はてなキーワード: 薫陶とは
暇空茜が堀口英利に侮辱され訴えていた件は、被害者である暇空の訴えが棄却されるという不当な結果に終わった。
一方的に侮辱された後で暇空は堀口に多くの反論をしたが、反論の数が多すぎるために最初の堀口の侮辱が相殺されるという奇妙な判決だった。
それでは、「殺すぞ」と言われて「イヤイヤやめてやめてやめて」と言えば、「殺すぞ」より長く多く話しているので相殺されるという理屈になる。
そんな道理が通るはずがない。
藤岡は裁判官になる前、弁護士を務めアストレア法律事務所勤務だった。
アストレア法律事務所代表の青木信昭は、かつて東京法律事務所に勤めていた。
http://www.astraea-law.jp/index.php?%E9%9D%92%E6%9C%A8%E4%BF%A1%E6%98%AD
https://www.tokyolaw.gr.jp/60th_site/history.html
この東京法律事務所、悪名高き自由法曹団に与する、カルピスの集まりとして有名なところだ。
http://www.jlaf-tokyo.jp/danin_katsudo/kakujimusho.html
判決なんてどちらが勝つか五分五分なのに堀口が「傍聴にきてほしい」などと勝利を確信していたのが怪しかった。
あれは裁判長がカルピスで、「あなたを勝たせますよ」と事前に教えていたからこその余裕だ。
完全に裁判長と堀口がつるんでいる。
そもそも、裁判官は多くいるのに何故カルピスが裁判長に選ばれたのか。
やる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらない
みたいな言葉があると思う
この言葉が使われるときと言うのは、大概他人の人生への提言や薫陶などが行われている場面だ
しかしね、考えてみて欲しいのだよ
やる奴はやるんだ
やる奴に下らねぇ提言なんていらねぇんだよ
紹介されるのが、【やればできそうに見える事】だからなんだよな
ちょっと冒険してみようか、そういう奴を食い物にする商売沢山あるよな
けどさ、脱サラで「あなたも食パン」とか「あなたも餃子」とか「あなたもタピオカ」って話があったら、絶対にケチつけるだろ?
やる奴はやるし、やらない奴は死ぬまでやらない
なんて話にならねぇで
止めとけってなるはずなんだよ
現実的な話が出てきて、勝算あるのか?ってなる
それで食っていくことの大変さ、門の狭さは容易に想像ができる
けどな
https://note.com/keitauehara/n/nb8472b76c497
(この漫画の是非には触れない)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/keitauehara/n/nb8472b76c497
29歳だから言える みたいなコメントしてるやつはどうせ29歳でもやれないやつだろう 65歳からケンタッキー創業したカーネルサンダースを見習いたい(私が)
漫画家になるかどうかじゃねぇだろ、心意気の話だ
みたいにずらす奴も出るだろうが
それこそ「そういう話じゃねぇだろ」って奴よ
下手したらゼロだ
漫画家になれたから脱サラしたって奴のうち、何人がそのまま漫画家でいられるんだろな?
こういう煽り話をする時
サロンなんかでは好意的に受け入れてもらえるだろう、自分を全肯定してくれる甘言だからな
そうでないなら、安全弁として職は維持しろみたいな提言であるべきだ
漫画家(その他在宅ワーク)が形になったからと言って安易に現職を辞めるなと言うべき
やる奴はやるのだ
他人の【甘言】に後押しされないと出来ない奴は辞めるべきだ
この起動修正の投稿が、フランチャイズのコンビニ経営を勧めてても
同じこと言うのかね
ケチつける奴はノーチャンってさ
先週展示会を見に幕張メッセまで行った。喫緊の課題はないがコロナの間キャッチできなかった業界の流行を少しでも感じられればと半ば物見遊山であったが、久しぶりにコンパニオンのちゃんねーに声掛けられて就活以来だなと少し昔を思い出して懐かしくなったりもした。
その頃は何か気恥ずかしくて興味ある企業に声を掛けることもできず、行っただけで帰ってきたので企業主催の説明会に直接出向いたりするスタイルに切り替えるきっかけになったが、その分数を打たなかったことが結果には繋がらなかった。ただ、そもそも働いて何するのかもよく理解できていなかったし積極性の欠如や理解力、注意力の乏しさからどの道、第一志望は難しかったかもしれない。
