はてなキーワード: 助長とは
3人以上の小さいグループをクラスター認定することでそのグループが悪いことをしたからコロナ感染した、奴等に問題がある、という自己責任論にすることが出来る。クラスターの中身の行動を自粛要請することで内閣支持率にも美味しい。つまりスケープゴート。
クラスター戦略最大の特徴である。すでに回復済み感染者を村八分扱いする地域の話が多数出ており、自治体が必死に感染者差別を止めるよう要請している状態である。
しかし、専門家達が差別を助長する発言を繰り返しているため、差別は酷くなる一方。
しかし、去年ハンセン病差別に法的決着がついたが、一人あたりの賠償金は60万程度とかなり安価だった。牛歩裁判戦術により原告の人数も減り、国が支払った賠償総額は3000万くらいで済んだ。
差別は起きまくるが数千万のカネで政府への批判が抑えられるのなら、クラスター戦略を選ぶだろう。
多数の差別を産み出すが安価で済み、内閣支持率にも美味しいのがクラスター戦略なのだ。だから経路不明感染が多数になっても日本の感染医療専門家という名の御用学者達はクラスター戦略にこだわるのだ。
そんな低俗な僻み根性を滲ませた批判をしている人がどこにいる。
企業や客の態度が気に食わないだなんて低次元なことを言ってるんじゃない。
利用客が感染することを心配し、また外出を助長して周囲や自分の近くにも拡散されることを心配し、そしてパチンコが中毒性の高い娯楽の皮を被った実質賭博である特性ゆえに客が自制しづらい環境になってしまうことを心配して、事業者側の人間こそ安全寄りの考え方に徹するべきだと考えて、それと真逆の節がある増田に対してみな口を挟んでいるはずだ。バズって吸い寄せられてきた口汚いヤジ連中も、懸念が先に立って絡んできたはずで、言葉のアヤで人格批判やビジネス批判に矛先がそれているだけだ。
それを、正義のフリだの叩きたがりだのと愚弄して、被害妄想にとらわれ、真剣に心配する意見を受けても「それは誤解で、現実の対策はこう」と丹念に説明するでもなく、接触感染や行列などの指摘も、「勝手な根拠」「お花畑」と断じて、クラスターがまだ発生していないんだから余計な心配だと言わんばかりに、死ね、お前ら人殺しだと吐き捨てている。そんな「今まで大丈夫だったから大丈夫」のような薄弱な理屈では拡大を予防できないことが明確に想像できるから、みな自粛している。なおやたらビジネスの正当化に関しては饒舌だが、そこは今は本質ではない、あくまで緊急事態下の振る舞いの話をすべき。ビジネスの是非はさておきこういう事態下で恨みを買っていることだけ真摯に認識してくれれば良いのだが。ともかく書きぶりを見るに、かなり自分勝手で都合の良い受け止め方をしているようにしか見えない。命の選択などと大仰に言って身内の経済的安定を贔屓するばかりで、市民の生命を危険に晒すことには無頓着に感じられる。むしろ市民を恨んでいるせいで自粛要請の意図を理解できていないそぶりがあり、恐ろしい。何度も指摘されているとおり、「日本はクラスターを追ってそこを潰しつつ生活は続けます」というフェーズは終わっている。それでは拡大が止まらない勢いだから国の緊急事態宣言や自治体からの要請が出されていることをなぜ理解しない。そしてその影響はパチンコ店以外の遊興施設も等しく受けている。だから増田の書きなぐっている感情は大衆への逆恨みであり、責任転嫁であり、拗ねているだけだ。むしろ、非公営賭博なのに特別扱いされているパチンコは国(官と議員)との癒着があるからこそ、長いことメディアでは表立って触れられなかった。そのため自粛のムードが迫るのが遅く、周りがみな自粛ムードに移行してもパチンコ店は相変わらずで浮いた存在として目立つようになってからやっと槍玉に挙がるようになっただけで、他業種より猶予期間が長かっただけ恵まれているのではないか?また最初に述べたことと重複するが、ほとんどの国民は、パチンコ中毒者が防疫的に正しい行動を取れるよう態度を改善できるとは思っていない。だからこそ事業者側の増田のような人間が頼みの綱であるのに、はっきり言って増田の被害妄想と自己弁護の強さには失望しかない。業界が増田のような考えの人ばかりでないことを祈るばかりだ。
業界が逆風下にあるなかで、心労の大きさもあるだろうし、常識を外れた荒れた言動になるのもある程度は分かる。けれどそれにしたって、他人を侮り軽んじすぎていないかと思う。その人格をどうこう言うわけじゃない。その素振りが、ともすると営業再開後も隙あらば自粛を無視し対策もなおざりなまま休業を挽回するような性急な営業をするんじゃないかと思えるくらいに、自己正当化が激しい論調だから、これだけトラバやブクマがついている。大手パチンコ店はさすがにまともだと信じたいが、6月あたりに増田のような意識の店長がいる悪あがきせざるを得ない規模の弱小店が下手をしてクラスター発生源になったりしないか不安だ。追記を読んでもそういう思考回路であることがよくわかる。本筋の話でないながらも「違法じゃないんだから合法」「俺らだけが依存者をカモにしてるわけじゃない皆やってる」「具体的な健全化は医療福祉に丸投げ」という事を無難な言い回しで言っているだけだ。この我田引水な考えのまま行動するのではなく、感染拡大下では「~だろう」ではなく「~かもしれない」を極力徹底して業務にあたってもらいたい。「みんなで頑張って乗り切ろう」を揶揄しているうちは増田のような事業者はその業態に関わらずヒステリックな反応を受けても致し方ない。多くの企業が身を削りながら守っているものを一事業者のせいで台無しにされる恐怖に、みなピリピリしているのだから。
先月26日、鹿児島県内で初めて感染者が確認されたあと、感染した女性が立ち寄っていた姶良市のスーパーでは、従業員から、「立ち寄った施設で、『あなたには使ってほしくない』と言われた」などの報告が寄せられているということです。
このため姶良市は、ホームページに不当な差別や偏見、いじめは許されないという市長のメッセージを掲載しました。
さらに8日夜、鹿児島市に転入した高校生の感染が分かると、ツイッター上では
「標準語を話す人は隔離対象」とか、「鹿児島に来る人には何かしら罰則規定を決めていい気がする」などといった、極端な意見も投稿されています。
社会心理学が専門で、東京大学大学院の関谷直也准教授は「感染者が差別に苦しむことが繰り返されると、感染経路が追えなくなる可能性も出てくる。
新型コロナウイルスが自分たちに近づいている不安の表れだが、差別や偏見に結び付けることはあってはならず、人権問題として考えなければならない」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200409/5050009868.html
11日朝、岩手・花巻市の商店街で、住宅や店舗など6棟が焼ける火事があった。
