苦労が糧になった話は美談として多くの人に好まれるけど、不遇だった時代と現在の差分を幸福に感じているだけで、別に苦労が糧になったわけではないと思う。
苦労している人には二種類いて、親がアルコールやギャンブル中毒だったり、精神障害だったり貧乏だったりするなど、環境に苦労させられるパターン、
もう一つは自分に障害があったり、容姿が悪かったり、才能も無かったりして、自分の生まれつきの運の悪さに苦労させられるパターンがある。
前者については、本人に能力や魅力があれば、どこかの組織に引っ張りあげられたりして、苦労を過去の話と振り返ることができる。
でも後者については、苦労は何の糧にもならないと思う。
結果、努力の習慣がついたのなら後者の苦労も得るものはあると思う 努力できるのも才能のうちだ
全然違う。たしかに苦労には2種類あるがそれは以下だ。 環境や才能や能力が一定水準以下であることによる苦労 それらに恵まれた人間がさらにハイレベルな環境を金で買ってする苦...