はてなキーワード: 小学校とは
妹は小学校三年生まで最初だけ一緒母と私と寝室で話してから寝てたな。毎日「今日楽しかったこと」「今日悲しかったこと」「明日楽しみなこと」を一人ずつ報告してた。もちろんもう一緒には寝ないし、一緒に寝室までついていくこともないけど、だからといって今日一日を振り返ったような会話が食卓でおこることもないから不思議。
あのころに戻りたいなぁ、小さい妹可愛かったなぁ
コロナの前(※調べたら、2020年の12月だったわ。19年と勘違いしてた。失礼!)に
自分は食の仕事してるので、世界中の色々なものを食べたくてしょうがないのだけど、
最初は「えー、気持ち悪い」「私食べられないやつあるかも」といわれつつも、
美しく盛り付けられた料理写真を見せたり、シェフがエルブリ(スペインの超有名なイノベーティブレストラン)での修行経験あることを伝えたり、などなど精一杯プレゼンして何とかOKをもらった。
【先に結論】
ここから延々と食レポ書いていくのだけど、食べ終わった感想はこんな感じ。
・肉や魚では感じたことない果物/花のようなフレーバーがするものがあった
・それらは人口的に作られた香料と違って自然でほのかな香りで洗練されていて、普通に感動した
・常食はしないかもだけど、出汁パックとかだったら使ってみたい
【食レポ】
コオロギの出汁を煮詰めたものと小麦粉を混ぜて固めて焼いたせんべい。
前評判通りのエビ風味。食感も少し硬めで、「坂角総本店の海老せんべい」によく似てる。
マッシュルームとトウガラシの粉をかけて少しスパイシー&うま味盛りしてあった。
黒ビール特有のチョコレート風味はあるが、甲殻類感などは全くない。
苦味と濃さも強め。で、とても好み。そういえばむかし、
ヤッホーブルーイングが「前略好みなんて聞いてないぜSORRY」という
ビールで鰹節を入れて発酵させた物があったが、それと同じロジックのようだ。
椎茸の出汁を合わせて作った出汁で、ガンもどきと春菊を炊いた料理。
ガンもどきは特に昆虫使ってるとかではない、普通のガンもどき。
まぁ、海老出汁という感じだけど、濃厚なタイプのエビ感は無い。
コオロギってわざわざ言われないと気づかないので、
こういう形で広まるかもなあと思ったりした。
特に小麦香とかは無かったけど、餌によって味は変わるんだろうな。
マリアージュで合わせる酒は加世田30年という熟成させたコーン焼酎。
大豆を使わずコオロギだけを8ヶ月発酵させた醤油だそう。発酵するんだな・・・。
作り方は乾燥させて砕いたコオロギと麹を混ぜて発酵させるとのこと。魚醤ならぬ虫醤。
甘味が少ないので、甘めの食材と合わせると良さそうということで雲丹なのだろう。
コーン焼酎もおそらくフレーバーは香ばしさで合わせて、甘い香りを補う狙いだと思う。
料理の前に「この子たちですよー」と、アクリルボックスに入った蜂の巣を見せてくれるプレゼンテーション。
集合恐怖症の自分には正直かなり厳しい。(まあ絶対こういう演出あるだろう覚悟はしてたからいいけど)
さて、料理の方は甘しょっぱく煮込んだスズメバチの幼虫とサナギのソースを
まあ見た目は幼虫とサナギそのままなので、ザ・虫。
とはいえ、ソースも濃厚な茶色なので凝視しなければあんまりわからない。
キャラメリゼされたナッツ香が特長的で、レーズンのような舌が少し収斂するような味わい。
バター感のあるカボチャのスープと合わせると、プチプチとした食感とも合わさってなかなかに良い。
マリアージュで合わせるのはボタニカルジンをキハダのトニックウォーターで割ったもの。
植木鉢のような器に木の枝。その先の葉っぱには蝉の幼虫がくっついている。
やばいかなと、パートナーをチラッと見るが、全く大丈夫のようだ。
アブラゼミとミンミンゼミの幼虫を乾燥させてカラッと揚げたとのこと。
中は思ったよりもジューシーでプチュっとした食感。味は出汁感が強い。
川海老の唐揚げのような香ばしい感じかなと思ったけど、思ったより香ばしくはない。
香りはアーモンドとかのナッツとかにちかい。成虫になるともっと香ばしくなるらしい。
食感が柔らかめなので、個人的には殻付きの甲殻類の唐揚げより好きかもしれない。
