はてなキーワード: 治療費とは
どこまでウェブだけで取れるかしらんが、治験結果は全て公開されてるだろ。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/
そりゃ、人間の仕組みのほとんどを理解できてない状態で、たまたま上手く行く例もあっただけの話。
それにネットで嬉々としてでてくるのはそうやって「外れた」ことをして上手くいった!っていいう話なわけで。
普通の話は出てきづらいわけで。
んで、4年で、その後は?抗癌剤打ってれば10年生きられた者が拒否したせいで5年で死ぬかもしれんのだが?
お前の偏った情報源のがよっぽど疑念が生まれるだろ。
うんと、まだわからないかな?
保険と賭博が似たものだし、根本的な仕組みは同じもの、だということはいいが、
定義として保険はより狭いものだ、ということは理解できないのかな?
被保険利益というものが法的にも定められてて、"ロスしたことに対して"適当だと認められない額が支払われるような保険は日本では認められていない。
ご存知でした?
「がんと診断されたらXXXX万円!」というのも、その金額は別に治療費だけに当たるものではない。
それによりその後、職を失う可能性、職を真っ当出来なくなる可能性も含むし、
例えば、よりギャンブル要素を増やそうと、肺がんの場合に右の肺に出来たら1000万、左なら無し、みたいな何の意味も持たない理由に対して対価が変わる様なものは認められづらいのでは?
(この辺詳しくないのでこれは適当だけど)
少なくとも、増田の言う原発が破壊されるかどうかをみんなでBETしよう!なんてのは日本では出来ない。
イギリスのブックメーカーなら簡単に出来るし、それに近いものは探せばあるかもしれんがな。
イギリスのロイズなんかも保険会社だが、何でもかんでも保険を賭けられるし、意味不明な保険も沢山あるが、あれはある意味賭博だろう。
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。
こういうのでよくわからんのだが、結局歩行者優先だろうが何だろうが怪我した時点であんたの負けじゃないの?
怪我したら、
・保険のこと
・裁判もあるかも
・治療費とかどーなんの?請求めんどくせ
・もし大怪我して入院なんかになったら?
・最悪死んじゃうかも
・家族がいたらそれはどーすんの?
etc...
お前のは対案にも何もなってねーよ。お前は自身は、じゃあ74になったら大人しく収容される準備すんのか?77になったら大人しく殺される準備すんのか? 大人しく死ねるのか?
誰もそれができねーから、この状況なんだろうが。
その点、タバコっつーのは良くできてたわ。悪影響出るまで大体30年以上かかるって、要するに、現役世代終わり頃から体がぶっ壊れるようにできてんだよな。でもって、「体に悪い」と分かってても、麻薬だから誰も止めないもんな。ホント。癌治療が進歩して、生存率が向上したり治療費が高騰したりしなけりゃ、未だにタバコは世に溢れてただろうにな。
数週間で結婚することになる。
結婚相手に関しては私にとってもったいないぐらいの人間なので不満は何もない。
ただ、私の父親に関しては黒くドロドロした淀みが心中にある。
奴は建築関係の仕事の就いているからかもしれないが、とにかく怒鳴る人間だった。
幼少から怒鳴られ、そして夜は頻繁に飲みに行く。
母は奴が飲みに行くのに車で送らされていた。
それは20年前に引っ越してきた実家となる場所に来ても変わらなかった。
むしろ、母はその家に引っ越してきてから辛そうにしていることが多かった。
実家も奴曰く、
という到底理解できない理由で6LDKの家を福岡の田舎に建てた。
その周辺では私と兄はのびのび育ったが、母はその家を毎日掃除しなくてはならず、そして炊事や草取り等の雑務も来なさなければならなかった。
そして、母は、
「私はこの家の家政婦ではない」
と私にこぼすことが多かった。
そして、相変わらず奴は怒鳴りまくった。
とにかく自分が気に食わなければ、怒鳴りまくった。
怒鳴れば何とかなると思っているのだろう。
奴の中では奴以外の人間は獣かもしれない。
そして、やはり飲みに行くことは頻繁で、時折私や兄が小学生や中学生で必死に貯めた小遣いを借りて飲み代に当てていた。
だが、子供から金を借りて飲み代やパチンコ代に当てることに内心呆れていた。
また、休日も家族でどこかに行くということはほとんどなかった。
それも子供心ながら寂しくも恨んでいた。
深夜に酔っ払って帰ってきて、暴れまわったり大声を出してわけのわからないことを喚く。
挙句の果てには吐瀉物をまき散らす。
しかもその後奴は寝てしまい、その片付けは私達や母にやらせていた。
吐瀉物の件で最も許せなかったのはSFCにぶちまけたことだ。
奇しくも、SFCは綺麗に拭いてなんとか壊れずにすんだ。
不幸中の幸いである。
そして何より、幼少の私達に対して、
