はてなキーワード: うつつを抜かすとは
「戦後のアメリカに押し付けられた憲法や教育が日本を駄目にした」
という考えがあると思うのだが、
その崇高な戦前?の教育とやらで育った大人が子供達を特攻機に乗せて本土決戦をしようとしたわけなんですが、
(木更津の高台にある寺から子供を乗せた桜花を射出しようと計画していたが、その前に無条件降伏して本当に良かった
安倍界隈はオカルトや神道大好きな反知性主義者のアホが揃った感じで非常によろしくない。
北方領土も献上しようとか菅もアホだったのかと。
くだらない人種差別をしていたナチスはあるユダヤ人の発明した核兵器に負けたわけです。
次の戦争に勝つためには、その反省を活かすべきであり、それは精神論ではなく、より理系な戦略、戦術になるのは明白です。
例えば、軍服一つをとっても、着ていて違和感がある、不快感がちょっとでもある、というだけで士気は低下するものです。
となれば、兵士にとって着心地が良く、しかしながらコスト面も抑えられている軍服、兵装の開発が求められるわけです。
日本は今になっても、そういう考え方ではなく、黙って制服を着ろ、というような頭ごなしな考え方が根強くある。
○本会議だの神道だののような考え方では次の戦争は必ず負けます。
戦争で負ける日本を作ろうとしている、親学だのは寧ろ売国奴の考えです。
そもそも、安倍は靖国に参拝したことを誇らしげにツイートしているが、ロシアに北方領土を提供し、アメリカにもペコペコ頭を下げる、
そんな体たらくな人物が過去の英霊だのに何を報告する意味があるのでしょうか。
そのためには、よりロジックで理系的で効果的な政策が求められるはずです。
その点で河野さんは今の所よくやっている。
非常に期待できる。
北方領土担当でもあるし、自衛隊方面もよくやっていた。唯一の良心に思える。
イランのような国とも根強く交渉し、交流してきたことで、石油を安定的に供給できている。
兵士は一流だが、上は二流三流なことが多いのですから、日本はやればできる子なはずです。
少なくとも自分はそう思うのです。
だから、何らかのシステムやアーキテクトでも、白人の考え方や企業のサービスを鵜呑みにせず、
柔軟に受け入れつつも、独自の考えや規格を打ち出しても良いはずです。
すぐに欧州で世界で日本の仕様は規格にならなかった、規格化競争に勝てなかった、という話になりがちですが、
それを言うなら、中国はパクリだけでなく、並行して独自の技術や規格でエコシステムを作ってもいるのです。
中国には感心したり呆れたり色々ありますが、国がでかいこともあるのでしょう、
それに、日本や中国の数倍の速度で目まぐるしく流行というか、変改してグルグル回ってるものもある。
人としてそんなにスペックも変わらないはずだし、日本に優れた人材は大勢いるわけで、
下記の増田で書いたけど、「表現規制」は、フェミニズムだとか個々の思想のリクエストというよりは、社会そのものが求めてるんだと思うよ。
物語にうつつを抜かす奴らを、何でもいいからとにかく難癖つけて、現実に引き戻そうという教育ママ的な社会の要請が、「表現規制」というメタフィールドからの「行きて帰りし物語」という形を取っているんだと思う。
社会では、物語に耽溺してる時間があったら、その時間分だけ、労働や家庭活動など社会に役立つ行動をしろと思われているわけで、
物語という無駄な存在から人々を引き剥がす「表現規制」は、その個別具体的な内容に関わらず、社会では、方向性として正しいものと認識されてるんだと思う。
だから要は、「表現規制」って「マンガばかり読んで!」という親の叱りを社会化しただけなんだよね。フェミニズムとか個々の思想は単なる理由付けであって、それを敵視しても全く意味がない。
だから、「正しい物語」の不当性を述べる増田の方向性は筋違いに感じる。物語が「正しい物語」を目指しても目指さなくても、そういう理由で「表現規制」は全く止まないと思う。
そうじゃなくて、物語自体が「行きて帰りし物語」の構造を取り戻す、つまり、物語を一時的な甘えとして表現し、永続的に物語を読むような人間にさせない構造を取り戻すまで、「表現規制」は続くと思う。
読み終わった時点でその物語から離脱できるような物語を創ること、最終的に「覚める」物語を創ること、それだけが社会からの「表現規制」を回避する手段だと私は信じている。
つまり、増田の危惧する「正しい物語」じゃなくて、「覚める物語」こそ社会の要請に沿うものだと思う。
「覚める物語」とは例えば、鬱屈した思いを抱える読者が共感できる妄想をなるべく具体的に膨らませた上で、結末で「罰」として、登場人物にひどい目に合わせるとか。
そういう、個人の妄想を奪ってできるだけ膨らませて最後に壊すというスタイルであれば、物語に予防的効果としての社会的意義が生まれ、「表現規制」で妨害されることも無くなるだろう。
しかし、そういう「覚める」構造は、創作者にとって自分のパイを捨てることになることになるから、増えてしまった創作媒体を維持していくには、まあ難しいよね。
だから、「行きて帰りし物語」は最近流行らないんだよね。だから、社会も動いたんだよね。