その後、たまたま拾われた企業で学歴による贔屓を受けて幹部ルートの職歴を付けてもらい各上司の薫陶やイベントもあり経験と知識と判断力だけは磨かれた。中小企業あがりらしい現場感のある幅広く業務を知っているタイプといって通じるだろうか、東プラにいる専門性で勝負するのとは違った味わいがあると自負している。
自分語りが長くなり過ぎたが、久しぶりの幕張メッセで後ほど合流した上司と部下とこんな機会だからと海浜幕張駅付近で飲みに行くことにした。
そういった役回りが期待されるキャラクターなので飲みに行く話もあったので事前に海浜幕張周辺の情報は下調べしていた。折角ならチェーン以外にしようと、まず私のいい飲み屋の探し方である「海浜幕張 酒場放浪記」および「孤独のグルメ 海浜幕張」で検索してみたがヒットせず、次に「海浜幕張 穴場」で検索してもホテル内のレストランが出てくる程度、これはちょっとおかしいと思い内心やや焦り始めてGoogleマップで丹念に飲み屋のレビューを検索してみたら、どれも酷い酷い酷い、どれも表面上、まともなレビューはあるもののいくつか掘り下げるとすぐに接客が〜、料理が〜、値段が〜と低評価ばかりである。
いや、どんなにいい飲み屋でも悪いレビューはあるものだし、もうそういったものは無視してある一店舗に狙いを見定めた。
ビルに入る前から嫌な予感はしていた。四時にビル前にキャッチがいてビラを配っている。今の時代にそんなことする??? 歌舞伎町かな、と思ってしまった。あまりにもその兄ちゃんが元ヤンの雰囲気しかなくチラシを受け取りながらビルに入ると、何か匂う。。。まだ多くの店舗が開店前だからとはいえこれは適切な排水処理がされていない飲食店群の放つあれである。匂うからその上に消毒効果のある薬剤を撒くことで匂い自体が固着するアレ。
入店後のことは長くなるので箇条書きするが、
・三人で入ったのに席に置いてある四人分の取り皿をひとつ下げない
・焼き餃子がパリっとしてなくて芯がある固さ一度(焼いたものを解凍してる)
いやほんと久しぶりに飲みに行ったのに上司と部下に申し訳なかった。私たちが退店させられたあと予約客が続々と入っていくことから人気店ではあるのだろうけれど、彼らはリピーターなのだろうか。それとも、私たちのような展示会関係の一見さんなのか。
で、ここでようやく本題なのだけれど、海浜幕張周辺にまともな食事スポット、飲み屋は存在しないということでOK?
あるなら次行く時の参考にするし、お前の探し方が悪いんだって罵倒して欲しい。しかし、私のレーダーに反応するのは有限会社〜みたいなところくらいで、そこも駅から微妙に離れているため利用できなかった。なので、イ◯ンや富士◯の社員やロッテファンのかたが普段どこ行くのか興味がある。諦めて千葉に出るのだろうか。
いやしかし、私も一時期内房線沿線に住んでいた身として言いたいのだが、千葉から君津にかけてそれなりの人工集中地帯があるにも関わらず、まともな名物や有名な食事処がないという事実は毅然として存在していいだろう。
他の地域に行けば、名物と呼ばれる美味しいものや、なかったとしても金さえ出せばそれに見合うだけの美味しいものが食べれるものであるが、こと内房に関してはそれがまったく見られなかった。食に関する文化というものが育つだけの素地というものが存在していないのではないか、というレベルで。
歴史をわかってないな。
団塊ジュニア世代はゴリゴリの日教組教員の薫陶をどっぷり受けた世代だよ。
学校行事で君が代歌うなんてけしからん!という教員にそうだそうだと従った世代。
高校生の頃(1989年)社会党が消費税廃止を公約に参院選で圧勝。土井たか子が「山が動いた」と言って話題になった。
だから本来団塊ジュニア世代はリベラルだったし、後には自社さ連立政権もあって今よりもっとリベラルな空気が世間を支配していたよ。
バブルは弾けて未曾有の不況。自分たちは就職氷河期第一世代となるが、何の救済もされず「自己責任」とされた。
バブル崩壊後の1994年に社会党の村山富市が首相となったが、彼らが政権をとって何をやってくれた?
公務員や教員すら採用を絞り、人口ボリュームが多い団塊ジュニア世代をただ路頭に迷わせて見て見ぬ振りをした。
結局リベラルは口だけで実行力などないのだ、
政治に期待するのは間違っている、と、その時点で見限ったのだよ。
こういう論ってどういう理路で男のせいって言ってんの?