「家のローンは俺が死んだらお前たちが払わないとならないんだ」
「金が無い金が無い。あー、きつい」
といった金に関する発言をことあるごとにしていた。
そしてその言葉が重荷になったことを奴は気付いていなかった。
子からの借金や私達兄弟への理解がなく、己の妄執に基づいた「常識」を押し付けてきた。
母は私達をかばってくれ、そして理解しようとしてくれた。
そのため何度も離婚話が出ても、私は母に付いていくことを明言していた。
だが、その母も私が20歳の時に亡くなった。
絶望だった。
兄との仲は良くもなく悪くもなくだ。
だが奴との関係は最悪だ。
話しても理解しようとせず、己の中で凝り固まったものを押し付けることしかできない奴しか親がいなくなることが絶望的だった。
この時、どれだけ母ではなく奴が死ねば良かったと思っただろうか。
いや、この時だけではなく今でもあるが。
母は所謂新興宗教の信者ではあったが、お金を取られるわけではないので私自身は構わないと思っていた。
むしろ、そこは火の車っぽかった。
度が過ぎるのであれば、忌避するべきであるが母は私にそれを押し付けなかったのだ。
私自身としてはやはり信仰心は大切にするべきものとあるという考えがあるので、特に何も言わなかった。
だが、母は所謂仏教の葬式をあげてほしくなかったらしく、その宗教の葬式をあげて欲しい旨を私に伝え、それを私は奴に伝えた。
だが奴はそれを一蹴した。
世間体のためだった。
奴は特に信仰していない仏教の葬式をあげ、おまけ程度に母の宗教の葬式をあげた。
これで満足だろうと言わんばかりにだ。
私は憎んだ。
母の信仰心を汚した奴をとにかく憎んだ。
母が大切にしてきたものを奴は20年以上共に生きていても理解していなかったのだ。
私の大切な母を奴は殺したのだ。
だから、憎んだ。
念のため、学費を払ってもらって就職してからも盆と年末年始は実家に帰省した。
だが、2,3日もすると家の中の空気が息苦しくなる。
そして、帰省しても話す内容は一緒だ。
「住宅ローンや祖母の入院費、それにお前たちを進学させた教育ローンが苦しい」
「あー、金が無い。金が無い」
こればかりである。
また、兄は規制せず、私だけ帰省するので家のことを何でもかんでもさせられる。
この時に思ったのだ。
「私はこの家の、こいつの家政婦ではない」
と。
私は皮肉にも母と同じ心境に辿り着いていた。
そもそもこいつは己の見栄のために無駄に広い家を建てた。
祖母の件もそうだ。
それを子供に言ってどうなる?
苦しめるしか無いのに気付かないのか?
ああ、気付かないだろうね。
お前は己のことしか見えておらず、私たちのことを理解する気もないのだからな。
祖母が飲み屋で働いていたのと重なって哀れになったらしい。
愚かである。
もちろん、そのねーちゃんは雲隠れした。
この事件から数年後、奴は私に対してこう言った。
「母さんの治療費にばーちゃんの葬式代を使ったけど、その金も貯まった」
と。
奴と母親、どちらの話が信用できるかと云えば、どう考えても後者である。
私はこの話を聞いて奴と縁を切りたくなった。
こんなのが身内だと、いつトラブルに巻き込まれるのかがわからないからだ。
社会人になりIT社畜になったら、案の定精神的に追い詰められてしまい、退職した。
だが、それも徐々に良くなり、なんとか私は生きている。
結婚することになったので、色々な準備をしている。
式は近縁の親族のみで執り行うようにしている。
そもそも、私はドレスを着たいだけであって式などどうでも良かったのだ。
だが、奴だけは、
「ここで式を挙げないと、母さんに何言われるかわからん」
と言ってきた。
正直に、自分が式をやってやったということを周りにいいたいがためだと云えば良いのに、母親を引き合いに出す時点で侮蔑の感情が湧いた。
式までも、やはり奴関連でトラブルが多発している。
そもそも、メールをしても返信が来ない。
それで何度もトラブルになったので私は電話をスピーカー状態にし、録音するようにした。
そもそも、結納の件をやるかどうかを訊いても、「やらなくていい」といったと思えば、
「なんでやらないのか!?
と怒鳴り散らしてくる。
そして、いざ結納をやり、食事会を行っても一人だけひたすら飲み、挙句の果てには私の過去の嫌な思い出ばかり相手の両親に話している。
そして、奴の兄弟とは疎遠になる、縁も切ると言っていたのに突然、
「そんなことしなくていい!
それが良識だろうが!
そして、今度はいつ帰ってくるんだ?
俺の兄弟たちとお前の婚約者との顔合わせの食事会をやるからな!」
と言って、電話口で怒鳴り散らしてくる。
これがきっかけだった。
言っていることが論理的ではなく、ころころと内容が変わるので、それに振り回されていた。
振り回されることで、精神的に落ち込み、
と考えることも増えてしまった。
そもそも母方の方には何も連絡していないのに、何故父方のみ会わなければならないのかがわからない。
奴の見栄に付き合わなければいけないのか?
私は奴の所有物なのか?