この男性は、新型コロナウイルスの緊急事態宣言を受け、入居予定日より早く東京から花巻市に引っ越すために来ていた。
警察では、出火の原因をくわしく調べている。
https://www.fnn.jp/articles/-/31149
https://i.imgur.com/bb9XNF5.jpg
(インターネット上でもよく見られる)愚者の特徴として、「他人を低く見積もりすぎる(=侮りがち)」という特徴がある。
ここで一例をあげるまでもないだろうが、今回は少し趣の異なる例も挙げてみよう。
デマによる買い占めだ。
これに関し、在庫十分という情報を知らないか信じないが故にデマを信じて買い占めに走る、ある意味純粋な愚者は、実際には問題視するほど多くはない。
けれども、そういう愚者がいるはずだ、やつらのせいで品切れになると困る、と市民の理性を低く見積もった大勢の人によって、実際の買い占め・品薄の大部分が招かれている。
彼らは自分のことを先回り発想ができる賢者だと思っているが、そもそもが他人を侮る品性によって自らモラル崩壊を起こしそれを助長している。これが愚者でなくて何なのか。
ここは女尊男卑の国です。
女性ばかりが出世し、就職は女性が有利です。男性には高等教育など必要ありません。なぜなら男性のほうが犯罪率が高く、感情的で暴力的なので高い地位につけると社会に迷惑をかけるからです。そういう習慣がまかり通っている国です。
男性は女性に求められたらいつでもニコニコ笑ってお金を渡さなければいけません。
もしくは、女性の気分を害さないようにうまくかわさなければなりません。
男性が仕事を任されるためには、女性の上司に多額の金額を渡さなければいけないこともあります。
有名な女性ジャーナリストが、仕事の勉強に来た男性を酔わせたり、断れない場所に連れ込んで、お金をたくさんまきあげた事件もありましたね。
役者が役を得るために、こっそり女性プロデューサーにお金を渡すことはよくあることです。
街中を歩いていて見知らぬ女性にお金をとれられることもあります。
もちろん、そんな小さなことでいちいちギャーギャー言ってはいけません。
公共交通機関を利用する大半の未成年の少年がたくさん被害に遭いますが、声をあげても助ける人はあまりいません。
もし冤罪だったら女性の人生は終わってしまいますし、なにより電車が遅れてしまうではありませんか。
この国は今までそうやって問題なく成り立っていたのです。
少しずつ、少しずつ、「こんな国は間違っている」「女尊男卑はやめよう、女男平等にしようじゃないか」と男性が声をあげて、女性側からも少しずつ「そうだ、おかしいよね」と言う人が出てきました。
世界的に女尊男卑が是正され始め、女性が男性からお金をまきあげる風習はおかしいと、世界的ムーブメントにもなりました。
ですが、この国では依然として既得権益を守りたい女性がたくさんいます。
男性が女性にお金を渡すフィクションが大好きな女性がたくさんいます。
世の中には「女性にお金を渡しやすい財布を持つ男性」や「女性にお金を渡すのがあたりまえ」といった風習を助長するような映画、ドラマ、広告などが溢れています。表現の自由ですからね。
これに男性は声を上げました。
「こういう表現にずっと傷ついてきた」
けれどもそういう発言をする男性はSNS上で大炎上し、罵詈雑言を浴びせられます。
「自分がお金を要求されないからってオッサンの嫉妬は醜いwwwww」
その慣用句は現代社会においてはひどくナンセンスだということを、いわゆる知識人層の人間は理解している。
そのため人を動かしたい時でも決して用いないのだが、学がない人ほどそのフレーズを安易に口にするものだ。
言い方を変えれば、学がない人ほど社会主義・全体主義的思想を帯びた発想を助長することに対する警戒が薄い、とも言える。
その句を真に受ける人々が増えれば増えるほど、世の中が規律正しい社会主義体制に近づいていくかというと、全くそうではなく、ひたすらに他罰的で想像力に欠けた窮屈なポピュリズムが蔓延していくだけである。
なぜなら、その句を使う人々は何らかの思想的軸を持っている訳ではない、ネットの群衆にも似た無学な日和見主義者にすぎないからだ。
しかし「批判していい/されるべき」部分と「侮辱してはいけない/する必要もない」部分があるのは何事もそうで。その区別ができてないのは擁護側ばかりじゃなく批判側だってそうだよね。
少なくとも「架空のキャラクターにセクハラをすることは現実の人間へのセクハラを助長する」とかいうバカな論理は一蹴して構わないと思うよ。本件の問題は、(大袈裟な喩えをするなら)「子供にアダルトビデオを見せるのはそれ自体が性的虐待」というのと同じ理屈にあるんじゃないのかな。(さらにそこから細分化して区別をつけるべき話はいくらでもあるけど。特に公共性に関する議論が。公共性を「利用している」のか、「提供している」のかで全然話は変わるよね。)
朝ご飯を食べながらテレビを見るとはなしに見ていたら、また新型コロナの話。
この話ホントやめて欲しい。
新型コロナに罹患していても、ちょっと吸い込んだホコリとか、日常的な雑菌などを喉から排出するために、タンが出るときは出るだろう。新型コロナに起因しない、健康な人でも出ることがある日常的なタンのことだ。
空咳が出るのもおなじく、健康な人にもありうる。ちょっとした花粉症的なヤツとか、飲み物がむせるとか、いくらでもあるじゃん。
ちょっと考えたら咳だけで新型コロナ断定は無理って分かるのに。
で、こういう情報が、電車の中や公共の場所で空咳が出てるヒトを白眼視するみたいな、社会のギスギスさを助長する。
テレビはそこの責任を取らないし、多くの視聴者もよく考えないでこういうことを信じるし。
本当に新型コロナかどうかは、医学的な検査をしなければ断定出来ない。咳の種類だけでは素人が判断できないってはっきり言って欲しかった。こんなのは当たり前の話だと番組を作った方は思ったのかもしれないけど、今の視聴者のリテラシーは残念ながら低いから。例のトイレットペーパー騒動が証明してる。メディアにあおられて不要に買って。
ある大学生と一部の人の「中流階級」という言葉の定義の違いからその大学生のTwitterが小さく炎上している。
その学生は東大学部入学式の祝辞と今年の入試の現代文の文章を引用し、自分が恵まれていたことを振り返っている。
その際、自分の生まれが東京の中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級の定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。
その後学生は自分の定義として社会学者の定義を引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのみリプライをした。
また、リプライの表示設定をよりプライベートなものにするという提案のリプライに賛同している。
