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はてなキーワード: テーブルとは

2023-08-31

統合失調症かつ発達障害タスク分割による部屋の掃除にまたしても失敗

部屋の掃除が出来んかった。

そろそろ5年くらい掃除してないと思う。

よくいわれるように、やることが多すぎてわけわかんなくなる。

そういう時は細分化だというのだが、細分化したら、項目が多すぎて途方に暮れて駄目になる。

たとえば、まず部屋にたまった、既にゴミ袋に入っているゴミ過去の私がほんの少しだけやる気を出した時に作った者だ)をゴミ捨て場に持っていくのが楽だろう。

だが、二ヶ月くらい風呂に入っていないので外に出られる姿ではない。

風呂に入る……私にはそれはすごく荷が重いことだ。そうじゃなければ全身が痒くて睡眠薬で無理矢理寝るようなことをせず、サッとお風呂に入るに決まってる。

あっ、もう詰んだじゃん。

まあそこを奇跡的にクリアして、15袋くらいあるゴミ袋を取り合えずゴミ捨て場に持って行ったとする。(ゴミ捨て場がいつやってるかも調べなきゃな)

そこから片付けだが、それを細分化すればするほど項目が無限に増えていく。

なんというか、登山を1~10合目までわけたらいいじゃんと言われても、汚れを溜めすぎているので、一歩ごとの行動まで細分化しないとパニックになるくらいやることが多いのだ。

そして、その細分化の多さにパニックになる。

我慢して、部屋の入り口から半径1m、床から高さ30cmの部分だけに注目するとする。それ以上の高さだと、積み上げた本のタワーとか、小テーブルの上とか段ボール意識しなきゃないからな。

だがもうそこだけで、可燃ごみ不燃ごみ、缶、病院資料、お札、本、誰かからプレゼント、カビた食器、謎のヌルヌルetcがある。それらを細分化して、それらの片づけ方を考えて……ああ、多すぎる。山盛りすぎる。途方に暮れざるを得ない。

業者に頼む?

まりに恥ずかしい。

なぜなら、何も趣味のない私は自慰行為くらいしか娯楽がないので、部屋中に液体を処理したティッシュや性具やポルノエロ本が散らかっているかである

むりだ……。

anond:20230830203626

私の知り合いに同じような人がいる。

私は知り合った当初から「何かおかしい」と思っていた。

この「何か」についてはその当初はわからなかったが、接していくとわかるようになった。

結論から言うと知人は軽度の統合失調症だった。その後、重度になるのだが、それは置いとく。

特徴としては「自分のせい」というのを極度に嫌う。嘘をついてでも自分が怒られることにはなりたくない。息をするように嘘をつく。

逆に良いことに関しては、「自分のおかげ」を評価してもらいたがる。ちょっとしたことでもだ。【靴を並べた】や【テーブルを拭いた】などちょっとしたこと感謝してあげないとストレスへと変わる。

また、議論が不得意でA=B,B=C,ならばA=Cとはならない。「ならば」がまず理解できない。A=Bもいまいちよくわからないし、B=Cもいまいちよくわからない。ならばA=Cよね?というのは言語として理解できない。理解できないから耳が悪いと言い出す。耳鼻科に通って、耳の検査をする。耳が正常であることがわかっても、耳が悪いという意見を譲ることはできない。つまり、想定した言葉相手が発しないと聞こえない。

例えると、どうみても海に行ってきた格好でその人に出会って、その人が「どこ行ってきたの?」との質問に「登山してきた!」はその人の想定した答えではないから聞こえない。「え?どこ行ってきたの?」→「だから登山だって!」→「え?ごめん耳が悪くて聞こえない」こういうやりとりが多くある。

また、思い込みがすごい。上の階の人の足音がうるさいと言い出した時、私は「やすアパートだろうから別にしょうがないじゃない?」といった際、「いや、私が帰ってきたらわざとドンドンとやるの」→「でも、帰る前からうるさいんじゃない?壁が薄い安いアパートでしょ?」→「私が帰る前は静かなの!」→「なんで?家にいないのに静かにしているのがわかるの?」→「私にはわかるの!私が帰ったら上の人はわざと音を立ててるの!」といった具合に、自分の解は絶対に譲らない。