そもそも、縁を切ると言っていた人間たちに会わなければならない意味がわからない。
そして、私から必ず電話をしなければならないわけでもないだろう。
もし、私の病気の理解があれば負担を減らそうとするだろうが、その素振りもない。
服装に関しても、相手はモーニングを着るというのに、
と言い始めた。
奴は155センチ100kg超なので特殊な体型ではあるが、何もやろうとしない時点で呆れてしまった。
結局は奴はモーニングを探す気も無く、ドレスを借りる衣装店に頭を下げて探してもらえた。
憎悪しかない相手に対して、至れり尽くせりをして疲れてしまった。
実家に帰省したら、家政婦になり、延々と金が無い話をされ、怒鳴られるのだろうか。
そんなに金が無いことを言って私を苦しめたいのなら、私を殺せば良いだろうに。
私を理解する気が毛頭もないのなら、父親面をしなければ良いだろうに。
そんな気持ちになってしまう。
こんな気持ちになるぐらいなら、もう疎遠になろう。
そうしないと、またあの地獄に逆戻りだ。
だから、私は父親と縁を切ろうと思う。
それは婚約者と歩くよ。
読む限りでは、あなたに過失はないので、殺処分だろうが、飼い主が苦悩の末自殺しようが、しらっとしていればよい。
おそらく殺処分はないだろう。そこまでいくと、役所側が訴えられる恐れがある。
常習的なノーリードで度々苦情がきていたモンスター飼い主に、お灸を据えるための脅し文句だろう。
その点で、あなたが恨まれ役として役所に利用された可能性に憤るならば、次は役所に突っかかればよい。
しかし、あなたのように、お粗末な人間に対して不寛容で、抜け目なく連絡先を聞き、
治療費を請求をするタイプの人は、合理的な反面、ヘイトを買ってトラブルに巻き込まれやすいものだ。
相手が裁かれる様子をむしろ楽しむような性質がなければやっていけない。
それが半端だと、悩むことになるだろう。
良心の面で半端なら、論理的に整理した上で態度をはっきり決めるべきだ。
責任の所在があいまいで割り切れないなら、法律の専門家に判断を仰ぐべきだろう。
上記のようなタイプでない人は、面倒事になるのを嫌って、
お粗末な人間にふっかけられても多少のことはおおらかに済ますものだ。このタイプの人は、
お粗末な人間は常に一定数存在すること、たまに自分に流れ弾が当たることを普段から覚悟しているため、
子供を連れて買い物帰りに、近所の高級マンションの前でリードのついていない犬に出会った。
毛並みは良さそうだし、ゴミ出し用通路が開いていたから、飼い主が油断してる隙に出てきたのだと察する。
子供がその犬を「ワンワンだ!」って喜んで指差したら、犬が驚いたのか大声で吠えてきて子供を追いかけようとして、子供は私の裏に隠れようと足に絡みついてきたせいで、私は子供ごと転倒。手が買い物袋で埋まっていたために受け身を取れず、頭を打つ。
飼い主はそこでようやく自分の犬が粗相をしたことに気付いたようで、「大丈夫ですか!?」と声をかけてくるものの、手を貸す素振りも、散らばった食材を集めようともしない。
とりあえず、娘には見た目の傷はなさそうだけれど、私は頭が痛いし、何か後であったら困ると、
・リードのついていない犬が吠えてきたため私と娘が転倒したこと
・何かあった時のその犬の飼い主の連絡先
を紙に書いてくれるようお願いしておいた。
ついでに私の携帯番号も教えておく。
荷物を家に置いた後、娘を連れて近くの整形外科に行き、外傷の他、何か炎症がないかチェックする。
私が頭を打った時に多少血が出たのと、娘が膝を擦りむいたぐらいだった。念のため先生に紙を見せて経緯を説明し診断書を作ってもらう。
飼い主に、診断書を取ったこと、治療費がいくらかかったかをメールで送るが、3日経っても何の音沙汰もない。
同じようなことがあってもよろしくなかろうと、役所に行って、あの紙と診断書を見せて、これこれこういうことがあったので、あのマンションの住民に注意をして欲しいと伝えた。どうやら同じような苦情が他にもあったらしく手を焼いていることを愚痴られる。私に愚痴られても。
警察には被害届を出すほどではなかろうとやることはやった気になってしばらく経ったら、例の飼い主から電話が。
今更になって診断書の件でお金を払ってくれるのかなと期待して出たら、「おたくのせいで、うちの犬が保健センターに連れてかれた」「役人は吠えて人に怪我をさせるので殺処分になるかもしれないと言っている」「おたくから役所に何か言ったのではないか。そちらにも非があったことで、お互い様なのだから、役所に電話して、何もなかったと伝えて欲しい」と早口で伝えてきた。
私と娘の怪我程度で殺処分になるのは大袈裟だからきっと他の余罪があるのだろう、私どもでは殺処分にして欲しいなんてことは伝えていないと冷静に返すも、
「役所に文句を言いに行ったことは認めるわけね。じゃあ、それを取り下げて来て下さい」と上から目線は変わらず。
怪我の治療費を払ってくれるってことでもないなら私には関係のないことですからと伝えて、電話を切る。そしてその番号を着信拒否。
電話の最中は売り言葉に買い言葉のようになり、私も冷静ではなかったが、もしかしたら、本当にその犬が殺処分になるかもしれないと考えると、私がその犬を殺したということになるのではないかとモヤモヤし始めた。もちろん、娘にはあの犬が殺処分になるかもしれないなんてことは言ってない。娘が判断できることではない。
私が重い買い物袋を抱えていて機動性がなかったという点では私にも非がある部分がある気もするが、ではこれが私たち親子ではなく、杖をついた老人であれば非はないだろうし、私の方が加害者のように言われる覚えはないだろう。
