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2021-12-14

親父が危篤らしい

もうすぐ死ぬのは仕方ないとして

この後何すればいいんだ

葬式出して遺品整理して相続放棄したら終わりか?

2021-11-10

親が死にそうな時に掛けられる言葉ワーストランキング

闘病していた母親危篤になり、いよいよ最後の数週間となった。

コロナ禍で面会禁止のため顔は見れないままだが、

急な対応に備えてしばらくの間のプライベート仕事の予定を調整した。

残念ながら少しして空のお星様になってしまったのだが、最後の数週間にはいろんな人に声をかけてもらった。

その中からワーストランキングを発表します。

感じ方には個人差はあるが、以後参考にしてください。

順位変えました

10位「健康に気をつけて」

噛み付くほどの言葉じゃないね

でも多少無理する必要もある、という時に言われるので微妙だったりはした

9位「どうしてもっと早く病気がわからなかったの?」

今言うことか?誰を責めてんだよ

この延長で自分の今後の参考のために症状聞いてくる感じの人も結構いた、参考にすんな

8位「なんでそんなに悪くなったの?」

なんでだろうね?

思ったこと全部口から出ちゃってんのか?

7位「今症状どうなってるの?」

仕事関係なら出勤の都合もあるし全然問題なかったけれども、ただの興味で連絡してくる人も数人いた

親族に連絡するだけでも大変なのに、なぜ赤の他人説明しないといけないのか

6位「いつでも話聞くよ」

これは他の嫌な言葉とセットなことが多い

二度と話さないぞと思った相手ほどこれ言ってくる

「私にはそれしかできないけど…」ってドラマ

5位「もっと○○したかっただろうね…」

当人達が一番思っている・後悔している事をわざわざ言ってくるやつ

シンプル嫌がらせ

4位「きっと幸せだと思います」など代弁系

年配の同じ立場の人ならわかるけど、何故か若い人に複数言われた

こっちは少しでも幸せを感じてもらおうと身を削ってるのに、簡単にこんなこと言う人の気が知れない

そもそも死に向かってるのに幸せなわけない、それをなんとか誤魔化してるんだ

なんで代弁したがるんだろうな?

3位「なんで会いに行かないの?」

行けたら行くに決まってる

しか事情を知っての発言なので想像力かい次元じゃ無い、軽く反コロナの感じ出してきてるだけ、それ今か?

2位「親は子供幸せが一番だから

どこで覚えたんですか?漫画ですか?

エレンのお母さんも最後に「行かないで…」って言ったろ?

それはお前が判断することじゃない

1位「事故と違ってちゃんとお別れできてよかったね」

良いわけない

死なないのが一番いい、不幸と不幸を比べたところでどちらかが幸福になることはない

殿堂入り

「癌で死ぬ時って最後断末魔あげるんだよ、聞いたことあるけどひどいよ」

とても長い付き合いだったけど友人やめた

「息子が母の体を焼くスイッチ押すんだよ、酷いよね」

上と同じやつ、多分こいつサイコパスだと思う

論外「こういうのは運命だよ」「風水的によくないことをした」等宗教

神様いねから

植える木の位置で人死ぬかよ

人の思想自由だけど、当事者にかける言葉じゃない

よく考えたらこれ系は相手軽蔑したと言うだけでダメージはなかったので番外というか論外にした

神様出してくるのは年配がほとんどなので諦めもある

論外「持論を語る」

病気についての持論、人の死とは…など

よそでどうぞ

これも不快だが、今後のためにも「こいつはとことん思いやりがない人間である」ということが分かって良かったなと言う感じ

目上の人間に多いな


数が多かったのは気持ち代弁系。

次に無神経質問系とドラマ系かな。

持論ぶちこんでくるようなやつは普段から問題のある人間なことが多いのでバリア張ってたが、ランキング入りしてるもの普段とても善良に見える人に不意をつかれる感じだったのでより悪かった。

こちらが敏感な分、相手気持ちを真に思いやっているかどうかが露呈するシーンなのだなと思った。

中には、「自分相手の辛さを見抜いてしまうので、よく優しい言葉をかけて部下を泣かせてしまう」と豪語する人もいた

嫌すぎて、でも反論する気にもなれなくて泣くこともあると覚えておきたい。


同じく親を亡くしたことのある人達は、自分経験を教えてくれたり他の話題で気を紛らわせてくれたり、とても寄り添ってくれた。

まずあまり多くのことは聞いてこなかった

声かけられたいなんて最初から思ってないし必要ないんだよな。

予定に融通きかせてくれたらそれだけでいいよ。



ここまで言っといてなんだけど、声をかけようとしてくれた気持ち自体には感謝してる。

ただ言葉のものには棘があったので吐き出すことで浄化たかった。

とはいえ、今後深い付き合いはしないだろうと思った人はかなりいる。残念だ。

2021-11-04

anond:20211104104426

青葉の悲惨な末路見たらいくら多人数殺せても全身火傷で危篤状態の時に

人殺しゴミみたいな目で見てくる看護婦たちに看護されるのとか嫌だろ・・・

2021-10-25

anond:20211024222636

父親に、親が危篤だって連絡がきていそいで田舎に帰ったら、見合いだったって話は聞いた。

2021-10-14

父親危篤

父親危篤からって2週間仕事休んでるおっさんいるんだけど、このまま父親死ぬまで休みとるのかな?そういうもんなの?

2021-09-24

GPIF中国恒大グループへの投資割合は低い」ってバカじゃないのか

中国恒大グループの件は、中国恒大だけの単独事故で終わらず雪崩が起きそうだからみんなビビってるわけで

中国恒大グループへの投資割合を強調したところで雪崩起きたら意味無いんじゃないの?