さすがに男が「グヘヘ、女服のポケットを減らしてやるぜ〜」とやってる陰謀論を信じているとは思ってないけど、女服のデザインはほとんどが女性デザイナーが行なっているわけで、男のせいにはなりようがないと思うんだが。(まさか女性服のデザイナーも男のほうが多いなんて言わないよな?)
ありがちな発想としては、ファッション業界自体が「女性服は身体のラインがはっきりと魅せるデザインが優れている」という方向に男によって操作されている、という考えだけれど、これにしたって直接文句を言うべきは、そうしたファッション業界の薫陶を受けてデザインをしてしまう、名誉男性デザイナーたちに言うべきじゃないの?男によって洗脳された彼女たちの目を覚させてあげる方向に動いたほうがいいんじゃないのか。
冷蔵庫の件も似てるが、「女の大半はこういう商品を望んでいるのに、それが主流になってないのは男のせいなんだ」という陰謀論を無根拠に、少し考えればおかしいことに気づいているはずなのに、盲信的に支持している女が割と少なくない数いることに驚いている。
対戦おつかれさまでした。対戦増田に対してもいろいろ思うところはありますが、ひとまず増田という私が観測できるところでヨッピーの意見を引き出してくれて感謝しております。
対戦を通して勝手に認識したことは、ヨッピーは無敵の人だったんだということです。
(あ、この増田はトーンポリシングなのでまともな意見はないです。個人の観想です。冒頭語りかけている感ありますが独り言です)
ここでいう無敵の人は「失うものが何もない人」ではなく、文字通り「負けない人」の意です。
ヨッピーは負けません。最強です。無敵です。なぜなら、ヨッピーが負けないようにしているからです。ヨッピーが負けないように文章を書いているのでヨッピーは負けません。
謝罪そのものが叩かれるのではなく、謝罪の前にある「やらかし」が叩かれるんですよ。貴方も見てりゃわかるだろうけど、はてブには、僕に明確な憎悪を向けてあれこれ言ってる人達がたくさんいるのはわかるよね?
そういう人たちはずーっと手ぐすねひいて僕がやらかすのを待ってるのよ。特にやらかしても無い事ですら適当に捻じ曲げて解釈して「やらかした!やらかした!」って延々粘着してくる人がくるのよ。今回、ひとりはしばきあげたけどさあ。
「やらかし」たら(著名ゆえ)叩かれるから、慎重に、丁寧に文章を紡いでいるわけです。危険を認識しているし、ライターである自負と能力があるのでしょうから、ヨッピーは自分の文章にとても自信があることと思います。
とはいえもちろん人間なのでミスは生じますが、ダメージコントロールがお上手で、譲れる、致命傷ではないと思われるところは譲ることで誠実な印象をもかもしだしています。
「あ、これは確かに書き方がまずかったな」って思ったら普通に謝って訂正して追記したりしてるよ。発端になった奢り奢られの記事読んできなよ。ホストうんぬんの所で追記して謝ってるから。基本的にはそのスタンスだよ。
でもヨッピーはやらかしてはいけない無敵の人なので、コアな部分では間違いません。今回も長い論争をしているようで実際はひたすらはてブと空中戦して「さようなら。奢り奢られ論争。 」の内容を譲ることはしてないかと思います。
もちろんヨッピー視点で意を翻すべき意見がなければ不動で問題はないです。真剣に慎重に考えた刀でもってテッキトーに考えた100文字以下の意見をバッサバッサと切り捨てることは容易なんでしょう。
まあ、でも、そういう人って態度に出るよね。と。
今回、自覚があるというとおり、ヨッピーはかなりマッチョだった。うすうす感じていたけどもう本人がそういっちゃったからマッチョ。どれぐらいマッチョかというと
いいよ。全然いいよ。完全無欠で良いよ。これはもう、更なるヘイト買いそうだからあれだけど、僕が普段飲んでる仲間って、事業やってる社長とか売れてる漫画家とかそんな人達が多いし、もちろんまだ若くて収入が高くないサラリーマンの人が混ざったりしてたらその辺は奢ったり勾配つけるよ。こっそりLINEとか送ってきてくれたらその仲間連中集めてグループ通話しても良いよ。そんでそこで僕の「仲間」に聞いてみてよ。