まとめると、一時的な甘えとして存在の許された「物語」が、常続的に人々の心に巣食うようになった結果、社会がそれを排斥しようと難癖を付けたのが「表現規制」の本質。
増田の言う「正しい物語」も個々の思想も関係無い。必要なのは「覚める物語」。しかし創作者はそれを望まないので解決は難しい、ってとこかな。
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『18歳未満との交際、「真剣」以外はすべて違反に』という大阪の条例に関連して。
刑法 第176~177条
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。
十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
第百七十七条 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
要するに、13歳未満の子どもに対しては、『暴行または脅迫を用い』なかったとしても、わいせつな行為をすると罪になる。
流石に「10歳の女の子と合意の上でエッチしました。合意しているんだからレイプではないです」というのは性知識の差を考えると”真正な同意”とは言い難いので、(『年齢以外で区切るべき』や、どの年齢で区切るかという議論は別にして)この点については増田も深くは取り上げない。
だが無論、日本では飛び級は基本的に存在しないので、13歳未満の女子高生は存在しないはずだから『女子高生とエッチ=逮捕』のような認識をする理由にはならない。
第四条第1項柱書 この法律で、児童とは、満十八歳に満たない者をいい、児童を左のように分ける。
(略)
第三十四条第1項柱書 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
(中略)
(以下略)
児童福祉法の児童は十八歳未満であり、学校教育法に定める児童(小学生)とは別物である。まずそれを前提として。
1985年~1996年まで、この法律は『誰かが、児童(繰り返すが18歳未満である)に対し、自分以外の第三者と淫行をさせる』行為に限ると解釈されてきた。
これが1996年の高裁判決で解釈が大幅に変更され、『誰かが、児童と自分(←で言う”誰か”)と淫行をさせることも含む』と解釈されるようになった。
というより、婚姻年齢(註:近年まで女子は16歳から結婚できた)との兼ね合いもあるので、解釈が変更された上述の1996年の判決でも『一定の程度を越えて児童に影響力を及ぼして児童に淫行をさせるに至った場合に限る(意訳)』という解釈になったため、
長野県(後述する)のような場合を除いては”影響力”の立証の困難さからか、あまり使われない。
表題に書いたような「未成年と、体の関係を含む交際」を取り締まるほとんどは、『青少年の健全な育成に関する条例』における淫行処罰規定(長野県を除く46都道府県にある)だ。
が、この条例は地方によってピンキリである。やたらと範囲を広くとっている例として静岡県を挙げよう。
第14条の2
このようなシンプルな条例の文章になっていて『高校生と体の関係があったら真剣な交際であっても全てアウト』のように読める道県は決して少なくない。
一方で、千葉県や大阪府のように、罪刑法定主義に則り、条件をある程度限定している都府県もある。
第20条 何人も、青少年に対し、威迫し、欺き、又は困惑させる等青少年の心身の未成熟に乗じた不当な手段によるほか単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められない性行為又はわいせつな行為をしてはならない
第34条 何人も、次に掲げる行為を行ってはならない。
(1)青少年に金品その他の財産上の利益、役務若しくは職務を供与し、又はこれらを供与する約束で、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(平成11年法律第52号)第2条第2項に該当するものを除く。)
(2)専ら性的欲望を満足させる目的で、青少年を威迫し、欺き、又は困惑させて、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと。
以上の府県に共通するのは、『専ら性的欲望を満足させる目的』のみを条件としているということだ。
このような規定が無いとどうなるか、というと。たとえば飲食店の店長をしていた男性が、女子高生(当時17歳)と交際していたことについて、本人たちは恋愛感情があったのに女子高生の母親が被害届を出し、男性が逮捕されたような事件になった(その後無罪が確定)り、19歳の男性が17歳の女子高生と性行為をして男性だけ逮捕されるような話にもなってくるわけだ。いや、リア充爆発しろというのは置いておいて、2歳差はどう考えてもセーフだろ。これが18歳と16歳ならばセーフ(註:神奈川県の条例には、未成年を罰しない規定がある)だし20歳と18歳でもセーフなのに19歳と17歳ならば逮捕になるというのは合理的だろうか?