中国風邪をひいたら日本危篤になる、っていう現実をよく見とかないと。

2021-08-29

義妹が危篤らしい

義妹が危篤らしい。

私よりちょっと年下のアラサー、ついこの間まで妊娠8ヶ月だった。

義妹は里帰り出産のため、某県にある実家帰省していた。

そして、あの感染症にかかってしまった。

妊娠後期の妊婦重症化しやすいとは聞いていた。

義妹もそうなってしまったらしい。

私は義妹と会ったことがない。

彼女とは義弟結婚式で初めて会う予定だったが、その結婚式コロナ禍のため中止になった。

医療に近い仕事をしている義弟には、決行する決断はできなかった。

その後の盆も正月も、全て新型コロナウイルス理由に親戚での集まりが取りやめになり、結局会えないままだ。

LINEしかやり取りしたことが無かったが、私が出産した時は真っ先にお祝いをくれた。

ショッピングモールで2時間くらい歩き倒して悩んで選んだのだと、義弟から聞いた。

そんな義妹の出産

まり外出できないから歩いて悩むことはできなかったけれど、ほんの少し先に育児経験した者として、あったら便利QOLが上がるものをと私もお祝いを探していた。

赤ちゃんは元気らしい。

でも、私がお祝いを渡したい相手は、命のギリギリのところで戦っているらしい。

ねえ義妹。

新生児の肌って、全然張りがないんだよ。求肥みたいにぷにぷにょなんだよ。

目なんてほとんど見えてないらしいのに、不思議とこっちを見てるような気がするんだよ。

赤ちゃんって、あっという間に大きくなるんだよ。

見ないなんて、もったいないよ。

ねえ義妹、戻っておいでよ。

2021-08-25

祖母が死んだときのこと。そして懺悔と後悔の記憶

祖母が死んでからもう二年がたつ。

祖母の死に関連して、自分の感じた後悔と、自分気持ちに対する懺悔を、ただでさえ持ちの悪い僕の記憶が風化する前にどこかに残しておきたくてここに記す。

あれは僕が大学院入試を控えたコロナ以前の夏の日だった。

祖父が死んでから10年目のあの夏、言い換えればばあさんの一人暮らしが始まってから10年目の夏。ばあさんもも結構参ってしまっていたんだと思う。

からばあさんの家が近かったこともあって、何かあったらばあさんの家に遊びに行くほどのおばあちゃんっ子だった僕は大学に入って一人暮らしをしてからも暇を見つけてはばあさんに電話を掛けたりしていた。