ある意味不幸な出会いと言ってもいい。可愛い小型犬であり、噛んだわけでもない。
私は役所に殺処分を止めるように連絡するべきなのだろうか。
トラバやブコメをみる限り、少なくない人が役所に電話した方がいいとあったので電話してみた。
休日なので担当者は不在だったこともあり、そういう事案を受けているかは確認できなかったが、「その程度のことで殺処分になることはない。勘違いではないか?」という話はあった。
読む限りでは、あなたに過失はないので、殺処分だろうが、飼い主が苦悩の末自殺しようが、しらっとしていればよい。
おそらく殺処分はないだろう。そこまでいくと、役所側が訴えられる恐れがある。
常習的なノーリードで度々苦情がきていたモンスター飼い主に、お灸を据えるための脅し文句だろう。
その点で、あなたが恨まれ役として役所に利用された可能性に憤るならば、次は役所に突っかかればよい。
しかし、あなたのように、お粗末な人間に対して不寛容で、抜け目なく連絡先を聞き、
治療費を請求をするタイプの人は、合理的な反面、ヘイトを買ってトラブルに巻き込まれやすいものだ。
相手が裁かれる様子をむしろ楽しむような性質がなければやっていけない。
それが半端だと、悩むことになるだろう。
良心の面で半端なら、論理的に整理した上で態度をはっきり決めるべきだ。
責任の所在があいまいで割り切れないなら、法律の専門家に判断を仰ぐべきだろう。
上記のようなタイプでない人は、面倒事になるのを嫌って、
お粗末な人間にふっかけられても多少のことはおおらかに済ますものだ。このタイプの人は、
お粗末な人間は常に一定数存在すること、たまに自分に流れ弾が当たることを普段から覚悟しているため、
理不尽な不利益を被って泣き寝入りする可能性があっても、自己犠牲の精神でおおらかでいられるのだ。
たったこれだけの文章しか書いていないのに私のことが見透かされたようでした。私が、鈍臭い頭でっかちの中途半端な馬鹿だったんでしょうね。これからは前者で徹底することにします。
id:xevra さんもご助言ありがとうございます。そのように対処します。
犬に罪は無い。だが、飼い主は裁かれるべき。警察に被害届を出して警察沙汰にし、和解条件に犬の管理を厳密にさせる事を入れて殺処分を回避するような方向が良いと思う。 http://b.hatena.ne.jp/xevra/20130929#bookmark-163337630
妻がこの問題で被害者になってしまったので情報共有の意味も込めてまとめてみようと思う。
症状としては目の周り/首/首元に複数の白斑が出ている。(化粧で隠れない箇所も多々・・・)
結局、この日行った事は通院の領収書を元に簡単な伝票を作って口座に振り込むとの事だった訳だけど、商品の購入記録もあるのに商品の代金は一切、支払わないと言われ意味がわからなかった。
ウチの場合は美容部員のいる店でずっと買っていたのと病院の通院記録(請求書)を持っていたけど、ドラッグストアで買ってて領収書を持ってなかったら1円足りとも支払いはナシなの?
明らかに症状が出てても3000円くらいの菓子折りでチャラですか?
カネボウのお偉いさん方や社員の奥さんや子供に同じような症状が出てそれくらいの対応で納得出来るの?
一応、今後の治療費/交通費は全額支払うとは言ってたけど全てが完治するまで慰謝料的なモノは一切支払い出来ないって書面渡されたけど、3年以上前から色々な病院に行って全然治らないのに本気で申し訳ない事したって思ってないでしょ?
仮にこの先何年も通院してやっと治ったとしても大体の人がそこまで通わずにドロップアウトして行く事を想定してるとしかいいようがない会社のスタイルにもう呆れた。
とりあえずしばらくは通院させてみるつもりだが被害者の会的なモノが発足されればそこへ参加させてもらおうと思ってる。
今後ブログの方へ投稿していこうと思いますので同じような境遇にあわれた方がいらっしゃれば情報共有できればと。
あんたは医者なわけだよね?
1)納税が面倒だ。
今までにちゃんと申告したことあるの?
2)お礼をもらうのを前提に今の保険診療の点数が決められちゃってる。
んなわけねーだろ。もし仮に、そんな話があればまじめに働いてる奴はどうなるんだ?皆損してるのか?ふざけんな。そんなら医者になるなよ。
3)誇りが傷つく。
1)病院が財団法人の場合がある。独立行政法人でもいいや。寄付しましょう。そんなにお礼したいならどうどうと。1000円でも2000円でも。
ちげーだろうが、お前らが金で差別する様な慣習にしたから、直接金でなんとかしたいんだろ?関係ないとこに払うんじゃ意味ないんじゃぼけが。
2)自費診療で医療費を払う。これは病院にもよるけれど、10点の医療費だったら保険診療だと100円の収入になるんだけれど、自費診療だと210円ぐらいになることが多く、そうしてら100円お礼をしたのといっしょだ。(10円は消費税です)
父親は患者さんから金品を受け取らない外科医で、祖父もそうだった。自分もそういうのは好きじゃない。
ご先祖はどうだったかというと、金持ちからは数千万円単位で治療費をもらって、お金のない人は無料で診るっていうのが保険のない時代の当然のスタイルだった、と祖父から聞いた。
祖父は金品を受け取らないのに、訳分からんパトロンはいたのか?なんだそれ?どの時代のどういう話だ?
そのパトロンは一体何なんだ?それが仮に事実だとして、日本でどれだけそういうスタイルだったんだ?