(この Q&A はフィクションです、多分)
質問1:「私は千葉県に住む19歳の大学生です。高校時代の後輩だった17歳の女子高生と交際していて、
体の関係もありましたけど相手も同意していたし結婚も考えていた真剣な付き合いだったのですが、関係が相手の親にばれて被害届が出され、逮捕されました」
回答1:「その場合、真剣な交際だったと認められたら無罪になる場合もあります」
質問2:「最終的には真剣な交際だったと認められて無罪になったのですが、『大学生、女子高生と淫行で逮捕』という記事で名前が全国に報道されてしまいました。私の就職に影響しますか?」
↑このような条例の規定はそもそも自由権を著しく侵害していませんか? どうなんでしょうその辺。
意見1:いや、静岡県のような条例でも問題ないだろ。そもそも未成年の間は学業やスポーツによって成長するべき時期で、恋愛などにうつつを抜かすべきではない。
回答1:意見としては伺いますが、では何歳からは恋愛しても良いとお考えですか?
意見2:安易な恋愛は禁止し、結婚して家庭を持つのも収入などの条件を満たした33歳以上に限るべきだ。
回答2:また随分と、文が鮮明ですね。
オタクエリートと言うのは、岡田斗司夫が「オタク・イズ・ビューティフル」と言い出した頃に、一部のオタクの間に流行った概念ですね。
オタクを極めた者はオタクのエリートであり、オタクこそが優秀な人間である、つまりオタクのエリートは人間の中でもとびきりのエリートである。
と言うのが、その論旨です。(それは彼の言うところのオタク第1世代である自分たちの世代のことである、となる)
当時の日本の世相はオタクを下等民族として扱っていたと言う背景があり、それを打破すべく「オタクこそが優秀な人間である」と言うパラダイムシフトを行おうとしたのですが、萌えにうつつを抜かす教養のないオタクが市場を席巻したため、教養ある優秀な人間であると言う意味のオタクは滅びた、と「オタク・イズ・デッド」宣言をして壇上を去ることになります。
最近だと元京アニのヤマカン氏がその思想を受け継いだオタク定義論をブログで展開していますが、こうして理解されないことからも分かる通り、懐かしのあの頃の残滓にとどまっている印象です。
プリキュアのコンセプトは「暴力の男女平等論」だったはずでしょ。
それがいつの間にかプリティでキュアキュアな愛の戦士になっている。
軟弱化してお菓子だの恋だのにうつつを抜かすようになってきたプリキュアは見ていられない。
暴力による問題解決の精神も失われて、スキあらば敵と和睦を図り、言葉巧みに籠絡し、心理戦を仕掛けていく。
これはプリキュアではない。
暴力に立ち向かうための暴力、正義を勝利によって勝ち取るための武力、それらの所有権が女子にもあることを主張するのがコンセプトだったはずだ。
目先の売上に気を取られて上っ面の精神論を振りかざすようなプリキュアがあってたまるか。
正しいものが強い力を持つことだけがこの世界に平和を実現する唯一の手段であるという現実、それを知らしめる役目を見失わないでくれ。
口先や同調圧力などによって実現される正義など、圧倒的な腕力の前では消し飛んでいく事実から目を逸らして育てられた権力者にとって都合がいいだけの子供を増やさないで欲しい。
高校受験、大学受験のたびに「志望校に落ちたら声優を目指そう」と思っていた。今の私はうまいこと受験に受かって、平凡な社会人をしながら声優オタクをしている。
就活がうまくいかないときに、バイト先の後輩にもこんなことを言われた。
私はこの言葉を今でも時々思い出す。
私が奥山沙織ちゃんに出会ったのは彼女と同じくらいの歳だった。デレステを始めたときに初めてきたSRもおそらく彼女だった。秋田県出身で、見た目も冴えなくて、眼鏡をかけた女の子。共通点が多かったこともあって、彼女をシンデレラにしてあげたいと思った。
とはいえ元々リズムゲームが得意ではないので、他のジャンル、他のアイドルにうつつを抜かすことが多かった。ここで出会ったのがsideMの元教師ユニットS.E.Mだった。彼らについては後で詳しく書く。