そんな僕から見ても電話をするたびにばあさんがやつれていっている気がしていたのを今でもなんとなく覚えている。

そんな夏のある日に、いきなり親父から電話がかかってきたのを覚えている。

「ばあさんが危篤だ。なんとか帰ってこれないか?」

つい数日前にばあさんと電話をして、来週帰るからその時にあいさつに行くねなんて言っていた僕はその電話を聞いて信じられない思いだった。

その直後に教授とのミーティングの予定だったのだが、それをキャンセルしてすぐに帰省の準備を始めた。……はずだ。

~~~

すごいね人間記憶ってのは大事なことに対してもすごく曖昧で、ここに帰省の準備を始めたって書いた瞬間に、帰省の準備を始めた記憶とその実感がわいてきてしまう。

出来る限り覚えている事実を元に書きたいけれど、あいまいな記憶をもとに手探りで書いていくからたぶん事実と違うこともたくさん書かれてしまうと思う。

なるべくあいまいな記憶をもとに書かれた文章には「はずだ」とか、注釈だったりをつけて対応していきたいと思うよ。

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そして帰るまでだったか帰ってからだったかのどこかで、父親から追加で連絡があったはずだ。

いつ連絡が来たか記憶すら定かではないし、どのような媒体で連絡をされたのかも定かでないけれど、知らされた内容だけは覚えている。

「ばあさんが死んだ。それは自然死ではなくて、自殺だった。そしてこのことは秘密にしておいてほしい。」

どうやら、ばあさんは自殺を試みて、無事死ぬことができたらしい。今の僕の価値観だと自分で死を試みるほどにこの世界から去りたくて、これを完遂できたのならそれはもう僕がとやかく言えることじゃないのかなという気もするけれど、この時の僕はまだそこまで割り切ることができていなくて純粋に悲しんでいたのだと思う。

僕の叔母(つまりは父の姉)の元にばあさんからまるで最後挨拶かのようなメールが届いたらしい.

それを見た叔母は父に連絡を取ってばあさんの家に行ったとのことだ。

そこでばあさんが首を吊っているのを見つけたという。

ばあさんをおろした時はまだ、ばあさんの体は温かかったらしい。

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あぁ、たぶんこの話を聞いたのはまだ実家に帰る飛行機に乗る前だ。飛行機の中でどうしようもなく自分に問いかけていた覚えがある。さっきと一緒でもう今の自分の中には飛行機の中で自分に問いかけていた記憶ができてしまっているけれど、たぶん飛行機に乗る前だ。

当時の人との連絡の記録を後で見返そうかなとも思うけれど、自分がそれで死んじゃわないか心配

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どうにかして実家に帰った後、ばあさんの家に遊びに行った。

ばあさんの家の机の上には遺書が置いてあって、そこには涙の跡もついていた。

この時、本当に涙の跡ってつくんだって思ったのを覚えている。

多分この涙の跡は叔母の涙の跡で祖母の涙の跡ではないのだけれど、それでも涙の跡のある遺書というのはなかなかに来るものがあった。

そのまま遺書を読み進めると、もう、一人でこの世界で生きていくのが辛かったらしい。

遺す人たちに対する謝罪のあたりで読んでいた僕まで泣いてしまった。

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遺書の内容は要確認。ほかにどんなことが書いてあったか確認しておきたい。

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遺書を読み終えた後はばあさんの遺体*が安置されていた祖母宅の近くの葬儀社に向かった。どうやら叔母がばあさんの近くに付き添ってくれていたようだった。

最初無意識のうちに死骸と書いていた。どうやらあれだけいとしく思っていた祖母でも、死んでしまえば等しく死骸であるみたい。

丁度、父の従姉妹たち(つまり祖母の姪)が到着したところみたいで、ばあさんを見てみんな泣いていた。僕が到着するのを見ると、みな僕がばあさんっ子だったのを知っていたみたいでせっかくだからと僕とばあさんを二人きりにしてくれていた。どうやら、泣かない僕を見て「他の人がいる状態では僕が泣くことができないだろうから」という思いやりかららしい。

ここからが僕の後悔と懺悔のキッカケが始まる.

せっかく最後にと僕と祖母を二人にしてくれたのに僕は全く泣けなかったのだ.

それどころか, その時の俺の心にあったのは, [首を吊った死体首には本当に縄の跡が残るのか]という好奇心だった.

せっかくの首を吊った死体と僕しかいない状態で, 僕が部屋から出てくるまでは誰も部屋に入ってこないと約束されている状況である. そんなの今後の人生で二度と来ないであろうチャンスじゃないかと.

そこで死体の様子をうかがうと, やすらかな顔をして化粧をされている. そして肝心の首は, 状況が状況だからかしっかりと隠されていた. ここをめくるだけで僕は僕の好奇心を達成できる.

ただ, どうしてもなけなしの倫理観邪魔をしてその覆いをとることはできなかった. やはり遺体を、それも僕が生前一番なついていたばあさんの遺体自分がいじることはできない……と。どうしても僕の記憶に残すばあさんとの最後の二人きりの思い出をそんな穢れた好奇心で汚すことはできない……と。

せめてもの抵抗にと最後祖母の頬を触った. ドライアイスに冷やされてとても冷たかった.

ただ, どうしても俺は, 祖母首に縄の跡が残っているかいないのかを確かめたいという好奇心を消すことはできなかった. あれだけ僕を愛して, かわいがってくれていた祖母に対して孫が抱く最後の望みが, その死にざまが残す跡を見せてくれという穢れた好奇心で本当にすまないとは思っている. ただ, 本当に僕はただ好奇心ケモノとしてここまでの時を過ごして来てしまたからか, どうしてもその欲望を消すことができないんだ.

このあとは、もう普通の人が死んだ後の風景だった。

ばあさんの眠る部屋を出て叔母にあいさつをして実家への帰路に就いた。このとき、泣くことができた?という質問に対して僕は苦笑を返すことしかできなかった。きっと叔母は僕が照れていたと思っているのだろうけれど、僕としては泣けてないんだよなぁという思いしかなかったわけだから

実家に帰った後は通夜葬式に関する準備をすすめ、親族として葬儀の受付などを行い、最後に棺に花を添えてばあさんを見送った。この時、火葬場に送り出されるばあさんをみて泣けて少しだけほっとした。

そして火葬場で焼かれた祖母が出てきたときに俺が思ったのは, やはり[もう, 祖母首に縄の跡が残っているかどうかを確かめることはできない]というおもいだった.

父と叔母に[祖母首に縄の跡が残っていたか]ということを聞くこともできない俺にはもう, これ以上事実を確かめるすべはない.

