はてなキーワード: ファンタとは
「クォンタム・ファミリーズ」は並行宇宙から流れ込んできた情報をきっかけに物語が進む。自分の娘と名乗る相手から受けたメッセージを手掛かりに、作家である主人公はもう一つの世界に入りこむ。そこでは妻との関係も良好で、作るのをためらっていた子供もいる。自分は作家ではなく、ブロガーで政治活動をしてコミュニティを作っているらしい世界に適応していこうとするが、さらにほかの世界が絡まってきて……というお話。
「クリュセの魚」は未来の火星を舞台に、自分と同じ日系人の優しいお姉ちゃんとの出会いから始まるおねショタに見せかけて、お姉ちゃんが今は亡き日本国に関するとんでもない秘密を抱えていたっていうお話で、さっき書いた「日本沈没」の精神的な続編というくだりから思い出した。舞台は遠い未来で、日本という国家が他国に吸収されてアイデンティティが失われているからだ。
「走馬灯のセトリは考えておいて」はVtuber小説なんだけど、「接続された女」みたいな暗鬱な感じじゃなくて、現代の推しの文化を肯定的に描写していて楽しい。
「ヒト夜の永い夢」は仮想の昭和史もので、意外な人物が意外な形で出てくるので歴史を知っていると深刻なストーリーなのに笑ってしまう。登場人物が男性に偏っているのは往年の少年探偵団へのオマージュだろうし、だから世界の謎が女性の姿をしている。下ネタが多いのは「屍者の帝国」との差別化だろう。
この人は創元SF短篇賞出身の中でも頭一つ抜けている。どれを読んでも大体面白いんだけど、まずはグロ描写もあるけど最初の「盤上の夜」と、あえてユーモアSFである「超動く家にて」をおすすめしたい。
さっき「allo, toi, toi」を紹介したけど、「BEATLESS」が面白かった。人工知能・機械の女の子と主人公の男の子という手垢のついたようなモチーフなんだけど、女の子のほうがあくまで自分は人間ではなく機械だと一貫して主張し、責任を取るのはあなただという。これはシンギュラリティを迎えたAIが人間との信頼を築く話なのか、完全に人間を手玉に取っているのか、みんなはどう読む?
「あなたのための物語」は末期がん苦痛の中で孤立し、尊厳もなく死んでいく描写が冒頭にあり、なぜそうなったかが作中で語られていくのだが、二度と読み返したくないほど壮絶。
サイエンスを信じているという意味では藤井太洋も候補に入ると思うんだけど、あまりにもオプティミスティックなのと、意識の高さと言うかビジネスの描写が面白いとは感じられなかった。今までの日本のSFでは見られないタイプだし、優れているんだけど肌には合わない。
あと、ミシェル・ウエルベックのとある作品が人類の未来を描写するんだけど、ジャンルがSFってことを言うとネタバレになるからどれかは言えない。
ちなみに今読んでいるのがフレドリック・ブラウンの全短編集で、星新一の源流の一つなんだけど、自分は最新のSFと古典SFを交互に読み、それに飽きたら純文学に走り、さらに飽きたらノンフィクションをぶっ通しで読むという癖がある。
読書系の増田を書くと普段ブクマしない人が来てくれるので楽しい。
(翌日追記:平野啓一郎も「ドーン」ってSFを書いていて、政治色が強いけど面白かった)
そういえば「竜の卵」いいよね。civilizationのゲームといい、小泉八雲「安芸之助の夢」といい、僕は箱庭系の世界が好きなんだ。コンウェイのライフゲームをぼーっと見ているのも好き。
全然関係ないけど、キム・スタンリー・ロビンソンの「火星三部作」で、火星の大地を巨大レーザーで照射して運河作っちゃうシーンが好き。
また早川書房 翻訳SFファンタジイ編集部のツイッターに捕捉されてて吹いた。これが推しに認知されるってやつだろうか?