沙織ちゃんの相方として、一緒にステージで煌めくことができたら。そんな夢を見ることもあった。とはいえ、うまくいかないであろうことは分かりきっていたし、適当に就職して、今はS.E.Mに近い仕事をしている。
平凡な道を選んで、そこそこ楽しくやっていた。そんなときに今年のシンデレラガール総選挙はこの荒れようだ。
待てど暮らせど、奥山沙織ちゃんの相方は現れない。後から出たアイドルは上位に食い込み、声が実装されそうなアイドルもいる。
気が狂いそうになった。
奥山沙織は、私と一緒に歩いて行きたいのかもしれない。そのために、私を待っていてくれているのかもしれない。一緒に眩しいステージで煌めくために、私を待っている。
ずっと諦め続けていた声優という仕事に、彼女は私を導いてくれるんじゃないか。
だが、今からレッスンをして運良く声優を目指すためのスタートラインに立ったとしても、そのときにはもうアラサーと呼ばれる位置になる。どんどん若年化の進む女性声優界隈で、アラサー新人女性声優なんて需要はないだろう。
「夢を追いかけるのに、遅すぎるなんてない」
「思い切ってみなきゃ、起こせない未来って化学変化 賭けみたいなもんだよ、動かなきゃ…何も手に入んない」
やめてくれ、アラサーでアイドルなんて、声優なんて、それで食べていくなんて、できる気がしない。
奥山沙織ちゃんに声が、同じ声をもつ相方ができたら、私は呪いみたいな夢をきっぱり諦められそうな気がする。
個人的に思うのは「国内ゲーム市場は全然復権出来てないけど、国内ゲーム会社は復権しつつある」ということ。
人間の頭数が減ってどうにもならない国内市場はさておき、海外市場をメインターゲットに据えてそこでヒットするタイトルがようやく出始めたので企業業績は持ち直してきてるけど、国内市場自体の問題は何も解決していない。
潜在顧客含めた市場規模はそう簡単には回復しないし、ライト層の開拓しか残されてないのにwiiのトラウマを引きずっていまだに忌避してる。
ゲーム史と共に生きてきた層は今ちょうど家庭持ちでゲームにうつつを抜かす暇なんかないから、その層が戻ってこられるようになるまで後10年ぐらい必要だろう。
多分ゲーム業界で今上向きの規模の大きな国内ゲーム会社は「海外市場をメインターゲットにして、国内市場はついでに売れればよし」という割り切りをきちんと出来てるところが殆どだろう。
でもそれが功を奏してるんだから、それでいいと思う。
そもそも国内市場の復権なんて、人口減少が確定してる以上ハイリスクローリターンな博打でしかないので積極的に投資する意味が薄い。
最近のロリコン論争に関連して。意外とこれも分かっている人が少ないように思えるので再掲。
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。
十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
第百七十七条 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。
要するに、13歳未満の子どもに対しては、『暴行または脅迫を用い』なかったとしても、わいせつな行為をすると罪になる。
流石に「10歳の女の子と合意の上でエッチしました。合意しているんだからレイプではないです」というのは性知識の差を考えると”真正な同意”とは言い難いので、(『年齢以外で区切るべき』や、どの年齢で区切るかという議論は別にして)この点については増田も深くは取り上げない。
だが無論、日本では飛び級は基本的に存在しないので、13歳未満の女子高生は存在しないはずだから『女子高生とエッチ=逮捕』のような認識をする理由にはならない。
第四条第1項柱書 この法律で、児童とは、満十八歳に満たない者をいい、児童を左のように分ける。
(略)
第三十四条第1項柱書 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
(中略)
(以下略)
児童福祉法の児童は十八歳未満であり、学校教育法に定める児童(小学生)とは別物である。まずそれを前提として。
