行くと、クソは「ちょっとお待ちください」と言い残し、接客へ。
そりゃ新車買う客のほうがね、たかが6か月点検の客よりも金になるのは分かるけどさ。この仕打ちはないなと思った。
そのまま15分も30分も待たされ、これ以上はバイトに遅刻するから他のスタッフに苦情を言うと、さすがにクソも焦ったのかダッシュで車持ってきた。
この日の出来事は両親や友人にも話したが、「大変だったねえ」と笑い話になるだけであまり深刻な事として伝わらなかった。
この時点でもっと抗議していればよかったし、この時点でこのディーラーを利用するのを止めたほうがよかった。
購入から1年半で車検の時期がきた。あのディーラーで車検だ。なぜ店を変えなかったかというと、当時は私が修論執筆と補助金の申請で忙しく、
寝不足の日々が続いていたため余計なことを考えている余裕がなかったのだろう。
また、1台目のときの車検はむしろ細かい不調を見つけてもらい、整備士はちゃんとした人だと思ったからだ。
車検の季節は冬だったが、このころ、車のエンジンをふかして車体が温まるまでの間、車の前方部分からキュルキュルと異音が聞こえるようになった。
はっきりと聞こえる大きな音だ。私は音の性質からエアコンベルトか何かが滑っている音ではないかと考えた。
ボンネットを開けてみると、場所的に良く見えるものではなかったが摩耗は感じられた。
翌日、エンジンをかけて発進するところを母にスマホで撮ってもらい、単身赴任中だった父に送ったが父も同様の見立てだった。
父は「ベルトの摩耗だと思うから、車検の時に言えば見てくれる。珍しいことじゃないし」と言い、
私も、整備士さんはまともだったし、と思い直して車検に向かうことにしたのだった。
車検当日。念には念を入れ、予約リマインドの葉書を持参していく。父は他県に赴任中だったので、母と行くことにした。
一人で行動したかったが、私の話を聞き入れられないとこまるので人を連れていきたかったのだ。
当時は男性の友人なんていなかったし、同性の友人はみな若い女だ。相手にされないに決まっていた。
ディーラーに着き、予約を忘れてたっぽい様子のクソに葉書を見せて釘をさす(本当にクソ)。
そのうえで録画した映像を見せ、異音のことを伝えた。これでクソでも大丈夫だろう。
翌日。車を受けとりに行くとまさかの「異常なし」回答だった。そんなことある???
誰がどう考えたってどこかおかしい。さすがにいつも私の愚痴を笑って聞いていた母も訝しんで、
「エアコンベルト等は大丈夫だったんですよね?」と聞くも、まったく問題なかったとの回答。
じゃああの異音は何だったのか?そう問い詰めても「さあ?僕は一度もそんな音聞きませんでしたよ?」
「車には何も問題がなかったから、原因不明としか言いようがないですよね?」と開き直り。
ここで私も母も完全に目が覚める。このクソの言っていることは信用ならない。
クソは客を見下している。予約を忘れだけじゃなく、車検も本当はやってないのでは?