この後悔は一生ついて回るだろうし, 祖母の死骸を前にそんな穢れた好奇心が湧き出してきたということに対する懺悔も一生続くことだろう.

2021-08-24

母親が亡くなりました

これは過去記事から続いています

最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。


以前に語ったとおり、母親病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。

その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。


母親に関しての良い記憶殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレス負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブル枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力暴言は絶えず、幼いときから母親嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女スマホPCどころか自身ケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。


そんな母も亡くなりました。

一番最後家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身介護状態になってから父への依存マックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院生活が心を折るに充分だったに違いありません。

父はそれを後悔しているようです。

葬儀直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。

葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。


従来型のように通夜告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要儀式もありますから

しかしこれから葬儀直葬が主流になると確信しました。

高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。

なぜ喪主大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間お金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。

それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。

コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています

さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります

母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。

母親病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断のものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。

思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。

恐らく長いあい健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。

さら病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます

旅立ってからも人柄がわかってしまうのは苦々しいかぎりです。

自分家族崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せ家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者実家にお邪魔したときリビング家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。


今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続き簡単とのこと。いい時代ですね。

遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。

anond:20210824190030

何かを考えるとき大事なのは理性論と感情論の両論を2本立てすること

両論が相互矛盾していたって良い

道交法を守るべきだと家族危篤に間に合いたいは矛盾するけど人間が持ちうる思考から

ダウン症の子をもうけると増田の理性論は何と言っているのか?
ダウン症の子をもうけると増田感情論は何と言っているのか?

ダウン症の子と知りつつも生んだ親は理性を重視したのか、感情を重視したのか

その辺をいろいろ考えれば何か見えてくるんじゃないかなぁとね

2021-07-29

誰か不幸自虐風自慢してくれ

他罰じゃなく自罰な内容で

下方婚増田とか女の婚活の方がラク増田とか弱者男性とか

氷河期とか非正規とか他の頭おかし増田

いつもの主張の根拠とか

どんな辛い事があって酷い目にあったのか

なんでそんなあたおかになったのか

あたおかで嫌だったこと困ったこ

自分の不幸を存分に語ってください!

自虐的な不幸話がないと困るんです!祖母危篤なんです!!

 

追記

ブコメいいね

もっと不幸な増田紹介して

2021-07-28

コロナに罹らなければリスクゼロなのに、ワクチン接種で危篤症状起こすリスクが僅かに上がるの理解できないワクチン容認派はなんなの?

コロナに罹らなければ良い。現実、罹ってない。これけらも。

2021-07-17

父親の顔は見たことがない。でも、

近い将来、どこかの役所から

あなたのお父様が生活保護申請したのですが、援助をしてあげられませんか」とか

あなたのお父様が重病で危篤ですから、万一の際は手続きをしてください」とか

あなたのお父様が亡くなったので、親族として遺体を引き取り願います」とか

あなたのお父様が亡くなったので(行旅死亡人として)遺体火葬しました。遺体搬送と安置の費用火葬使用料をお支払いください」

などなど言ってきそうで、いまから心配している。

顔すら知らない人の葬儀費用を、血縁関係があるからといって、僕が出してやらないといけないんだろうか。

でも、ろくでなしの冷たいクズ、みたいに思われるのも癪だなー。

上のような話はなくても、相続の話で義理の弟妹たちが嫌々訪ねてくる、とかはありそうで嫌だな。

2021-07-08

anond:20210708113732

