はてなキーワード: 市長とは
フェイクあり。文章へたなんで許して。もう我慢限界の話をひとつ
高齢過疎地域のある町。そこそこスーパーもあるし、特急1時間かければ都心にアクセスできるむかしのベッドタウンの話。
48歳のダウン症の利用者がわがままで暴言、癇癪、過度の引越し癖(本人の母親が障害年金、生活保護のお金を求めて利用者に近づくため(DV歴あり)事業所近くに逃げるために引っ越してきてる事態)、クレーム難癖つけてヘルパーを人格攻撃
心疾患併発で体調不良もあるのにガイドヘルパーを呼びつけ何度も外出(止めても行くとわめき警察まで呼ぶ)、近隣住民にこのヘルパーに虐待されたとか叫んだり被害妄想を公衆の場で叫んだり・・・
体調不良でやめていったヘルパー、1日でこの人気に入らないから変えてって言われてやめたヘルパー、いっぱい この5年で100人以上と。困難物件らしく役所もどこの事業所もこの利用者を受け入れないらしい
利用契約断るように行った事業主は本人に泣き喚かれて「いなくなったら困る死んでやる市役所に講義しに行くんだ」と永遠の人的リソースを夢見て叫んでいる。役所に言ってもどこも受け入れないから頼まれる始末。事業主がずっとかかりつけでいたがとうとうストレス心労で倒れた。このままどうすればいいのか。役所は市内に受け入れる事業所ないからって見放してるし、最近は市長室にまで乗り込んでクレームを伝えに行ったらしい・・・トラブルばかりのこの利用者はひどいモンスターとなった。もう施設しかないのに行きたくないってずっといってて限界まで事業主は面倒見てひっぱってきた。こらもう、施設で消えてもらうしかないね。うんもうこんなんで人生終わるのもおかしいし介護福祉関係の人間が重病にかかるだけの日本4ね
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481
Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national
フランス語はそんな上手くないし、フランスの政治には全然詳しくないのでひどい訳です。
どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。
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モンペリエ大学とパリ政治学院の政治科学の助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるかに重要であることを示した。
2014年の選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家的レベルと結びつけて考えるなら、1995年のときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年の大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人が国民戦線に投票したのではない。棄権を考慮に入れるならば、有権者の10%だけである。
奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線の候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。
これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランスの第一党」とするには不十分なものである。アレクサンドル・デゼは、国民戦線の存在感というのは、市町村レベルでは副次的なものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである。党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党と社会党よりも少ない。
2011年1月にマリーヌ・ルペンが国民戦線の党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってから、エリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから、政治的なフィクションの領域に属するような話である。」
国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線は政治的に孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」
国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的なものである。マリーヌ・ル・ペンの就任の前と後での国民戦線の戦略、プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生とルペンの国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線の歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線が差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである。
プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制的批判、国家の特恵、国家の防衛、欧州連合の拒否、ユーロ圏からの離脱、失業と不安の原因と見なした上での移住の拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペンの社会的な演説は、連続性を担っている。
リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女の父親のイメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票を正当化するために持ち出されるような、最先端の議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペンが自分の父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペンと彼女の父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民の問題を解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒のヨーロッパへの進出をイベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権の恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪の扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)
最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人を排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線は過激な極右のグループや活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線の市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線の市長は、GIのスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。
そういやあの人ツイッターで”いいこと言ってる”風なのはよく見るけどなんか他の市長と比べて目覚ましいことやったんだろうか。
成人の日ね。
私は地元じゃなかったので、
成人の日は行かなかったけど、
今思ったら行っても良かったかなって、
でも、知らない人ばかりだから、
結局どっちでもよかったのよ。
成人の証のバンジージャンプなんてやりたくないし!
でもさ、
あれって何と戦ってるのかしら?
何が気に入らないのかしら?
いつも、なんか壇上に上がりたがるじゃない。
成人式って荒れるのかしら?