怒りがわき上がるばかりだったがもう今はこのクソと関わりたくなく、ひとまず退店。
自宅に帰り父に連絡すると、父も「絶対におかしい」と怒っていた。ベルトはどこか別のところで見てもらうことにした。
車検翌日、大学院があるため通学に車を使う。異音が心配だし、普通なら交通機関で通うところだったが、
この日は運び込まないといけない荷物が大量にあり、車で行く必要があった。(この日に車を使いたくて、あえて少し早めに車検をしていた。)
夜遅くまで大学に残り、車で自宅まで帰っていた午前3時過ぎ、パンッと大きな音が鳴った後にエンジンがきかなくなり
徐々に速度がするすると落ちていった。退避できる路肩もなく、バツが悪いことに国道の大きな交差点の真ん中で車がゆっくり停まってしまった。
かなり交通量の多い交差点だったから、かえってド深夜だったのが不幸中の幸いだ。
車中に留まるべきか、離帯に退避すべきか悩んだが素人考えじゃどうにもならなかったので、
離れたところに三角停止板を置いて、車中でJAFに電話をして助けを求めた。
(その時、ちょうど通りがかった親切なドライバーたちが最寄りのガソリンスタンドまで車を押してくれて事なきを得た。)
JAFの人に見てもらい、これは廃車ですね~と言われる。ついでにお兄さんがエアコンベルトを見せてくれたんだけど、
擦り切れているというよりは、ゴムが古くなって固くなった結果ブチっと断裂してしまっていた。
「普通は車検で見つかるんですけどね~」と言われたので「実は昨日車検に通っています…」というとびっくりしていた。
「参考に聞きたいんですが、どこで車検されました?」とも聞かれた。
JAFの人がこれまた優しくて、事情を察したのか私の任意保険の証書をその場で読み込んでくれて、
「この特約で、おそらくレンタカーを代車として車を借りられます。次の車を買うまで繋げます」と教えてくれ、
任意保険の会社に電話をして私の自宅最寄りのレンタカー店で借りられるよう手配を全てやってくれた。
お陰で通勤通学への影響を最小限におされられた。本当に惚れそうになる。ぜったいJAFには入ったほうがいい。
その後、車を最寄り(と言っても隣市)までレッカーしてもらい、修理工場へ。私はタクシーで帰宅した。
冷静になると同時に、やられた~!!あのクソ~!!!と怒り爆発。
私この業界のことよく分からないけど、雑な車検がまかり通ってるの?それで10万とか取るの??
次の週末、例のディーラーへ。ここで私は怒り心頭で、とにかくクソに文句を言ってやりたいという気持ちに。
しかしクソはよく分からない時期によく分からない理由で異動し、新しい店長が来ていたのだ(左遷?)。
アポ撮った際に車が廃車になったことを伝えていたため、新車のパンフレットをたくさん用意されたおり、
「新車を購入いただける場合、代車はただでお貸しします!」と言われたがそんな気分ではない。
これまでの経緯を話し、「保険の特約で代車は用意しましたので、車は買いません」と言うと、
新店長は(ああ、やっぱり)みたいな反応をしたので、やっぱりクソの移動は左遷で間違いなさそう。
尻ぬぐいする新店長も大変だし罪はないが、こうでもしないと怒りが収まらないので取引終了となった。
当時は若かったし、毎日多忙で車のことばかり考えている余裕はなかったんだけど、自分自身にも反省点はいっぱいある。
異音を感じた時点で乗るのを控えなきゃだめだと思う。でも地方の交通の便が悪いところに住んでいると、そうも言っていられない現実はある。
車がないと生活できないし、バスも2~3時間に1本あればいい方。レンタカー借りたらよかったのかな。
車検で習った範囲ではボンネットのなかも見てたけど、もっと見ていたら確信をもって異常に気付けたかも。でも私の言葉をクソは聞いてくれただろうか。
「エアコンベルトあたりから異音がするので見てください」ではまだ相手にされない程度に知識不足何だろうか。
単身赴任中だったから連れて行かなかったけど、居てもらえばよかった。
私と母だけではこんなに話を聞いてもらえないと思わず悲しかった。ほとんどの店員はまともだと思うけど。
これに尽きる。でも全国的に名の通っている販売店だし、クソの前の女性店長はすごくいい人だったんだよな。
店単位じゃなくて人によっても信頼できるか判断しないといけない。馬鹿にされて違和感を感じた時に店を変えていればよかった。
気を付けていることとしては
男性を連れて行かないと話を聞いてもらえないのは悲しいしそれこそクソ現実だが、車は失敗すると損失額が大きいから、
リスクを抑えるために、恋人や夫を連れて行くようにした。男性ならだれでもいい。本当は一人で堂々と買い物したいさ。
でもそれだけで格段にこちらの言い分を聞いてもらえるんだから、悲しいけど、保険にはなる。
私はまずは夫と一緒にいき、自分の話も聞いてくれる販売員(店)だと思ったらその後は一人で来店するようにしている。
信頼できる口コミ集めは難しいけど、悪い噂はやはり拡散されるので、そういう悪い噂がないお店を選ぶのは大事だと思った。
とくに昔からずっとあるような地元ディーラーは、逆にそこで長年営業できている証左でもある。客商売ですし。
私が行ってた例のディーラー、今ではなかなかの悪評らしい。自分と同世代の友人(女性)も数人、ぞんざいに扱われたと言っていた。
身の回りの男性からの不評は聞かなかった。男性には丁寧な接客だったのだろうか。知らんが。
1店舗だと比較が難しいので、最近では車種に悩んでるふりしていろんな店舗を回るようにしている。
系列店でも人によって営業スタイルも違って逆に面白い。無理な人は営業姿勢から生理的に無理!ってなる。
結果として、今は自分に合う販売員さんから車を買えているし継続してお世話になってる。友人にもその販売員を紹介している。
車検の内容に異議がある場合って、異議申し立てとかなんか対抗手段とかってあるんですかね?