その人が人生で一番最後に見た人がストーカーになるわけじゃん?

それって、ものすごく貴重で尊いことなんじゃないかな。

危篤で死にそうな人間にみんな必死に会いに行くのも、

最後最後に会えるということを重くみてるわけだし。

2021-06-16

anond:20210616152832

釣りだとおもうけど帰宅途中なりトイレ休憩ですでにライン携帯メールで少しくらい連絡とれるようにしとけよ

事故連絡とか親戚の危篤連絡とかこないままつんぼ桟敷で一生を終わることになるぞ

嫁は気の毒ね

2021-05-18

anond:20210518063647

うちの母親も似たような感じで笑ってしまった。やっぱ、こういう類の入口に【水からの伝言】あるよね。

 

増田ちゃん監視してて偉いよ。

そういうのにハマって素手トイレ掃除したりしてる程度は良かったけど時が経つにつれて悪化していった。

私が中学の時には【波動整体】にハマって、ある日我が家先生らしい中年男性がやってきて整体と称してアレコレ触ってカラダのこと変な質問してきたよ。

大人になってからは、祖父危篤帰郷したら病室で祖父の口元に母が変な装置を当てていた。

祖父遺品整理中に話を聞いたらその器具は100万円だった。癌が治るんだって祖父脳卒中で倒れたのにさ。家ひっくり返したらもう一台出てきた。200万。

買った先の営業マンLineやりとりを閲覧したら、パワーアップと称して2台に何か加えて+50万円だった。さらに遡ると手始めに水に入れると水が美味しくなる石を買っていた。20万円。

 

販売企業を調べたらXjapanのボーカルの人がハマった団体だった。謄本取ったらLineやり取りしてる相手名前ビジネスネームで、本名ネット検索したら裁判情報が1番に表示されてることがわかった。

お金以上に、祖父の死に際を汚した行為はまじで許せなかった。

 

うちの場合はそれが最後かな。

母親には、次に疑似科学やクソみたいな宗教にハマったら、母親ではなく相手先の担当者を殺すと言ってる。

車の後ろに繋いで市中を引きずり回した後に、ぶっ殺して街中のモニュメント全裸になったそいつを飾りつけるって伝えてる。

魂が浄化されたり水が美味しくなるのと、我が子が人殺しになるか選べと伝えている。

最初は母も信じてなかったので、祖父の死後にスグくそみたいなサプリメント売りに来たお姉さんを家に呼び入れたけど、同席した際に本当にやろうとした。

それからは母は疑似科学宗教じゃなくて私のことを信じてくれるようになったよ。どんなに疑似科学やクソ宗教で家庭がボロボロになっても、最後はやっぱり家族の絆だよね。 

2021-05-15

寝たきりで経管栄養の爺ちゃん

どっかり口開けて舌根沈下気味に寝こけているのを

医療関係者が目にした日には、

ひそひそ声で危篤時の方針なぞを確かめてくるのだが

実は爺ちゃんは口を閉じて寝ていることもあるし

足元の天井にある画面に動画をかけろと催促してくることもあり

栄養剤を増やしたら抜け毛も減った気がするし

日々の上下はありつつもなかなかしぶといんですわ

コロナや年齢のことを言うと怒るし

状況は色々気に入らないのだろう

2021-05-06

父を自宅で看取った

・前々から肺を患っていて、別の臓器が悪くなったからそっちの治療をするために入院していたのだけど、呼吸器管理があまりうまくない(と言ったら失礼なんだけど)病院だったらしく、臓器より先に肺の方がやられてしまった。もう良くはならない、悪くなっていくだけというところまで来てしまった。それで、母が自宅に連れ帰ることを決めた。

病院で人工呼吸器をつけてもらうなどすれば、もう少し長く生きられたのかもしれない。しかコロナウィルスのことがあるから、この1年もお見舞いとか頻繁にはできなかったし、最期ときに看取ることも叶わなかっただろう。自分の家と家族が好きな父だったから、多分これでよかったんだろうと言い聞かせてる。ただ、コロナウィルス感染拡大がなければ、もう少しできることがあったのかなあと思うけれど、そういう『たられば』の話を考えても仕方がない。

10代や20代の頃に、友人が病気になったとか、事件に巻き込まれて亡くなった時などは、悲しみが何もかも埋め尽くして他のことに手が付かず、上を向いていなければ涙があふれるくらいだったけれど、30代ともなるとそんなことはない。仕事は進められるし、ゲームもできる。それくらいの感情制御ができるくらいには大人になった。

・発売をずっとずっと楽しみにしていたソフトがあった(サガフロンティアリマスター)。

発売直前に危篤の報が入ったので、色んなことが落ち着いてからプレイしようと思ったけれど、結局始めてしまった。結果的にはこれが良かった。心に隙間が少しでもできると、父のことを考えてしまう。どこかのタイミングでどうにかできたのではないかと考えて、でも結局どうにもできなかった現実を思い出し、思考堂々巡りになって他に何も考えられなくなる。これがすごく苦しい。真綿で首を絞められるとはこういうことではないだろうか。

から、大好きなゲーム世界に浸っていると、がんじがらめの思考から解放されて、一時ではあるけれど、楽になれる。

(無心になってキャラの育成してるけど本当に楽しい。とてもとても出来のいいリマスター版になったことが嬉しい。

コラボウィスキー当選して手元にあったので、リマスター版発売を祝して発売日に封を開けようと楽しみにしていたけれど、こちらはまだ開けられないでいる)

でも、父が亡くなってからの家のことが思っていたより忙しいし、多分自分自覚している以上に精神的なダメージが大きいようで、気力と体力に少しでも余裕があるときじゃないとプレイできない。まだ半分も進んでいない。連休が明けて、仕事も本格的に再開したので、クリアまでまだ時間がかかりそう。でも、父のことを思い出として割り切れる時が来るよりもずっと早くクリアできるとは思う。

20年以上前から大好きなゲームリマスター版の発売と、父の逝去ほとんど同時だったことを、私は春が来るたび思い出すことになるんだろう。

危篤の報を受けて、実家に戻ってきて、それから所用があるときとか、母と交代で仮眠をとるとき以外はずっと父の傍にいて、大体の時間は父の手を握っていた。

握り返す力はほとんどなく、じんわりと湿っていて、だけど温かだった父の手から日に日に体温が失われていった。指先がだんだんと冷たくなって、さすっても元に戻らなくなってくる。自分の両手で挟んでみて、まだ温かいから大丈夫だとごまかした。

・父はほとんど声を出せなくなっていて、意思疎通もままならない状態だったけれど、不思議と笑っているときとか、楽しんでいるときなどは、傍にいる母や私にもそれが分かった。嫁に行かなくてごめんねと冗談っぽく言ったり、額に頬擦りしてみたり、好きな歌を歌ったりすると、父は笑っていた。それは唯一の救いだったように思う。

最期家族全員で父を看取ったのだが、生と死の境目はよく分からなかった。どこで線が引かれたのだろうか?

