はてなキーワード: スキンシップとは
タイトルまま、アルバイト先の、同性の、多分お互いバイト先では一番仲がいい人という認識だったであろう同性の後輩が、私の事を、恋愛的な意味で、好きらしい。
らしい、というのは、これが又聞きの話であって、告白されたわけでも、それとなくアプローチされた訳でもないからだ。いや、もしかしたらアプローチはされてたのかもしれない。同性だからと、私がそれを女の子同士のスキンシップとしか認識していなかっただけで。
知ったのは、昨日の夜だった。後輩と、何歳か年上の先輩とご飯を食べに行った。
まず、先輩にバイだとカミングアウトされた。別に偏見はなかったし、先輩が「一緒に暮らしてる子」という度に、薄々、彼女さんなんじゃないのかなぁなんて思っていたので、自分の観察眼と勘づきの良さに感動した。
それからしばらくして、後輩が、電話をするからと席を立った。その時だった。
「ぶっちゃけ、どう思ってるん?」
「無理に好きになれとは言わんけど、ちょっと考えてあげてほしい」
「これから先、しんどいことがあった時、拠り所のひとつとして考えてもいいと思う」
怒涛だった。怒涛すぎる。
でも、薄々気付いてないわけではなかった。
仲良くなって2年経った。見た目も、中身も正反対な私達が仲良しなのは、先輩と後輩という関係性だからなんだろうなって思ってた。共通の趣味も、話題も、何にもなくて、強いていうなれば学校で学んでいることが少し近いしいけど、ほんとそれぐらいで。
だから、なんでこの子は私とこんなに仲良くしてくれるんだろう?って何度も思ったし、その時にまさか、なんて過ぎってしまってはいやいやいや、自意識過剰か?てか女同士だしな、うんうん、なんて思ってた。
思ってたからこそ、なんか、好きにならせない方法はなかったかななんて思ってしまう。
あぁ、もう書けば書くほど申し訳ないっていうか、自分への嫌悪感がすごくなってくる。気付かないうちに、後輩の心を惑わしてしまった。答えられないのに好きにさせてしまった。自覚はないけど。だいたいほんのりでも気付いてたならなにか出来たんじゃないかな。
2ヶ月ぐらい前に元彼と別れ話をしてて、その話を後輩にしている時に、「なんでこの子は男の子じゃないんだろう」って思ってた。男の子だったら付き合ってたな~~なんて。もうその時点で答えは出てる。私は彼女の事を、恋愛的な意味で愛せない。女の子同士のスキンシップとして、手を繋いだり、ハグしたりはできても、チューしたり、セックスしたりなんて出来ない。性的欲求があることが=好きには繋がらないけれど、性的欲求がないこと=好きじゃないには繋がるんだなぁって思った。私は女で、恋愛対象は男だ。
もう私の中で答えは出てるし、後輩が行動に移した時の対応だって考えた。
LINEも自分からは用事がない限りやめようと思った。遊びに行く予定もあるけど、必要以上の接触は避けようと思った。
それに、幸か不幸か、私は春から就職で地元を出る。そうなると後輩とは物理的な距離が出来る。出来れば、それで、私への恋心が自然に冷めてくれないかな、なんて、思ってしまう。それか、私が彼氏を作れば諦めてくれるだろうか。
あぁ~~~~もうなんか、頭が未だに混乱してて、情緒が不安定すぎる。
でも私は、めちゃくちゃ大好きで、これから一生仲良くしていけるな!って思っていた後輩のことは、同性というそれだけで恋愛的にすきだと言えない。たった性別が同じだけなのに。なんか、すごい、自分が、なに?あさましい?いやしい?言葉が見つからないけど、なんか無理。
恋愛ってほんとに人間関係を壊してしまうんだなって思ってしまった。私は後輩と今まで通りに仲良く出来なくなる覚悟を決めなきゃ行けない。辛い。辛いけど私は男が好きで、変えられない事実。ごめんな。
好きになってくれてありがとうなんて思えない。なんで好きになったの?私はこのままずっと、めちゃくちゃ仲良しな先輩後輩の2人でいたかったよ。ごめんなさい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.nicovideo.jp/watch/nw3762196
vanillayeti 辻ちゃんがイチゴ狩りに行ってイチゴ食って炎上したのは笑ったわ
crimsonstarroad これ大丈夫なひとは、以前の男親が娘の乳首ツンツンしたやつも大丈夫なんだろうな。私はムリだ。スキンシップの方法がいくつもある中で、わざわざ性的な意味を含む方法をえらばなくても良くないか?