そういった感じで、世の中のことは自分のせいではなく他人のせいで発生していて、被害妄想がひどく、統合失調症は重度化していったようだ。

飲食店サマーウォーズ増田済まずーぉうー政のんテク真意回文

おはようございます

なんかちょっと朝晩涼しくなってきたような気がするのよね。

こういう時に体調崩しがちなのでガチで注意気を付けないとね!って

私さー、

こないだファミレス増田を練って書いていたとき

隣のテーブル

お爺ちゃんとその孫と思われる二人組のチームがやって来て御飯食べてたのね。

孫お爺ちゃんファミレス一緒に来て御飯食べていいなーって思ったけど

あれしきりに孫はスマートフォンを気にしてみていたけれどあれ実は、

きっとその孫娘は、

若くして亡くなったお爺さんのお嫁さんなの。

その娘はスマホをしきりに眺めているけど、

あと何時間とか何分とかで孫娘に乗り憑る効力が解かれるので、

急いで爺様と楽しい食事をしていると思うと、

なんか見たことないけど

サマーウォーズわ!ってそう思って止まないのよね。

夏のファミレスにはファンタジーが詰まっているわ!

泣ける!

胸熱わ!

そう考えるとファミレスにはラミレス以外のファンタジーしかないと思うの。

しかも宝庫よ。

とりあえず

何か夏にファンタジーなことが起きたら観たことないけどサマーウォーズわ!って言ったら雰囲気出るわよね。

あとファミレスで恥ずかしいのは

生中のジョッキをおかわりしたら空いたグラスをすぐに片付けて欲しくない?

あれが2つ3つテーブルに乗って残っていると、

すごく呑兵衛みたいによそのお客さんから見られたりするじゃない?

これも私が喰らったサマーウォーズかも知れないわ。

ネタが無かったら

喫茶店とかファミレスとかそう言ったところに行くと意外とそんな宝庫かもしれないわね。

あとさー

飲食店にて、

今までお冷やがセルフじゃなかったのに、

仕組みが変更になったのにを気付かず店員さんにお水下さいと言ったら、

セルフです!って言われる件、

そういうサマーウォーズを喰らうのはたまにはまああるとして

同じお店のチェーンとかだったら統一してほしいものだとも思わないでもないこともないけど。

そんでね、

かいのお客は追加マヨネーズ頼んでて、

それは小皿で持ってきてくれるんかーい!ってなんか矛盾を感じるわ。

食券回収するときにすらお水持って行くってーのは面倒くさい!ってことなのかしらね

これもきっと私の中のサマーウォーズなのよ。

でも本当に

セルフはお水です!って勝ち誇ったように言った店員さんに

追い追加マヨネーズ小皿持ってきてくれる優しさの半分の50パーセントほど感じたので、

注文はロボットがするし

御飯を装うのもロボットがするし

配膳はネコがするけど。

どんどん飲食店から人が消えていくのかも知れないわ。

これもサマーウォーズなのかも知れない。

どんどん世の中がサマーウォーズ化していくのよきっと。

うふふ。


今日朝ご飯

豆乳ちょっと飲んでまたヒーコー飲んだんだんけど

これ豆乳とヒーコーを割ったら家で手軽にソイ的なものできるんじゃない?って思ってしまったわ。

美味しいのかどうかは実験してみないと分からないので

めしからガッテンと言うわ!

デトックスウォーター

最近炭酸レモンウォーラーと冷え冷えの水は常備して準備してあるけど

思い出してやってなかった最近ルイボスティーウォーラーやってなかったわ!