ぐらいマッチョ。ヘイト買いそうと書いてるのですごくヘイト稼いだよ。と書いておきます。そしてこういうヘイトがいくら来ようが(ほぼ)ノーダメージで振舞える立場にヨッピーは行ってしまった。いやめちゃくちゃレスバしてはてなに怒ってるでしょと言われそうですが、あれらもただの薫陶ですから。愚かな我々(はてな民とか)にイライラしてるだけ。ヨッピーの正しさが誤読だろうとスタンスの違いだろうと伝わらない(伝わらず噛み付いてくる)ストレスなだけではないかと思います。ヨッピーはギリギリ過去から培ってきた誠実さとか何がしかがあるのでこうやって下々の我々に反応してくれてるだけで、他のヨッピーの仲間のような人は無視してます。してるんじゃないかな。
そんな人の考え、言葉、文章って私のような一般人未満にはどうしても鼻につくもので。それこそ俺様社長や独特の創作術がある売れてる漫画家やなんなら切り込み隊長やひろゆきとか、「確信している人」の書く文章と似た匂いがここ数年のヨッピーから漂っていて、私の勘違いかな?と自分の鼻を疑っていたところにご本人からそうだよ俺が匂いの元だよと言われた思いです。
そんなヨッピーに届けたいわけではなくて、ただただ私の胸の内で投げかけているのですが、「ヨッピーは上に行ってくれ」と思っています。ヨッピーの記事で見てるのは失礼ながらはてブで話題になるものが多いです。そして改めて振り返ると、ヨッピーは読者に投げかける(問いかける)ような文章が多いな、と思いました。文体なのか構造なのか、硬柔で言うと柔に属する文章だと思います。だからたぶん、ある程度の読者はそれを受けて自分の考えを発信してみたり疑問点を書いてみたりしやすいのかと思います。でも文章は柔でもヨッピー自身はやらかしできない「硬」なのでミスマッチが起きます。雰囲気的に問われて問い返せるかなと思ってはてブやツイッターから一方的な(なのは確かに構造に問題があるけど)キャッチボールを投げてみてもバチバチ跳ね返されるだけ。(ホストのような正誤以外で)多分ヨッピーには響かないしヨッピーはストレス溜まるしで不毛ですよね。
これを回避するのは簡単で、今回のような問いを発するかのような(印象を抱かせる)文章を書かないことかと思います。いやいや口を閉じろと言いたいわけではなくて、ヨッピーにはかなり確度が高い自論があるのですから、もっと大上段にバッサリ、他者を寄せ付けないような文章で自身の思いをゴリゴリゴリゴリ押し付けていく文章のほうがよろしいのではないかと。有能なライターなのでそういった文章を書けるでしょうし(有能なライターなのでワザとそういった文章を書かないのでしょうが)、もっと自身と近しいお仲間のような文書を書けばいいんじゃないかと勝手に思っております。アドバイスじゃないのでただの脳内遊びですけど。
それでもはてブはまだまだウザ絡みしてくるのは明確ですが、それでも「ヨッピーがそういう人」であることは最初からもう少し伝わりやすいんじゃないかなと。
ネットで怖い論争なんてせずに、これまでのキャラをベースにサクッと"いろんな世代に奢り奢られについて聞いてきた!"みたいな記事をあげて、その中で奢られるのが好きな女性もいれば苦手な女性もいる、奢って当然派の男性もいれば、奢るのは女性に失礼だと思ってる男性もいる、といった感じで様々な考えを紹介して"多種多様な考え方があるんですね!"みたいにまとめれば良かった話ではないんだろうか。誰も傷つかず社会の役に立ちヨッピーの株も上がりヨッピーの感覚もアップデートされるような記事を彼なら書くことが出来たはずなのにな、と残念に思う。
誰も傷つかず社会の役に立ちヨッピーの株も上がりヨッピーの感覚もアップデートされるような記事を彼なら書くことが出来たはずなのに
こういう人が居るし自分も最近までやっぱりそんな印象をなかなか捨てきれていなかったのですよね。
まあ、今は変わってしまったヨッピーを認識できてない人が多いだけで今のままをずっと続けるだけでもそのうちわかってくれる人だけが残ることかと思いますけど、傍目には不要な苦労を背負ってるなと感じました。以上です。
最近は印象の反発が起こってるかも。もともとオモロイライターで認知してきたヨッピーがだんだん加齢や地位によってオモロさがなくなって失えない人のマッチョさが全面に出てきてるのよね。これが初登場からマッチョだったらそういう人で受け入れられる。だけど身を投げ笑いを生んでくれた(と思っていた)人がこうなると他の人のスタートラインのはるか手前、マッチョの反対のオモロからめっちゃ助走をつけて突っ走ってるように映る。ヨッピーにしたら本質は昔から変わってないのかもしれないけれど、どうしても変節に見えちゃう部分がある。それこそ6年前のPCデポですらこの前みたいに思っちゃう人が居るはてブなら急に、極端に変わったと思われてもしかたないのかも。つまり私もPCデポよりもっと前のオモロかった時の印象を引きずってたから最近(が数年になってしまう)の振る舞いにモヤモヤしてしまっていたんだ。