合わせた樹液ジュースは、*****と******、***と**(注:これ演出としてクイズだった!ネタバレしないほうがいいと思うので伏せ字にしました)を合わせたもの。
ストローでセミになった気分で飲む演出。味は、まあ不味くはないけど普通。材料の味がする。
仕事でタコスを作ったりしているので、「オアハカの昆虫タコス」は昔から気になっていたので
焼いてパリパリにしているので、トスターダというのが正しいかな。
イナゴの味的には先程のスズメバチのソースのような甘酸っぱい系に仕上げてある。
ベリー感が来るので、ラズベリー系のソースで煮てあるんだと思う。
下にフリホーレス(南米の黒豆の煮込み)が敷いてあり、味の緩衝材になっている。
食感は比較的バリバリしていて、イメージしてる昆虫食に近かった。
そのまま使う昆虫(成虫)はやはり「硬さ」が一つネックになりそうで、
それを他の食材(パリパリに焼いたトスターダ)とかで合わせるのがコツのようだ。
(7品目)イノシシのロースト、イナゴ醤油ソース、韮の蕾のケッパー添え
ロゼ色に綺麗にローストされた猪の上に黒ニンニクとイナゴ醤油を使ったソースがかけてある。
イナゴ感みたいなのはわからない。パートナー的には一番美味いとのこと。
人口的な強さがない。個人的には青リンゴよりも洋梨香を感じた。
話を聞いたら、ベースのウイスキーがブラックニッカとのことらしい。
タガメ漬けるだけで、あれこんなに美味しくなるんか。
ヨーロッパイエコオロギと二星コオロギの合わせ出汁ということ。
出汁感はとても強く感じた。だいぶ酔っ払ってきたので、この辺りのメモが適当になってる。
今回、全ての料理の中で一番美味しかった。カイコの糞を混ぜ込んだアイスクリーム。
アイスにほうじ茶は入れておらず、桑の葉っぱを食べたカイコの糞を混ぜて香りを作ってるらしい。
これ以外も桜の葉っぱを食べさせると桜餅の香りのする糞だったりと、
カイコの糞は、蚕沙というちゃんとした漢方にもなってるくらい昔から食べられていたらしい。
という、感じで全9品。店名は書かないけど調べれば出てくると思うので、
<追記>
結構美味しいのになあと思ったので、書きたくて書いただけ。
本当に虫取り小学生みたいにキラキラ語ってて本当に好きなんだろうなーと思ったんよね。
なんとなく、そういう人が流れ弾で叩かれたら嫌だなってのがあったかな。
>Antcicadaでしょ?
俺のレポよりもずっと詳細で写真付きの記事あったので、恥ずかしいわ。
>そこ、もう予約取れなくなってるらしい
レストランは本当に予約取れないよね。
いいなと思った店は次回の予約も入れる(人はその後に集める)ことが多いなあ。
>休業中だって
新しいシェフになると味も変わるだろうし、また食べに行きたいなあ。
割と自由の利く仕事をしていてちょっと縁があるアメリカの地方都市にいる。
もともと日本が大好きで他国に住むなんて有り得ないと思っていたが、子供たちを無痛でほいほいと出産してから居着いている。
子供たちは現地校に通わせているが日本人とも遊ぶし、駐在の人たちにも仲良くしてもらってる。
夏の一時帰国の予定を立てるにあたって去年都市部の実家に一時帰国した時の面倒くささが蘇ってしまった。
一時受け入れをしてくれた幼稚園、小学校の持ち物にサイズ指定があるのにまず驚いた。
上履き袋は横開きの240mm*140mmでマジックテープ、縦に吊るせる紐を付ける。上履き袋を壁のフックに効率よくかける為らしい。
芋袋も布で用意する。芋ほり体験の後にサツマイモを持って帰ってくるための巾着袋を布で縫う。
お昼寝布団はセットで自転車通園でも大きな袋を毎週よっこらよっこら抱えていかないといけない。
出羽守仕草をやらせてもらうが、アメリカの学校ではそういったものはない。
上履き袋は市販品でいいし、芋袋はガロンサイズのジップロックでいいし、お昼寝セットは市販のナップマットを丸めれば肩に掛けて歩ける。
日本でベビーカーを押していても邪魔にされたり、ひどい時は信号のない横断歩道でギリギリまで車を寄せられたりクラクションを鳴らされたりする。
駅のエレベーターは譲られるどころか並んでいる前に普通の人が次々と入り込み降車から5分10分とかかってやっとホーム階に行ける。