なんか、そのくらい市長やってもいいと思うのよね。
そういう時だけに送り込む1日市長って言うことで、
壇上に上がってくる成人をガッデムビンタで蹴散らせちゃえばいいのに!
そうなったら、
まさに壇上に上がるってことにして、
それまで壇上に行くまでが、とても大変なゲーム形式にすればいいのよ。
逆にもう懐かしい領域ね。
でも、そういった血の気の多い若者はバンジーでもやらせておけばいいのよ!
それくらいやってもいいかもね。
うふふ。
盛り上がる成人式になるわよ!
今日は遅めの朝なのでまたお昼と朝を一緒にしようかしら。
あれって、
食べたいテンションでたくさん買っても、
あとこれ残ったのどうすんの?ってなっちゃうわよねー。
身体が温まるわねっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
きたるイベント当日。
アトラクションに使われる大掛かりなセットがスポーツ施設にずらりと構えらている。
今回は製作者の興がノリすぎたのか、かなり大規模かつデザインも凝っている。
まあ、参加者にとってはプレゼントのための障害でしかないのだが。
弟たち参加者の目はマジで、和気あいあいとした雰囲気とは裏腹に立ち振る舞いはトップアスリートのそれである。
「マスダ、今回ばかりは知恵はもちろん、手も貸さないよ」
「ああ、俺も同じさ」
「最新の防音耳当ては僕のものさ」
いつもは弟と共にいる仲間たちも、今回はライバルだ。
タオナケもいるということは、恐らくドッペルもいるのだろう。
変装しているのか、俺たち家族のいる観戦席からだとよく分からないが。
シロクロはというと、年齢不詳かつ体格も成人男性と変わらないということで参加を拒否されたらしい。
そうして参加者が出揃い、観戦席も埋まり始めたところで、いよいよ開催のアナウンスが入る。
まずは市長やイベント関係者の挨拶、注意事項の説明であるが、参加者である子供たちはもちろん大人たちも聞いていない。
当人たちもそれは分かっているのでテキトーなことを言って済ませたいようだったが、町おこしも兼ねているのでマスメディアを意識した適当なことを言わないといけない。
「以上で注意事項の説明は終わります。次にこのイベントに欠かせない、サンタさんの登場です!」
スタッフが手を向けたさきの扉近くから、スモークが吹き上がる。
そこから勢いよく、如何にもな格好をしたサンタがトナカイに乗って登場する。
「ホッホー!」
俺の記憶ではサンタが乗っているのはソリで、それを引くのがトナカイのはずなのだが、第1回からこの調子だったので今さら変える気もないのだろう。
「数々のアトラクションを潜り抜け、サンタのもとへゴールしてください。では……」
弟たちが構える。
「……スタート!」
空気銃の発砲音が響き渡る。
ミミセンは、その音にやられてしまって開始早々ダウンした。
http://xdl.jp/diary/?date=20161219
いっぽうで、私はむしろ、もしかしたらツルシにしてやろうと思って用意されたかものこの場で、
「西宮市は子供に本気で向き合うまちづくりをしている」ということをあらためて発信できたことをありがたいとすら思っています。
ただ、そのビデオを使って「市長が開き直り」という番組はじゅうぶん作れるでしょう?