ブクマが700まで行った。どひゃー。
そういえばブコメで女性で宇宙を書く作家多いじゃんって突っ込まれてたけど、ここ数年を含めると確かにヒューゴー賞・ネビュラ賞も大きく顔触れが変わっているね(アメリカでは受賞者の多様性をめぐって大きな議論があったんだけどそれ以来)。基礎資料に当たってなかったのはまずかった。
どうも僕は最新の文学を追うというよりも、数十年単位で物事を見ている傾向にあり、というかここ三十年を最近とみなしているところがある。これが歴史に対する興味由来なのか、僕の年齢のせいなのかはわからない。
確かにたくさんの作品を薦めすぎてしまったようだ(前編で書いた条件で絞りはしたものの、それ以外のものを含めればいくらでも薦めたい作品があるし、漫画だってある)。それでも、ふと思い出したのがJ. J. アダムス編「黄金の人工太陽 巨大宇宙SF傑作選」で、「三体」が好きな宇宙ヤバい系で短編なので手に取りやすいんじゃないかな。
なんで小松左京「虚無回廊」が出てこないのかっていうと、一時期逆に大きなスケールの物語に対する興味が薄れてた時期があるのだ。それを好む自分が「三体」で久しぶりに呼び覚まされたのだ。
ではまた。
anond:20231015151001 おっさんたち、昔どうしてSFもの・宇宙ものが流行ったか教えて
じゃあいま30代、そのときは60歳を超えてるであろうあなた方はどうやってこの質問に答えるのでしょうか。
ドラゴンクエストがその発火点であることは間違いないが、その手前の、ウィザードリィとウルティマが起源であるし、さらに遡ったらTRPGになります。もっとも少数派だったでしょうが。
ドラゴンクエストにより、家庭用ヴィデオゲームにおけるロールプレイングゲームが一般化し、その「ついでに」剣とファンタジーの冒険が一般化したんですよ。両者は不可分であるけど、RPGという新しいゲームを遊ぶことができるというのが強かったのです。
それまでにファンタジー世界の物語は知られてはいました。でも、メインはSFだったところに「知ってるひとは知っている」というスタンスでファンタジーという分野は生息していたのです。
SF :サイエンス・フィクション HM :ミステリ(昔は違った記憶があるけど思い出せない)
FT :ファンタジイ
書籍分類記号のFTは本棚にかぞえるほどしかありませんでした。
もちろん、グインサーガシリーズや指輪物語のように熱狂的に支持するひとがいたし、通ぶりたいひと(あるは本当に好きなひと)は「やっぱり指輪物語が~」なんていってた記憶があります。
「ネバーエンディング・ストーリー」や「ダーククリスタル」などヒットした映画もありました。だから、世界観に潜在的な知識はあったんですよね。あとはディズニーや昔話もそうですね。
ただ当時(昭和末期)まではSFが強かったのです。というのも、あらゆるジャンルに不思議な要素が紛れ込むとそれはSFということになっていたんですよね。
筒井康隆、星新一、小松左京といったSF御三家も、ボーダー上のジャンル不特定な微妙な作品をSFとして発表していたのです。
それは今後のRPGにも影響を与えるのです。というかオタク文化(から派生してエンタメ全般)全てにわたり垣根が曖昧になっていく「なんでもあり」になっていくのです。
「なんでもあり」はパロディや二次創作も強く影響を与えているわけですが。
そして、そもそものRPGの始祖であるウィザードリィにしてもTRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のパロディ要素が多々あるそうです(TRPGはやってないいので)。
ファミコンにより活性化し一般化したヴィデオゲーム。アーケードのゲームとPCからのゲームより、家庭用のデバイスでより洗練されたゲームを、そしてより多岐のジャンルへと裾野を広げた末に飛び出てきたのがドラゴンクエストなどの剣と魔法のファンタジー、さらに様々な要素を加えたファイナルファンタジーなどのRPGが一気に強いゲームジャンルになっていきます。
そこで培われたフォーマットを他のメディアでも更に発展させていくわけです。
そしてひとびとは剣と魔法って宇宙モノよりもこすりがいがある!という発見をします。
それがさらなる発展を生み出すのです。
ここらへんの発展先はライトノベル発が多いように思われますが、もうしわけないが観測してないところですので曖昧です。ウィザードリィやドラゴンクエストのノベル化が大きいような気もしますが曖昧です。ゲームには興味ありましたが派生文化には興味なかったのです。
と、ざっくりとした歴史観があるのですが。
これだと、海外でもファンタジーが流行った理由がもうひとつわからないんですよね。ドラゴンクエストは海外ではそんな流行らなかったそうだし。まあ、スーパーマリオブラザーズも十分ファンタジーな世界観ですからそんなおかしくもないんですがね。ゼルダの伝説は海外でもヒットしてますしファンタジーの知名度アップには貢献してそうです。でも決定打というには弱いような。
ということで
ネタバレ注意!