なので、

昨日その冷え冷えの水のボトルルイボスティーお茶葉をいれておいて作っておいた

久びさルイボスティーウォーラーね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-08-30

ずんだもんと結婚したい。

船で九州あたりに旅行に行って、深夜の船内でニチレイ自販機から焼きおにぎり唐揚げを購入して、テーブルに広げて2人で小さなパーティーをしたい。

2023-08-29

anond:20230828132426

何らかの方法でBを分配のテーブルにつかせないようにしたらAが総取りだぞ

2023-08-28

食べ尽くし系についての意見

仮説

ある種の食べ尽くし系にとって、食事タスクなのではないか

「全部食べて皿が空になった」という結果=理想状態重要であり、

「みんながお腹いっぱいになった」かどうかは重要ではない。

もっと言えば大皿料理という集団戦において、最も軍功をあげた(手早くタスクを消化した)ものとして賞賛されるべき、とさえ考えているのではないか

私の場合

食べ尽くし系、色々なパターンがある。

大皿になると発動するタイプ相手の皿から盗むタイプ、家庭でやるタイプ飲み会でやるタイプ冷蔵庫を漁るタイプ

自制のなさに慄くところもあるが、一方で共感(?)できるところもあったりする。

私にも「食べ尽くしたい」と思う心はある。

私は飲み会(特に中華)でやるタイプだ。

みんなが大皿から料理をとったあと、結構な量が残る場合がある。

この時私は積極的料理を食べる。

「減らさなきゃ」という使命感があるからだ。

また俗に言う遠慮の塊が残ったりする。

私は「後少しで完了するタスク放置されてるのが気になってしまう」タイプでもある。

マルチタスクが苦手なのもある。視界や思考から完全に消したいのだ。

から食べる。一応「最後の食べていい?」といって食べる。

そんなことをするので、毎度序盤でだいぶお腹いっぱいになってしまう。

最後らへんはひーこらいいながら食べる。

日本の完食文化の影響

日本において、食べ残し倫理的な悪である考える人は多い。

「完食教育」「お残しはゆるしまへんで」「世界に誇るMOTTAINAI精神」「米一粒は汗一粒」「農家の皆さんに申し訳ないと思わないのか」───。

我々日本人はこのような言葉で幼い頃から食べ尽くすことを美徳と刷り込まれて生きてきた。

(もちろん、資源無駄にしないことは理に適っている。

しかし食べ過ぎは健康に悪いのだから、残すこともまた理に適ってるはずなのだ。)

あなたも、ご飯を米粒一つ残らず完食したとき、奇妙に爽快な達成感を得ないだろうか。

やってやった。成し遂げた。達成した。そんな気分になったことはないだろうか。

あるいは、中途半端に残された残飯を見て、不快な思いをしたことはないだろうか。

韓国など、むしろ残すのがマナーとされる文化圏では発生し得ないその感覚

「食べ尽くし系」はこの感覚の極まった場所存在するのではないだろうか。

食事 vs コミュニケーション

食事を多人数でのリラックスしたコミュニケーションの場と捉えているか

ただ食べる時間と捉えるかどうかでも、違いがあると思う。

後者はどうしても早食いが多くなると思う。

食事にだけ集中してるし、美味しいものを食べる時は、自然と箸が進んでしまう。

私は後者タイプだ。

そもそも家族は全員バラバラご飯を食べる家庭だったから、一人で食べるのがスタンダード

父親は常に自分で買ったり作ったご飯を食べて生きていた。

母親子供ご飯を作ってラップしてテーブルに置いたら、別の家事をやっていた。

姉と私は基本別々に、ときに偶然一緒の時間に飯を食った。

一家揃っての食事は、もっぱら週末の外食の時にだけ行われるものだった。

これらの習慣が影響してるのか?

さっさとご飯を食べてお茶飲みながらゆっくり話す。

こんな風になりがちだった。

まり食事タスク化だ。早く終われば終わるほど良い。

大皿では終わりが個人で閉じないので、モヤモヤとしたものを抱えて残タスクを見つめる自分がいる。

はよ食べないのかなあ。話してるうちに冷たくなるぞ?次の料理もくるしスペース作らなきゃ…。

「美味しい!これあったかいうちに食べたほうが美味いですよ」とそそのかしてみる。

スルーされた。うーむ。

大皿料理はかく難しい。

新幹線と私

新幹線グリーン車を老人にたかられた、というのがネットニュースになっていて、おかしな人に絡まれて気の毒に…と心から同情した。

ところで、私は頻繁に新幹線に乗る。仕事プライベートで、かれこれ20数年の間、年間で片道50~100回くらい新幹線に乗っている。

あくまでも私見、かつ私の狭い観測範囲だが、中高年の男性は、特に東海道新幹線顧客だと随一にお行儀がいい、面倒のなさそうな人が多いと感じる。

中高年男性乗客の多くは新幹線に乗り慣れていそうで、「迷惑のかからないような乗客」としてのふるまいを理解している様子がある。それはそれでちょっと切ない(行儀が良すぎて)。

ゼロ年代ぐらいまでは、新幹線に乗るや否や靴を脱いでその足が臭い、みたいな人は確かに、たまにいたのだが、この20年近くでほぼ絶滅した感じがある。靴を脱いでる人はいるが臭ってはこない。新幹線の換気が良くなったとか洗濯洗剤が進化したとかそういうこともあるのかもしれないけど。

大昔に一度、あまりにくたくたで奮発したグリーン車で隣になった50がらみの男性の足が臭くて本当に、本当にびっくりしたことがあるが、そういう人は、その「彼」を最後に私は出会っていない。くだんのネットニュースの老人は、このころ中年だった人が高齢になったのかもしれない。知らんけど。