もちろん日本製のアップリカでサイズが邪魔になっている訳ではない。
アメリカで車をベビーカーに寄せたりするのは極悪人だしクラクションなんかしたら人非人扱いだ。
ヒーロー志向が良い方向に働いてエレベーターは並んでいても子連れが譲られるし段差があれば男女関係なく誰かしら助けてくれる。
日本で重く勝手に閉まるタイプのドアを開けてさあ入ろうという時に他の人が入ることはある。
勿論アメリカで開けたドアを他の人に譲ることは多くある。しかし必ず礼を言うものだ。
日本では半分以上の人がドアを押さえる私を無視して素通りする。私はドアマンじゃねえよ。
こくりと会釈か目礼する人で、ありがとうと声に出す人は滅多にいない。
街を歩いていてもテレビを流していても、それはどうなの?というソシャゲのCMばかり。
温泉むすめや雀魂が炎上したがどうもどちらの言い分も飲み込み兼ねる。
私も長らくオタクだったので表現の自由派だったが、日本の街のどこもかしこもアキバみたいなノリなのはきつい。
あんたもコンビニの外壁に貼られるならせめて親戚の家に行く時に失礼にならない程度の露出度の服を着なさいよ。
長々と書いたがアメリカ出羽守の戯言なので叩きたければどうぞ。
色々な肌や言語の家族がいるけど子供たちは普通にバスケやニンテンドーで遊んでいる。
遭遇するかしないかわからないアジア人差別より遭遇率の高いぶつかりおじさんの方が嫌。
日本での勤労と納税の義務は果たしているが子供たちが小さい内はあまり帰りたくない。
嫌なら帰ってくるなと言われるのはわかっている。
嫌だから帰りたくないな〜と思っている話。
小学校進学した頃に両親が離婚して、宗教に入れ込んだ母が選んだ土地がたまたまそこだった。田舎の人が優しいなんてことは無くて、よそ者で貧乏だったからキッチリいじめられた。
大好きな本を虐めっ子に破られた時、図書館の人に泣きながら謝ったけど酷く叱られて、居場所がまた一つ無くなった。
空き家や古い家に囲まれた、奥まった駐車場で一人で座って過ごした。冬は寒くて擦り切れた手が痛くて、家に帰ると学校でいじめられた姉が憂さ晴らしに私を殴った。
中学生になる頃、姉に反撃をしたら簡単に組み伏せられた。男に生まれて良かったと初めて思い、人に暴力を振るった事実は心をぐちゃぐちゃにした。
中学でも虐められて、無為に過ごした。不登校にだけはなるまいと、自分を奮い立たせ続けた。奨学金を借りて高校に進学した。バイトを始めて、初めて使えるお金を手にした。お金があると避けられる不便があることを知った。バイト先のまかないを貰ったとき、こんなにも美味しいご飯がこの世にあるのかと感動した。
ストレスか栄養不足か、顔全体に吹き出物が出るようになり、顔面で赤くないところを探す方が難しいくらい醜くなった。これは5年後にタバコを吸い始めてから一気に改善した。醜い痕は無数に残っているけど。
コミュ障で不細工で運動音痴だったけど、本をたくさん読んでいたから、義務教育の勉強はひとりでもそつなくできた。英語を使う会社に高卒で滑り込んで、途上国勤務を命じられた。日本に未練が何一つ無かったから、二つ返事で了承した。お酒とタバコだけが拠り所だったけど、捨て猫を拾ってからは拠り所が増えた。物乞い以外に生きるすべを知らない子供をたくさん見た。俺は全然、幸せだった。
娘はオリジナル曲の奇怪なダンスをしたり、お気に入りのぬいぐるみを並べてごっこ遊びをしたり。
1日にあった出来事を話したり、突然宇宙や自然のことを話し出したり。
早く寝て欲しくて明日も幼稚園だから!と注意するのが、明日も小学校だから!に変わっておおよそ一年。
先月まで一人で寝るのは怖い〜と寝かしつけを欲してきた娘が、今夜、あっさりと明日からは一人で寝る宣言をしてきたのだ。
思わず笑いそうになりながらも、早くベッドに入りなさいと言った。
これから食べたい物や行きたいところ。
世の中の不思議。
将来大人になったらしたいこと。
おかあさんの将来の夢はなに?と聞いてきたときには、返事に困ったよ。
普段はお父さん大好きなのに、なぜか一緒に寝るのはお母さんがいいと聞かなくて、暗い部屋で小さな手をにぎりながら、あなたが眠るまでたくさんのことを話したね。