あんまふざけたことばっかいってんじゃないよ。
てか、お前医者の卵だとしたら、いますぐやめろ。患者にいい迷惑にしかならない。お前みたいのは医者になるな。
単に、金で医大まで行けただけだろ?ただのくずだろ?やめとけよ、ほんと。
父親は患者さんから金品を受け取らない外科医で、祖父もそうだった。自分もそういうのは好きじゃない。
ご先祖はどうだったかというと、金持ちからは数千万円単位で治療費をもらって、お金のない人は無料で診るっていうのが保険のない時代の当然のスタイルだった、と祖父から聞いた。
でもパトロン探しはよほど実力がないと無理だからそうはうまくはいかないよ。
祖父はパトロン探しはうまい人だったから、皆保険は嫌だったみたいだけれど、結局は従っていた。
今はなんでも保険診療だ。
で、僕は患者さんが金品を持ってくるのは良くないことだ、と言っている。
それでもお礼をしたいんだという。じゃあどうすれば良いのか。
なぜ金品のお礼が良くないか。
1)納税が面倒だ。
誰からいくらお金をもらったかを記録して税金のおさめるのはとても大変な作業なんだ。
だからやめてください。
2)お礼をもらうのを前提に今の保険診療の点数が決められちゃってる。
どうせ患者さんからお金もらうんだから、心臓の超高度な手術してもたったこれだけね、みたいなあり得ない安さになってしまっている。
薬や検査薬ばっかり高い今の保険制度は医者も喜んでいない。働いた分ちゃんと報酬がほしいもん。
3)誇りが傷つく。
自分の医療の価値は大抵は患者さんが想定しているお金よりすごく高い。笑
で、じゃあどうすればいいか。
1)病院が財団法人の場合がある。独立行政法人でもいいや。寄付しましょう。そんなにお礼したいならどうどうと。1000円でも2000円でも。
2)自費診療で医療費を払う。これは病院にもよるけれど、10点の医療費だったら保険診療だと100円の収入になるんだけれど、自費診療だと210円ぐらいになることが多く、そうしてら100円お礼をしたのといっしょだ。(10円は消費税です)
登場人物
俺 30歳 会社員 年収500-600 一人っ子 実家を離れて2人暮らし中。転勤族。
嫁 28歳 パート 年収100未満 早く子供が欲しいらしい。
父親 62歳 今春ガンであることが発覚。先月リンパへの転移が見つかる。現在抗がん剤治療中。
約1年半前。
結婚をした。
・2人とも働けるうちは働く。
・嫁の収入は全て貯金し、今後の大きな出費(出産、引越し、子育てなど)に備える
結婚後。
時々ケンカをする。
主には価値観の違い。
俺が怒るときは、嫁が自分勝手な(あるいは二人の生活にとって非協力的な)ことをしたとき。
昨年秋。
嫁が流産をした。
原因は不明。しばらくは落ち込んでいたが、しばらくすると元のように元気になったように思えた。
当時フルタイムで働いていた嫁。
妊娠発覚後に、思ったタイミングで病院にいけないことを愚痴っていた。(が、決して病院に通えなかったわけではない)
今年3月。
嫁が仕事を辞めると言い出した。
上司が気に入らないらしい。
精神的につらい思いをしてまで仕事を続ける必要はないだろうと思った俺は合意した。
ただし、一つ約束をした。
「辞めた後も、今までの収入レベルをなるべく維持して、今後の生活に備えて貯金をしよう。」
今年4月。
嫁がパートを始めた。
気が付いたら、嫁が俺の扶養に入ることになっていた(年収130万円以下)
当初の約束と違うということを話し合ったが、
・なれてくれば、収入はあがっていくはず
・またすぐ子供ができるかもしれないし
という点を主張して嫁は譲らなかった。
当時の貯金は約300万円。
子供を生んで嫁が(あるいは俺が)理想とする新生活を始めるには少し心もとない額であるように思えた。
俺は子供ができたときに休みやすくするのであれば、日雇いバイトをパートの合間にいれる方法もあることを提案したが、拒否であった。
今年6月。
嫁は自分の父親に服(1万円未満)を贈るという。
俺は、入院生活が多くなった父親を少しでも励ませればとタブレット(3万円)を購入しようとした。
ここで嫁の言葉。
「金額的にお互いの両親の扱いに差をつけたくない。あなたが3万円使うなら、うちの母親にもプレゼントする」
俺は言った。
「通常のときであれば、差をつけるべきじゃない。ただ、今うちの父親は病気であり、困っている家族がいれば助けるべき。仮に嫁親が同じ状況だった場合、俺は快く払うよ」
結局2人は分かり合えなかった。
これまでも口論になることはあったが、嫁に対して出て行けと言ったことはなかった。が、このときは言ってしまった。「出て行け」と。
今後、お互いの両親にプレゼント(あるいは金銭的に援助)する場合、お互いの個人資産から行うこととなった。
これまで異なる環境で育ってきた二人。
価値観に違いがあるのは仕方ない。
幸い、ある程度独身時代の貯金があった俺は、釈然としないところもあったけれど、このルールでいくことにした。
父親のガンがリンパに転移していたと。これから抗がん剤治療を行うと。
些細なことでケンカになった。
話は発展し、俺は嫁に「もっと働け」と言った。
怒鳴らず、今の我が家の現状を、論理立てて説明した。(子供を産みたいのであれば、もうすこし貯金いるよね、という趣旨)
が、結局嫁は「家事がしたい」ということだった。
結局、俺は言ってしまった。「出て行け」と。
嫁は出て行った。実家に帰った。
俺は後悔した。
「出て行け」とは言うべきではなく、もう少し話し合うべきだったと。
その旨を嫁に伝えた。
何度か話し合いをした。
このことが嫁には納得できないらしい。
今の俺は、もう一度やり直したいと思っている。
嫁は離婚したいと思っている。
嫁の主張
・今後も俺の親が金銭的援助を求めてくる可能性がある。そのとき、俺の貯金が無くなったら、どうするのか。不安すぎる。離婚。(嫁の親も同じ趣旨のことを言っているし、今回の件に関してはかなり怒っているようだ)