当時は金もない知識も時間もない学生で戦う気力もなく、泣き寝入りでしたけど、次同じ目に遭ったら最後まで戦いたい。それほど怒っている。
いろいろなご意見ありがとう。説明が分かりにく過ぎてごめんなさい。以下で返信します。
元増田みたいな口調でコメント返ししている人がいますが、元増田はこの記事の追記と「追記2」以外で返信しておりません。
1台目も軽(70万くらい)だったけど、学生の身だし、買ってもらう側だったから文句も言えなかったですよね。買ってもらえただけありがたい。
あとウチの親は、「軽は燃費いいし大事に乗れば長持ちするから大丈夫!それに学生に普通は贅沢だ!」という思想もあった。
コメントにもあったけど、田舎は道が狭くて、中央線もない道をぎりぎりすれ違うことも多いから小回りも聞くという都合もある。
さすがに走行距離がアレすぎてすぐにガタが来たから、2台目は1~2年落ちのほぼ新品みたいな中古を買いました(色々込々で120万くらいだったかな。)。
新車や中古の普通車も考えたけど、大学院終わったら就職で引っ越すし、手放すつもりでいたのでなんだかんだ軽に落ち着きました。
これに関しては説明不足でほんとうに申し訳ない。指摘の通り、エアコンベルト断裂=廃車にはならない。
記事では端折って書いたが、実際にはベルトが断裂したような異音のあと、
次第にアクセルを踏み込んでも反応がに鈍くなりがなくなり、そのままするすると速度が落ちていき停まった。
走っていた国道もバイパス?というか、とにかく路肩が狭くてカーブしている道路で、高速道路のようにとばす車も多いから、
安全に退避できる直線道路までなんとか移動しようと焦っていたところ、交差点で本当に動かなくなった感じ。警告灯はつかなかった(なぜ車検に通る??)。
断裂したあとは無理に走っちゃダメと知識として知ってたけど、その時はパニックで何とか退避場所探して進んでしまった。これは良くなかったです。
JAFの人によると、たぶんベルトの異常は前から起こっていて、長期間無理して走っていたのでエンジンがオーバーヒートして焼き切れてしまったのでは?と。
ふつうにエアコンベルトが切れただけでは即廃車にはならないし、ベルトが首の皮1枚で繋がっていただけでかなりエンジンに負荷がかかっていたのでは?