何年後、何十年後経っても、私はこの日に戻りたいと思うんだろうな。娘と添い寝するのが日常だった最後の日。
今、娘の寝息を聞きながら、暗い部屋でこの文章を書いている。
私立では基本配備されている警備だが、効率では金銭的に難しいのは重々承知しているつもりだ。
県警などが手配すればいいだけだった。
そんなの毎日していられない、という言い分は分かるが、
埼玉の今回の事件は猫殺害事件の犯人と同一ではないかという憶測がある。
猫事件の現場からは5キロも離れていないし、あれも小学校に晒されていたというものだ。
何度もネットでは言われているが、動物虐待をして、それを飾る行為は危険人物のするものだ。
性癖などで片付けるものではなく、目立ちたい、自己顕示欲、気づいてほしいなどといった思考から
行為がエスカレートしていくものだ。あれだけ衝撃的だったサカキバラの事件がもう風化している。裁判記録も破棄された。
もし今回の件が同一犯なら、全国的にそういうことが起きている地域は警備を置いた方がいいし
2歳からピアノを習い、ピアノ発表会や小学校時代の音楽会にてピアノを演奏。2004年4月神戸市立歌敷山中学校に入学。中学時代の学業成績はオール5。文化祭での吹奏楽部の発表や合唱コンクールでのピアノ伴奏、更には生徒会長と多忙な中学校生活を過ごした。
2010年4月兵庫県立長田高等学校卒業後、同志社大学政策学部に進学[9]。同志社大在学中は国際政治学について学び[10]、ゼミでは民族紛争の研究をしておりセルビア(旧:ユーゴスラビア)にゼミの旅行として赴いた経験がある[11]。*元来は文書の執筆が得意だったこともあり、テレビ局の報道局政治部記者の職を志望していたが、大学のセミナーで記者向けのゼミが見つけられなかった。
同じく発信する仕事であるアナウンサー職向けのセミナーを受講し、
宇垣にとって雲の上の存在であったアナウンサーを目指すこととなる。
2011年にはミスキャンパス同志社に出場してグランプリを獲得し[12]、京料理屋でアルバイトをしていた時期もあり、お酒について学んでいる。
言われたのはこの文章
なのでこう言い返してやった
だってお前は俺じゃないんだから文章を書いた意図が正確にわかるはずもないわけで、それなのに使い方について断定したような物言いするほうがおかしいわな。
ぶっちゃけ、中学どころか小学校の分数の段階でつまづいてそれ以上進歩「できなかった」って人もいるからな。
まあそんな程度の地頭の人が一応難関と言われる気象予報士合格を目指すというのも、どうかとは思うが。
だから高校物理の内容がちゃんと分かってて人に説明できるっていうのは、そんなのは常識とさもできて当然のように言う人いるけど、日本全国民を基準にとったら真ん中よりはだいぶ上なんじゃないかなと。
なんか結構見かけるんだよね。
Youtube、5ch、ツイッター、Facebook、ニコニコ、Wikipedia、ヤフコメ、爆サイ、その他の掲示板、あらゆるSNS、チャットサービス、オンラインゲーム、個人の日記、ほぼ全てのウェブサービスでどこもかしこもネットリンチしてるよね。
どこの職場にも悪口大会があるけど、あれって0対Nで常に一方的だよね。それを本人にチクるのを生き甲斐にしてる北欧神話のユグドラシルに住んでるカス(ネズミだっけ?)みたいな奴がいるけどさ、まあそれでその場でキレた所で1対Nになるだけで結局多数決主導の日本じゃ勝ち目ないじゃん。つまりこれってもうリンチじゃん。
日常の中にリンチがあるのが日本社会なんだよね。それはネットにおいても同じでどこもやってる。別にはてなは特別でもなんでも無いじゃん。なんでその中で「はてなはネットリンチしてるから特別に最悪なサイトなんですよ」なんて言われなきゃいけないんだろ?それ単に君がはてなの事しか見てないだけじゃんっていう。
皆が当たり前にやっていることを、たまたまそれを目撃したから批判するのって、物事の認識が刹那的すぎない?皆ウンチしてるのに何故かウンチしてるのをリアルタイムに見つかった人間だけが馬鹿にされる昭和の小学校みたいなノリだよね。
はてなの現状についての問題点を語りたいなら、それは「リンチをしている」なんていう人間の普遍的な行動についての批判をもって行うべきじゃないと思うんだよな。