俺の主張
・俺の貯金がなくなるのはまだ数年先のこと。そして、そんな先のことは誰にもわからない。もしかすると、他の原因でお金に困っているかもしれない(嫁が働かない、嫁の両親がお金に困って援助を求めてくる)。今はもう少しお互いわかりあえるように努力をしたい。
結局議論は平行線のまま。
もう価値観が決定的に違いすぎて、お互い分かり合えないのだろうか。
まだ話し合えば修復可能な範囲なんだろうか。
ちなみに、我が両親の具体的貯金額は聞いていません。
ただ、もともと年収はそこまで高くなさそうで、そんな中、私一人を大学院まで一人暮らしで6年間通わせてくれた。
それが負担になっていたというような気はしています。(だから、恐らく、保険とかにも入っていなかった可能性あり)
そんな両親を嫁から見ると、「子供にお金をたかるほど生活に困窮しているようには見えなかった」そうで、俺もそこは一度話し合う必要があると感じています。
「日本国民」とは誰かを定めないことには国民主権もクソもないのだから、当然といえば当然か。
それを法律で定めていいのか、とは思わないでもないが。
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
有名な「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」のうち唯一前文で明示的には出てこなかった「基本的人権の尊重」がここで出てきたか。
この「侵すことのできない永久の権利」を憲法改正で奪うことができるのかどうか気になるな。似たような疑問を前文でももったが。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
自民党の草案で、この「公共の福祉」が削られ「公益及び公の秩序」に変えられたとネットで話題になってたな。なんでも人権制約の原理が「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」に変わることで制約が容易になるんだとか。
正直、大きな違いがあるとは思えないが。
13条。7月7日。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
表現の自由みたいなのと比べると、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」ってえらく抽象的・包括的だな。
一つ一つあげてられないのでとりあえず「あらゆる権利を尊重すべき」的なことが言いたかったんだと理解していいんだろうか。
14条。7月9日。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
法の下の平等についての規定だが、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」以外の差別についてはどう考えるのか。
例えば最近話題になっている1票の格差も法の下の平等に関係する問題であるように思えるが、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」のいずれにも該当しない気がする。
15条。7月11日。
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3項 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4項 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
公務員の選定や罷免は国政に関係するのだから、これも国政の決定権は国民にあるという国民主権の一つの現れというふうに考えてよいのだろうか。
普通選挙とは、狭義では財力を選挙権の要件としない選挙のことをいうらしい。広義では教育や性別なんかも含まれてくるようだ。
そういえば歴史で、昔は一定額以上の納税者しか選挙権がなかったとかやったな。そのことか。
16条。7月13日。
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
ふーんという感じ。
少し気になるのは、これまで「国民」の権利等に関する規定という体裁をとってきたのがここにきて「何人も」となっている点。何らかの意図を読みとるべきなのか。
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
公務員の不始末はこれを管理監督すべき立場にある国や公共団体が責任をとりますよ、という話だろう。
気になるのは、公務員が公務とはまったく関係なく個人的な怨恨から他人にけがを負わせたような場合でも国などが治療費等の賠償責任を負うのか、という点。
国による賠償というのは結局税金なわけだから、もしもそんな責任まで国が負わねばならないのだとしたら、ちょっと勘弁してくれ、という気持ちになる。
18条。7月18日。
もっともな規定だと思うが、「奴隷的拘束」「意に反する苦役」をどう捉えるかでかなり意味合いが変わってきそうでもある。
たとえば徴兵制は「意に反する苦役」なのか。あるいは、無理筋だとは思うがワタミのようなのを「奴隷的拘束」とする余地は全くないのか。
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
思想・良心の自由を侵すということの意味をどう考えるべきか。たとえば廃仏毀釈よろしく仏教施設を破壊し、ただし内心で信仰するのは自由だから思想・良心の自由は侵していない、という論法は可能なのか。
そもそも思想・良心のような内心の問題はいかなる権力によっても強制できないとも言い得るのだから(表面上は従いつつ心の中で舌を出すことが可能)、その意味の捉え方次第ではこんなものをわざわざ保障する必要はないとも言えるのではないか。