b64211 母親が、幼少な息子とキスすることの、何がいけないの。 これを虐待とかかわいそうとかいう感覚の方がおかしい。
mamebun 親の口にある虫歯菌がうつる可能性があるから、食器の共有や口チューは絶対やめろと言われたなあ。やらないよ笑と思ったけど実在してたのか…
victoriaxxx 表明しておくけどこれはない派。息子は最高にかわいいしイケメンだけど私の恋人ではないし口チューは(本人が覚えてなくても)かわいそうと感じる。むしろ本人が顔をぐりぐりしてきても唇は死守してる。
fuben 男親も許されるならいいけどね
teramate ポッキーゲームって合コンでやるセクシャルな遊びって認識なので、確かに引くな。つーか俺が娘とやったらアウトだよなw
おまけ
https://anond.hatelabo.jp/20180818102531
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1328272
ribbentrop189 虫歯菌、口内細菌のことを考えると小さい子どもにとって極めて不衛生で虫歯、歯周病になりやすくなる等リスクが増える。虐待という表現はともかくとして、口同士でやらない方がいいのは間違いないです
songe 娘と父親がキスする動画をネットにアップしたのは母親です
junglejungle 大人同士だったら特別な意味、とか言い始めると、オムツ交換出来ないし風呂も入れられないし歯磨きや抱っこすらも出来ない。つまりお父さんは子育てしてはいけない事になる。
marony0109 24時間絶賛娘ラブなのだけど、お口へのチューは将来の娘の彼氏君のためにとっといてあげている。まだ見ぬ義理の息子よ、義父に感謝せよ。/実は女の子と結婚したいと娘5歳に打ち明けられた。まだ見ぬ義理の娘よ義父に
damonon どうでも良いけどミサンドリストなのにアイコンが男キャラっていう人たちってその矛盾で爆発しないのかな
ultrabox やっぱPTSDだと思うので、プリントアウトして心療内科に行くべき
ChieOsanai 「娘と父親がキスをすること」と「娘と父親がキスをする動画をネットにアップすること」はまったく別の行為です
どっちも擁護が多いが、息子とキスした母親(辻ちゃん)の方がより批判されてる。
辻ちゃんの時の「男女逆なら許されない」も今回の件の「男女逆なら叩かないんだろー」も間違いだとわかる。
妻が片付けて、その間私は子供をずっと抱っこしていました。
最近、子供が日中ずっとグスグスしているという問題意識が妻と私の間で共有されており、愛情っぽい何かを与えると回復するのではないかという仮説のもと、いつもよりもスキンシップを多めにしています。そしたら子供も楽しそうで、良かったなと思いました。日中のグスグスがなおるかは全然わかりません。
まぁ、これからも愛情っぽいものを与えていきたいなと思いました。愛情っぽいものを与えていない時はどうせスマートフォンを見ているだけで生産性はない。
このエントリでずっと "愛情っぽいもの" と表記しているのは、私が愛情を感じていようがいまいが、子供が "自分に愛情が注がれてる" と感じなくては意味がないので、私主体の愛情ではなく、子供が愛情を感じるもの、という意味で使っています。私は愛情感じてるとは思っているけど他の人と比較できないしなんともかんとも。
現在交際している彼女から今度話したいことがあるとLineが届いた今夜。どうともいい予感がしない。
一体何の話なんだろうと思案していると、なぜだか急に昔のことを思い出した、昔した(個人的)大恋愛のことを。
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最初は全くその子の眼中になかったと思う。でも積極的に話しかけたり、時にはちょっとしたプレゼントあげたりと恋愛経験なんて全くない自分にしては頑張った甲斐もあって、徐々に仲良くなっていき、その子からも積極的にスキンシップをとってくれるようになった。
文化祭を2人でまわったこと、相合傘で街を歩いたこと、卒業式の日手をつないで帰ったことetc...これはいけるかもしれないという想いをもちつつもずっと好きだと言えないでいた。
なぜ言えなかったのか。自分がヘタレだったということもある。しかしその他の理由としてその子からメールの返信がほとんどなかったということが自分を悩ませていた。
当時自分とその子はお互いガラケーで連絡はメール、でもほとんど返信がない一方でその子はTwitterもやっており、どうやら他の子に聞くとそちらでは積極的に連絡を交わしているらしい。
現実で会うと、付き合ってると勘違いされるほど仲良いのに、それ以外では全く連絡つかず。自分では誰よりもその子と仲良くしていたつもりなのに、Twitter上でしか連絡をとらないような同級生の○○君の方が実は彼女にとって仲良かったのか。
様々な疑念がずっとぬぐい切れず、心は振り回されるばかり。一体どう思われているのか本当にわからなかった。
そんなある日その子と話していて映画に行こうという話になった。当時、自分の恋愛相談相手にこの話をすると彼女はこう言った「映画の日、告白しましょう」。
いつまでも振り回されるわけにはいかない、ここで決着をつけよう、そう思った自分はその子の提案をうけ、好きな子をメールで誘った。
しかしやっぱり返信は来ない、どうやらその子の友達曰くケータイが壊れて修理にいかないといけないとのこと。ケータイが壊れたのは本当なようだが、意気込んでいた自分にとってそんなことはどうでもよくなっていた。
全て自分の勘違いなんだ、あの子にとって自分という存在は迷惑で、付き合っているように思われていたこと、自分のあからさまな好意も全て嫌だったんだ。
会えば膨れ上がる期待も、連絡をとれば一気にすぼんでいく。もう全てを期待しないでいよう、そう心に誓った..。
しかしその矢先、ある日その子に言われた、「付き合ってください」という一言。
あれだけ待ち望んだ言葉だったのに、信じ切れずに言葉を流してしまい、その日の夜、泣かれ、怒らせ、別れてしまい、次会った時は今まで見たことのないような敵意を持った目を向けられた。
その時はっきり「嫌われたんだ」と悟った。
この話には裏がある。自分が「付き合ってください」と言われた約1ヶ月前くらいから、その子からのスキンシップが特に激しかった頃、その子はずっとTwitter上で知り合ったとある男性に迫れていた。詳しいことは知らない。しかし自分が泣かせたその日以降にその子はその男性と付き合うこととなった。
フラれてしまったという事実、その子に嫌われてしまったという事実、他の人にとられてしまったという事実、全てが自分にとって最悪の結末となってしまった。
もし自分がTwitterをやっていたら、もしあの時あの子のケータイが壊れずに映画に行けたら、もしあのいい感じの雰囲気の時に勇気を出して告白していたら、もしあの時現実のその子ときちんと向き合っていれば...