コロナ以前は特に東海道新幹線は、うっかりすると東京新大阪間の指定席が買えないぐらいの混在の時もあって、そういう時は、まれに物凄くおかし乗客に当たる。私が巻き込まれた「呆れるほどちょっとどうかしてるんじゃないか」という客は親子連れだった。

1組めは、夫婦幼児の3人家族下り東海道新幹線で、新大阪から乗車して東京まで。私は3列席の窓側のA席を買ってたのだが、既にその列はその親子連れにA~Cまで全て占拠されていた。

すみません、そこは私の席だと思うのですが…と声を掛けたら物凄くしぶしぶと言った様子で荷物やらごみやらをどかしてくれてそこに私がA席に座った後、親子はその席から離れてそして車掌と共に戻ってきた。こちらは切符を見せて当然何事もなし。そして車掌とその親子が何やら小声でもめている。

野次馬根性がもたげて聞き耳を立てていたら、その親子はB席を1席しか予約をしていなかったらしい。要するに大人2人幼児1人だが、指定席大人1枚と自由席大人1枚を買って、指定でB席1席だけを予約していた。そうするとAまたはCは空きやすい?らしく、親子3人でまんまとゆったり指定席に乗ろうというライフハック?手口?なのだそうだ。車掌さんにあとで聞いたらそういうことが割とあるらしい。

その後京都駅で当たり前だがC席も埋まって、親子は指定席Bと自由席とで離ればなれに。母親幼児が私の隣のB席に座り、恐らく自由席に移動しただろう父親の方が頻繁にこちらに様子を見に来る。C席に座っていた若い女性が迷惑そうで気の毒だったし、私も隣がわさわさしててなんだかなぁ…と思った。

もう一組も同じく、新大阪から東京に向かう新幹線の3列シートで、今度は私がB席の時に起きた。何だろう、お金がない界隈で3列シートライフハックが流行ってるんか。

B席は3列シートの真ん中なので、普段は「できればあんまり座りたくない席」ではあるのだが、その時は一本前の新幹線に飛び乗りたくて、新大阪から新幹線に乗り込むギリギリタイミングスマートEXで予約変更をし、その車両で唯一の空き席であるB席を取った。スマートEXまじべんり。

私が座ったB席の両隣、AとCは新大阪から乗り込んだ時は空いていたのだが、名古屋から親子3人連れ(子供小学校中学年ぐらい)が乗ってきた。その親子連れ指定をA席とC席しか取っていないようなのだ。間のB席は数十分前に私が新大阪飛び込み予約変更をした。親子を引き裂く形で私がB席にいる。

こりゃ申し訳ないので席を交換しましょうか?と申し出たところ、C席(廊下側)なら交換してもいいと言う。親子はAとBを3人で座り、私は廊下側に座るということになる。私が廊下側が好きだったらその申し出で何の問題もないのだが残念ながら廊下側が苦手。そもそも交換が必要だろう側が条件を付けてきたなぁ…とちょっと驚いていた。更にそもそもを言えば、小学生の子供がいるならちゃん指定席を取ってあげないと座れないのでは…。

返す言葉がなく困っていたらラッキーなことに車掌が来た。

意地悪したくなり、車掌に「こういう訳で席を交換しても問題ないですよね?」と水を向けてみたら、もちろん当事者同士で問題がないなら構いませんと説明される。そして車掌は親子3人を見て(当然だと思うが)指定席は2席で大丈夫ですか?別の車両なら、席は離れるが同じ車両で3席ありますよ、と案内。親子3人は別の車両に行くことになり、お母さんが私を睨みつけて車両を移動していった。

親子で旅行すると新幹線代がかさむから、なんかライフハック()を繰り出したくなるのかもしれないが、こういうのはどっと疲れるから本当に困る。

ただ、体感としてはこういう事件は極小ではある。20年×100回と仮定して概算2,000回の乗車でこういう酷いのはこの2例だけ。そして高齢者よりも親子連れ若い人の方がアレな率は高いと思う。

若い人に多い困ったケースは、席をまるで自分の部屋のようにしちゃう人だ。

テーブルスマホスタンド型の鏡とか何かの推しグッズ(小さいぬぐるみとかフィギュアぽいものとか)とか並べている。スマホは充電しているかケーブルが通せんぼ状態になってしまう。どう座ろうが他人がとやかく言う筋合いはないし、AとかE(窓側)で巣を作るのは全然かまわず新幹線満喫しとるなーと面白く思う。ケーブル通せんぼされても、快く通してくれれば何の問題もない。