ねーよw
「私はこんなに可哀相です」ってアピールする”図々しさ”がなければ知られることすらない。
そして”真面目に生きてきた”タイプの人間にそういう”図々しさ”は無いことが多い。
どんなクズでも餓死されたり犯罪に走られたら社会不安に繋がるから、
やむなく国が最低限の福祉を与えて、死なない程度に飼い殺しにしようという話のはずなのに、
ギャンブルや飲酒は切りが無くあっというまに金が無くなる(そして社会不安へ)ので
「死なない程度の飼い殺し」には適してない。
世間の同情が得られるような境遇であれば、福祉がなくても募金や寄付で援助してもらえる。
真面目に生きてきたのに難病にかかって治療費が足りない人とかには、みんな喜んで寄付する。
そういう人を援助することによって名声を得たいと思う人も出てくる。
まともなコミュ力がある人は、親族や友人から援助してもらえることもあるだろう。
同情の余地がないほどのクズ、今の境遇が自業自得としか言えないような人には、誰も援助しようと思わない。
そういう人を援助することによって世間の非難を浴びる可能性が高いから、誰もやりたがらない。
とはいえ、どんなクズでも餓死されたり犯罪に走られたら社会不安に繋がるから、
やむなく国が最低限の福祉を与えて、死なない程度に飼い殺しにしようという話のはずなのに、
300円の借金で難儀している実家を救おうと1,350円で身を売った
だが、そのうち周旋人に250円、実家の借金返済したあと残った800円が
家に残った金。6年の年季の間に1,350円は返せると考えていたが、とんだ誤算
朋輩の多くがいつまで経っても一向に足を洗うことができないのを不審に思ってが
謎はすぐに判明。客から入った10円のうち7割5分を楼主に取られてしまい2割5分が
玉割と称して娼妓の手取りだがその中から1割5分が借金返済のたけ天引きされ残り
1割(1円)だけで生活。彼女の稼ぎは月に300円程度、手元に残るのは僅か30円、
これに対し呉服代、化粧品代、洗濯代、電話代、客用の茶菓代、銭湯や病気の際の
治療費に至るまで諸掛一切が娼婦の負担。これが月に40円をくだらないので、楼主
から追借をせざるを得ず借金は減らない仕組み。さらに、特定の日を「しまい日」と
http://1024.hatenablog.com/entry/2013/03/26/195249
うちの親父も癌になった。発覚時ステージ3で、手術からそろそろ五年経つがいまのところ再発はなし。まぁとりあえず一安心というところか。
最初に見つかったのは歯肉癌。本人気づいていなくてなんか痒いな、腫れてるなということで歯医者に行き、歯医者も炎症起こしてる程度だと思って大きめな病院を紹介しただけだった。その後ふた月くらいは全く危機感がなかったのでほったらかしてた。昔親知らずで異様に腫れたことがあったのでそんなもんだろうと思っていたらしい。で、気づいたときはステージ3。リンパにも転移していた。会社の定期診断では大腸への転移の疑いありとも出ていたが、それはシロだった。
この時親父は59歳、3月生まれなので翌年に定年退職の予定だった。
癌だっつーことで速やかに休職。すぐ手術するのかとおもいきや、意外に検査に時間がかかるのね。保険がガンガンきいたのと、でかい企業だたので病気での休職などの制度もしっかりしてて、子どもはまだみんな学生だったけどとりあえず困らなかった。
別に嫌な親父だったわけではないが、自分と一番下の妹以外は何故か見舞いに行かず、いろいろ日頃の関係が出るなぁと思ったりしていた。自分はこの時躁うつの治療中&大学院生だったので割と暇ではあった、というのもあるが、手術の立ち会いも自分がいった。母はなぜか切れていてろくに見舞いに行かなかった。病気になるのは本人が悪いらしい…基地外である。
手術と治療は東京歯科大でやった。総合病院じゃないのに手術とか(リンパの切除もあったし)大丈夫なんだろうかと個人的にはちょっと思っていたが、口腔がんセンターになっているだけに治療はスムーズで、特に不安に感じることもなかった。病床少ないので静かでいいし、がん患者が少なく、入院患者もだいたい元気に退院していく(親知らずとかだからね)ので、逆に本人にとってはよかったようだ。病院としてもアレルギーなし、他の病気もなし(昔胃にポリープが出来たくらい)、なんでも食べるしとくに落ち込むこともない親父は割と扱い易かったもよう。
こちらとしては切除した顎やリンパを見せられるのは勘弁していただきたかった。医療系じゃないんだから免疫ないんです。ここが患部だとか言われてもハイそうですか、としか…
なお家族の絆とやらはうまれなかった。なのでそんなに感動的な話はない。
一ついい事といえば悲劇のヒロインになったつもりの母親が、親父が最初にかかった歯医者の女医さんに「きっとうつになっちゃったのよ!」などと言われ、病院に連れて行かれて今もなおうつ病だとおもっていることだ。もともとボーダーなんだが、薬を飲んでるとみんなちやほやしてくれるのを学習したようで時々貧血が…とか動けないの…などと病弱なふりをしつつもちゃんと薬を飲んでくれている。出ている薬にリーマスが混じっているので、医者はたぶんボーダーであることを把握していると思われる。薬が効いてるおかげか昔より性格が穏やかになった。相変わらず人の悪口は多いが、まぁいじわるばあさん程度だ。
癌は不治の病というイメージがあったが、どちらかと言えば母親のほうが不治の病にかかっているような気がしてならない。
ま、母親は置いといて、当人はそんなに深刻な感じではなかったが、同時期にやはり癌(ただ部位は異なる)になった同僚がいて、その人が焼身自殺した直後だったので、どちらかというと現実逃避をしていたっぽい。えんぴつでなぞる徒然日記とかイラストロジックの差し入れを喜んでいた。なんにも考えたくなかったんじゃないかなーと今になると思う。病院暇だしね。
