はてなキーワード: 持たざる者とは
子供は贅沢品だ。贅沢をしている人間を何故支援する必要があるんだろう。
満員電車でベビーカーを押しているような人間がいて、正直迷惑なのだが、世間一般的には、あの人達には優しくしましょう、と言えるのが正しい人間ということになっている。
「は?」という気持ちだ。
子供手当を出そうとか、独身税を課そうとか、そういうのも意味が分からない。
「持つ者」を何故「持たざる者」が支援しなければならないのか。
他者からの愛を受けることができるコミュニケーション能力や容姿は資本である。
子供を持つことができた人間とは、すなわち、その時点で資本家だ。
消費税の話になると、「金持ちから税金とれよ」という話がよく出るが、まさに私はそのような気持ちを、子持ちに対して抱く。
結局は、恵まれている人間に、恵まれていない人間が施しを与えろと言われている。おかしいだろう。
助け合うのが社会ではないのか?
「社会で子供を育てよう」というのは我々にとって「弱者からの搾取」になるという話なのだが、どうして議論にならないのか?
「子供は宝だ」そうだろう。
価値があるものを持っている人間に何故補助を与えなければいけない?
論理が矛盾しているのだ。「弱きものを助けよう」と「社会で子供を育てよう」というのはその時点で衝突する。
そういう時、民主主義ではどうするべきなのか。今一度、話し合うべきじゃないのか?
社会が子供と、その親を支えていく構図が本当に「良い」ものだと、私にはどうしても思えない。
子育ての大変さを論じる人間=金持ってる人間が、相続や税金についての大変さを論じる人間
くらいのイメージで見ている。
まあ、お前のような弱者は民主的な議決の場にお呼びでないというのならそれでもいい。
ただ、それなら私たちのような弱者が公共の道路や電車で子持ちに対して余裕を持って接するというのは無理な話だ。人生のリソースの総量が少ないので、そちらに配分できない。
そこに人は平等を感じているのか。
その問題から目を背けているから、子育ては永遠にしにくいのだと思う。
言われるであろうことに先に反論しておく。
忙しくてゲームで遊べないのヘソ曲げるし、てか23時過ぎたらもう寝るモードだからゲームできねえって何度も言ってるのに過ぎてから誘ってくるし、それでいてなぜか昼間にゲームやってるのにその時は誘わないし意味不明。昼間誘えよ。てか「今遊ぶぞ」じゃなくて「何曜日の何時ごろ遊ぼうぜ」とか予定立てろ。
ぶっちゃけ、そんなんだと孤立するで。愛嬌というか、もういいトシなんだから物わかりというものを弁えろと。説教してあげたいんだが、機嫌が悪いときに説教してもなおさら聞かないだろうしなあ。てか機嫌がいいときに話したことも全然覚えてないし、その普段から話していることなのに忘れてるために何度も逆ギレされてるんだが。記憶障害なのかな。同じ学校を出た人間とは思えないほどワイよりも極端に頭が悪い。僭越ながら自分はそこそこ地頭がいい自覚があり、やはりそうなのかなあと相対的に。能力というものは下を見ても上を見ても果てしなく広がってるけど。
弱者界隈に明るくない人向けに解説すると、世間一般のイメージする弱者像は「品行方正で貧しい」、いかにも助けがいのありそうな人格だが、実際の弱者というのは「頭が弱くてガラが悪い」。助けがいがない。「助けられたければもっと愛嬌よくしろ。お前みてーなクズは助けてやんねー。税金使わせねー」と思われてしまう。だからこそ孤立する。知り合いや世間からの草の根の福祉、援助、説教、教育的指導、手を差し伸べてもらいにくくなるからだ。だからこそどんどん弱者になっていく。持たざる者はますます持てなくなる。性格に難ありでも若い女であれば世話してもらえるが、男はそれもない。「助けがいがない。お前なんか助けてやんねー」などと人々から思われてしまいやすい人こそが、真に助けを必要としていることを意味している。しかし助けられにくい。「こんなやつを」と認知に逆行してしまうから。
お言葉ですがこの話を理解すること自体にも一定以上のオツムを必要として必要としてしまうので、多くの人には理解されにくい。
閑話休題。
そのー。別の知り合いが某新興宗教に入ってて。会うの怖いと話してるんだが、当の本人もオカルトな話題をちょくちょく投げてくるんだ。まあ類友だねーと思ってしまう(ブーメランか?)。やれ地震予知だの、反ワクチンのような話題だの。目が笑って月刊ムーをネタと楽しんでいるオカルトエンジョイ勢の類ではなく、目をひん剥いてガンギマリのオカルトガチ勢(お察し)を感じるんですよね、私の予感が正しければ。
