この件、そもそも何で黒石市が批判されなければならなかったのか、まったく理解ができないです。観光PRを目的とした写真コンテスト受賞作に、撮影の10日後に自死した人間が写ってるなんて、普通に不適切だと思うのですが。なぜって、被写体少女が自死者であることが流布されれば、自死やイジメに注視度が移って、<観光PRという本筋の目的達成が困難になる>からです。件の写真が市長賞をとっていたとして、このご時世、その被写体がイジメ被害者で自死者であることは早晩明らかになったことでしょう。「この子は祭りの10日後に自死しました」という但し書き付きの受賞作を見て、この祭りに行きたくなりますか?気にしないとかじゃないですよ。「行きたく」なりますか?僕はならないし、多くの方がそうであるなら、「多くの人に祭りを知ってもらうという賞の趣旨になじまない」という市長の発言は、まったくもって正しいとしか言いようがないではないですか。
自死者であることを理由に、祭りのPRの場<では>評価できない、とされることの、どこに故人や遺族の尊厳を踏みにじる要素があるのでしょうか。
腹が立つのは、第一に、「自死者が恥ずかしいというのか!」みたいにネットで吹き上がる人たち。祭りのPRのためのコンテストなんだから、見た人が祭りに行きたくなる写真が受賞するのが正しいんです。自死やイジメを防ぐといった大きなトピックのもと、お得意のネットリンチで気持ちよくなってる人たちには、ほんとうにうんざりします。
第二に遺族。そもそもこの件、受賞が取り消された時点で、遺族が「確かに祭りのPR<には>ふさわしくない」と市の判断に理解を示しながら、とはいえ、いい写真なのだから、娘の願いを伝えたいから、と別枠で公開していれば、誰も傷つかず、また議論が散らかること無くいじめ抑止のトピックになったはずです。なぜ、わざわざ市に敵愾心をむき出しにして、祭りのPRという場を踏みにじったのか理解に苦しみます。
もっとも、結果としては確かにPRの目的を達成するどころか、かえって自死と関連付けられたイメージが祭りに付着する、悪手となってはしまいました。しかし、それも無理からぬことです。
「祭りのPRに自死者の写真が不適切とは何事だ!(お前らの祭りのイメージなんか知ったことじゃねえから笑)」と騒ぐ幼稚な似非正義漢がこれほど多いことを。遺族がこれを好機とばかりに「娘の願い」を伝える場として利用することを。
誰が、予想し得たでしょうか。
若くして自死した女子中学生は確かに悲劇です。しかしその悲劇感の大きさに目がくらんで、地方のお祭りPRに過剰な押し付けをするべきではないんです。市長を弾劾するのであれば、教育行政のレイヤーにおいてであって、祭りのPRで自死中学生の問題を内包せよなどという批判は的外れも甚だしいのではないでしょうか。騒動がここまで拡大してしまってはもうどうしようもないですが、なぜ何も悪いことをしていない祭りが、自死とともに語られる存在にされなければならなかったのか。「黒石よされ」という祭りをPRしようと、努力をされてきた方々の悔しさを思うと本当に心が痛みます。遺族は辛い状況でしょうからあまり責められませんが、少なくともネットリンチで快感を搾取している連中は猛省すべきと思います。
多くの方がそうであるなら、 あ、反対一票です
でたー! 「多くの人がそうであるなら」! あのね!せめて「これだけそう思う人がいる」ってデータで持って来なよ! 仮定から始めて「~としか言いようがない」っていう結論にな...