どうなっていたかは今となってはわからない、でももう少しマシな結末が待っていたのではないか。後悔の念は拭いきれないし、自分が招いた結末だとわかっていても、不運を嘆かずにいられなかった。
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今の彼女は今度一体何を話すのだろう。
君に悪いところなど、まったく無い。
挑発した、などと言いがかりをつけてくる奴らもいるが、気にしなくていい。
誰にも君の身体を汚すことは出来ない。
誰にも君の魂を殺すことは出来ない。
もし、どうしても汚れている気がするのなら清めればいい。
汚せるのなら清められる。
逃げられるなら逃げたほうがいい。
通報できるならしたほうがいい。
どちらも出来ないのなら目も耳も口もふさいでいい。
言いたくないことを言う必要はない。
見たくないことは見る必要はない。
君は何も悪くない。
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増田でしか書けないことが起こったから、6年ぶりに増田を開いた。
言いたいことは最初に書いた。
つい最近、母が亡くなった。82歳だった。
母はゴミ屋敷に住んでて、古いレシートも使える銀行の通帳もそこらに転がしておく人だった。
なので母の家を片付けるとき、紙類は必ず中身を見て、必要な物じゃないかどうか確認していた。
そして、母が書いていた日記を見つけた。
だらしない母の日記らしく、ノートの何ページかに日付と内容が書かれただけであとは白紙で放置されていた。
そこに「娘は可愛すぎて男におもちゃにされた。悔しい」と書いてあった。
本来、記憶など残らないはずの6歳のときのことを何度も思い出したせいで鮮明に思い出せる。
見知らぬ男が公園にやってきて一緒に遊んでベタベタとスキンシップしたくらいの認識しかなかった。
その夜、性器が変形しているのを不思議に思って、お風呂に入っているときに引っ張ったりしたので、性器の変形はそのまま残った。
自分にはファーストキスも処女も最初から関係ないのだと知ったときには絶望した。
身体にくっきりと跡が残っているのだ。
何度も自殺を試みて、1度は本当に死ねそうだったのだが、毒物を全部吐いてしまって、結局、翌朝は普通に目を覚ました。
あのときの毒の苦い味と起きてしまったときの残念な気持ちは今も忘れられない。
男と付き合うようになると黙っているのは卑怯なことのような気がして、必ず打ち明けた。
いつの間にか、何事もなかったかのように、順調な人生だったかのような生活ができるようになっていた。
母は知っていたのだ。
母はいつも言っていた。
「女性は貞節が大事」「男の気を引くようなことをするのは下司な女」「男に性的な興味をもたれるのは隙があるから」「結婚前に男と関係を持つようなことは絶対にしてはいけない」などなど。
戦前生まれなのだから、当然の価値観だと思って、素直に受け取っていた。
隙があるから酷い目にあうのだ。
繰り返し言われる母の言葉で、私は「自殺するしかない」と思い込まされていた。
母は毒親だと思っていた。
母は私をよく叩いた。帰宅時間には家におらず、よく締め出された。
でも、きっと自分がされたことを私にしているだけで、私のことが憎いわけではないと思おうとしていた。
違った。
私を自殺に追い込もうとしていたのだ。
心のどこかで「お母さんは私のことを好きなはず」と思い込もうとしていた。
何度目かの決心なのだけれど、もう一度、肝に銘じる。
そして、50年も経って、私はようやく自分を責めなくていいのだと気がついた。
価値観など人の数と同じだけある。
母の価値観など受け入れなくていいのだと、やっとわかった。
成仏してください。
お母さん。
馬鹿な恋だった。恋といえるかもわからない。私はまだ高校生で、思春期にありがちな思い込みとか憧れを恋情に取り違えてるだとか人付き合いに慣れてないから感情の整理がついていないのだとか、そういう理屈付けなんていくらでもできてしまえる。
私は今すごく落ち込んでいて、突発的にツイッターで見かけた匿名ブログを思い出してここに登録してこんなものを書いてるくらい気持ちが混乱しているから、きっと文章もぐちゃぐちゃで長くなると思う。時間泥棒。ごめんなさい。
よくある話。相手は同性だった。高校一年の時、本当に最初。入学式の列に並んでいるときに私から話しかけた。振り向いて、その目の大きいのと日に焼けた肌とポニーテールがかわいいのと、一目でころんと恋に落ちてしまった。
声が掠れてて低いこと。背が私より13センチも低いこと。誕生日もこっそり知ってる。同じ中学で絵が上手くて、メガネで華奢な幼馴染によく甘えている。好きな人にはスキンシップが激しい。ズケズケとものを言って、態度がはっきりしている。そこが、可愛くてしかたなかった。
高校一年の時の私は、正直友人がいなかった。グループには居たけれど、ギャルを気取る中間グループでなんとなく馴染めなかった。放課後、バスで皆が話してる中ひとりでうつむいて携帯をいじってるのも嫌で、図書室でぼんやり過ごして、部活のある生徒以外はほぼ帰宅したであろう頃合いに帰る。なんかもうひたすら中学の頃に戻りたかった。親友と遊ぶ約束でも取り付けようかな。そう思ったとき。