・息を引き取る前の父、もう動かなくなった父、死装束をまとって棺に入れられた父、斎場に着いて焼かれて、骨だけになった父、頭蓋骨を砕かれて(すごく可哀想だった)、骨壺に入れられるところまで全部見ていたのに、未だに父が亡くなったという実感がわかないでいる。入院していた期間が長かったし、私も離れて暮らしていたから、まだどこか遠くの病院入院していて、戻ってきていないだけじゃないかと思ってる。

・ふとした心の隙間に父のことに思いを巡らせ、はっと、もう父には会えないという現実に思い至ると、思考事実が一致しないからか、頭がバグりそうになる。

・私は死後の世界何となく信じているけれど、そこまで信心深い訳ではなく、父は立派な戒名をいただいたが、仏様になるとはとても思えない、骨になった父はもはやただの物体である現在科学技術では魂の存在証明できない。だから遺影の手前にあるもの意志とかそういうものはないし、よって、父はもうそこにはいないし、どこにもいない。でも、蝋燭に火をつけて線香を灯し、おりんを鳴らしてから手を合わせ、目を閉じて祈っている間は、心の淀みとか思考の澱とかが取り払われて、澄んだ心持になる。父のためと思えばこそ、線香もなるべくつけておこうと思うし、どんな香りがいいか色んなメーカーのものを見て回るようにもなった。そこにはもういないと分かっているけれど、人には縋るもの必要なのだということがよくわかった。

・今わの際の父には冗談めかして言ったが、三十路過ぎて嫁に行っていないことは本当に申し訳なく思ってる。

結婚願望がないわけじゃないし、思うところがあるから、今からでも嫁に行こうと思う(いけるか分からんけど)。

でも、父を生きている間に花嫁の父にしてやれなかったこと、それ以外にも、もう生きている父に親孝行ができないと思うと、すごくしんどい気持ちになる。

・父や母がその親(つまりから見て祖父母)を見送ったのが50~60代の頃で、私も同じくらいに見送ることになるのだろうか、まだ先のことだと思っていたのだが、30代前半で看取ることになるとは思っていなかった。

・父は7人姉弟末っ子だった。長子の伯母が存命で、この伯母と父はとても仲が良かった。一番下の弟を先に亡くした伯母のことを考えるとなぜだか申し訳ない気分でいっぱいになる。

私自身も4人兄妹の末っ子で、それも父が40代の頃に生まれた子で、私が父の半分も生きていないうちに、父が逝ってしまたことが、切なくてたまらない。

・父は庭いじりが好きだったが、最後の数年間は体力が落ちていて、ろくに世話ができていなかった。なので、今の我が家の庭は少し荒れている。

だけど、それでも、父の庭は美しい。ドウダンの細かな若緑の葉と、鈴に似た真白の花が折り重なってまぶしい。何本かを一列に並べて植えているから、光の通り道のように見える。奥に植えた3本の松はいつでも常盤色をしていて渋く、その手前には幹の太く大きな春もみじが1本植わっている。赤紅の細長い葉を幾重にもまとわせていて、炎のようだ。今はツツジが見頃で、赤と白の花が鮮やかに目に飛び込んでくるのが楽しい

緑が陽に濡れた今年の庭を見ることなく、父は逝ってしまった。そのことがとても悲しい。

この時期じゃなくっても、うちの庭はとても綺麗なのに、お父さんが見ることはもうない。

・大体1ヶ月程度実家滞在していて、昨日一人暮らしの自室に戻ってきた。

隅に片していた寝具のセットに毛布が挟んであって、クローゼットには厚手の衣類が掛けられたままだった。

父が亡くなる前のまま、この部屋の時間は止まっていた。何でもない日々に戻るから時計は動かさないといけない。

・もうどこにも父はいない。そのことが無性に切なくて悲しくて寂しい。

2021-03-12

祖母介護ネグレクト

祖母の死から4年くらい経つ。

社会人になってから父宅から母宅へ移動したが、

半年で逃げ出して一人暮らしを始めた。やっぱり母はおかしい。

ちょうどその頃から祖母ボケ始めた。休日祖母の家に来てくれと電話が鳴り、母が出ないので私が取り、仕事で疲れているから無理だと断っていた。

社会人1年目の冬、知らない番号から着信があったので出てみたら、祖母のかかつりけ医らしい。

母と連絡が取れないので、祖母宅にメモがあった私の番号にかけたらしい。

祖母の病状が悪く、一度見に来てほしいとのことだったので休みを取って行った。仕事が佳境だったので恐る恐るだった。

祖母はがんにかかっていたらしい。顔が酷く腫れ上がって明らかに弱っていた。

小学生の時は私をネグレクトした母の代わりにご飯を作ってくれ、父宅に住んでいた時も、私を呼びだして会う度にご飯を奢ってくれ、お小遣いもくれた祖母だった。酷い状態に涙が止まらなかった。医師の話も聞いた。

何回か通ううちに、私のことを祖母の妹の名前で呼ぶようになった。それがつらくて行くのをやめた。

祖母親族と母に連絡するだけで自分の役目を終えたような顔をして、また仕事に行って休みは寝たり遊んだりする日々に戻った。

12月の夜、祖母危篤だと母より連絡があった。

仕事が終わって自宅の最寄り駅に着いたばかりの私は、「疲れているので行けない」と返した。

祖母はそのまま亡くなった。連絡が来てからやっと自分のししまたことに気づき、熱を出して寝込んだ。熱が下がらないまま遺品整理の手伝いに行ったがまるで役に立たなかった。

葬儀喪主は母だったが、やはり様子はおかしかった。親戚や父も含めて会食をしようとしたらしいが、場所を押さえてないので無理だった。八つ当たりされたので逃げ帰った。

小学生時代祖母に育ててもらったようなものなのに、大学生にもなってお小遣いを貰っていたのに、なんで仕事疲れたくらいであんなに簡単に切り捨てられたんだろう。自分はまともな人間だとばかり思っていた。おばあちゃんごめんなさい。

骨壷は母が持っていたが、どうも墓に入れるのを面倒がっていたので、私が行っている墓には祖母がいないかもしれない。墓越しに謝ることすらできない。

墓参りには線香しか持っていかなかった。あとは掃除だけして帰った。

祖母は私の着物姿を見て喜んでくれた。習字で金賞が取れなかった時だけ怒られたけど、私がもらった賞状トロフィーをたくさん並べていた。

次は花を持っていった方がいいだろうか。祖母の好きな花も知らない。仏花は菊だったっけ?

私が死んだら祖母に会って謝れるんだろうか。

比較的楽しく過ごしているけど、ふと祖母のことを思い出す度に罪悪感で苦しくて涙が止まらなくなる。本当にごめんなさい。父と母に振り回されていた私をかわいがってくれたのに、報いるどころかネグレクトで返した。

言い訳しようと思えばいくらでもできる。そう思う度に自分外道さに反吐が出る。仕方なくなんかない。疲れていたとか関係ない。祖母に比べれば大変なんかじゃなかった。休みには遊ぶ余裕があったのになんで行かなかったんだ。きっと私がそういう人間からだ。屑だ。生きていていいのだろうか。父と母が死ぬ時も私はこうなんだろうか。私が代わりに死ねばよかったのにな。ごめんなさい。ごめんなさいと伝えられない。ごめんなさい。おばあちゃんは許してくれるだろう。こんな屑に優しくしてくれたんだから

天罰を与えてくれ。

2021-01-26

anond:20210126175658