あのイベントを通じて中高生たちに伝えたメッセージの一部を切り取って「市長が調子に乗って中高生に不良自慢をした」と表現することが可能なように、
西宮が本気で子供施策をやっているというメッセージの一部を切り取って「市長が記者会見で開き直り」と表現することは可能でしょうね。
ただ、あのイベントに参加してくれて西宮市役所からの本気のメッセージを受け取った中高生たちが、その報道を見てどう思うか、よく考えてください。
東京に住む妹はそれを聞いて「マジありえない。バイオハザードが起こったらどうするんだ。市長暗殺したい。」とブチ切れている。
だが実家に住んでいる父はその施設に関連している所で働いているので、施設ができる事により研究が捗るみたい。
母親もそれなりに心配しているが、市長を暗殺したいとブチギレるほどではない。
弟はそういうことに関心がないのか何も言わない。
家族が心配だからそんな施設を作るなと言うのはよく分かる話だ。
でも、「地震がテロが、あったらどうするんだ!?」と言ってしまえば、原発も何も、普通の発電所すら作るのは難しくなる
この言葉は正直悪魔の証明に近いというか、反論できないんだよね、日本に住んでいる時点で。
でもBSL4の設備を作ることによって感染症のワクチン研究が進むということは良いことなので、どこかには作って欲しい。
じゃあどこに作ろうか?実家のある街には作って欲しくないし、言ってしまえば日本に作って欲しくない。
もしテロとか地震でウイルスが飛散したらと考えると、どこに作ればいいんだろう。
作らないで研究をすすめるというのは難しいと思うから、人の少ない田舎に作ればいい。
でもその田舎に研究者を呼び寄せるためには、その田舎も生活できるように整備しなきゃいけない。
するとお店なんかが必要になるわけなんだけど、誰がそんな所で働くの?となる。
もしかして「研究者はみんなのために不便を被るべきだ」ということなのだろうか。
そうしたらちょっと給料を多めにあげたほうがいいかなって思うけど、今の御時世給料をたくさんあげるのは難しい。
車内の化粧は多くの人に迷惑ではない理由を書く前に、まず俺の意見というか軽いシミュレーションを書いてみる。
■前提
「電車内では座って、または立って、極力動かずおとなしく到着を待つ」ことである。
女性:
・座席に座っている
・左手に鏡を持っている
・ひざに化粧ポーチを載せている
社内混雑状況:
・case1 アホみたいに込んでる
・case2 ガラガラ
■シミュレーション結果
・case1 アホみたいに込んでる
女性の右に座っている俺:ごそごそとジャマ。しかもぶつかって妖怪人間のベラにならないように気を使うのがストレス(大)
女性の左に座っている俺:同上
女性の前に立っている俺:同上
・case2 ガラガラ
※右・左・前は同上なので略。そもそもガラガラで前は...
・家でやれば?会社でやれば?トイレでやれば?と考えるのがストレス(小)
・おとなしく待てないのか?と考えるのがストレス(小)
■総括
case2のオマケとして「自分と同じように考えてる人のイヤそうな顔を見るのもストレス(小)」も付け加えておく。
皆もこんな風に考えるだろうけど、出来れば炎上メディアに便乗した記事を書いているメディアにはアンケートまとめでもしてもらいたいくらいだ。
ところでまつ毛いじってる女性にぶつかったら、まつ毛全部抜けることもあるの?おっさんだから分からない。
自分的には「ジャマ」「よそでやれ」「おとなしく待ってろ」という考えだが、これは「前提」があっての話。
なので、
> 周囲に迷惑をかけないで済む電車内におけるデフォルト行動は、
「この程度のことを」迷惑だと思っていない。そもそも周囲に迷惑をかけても構わない。
> 「電車内では座って、または立って、極力動かずおとなしく到着を待つ」ことである。
お金を払っているのだから、誰かに何か言われる筋合いもなければ、決めるのは自分である。
とか思っているのかもしれない。
少し過激に書いたけど、一部でも同じ考えなのであれば、それはもう「前提が違う」に等しいと思う。
「都会の女性はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ。」
というキャッチも、東急線通学日記の「わたし」視点というか主観でしかない訳で、
前提が違う化粧している女性、また前提が違う意見の皆さんからすれば、共感できなくて当然だろう。
「わたし」視点を世間一般視点として捉えて広告を打った故の炎上騒ぎな訳だ。
そう、もはや車内の化粧は多くの人に迷惑ではない。
「少し過激に書いたけど」は全然過激ではない。それは俺視点だ。
これが今の前提なのだ。
もっとも意見が真っ二つに割れている今は言い切れはしないんだけど、あえて言い切ってみる。
俺は「この程度のこと」と考えている「前提が違う」方は、考えを改めてほしいと思っている。
なので、東急線は謝罪とか差し替えをしないでもらいたい。もっとこの件の認知を広めてもらいたい。多くの人に考えてもらいたい。
今の皆が思う前提を、もっと周囲への配慮がある前提に、常識を変えてもらいたいんだ。
「この程度のこと」と考えている「前提が違う」方に言いたい。
あなた方の考えはもはや少数意見ではないが、それが世間一般常識となっては危険なのだ。
もしこのまま「この程度のこと」という事で車内迷惑と思わない方が増えたら、「この程度のこと」がどんどんエスカレートして、
電車内で化粧。この程度のことだし。
↓
↓
もう電車内で市長や区長がフライングパイルドライバーをかますしかない!