と言われ、車検していればあまり見ない故障の仕方ですね…と苦笑いされてしまいました。複合的な要因もあるかも。
その都度「お客様電話窓口」的なところには電話して改善依頼とかしてたんだ。結局なんにも改善しなかったけどね。
クソ本人にももちろんいろいろ言ったけど響いていないようだった。
それこそ客(私)に対する対応の悪さとか、予約忘れてんじゃないかって話とか、そもそも車検をちゃんとしているのか?とか。
最後の車検の件に関しては、車検で見落としがあったんじゃないかと色々戦おうとしたけど、販売店側(本部)もあの手この手で
「経年による消耗や摩耗や事故故障などは車検保証対象からは外れる可能性がうんたら~」と逃げ腰で対応も悪く、
結局例のクソも異動後に速攻で辞めてたみたいなんだよね。怒りの矛先を失ってしまった。
このままでは時間と気力の無駄だと手を引くことにしました。お金と時間があったらもっといろいろしたかった。(この時は修論が大事だった。)
高い勉強代と思って以後は気をつけてます。でも次の若い世代には痛い目見てほしくないから愚痴として書いてんだ。
今でこそその発想はあるが、当時は単純に大学とバイトで疲弊していて、そのための時間を捻出するのがとても惜しかった。
あと単純に、私の件は「エアコンベルト見て!って言ったら分かるでしょ」と性善説を信じすぎていた。相手がクソなら何言ってもクソ!
父が自動車工場勤務上がりで車に詳しいから、エアコンベルトあたりの異常であることも確信があったし、それを言ったら伝わると思ってたんだよな。
人間、一度は痛い目を見ないとこの辺は学習できないのかもしれない。
そもそも女が車屋行くのがハードル高いよね。学生時代に、こういう時に連れていける男性って彼氏か父親くらいのもんじゃない?当時の私に彼氏はいなかったが…
今後買おうとしている皆さんはほかの車屋の意見をきいてほしい。女性の場合は、なるべく男性を連れて行ってほしい。販売員でハズレ引いたら終わりなので。
週末精神科に再診するので整理を兼ねて書く。
・全般的な感覚過敏(後述)で大学時代から抗精神薬(エビリファイ)を飲んでいた
・引っ越したので、1週間と数日前に新しい精神科に行ったところ、前述の薬ではなく抑肝散という漢方を処方された
・結果、感覚過敏が解消されるとともに抑肝散が効いている間は感性が変わり、分かりやすく言えば自分②が生えた
・自分の感性が2種類ある状況をうまく処理できず精神的に参っている
・感覚過敏は先天的なもの。小さい頃から世界が眩しく、音はうるさく、タートルネックは着れなかった。
・エビリファイは何も飲まないよりは随分マシ程度には感覚過敏を抑制してくれていた。
感性の変化とかはなかったが。
・いま思い立って今まで一口も嚥下できなかったチョコミントアイスを買って食べてみているが、食べられないことはないしなんならちょっと美味しい。
やや美味しい歯磨き粉。
追記終わり
かいつまんで書くと以下。詳細は末尾にまとめているので興味あれば。
・繁華街では視界の情報量に負けてすぐ気持ち悪くなっていた→平気になった
・首にストラップが当たるのが無理で社員証を首からさげられなかった→さげられるようになった
・香水に常に不快感があった→ただただ良い匂いと感じる。なんとLUSHにも行ける。
抑肝散が効くことで、単なる感覚過敏抑制の枠を超えた変化があった。
・好きだった音楽がとてもぼやけて聴こえるようになり、今まで聴けなかった曲をリピート再生するようになる。
・好きだった服(派手な柄シャツ)が嫌いになる。全く違うテイストの服(ほぼ無地のモノトーン)が好きになる。
・好きだった食べ物の味がぼやけ、嫌いだった食べ物を美味しく感じるようになる。
・友人たちのことは好きなままだが、新たに人間関係を築く際の人間の好みが若干変わっている感覚がある。
具体的には、頭の良さよりも行動の面白さを重視するようになり、体格は小さい方が好きだったのだがどうでもよくなった。
