はてなキーワード: 学費とは
学費を出してくれている親には申し訳ないと思いながら毎日を生きている。
原因は人間関係だが教員と揉めたわけではなく、学生同士で揉めた。
そこから行ったり行かなかったり曖昧な生活を続けて数か月が経つ。
こちらに落ち度はなくむしろ完全な被害者なので、うわさを聞きつけた高校時代や大学での友人、部活の先輩後輩が
代わる代わる話を聞いてくれた(愚痴を聞いてくれたともいう)。
気分が晴れない生活を続けているが、素敵な人たちと人間関係を築いてきていたこれまでの自分を誇りに思えた。
ただ一方で、人に対して幻滅したこともあった。いま所属する場所の一部の人間である。
それまでは「普通の」人間関係を築いていた。もちろんうわべだけかもしれないが、うわべだとしても滞りなく日常生活を送っていた。
卒業が迫っているのに結果が出なくて焦っていることを、
自分は追い詰められているのに、その状況を味わっていない後輩がいることを、
どうも許せないらしい。
態度でも文章でも八つ当たりされているがそれを避けられる心の余裕もない。
受け流す心の余裕もない。
研究がうまくいかないどころか研究を進める場所に行けない状態で、
揉めた原因で相当追い詰められたが他人も同じようにその苦しみを味わえばいいのになんてお世辞でも言えない。
こんな思いをする人が一人でも減ってほしいと思いながら生きている。
どうして八つ当たりされなければならないのか不思議で、もやっとする。
人の本性を見た。
後期の学費を祖父母に払ってもらい、さあ頑張ろうと思った矢先に学校に行けなくなった。突然だ。どうしても足が学校に向かない。金も気力も無く文化的な生活も出来ていない。
高校の頃にもこういう事はあった。3年の後期になって学校に行けなくなった。理由はシングルマザーである母の躁鬱が悪化したからだ。少し目を離すと自殺するんじゃ無いかと不安で気が気でなかった。
そんな生活を2ヶ月も過ごしていると吹っ切れてきて「もう死んでくれないかな。これは俺の人生なんだから、俺以外が死んでも俺には関係ない」なんて思考がチラついてしまっていた。毎日死んでやると言っていた母はいつのまにか状態が良くなり、俺はいつのまにか学校に行けなくなっていた。本もアニメも音楽も楽しめなくなっていた。
鬱は感染るんですなんて笑えないジョークだと思っていたが、環境は簡単に人を鬱にするんだなと思った。病院には怖くて行ってない。いっそ病名の付いている病気だと言ってもらえた方が楽なのかもしれないが、自分が健常者である、普通である。というところが自分の心の最後の柱に感じられて、病院には行けなかった。
受験には失敗した。これは元々勉強も何もしていなかったので当然の結果だった。
母は田舎が自分の精神を病ませたと言い切り東京に1人で引っ越した。
祖父母と母の挟み撃ちにあい田舎と東京のdisを延々と聞かされる環境からは解放されたが、東京からは母が毎日のように電話をしてくる。内容は「東京の学校に進学するんだよね?頑張って勉強してそんなクソ田舎さっさと抜け出してね」といったものだった。
モチベーションもクソも無かったので地元の友達と遊んで過ごした。一年でペンを持った時間なんて1時間も無いってくらい。映画も小説も漫画もアニメもとにかく楽しんだ。祖父母は何も言わなかった。
地元で就職してコイツらといつまでも遊んでいたいなと思っていた。
1年が経った。
そもそも受験はせず、母の圧力に負けて渋々東京の専門学校に通い始めた。バイトと学校にリソースを割いて、趣味の時間は無かった。これは世の学生は皆似たような環境だと思う。けど辛い。仲のいい友達とは通話したりするが、地元で集まって遊んでいるところを見るとやはり疎外感を感じる。
母はすぐ近くに住んでおり何かあるとすぐ電話をしてくる。電球が切れたから変えて欲しいだとか、ご飯を作って欲しいだとか、他愛ない特にめんどくさいとも思わない電話なのだが、それが自分にはとても辛い。
多分、俺はもう母が嫌いなのだろう。母が死ぬところを想像すると、胸がとてつもなく辛くなるが、それでも、出来れば死んで欲しいんだと思う。
かなり話は長くなってしまいましたが、どうすれば学校に行けるようになるか、誰か良いアドバイスは無いでしょうか?という話です。
人生一発芸で良いやと思っている人間ですが、最低限の人生を進む上で、この学校が自分にとって、最後の踏ん張りどころなんです。
小学校高学年から不登校になり30歳を過ぎて中卒(定時制高校中退)の鬱病患者で就労支援施設通いという身分になってやっと落ち着いた妹の半生から学んだこと。
親は妹を学校に戻そう大学に進学させよう就職させようと20年近く頑張ったけど、どれも失敗して鬱病だから普通には働けないとの医師の診断が下りてようやく諦めることができて解放された。
この結果が最初からわかっていたなら妹に親が使った金も時間も労力もいらなかったし妹も鬱病になるまで追い詰められなかったろうにと思う。
うちはわりと裕福で無駄になった妹のための学費や治療費のせいで自分の進学や部活や習い事が制限されたということは無かったので、その点で妹を恨まずに済んだのは良かった。
しかし「自分は長子だけど家を出ていくからお父さんとお母さんが要介護みたいになったら家から出られないお前が面倒をみてね」とわざわざ口に出して妹に言ってしまったのは我ながら理不尽だけど妹に八つ当たりせずにはいられない気持ちがあったのだろう。
悪いのは両親の方だと理性ではわかっているのだけど妹が「まとも」だったら自分の子供時代はもっと平和だったろうにと思わずにいられなかった。
そんな自分ももうすぐ人の親になるわけだが、もし子供が「学校に行きたくない」と言い出したら「あっそう。行かなくていいよ」で済ませることに決めた。
不登校が始まってから落ち着くまでの間で妹が唯一楽しそうにしていたのは親がカウンセラーの「見守りましょう」という指示にしたがってネット漬けになるがままに放っておいた半年ぐらいの間だけだったのを覚えているから。
ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設(病院・学校・行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要な措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。
オリンピックを迎える2020年の4月1日には、全面禁煙対象となる施設がさらに増え、屋内は原則禁煙となる。
この増田では、改正健康増進法の施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原則禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。