「あ、ばいばい!」って、バスケ部のマネージャーだったあの子が声をかけてくれた。
彼女と私は同じグループじゃない。あまり話したこともない。私がただ一方的に見てるだけ。
幼馴染に甘えてる姿に嫉妬した。私があの子だったらいいのに。クラスメイトの女の子にも寄りかかっていた。私があの子だったらいいのに。私と仲良くなって欲しかった。ろくに会話したこともないくせに。会話に耳をそばだてて誕生日とか好きな漫画とか把握して、本当、一歩間違えればストーカー。自分でもキモいと思う。
でも女なんてこんなことよくあることで、女友達の女友達に嫉妬とかは私だって何回もあった。だからもう、本当にこの気持ちがなんなのかわからない。ぐちゃぐちゃ。便宜上、恋って呼んでるけど、混沌としててわけがわからない。認めたくない。
高2になってクラスが離れた。それでも選択授業が一緒で、机が近かった。すこしだけ、週に二時間しかないその授業の間。私は彼女と話せた。同じ趣味を持っていたから、ちゃんと話すことはできたしそれなりに会話も弾んだと思う。
ただ私が勝手に緊張してしまって変な応答をしてしまって、どうにも上手くいかなかった。
高3。またまた選択授業がかぶった。彼女と話すのに緊張しなくなった。ううん、緊張するけど、その緊張にも慣れてきた。
このあたりから、じつは私のこの感情は恋ではないのでは?と思うようになってきた。緊張が消えたから。女が女に恋をするなんておかしいから。世間一般だと偏見はよくないって言われてるし、皆それに賛同するけど、それが身近になったら話は変わってくるでしょ?
彼女に、初めて誕生日プレゼントを贈った。賞味期限切れのゴディバ。ゴディバなんて重いけど、賞味期限が近かったのと従業員割引で500円だった。だからいいかなと思って、贈った。彼女は笑いながら受け取ってくれた。
九月。文化祭は忙しくて会えなかったけど、体育祭では話しかけられた。私はこのとき初めて、ツーショもどき(彼女は写真嫌いなのに、私が無理やり写真撮った。光が差し込んでるしちょっとブレてる)を手に入れた。彼女と好きな漫画の話をした。幸せだった。
10、11。最高に幸せ。今までで一番よく話した。私の誕生日にくれたのはアニメのグッズを手に入れるために買ったコンビニのチョコだったけど、それでもいい。嬉しい。私の受験の時には頑張れって言ってくれた。うれしい。しあわせ。
12月は特にない。飛んで今。きょう。始業式。
「あけおめ。3学期もよろしく。今年もよろしくはしない。高校卒業したら縁切る。ラインもブロックするから」
そんな感じの内容の、笑いながらの冗談。冗談。私も「薄情だなぁ」って笑った。かなしい。かなしい。悲しくてしかたなかった。
彼女の発言に傷ついたのもある。ああ、高校を卒業しても友人でいたいと思えるほどの仲じゃないんだなって。冗談だとしても。
ううん。冗談じゃない。本当だろうなと思った。彼女が私のラインをブロックしようがしまいが、私と彼女の人生が交わるのはあと一ヶ月だけだ。
そんで高校を卒業して、大学生になって忙しくなっていつのまにか一年とか二年くらい経ってて、ふとあんな子いたなって思い出すだけの存在になるんだ。それも、私の方がきっと強く鮮烈に覚えているんだ。彼女はきっと、私のことを忘れる。思い出しやしない。
悔しい。悲しい。意味がわからない。泣きたくてしかたないのに、誰にも話せない。
あのときばいばいって言ってくれて嬉しかった。本当に嬉しかった。
横からしか見たことなかった笑顔を、真正面からみれて嬉しかった。
掠れたハスキーな声が好きで、笑うと普段より高くなる声が好きで、私よりずっと低い身長がすきで、すきで、サバサバした性格もすきで、好きなのに、なんかもう怒りに似た感情すらでてきて。
私は馬鹿な恋をした。距離を三年かけて縮めて、三年後にリセットされて終わり。馬鹿だった。可能性があったら告白するのに。縁を切らせてやらないのに。忘れさせてなんてやらないのに。
でも私は彼女の好きなタイプを知っている。天然でおっとりした、声の低くて運動神経抜群の男の人。正反対。くそったれ。
友情だったらよかったのに。尊敬を取り違えてるんだったらよかったのに。私が彼女の幼馴染だったらよかったのに。
私が女でよかった。
スキンシップが多い
髪の匂いを嗅ぐ(フリをして吐息で祓う)とか、その最たるものです。
鶴岡八幡宮とか、霊的スポットで悪いものを完全封印するために企画したんです。
食事中黙る
消えた
婚活中の女です。
これまでその男性とは平日の仕事帰りに2回ほど飲みにいきました。
会話は成り立つし気は効くし、仕事も楽しんでるようで何の問題もなさそうでした。
付き合う前だとゆうのにスキンシップが多い(手を繋いだり髪の香りを嗅ぐ)のは気になりましたが、
無理にホテルに連れてこうとするわけでもなく、信用出来る相手かなと思っていました。
事件があったデート当日も問題なく待ち合わせし、電車の中でもそれなりに会話も弾んでいました。
前日には「明日は寒いかもだから着込んできてね」とか「ランチするレストランも予約済み」といった感じで