いやーほんとそうですね。姉夫婦もぶん殴りたいですが、親が危篤になったら枕元で恨み言ぶちまけてやろうと思います

あと、こういう場所なので詳しくは伏せますが、金銭的な問題については一応解決の見通しが立っているので、親がコロナ感染したりしなければ近い将来平和に暮らせるようになる予定です。

ちゃんと実行できるようにぼちぼち頑張ります

ありがとうございます

2021-01-25

Zoomで義祖母を看取った

昨日の17時過ぎ、海外に住む義祖母危篤と告げられた。

義父が義祖母入院先へと向かっている最中に、義父はZoomルーム作成し、その招待リンクを私達に送ってきた。

 

慌ててZoomインストールし、アカウント作成した。

友達や知り合いとの通話ディスコLINEで事足りていたし、会社ではビデオ会議のビの字もなかったから、私達にとってこれがはじめてのZoom体験だ。

 

設定を適当に済ませて招待リンクを踏むと、既に親戚一同集まっていた。

ビデオ通話はいつも1人1枠(?)で見慣れていたので、一家全員が勢揃いしている枠がいくつもある画面を見るのはなんだか変な感じだった。義父はまだ病院に着いていないようで、先に集まった人たちで少し雑談なんかをしていた。

 

しばらく経った頃、一定感覚ピーピー鳴る、あの医療機械的な音が聴こえてきた。

 

義父の画面枠には、顰めっ面にも見えるような表情で目を瞑り、ベッドに横たわる義祖母の姿が映っている。

 

Zoom上で集まった親族が、順番に義祖母に声をかけていくことになった。のだが。

同じ病室に、先程亡くなられた方の家族がいるらしく、その家族の泣き声がものすごい声量で聞こえてくる。病室に声が反響しているのがZoom越しでもわかる。

親族声かけと見知らぬ家族の泣き声が混ざってこちらに聞こえてくるもんだから親族が義祖母に何と言っているのかあまり聞き取れなかった。私が聞こえなくても義祖母に聴こえていたらいいんだけれど。

 

向こうの泣き声にかき消されないよう、できるだけ声を張って喋ろう、と思いながら私達は順番が来るのを待っていた。

突然、通話が途切れた。

えっ!?こんな時に回線落ち!?

急いでwifi確認して、Zoomを震える手で再起動した。冷や汗と動悸が止まらなかった。

混乱した頭で色々触って、ようやく繋がった時には義祖母は息を引き取った後だった。

Zoom無料版は人数が多いと通話時間制限がかかり、強制切断されるらしい。Zoomがそんな仕様だったなんて知らなかったし、それならskypeとか他のソフト使った方がよかったんじゃないの?と思った。言わなかったけれど。

 

亡くなった義祖母に今度こそお別れの言葉をかけて、Zoom看取りは終了……しなかった。

火葬後の墓はどうするだの、住んでいた家はどうするだのの話を義父達がはじめてしまい、親戚は抜けるに抜けられず、口出しもしづらい雰囲気通話が続行された。

時間制限で2回通話強制切断されたあとも義父達は会話を続けていたので、3回目の切断時に私達は通話を抜けた。

 

はじめてのZoomを終えた後、この行き場の無い気持ちをどうにかしたくて、なんとなく、Zoomアンインストールした。

2021-01-05

20年ぶりに引きこもりの従姉妹と会った

ただそのような出来事があった、というだけの話なんだけど。あまり気軽に友達に話せるようなことでもないのでここに置いてく。

自分40代女。20年ぶりに従姉妹と会った。

発端は先月末、隣の市に住む親戚のおばさん(従姉妹母親)が入院したことから

おばさんは私の伯父の奥さんで伯父は20年ぐらい前に癌で亡くなっている。

姉妹とは今回会うまで伯父の葬儀で会ったきりだった。

伯父夫婦には2人子供がいる。兄には生まれつき知的障害があるが大人しい性格普段施設暮らしている。

3歳ぐらい下の妹、つまり今回久しぶりに会った従姉妹高校受験地元で一番の進学校へ入ったが中退し、アニメかなんかの専門学校へ行ったらしい。

だけど就職もできずどのバイトも続かずそのまま引きこもるようになったときいてた。

伯父の葬儀でも見た目は普通女の子だったがずっと無表情で完全に心を閉ざしている感じで、誰かが話しかけても無視必要なら頷く程度だった。

おばさんは生前「あの子はずっと私を憎んでいたの。」と言っていた。

伯父は癌になるまで大企業役員クラス仕事をしていて激務だった為、家庭はほぼ妻に任せていたと思われる。

そして従姉妹中学生ごろから両親に「どうせ兄の世話を押し付けるつもりで私を産んだのだろう。」みたいなことを頻繁に言っていたらしい。

ただその兄はもう長いこと施設暮らしていて年末年始などたまに実家へ帰っていたが、今ではもうそ施設での規則正しい生活のほうが本人は楽なようで、両親の死後もそこで暮らせるような手筈にはなっている。

伯父夫婦と私は冠婚葬祭やたまに外でごはんを食べたりお土産のやりとりなどそこそこの親戚付き合いはあった。が、どれぐらい従姉妹を立ち直らせようというような働きかけをしていたかは知らない。

おばさんは洋裁が得意で、多趣味油絵音楽を習ったりしていて、いつも忙しくしていた。自分の娘のことは「なるようにしかならないから悩んでもしょうがない」と諦めていた感じだ。

まりクヨクヨしない、楽天的性格といえばそういう性格の人だった。

おそらく従姉妹とは性格が合わなかったのだと思う。母娘でも合わないなんていくらでもあるし、本来なら相性の悪い親と一緒に暮らすのは苦痛で仕方ないだろう。

しかし従姉妹には独立できるほどの能力も気力もなかった為に親元にいるしかなく、同時に激しく憎むという生活を長年送ってきたのかもしれない。

しかし今回おばさんが急に入院、容体悪化危篤ということになり、色々あって私が従姉妹を連れて病院へ行くことになった。

まずおばさんの家の中を見たのはたぶん5年ぶりぐらいだけど、ほぼゴミ屋敷になっていた。前から物が多いなとは思ってたんだけど、足の踏み場はかろうじてあるという感じ。

そして20年ぶりの従姉妹はかなり見た目が変わっていた。かなり太ってたのもあるし、もちろん中年になれば変わって当然なのだが、とにかく外に出ず他人との交流がない生活をしている人間だというのがひとめでわかるような風貌だ。最初ちょっと正視できなかった。そして、何を話しかけても言葉を発しない。

姉妹に、お母さん入院したことは知ってるの?ときくと、僅かに首を横に振った。知らないしそもそも興味もないという顔だ。それで彼女説明して

「お母さん危ないみたい。明日の朝、迎えに来るから、お母さんに会いに行こう。」と言うと彼女は小さく頷いた。

冷蔵庫の中を見ると生鮮品は古くなっていたが米はあるしインスタントレトルト食品も山ほどあったのでしばらくは大丈夫だろうと思ったけど、もし足りないものがあれば近くのコンビニに行きなさいと従姉妹に少し現金を渡してからその日はいったん帰宅

翌朝車で迎えに行ったら従姉妹は服を着て2階から降りてきた。

相変わらず何も喋らないが、もしかしたら行くのを嫌がるかと思っていたので素直に車に乗り込んだのを見て少しほっとした。

今は面会の制限が厳しいから、私だけだと入れて貰えなかっただろう。