この物語の基本的な原理は次の通りだ。「宇宙の資源は有限である。しかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手の位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手の文明の座標を全宇宙に晒す装置を作ればいい」。
これが適用されるのは地球人対エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人の宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則に例外はない。
どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。
エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。
さらに、地球人の文明が通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元の物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系・人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。
それだけではない、現在の宇宙が四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元で光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義!
宇宙戦艦、超兵器、エイリアン、コールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSF的モチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい。
これは欧米のSFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国が舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻とかいう名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないから楽しい(ケン・リュウも書いているけどね。あと、中国人からしても日本と言えばカミカゼと忍者と茶道なのね。あとは雀魂とか)。
関係ないけど、英語版のウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。
あと、文化大革命が背景になる中国の小説とか映画とかって、面白いのが多い。
クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。
SFはリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実の社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFのルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマの作品をどうしても読みたくなる。
第一部でエイリアンの軍勢を地球に呼び寄せてしまうのは人類に絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球の資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかわからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアンと和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本や韓国のアイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。
そして、コールドスリープから目覚めた主人公の女性・程心もエイリアンの文明を破壊するための報復装置を、弱気さから起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類のジェノサイド宣言につながる)。
同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会はもっと雄々しくあるべきだ」という趣旨のマッチョなことを述べる。2010年のSFだけどこれでいいのか。このシリーズを普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。
さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。
つまり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。
三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。
※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサンと宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性の上司に日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。
エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいかと軍人が議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンのシンパ・スパイを排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実の中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代のSFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦の世界観で世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。
第一部からエイリアンの超粒子で地球文明が監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。
深読みすれば、共産党に監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。
SFってのはある程度ブラフが必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないかが仮定の文学であるSFのテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球のナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)
人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。
ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国の伝統的美意識・神仙思想・隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。
全体として思ったのは「これって炒飯とラーメンと餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレとかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セットが無性に食べたい日もある。
時々どうしても受け入れられない価値観に出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分は不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分の価値観があぶり出される。
過去は批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。
本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。
こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。
それではまた。
「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。
これは外国文学を読むときの鬼門で、自分は三国志にゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。
おすすめのロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。
基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉のリズムに慣れるのがおすすめ。マニアになってくるとジョンとヨハネとイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。
SFじゃないのも含むけど、
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あとは、
これはちょっと思った。原初のSFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。
で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現にルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。
なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから、元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。
でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。
そういえば第三部でアボリジニのおっちゃんが出てくるけど、欧米の作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときにももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明と出会ったことによる悲劇のメタファーとしては扱いが若干雑だ。
以上。
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イラスト、音楽、写真、小説、動画、記事…あらゆるジャンルの創作を受け入れ、クリエイターを支える「オールジャンルの創作プラットフォーム」それがFantasfic(ファンタスフィック)だ。
「様々なコンテンツが混在する」。そんなカオスさに興味を惹かれ、私はfantasficを見に行った。しかし、そこで私が見たのは溢れる児童ポルノだった。
「そうさダイスケ!!!!ファンタスフィックで一番ウケるのは児童ポルノだ!!!!!!!」
トップページの「人気」欄に並ぶのは児童ポルノ。イラストも稀に入っているが、児童ポルノと比較して明らかに評価が少ない。と、言うより相手にされてない。マジのマジで相手にされてない。
「運営が管理を怠っているのではないか?」そう考える諸君もいるだろう。だがそうではない。
私もサークルを開設し、Fanasficの現状を風刺する漫画を投稿したのだ。今日午前6時半頃の出来事だった。直ぐに現状に辟易する住民のコメントや「いいね」がいくつか付き、作品が「人気」欄に載ったのっだ。投稿して間もない私にしては偉業と言えるだろう。
しかし午前8時頃、突然漫画と私のサークルが削除され、コメント投稿・いいね・アカウント退会さえ制限されてしまったのだ。
児童ポルノは放置し、運営に対する皮肉は即削除。私はこのサイトの本当の「ヤバさ」を知った。
https://fantasfic.fun/users/42857
キミはfantasficのヤバさを知ってるか。
知りたいなら、 https://fantasfic.fun をチェックだ。
もう匿名じゃ無くなってるけどそこは許して。
まあ、どのくらいの数のよねぽオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないミステリの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、よねぽのことを紹介するために読ませるべき10作を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にミステリを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、情緒に過大な負担を伴う短編集は避けたい。
あと、いくらよねぽ的に基礎といっても雑誌でしか読めないものは避けたい。
よねぽの歴史小説好きが「安寿と厨子王ファーストツアー」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる『名探偵コナン』的なものを除けば、古畑任三郎程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「よねぽ以前」を濃縮しきっていて、「よねぽ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも200ページちょいだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える映像化がうまくいきそうな推理小説(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際はインシテミルは一度も映像化されてない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「よねぽオタとしてはこの二つは“謎解き”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFミステリオタが持ってるファンタジィとミステリの両立への憧憬と、中世ヨーロッパについてみっちり調べたオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも漫画映えしそうな
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「フィリップ・マーロウだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
このシリーズの作品がその後続いていないこと、これがミステリ読みのあいだでは大人気になったこと、アメリカなら実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり学園ミステリは少年少女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『秋期限定栗きんとん事件』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるよねぽの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも368ページ、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
〈図書委員〉シリーズの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが相沢沙呼や似鳥鶏だったらきっちり300ページにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて368ページを作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえよねぽがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でユーゴスラヴィア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
折れた竜骨よりも前の段階で、よねぽの哲学とかヨーロッパ描写とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がソフトカバー単行本でこの時代に出ていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくミステリ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるジブリ劇場用アニメでしかユーゴスラヴィアを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
よねぽの「目」あるいは「伏線張り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから読ませる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』で一番印象的なシーンはハルヒが学園祭で歌う「God knows...」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は学園祭での謎解きにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の青春をこういうかたちでオススメして、それが非オタに受け入れられるか「二度と勧めてこなくて構いません」という反応を誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に直木賞受賞作を選んだ。
角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞から始まって直木三十五賞で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、日本の歴史をガッツリ舞台にする作風の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
id:lady_jokerさんの書いた増田を見て急によねぽ語りをしたくなったので書いた。今は反省していない。
「おもしろいミステリ」を読みたい増田はこれを参考に米澤穂信を読むか有栖川有栖の江神シリーズを読んでくれ。
〈小市民〉シリーズがないのはツッコまれるかな、と思ってたけど(どれ入れるかは迷うところだけど、やっぱ仮に入れるとしたら『秋期限定栗きんとん事件』かな? でも『夏期限定トロピカルパフェ事件』もいいんだよなぁ〜〜〜……)、予想以上に『儚い羊たちの祝宴』がブコメで言及されててビックリした。いや、たしかに良い短編集ではあるけど、そんな高評価するか? 短編集から1冊選ぶならどう考えても『儚い羊たちの祝宴』じゃなくて『満願』だろJK……
仕事の出先で、辺りをフラフラしていたら幼稚園の前を通りかかった。周辺にはママチャリやら徒歩の母親たちで5、6人の塊がいくつできている。お迎えの時間か。地域の生活道路を占有している。その間を自動車がノロノロ進んでいる。こりゃぁ近所の住民もたまらんだなと思いながら眺めていた。
こいつらみんなやることやって子供作ってるってのが、現実感が無い。
ちなみにおれは40代のDT。20代のころよりは衰えているとはいえ週に5回は出すもん出している。最近はネットで動画見放題だし、出演している素人っぽい女性のクオリティも昔に比べて格段に上がってるしましてやフィニッシュは当然生中出しとかネタに事欠かない。だがそんなのは常に画面の中の世界。ファンタージの世界の話だから許される。現実じゃありえんだろ。
よく見るとけっこう若くてオシャレなかーちゃんが多いな。キラキラしてる。専業主婦の余裕か?
色も白め。特にあそこの赤ん坊をベビーカーに乗せてる乳パンパンのかーちゃんかわいい。羨ましすぎ。