気配りのあるLINEが来てたのでこちらも気分が上がってました。
待ち合わせ場所にもわたしが先につき、服装もズレてなかったと思います。
電車の中でも向こうから手を繋いできて会話もそれなりに盛り上がりました。
女友達とオーダーアクセを作った話をしたら「好みが知りたい」と。
自分に興味を持ってくれるのは素直に嬉しいことなのでとっても気分が上がっていました。
無事鎌倉について、まずは食事をしよう、と予約してくれていたレストランへ。
景色も良いし食事は美味しくて最高だったのですが、突然お喋りがストップ。
わたしは雰囲気に敏感な方なので「(食べ方が汚かった??口元汚れてる??)」など
色々思案してお手洗いにチェックに。特に気になる部分もなく戻りました。
食べ方にしても汚いと指摘されたこともなく、これまでに2回食事してるのでフラれるならとっくにフラれてるはず。
そこからも向こうから手を繋いできたり、ぎゅっと抱きしめられたりとスキンシップはありました。
今日はこのまま良い雰囲気で一日を終えれるんだろう、と感じていたのです
が、
次の目的地の駅について、しばらく歩くんだろうなと思い先にトイレを済まそうと
わたしだけトイレに入りました。相手は快く見送ってくれました。
待たせちゃ悪いと思いすぐに出ました(この間2、3分)
10分経過。出てきません。うんこで苦しんでるの??と思うとなかなか追いLINEは出来ません。
20分経過。嘘でしょ、と思い始める。
別の友人からLINEが届いてたので返信しつつ「連れが消えた」と相談してみました。
友人「サプライズじゃない?」
私「30分待たせるサプライズとか何事」
友人「うんこじゃない?」
私「もはや判断難しい」
私「もしうんこ中で鬼LINEしたら私が人のうんこ待てない女になってしまう」
友人「鬼電」
私「ねぇ、もしや彼、幻だった?」
友人「時空が歪んでるのかもしれない」
私「今2018年?」
私「やめろや」
友人「神隠しじゃね」
友人「タイムリープだわそれ」
私「タイムリープ」
私「織田信長」
友人「織田信長に『貴様!!その奇妙な箱はなんだ!!?』とか言われてる」
私「奇妙な箱」
友人「スマホのことね」
私「(駅で一人思いっきり唇を噛み締める)」
友人「そこにいたらお前も危ない。時空の歪みに捕われる」
友人「彼は今、日本の歴史を変えないように向こうで頑張ってる」
私「歴史を変えないように」
友人「うんこの彼に頑張ってもらわないとうちらの存在が危なくなる」
私「存在が危なくなる」
友人「つかもういいから!!!!デスノートにそのクソ男の名前書いて帰ってこい!!!!!明日呑むぞ!!!!」
友人が謎テンションで付き合ってくれた事もあり
気づけば一時間が経過してました。うんこはいまだ、LINEに既読すらつけず姿を消したままです。
いや正確にはクソなのでトイレに流されたんでしょうけど。
いやまじでありえない時間だった。
ちなみに翌日「鎌倉 変死体 男性」でぐぐりましたがヒットせず。
モヤモヤは晴れません。
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まさかこんなにコメントつくとは思わなかったのでびっくりです。
釣りっぽいと言われてますが、そう思える人は今の幸せを奥歯バキバキ折れるくらい噛み締めて貰えればと思います。
この件、事件じゃないのかって心配・懸念させてしまってすみません。
実家住みの人なので、本当に失踪だったら家族が対応してくれてるだろうと考えてました。(あとわたしに事情聴取来るだろうとか)
で、うんこ氏のLINEのホーム見に行ったら投稿が見れなくなってたので、どうやら無事にブロックしてくれたみたいです。よかった死んでなくて。唯のサイコパスだった。
わたしが何かやらかしたのかもしれませんが、それなら尚更大人の対応してくれないと筋が通らないんじゃないかと思うのですがどうなんでしょう。ちなみに当日、鼻毛は出てませんでした。(鼻毛に言及する方がちらほらいたので)
とりあえず翌日に会った友人が「取り残されたのが山とかじゃなくて良かった」と言ってくれたので「確かに」と思いました。
慣れない相手と遠出の際はお気をつけください本当に。婚活は闇だらけ。
そして「友人が最高!」ってコメント多くてニコニコしました。大好きな友人なので「やっぱり!」って気持ですっごく嬉しいです。
こんなわたしを見かねてクリスマスは一緒に温泉、もしくはスーパー銭湯でゆっくりしようと言ってくれたの優しすぎませんか。
頻繁に会っているのですが毎回楽しいです。頑張り屋さんで自慢の友人の一人。しかも可愛いんです永遠の美少女。生まれてきてくれてありがとうありがとう。
そんなわけで消えたサイコパスうんこ氏のことは忘れるとゆうか既に脳内で半透明になってるのでもういいやって感じです。
わたしにも何か非があったんでしょう。それはしばらく考えます。
最後に、ポジティブなコメントくださった皆さまありがとうございました。ネットで優しく出来る人って本当の意味で人格者だなぁと感じました。
『くるみ割り人形と秘密の王国』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けであります。