だから、彼はこのままだと新興宗教か電波まっしぐらだろうなーと。狂っていくのかなー。彼に対して学生時代のよしみで手を差し伸べるのはやぶさかではないが、どこまで自分のリソースを捻出できるだろうか。でも話しぶりを聞いていると自分なんかよりも交友関係が広いので大丈夫なんかな心配せんでも。よくわからんけど、めんどくせー女ムーブをするのは俺に対してだけなのか?それ以外の相手にはお行儀よくしているのだろうか。あんなめんどくさいムーブされたら短気な人はキレたり即絶縁したりすると思うし交友は続かないと思うんだが。
「自炊男子大生と限界年上OL」がTwitterで話題になっている。自分には関係ない話だと思っていたが、長い間トレンド入りしているものだから気になってtogetterhttps://togetter.com/li/1656253を拝読した。
これを読んで多くの一人暮らしの民が「自分の普段の食事は “限界飯” なのか?!」「何を基準に食生活が壊滅的・破滅的なのか否かを判断すればよいのかわからない!」と疑問や不安を抱いたのではないだろうか?私もその一人だ。不安になったから急いでサインアップをしてこのはてな匿名ダイアリーというものを利用してみている。……そんなこんなで増田の使い方を全然わかっていないし、投稿したら誰かに読んでもらえる可能性がどれくらいあるのかもわからない状態である。文章を書くのも元々得意ではないので悪しからず。
私が実家を出て、もうすぐ2年経つ。1年目は大学の寮(食事付きではない)で暮らし、今はアパートの一室でIHの一口コンロや電気ケトル、電子レンジ、炊飯器と共に暮らしている。寮でのフロアメイトたちとの共同生活を通して、自分は同年代の女子と比べると家事(特に料理)ができる方だと実感していた。幼い頃から「ひとりでも身の回りの事が何でもできるように」と、家事をよく手伝わされたり任されたりしていたためであろう。親に感謝である。私の家族は食にとことんこだわる人たちで、安全で美味しい食材を求めて肉も野菜も魚もお気に入りの農家や魚連から取り寄せていた。出汁のとり方など、調理法にもこだわる方だったと思う。実際、母の料理は贔屓目なしでも美味いと思っている。まあとにかく、私の料理スキルと持っている知識のレベルにさほど問題は無いはずだった。友人と一緒に食事をとる予定があれば、友人の好みに合わせて油淋鶏やらグラタンやらオムライスやら炊き込みご飯やらパスタやらタンドリーチキンやら、様々な料理を作ったものだ。
寮を出て本格的に一人暮らしを開始した頃、某感染症が世の中をめちゃくちゃにし始めた。大学の講義はすべてオンラインでの開講となり、私の(数少ない)友人たちの多くは暮らしていた部屋を引き払って長期の帰省を始めた。誰かのために料理をする機会がほぼ無くなってしまったせいなのか、私の食事はどんどん手抜きになっていって、作り置きという習慣も次第に失われていった。気が向いた時に料理をすることもたまにあったが、寮を出て初めて夏を迎える頃には野菜を買う習慣も無くなっていた。その頃食べていたものを挙げてみる。
朝: 無し
夜: 餃子の皮を揚げて塩胡椒や柚子胡椒や七味唐辛子で味をつけたものを乗せたご飯
毎日こんな感じだった。そして今もこんな感じである。彩りもクソも無い食生活に、最初の頃は「まあ今日くらいこれでいいか!」くらいの感覚を持っていたのだが、しばらく続けているうちに慣れてしまってヤバさを感じられなくなっていたらしく、件のOLお姉さんの食生活が破滅的だと言われている騒動を見てハッとした次第である。私の食生活、ヤバいのかもしれない……いや、ヤバいんだった。昔はこんな生活を続けちゃいけないと思っていたんだった。
料理スキルの有無と自炊習慣の定着度の間にどのような関係があるだろうか。自炊をしていない人は皆料理スキルを持たざる者なのか?私は別に、自分の世話をする時間的な余裕が得られないほど忙しい生活をしているわけではない。ただ、自分一人のために包丁とまな板を取り出し洗い物を増やしながら鍋やフライパンを使うのはなかなか結構億劫だなと思ってしまいがちである。
この文章を人間に読んでもらえたのかどうかわからないが、もし読んでくれた人間がいるのなら礼を言いたい。ありがとう。オチの無い話ですまない。私はがんばって健康になる。
これ読んで持たざる者が似たチャレンジをするとどうなるか書いておく。
https://anond.hatelabo.jp/20201230010318