となりかねない。
頼む。考えを変えてくれ。
まずは車内で化粧は迷惑、という考えに。
でたー!
「多くの人がそうであるなら」!
あのね!せめて「これだけそう思う人がいる」ってデータで持って来なよ!
仮定から始めて「~としか言いようがない」っていう結論になるのはおかしいっていい大人ならわかるでしょ!
まあ、黒石市長もそう思ったんでしょうよ!これは批判が多くなるだろうからやめとこうって!
でもね!実際批判が多かったのは、いったん賞をあげたあとにそれを引っ込めたことに対してなの!
遺族の気持ちを踏みにじったことに対してなの!
だから市長は撤回したの!それが「多くの人がそう思った」結果なの!
自分のそう思わないって考えるのはかまわんよ!
そこに「多くの人がそうであるなら」って謎の補強するからアホだなーって思われるんよ!
http://togetter.com/li/1038572
これと同じ論法よ!
この件、そもそも何で黒石市が批判されなければならなかったのか、まったく理解ができないです。観光PRを目的とした写真コンテスト受賞作に、撮影の10日後に自死した人間が写ってるなんて、普通に不適切だと思うのですが。なぜって、被写体少女が自死者であることが流布されれば、自死やイジメに注視度が移って、<観光PRという本筋の目的達成が困難になる>からです。件の写真が市長賞をとっていたとして、このご時世、その被写体がイジメ被害者で自死者であることは早晩明らかになったことでしょう。「この子は祭りの10日後に自死しました」という但し書き付きの受賞作を見て、この祭りに行きたくなりますか?気にしないとかじゃないですよ。「行きたく」なりますか?僕はならないし、多くの方がそうであるなら、「多くの人に祭りを知ってもらうという賞の趣旨になじまない」という市長の発言は、まったくもって正しいとしか言いようがないではないですか。
自死者であることを理由に、祭りのPRの場<では>評価できない、とされることの、どこに故人や遺族の尊厳を踏みにじる要素があるのでしょうか。
腹が立つのは、第一に、「自死者が恥ずかしいというのか!」みたいにネットで吹き上がる人たち。祭りのPRのためのコンテストなんだから、見た人が祭りに行きたくなる写真が受賞するのが正しいんです。自死やイジメを防ぐといった大きなトピックのもと、お得意のネットリンチで気持ちよくなってる人たちには、ほんとうにうんざりします。
第二に遺族。そもそもこの件、受賞が取り消された時点で、遺族が「確かに祭りのPR<には>ふさわしくない」と市の判断に理解を示しながら、とはいえ、いい写真なのだから、娘の願いを伝えたいから、と別枠で公開していれば、誰も傷つかず、また議論が散らかること無くいじめ抑止のトピックになったはずです。なぜ、わざわざ市に敵愾心をむき出しにして、祭りのPRという場を踏みにじったのか理解に苦しみます。
もっとも、結果としては確かにPRの目的を達成するどころか、かえって自死と関連付けられたイメージが祭りに付着する、悪手となってはしまいました。しかし、それも無理からぬことです。
「祭りのPRに自死者の写真が不適切とは何事だ!(お前らの祭りのイメージなんか知ったことじゃねえから笑)」と騒ぐ幼稚な似非正義漢がこれほど多いことを。遺族がこれを好機とばかりに「娘の願い」を伝える場として利用することを。
誰が、予想し得たでしょうか。