うすうす感じていたけど見ない振りをしていたヨッピーの変化。地位か名誉か守るべき家族か仲間か金か。ライフステージの移ろいによって、もう負けられない、負けない自分や地位ある仲間らを身につけたヨッピーを受け入れるしかないのだ。ただのライターではなくてイケイケでオラオラ、マッチョな企業家や社長といった人種であることを受け入れる必要があるのだ。私がオモロイライター、ヨッピーから卒業するべきなのだ。
さよならするのはヨッピーに対してだ。「さよならヨッピー」ヨッピーに論争をふっかけるべきではない。「さよならヨッピーとの論争」いやふっかけてもいいけど、多分不毛だよ。ヨッピー負けないから。
先の日曜日、(もう怒られる表現なのだろうが)妻の家の掃除を手伝っていた。
妻は大層しっかりものの人物できっかりかっちり物事をこなしてくれてとても助かっている。
私はどちらかというと陰キャオタクでぐーたらだから。妻は明るくもある。
本題。
何回しゅこしゅこしてもらめぇもうでないよぉな状態になったのでプラスチックゴミの袋に捨てた。
妻曰く「洗剤の容器を洗ってから捨てなさい」と。
私もゴミ捨てのルールは記憶していた。確かにプラスチックゴミは「汚れを軽く洗い流して捨ててください」と書かれている。ひどい汚れ付きは燃えるゴミだ。
このスプレーボトルの内部に付着しているのは洗剤だ。洗剤は"汚れ"ではない。仮に汚れだとしたら汚れで汚れを落とすことになるよね。と反論した。ついでに口が滑って「それは血で血を洗うような不毛なことだよね」ともにやけながら言ってしまった。書いていてもわかるがこれはとても余計な発言だった。思いついたら言ってしまった。
それに対しては妻曰く「捨てる段階での付着物は汚れである」。"食べ物"が"汚れ"になる瞬間と"洗剤"が"汚れ"になる瞬間は等しく同じなのかな?と私は理解したし、少し得心もした。
ではと「仮に洗剤が汚れであったとしても、それは許容範囲の汚れである。ゴミのルールも完璧な洗浄を求めていない」と。これも振り返ると争点を下げると言うかずらすというか。とにかく日常、トレーの油感などは完璧に拭わないし、さっと水で流す程度の洗浄をよしとするならば"洗剤"は"汚れ"であっても"許容できる汚れ"ではないかと。
私だってボトルに満杯の洗剤が入った状態でプラスチックゴミに出すようなことはしない。捨てるなら排水溝に中身を捨てるか今回のように使い切ってから中を洗わずに捨てる。きっとそうする。軽く振って垂れきらない水分はOKだろう。
だがこれも却下された。
「洗った結果の残留物は許容できるが、君はすすぐことすらしていない」
汚れは結果だったのだ。妻が汚れを受け入れるためには水で流すという努力が必要なのであった。そう、妻は洗剤が汚れかどうかのレベルを争ってはいなかった。私が容器を洗うという作業を手抜いたことが違反だと言っていたのである!
はっきり申し上げれば私は無駄な作業が嫌いなのです。地域でゴミの分別が甘いご家庭があることも汚れたプラスチックゴミを出すご家庭があることも存じています。そういった中でプラスチックのリサイクルにはおそらく洗浄のプロセスもあるでしょう。その中でボトル一本の表面についた中性洗剤の存在感たるや…。ひとりひとりが頑張らなければならないけれど、ひとりが完璧にこなしても全体は絶対に完璧にならない。そういった世の中のいろんなことに頑張ったり妥協したり生きていくわけです。
今回で言えば洗剤のボトルを洗うことは私にとっては無駄でした。無駄なことはしたくない。ああしたくない。徒労な口論をしてでも無駄な作業はしたくない。
ただただ妻とはOKライン、妥協ラインが異なる、いえ私が妻よりずぼらなだけなのですけれど。そういったことが今回の問題なのでした。
結末としましては私が折れて容器を水ですすいで捨てました。
私もとっても頑固な男です。自分の領分では自説を絶対に曲げないでしょう。それがわかっているから。ここは妻の領分であるから。私が折れました。
わかったことは今回の点では妻とはいろんな面で考えが合わなかったということ。妥協点が見出せなかった点が残念。嘘。本心はまあ論破できなくて自論を通せず残念とかでしょう。しかたない。私はそういう人間だもの。
あーだけど多少の洗剤ぐらい洗いたくないよー!洗濯用の洗剤ボトルも洗ってるのかよー!だるーい!