以下ではこの件について意見を述べる。当該学生を攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。
=====
祝辞と現代文で扱われた文章のメッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。
祝辞、努力したら報われるという思考は恵まれた環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな
入試の文章、現代では教育を媒介として格差が再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える
当該学生は自分が恵まれていることに自覚的であることは重要であると解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、
多くの批判は学生が自信を表現した「中流階級」という言葉の定義の差から生まれているようであった。
言葉の定義の差なので当該学生のツイートになんら誤りはないが、学生が世間知らずとして批判されている。
祝辞や入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリの自分の努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、
世間知らず(自分の社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。
学生の「中流階級」の定義の引用元については、おそらく20年以上前の社会階層を元に定義されていて、
現在の社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。
ここ20〜30年程度の中流階級の喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。
学生が後からツイートで定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般の定義を用いるべきであろう。
もし私が祝辞や入試問題の背景、さらに当該学生の意思を正しく捉えられているなら、
当該学生はまさしく祝辞や入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。
また、中流階級の喪失がインテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切な定義の使用も皮肉なものであるように自分には感じられる。
「現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威で自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分は学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。
批判のツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金で提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)
理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。
加えて、不愉快な批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施を宣言している。議論を放棄しているようだ。
こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的な政治家の台頭を助長しているのではないか。
自分はこの20年ほどで先進国、特に日本やアメリカでは富裕層と貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。
そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。
また学生の炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬は放置しろなどといった態度も見られる。
自分の判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。
このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト(東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学に勉強をしに来ている学生の気持ちを考えて欲しい。テニスサークルの男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補の学生があまりのハイスペックに炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。
また、学生はこういったツイートをすることで自分が努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。
私が例の入試の現代文の文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力は他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。
ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境も努力に正に働きかけ、しかしその中での努力は精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。
もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院に合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。
なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、
私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判が殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。
一応自分もこういった人たちと同じような大学を卒業しているが、こういった発言をインターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。