1985年~1996年まで、この法律は『誰かが、児童(繰り返すが18歳未満である)に対し、自分以外の第三者と淫行をさせる』行為に限ると解釈されてきた。
これが1996年の高裁判決で解釈が大幅に変更され、『誰かが、児童と自分(←で言う”誰か”)と淫行をさせることも含む』と解釈されるようになった。
というより、婚姻年齢(註:近年まで女子は16歳から結婚できた)との兼ね合いもあるので、解釈が変更された上述の1996年の判決でも『一定の程度を越えて児童に影響力を及ぼして児童に淫行をさせるに至った場合に限る(意訳)』という解釈になったため、
長野県(後述する)のような場合を除いては”影響力”の立証の困難さからか、あまり使われない。
表題に書いたような「未成年と、体の関係を含む交際」を取り締まるほとんどは、『青少年の健全な育成に関する条例』における淫行処罰規定(長野県を除く46都道府県にある)だ。
が、この条例は地方によってピンキリである。やたらと範囲を広くとっている例として静岡県を挙げよう。
第14条の2
このようなシンプルな条例の文章になっていて『高校生と体の関係があったら真剣な交際であっても全てアウト』のように読める道県は決して少なくない。
一方で、千葉県や大阪府のように、罪刑法定主義に則り、条件をある程度限定している都府県もある。
第20条 何人も、青少年に対し、威迫し、欺き、又は困惑させる等青少年の心身の未成熟に乗じた不当な手段によるほか単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められない性行為又はわいせつな行為をしてはならない
第34条 何人も、次に掲げる行為を行ってはならない。
(1)青少年に金品その他の財産上の利益、役務若しくは職務を供与し、又はこれらを供与する約束で、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(平成11年法律第52号)第2条第2項に該当するものを除く。)
(2)専ら性的欲望を満足させる目的で、青少年を威迫し、欺き、又は困惑させて、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと。
以上の府県に共通するのは、『専ら性的欲望を満足させる目的』のみを条件としているということだ。
このような規定が無いとどうなるか、というと。たとえば飲食店の店長をしていた男性が、女子高生(当時17歳)と交際していたことについて、本人たちは恋愛感情があったのに女子高生の母親が被害届を出し、男性が逮捕されたような事件になった(その後無罪が確定)り、19歳の男性が17歳の女子高生と性行為をして男性だけ逮捕されるような話にもなってくるわけだ。いや、リア充爆発しろというのは置いておいて、2歳差はどう考えてもセーフだろ。これが18歳と16歳ならばセーフ(註:神奈川県の条例には、未成年を罰しない規定がある)だし20歳と18歳でもセーフなのに19歳と17歳ならば逮捕になるというのは合理的だろうか?
(この Q&A はフィクションです、多分)
質問1:「私は千葉県に住む19歳の大学生です。高校時代の後輩だった17歳の女子高生と交際していて、
体の関係もありましたけど相手も同意していたし結婚も考えていた真剣な付き合いだったのですが、関係が相手の親にばれて被害届が出され、逮捕されました」
回答1:「その場合、真剣な交際だったと認められたら無罪になる場合もあります」
質問2:「最終的には真剣な交際だったと認められて無罪になったのですが、『大学生、女子高生と淫行で逮捕』という記事で名前が全国に報道されてしまいました。私の就職に影響しますか?」
↑このような条例の規定はそもそも自由権を著しく侵害していませんか? どうなんでしょうその辺。
意見1:いや、静岡県のような条例でも問題ないだろ。そもそも未成年の間は学業やスポーツによって成長するべき時期で、恋愛などにうつつを抜かすべきではない。
回答1:意見としては伺いますが、では何歳からは恋愛しても良いとお考えですか?