抑肝散によるその他の変化は以下。
・絵を描いているのだが、「人間や物体を球や円筒などの概形で捉える」という感覚が薬の効いている時のみ分かるようになった
・食欲が約半分になった
・夜の7時間半+昼寝20分が必要睡眠時間だったのだが、夜の6時間半程度のみで大丈夫になった。(スマートウォッチによれば睡眠時の心拍数が平均で3~5拍/分 下がっている)
・(上に関連して)眠気回避のためコーヒーを毎日かなり飲んでいたのだが、ほぼいらなくなった。
感覚過敏がほぼ消失したことで、今まで楽しめていなかったものが楽しめるようになった。
絵が若干だが描きやすくなったり、肌がきれいになったり、コーヒーを飲まなくても覚醒していられる等、ほかのメリットも多い。
ただ、薬が効いている時と切れかけている時で自分の「好み」が変化するのがつらい。
朝起きて薬を飲んで着替えようとすると、部屋には自分の好みではない服しかない。
今まで好きだったものをもう一度味わおうとしても、常に「今の自分はこれを好きだと思えるかが分からない」と不安になる。実際にあまり好きではなくなっていることも多い。
なんとなくやる気が出ない時、好きなもので気分を上げようとしても、その「好きなもの」がいちいち試さないとわからない。
薬を飲んだ朝好きだったものが夕方にはたいして好きではなくなり、夜の薬を飲んだらまた好きになっている。
思考する自分は一貫して存在している。ただ、感性が2種類ある。それぞれ好きなものが違う。
「好きなもので自分を語れよ」と言われるように、「好きなもの」というのは自分の一部である。
自分が2人いるような感覚になるのだ。これが思ったよりかなり精神的にストレス。
感覚過敏だけ抑えて、感性にまで影響を及ぼさない薬があればいいが、それは存在しない気がする。
体調や気分次第で行動が変わる人はいると言い聞かせたが、そんな程度のものじゃないだろと思ってしまう。
http://kokoro.squares.net/?p=7763
私はこの投稿者と違い、精神的なすべてのものが中枢神経の発火であることにショックは受けない。
ただ、私の精神は「自分が二人いる(感性の状態が2種類ある)」ことに現状耐えきれない。
冷静に見れば抑肝散を飲むメリットの方が多い。どうにかして折り合いをつけたいが、方法が分からない。
・色がうるさいとあんま思わなくなる
・外が眩しくない
・ヘッドフォンの音質がいいことに気付く
・米津玄師や他の邦楽が全て飽きない限りエンドレスで聴けるようになる(今までは一曲聴き終われないこともあった)
・好きだった音楽(KPOPや洋楽)では刺激が足りなくなり、日本語の曲ばかり聴くように
・今まで楽器別に聴こえていた音が、「声」と「楽器群」の2つにグルーピングされて聴こえるようになる
触覚
・全身の触覚と痛覚が鈍麻(温度感覚には影響なし) ロキソニンを飲んだときよりも鈍麻している
・首元の詰まった服が着られるようになる
・LUSHも平気
味覚
・一定以上の強い味は切り下げられて感じるようになる
・反対に薄めの味をしっかり感じられるようになった
・甘いものを美味しいと感じる(今まで苦手だった)
どの先輩方も言動が理解し難くて単純に慕われてないことが多かった。
言っている本人から見れば誰かを「素直なやつ」と見えているかもしれないけど、部署違いで関係性の薄い人だったり、人間性が高い後輩が話を合わせてあげているだけのパターンが多い。
よくあるのが「なんでこのルールなんですか?」と聞くと「俺は年上だぞ」「あいつと俺どっちの言う事きくんだ?」とか言い出す。
いや理由になってないのよ。
「こんな歴史・文化があって、こういう損得勘定あって、現状のリソースを加味するとこの判断になった」まで言えば、誰でも一瞬で素直に聞くし、
塾!ピアノ!野球!塾!ピアノ!野球!スマブラ…は週に1時間!ポケモン…は母曰く「ハマる」から禁止!
仕事!家事!子供!仕事!家事!子供!アメフト…は皿女が文句言うからできない!