東京X大学。最近はメディアの露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学と混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度の大学だ。
しかし悲しいことに、都心に位置しつつも、お国からの運営交付金は国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル。都内の大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金の無駄だから早く潰したい」とすら考える政治家・役人もいるだろう。
さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。
先に書いておくと、もともとこの大学の学生の喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員・学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。
心配を横目に、その日は近づきつつあった。
学内のいたるところには「7月1日からは学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正を理解していない)学生の反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。
「やればできるじゃないか」
敷地内禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内で喫煙をする者を見ることはなかった。
「受動喫煙を防止するために必要な措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた。
甘い。
運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要な措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。
他の大学同様、この大学も7月末には前期が終わり8月からは夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原則禁煙は成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。
7月の第2週にはすでに学内のあちこちでタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。
施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法は形骸化した。
改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定の分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコの匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。
しかし喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。
もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタン達から避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授・事務職員レベルの教職員は禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手や講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地内禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨の芸術的なラクガキがされている。
喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコの臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやすい木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気が乾燥する時期には失火の可能性もある。
学内のあちこちで狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政に弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。
伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地内禁煙は成功している」ということなのか、いかにも日本的な論理だ。
学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。
実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織を批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題は大学に止まらないからだ。
施行後3ヶ月が経過し、第一種施設(病院・学校・行政機関)である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。
以下に、詳細を書く。
補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情の組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的に禁煙を推進するような施策を実施しないと、改正健康増進法自体の意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設の管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。
厚生労働省などは、この法律の施行にあたりHPに特設ページを設けている※3。施設の管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかりやすいし必要な情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設の利用者向けの情報がほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?
罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合の有効な対処方法を考えてないのではないだろうか?