意見2:安易な恋愛は禁止し、結婚して家庭を持つのも収入などの条件を満たした33歳以上に限るべきだ。
回答2:また随分と、文が鮮明ですね。
コインチェックもしかりだけど、他の仮想通貨取引所も全部潰れて消えてしまえ
と正直思っている
仮想通貨取引なんて脱法ギャンブル以外の何物でもないし、社会の生産性に寄与もしないし、実際何の役にも立たない
むしろ時間を浪費して、こんなものにうつつを抜かす馬鹿どもは破産してしまえ、と心の底から思う
その時間やお金を、スキルを向上させるために使ったり、イベントやらコミュニティーに所属して
人のつながりを増やすのに使っていたら、自分の生涯にわたって利得があったかもしれないのに
仮想通貨には未来があるからなんて言い訳にして、楽してお金だけを増やそうという魂胆が競馬場に入り浸るおっさんレベル
であさましいということを知ってほしい
父に向かって、大学生からずっと、風俗で働いていたことをバラしてやった。
いつも通り、モノに当たって壊して恐怖政治でなあなあに済ませようとする汚い肉塊の動きがピタッと止まったのが面白くて、笑いそうになった。
父は私が生まれる前から風俗通いだの女遊びがひどかった。物に当たる形での暴力が多くて、酒を飲んで暴れるから物心つく前から女と酒の話で家庭内はぴりついていた。
幼稚園も、義務教育中も、すべてにおいての学校行事や地域の参画しなきゃいけないイベントだとかに来てもらったことも、お休みに遊びに連れて行ってもらったことも無い。父としてなにをしたかといえば、金だけだと思う。それだって、何度目かの浮気がバレて、厨二病真っ盛りだった私が父の会社に乗り込み受付で父を出さないと自殺すると大騒ぎした際にその場で書かせた誓約書によるものだ。
だいぶ昔に、産まなきゃよかったと言われた。髪を引きちぎられて、湯船に顔を沈められて怖くて、お父さんに殺されると言って警察を呼んだことを覚えている。まずそもそも産んだのはお前じゃねーんだけど。
そこから完全に私の意識はどうにかしてこの男に絶望させてやりたい、の一心だったように思う。
そこそこな高校、大学に行って真面目ちゃんのふりをして司書教諭とか教員免許とかもろもろ、色々と資格をとった。こんな人間は人を教える資格がないことは自覚していたので教員にはならなかったけれど、それなりに名が知れている大手に就職した。別に自分の育てた子供でもないのに、地元の底辺なおっさんどもに吹聴して回るこのクソ男が憎くて仕方がなかった。
それでもここ数年は酒の量は増えても女が見当たらなかったから、50手前で離婚のために奔走するのも母が疲れてしまうだろうと思って特にアクションは起こさなかったのに、5年以上前にバレた外人パブの女とまだ繋がっていることが判明した。「◯ちゃん、おやすみ(ハート10個くらい)」のLINEを送信せず寝落ちしていたのを見られる、という無様な姿だった。
もう限界だと母が言ったので、それならきちんと腹を割って話しをして終わらせよう。ということになったけれど、あの男は自分の存在が上でないと許せない人種で、自分の納得のいかないことはすべて陰謀にする人間であるので、まともに自分の非を認めるはずもない。
逃げに逃げを重ねるのをみかねたので、お前の父親稼業の成れの果ての私はここまで落ちぶれてるんだけど、それでもこんな態度をとるの?と聞いた。
小学生に上がる頃には父に対し憎しみしか抱かなかったこと。友達のお家に土日に遊びに行ってお父さんが普通に在宅している家庭に負い目を感じて引きこもりになったこと。父方の実家に送られた際に祖母や叔母に円満な家庭であると嘘をつくことが辛かったこと。やりたくもない行政書士とのやりとりを代行させられて精神的にストレスであったこと。産まなければよかったと言われた中学生の当時からずっと向精神薬と睡眠導入剤が手放せないこと。どのようにして生きれば父に復讐ができるかを考えて、「夜の女にうつつを抜かすなら私もそこで働いてやろうかな、ちょうどお金もないし。」と夜職を選んだこと。
おおかた吐き出してやったのになんにもスッキリしなかった。自分のやって来たことに対しては顧みず、ただ自分の娘が夜をやっていたことにのみショックを受けているようだった。すべてお前がやったことが原因なのに、本当にクソ男だと思う。
うっかり社会人になったので風俗はやめたけど本当はオナクラ→ヘルス→ソープと在籍を変えて行って円光もしたし今だってソープから引き抜いた毎回8万くらいくれるパパ(笑)がいる。それでも恥が勝ったのか、ただ風俗で働いた、ということしか言えなかったけど。自分がここで働いたことは別にお前のせいだ、と正当化するつもりはない。ただ、精神的にショックを与えられたらいいなとは思った。