俺は絶対に子供に別学中高一貫校も行かせないし運動部もやらせないし塾も行かせない。息子には10代から整髪料の使い方とファッションと女の子とのコミュニケーションや恋愛に全力を注がせる。逆に娘には結婚するまで恋愛をさせない。
今は誘われたら行くって感じ。
昔はひとりカラオケもしてたけど、何度か男に乱入されたことがあってやめた。
歌唱力は高校生の頃がピークだったな。年々声を出すのがきつくなった。
別に元々そんなに上手いわけでもないし、下手でもいいや~って思ってる。
あと、年を取るにつれて選曲が古くなっていくのは何故だろう…。
さっき上司から電話があって社会人7年目で初めてメンターをすることになったのだが、最近の新入社員は何を期待しているのかわからん
とりあえず勤怠の付け方や基本的なことは社内教育でやるので、あとは質問があったら答える程度でいいと思うが、
マイクロマネージメントした方がいいのか、ある程度放置した方がいいのか
社内の仕組みとかを知りたいのか、技術的なことをやりたいのか
いろいろわからん
とりあえず満遍なくやらせるつもりだけど、俺自身は自分でやりたいこと見つけたら勝手にやるタイプだったから、もし指示待ち系の子が来たらその子の気持ちを理解できなさそうで辛いなぁ
あと、プライベートに関してもワイはそこまで飲み会とか飯食いに行ったりとかしたかったタイプではなかったけど、
最近の子はコロナ禍で人とのコミュニケーションに飢えているという話も聞くしご飯食べに行ったり奢ったりした方がいいのかな
25年間生きてきて、色々なことがありました。
これから先の人生は大きく変わらないけど、自分の青年時代は自分自身の人格形成に多大なる影響を与えたと思います。
これからの話の説得力を増すために自分に起きた大変だったこと(不幸自慢)を少し。
・新社会人の時の上司が、会社でも有名なパワハラ男、今日もまた罵声が飛び交う
不幸自慢をしたいわけでは無いです。苦しいことは人によってレベルが違うわけですから、生きてるだけで苦しい人だっていていいんです。
私が語り明かしたいのは「苦しくても生きていく方法」です。
私もそうやって生きてきました。自分の考え方、メンタルトレーニングを最近やっと体系的に捉えてきたのでそのお話です。多くの「人生が苦しい」人と話してきて理解を深めてきたつもりです。もしかしたらもう、語られてることかも知れませんが、それでも。
◯悲しみ(苦しい気持ちの素となるものを悲しみと呼びます)は止めれない
「悲しい」気持ちの捉え方です。
例えるなら、美味しいご飯というのは
「お米」という純粋な素材と
「お米」の炊き方で生み出される
のと同じです。
要するに、悲しい気持ちがあったとしてもそれをどう捉えるかによるよねということなんですが。ただそれだけです。
という考えのもと、すごくすごく大切なのは「悲しい」気持ち(以下、感情と呼ぶ)は抑えることができない自然発生的なものだと言うことです。
例えば「誰かに叱られる」、「家庭が崩壊する」ということはどう考えても悲しいことです。こういうことが起きて感情を止めるのは不可能です。どうあがいても悲しいし、感情を無視しようとしても夜になれば思いだします。枕に叫ぶのは気持ちいいですよ。もしあなたがメンタルトレーニングしていなくて無防備にその感情に心を晒せばすっごく苦しいと思います。
じゃあどうするのってことですが、自分の中の感情君を別のものと捉えるんですよこれが。
「あ、今自分悲しいんだな」って第三者の視点から捉えましょう。これを私は『感情の外部委託』と呼んでいます。
第三者の目線から自分の感情が分かれば、あとはそれをどう処理するかです。
それでも泣きたければ泣けばいいし、まあ悲しいだけかぁって思えれば無視すればいいし。
世の中悲しいことからは逃げられません。ストレスはなくなりません。でもそれはあなた自身を直接傷つけることはありません。
冷静になって欲しい、なんでよくわからん外野に傷付けられなきゃいけないんですか?