喫煙場所の設置には排煙設備・敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設の管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコを我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しかし喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミのほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。
施設の管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境が悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設や組織によってはブランドイメージの毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。
もしあなたが東京X大学の学生であり学内喫煙者であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法の過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。
そしてもしあなたが教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。
※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html
私の両親は音大出身で、一応伏せるが父はとある金管楽器を、母はピアノを専攻していた。父の試験曲の伴奏を母が担当したことがきっかけで二人は出会い結婚し、やがて二人の間に産まれたのが私だ。
そういった環境だから小さい頃から家ではよくジャズやクラシックのCDがかかっていたし年末は紅白じゃなくて東急ジルベスターコンサートを観たしよく父や母が出演するライブやコンサートを見に行った。周りの大人はみんな私を可愛がってくれた。
楽器も習わせてもらった。小学校の頃から私は歌もピアノも他の楽器も人並みより出来て、友達はみんなすごいと褒めてくれた。先生もやっぱりお父さんお母さんが楽器できるからあなたもよく出来るねと多分それは純粋な褒め言葉で、私は誇らしく思った。優秀な両親の血が私にも受け継がれているんだ、私にも才能があるんとだ嬉しかった。
中学の時に入った吹奏楽部の顧問が、一度父に楽器を教わったことがありそれ以来父を非常に尊敬していると言った。勿論嬉しかったけど何だか少しモヤモヤした。顧問はよく私を褒めてくれたし吹奏楽コンクールに出場することも顧問が決めた。1年生でコンクールに出られる人数は限られているが、私はその中でも一番最初に、オーディションとかをする前に合奏中全員の前で言われた。その時にはもう私は、それって私の実力?それとも父に対しての忖度?と思うようになっていた。多分受け取り方の問題だと思う。素直に喜べばいいのに、褒められる度に「私が父の娘でなければここまで褒めてくれたりしなかっただろうな」とひねくれた思いを持った。担当した楽器を高校でも続け、この楽器で音大に行きたいと言うと両親は喜んだ。いや、喜んだかどうかは分からないが、少なくとも保育系に進みたいなと高校二年生の頭頃に言った時より嬉しそうな顔をした記憶がある。
学費など諸々考慮した結果、両親が通っていた大学に通うのが一番良いということになり、父が大学の教授に連絡を取ってくれて受験に向けての個人レッスンを受けられることになった。大学に合格し、入学した時には既に先生や先輩達の間では「○○の娘」と知られていた。私の名字が鈴木とか佐藤とかよくいる名前だったら分からなかっただろうけど、都内にはほとんど居ない名字だったからすぐに分かったのだろう。初対面の先輩に挨拶した時も大体「もしかして…」と尋ねられた。両親が在学していた時からいた教授に挨拶すると、大体決まって「楽しみにしてるよ」と言われる。それは果たして「私」に期待してくれているのか、「○○の娘」に期待しているのか分からなかった。廊下ですれ違うと大体「どう最近?親御さん元気?」と聞かれる。これは今でもそう。