1+2 = 生まれ持った性質に基づいて馬鹿にしている。という、大変な危険行為、国際的に炎上するアレやソレとイコールなんですけど。でも婚活コンサルはそれをわりと堂々とやっているのがすごい。もうちょっとオブラートというか、レトリックを駆使するなどして、ポリコレからカムフラージュした物言いにしたほうがいいんじゃないか?って思うけども。無防備すぎやしないかな(助け舟)。まあ駆使したところで見抜かれてしまうんですが。
個人的には1単体は同意なんですよ。同じ見解を持っている。確かにモテる人間って、「まず女の子と食事に行くとするじゃん?」から話を始めるけど、そもそも非モテはそこにたどり着けないんですけど。というスタートラインが決定的に違いすぎて話がかみ合わないやつ。ただ2は否定ですし1+2も否定ですねー。
じゃあ先天的モテを持たざる者として生を受けてしまったら、どうやって結婚すればいいか?というと結婚は実際問題難しいだろうねハードル高そう。個人の努力ではどうにもならないやつだ。それが昔であれば国民皆婚体制という社会構造によってハードル低くなっていたけど、いまはもうそうなっていない。
じゃあ、いよいよもって、先天的非モテはどうやってよりよく生きていけばいいのか?というのは、まあとても難しい問題ですよね。僕もそうだし。みんなして手探り状態だよね実際。
差がある という単語だけならそれでいいはずだしこの単語自体に問題はなにもないはず
差がある から その差を 高いところから 低いところに 向かわせると 有益な副産物を得られる
差があると認識するだけでは記憶にさえ残らない風景の一つと同じなはずで 差に気付いたとしても 差という情報のみで思考も発言もおこらないはずだと先読みした結果に
「差がある から その差を 高いところ(高慢)から 低いところ(差別)に 向かわせる(問題・犯罪)と 有益な副産物を得られる(利害)」
差そのものがもう差別であり問題であり賠償問題だと繋がってる思考で「差が権利」だとか「差は権利」だとか指摘しているのでは
現状において指摘するだけなら指摘だけすればいいけれども その指摘も「差があると認識するだけ」と同じで「差がある」と発言した時点で一括で問題視するように 指摘をするという行為自体が「賠償を請求する」ような流れになっているかのように見える
脳をはじめほかの何にしても男性性や女性性があるような二つの同類が対照的に役割を分けている様子についてそれらが分担していることを平均する必要は本来ない
右手と左手が違っていて大きさや力が違う差について問題があるのなら 真ん中にちょうどいい一本の手足があればいいのかといえばそういうわけではないはず
右手が右側にあるのがうらやましく 自分自身は右側にあるべきはずだと心底感じているのだが 自分は左手なのだということが コンプレックスになったり解消すべき問題なのか得られるはずの権利が踏みにじられているのかといえば それは個人の感想であればそうなのであろうと肯定しかないと思うが あなたは手足がそんな主張をしたならば切断したりするだろうか
手足にとってもっともよい選択が あなた自身の人生についてもっとも良い結果をもたらすのだろうかと考えると 悩むところは多いだろうと予想される
性別の差も結局は個人の差であり その差をどう取り扱うべきかと役割でない行動をとるかどうかも個人の差で それぞれの個人の差がまとまり複合的に「ひとつの主張」となっているものが個人の枠をこえて発言したりされたり 見聞きしたりすることになるのではないかと思う
故にそれぞれに差はあるだろう それは個人において性別による差が どれだけ影響しているか差と 構造的な差と 方向性についての差 などを含んだ「個性の差」としての認識に間違いはないと考える
現状 差があると発言しただけで「奪うな補償しろ」と言われる構造がまん延していることも あるのだろうとは思う
集団に対して個人がほしいものを請求するとかわりに簒奪してきて自分に与えてくれるはずだそれが弱者をいたわる社会というものだというような考えがなくなり
弱者は弱者として貧者は貧者として持たざる者は持たざる者という役割ごとに置いて十分に社会的に貢献し それぞれに分類された充実感や幸福感を感じ満足すべきものだというような構造が社会にもたらされるまでは これは変わらないのではないか
情報として知ることができる距離が縮まり誰であっても隣人と感じることができるような社会に成長した今 幸福度とは隣人との比較で成り立つものではないという新機軸が発明されることが望ましい
けれども 個人的には 先般の「鬼滅の刃ブーム」のような平滑なアクセスを 出力をしぼり市場に他商品を流さず均一(独占)状態にすることで供給と消費の一本化から皆が平等な幸福感を得られるというような仕組みにシフトしていくことは あまり良いとは感じることができない
って大変じゃない?