若くして自死した女子中学生は確かに悲劇です。しかしその悲劇感の大きさに目がくらんで、地方のお祭りPRに過剰な押し付けをするべきではないんです。市長を弾劾するのであれば、教育行政のレイヤーにおいてであって、祭りのPRで自死中学生の問題を内包せよなどという批判は的外れも甚だしいのではないでしょうか。騒動がここまで拡大してしまってはもうどうしようもないですが、なぜ何も悪いことをしていない祭りが、自死とともに語られる存在にされなければならなかったのか。「黒石よされ」という祭りをPRしようと、努力をされてきた方々の悔しさを思うと本当に心が痛みます。遺族は辛い状況でしょうからあまり責められませんが、少なくともネットリンチで快感を搾取している連中は猛省すべきと思います。
ちきりんの
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20161017
を見て、じゃあ政令指定都市はどうなっているんだと単純に疑問に思い調べてみた。
政令市名 | 市長名 | 生年 | 回数 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
網掛け= | 女性市長 | 70歳以上 | 5期以上 | 中央官庁出身 |
札幌市 | 秋元克広 | 昭和31年 | 1期 | 市職員 |
仙台市 | 奥山恵美子 | 昭和26年 | 2期 | 市職員 |
さいたま市 | 清水勇人 | 昭和37年 | 2期 | 県議会議員 |
千葉市 | 熊谷俊人 | 昭和53年 | 2期 | NTT、市議会議員 |
川崎市 | 福田紀彦 | 昭和47年 | 1期 | 県議会議員 |
横浜市 | 林文子 | 昭和21年 | 2期 | 日産、ダイエー |
相模原市 | 加山俊夫 | 昭和20年 | 3期 | 市職員 |
新潟市 | 篠田昭 | 昭和23年 | 4期 | 新聞記者 |
静岡市 | 田辺信宏 | 昭和36年 | 2期 | 市議会議員、県議会議員 |
浜松市 | 鈴木康友 | 昭和32年 | 3期 | 衆議院議員 |
名古屋市 | 河村たかし | 昭和23年 | 2期 | 衆議院議員 |
京都市 | 門川大作 | 昭和25年 | 3期 | 市職員 |
大阪市 | 吉村洋文 | 昭和50年 | 1期 | 弁護士、市議会議員 |
堺市 | 竹山修身 | 昭和25年 | 2期 | 府庁職員 |
神戸市 | 久元喜造 | 昭和29年 | 1期 | 自治(総務)官僚 |
岡山市 | 大森雅夫 | 昭和29年 | 1期 | 建設(国土交通)官僚 |
広島市 | 松井一實 | 昭和28年 | 2期 | 労働(厚生労働)官僚 |
北九州市 | 北橋健治 | 昭和28年 | 3期 | 衆議院議員 |
福岡市 | 髙島宗一郎 | 昭和49年 | 2期 | キャスター |
熊本市 | 大西一史 | 昭和42年 | 1期 | 商社、県議会議員 |
こうして見ると、中央官庁出身者は20人中3人で多くはない。全員中国地方近辺というのは偶然か。
多いのは地方議員(6人)と自治体職員(5人)で合計すると過半数だ。
やはり地方の行政組織や選挙(政治)に密着しているのは強みなのだろう。
民間企業経験者は5人(うち2人はその後、地方議員経験あり)、女性は2人と、
ちきりんの言う「改革派」市長ばかりではないだろうが、都道府県知事と比較してみると概ね、
・若い
・期数が短い
・中央官僚は少ないが、政治・行政出身が多いことは変わらない。
というのは確かだ。
この結果として、非都市部と比べて、住民が利益を受けているのか、不利益を受けているのか、
あるいは、中央と対峙しているのか、そうではないのか、といったことは、よく考えてみると、
とても面白いのではないだろうか。それに、各都市の構造も一様ではない(大阪市と浜松市では中枢性が違いすぎるように)。
また、都市の中の都市である、東京23区の首長の経歴がどうなっているのかも、調べてみると興味深いだろう。
ぜひ誰か調べてみてほしい。
もう10日も前の話だけど、イナズマロックフェスの2日目に行った。