ただ、これを通路側でやられるとこちらが降りられないから困る。こちらも別に東京名古屋ぐらいで文句を言うほど了見は狭くない。東京新大阪以西、新神戸岡山広島あたり下車の旅程の時に、「C、D席で巣を作る若者」に遭遇したりする。東京から新大阪以西に新幹線で移動中にどうしても「巣」が作りたいなら窓側にしてよ~~と割と真剣に思う。こちらが降りたくて声をかけると猛烈に不満そうになる。東京発だとだいたい新大阪でかなりの客が降りるわけで…そんな不満そうにされても当惑するしかなく。

同様にキャリーバッグを足元に置いて通せんぼする人もほとんどが若い人で、これはまぁ若い人が悪いわけじゃないが(新幹線の上の棚にキャリーバッグ上げるの面倒)、こちらが、すみません…と申し訳なさそうにしたら形だけでも「いいえお互いさまです顔」をしてくれないものか…。

あと若い人はマクドナルドを買って乗ってくる人が割とたまにいるね。551を買って持ち込むなというのはたまにインターネットで出てくるし(新大阪駅の土産コーナーで買うチルドの551豚まんは、どんどん包装が厳重になっている気がする)、確かに匂いちょっと気になるけど個人的には551でもビール匂いでもまーしゃーない、と思うタイプなのだが、マクドナルドポテトだけはダメなんだよなー、これは私の我儘なので怒ることはないが、出くわした時は早く食べ終わってー!と願っている。

コロナ最中2021年)にもやむを得ない事情新幹線にかなり乗った。コロナを警戒して社内ではNo食事になっていたが、そもそも21年の秋ぐらいまでは東海道新幹線は笑うほどガラガラだった。1車両乗客2、3人なんてザラで、あれは今思い出してもちょっと懐かしく、かつ、コロナ中なのに現場に行かねばならない仕事を持つ自分たちを憐れむような共感もあった。

笑ったのは、コロナ中のガラガラ新幹線で、3列シートで寝そべっている若い男性を見かけたことだ。作業着を着ていたか現業系のエンジニアなんかなーと思うが、なんかのやけくそだったかちょっとした悪ふざけだったか、少しうらやましかった。

そういえば、「オッサン新幹線マナーそんなに悪くない」の流れで言うと、ひと昔前によく言われてた「オバハンの団体は煩くてかなわん」というのも、最近のオバハンの団体も、わーもう無理ー!というレベル煩い人たちは居なくなったなーと思う。ただ、「オッサン」は数人以上の団体になり酒を飲み始めると逆にわぁ…という感じに騒がしくなるね。団体というのは恐ろしいものだ。