依存先を複数用意することを上手くやれるのって、相当な文化資本とか人脈とか、かなりの「持つ者」にしかできないワケで、「持たざる者」にとっては、やっと依存先を発見すると砂漠の中のオアシスをみつけたかのようにそこにドップリ浸かってしまいがちなのでは?わたしですが・・・
ソシャゲ課金しすぎて破産したり、アイドル声優がご報告したらCDを割るファンがいたり(耳が痛いですが)、奥さんに家事や身の回りを依存しきっていて亡くなってしまったらなにも生活できなくなる昭和おじさんとか、ギャンブル依存症、アルコール依存症、いろいろあるけど。
一つの物ごとに大きく依存しすぎていて、そこからハブられてしまって途方に暮れてるんですけど、いま。その依存先の固め方が甘かった。
まだ自分は、反省して長期的な見直しができるような精神状態じゃないんですけども。緊急避難的に休まなきゃならない状態。とてもつかれてる。
phaさんの書いたどこかの本だったか、なんか書いてあったきがする。
「一人で一生できる依存先」「みんなでできる依存先」「一時的で、何年かでなくなる依存先」みたいに、異なる性質毎に分散依存しておくのが堅いよね。みたいな。違ったかな。どこかで聞いたと思う。誰にも壊されないプライベートで堅い精神的依存先を所有したいよね、それは自己肯定感とイコールかも知れないけども。それを持たざる者は多いので、外に依存先を求めるざるを得ず、人生が不安定になる。
たとえばオンラインサービスの類はいつかはサービス終了があるんで、そのつもりでいなきゃダメだ。しかし、たとえば非電源系ゲームだとか、オフラインで動くゲーム機だとかは半永久的に遊べるかもしれない。バブルシステム基板のグラディウスなんかは危ういですが。
諸行無常。
その点、伝統宗教は優秀だよな。少なくとも自分の人生が終わるまでの期間は存在しつづける期待値が高いもの。まあ、まずサービス終了することは無いでしょうね。そういう安心感がある。
自己防衛。当然だよね。VTuberなんか(人生を賭けた精神的依存先として)あてにしちゃダメ。あてにしちゃうから文句が出る。
発電を核、水、火、風、光、などに分散して安定性を増すのと同じで、人生の依存先も複数用意しないと安定しない。
収入源を会社だけじゃなくて副業にも確保するとかね。それができている人はかなり少ないでしょうけれども。
CD-RやDVD-Rも経年劣化で読み出しできなくなる、むしろプレスROMディスクですら危ういんですよね。だから数年毎に物理的に変えながらHDDバックアップ、というほうが堅いでしょうね。"ハード"ディスクだけに。
どこかの増田が、青葉真司はラノベなんか目指さず、西村賢太のように私小説をやればよかったと言っていた。
こういう現実的な進路指導には巡り合えず、きれいなことを言う弱者ビジネスの養分にされるだけで一生を終えるのが底辺だと思う。
スポーツ・お笑い・芸能はワナビビジネスの養分で終わるリスクが高く、持たざる者にも可能性のある道とは言えなくなった。
前向きに頑張ろうとして自己啓発系につかまる。プロ弱者は実質ヤクザという認識が世間に広まり余程フォトジェニックでないと自立は難しくなった。
では、どうすれば良いのか。
トップにいるバカを徹底的に褒めあげフォローすることで、太実家子女が空気のように得ていた機会を得るのだ。
ブサイク・低学歴・貧困などの資質は、バカの気分をよくするため優位に働く。
のちにバカをヨイショしてたという理由で非難されるリスクがあるため、成功ギリギリの段階で無能への正直な気持ちを公の場で発言したり引きづり下ろすと良いだろう。
プリパラの神回で打線組んでみたwww(アイドルタイム、プリチャンは無いよ)
https://imasoku.com/pripara-lineup/
で組むにあたって縛りルールを。
・最終話とその手前の回は除外
これしなきゃそこら辺で大体埋まりそうなので。1,4期の最終話付近なんて神回しかないでしょ???個人的に4期2クール目はほぼ神回よ。