それでも二年間、色々なことに絶望しながらも当たり障りのない大学生活を送ってきた。
ところが3年で、父が現在でも個人的にお世話になっているという先生の授業を受けることになった。先生は多分「○○の娘」という肩書きを抜きにして私のことを気にかけてくれたし正しい評価もくれていると思う。
先日その授業で、抜き打ちで試験があった。まだ答案は返ってきていないけれど、自分の点数が本当に悪いということを試験中から自覚している。中学とか高校の数学だったり化学だったりの所謂普通の授業だったらきっと私は笑って流していただろう。けれど今回は震えた。父と先生が話す時絶対言われる。父はよくその先生のことを私に話したし、「先生がお前のこと頑張ってるって褒めてたよ」というのを聞いたから尚更やばい。「お前の娘、知識は全然ないな」と言われるのが目に見えてる。怖い。ああこれが私が全く先生とは関わりがない親の娘だったらここまで戦慄しなかっただろう。いや今回の試験に関しては100%私が良くないのだけれど。「○○の娘」として沢山の先生から期待をかけられていて、気に入られなきゃ、好かれなきゃ、優秀な両親の娘だから私も優秀でいなきゃとずっと考えていた。昔は誇らしかったものが今では足枷に変わりつつある。きっとこれからも「○○の娘」としての周りからの期待は続くだろうし、卒業した後も音楽を続けるのであれば尚更だ。
高校の時、学費安めの私立の専門高校に通ってたんだけど学費が足りなくて売春をしてた。
大人になってもなんとなく続けてたんだけど、この間初めてきちんと払ってもらえなくて、それを機にやめた。
2年ちょっと依存してたネットの友達は彼女込みで仲良くしてたんだけど、その友達の彼女に嫌がらせ受けて切った。
それのせいでやめられなくなったODは今自分が働いているお店のバイトの子に止められてやめた。
売春の時に使っていたスマホは解約した。クソみたいなおじさんの相手をしなくてもよくなった。
依存先だった人の連絡先を消したら、そいつが原因でからんでこなかった人たちと仲良くなれた。
ODをやめたら浮いたお金でバイトの子においしいものを奢ってあげられるようになった。
やめてよかった。
自転車に乗るのが好きで、しかも稼げるというので軽い気持ちでUber eatsの宅配パートナーを始めた。
週末限定、都内で3ヶ月自転車で走り回ってみて、結果色々な人に会う事ができたので、
社会勉強をしたい人には良い教材になると思ったので書いてみる。
UberEatsでの働き方はYouTubeとかでお調べよし。
1.怪我で外に出られない人、病気の人、メンタルを侵されてしまった人、外に出られない人
3.子育てで大変な人
5.おとしより
※様々な理由でご飯を食べられない、外出できない人が沢山いる。
1.なんとなく将来が不安で
2.実家の親に送金したい、学費に充てたい(主にベトナム国タイ国出身のパートナー)
3.マックでバイトしていて、いつもはUberさんに品物を渡しているけど、見ていたらダイエットも兼ねてやってみたくなった
4.本業が上手くいっておらず、凌ぎで
6.どうすれば一人で生きていけるか分からなかったからすがる様な気持ちで
8.高級タワマンに住んでいるお客さんてどんな人なんだろう?と気になったから
9.街の動向調査(ネクタイを締めたサラリーマン風の配達パートナー)
好きな時に好きなだけ働いて、好きな時にいつでも退勤できるという新しいサービスシステムなので、思ってもいない動機で注文をするコンシューマーがいて、思ってもいなかった動機で配達を始めるパートナーがいる。
稼ぎは本人の頑張り次第だけど、悪くはないよ。
保育園は余裕で入れるし、近くに住んでる両親が休みとか子供預かってくれるし、近所のじじばばも野菜くれたりするし
いらなくなった冷蔵庫とかも貰ってしまった。米は近所のじいさんが新米を安く売ってくれる。げきうま。魚も釣りに行った同僚とかがくれる。とれたてうまい。
休みになったら、子供釣れて山に行ってカブトムシ取ったり、ザリガニ釣ったりしてるし。一、二回くらいは車で県外に遊びに行く。