病院につくとおばさんはICUの中で人工呼吸器をつけ意識もなく寝ていた。

医師によると最初は違う病気で元の病院入院していて意識もあったが、そこで突然くも膜下出血を起こして手術可能なこちらへ運ばれてきたとのこと。脳内出血がひどく完全に瞳孔が開いており、手術せずこのままだと年内もたないとのことだった。そして手術して命は助かっても植物状態で寝たきりになるという。

手術するかどうかはおばさん側の実家の親戚に電話をして経緯を話し、「しない」ということになった。

で、面会はこういう時期なので身内に限りひとりだけと言われ、従姉妹に入るよう促した。が、動こうとしない。

彼女の様子を見た看護師さんが状況を察したのか、私に「付き添いということなら、一緒に入っていいです。」と言ってくれ、従姉妹を連れて一緒に中へ入った。彼女は手を引くとようやく足を動かした。そして看護師さんが寝ている母親の手を布団から出して「もう最後ですよ。手を握ってあげて。」と言われると一瞬だけ母親の手に自分の手を重ねた。でもそれは言われたからした、という感じで、すぐに手は引っ込められ、彼女の様子からは何の感情も読み取れなかった。

もしこれがドラマとかだとそこで急に従姉妹が後悔して泣いたりするような展開なのかもしれないけど。

わかったのは、従姉妹は本当に自分母親が嫌いだったんだろうなと。悲しい気はしたけどそれはそれで仕方ないとも思った。

彼女にとって赤の他人に等しい私には彼女事情内面は計り知れないし、実親が死にそうだから泣いて手を握らないといけないということはない。

自分はなんか余計なことしたのかな、という気分にはなった。

それより彼女にとってはこれから自分のことのほうが、重要なのだろう。今までと同じ生活がもう出来ないことはちゃんとわかっているはずだし。

私もおばさんに最後挨拶をして、病院を出た。

翌日、連絡した従姉妹の母方の親戚(おばさんの甥・姪にあたる人)がこちらへ出てきた。なんでも甥はおばさんから自分にもしものことがあったらと従姉妹後見人を頼まれていたらしい。

そして私と一緒に従姉妹の様子を見たいということでまた会いに行ったのだけど。

彼女に僅かな変化を感じた。

相変わらず喋らないし反応も薄いけど、前日はほったらかしだった伸ばしっぱなしの長い髪は後ろで一つにきっちりとまとめられていた。たったそれだけのことでも、なんかだいぶまともに見えた。

おばさんはその数日後に亡くなり、こんな時なので葬儀も僅かな身内だけで済ませて葬儀後の会食などもせず終わり。

今後、従姉妹のことは(彼女の兄のことも含め)そちらの親戚に任せることになった。近々市の福祉課にも相談に行くとか言っていたし、ちゃんとしたしっかりした人たちなので大丈夫だろう。彼女が長年暮らしたあの大きな家も処分するのだろうな。

そして彼女がこれからどう生きてくのかはわからないし、もしかしたら私はこの先彼女と会うことは二度とないかもしれないけど。

彼女の様子を見て、自分母親の死に対してある意味ホッとしてるのかもなって思った。

姉妹精神的に問題あるだろうし引きこもりだけど、8050問題になって親に刺し殺されたりするような人もいる世の中でだいぶラッキーな人だなって感想でした。

やけに疲れたので正月三が日はひたすら寝てました。

2020-12-24

毎日自分ご飯を作ること

東京一人暮らしをしていたが、事情あってコロナ禍に実家田舎帰省してきている。最近東京できちんとご飯を毎食作ることにしていて、実家でもそれを継続している。母や親戚などに自分の作ったご飯を食べてもらい、笑ってもらえるのは大いに幸福である自分ご飯を作るメリットを挙げてみたい。

節約になる

自炊すれば、松屋ラーメン屋に行く回数は圧倒的に減る。松屋吉野家であれば大した金額にもならないが、ファミレスに行くとついついドリンクバーをつけてしまったり、デザートを付けてしまったりして容易に1,000円を超える。働いてお金を稼いでいるのであればお金の使いみちは自由だが、いざというときのためにある程度の貯金必要である。転ばぬ先の杖である自炊に慣れると、次第に作り置きもできるようになってくる。トマトが安いタイミングで大量に買ってレモン汁とオリーブオイルマリネにしておけば1週間以上の保存が可能だし、ミンチ肉が安いタイミングミートソースシチューなどを作って冷凍しておけば、半月以上は保存ができる。

栄養の偏りを防げる

生活習慣病の敵である塩分のとりすぎやコレステロールのとりすぎなど、そういった初歩的なミスは、自分ご飯を作っていれば容易に避けられる。外食ほど味を濃くする必要もないし、何よりも自分で作っていて、「これは醤油を取り過ぎだな」とか「野菜が少なくてバランスに欠けるな」とか、そういったことが実感としてよりわかりやすくなる。

季節ごとの旬を知ることができる

日本四季のある国であるというが、それを実感するのはまず第一に気温、そしてその次に食事である。例えば今の季節はトマトが高い。なぜならばトマトの旬は夏であり、現在スーパーで売られている国産トマト基本的ハウス栽培からだ。また、

人助けになる

当方が今回はからずも帰省したのは、祖母危篤からである祖母には娘が二人(私から見た母とおば)、二人はこれまでの看病等による精神疲労により、かなり体力的にも弱っている。そのため、私が毎日昼ごはん晩御飯を作っているのだが、これが大いに感謝されている。ご飯を作るのにはそれなりに気力が必要らしく、自分の親が死にそうになっているという異常状況で、何も手につかない状態ではやはりおぼつかない。私にできることは少ないが、ご飯を作ることに慣れていて本当に良かったと心底実感している。未だに

男子厨房に入らず

と言ってはばからない男性諸氏もいるようだが、そんな事を言ってられない状況にいつなるかは誰もわからない。人間たるもの、やはり一通りのことは何でも出来てこそ一人前である

精神的に落ち着く

ご飯を作るという作業に没頭することで、相当に癒やしの効果がある。これは自炊を本格的に始めた当初には予想していないことであった。一人暮らし用の冷蔵庫が小さいので、四角のタッパやジップロックなどを100円ショップで購入し、工夫して作りおきのソース食材などを冷蔵庫に入れたりしているときなど、ああ丁寧に生活している、と心から実感する。また、炒めものをしているときは、あまりかき混ぜたりせずに放置することも料理必要プロセスである。かき混ぜすぎると、全体に火を通すのに異常に時間がかかったり、野菜や肉から美味しい成分が汁となって逃げてしまうことがある。そういうときは、じっと我慢して手を止め、フライパンを1分、2分と眺めているものである。この時間いかに充実していることか。

自炊していない人を見下せる

友人などを見ると、一人暮らしでウーバーイーツなどに頼り切りの者、奥さんに任せっきりの者など、いろいろな人がいる。人間自分の面倒くらい自分で見られないとやっぱり半人前だな、と思うと、密かな優越感に浸ることができる。もちろんそんな見方をするのはあまり良くないことではあるが。

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