もっとはてな特有の問題点、リンチにしたってその性質が他と比べてどう問題なのかを話題にすべきだと思う。
たとえば俺はなんJが一時期やってたことはネットリンチの中でも飛び抜けていたと思うんだよ。本人を特定してリアル住所に突撃して嫌がらせを繰り返したのは他のサイトではあまり見かけないことだ。相談に行った弁護士も巻き込んで延々とネタにしているのもかなり特異で、少なくともヤフコメとかでそういうことに発展したのはまだ聞いたことがないから、普遍的な事象と言うには程度が酷すぎると思うんだよね。
はてなってそういいう「このサイトは他と比べて特別に異常ですよ」って要素あるっけ?殺人事件が起きたってのはかなり特殊な事例だと思うけど、それについてはもう原因になった機能を停止して解決したからいつまでもその話題を引きずるのもどうかなと思う(まあこれは、対策を練ろうとしたはてな運営に無力感を学習されるとまた今度何か起きたときに動かなくなるのが一番怖いなって気持ちもあるんだけど)。
つうわけで改めて言うと「今のはてなが他と比べてネットリンチにおいて特別ヤバイことになってる部分って何かあるの?」というのが俺の疑問ね。
自分の前提
昔はひろゆきSUGEEEEって思って他人を論破(笑)する事に喜びを感じてた子供時代を過ごした事があるのと
今の小学生と話す機会がよくあり共通点こんなとこなのかなーと思ったところをつらつらと書いてみます
とは言ってもそんな長い話でも無く結論から言うと「周りの大人(教師親等)がちゃんと子供の話を聞かない」なんじゃないかと思ってます
子供が何を言ってもまともに取り合わずちょっとでも反論したりすると「屁理屈」「言い訳」「揚げ足取り」等の言葉を多用し、何がどう屁理屈なのか等を一切説明しないまま
お前が悪いと言って会話を終わらせる
こういう事を繰り返されると会話をするんじゃなくて相手を言い負かす事に対して価値を見出すようになり
子供のクラスメイトが転校する。遠くへ引っ越すのだと担任は説明したが、それが本当の理由でないことは居合わせた保護者全員が気づいていたと思う。
その子の名前は何度か耳にしたことがあった。子供が話す学校での話題に名前が出てくるとき、それは決まって問題行動の報告だった。授業中に立ち歩き、廊下に出ていってしまったり、忘れ物をして先生に怒られることも多い、と。話の内容からなんとなくだが発達障害の特性があるのだろうと感じていた。
この学年はコロナ禍の始まりとともに小学校生活をスタートした。学校に行けない期間が長く、入学直後はリモート授業。その後登校できるようになっても授業参観や親の参加できる行事はすべて中止となった。学校の様子は子供を通じて話を聞くだけだった。顔も覚えられないまま転校してしまう子がいるのはこの時代ならではかもしれない。
子供が通う小学校は私立だ。とはいってもガチガチの進学校ではない。外部受験をする子もいるが、附属にエスカレーターで上がるのならば小学校では比較的のびのびと過ごせる。ただ、のびのびといっても進学校レベルの詰め込み授業ではないという程度。授業は多少先取りで進み、宿題もそれなりに出る。
さらに4月から新たな学年になれば徐々に中学受験に向けた活動に舵を切りはじめる。自席で黒板に向かうのも難しい状況ではチャレンジ校の受験はおろか、比較的緩い内部進学の基準にも達しない。
公立ならば加配を付けられ通級や支援級と併用もできるが、私立ではなかなか難しい。このままこの学校に通い続けるよりは、もっと適した学校へ。そう考えたご家族の意思もあっただろう。
けれど私は引導を渡したであろう学校の、さらには学校へ圧力をかけた保護者の存在を感じた。担任から、過去にその子の「他害行為」により被害に遭われたお子さんとご家族へのお詫びとする説明が続いたからだ。
担任の話によれば、感情を言葉でうまく表現できず手が出てしまうことがある。そういう特性を持った子です。と、はっきり説明された。子供の保護者本人ではなく学校からの開示。プライバシーもなにもあったものではない。しかしそこまで言及しなければ「被害に遭われたお子さんとご家族」は納得しなかったのだと理解もした。このとき、入学直後から保護者の間で囁かれていた「困った子」の話が私の頭の中で繋がったからだ。