都会マンはよく田舎の風習が~とか子供の教育が~とかマウントとるけど、そんなの田舎の全部じゃないし、確かに閉鎖的なところはあるけど
そういう閉鎖的なじじばばはそろそろホームに入ったり死に始めてるので気にすることない
あと教育って面でも今はネットで有名塾の授業も見られるし、田舎は子供の数が少ないから、先生に聞けば個別で熱心に教えてくれる
あまりに楽なので3人も作ってしまったが、一軒家建てて平和に生活してるわ
嫁もパートやってるだけだけど、とにかく学校にかかる金とかはともかく生活費(食費、家賃等)が安いので、余裕
俺は年収600はあるからかもしれんが周囲の高卒の奴らだって地元の大手工場に勤務してると三交代で金になるから高級車乗ってるし、
父が嫌いだ。
私が用事があって風呂を洗えず、温かいお湯が浴槽にはっていないとキレ散らかす父が嫌いだ。
私が苦手なものをうっかり食べてしまい、いかにも不味そうな顔をしているとそういう顔するなら何も食べるなとキレ散らかす父が嫌いだ。
22にもなる娘の部屋にノックもせず入ってくる父が嫌いだ。
少しでも口答えしたりすると学費のことや食費のことなどお金をチラつかせてくるのが嫌いだ。
車を運転している時に前の車が遅いとすぐにイラついて、追い抜かしてめちゃくちゃスピードを出す父が嫌いだ。
渋滞にはまったりすると声を荒らげて数十分文句を言い続ける父が嫌いだ。
就活のことを何も知らないのに色々口出ししてくる父が嫌いだ。
すぐに「お前がそんなことできるはずない」と否定してくる父が嫌いだ。
私が一人暮らししたいと言うとお前は無理絶対できない俺がいるから生きていけてるのにと人格否定までしてくる父が嫌いだ。
イラつくポイントがどこにあるのかわからない全身地雷原な父が嫌いだ。
くちゃくちゃ音を出してご飯を食べる父が嫌いだ。
私の部屋に入って臭い、片付けろ、とか文句を言うくせに自分の部屋はタバコの匂いが染み付いてめちゃくちゃ臭いし服がその辺に散乱していてゴミ屋敷みたいになってる父が嫌いだ。
そのくせ自分の部屋は片付いてる、俺はいつも清潔、お前も見習えと言ってくる父が嫌いだ。
私の部屋に入ってきてお構い無しにオナラして帰っていく父が嫌いだ。
酒を毎日大量に飲む父が嫌いだ。
ビールを常に冷やしてないとキレ散らかす父が嫌いだ。
ご飯を食べ出すと一切席から立たなくなって、私を小間使いみたいに扱う父が嫌いだ。
階段や狭い廊下に自分の荷物をおもむろに置いておくくせに、私や母がちょっとものを置いておくと邪魔だとキレ散らかす父が嫌いだ。
動物の扱いが雑な父が嫌いだ。
自分は靴を脱ぎ散らかしてある癖に、私が靴を片付けないでおくと文句を言う父が嫌いだ。
俺は周りより優れていると絶対的に思っている父が嫌いだ。
テレビのアナウンサーやタレントに「こんな年寄りの女を使うな、ブスは見たくない」とすぐ言い出す父が嫌いだ。
レストランやら食堂やらで普通の声量で「ここの料理はまずい」とか「店員の態度が悪い」とか言い出して、やめてほしいと言うと「聞こえないように言ってるんだからいいだろ」と怒鳴る父が嫌いだ。
デリカシーのない父が嫌いだ。
お前は就活を9月からはじめていれば成功した、と謎の理論を展開する父が嫌いだ。
私が入社予定の企業を事細かに調べてはネットの評判やら悪評やらをいちいちにやにやしながら報告しにくる父が嫌いだ。
自分の頼んだ宅配を家族が受け取っていないとキレ散らかす父が嫌いだ。
私が朝寝ぼけて父の言葉に上手く反応できないとキレ散らかして一日口をきかない父が嫌いだ。
窓を開けているのに大声で怒鳴ったり笑ったりする父が嫌いだ。
昨日の夕飯の残りを絶対に食べない父が嫌いだ。
そんなもん捨てちまえ、とすぐに言う父が嫌いだ。
毎週の土日に必ず家族全員で出かけることを強制し、断ると不機嫌になる父が嫌いだ。
勝手に予定を決めて、勝手に旅行の日取りを決めて全部準備を済ましてから報告してくる父が嫌いだ。
私を褒めてくれるときの父が好きだ。
奨学金借りなくていい、俺が全部出すから大学行けと言ってくれた父が好きだ。
機嫌のいい時の父が好きだ。
俺とお前は家族だからそっくりだなあと言っている時のにこやかな父が好きだ。
料理を作るのが面倒だろうから、と夕食のおかずをよく買ってくる父が好きだ。