すごいぞなんと150点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんで、なんかもっとお金出したい感じはあるんだけど、この映画の場合グッズとかサントラとかそっち方向にはいかない、いけない、やばい。
この映画を公共向けにレビューするとジャスト95点くらいなのははっきりしていて(いや辛く採点すれば80くらいか?)残りの+50くらいは何かといえば完全に性癖の話なのですよ。いつもそうだけど、今回はそれにもまして(主に後半)全く当てにならないレビューであることを告白しなければならないです。何がやばい特殊性癖なのかについて最初に語ると話が混乱するので、後ほど詳細を述べます。
物語はストームボール一家がクリスマスの準備をしているところから始まります。でも主人公でありミドルティーンの次女であるクララ(演マッケンジー・フォイ)は浮かない顔。他の一家もなんだかギクシャクしている。それも無理のない話で、どうやらストームボール一家の母親は、このクリスマスの直前に死んでしまったようなのですね。
家族を失った喪失の中でもストームボール一家は伝統であるところのクリスマスをしようとしている。ヴィクトリア朝の話だから、親族の大規模なパーティーに出ようとかあるのだけれど、母親を失った悲しみからそれらを拒否して引きこもりたい主人公のクララと、このような状況だからこそ普段通りに日常に過ごさなきゃならないと考える父親の間には、感情的な亀裂があるというところから物語は始まるわけです。
そういう意味で言えば、これは大事な家族を失った喪失から回復する話です。同じテーマを扱った今年の映画でいえば『若おかみは小学生!』なんかがあります。普遍的なものなので他にもいくつもあるでしょう。
そういう普遍的なテーマだったんで、料理の作法にも定番(セオリー)みたいなものはあるわけですが、まずそのセオリーそのものはきちんとこなしていた。そういう意味で脚本は及第点。
また、同じテーマをこなしながらも独自性のある切り口も感じられました。この項目はその独自性についての感想です。
この種の「喪失と再生」の作品において、「去ってしまった人から過去において贈られた自分に対する愛情を再認識する」というエピソードは非常に重要なセオリーポイントになります。
それは例えば前述の『若おかみは小学生!』においても「私たちは娘であるあなたを愛していたよ」「その愛は永遠だよ」というようなメッセージは存在していて、それが主人公に受け取られることで回復の契機になりました。
いってしまえばこの「親からの愛情」ってのは遺産なわけですよね。だからこのテーマは遺産継承に関するテーマだと考えることもできます。
でもこのテーマには隠された問題点もあって、それは「親子間の関係を遺産を残すもの/受け取るもの、というような一方通行の、上位者の秘密に下位者が気づくだけという、そういう物語として描いていいの?」というものです。この問題告発って自分は今まで意識したことがなくて、『くるみ割り人形と秘密の王国』で始めて気が付きました。
例えば先程から比較している『若おかみは小学生!』においてこの問題提起はないんですね。それはなぜかといえば、『若おかみは小学生!』の主人公おっこはタイトル通り小学生で、これから自分の世界を確立していく存在だからです。重要なのは遺産が(つまりは死んだ両親からの愛情が)「あった」事であって、それにさえ気づけばおっこのここから先のミッションは回復だけなわけです。
しかし『くるみ割り人形と秘密の王国』の主人公クララはミドルティーンであり、もうすでに自分なりの自意識も世界観も作り上げつつある存在です。
次女のクララには、上には憧れつつも素直に従うことができない長女がいて、下には一緒に遊んで面倒を見てやる長男(小学生低学年くらい?)がいます。弟の面倒を見ながらも、女性的な完成度と貫禄では長女に勝てない次女。おしゃれは苦手でちょっと理系(工学系)な変わり者な主人公。
彼女はそういう意味で「母親を失って狂乱するほど悲しむ幼子」ではない。悲しいし落ち込んでいるし、日常を取り繕おうとする父親に反発をするけれど、だからといってそれを破壊しようというほどのパニックにはならない。自分自身の力でこの悲しみを乗り越えようとしている、まだ若いけど自立を目指す女性なわけです。
そんな彼女は、通り一遍な意味では「死んだ母親から愛情があった」ことはわかっています。世間一般でそういう慰めの言葉はよく聞くし、自分が母に愛されていなかったという疑いはない。
でも、じゃあ、その「愛情」って具体的にはなんなんだろう? もちろん日常でのさりげないやり取りや、スキンシップや、無言での加護やら、ありとあらゆるものがその候補なわけですが、それらは要するに伝われば伝わるし伝わらないわけです。過去のシーンとしては無数にあるそれを、クララはまだ自分の中で結晶化できていない。そこにクララの戦いはあるわけです。
この物語ではその愛情を暗示するキーワードとして母親の残した「大事なものは全て中にある」という言葉があります。