なお、私は中流と下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。
経済的な理由で、家族の泊まりの旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行は20年で1度だけあった)。
進学実績のある高校に入学した時も、裕福な家庭出身の学生の多さに驚いたが、東京大学に入学した時の驚きはそれ以上であった。
裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。
彼らと同じように青春を謳歌しようとしたが(当時の自分はサークル活動や恋愛へのコミットに強迫観念を抱いていた)、家事やアルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さからご理解いただけるだろう)。
理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。
牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬や自分の惨めさを日々感じていた。
都内の一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除の収入基準をクリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。
就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。
貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身の学生が、家事やアルバイトをこなし、貸与・給付の奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。
炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育を媒介として格差が再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。
GDPが世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育を媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。
私が知らないだけで、学生にアンケートをとって学生の家庭の親の年収や資産を調査したものなどが公表されているのだろう(道義的に公表しないはずがない)(追記:公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。
多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。
(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布が性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))
一部のコメントへの返信
美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます。
でも格差が再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります
そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞や現代文では展開されていると捉えています。
ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma
元記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います。
しかし入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに不平等になっています。
東大生の親の資産を調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査で調査されているのでリンクを貼ります。議論の参考になればと思います。
ご教示いただきありがとうございます。こちらの資料(学生生活実態調査(2018年))
の39〜42ページに出身地や世帯収入、家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。
このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。
東京大学は入学した学生の貧富の調査・公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています。
世帯収入と出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生、首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。
特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援の施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。
当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。
努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特に恵まれた人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間の不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。
「悪い事だと認識してる場合、そういったフィクションは犯罪率増加に関与しない」
つまり、「世間でカッコイイ事や素晴らしいと言われているものは、助長させる」
→子供の中では、「不良はカッコいい」というイメージがある。悪い事だと認識してないので、不良マンガは不良を増やすは正解。
→世間の中では「レイプはカッコいいモノ」というイメージはない。レイプシーンやエロマンガは、犯罪者が模倣することが在っても、インセンティブにならない。
一方、
「犯罪を達成しやすい環境は、犯罪率、犯罪者の増加に寄与する」
→自衛のしてない人間が居るだけで、犯罪は増える、協力しているのも一緒なので、財布をバッグにしまったり、痴漢されやすい・欲情させる服装は選ばない。自衛はしっかりしなければいけない。
ただ、