私を、家族を大切にしてくれる父が好きだ。
これもうわかんねえな
中学も高校も部活なんて出来ないし友達と遊ぶのだって金ないし、放課後も土日もバイトしながら家に金入れて、大学も短大も専門学校も学費どころか入学金すら払えずに、一生高卒の人生ハードモードの詰み人生送る子供の身にもなれよ脳味噌腐れババアって感じ
国立大学いけるくらいの金と、勉強の習慣がつくような家庭教育の習慣と、子供のバイト代に生活費頼らない程度の見通しが持てねえんなら子供なんか産むなよ
妹がいなかったらとっくの昔に親殺してるわ
それくらい恨んでるし憎んでる
父親が失業し、そのままメンタルを壊して仕事をせず、母親が地元の低賃金のパートでしのいでいる状況。一応持ち家はあるけど他に資産はなく、父親の前職もかなりの低賃金だったので家の貯金もゼロ。兄弟はまだ小さい。だから家にお金をいれてねとこちらも低賃金でバイトしてました。
大学に行きたかったのは高2から。「この学問って面白そう」というのに出会ってしまい、地元の国公立にはその学科はなく、ちょっとだけためていたお金で受験料と交通費を出して、家出同然でこっそり受験し、教育ローンで初年度納入金を払って寮に入りました。その後も学費免除と給付の奨学金と貸与と最低限のバイトで過ごしました。
そうやってはいった大学は楽しかったです。講義もよかったし、コミュ障ながらそこそこ気の合う友人もできたし、コテコテに卒業旅行にも行きました。今はそこまで良くはないけど、同じ都市の会社に就職して諸々の金を返しています。
今でも大学の四年間は一番よい思い出だし、そこで出来た友人たちが一番の友人です。
たぶん、お金がない、地方の生まれで一番たいへんなのは、受験するまでで、増田さんはまさにそういう状態なんだと思います。周りの人たちの声、親の「子どもに借金を」なんて聞く必要はありません。結構みんなカジュアルに借りているし、バイトがのってきたり学内の別の条件のよい奨学金に通ったら打ち切ればいいんです。なんかJASSOの回し者みたいだけど。
そもそも大学に進学する程度でそんな図太さを持たなきゃいけないこと自体、地方生まれの金無家庭に生まれただけで…って不条理ですよね。自分も大学で会った、「たまたま近いからここにした」とか「親の会社に入るから就職しない」みたいな人々をみてぐぬぬとなりました。ただ、自分より「楽しんでいる」ように見える人は無限にいて、そういうのに負けを感じるよりも、自分なりの楽しみ方を探さないと負けだと思ってます。
ひとまず「やりたいこと」から入りましょう。支援や援助って意外と見つかるもんですから、状況に負けて可能性を絞ることはしないでください。
小中は地域の公立校に進学し、高校は偏差値54前後の若干頭が良い程度の都立高に通った。
中学1年から親は高い金を払って熟に通わさせてくれたが、3年通って偏差値54である。
高校ではこの悔しさをバネに受験勉強を頑張り、大学はそこそこ有名な国立大の理系学部に進学することができた。(もっとも、東大京大阪大ほどの上位ではないが。)
先生は褒めてくれた。
しかし入学してから半年経とうとしているが、しがない毎日を過ごしている。
楽しくない同じような毎日。
しかしSNSを開いてみると、同級生はみんな楽しそうにしている。
誰と会っただの、どこに遊びに行っただの、みんな投稿している。
私なんかよりよっぽど充実した毎日を過ごしている。
しかし彼らのほとんどは高校時代真面目に勉強しなかった者たちだ。
Fラン大学に進学した者、金さえ払えば入れる就職実績の良くない専門に進学した者、高校を中退しフリーターをやっている者、ほとんどがそうだ。
インスタグラムのプロフィールにはFラン大学の名前を記載している。
匿名だから言えるが、僕からすれば堂々と「頭が悪いですよ」とアピールしているようなものだ。
よく記載できるなと思う。
ツイッターを開けば「選挙めんどくさくて行ってないw」との投稿。
せっかく選挙権を持っているのにそれを放棄し、何も考えず、楽しいことだけをして生活している。
将来が不安ではないのか。
対して私は大きな失敗や犯罪さえなければそこそこの企業には就職できるだろう。
どちらが本当に幸せなんだろうか。