しかし、リニアができたらこういうストレスは減るだろうかね。

秋田週末独り旅

日曜日ちょっと用事があって朝から秋田市に行くことになった

ゆるっと昼ぐらいに岩手を出て、秋田に行って用事を済ませて夜帰るみたいな事はよくやってるけど、朝から行くのは初めてだった

折角だし観光してきた

旅の目的


出来事

6:00 出発
8:00 道の駅雫石あねっこ」をスルー

反対車線だから面倒臭かった

10:00 〜 12:00 用事を済ませる

用事相手曰く、(相手埼玉出身らしいが)今年は埼玉より秋田の方が暑いらしい

東北メリットいねと談笑する

12:00 秋田中心部

秋田ステーションガラス越しに秋田県を見る

おっきくてかわいい

男鹿道の駅に行く事を堅く誓う

暇つぶし建物の隣にある秋田美術館に行く

どうやら「北斎漫画」をやっているらしい

すごい面白かった

要は江戸時代設定資料なのだろう

後で本になってないか調べてみようとメモしておく

13:00 道の駅「あきた港」到着

建物ガラス張りになっていて蒸し暑い


どうやら自動そばうどん自販機発祥らしく

暑い建物の中、熱いうどんを食べる

コシがない面、パッサパサのかき揚げ無駄に濃い汁

特段美味しくはないがそういうチープな味は嫌いじゃない

13:30 道の駅「てんのう」到着

天王温泉くらら」という公共銭湯が隣接していたので眠気覚ましに立ち寄る

500 円で色々風呂があってサウナもあって楽しめた

すごいリーズナブル

移動中

風力発電が大量に設置されていて圧巻だった

シヴィライゼーションの終盤を思い出しながら移動する


ちょうど、「山下達郎 サンデーソングブック」が流れていて夫婦放談の回だった

山下さんが竹内さん嗜められて「スン…」てなるのが面白かった

15:00 道の駅「おが」到着

着いたが秋田犬は居なかった…

道の駅秋田犬に会える場所が載っているパンフレットを見つける

どうやら時間制らしい

他の施設でもやってるらしいが、どこも時間ギリギリだったので諦める

また次来よう

近くでダイビングをやっているらしい

値段もそこまで高くないからいつかやってみたいと思いパンフレットだけもらう

16:00 道の駅「しょうわ」に到着

温室があったけど、外の方が暑いしな…

ただ、植物に囲まれたところにテーブルがあって時期によってはいいかもしれない

17:00 秋田市に戻ってくる

時間的にどこも閉まってそうなので後は普通に買い物して帰る

ドンキホーテやら、ブックオフやら色々回ってめぼしい物を見つける

19:00 別ルート岩手に戻る

以下、ダイジェスト

かなり遅い時間なので、後はどこにも立ち寄らず帰る

感想

知らない情報を得られるのは実に面白

自治体パンフレットや、展示にコストをかけている恩恵をフルで得られた気がして楽しかった

ただ、独りの長時間ドライブって運転時間ガソリン代って無駄だよな…とも思ってしま

分かってはいたけど、旅行に向いてない性格なんだろう

尚、まんまる焼きは1個も見つからなかった…

みんな独り占めしすぎだよ…

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2023-08-26

母親への罪滅ぼしを辞めたい

母は恋愛から専業主婦。母の友好関係を見てると、母はこいつはちょっとおかしいみたいな扱いをされている。

けど母は自分カリスマ性があると思っている。

実際の能力自分認識してる能力乖離があるから、色々上手くいかないことも多く、そうなると皆私がなんでもできるからって嫉妬していじめてくるというような認識をするやばい女。

母は専業主婦になって、'お育ちの良い'家庭にしたかったらしい。

周辺の家と同じ大きさの庭はバラ園のようになっていて、中央には木製のテーブル椅子パラソルがありお茶をしたりした。

家の中にはブランド食器や絵が飾られていたりして、お育ちの良い家庭という感じだった。

けれども私の出来は良くなかった。厳密に言うと偏差値等は友人からはぜんぜん良い方じゃん!と言われるくらいではあるが、真似事ではなくお育ちがいい家庭もいた地域だったので、学校テストでは下から数えた方が早かった。地域の中では落ちこぼれだった。

勉強以外の習い事も、地域ではプロ先生に習ったり年に数回海外留学?して習う子もいたので、一般的にはそれなりにできるのかもしれないけど、有名ピアノ教室如きだと習っててその程度なの?というような扱いだった。

なので、お育ちもよくどこに出しても恥ずかしくない娘持つという母の理想は私のせいでめちゃくちゃだった。

実家にいる間の母は、部屋にこもってこんなはずじゃなかったと泣いていたり、私の人生返してと怒り狂ってることが多かった。

社会人になり親とも離れてやっと解放されたという気持ちがあるが、罪滅ぼしが辞められない。

私がネイルをしてると、いいな、私は子育てに大変でそんな事してる暇なかったと言われて罪悪感でいっぱいになり、自分ネイルを辞めて、毎月のネイル代を母に送っるようになった。

誕生日プレゼントクレドセラムをあげたら、あなたは苦労してないからシワもなくていいわね、このライン揃えたら私も多少マシになるかも と言われトータル10万超えるようなセットを毎年送っている。

母は、あなたを産んでよかった、私は幸せ。私の人生は間違ってなかったと喜んでくれる。

母の人生をめちゃくちゃにした罪悪感があるから辞められない。

母がおかし人間であることもわかる。けれどもいい記憶も0ではないか簡単に絶縁できない。

1度体調を崩して病院代がかさみネイル代を送れなかったことがあった。その時は 私の存在が娘ちゃんを苦しめてるの?ごめんね、お母さんみたいな人間あなたの親にならなければ良かったね。本当にごめんなさいね。もう二度と貴方に助けを求めないし、頼らないで何があってもひとりで頑張るから。それでお母さんが一人で死んでも娘ちゃんは気にしないでね。と言われたのがつらすぎて、今更色々なものを送ったり仕送るのがきついなんて言い出しづらくなってしまった。

死ね母親可哀想なところ見なくて済むのかなとも考えてしまう。

2023-08-25

一万円弱するホテルアフタヌーンティーで、隣との距離もしっかりあるのに、距離貫通して話の内容丸聞こえの音量で二次ホモの話を延々とやめなかった腐女子三人組たちへ

インターネットから出てこないで欲しい

気持ち悪過ぎる

外で大声でする話じゃないって分からんか?

