2013-06-04

大正末期のある女郎の実態

300円の借金で難儀している実家を救おうと1,350円で身を売った

だが、そのうち周旋人に250円実家借金返済したあと残った800円が

家に残った金。6年の年季の間に1,350円は返せると考えていたが、とんだ誤算

朋輩の多くがいつまで経っても一向に足を洗うことができないのを不審に思ってが

謎はすぐに判明。客から入った10円のうち7割5分を楼主に取られてしまい2割5分が

玉割と称して娼妓手取りだがその中から1割5分が借金返済のたけ天引きされ残り

1割(1円)だけで生活彼女の稼ぎは月に300円程度、手元に残るのは僅か30円

これに対し呉服代、化粧品代、洗濯代、電話代、客用の茶菓代、銭湯病気の際の

治療費に至るまで諸掛一切が娼婦負担。これが月に40円をくだらないので、楼主

から追借をせざるを得ず借金は減らない仕組み。さらに、特定の日を「しまい日」と

称して割高の金を客かた取れるが、この日に客がつかない娼妓には1日2円の罰金

課せられた。売れっ子でない普通娼妓では到底抜け出せない仕組みになっていた。

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