追伸
世間でいう麦茶やトイレットペーパー少し残す人間みたいに私も「洗剤ボトル少し残す人間」になるかもしれない。
たぶんならないと思う。
ならないんじゃないかな。
ホームレス死ね発言でメンタリストDAIGOって奴が絶賛炎上中だが、意識高い系不労所得民なんて生き方してる奴のテンプレみたいなもんだ。
10年前にその一歩先のホームレス殺人を唱導して名を馳せたAutomatons Hacking Guideというはてな日記があった。
ブロガーは「華殉」というビジュアル系っぽい名前を付けた自称東大卒国内一流会社勤務で大学院に通う20代後半という設定の男性。平成初期のトレンディドラマの設定みたいな生活をする人がこの世には居るんだね。
「Automatons Hacking」のAutomatonはオートマタとも言い自動人形のこと。原爆とコンピュータの父、ノイマンが提唱したセル・オートマトンという概念があり、これはそのままライフゲームのアルゴリズムなのだが、フランス現代思想が流行するとこれら情報科学の概念を借用してこねくり回す議論が流行した。
その過程で個人を特定アルゴリズムを持って社会的活動をする自動人形と扱う社会学的手法などが出来た。この辺まではAIの自動学習のベースでもある。
するとこれが人文系に逆輸入されて罵倒や見下しに使われるようになる。自分で考え経験してアップデートし続ける人生を送る人間じゃなくて、与えられたアルゴリズムに社会的入力(引数付き関数)を与えると安定した反応を出す人形として扱う。それは群衆のアナロジーでもある。群衆に属さず上から俯瞰する観察者が自分だ。だから「俺は他の大衆とは違う」と思いたい意識高い系の若者はこのソーカルにコケにされたポモの概念無断借用的な考えに靡きやすい。
ビジュアル系みたいな名前でトレンディドラマみたいな生活を送る華殉は人文家ポモの薫陶を受けている事が判るね。
ハッキングはコンピュータハッキングの事だからこのオートマタに普段の処理とは違う入力を直接与えて愉快犯的に恐慌状態にしたり自分の思うままに操縦する事を表す。
おや?メンタリストっていうのに似ているね。やってる事も知的スノッブの基礎もフォロワーを釣ったり釣られたりする部分も。
オートマタハッカーを名乗る華殉だったがかなり誠実な性格だった。自意識に。
実存の強さ、自意識の高さ故に「群衆の俯瞰者」に惹かれるのであるから自意識に誠実なのはありがちだ。
例えば
・批判されてメタから見ている姿勢は崩さないが相当数のレスをする。
・「安全地帯から言うだけで実際には殺せないだろう」と挑発され熱くなり「自分は実際ホームレスを殺す」と言ってしまう。
・ブログ副題に「〇〇劇場」と書いていたのだが、ホームレス殺人エントリなどで風呂無駄氏にはっきりと拒絶を受け、直後に外してしまう。
・Twitterで「痛い」ツイートをした直後に「ちんこまんこちんこまんこ」というツイートを十数回して流す。
そういえばメンタリスト君も動画の炎上コメントを数百個削除しているようだ。コメントが数百になると閲覧も大変なのに熱心だよね。
華殉はそもそも最初はgoogleの開発がどうとかアップルの製品哲学がどうとか、ニーチェの超人がどうとか、今では意識高い系のテンプレみたいな事ばかり書いていた。でもPVが伸びなかった。そこに「ホームレスの人権なんて行使される事も無い状態だろ」佐川ニキ「ホームレスに人権無いとかいい年してバカじゃねーの」という誤解みたいな論争があり、そこにホームレス殺人エントリで割り込みPVを浚ったのであった。
こんな華殉だったが最後はギーグ精神論的なものにシフトしてフェードアウトしていった。ホームレス殺人や偽善批判などの挑発的エントリから手を引いた理由は増田が見たところ以下による
善への挑発をしたらはてなのリベラルが直情的にひどいと吹き上がる反応をする事を期待していたがネットには宮勤め以外の人間も居り特に不良の経験を持つ人間は喧嘩慣れしている。更にポモ以前の思想の素養がある人間は同系の人間の実存をむき出しにして効果的に怒らせ誘導する術を持つ。これらによって「劇場」が状況劇場になってしまい、実存を開陳しすぎ、刺さり過ぎた。思想系の人間が実存の剥き方を知っているのは自分がその動機(実存のカバー)で思想なんてものに惹かれているから。
・自分への賛同者に底辺のテンプレネトウヨみたいなのが多かった。
ニーチェ援用したりしてるのにルサンチマンで歪んで挑発されると安定した出力する連中に擦り寄られたら立場が無い。というかなまじっか思想なんてやってるので羞恥心で「あ゛あ゛あ゛ー」となる。同意されて懸命に距離を取りたがる姿は侘び寂びが漂っていた。でもこれは華殉も悪くて過去エントリやTwitterではテンプレ的なデマや「自分の税金が外国人の生活保護に吸われて」みたいなテンプレを良く書いていた。そもそもそれってニーチェのルサンチマンそのものじゃね?