「すぐに手が出る子がいる」「保護者に訴えても何もしてくれない」
小学校の入学後、ようやく登校が開始されてから数ヶ月は登下校時に保護者が付き添う。同じ路線で通学していた際の保護者同士の話題に「困った子」は頻繁に挙がった。だが、口さがない噂話を好む人たちもそれなりに弁えているのか、直接名前を出すことは無かった。名前はわからないが、そういう困った子がいるのだという話に私は適当に相槌を返していた。その子とはクラスも路線も違うらしく、接点がほとんど無かったからだ。そのうちに保護者の付き添い期間は終わり、コロナの波が来るたびにリモート授業になり、学校行事がほとんど行われないまま年が過ぎていった。「困った子」のことなどすっかり忘れていた。
入学からこれまで「困った子」について学校側から説明を受けたことは一度もなかった。在学中の児童について発達障害の説明などできるわけがない。学校側も苦慮していただろうとは理解できる。それが事ここに至りはっきりとした説明に転じた。まったく蚊帳の外にいた私には何があったのか想像もできない。ただいずれの立場でも大変だっただろうと推察するだけだ。
学校内で発達障害の特性が窺えるのはなにもこの子だけではない。常に体を揺らしている多動気味の子もいれば、癇癪が強い子もいる。定型発達でもこういった行動はままあるもの。発達障害はスペクトラムで、特性がどの程度強く現れるかの違いしかない。
教室で勉強する際に、隣の子の体が揺れていても多少気になる程度で済む。癇癪が強くて喧嘩になっても落ち着いてから会話ができるのならばいい。けれど手が出てしまうのは放ってはおけない。
例えば学校で子供が怪我をさせられたとしよう。相手が発達障害だと説明を受けて親は納得できるだろうか。納得できないまでも子供のしたことだと不承不承受け入れるとしても、対策は求めるのではないか。二度三度と繰り返されるようではたまったものではないからだ。
では、対策を求められた側はどうか。学校も、子供も親も、何もせず手をこまねいているはずもない。学校側は加配を付ける、認知行動療法を取り入れるなど何がしかの対処はするだろう。しかしそれでも一挙手一投足全てを監視したり拘束できるわけではない。二度目三度目は起こりうるのが現実だ。年齢が上がるにつれ落ち着くこともあるとしても、いまこの状況で困っている問題の解決にはなり得ない。
インクルーシブ社会では、障害を抱える人の社会的な障壁を取り除くことで共に生きられる社会の構築を目指す。教育現場でも同様に進められているが、こと他害に至っては障壁はとても高い。
春から始まる新しい環境では授業の進度も早まる。受験に向かう環境にストレスも増す。我が子はいつまでこの学校に居られるだろうか。二次障害から他害行動へ繋がらないよう願うばかりだ。
周りでもそろそろマスク外してもいいみたいな流れになってきたので、息子のマスクについて今後どうするか、夫婦で話しあった。
結論として、当面、マスクはなるべくつけるよう教えることにした。
一番考えたのは、今小学校低学年の息子が、将来この時期を振り返ったとき、どう思うだろうかということだった。
マスクをつけることで失われるものがあるのはよくわかっている。自分たちが一番わかっていると言いたいくらいだ。
だから将来息子から、「なぜあの時マスクをさせていたのか、なぜ僕の楽しみを奪ったのか」と強く非難されるときが来るかもしれない。そのときは深く謝ろうと思う。
マスクをつけさせなかったらどうか。将来息子は、「自分がマスクを付けなかったことでコロナにかかった人がいるかも知れない」と心配になるかもしれない。そして「自分がマスクを付けなかったことで死んだ人がいるかもしれない」とも思うかもしれない。
将来息子から、「なぜあの時マスクをさせなかったのか、なぜ僕を人殺しにしたのか」と非難されたら、まったく返す言葉がない。
このような状況に息子を万が一にも置かないことが、親としての絶対の責任だと自分たちは考えた。
息子に「自分は人殺しだ」と思わせるようなことは親としてはできない。これが自分たちの結論だった。他の家庭ではどのように考えているのだろう。