離婚をしたら母の戸籍に入り、やがて母の戸籍からも抜ける。子供も産むつもりもない。正しい家庭と正しい父親を知らないからきっとろくな家庭にならないと自覚している。なにより私は一人っ子だから、このクソ男の血縁は私の代で終わらせなければいけないと思っている。
まだ序の口だ。自分のしでかしたこと、20年以上ずっと家庭に与えたダメージを気づかせられている気がしないから、これ以上の絶望を与えるにはどうしたらいいのか、ばかりを考えている。
待ち合わせに遅刻。
キャバに行く前に一杯引っ掛けていこうと言う。
行く場所は決めていない。
適当な男。
何の計画性もない行き当たりばったりな奴。
キャバクラでどんちゃん騒ぎ。←何も残らない。ただの享楽。そんなんだったら講演とか芝居とか映画とか音楽とか、もっと身になるものがある。よほど興味深かったり好奇心をそそられたり自分を向上させるトークの出来る嬢がいれば別だが。
どうせいくなら一流のキャバだな。
とにかくそいつは遊び方がヘタ。キャバでカラオケでどんちゃん騒ぎして何が楽しいっていうんだ?何が残る?くだらない。そんな一時的な享楽にうつつを抜かす奴はどうしようもない。
それだったら家族、友人、恋人と思い出の時間を作ったほうがいい。
金を散財してホームレスになるのが目に見えてる。
負に引きずり込まれる。
虫酸が走るほど嫌な一日だった。
ほんとに歯がゆくてムカつくのは、良識ぶったリベラルの奴らだわ。
「女性にハイヒールを強制するのがダメなのであって、ハイヒール自体に罪はない」
「本人が好きでハイヒールを履くのと、社会からそれを強制されるのは違う」
とかなんとか……。
お前ら、いい加減にしろよ!
そんな生ぬるいことを言っていたら、マナーなんて変わらんっつーの。
法律でハイヒールを厳しく規制して、公共の場所で全面禁止にするぐらいの対策をとるべきだ。
ちなみに、筆者は男である。
一方で大半の女は、「ハイヒールの強制は嫌だ。でもハイヒールを履く自由がほしい。だって美しくなりたいもん」という矛盾まみれの思考をしている。
化粧についても同じこと。
「強制されたくはないが、それをやりたくてたまらない」というのが女に特有の思考なのだ。
女はファッションの流行にまどわされやすく、オシャレにうつつを抜かす馬鹿なのである。だから自分から好んでハイヒールと化粧を選ぶし、結局それを手放せなくなって不平不満を言い出す。
女の願望とは、「自分自身のために美しくなりたい」というものであるらしく、その主体性を尊重するのがリベラルだったりフェミニズムだったりする。
だが、私はそれを尊重してはいけないと思う。それは政治的に正しくない願望だ。
化粧もハイヒールも、女性を縛り付ける旧態依然とした差別である。そのようなファッションをすることは、本人の意思がどうあれ、女性差別を正当化するというメッセージを持つ。
よくあることだが、これは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定してしまう、という現象である。
女性本人の自由意思にもとづくならば、彼女は女性差別を喜んで享受する自由があるのだろうか? これは難しい問題だが、我々はこういう類の「差別を受ける自由」を無邪気に擁護してはならない。
なので、どうしてもハイヒール・化粧をやりたい女性は、プライベートの時間にそれを楽しめばよいと思う。
もちろん会社や官庁ではポリコレに配慮して、差別的なファッションであるハイヒールと化粧を全面禁止にするべきだ。
そしてついでに、できればいっそのこと、女性たちは男と同じ程度の短髪にしてもらいたい。
女の特徴であるところの、あのチャラチャラした、あのナヨナヨした格好を改めるべきだ。女にああいう格好をさせる文化・風習こそが女性差別であると思う。
まずは外見から男と同等にならねばならない。むさ苦しい姿になることで、威圧感が増してナメられなくなるし、はじめて男女平等を達成できる。
オシャレの放棄、これはおそらく当事者である女たちが最も嫌がることだろう。
しかし、政府の主導で、上から強権的に改革するべきなのである。
(※現実感のない話ですが、筆者はわりとマジメに主張しています。)
http://anond.hatelabo.jp/20170515181109
はてなブックマークの数が伸びまくって、これほど反響があったことに驚きました。
補足解説を書きましたので、詳しいことはそちらをお読みください。↓