他のテーブルからスタッフ経由で音量注意されたのに全然改めないんか?

常識の無いクズ馬鹿笑い聞くために一万円弱払ってるわけでも有給取ってきたわけでもねぇんだわ

スイパラなら値段なりの客層だなってスルーできたけど場の雰囲気ぶち壊しにされて本当に腹立つ

鬼滅にもジョジョにもスラダンにもワンピにも罪はないけどマジキモい

非常識すぎて理解できない

早めに退店した程度にはすっごい気分悪い

写真撮ってたから、後でTwitterとかインスタとかに上げるのかな

個人特定して晒し上げてやりたいくらい腹立つ

2023-08-24

なぜジムは「サロン化」「自宅化」してしまうのか

早朝ジムってやつを10年くらい前に行ったんだけどさ

朝7時からすでにおじいちゃんおばあちゃんサロンなのよ。

休憩室みたいなところがあって、基本はソフトドリンクを飲むだけのスペースなんだけど、

手作りおにぎりとか弁当タッパーとか持ってきて、テーブルひ拡げて大声でしゃべってるのよ。

もうなんというか「生活感」がすごくてな。

なんで朝からおばあちゃんたちと「生活」しなきゃいけないんだ?と無性に腹が立った。

せめて静かに食えよ。

あと昼間は昼間で、ベビーカートがズラーッと20台くらい並んでて、主婦たちの「サロン」化がすごかった。

なんか空間全体がこきたない感じがして、トライアル会員期間で辞めた。

2023-08-22

そもそも他人食事をしていることを見ること自体が少ない

〇〇を××して食うやつ見たことない、みたいな話題がよく出てきてバズるけど。

この〇〇が「基本外食するやーつ」ならまだしも、「納豆」とかだったら

他人がどうやって食ってるかとか見る機会どれくらいある?

 

過去遡ってみても、

1.家族

2.親戚

3.修学旅行の朝食が両隣だった奴

4.ツアー旅館での朝飯が同じテーブルだった奴

くらいしかいない。

総勢20人もいない。

 

外食で食うやつだってプロパパ活女子とかでもないかぎり

同じ料理を数多の人間と食べに行くという機会って早々ないでしょ。

外食する時に他人テーブル見て「あの人あんな食べ方してるわー」とか見ないし。

 

とりあえず今後、〇〇を××して食べてる奴見たことないって言う場合は、

過去に何人程度の食事風景を観察してきたんだけどっていう具体的な数字

あとできたら地域も明記してほしい。

その方がいろいろと捗るので。

2023-08-21

anond:20230821231816

真面目な話どう拗らせると宗男ロシア情報流すのと自民党が汚い手段で票集めてるのが同じテーブルに乗る思想になるんや?

2023-08-20

anond:20230820151951

その賃金格差に関する結論は欠陥があるだろ。

第一に中核業務関する賃金格差の要因が明らかでない。普通給与、昇進テーブルではそこに男女差がある会社は少ない。むしろ女性下駄を履かせてる企業も多い。女性意思残業や昇進を選択していない可能性がある。

次に仮に中核業務従事する男女の賃金格差があったとしても、全体の統計上の差に対する寄与度が明らかになっていない。全体としては、やはり女性自由意志賃金の少ない労働形態を選んでおり、同一業務での格差は誤差レベルである、という可能性が残っている。

2023-08-17

悪い奴はいるという事実からなぜ目を逸らすんだろうか

日本に限らず世界中ほとんどの国で「どんだけ理想を語ったって悪い奴はいる。だからそうじゃない奴が対策しなければならない」って言うのは共通認識だよ。その上で「悪い奴が悪いから罰する」ってなってるだけで。

先進国なら家のドアには鍵がついてるだろ?「泥棒に入る奴が悪いんです!ドアに鍵をつけない自由もある!」なんて言ってる奴はいないだろ。鍵をかける、鍵を開ける。鍵を無くすと家に入れない。鍵をつけることなんか基本デメリットしかないのに、みんなそうしてる。泥棒は悪いことで、家に鍵をかけないことは別に悪ではないだろ。でも、みんな自分財産を守るためにドアには鍵をかける。かけない奴はバカだ。

 

下着みたいな恰好で興奮してるファンの手が触れられるくらいの距離に近づくことは、申し訳ないけどバカのやることとしか思えない。触った奴が悪い、それはそうだけど、被害者バカだろ。テーブル札束置いてドア開けっ放しで家を出るくらいにはバカだ。

理性がある人はそんなことがあっても触らないんですぅ!なんて言ったところで何の意味があるんだ?