なお当方クソザコナメクジの為見直せてないです。その為若干怪しい箇所あるんですが大目に見てください。オールシーズンBOXを見返す時間がない……。
「この回ねーじゃねーか!!」はコメント欄にでも書いてってくれ。
・1 中 第7話 つぶやきにご用心
ネットの情報に振り回されると目の前にある一番大切なことに気付けなくなる話や。
初期の傑作かついちあお回だから本作品の初心者に勧める際は「とりあえずここまで見てくれ」って言ってるで。
この一件から何か伝えたいときは手紙にしたためる様になった説をワイは推す。
・2 右 第147話 輝きのルミナス
自分を信じて努力し続けていれば絶対誰かに認められるって話や。見てる人はちゃんと見てるんやね…ひなき頑張ったなぁ;;
ひなきを気遣っていつものノリで絡んでくる珠璃がもーーーーほんま!!!お前そういうとこやぞ!!!!!!!!!!
いつもの調子で「どうしたの?!ひなき!!」じゃなく自分から喋ってくれるのを待ってるのが…暑苦しいのは変わらんが。でひなきが口を開くとちゃんと黙って聞いてるし……こういう関係、やっぱ昔馴染みは違うわ~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この経験があってのスターライトクイーンカップや。最後の最後であかりちゃんに逆転負けしてクイーンの座を逃したんやね。その時目をにじませながら「すっごく悔しいぜ!」って言ったんやな。なんだよ…ちゃんと言えたじゃねえか(FFXV)。
彼女はそういうとこあんま見せないっていうか、割とひとりで抱え込んじゃうタイプだと思うんや。実際珠璃にだけそういうの話してるし。それがよ、最後の挨拶のとこで"悔しい"という率直な気持ちを吐き出せたんや…なんやろな、そういうのちゃんと言えるのも成長だと思うねん。頭の中で「しょうがない」「相手が上だった」「あかりちゃんおめでとう」となあなあで終わらせるんじゃなくて、ちゃんと素直な気持ちを口に出すことで心に刻むというか…この経験が来年のクイーン戦に繋がるというかな。がんばれひなき、ワイはお前を見守っとるで!!!(2回目)
間違いなく「アイカツ!」という作品を象徴する神回や(あかジェネだとひなきが一番好きなので多少贔屓してますがそれ抜きでも好きな回です)。
まどかのサプライズから始まり、今までさんざん彼女に弄ばれた黒沢凛ちゃんが彼女のためにサプライズし返すんやで。
「お前は彼氏かなにかか?」と思わずツッコミたくなるくらいのイケメンムーブに刮目するんや。あまりのイケメンっぷりに性別問わず凛ちゃんの女になった視聴者も多いはず。まぁ凛ちゃんの女はまどか一人だけなんやけどなブヘヘヘヘ。え、スミレ?本命はあかりちゃんでしょ(激論になるためこの話はスルー)(スミ凛も好き)。
ただ正直Bパート最初のライブ見るくだり、ちょいテンポ悪いからもーちょい詰めてまど凛パート増やしてほしかったわ。まぁそのあとの畳みかけで瀕死になるんやがな。
「私のアツいアイドル活動!"アイカツ!"始まります!!」←まさにこれや。アイカツ!第二章の始まりや。
かつて美月さんのステージを見てアイドルを志したいちごが、その"憧れ"になった瞬間なんや。
・5 一 第37話 太陽に向かって
今更語るまでもない「ソレイユ」結成回や。「大切なものは失ってから気付く」っちゅー王道を書いた話やね(???)。
先輩アイドルとして出てきたからか1期のメイン回における蘭って8割負けるんやけど、今回はマジに明確にミス+挫折するという…出てきた当初はウルトラセクシージャパンビューティ笑わぬ女神美しき刃(霧矢命名)だったのに…蘭自身能力が低いわけではないが周りが化け物でそのプレッシャーと知らない間にいちごとあおい姐さんの存在が大きくなってたからか。
「光が多いところでは、影も強くなる」とはゲーテの言葉やが、二人から離れたことでどんどん影も大きくなったんやな…ただそこは神崎美月、見逃してない。目に見えてダウンしてる蘭の背中を押して合流させたんや!