途中で中断されたことはニュースになったけど、あんまりレポを書いている人がいないので、自分用に残しておこうと思う。
現場にいた人間としては、滝のような雨と常に雷の音が近くていつ落ちてくるか、という感じだったので中止以外になかったと思う。
長くなるので結論が知りたい人はこれで止めてもらってOKです。
初めての参加だったのでお昼前には会場に着くようにしたものの、まずバス乗り場の運動公園のグラウンドがぬかるんでいて靴に水がしみこむ。
その時点で雨はもう降っていたので、カッパ着用の人が多かった。
バスは台数も多くてそんなに待たずに乗れたが、会場近くになると道路が片道一車線でなかなか進まない。
普通の路線バスを使用していてぎゅうぎゅうに人が詰めこまれている中、20分の予定が40分くらいは立ちっぱなしだったと思う。
会場に着くがグッズ売り場もそんなに人はおらず、みんなフードエリアのテントの中に閉じこもるか、雨の中お昼を買うために飲食店に並んでいる状態だった。
私もとりあえずまだ人が少ない店にならんで、とりあえず腹に詰めこむ。この時点で確か1時前くらい。
市長挨拶の直前に有料エリア(C4)に入る。その間土砂降りの雨が降ったりしたので心の中では「もう帰りたい…」と思っていた。
2時になってやっとオーラルが始まる。この頃はまだ雨の強さは顔を上げられるくらい。みんなも元気だった。
2時半、とにかく明るい安村。安定感がすごい。指先がふやけてきたのでヤバいな、と思った記憶がある。
3時、HKT。雨が上がってきた。カッパが脱げるくらい。HKTのグッズはサイリウムのみだった。男らしい。
4時、ゲスの極み乙女。。演奏は良かったけど川谷氏のMCは早口すぎてよく分からず。演奏開始あたりからまた降り始め、途中から雷の音が遠くでし始める。
4時半、さらば青春の光。ステージを見るどころじゃない。雨粒が大きく滝のような雨なので、俯いてじっと耐える。
その後MCの方が出てきて「様子を見て、5時半まで待つ」とのアナウンス。雷が近いので、しゃがんで待つよう指示。足元が芝生でぬかるんでいるため座ることができず、皆立ったり座ったり。
これからが本番という人が多かったので、帰る人はあまりいなかったと思う。気温は高かったので寒くはないものの、雨がひどくなるばかりで不快感がとんでもなく、とりあえず我慢するしかなかった。
5時過ぎ、貴教が出てきて中止のアナウンス。最後方エリアなのでどうせ規制退場の順番は最初だろうと思い、出口へ。
エリアの出口で思いっきり泥に足を突っ込みながらもバス乗り場へ向かう。地図を見ないと分かりにくいが、歩いたのは一般入場口にから出た、フリーエリアの後方にある道。
バス乗り場の行列はフリーエリア内のアーティストグッズ物販エリアに隣接する道にできていたので並び直す。列自体は進みが早いように思ったが、乗れたのは6時半くらいだった。
この時乗り場の案内のお兄さんが「あと2万人残ってます」と言っていた。みんな最初は雷の音にビビっていたものの、だんだん気にせず歩くようになっていた。
とりあえず前に人についていく、ぐらいの思考能力しか残っていなかったと思う。正直、その辺の記憶があんまりない。
運動公園に着いたのは7時半くらい。グラウンドの泥水を蹴飛ばしながら歩き、電車に乗れたのは8時過ぎくらいだった。
駅で使えなくなったカッパを回収していたのには本当に助かった。途中で少し破れたので迷わずブチ込ませてもらった。
私はまだ早い方だし、今回クロークの出し入れが遅かったらしいので、預けていた人はもっと大変だったと思う。
天候のせいなので誰が悪いわけでもないのだけれど、今年唯一の夏フェスだったので残念なことになってしまった。
みんなお疲れさまでした。