クララは亡き母からのプレゼントエッグの中に残されたこの言葉を追いかけて冒険の旅に出るわけですが、この言葉の意味は最終的には「私(母)がいなくなった世界においてあなた(主人公クララ)が前を向いて生きていくための大事なものはすべてあなたの中に残してきた」です。
大事なものは、様々な教えであり、生きていく知恵でもあり、もちろんつながりや愛情や人格そのものでもあり、大げさに言うならば「母親(家族)と過ごした時間のすべて」なわけです。
そしてこのキーワードが示すのは、それだけにとどまらないんですよね。
この言葉は「nを残してきた」「nが私(母)の愛情である」という指定ではないわけです。だからこそ逆に「何が残されていたと認識するかは、娘であるクララが選んで受け取りなさい」という信頼であるわけです。
愛情は遺産なわけですが、それは決して贈る/受け取るという一方的な関係ではない。この物語における「気づき」はそういうステージのテーマとして描写されている。それはやはり一味変わった、深い踏み込みだったと思います。
一方、作中において「遺産」はもうひとつの意味でもあらわれます。クララの母は幼いころ「秘密の王国」を発見してその民に慕われた女王でもあったのです。わお。ですから、遺産は女王位。クララは本作のメインの冒険である「秘密の王国への迷い込みそこで戦うこと」をとおして、この「女王位の継承」という問題へ巻き込まれてゆきます。
でもこの問題も前述の「母の愛情をいかに受け取るか」とワンセット、同じ物語の両面なのです。
クララは「女王が去ってしまって荒廃が始まった秘密の国」で大歓迎を受けると同時に、その危機においては「お前なんかは女王の代替品にすぎない」ともいわれてしまいます。「女王の位」をうけとった娘クララは、ただ単にそれを受け取った段階では「無力な模造品」にすぎないという弾劾です。
クララの母でもあり前女王でもあるマリーが幼いころ発見して作り上げた秘密の王国とそこに住む住民たちは、マリーに生み出されて育てられたという意味では、クララと同じく「マリーの子供」でもあるわけです。表面上は老人に見えても年上に見えても異形に見えたとしても、その意味では全てクララの兄弟姉妹に等しい。その彼らが、母マリーがなくなって、道を失い、うろたえ、クララに剣を向けさえする。
その混乱はマリーの残した女王位をただ受け取るという、つまりは遺産を残す上位者、受け取る下位者というだけの状態では、収拾されないわけです。
つまり、これもまた、「継承というのは一方的な贈与関係ではない」というテーマに接続されているわけです。
作中で、母との回想シーンの中で、クララは母から「あなたは姉に憧れているけれど、あなたにはあなた独自の世界があって物事をあなただけの見方で見ることができる。そこがあなたの魅力なのよ」と励まされます。
クララはクララなりに世界を見ることができる。それは父母や周辺環境のコピーとして自意識を確立していくしかない幼子ではなく、ミドルティーンとしてすでに自分の世界があるこの物語のクララでしか描けなかった切り口です。
母からは無限の贈り物を残されたけれど、その中のどれを受け取るか――母の残した教えや愛情のうちどれを「クララという自分自身のコアとして据えるか」というのは、クララの側の自由であり、その選択によって自らの存在を定めるわけです。
その自由の幅が良かった。
この物語の中で、クララは「秘密の王国」での旅と冒険を通して、そういった自分自身の内面と出会い、悲しみを癒やすわけですけれど、でも実はこの度ってなくても良かったんですよね。作中でも途中でリタイヤして現実世界に帰る選択肢が示されるシーンが有ることからも分かる通り、それはありなわけです。途中で帰るどころか、実は、出かけなくても良い。
クララはもうすでに自分自身を確立しつつあるミドルティーンで、この作品の冒険なんかを経なくても、時間さえかければ悲しみから立ち直っていたと思います。父親との間にギクシャクした感情は少し残ったかもしれないけれど、それすらも時間の流れでおそらく解消できた。
そこがとても良かった。
幻想郷への旅が必要不可欠であり、この冒険行がなければクララが破滅していたのだとすれば、クララは神が(母が)操る遺産相続の操り人形なわけですが、そうではなくクララは旅をやめる自由がある中でそれを続行し、自分で選んだわけです。
母から与えられたすべての教えや愛情の中から、姉と同じように「おしゃれで社交的な自分」ではなく、「機械いじりが好きでとびっきりの発明家である自分」を選んで継承した。同じように「秘密の王国で歓待されるだけの女王」ではなく「みんなのために調和を取り戻そうと戦う女王」も選んだ。選ぶという行為によって、ただ与えられる下位の存在ではなく、継承というテーマにおいて贈り主である上位存在と対等の関係であることを示したのです。
この辺はもはや登録商標とも言って良い「ディズニープリンセス」というワードの「プリンセス」にたいして、一定の回答を出そうと本作が挑んだ結果でもあると思います。
王位とか王権(そして愛情を)先代から送られ継承した存在が、プリンセスである。
でもそれは逆説的に、「プリンセスとは手渡されはしたものの、その手渡されたものをまだ十全には使いこなせないし、自覚もはっきりとはできていない、運命や自分自身と戦いの最中にある存在だ」という主張でもあると思うのです。