理性がない奴は存在するんだよ。悪い奴はいるんだよ。どんだけ理想を語ろうが悪い奴は存在する。

から悪い奴の餌食にならないためには被害者になる可能性がある側が対策するしかない。

2023-08-15

夢日記

夢の中に極稀に出てくるコンセプトカフェとかメイド喫茶みたいな場所があって、前に出てきたのは数年前なんだけど久々にその夢を見た。店員メイド服女の子達で今日は初めて店長が居たけどメイド長風の貫禄のある女傑だった。今日メイド喫茶

店員の着衣はメイドコスプレ(白黒、が統一感くらいの自由な感じ)

店員別にメイドウェイトレスはしない。客は飲食物などは自分で持ち込むのも良いし(椅子テーブルはある)買いたい人は店内で買える

・店を支援する何か(物は目が覚めたら忘れた)が1万なんぼで売っている。店の会報?会誌?みたいな感じか

場所は薄暗く寂れた潰れそうな巨大ショッピングモールの一画の催し物広場的な所。たいへん広々としているが陰りがある

この薄暗く薄汚く広い空間に人がまばらに点在している、というのが自分は凄く好きな気がする。

清潔すぎると無機質だ。

明る過ぎると居心地が悪い。

人が居なすぎると物足りない。

まり近場にそれが無いので夢の中で体感できると嬉しい。

2023-08-14

https://qiita.com/aikasu/items/c1bf747bed15e2840936

技術に興味がなくて何が悪い

このレベルのチョロざこが何イキってんだって感じ

https://qiita.com/aikasu

ローカルGitリポジトリデフォルトブランチmainに変更する

【Laravel × Redis】No connections available in the pool...の原因と対処

Laravelにてテーブル既存カラムをtinyint型に変更できない問題

子連れマナーがなってなくてバカだけどエラい

お盆ファミレスに行ったら

隣のテーブルが、爺婆母子供の4人テーブルだった。

全員もれなく金髪or茶髪プリン頭。子供も。

偏見良くない!と思いながらも視界に入ってしまうそ家族の振る舞い。

   

タブレット注文の店なのに、店員を呼び出して注文。使い方わかんないの?繁忙時間なのに。

椅子通路邪魔になるくらいに出して「ドリンクバー行ってきまーす」。猫型ロボットが通れなくて困ってるにゃん。

あと、とにかくうるさい。話が下世話。

昼間から酒飲むのは百歩譲っていい、車で来るような田舎ファミレスで全員酒飲むな。

   

でも、ちゃん子供生んでてエライね。

俺は四十代独身だし、彼女も居ない。

そんな人に比べたらマナーはなってないけど、次世代を担う子供作っててエライね。

マナーを学べる子供に育つといいね

2023-08-13

弱者男性日常

回転寿司カウンター席で食事していたわけですよ。そしたら隣にカップルが並んで座ってね、俺女男みたいな席順になったわけです。

そしたら彼氏がこう言うんですよ「隣、大丈夫?」、で彼女が「全然大丈夫、気にしないよ」って返すわけです。微笑ましいですね。

テーブル席選べよ。

フードコートの紙コップってなんで小さいの!

何回も往復しないといけないんですけど!

あとテーブルのふきん、なんで緑なんだろう!別にいいけど!!

さあ天下一品食べるぞ!!!

2023-08-11

生産性の向上に必要なのは、余裕。

逆説的だけれど、生産性の向上に必要ものは余裕。

キャパティ上限まで仕事を詰め込みすぎている状態では生産性は低下する。

と、感じている。

もう少し、仕事に余裕があれば逆にもう少し仕事がたくさん出来るようになる。

なんとも逆説的な矛盾だけれど、実感としてはそう思う。

まりにも限界ギリギリまでやらなければいけないことが多すぎると生産性は低下するのだ。

限界ギリギリまで水を注いたコップと、

コップの7割程度に水を入れたコップ。

ふたつのコップを厨房からテーブルまで運んだときに、水をこぼさないのはどちらか?

どちらの場合に、より早くテーブルまで水を運ぶことが出来るか?

結果として水を運ぶタスクをより多く消化出来るのはどちらか?

仕事というもの俯瞰して何が最も大事ことなのかを考えなければいけない。

ともすれば、コップぎりぎりまで水を注いで運ばせることが利益の最大追求だと勘違いしているパターンが多すぎないか

7割のコップより10割のコップを運ばせたほうが人的リソース有効活用だと思っていないか

なんかそういう感じのことを思ってる。

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