"ソレイユ"としての初ステージ後の蘭の笑顔に涙が止まらないんや…彼女もいちごたちと出会って変われた一人だから…よかったなぁ…ほんとによかった…ルームメイトが退学してから一匹狼貫いてた蘭が……これからは三人ずっと一緒や!!(蘭のルームメイト云々の話って何話だっけ)
どーでもいいけど事後処理はどうしたんやろな。まぁあの世界って"悪意"がないからどっかの某プリズムアニメみたいに罵声や空き缶が飛んでくることもないやろ。安心やな!!
高橋ナツコと双璧をなす綾奈ゆにこ屈指の神脚本回や。巷では合コン回とか言われとるがその実本編に関わる重要なユニット決めやトライスターのその後、ユリカ様の葛藤やかえでの決意とかなり本筋に関わる重要回や。一度にこれだけの未解決問題を解消したゆにこの手腕は確かや!脚本担当してる「きんいろモザイク」も見てくれよな!!
この回以降かえでとユリカ様の組み合わせが爆発的に増加したちまち人気ユニットの仲間入りを果たしたんや。正直「いちご渡米を姐さんにバラしたアイドル」でしかなかったくらい存在を持て余してた一ノ瀬かえでに明確な芯と道を与えてくれたゆにこには感謝しかない。
個人的には自分から「セイラ(いちご)ちゃんがいいんじゃない?」って背中押したのにあっさりそうだねーって返されて若干困惑してるあおい姐さんときいちゃんが好きやね、なに残念がっとんねんって。いや理由は分かるけども。
神崎美月はやっぱ最強やな!と思わず再評価する回でもある。あの時アイドルを志したのはいちごだけじゃないんやな、どれほど影響力あるんや美月さん…SHINING LINE*強過ぎやろ…。
マスカレードにあこがれた美月さん。美月さんにあこがれたいちご。いちごにあこがれたあかりちゃん。そして美月さんにあこがれたリサや。このクライマックス突入してる174話で美月さんに回帰するのもいいんやね、まほプリ最終回で仲良くいちごメロンパン食べてる幼女二人に在りし日の自分たちを重ねたことを思い出すわ。一本の線が回りまわって自分の手元に戻ってくるというか。
一人の女の子がアイドルを目指す、新しい物語の始まりを感じずにはいられない良回やね。頑張ったけどあんま順位伸びなくて終わるのもGOOD。ののリサ主役で追加2クールやってクレメンス。
一度は入学試験に落ち、補習目的のアイカツブートキャンプ送りになり、スペシャルアピールが出せない…と、周りと比べて"持たざる者"だったあかりちゃんが壁を乗り越える回や。
今では憧れのアイドルの横に並ぶくらい立派に成長した彼女の下積み時代を描いた超貴重回であり、これがあっての3期あかりちゃんやね。
自分が三つ葉なら薔薇の花びらを一枚付け足して四つ葉にすればええんや。この真っ赤なバラがあかりちゃんのハートや!!
あとまぁ百合豚的には1期最終話で姐さんがいちごに宛てた手紙の中身が判明するのも要チェックやね。最初の一か月ぐらいはソワソワしてたんやろな。
・9 投 第16・17話 ドッキドキ!! スペシャルライブ PART1/PART2
「新人だと言えば大目に見てくれるかも知れない。でも、本当にそれでいいの?」この言葉を胸に日々を過ごしていきたいやね。
ちょこちょこ壁にぶつかっては乗り越えてきたいちごを待ち受ける、はるかに巨大な壁。トップとの差をまざまざと痛感したんや。
そんないちごを応援するあお蘭おとめにそれを近くで見守るジョニー先生があったかいんや……;; アイカツ!という作品は人の想いで出来てるんやなぁ…。
新人にも容赦なく要求してくるのは信頼してる証であり、一人で降りられなくなった階段から降ろしてもらいたい願い…はもう少し先の話。
ちなみに劇中で美月さんは4回アピールを披露したが原作のDCDでは3回しか出せないので正真正銘トップアイドル神崎美月しか出せないんや。やっぱり美月さんは凄い!!(テンプレ)(マスカレードも出せるのかな?)