そういう踏み込みのある本作は、テーマから見ても脚本の構造から見てもかなりの出来でした。
――まあ、もっとも、ここまで脚本を褒めては来たんですけれど、その表現としての台詞回しがどうにも垢抜けない感じで、紋切り型なところも多くて正直言えばそこは今ひとつです。取ってつけた感じがある。
てなわけで、構造面ではキラリと光る部分はあるけれど、80〜95点くらいですかね、これは。という感想になるのでした。
文字数がオーバーしたので後編 https://anond.hatelabo.jp/20181201181722 に続きます。
29歳女です。3年付き合った男と別れてもうすぐ半年。夏が来る前に別れ、数年ぶりに夏休みを同性友人とすごし、久しぶりにブランクの週末が続き、感じたことは淋しさより解放感だった。
もうあいつのことでヤキモキしなくて済むんだ。連絡の返信がまる一日たっても返ってこなくてイライラしたり、もしかしてあの言い方で傷つけちゃったのかな?と心配したり、わたしの好きちゃんと伝わってないのかな?って不安になったりしなくていい。
楽だ。あいつは癒しでもあったが心労の種でもあったのだと別れて気付いた。
1人で好きに過ごせる。ボディのケアも多少サボれる。お部屋の掃除もゴミ出しも週1回でいいや。ちょっとくらい食べ過ぎてもいいや。結構太った。
そうこうしてると半年なんてあっつうまだった。
友人らは、意外と気を落としてない私に対してびっくりしていたくらいだった。
最近は仕事が終わると毎晩、以前よりだいぶだらしなくなった部屋でだらしない身体を横たえてポケットモンスターレッツゴーイーブイをやっている。
これはこれで楽しいけど。
やっぱり恋人がほしいッ
なんかやったらめったら鼻について気になってイライラしてしまう。
どう考えてもそんな致命的な出来事ではないのに。
小さなことにすごくイライラしてしまって気持ちを持て余してしまう。
いままではイライラをこんなにため込んだことはなかった。
違いは明白だ。恋人の有無。
そういえばいままではやるせないことがあるとすぐ恋人とアポを取り恋人としゃべったりスキンシップしたりしてソウルジェムを浄化していた。
これじゃまずい。
やっぱり恋人がほしいッ
イーブイを画面越しにいくら撫でまわしても濁ったソウルジェムは浄化されない。
もう恋に恋する歳じゃないけど数千年ぶりに恋人がほしいモードだ!
異性として愛でる対象がほしいッ
恋人がほしいッ
当たり前だが無から有は生まれないし考察も無から生まれない。ぶっちゃけ考察なんて慣れの問題で誰にでもできる。
ある作品に対して、
お前が思う「すごい」はどれだ。そしてどの能力を伸ばしたい。
1に必要な能力は物語論であって、キャンベルでもシド・フィールドでも石川千秋でもいいからその手の本をいくつか読んでみろ。たとえば貴種流離譚という概念を知っているだけでスター・ウォーズやバーフバリとかの作品の捉え方が変わる。
2に必要な能力はキャラクター論で、大塚英志『キャラクター小説の作り方』や新城カズマ『物語工学論』あたりでも読んでみろ。キャラクター類型という概念を前提に作品に触れてみろ。
3に必要なのは作品読解というよりその作品にあてはめうる「テーマ」について持っている自分自身の引き出しの問題だ。ラブストーリーひとつとっても、恋人未満の二人が恋人になる話、共依存関係が破綻するまでの話、三角関係の話、NTRもの、泥沼群像劇等々色々あるだろう。たとえば、コーマック・マッカーシー『ロード』は火を運ぶというメタファーから「受け継いでいく話」というテーマが読み込める筈で、そこからあの世界観において「受け継ぐ」が「世代交代」に繋がるというのは一つ言える。無数に存在する「テーマ」の類型の引き出しを作れ。
4はとにかく数をこなすことだ。小説なら作者の過去作品・インタビューを全部調べて読み込め。映像作品なら監督・脚本・演出その他諸々(全部とは行かないだろうから最低前述の3つ)の過去作品を調べてみろ。できればインタビューも読め。そして過去作品のなかのどの部分がその作品に共通しているのかを読みこめ。
5はこれまでの全部に共通する「演繹力」を磨け。「この設定であれば、この要素が欠けているのはおかしい」という想像を働かせつづけろ。「このキャラクターがこのような性格をしているのには理由があるはずだから、きっと過去にこういうことがあったのかもしれない」「この作品はこの作品のオマージュなので、きっとこういう展開になる」等々、上記で必要な引き出し全部を使っていけ。
二次創作もそれと同じだ。パターンだ。パターンを考えろ。AがBに対して愛情表現をするとする。どういうアプローチが考えられるか。気持ちを言葉にするかしないか、身体的スキンシップを含むか含まないか、そのときに照れるのか照れないのか、笑顔を浮かべるか浮かべないか、言葉にできないならどう表すか、ものを渡すのか、第三者にのろけるのか、色々パターンはあるだろう。考えて考えて考えろ。そのためには読んで読んで読みまくれ。自分のなかに引き出しを作れ。質は量で担保される。