手術直後は気力がなくなったのか、気にしない振りをしていてもやっぱり怖いのか、ボケっぽい症状があらわれて鉛筆でろくになぞれなくなっていたりした。あと算数どころか一から百まで数えるのができなくなった。
会社も休職後には元の業務に戻さず新人の教育とか、後方支援とかなんとか名目を付けてあまり重要な業務はさせなかったようだ。それでも置いてくれているだけましだと思うくらい、ぼけた。幸い今はボランティアにいける程度には回復している。
あのボケ方をしていたにもかかわらず、定年まで退職勧告をしなかった会社には感謝をしている。ずっと夜勤のある仕事だったが配置転換で夜勤をなしにしてその代わり日勤と早朝勤+出勤をタクシーにしてくれたのもありがたい(事故があると困るからだろうが)。退職金も一割減だったけど出たのでその後の治療も心配せずにすんだ。でかい企業だったので労組から見舞金もかなり出た。親父が退職したその次の年の年度末に会社更生法を申請しているのでかなり余裕が無い時期だったに違いないが、そういう対応をしていただいたことには本当に感謝している。あの会社のおかげで自分も病気持ちだが大学院まで出ることができたし。色々悪く言われているし、問題もあったことは知っているが、でもやっぱり職を奪わず金を払ってくれる存在があるというのはありがたいことだ。
癌は不治の病というイメージがあるし、昔はそれこそ家を潰して治療費にあてなければならないほど治療にはお金がかかったらしいが、実際にすぎてみると「あれ、そんなもんか」という程度ですんだような気がする。しかしこれはうちの親父がでかい企業に勤めてて、その企業が先回りして色々と保険をかけてくれてたりとかしたからだ。これはたぶん幸運なことだったのだろう。幸運ではないかもしれない俺やあるいは俺と同じ世代の人々は、癌になったらまず経済的なところで問題がないかをおさえるべきだと思った。
あと思ってたよりずっと医療は進んでて、患者にはそれほど負担がかからないように医者も日夜研究をしてくれてるんだなぁと思った。一番ネックになるのはたぶん本人の恐怖心だと思う。これは個人の資質にもよるので本当にどうすりゃよいかはわからん。恐死の恐怖は肩代わりできないしね。
もしかすると恐ろしさのあまりにボケるかもしれない。変な宗教にハマるかもしれない。騙されて医療を拒むかもしれない。そういうところに点け言ってくる奴はたぶん必ずいて、それに利用されることは大いに有り得る。出来る限り完治後も継続して安定した生活が送れるように変な情報はシャットアウトして、本人の逃避の方向を問題ない方向性に向けてやるしか、周りで見てる人間にはできないんだろうなぁ、なんてことを思った。そゆう意味でも親父は手のかからないひとだった。ありがたい。
が、まだ問題は続いている。
人前で暴力を振るわれた時点でもう、「そいつには暴力を振るってもいいんだ、許されるんだ」という共通認識ができあがっているようなものなんだ、という事を痛感した。
まず、後輩がつまらない事で反抗してくるようになった。
まともに言う事を聞かない。
先輩達が当たり前に一人でこなしてきたこともやらない。文句を言う。遠まわしに言う。
聞こえよがしに皮肉を言う。悪口を言う。
こんどは違う先輩がパワハラめいた真似を始めた。
舌打ちする。椅子を蹴る。人前で面罵する。対象は私のみ。
一体どうしたらやめてくれるんだろうか。どうして私ばかりこういう目に遭うんだろうか。
わかっている。
こいつには例え暴力を振るったとしても、大した報復はないんだと思われているから、イジメみたいな真似を受けるのだと。
暴力を振るわれた際、病院に行って帰ってきた私を待っていたのは「仕事に穴を開けて皆に迷惑をかけたのだからありがとうございましたと言いなさい」という先輩の一言だった。
なめられているのか。暴力を振るった人間の親に手紙を出し、どういう事をされたのかを詳細に説明し、当人からの謝罪と治療費を引き出したが、それでも手ぬるいと見られたのか。
他の人はこんなくだらない件にいつまでもつき合わされたりしていない。
たかが職場でこんなつまらない人間関係上の問題に巻き込まれ、対応を迫られている時点でもう終わっている。
やはり断固たる対応をしなければいけないのだろうが、もう嫌だ。
でも他ののほほんとした跡継ぎ連中と違い、苦労して苦労して今の仕事に就いた私には、経てきた苦労が重すぎるために今の職業をほうり出す事なんてとてもできない。
他のやつらより苦労し努力し現職に就きそして今なお我慢し続けている私が一切報われず斯界から放り出されるなんてそんな事は絶対に許されない。何より私が許さない。
もう何年も似たような問題には悩まされているし、もう心療内科にかかれば職場を納得させるのに満足な診断書の一つも出してもらえるんだろうが、「ちょっとイジメたらあっさりノイローゼになって辞めてったわアイツ」と笑う連中の姿を想像すると絶対にそんな事はできない。
ああ。明らかに足元を見られている。
私は周囲に構い面するタイプではないのに、どうしてこんなつまらない問題にいつまでも巻き込まれていなければならないのか。
この苦しみは一体いつまで続くんだろうか。
肌荒れ、ニキビ跡酷い、不細工、腎臓疾患(ネフローゼ)、発達障害持ち、身長170cmどまりの超低スペック高校1年生です。
病院の領収書は3割負担で5000円だ。僕の住んでいる自治体は高校生まで医療費が無料なので、その領収書を役所にだせばその5000円すら浮く。
今日ニュースで日本がTPPに参加したら国民皆保険が無くなると聞いた。
国民皆保険がなくなったら僕みたいな厄介な疾患持ちは民間の保険会社は弾き返すだろうし、入れてくれても疾患の治療費は全額負担だろう。
将来が怖くなった。
みんなは医療費食いの疾患持ちはシネとか言うんだろうけどさ。