子供の主体にとって世界は暴力であり規範を強制してくる装置だ。特に「若者」になり大学や院に進むと知で征服した自分の世界と隷従を求められる外の世界の格差は大きくなる。オートマトンハッキングとメンタリストの行動が似ているのは共にこの需要を相手にするものだからだ。
てっきり平安時代あたりの宮殿を守る兵士とかから生まれたとか妄想してたわw
あ~しらなんだ♪しらなんだ♪
柔道創始
1874年(明治7年)、育英義塾(後の育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学。1877年(明治10年)に東京大学に入学した。東京大学時代には中村正直や三島中洲に漢文学を学び、渋沢栄一の経済学の講義を受け、またアーネスト・フェノロサの薫陶を受けその指導の下、政治学、理財学(経済学)、哲学、道義学(倫理学)、審美学を学ぶ[3]。また1878年(明治11年)には漢学塾二松學舍(後の二松學舍大学)の塾生となる[4]。しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時で柔術は軽視され、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流の大島一学に短期間入門するなどした後、天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。この時期の話として、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。
1879年(明治12年)7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて7月3日から来日中のユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。8月、福田が52歳で死んだ後は天神真楊流の家元である磯正智に学ぶ。
1881年(明治14年)、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。磯の死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになる。柔術二流派の乱捕技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作る。
1882年(明治15年)、下谷北稲荷町16(のちの台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁・将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。
むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おばあさんは環境にやさしい洗剤を持って川へ洗濯にいきました。(以前は宮本製作所の「洗たくマグちゃん」を使っていましたが、消費者庁からの措置命令をうけやめました)
おばあさんが洗濯していると、川の上流からどんぶらこどんぶらことおおきな桃が流れてきました。
おばあさんは桃をもって帰り、おじいさんと食べようと割ってみると、中から男の子がでてきました。
子供がいなかった二人は大喜び。男の子を桃太郎と名づけ、どちらの姓にするかを相談しました。
割った桃は村のリサイクルセンターへ持っていきました。回収された桃は洗浄されたうえで再利用されるそうです。お金も少しもらえました。
二人は行政の支援を駆使しつつ、村の住人たちとも連携して質の高い教育と健康的な生活を施し桃太郎をすくすくと育てました。
あっというまに大きくなった桃太郎は、最近村人を困らせている鬼を退治しようと決意し、鬼ヶ島へ行くと言いました。
旅立つ桃太郎へ、おばあさんは「飢餓で困っている人、あるいは陸上生態系の保護、回復および持続可能な利用の推進ならびに生物多様性損失の防止などにおつかいなさい」とおじいさんと一緒に作ったきび団子をもたせました。
桃太郎は旅の途中、レズビアンの黒い犬とゲイの白い雉とトランスジェンダーの黄色い猿をきび団子で仲間にし、自分はどの性も恋愛対象だなあと気づいたりして仲良く旅を続けました。
鬼ヶ島についた桃太郎たちはざっと島を見回し、169体の鬼をターゲットにしました。
質の高い教育と健康的な生活を受けた桃太郎はとても強く、仲間への指示も明瞭であっというまに鬼を退治してしまいました。
「アイタタタ、まいりましたこうさんです」
「どうして村の人たちに迷惑をかけるんだい」
「昨今の金属価格の上昇をうけ回収業だけでは飽き足らず目に付く金属を窃盗しておりました」