3つ上の姉がどこかおかしいということを私は幼少期から幾度も感じていた。
一番記憶に残っているのは小学校3〜4年生くらいの時に万引きをした事だ。
不幸中の幸いと言うのか、姉は知能も低いのか万引きしたペンやお菓子を隠すこともなく親の前で出していたため発覚は早かった。
問い詰められて万引きを白状した姉はそれはもう怒られた。母は姉を引っ叩きすぐさま引きずるように万引きをした店に連れて行き謝罪をさせた。
もちろん母も平謝りで代金を支払い許してもらったらしい。
それを見たまだ幼かった私は万引きがどれだけ愚かで悪いことかということを心に刻まされたのであった。
だが姉は違った。
そのあとも何度もお菓子やペンなどを万引きし、その度に母に見つかりその度に店に謝りに行きひどく怒られた。
母は悩みどうすればわかってくれるのか試行錯誤を重ねた。
どれだけ怒鳴りつけても叩いても意味がないのである時は優しく諭し、泣いて見せたり、警察に連れて行って怒ってもらったことまであるらしい。
それでも結局小学校高学年になるまで姉は万引きをやめられなかった。
(友達に指摘されて以来ケロッと辞めたらしい)
母の名誉のために言うと母はとても愛情深い人で、姉妹には全て同じ物を与えてくれたし世界で一番私たちが大事だといつも口癖のように言ってくれた。(そのおかげで自己肯定感だけは異様に高いモンスターが生まれた)
欲しいものをなんでも買ってくれるわけではなかったが一般的な躾の範囲内でお菓子やペンを買ってもらっていたと思う。
つまり愛情不足とか甘やかしすぎだとかいう育て方の問題ではなく、「個性」だと言わざるを得なかった。
他にも寝坊したら小学校をサボったり(親は朝早い出勤の日があった)ランドセルを持っていくのを忘れたり(忘れ物が多いのは大前提)イジメられてるのに気づいてなかったり(靴を隠されても本気で失くしたと思っていたらしい)とにかく書ききれないくらいくらい母は苦労したしなんなら今も朝は母に起こされないと平気で寝坊してクビになるし絶対結婚も一人暮らしもできないから多分死ぬまで母は姉の面倒をみるんだろう。
7年前くらい、ニートで実家暮らしで性欲で頭がおかしくなっていた俺は、女を滅茶苦茶妊娠させたい、という犯罪者的な願望があった。
人間の生まれた本来的な目的は増殖、すなわち生殖だ。「生殖行為」ではなく「生殖」である。
女を妊娠させたら満たされるのではないかと当時の俺は思っていた。
しかし一般の若い女を妊娠させて捨てる、なんてことをするほど外道ではない。
勿論法律的な責任やリスクもある。そこで考えたのが、「閉経間近の女を妊娠させればいいのでは?」というものだった。
その頃の俺は20代後半~30代前半で、40代~50代の女のある意味ストライクゾーンでもあった。
とりあえずそれなりに顔の良さそうな熟女を拾って、セックスをした。40代の女って女扱いされないから、めちゃめちゃ求めてきたしこれだけで満たされた。
そしてその場のセックスのノリで、ゴムを外して中だしするなどした。
40代~50代の女ってかなり生き詰まった年齢なのよね。
結婚は見込めそうにないけど、ワンチャンあったら子供が欲しい。そういう女が沢山いる。
もちろん結婚するつもりはないこと、自分は遊び人であることは説明しつつ、
「まぁ閉経間近だし妊娠することないっしょw」「できても子供育てるの楽しそうやん?」みたいな軽いノリで全然中だしさせてくれた。
40~50代の女で、ある程度容姿がととのっているって、会社経営者だったり金持ちだったりするのよね。あとホステスみたいな。
高い寿司奢って貰ったりした上にセックスさせて中だしさせてくれるって最高だった。
そして何人か妊娠したけど、結婚を迫る人もいなかった。何人かは中絶したのかもしれない。
いまは自分は普通に年下の女と結婚しているけれど、当時の女をネトストしてみると、確実に俺の子を育てているのをみかける。少なくとも3人は確実だ。
やはり金持ちだけあっていい小学校に入って、溺愛されているっぽい。
女側は気持ちいい思いをした上に子供を得られて、俺はいい気持ちをできてwinwinなんじゃないかと思う。
認知を迫られるのは少し怖かったが、そのような事は一度もない。