それはいけないと桃太郎は鬼たちに滔々と説教し、薫陶を受けた鬼たちと17の目標を設定しました。
そして桃太郎は鬼たちが回収した廃品から分離した金や銀やレアメタルを持ち帰りました。
村人は大喜び。おばあさんとおじいさんも桃太郎が無事に帰ってきたことを喜びました。
桃太郎たちはその後、3人と3匹と世界中の人たちと一緒に平和で公正な世界のために持続可能な努力をはらいつつ楽しく暮らしましたとさ。
めでたし
めでたし
入学式前のオリエンテーション日、パ長が用意してくれた他大合同の飲み会で喋った女子。(会場はクラブだった)ロッカーに使う小銭を借りた縁。お姉さんがモデルで半分芸能界に住んでおり、そっちの世界を知るきっかけになった。筋トレをはじめたのはこの人の命令。褒め語彙がとても豊かな人でそこは相当薫陶を受けた。
大学の寮(のようなもの)のウェルカム会で隣席した子。父子家庭だからか映画と洋楽に詳しかったのでレコメンドを片っ端から一緒に試して感想を交換するうちにつきあう流れになった。大学初彼女。母親以外で初めてちゃんと看病をしてくれた子。というか母親より圧倒的に看病がうまかった。
友達の友達が住んでたシェアハウスの鍋パに来てた子。美大生で写真系アーティストのたまご。グルスキーの話題で盛り上がったのと、その子の持ち込みのケーキが美味すぎて笑ってたらまたつくってくれた。サプライズが大好きで、街中でパイまみれにされたことがある。
友達が主催した震災ボランティアの仲間。看護学生だったので子どもの頃の大病の話を車の中で打ち明けたらポロポロ泣き出して、何故か俺までむちゃくちゃ泣いてしまった。笑顔のボキャブラリーが俺の100倍くらいある。ある日父親のマセラティに乗って現れたときはギャップにくらくらした。
俺が幹事を務めてた勉強会に参加してくれた子。ダンスが得意であちこちに踊りに行っており、某夢の国の裏の裏を面白おかしく語ってくれた。家族に愛されて育っており、両親の切り盛りする食事処に招かれた機能不全家庭出身の俺は初めて「家族を持つってこんなに素晴らしいことなんだ」と思えた。
友達と俺で互いの仲間をあつめた大規模旅行を企画したときに来てくれた子。超博覧強記な編集者で、ありとあらゆるものを解説出来そう。こんなに素直で本音しか話さない人初めてだって言われたのが忘れられない。一日中佐倉の美術館で過ごしたことがある。アンナの光は素敵だった。
友達の結婚相手の友達。ふたりのハワイ挙式の前に連絡を取り合って、一緒に人生初サーフィンした。お互い結婚する友達のことが大好きすぎて惚気倒しで夜を明かし、ハワイも朝は割と寒いと知った。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%8E%9F%E9%80%8F%E8%80%B6
立原 透耶(たちはら とうや、1969年2月8日[1][2] - )は、日本の小説家、翻訳家(中国語)、北星学園大学文学部准教授(中国文学)[3][4][5]。2000年までは立原とうや名義を使用していた。本名は山本範子[6]。
1991年、『夢売りのたまご』でコバルト読者大賞を受賞する[2][4]。翌年コバルト文庫からデビュー。ファンタジー、ホラー、怪談などを執筆。日本SF作家クラブ会員。王晋康など中国SFの翻訳も行う。
立原透耶『拡散希望』|北海道ミステリークロスマッチ|note
ネタバレ前提で語るので、できればリンク先の作品を読んでから進んでもらいたい。短編なのですぐ読めるだろう。
猫かと思ったら人間で、人間かと思ったら猫(又)だった、というミステリとしてのオチ部分は別にいい(正直この叙述トリックもそんなに上手くハマってない気はするが)
俺が気になったのはこの小説で、犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人が描かれていることだ。
犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人を描いて何か悪いのか?ただの小説だしヒョーゲンのジユーだろ!?という声もあるかもしれない。もっともな意見だ。
たしかに、犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人なんてものは、これまで小説でも漫画でも映画でも腐るほど描かれてきた。現実でも実際にこのまんまな事件が存在するかどうかは知らないが世間一般の感覚では、犯罪加害者家族やイジメ被害者や知的障害や引きこもりや動画配信者や独身男性は犯罪を犯して当然の存在であり、フィクション内で描かれる彼らの女児誘拐監禁レイプ殺人も、何の違和感もないごく自然なイベントの一つでしかないのだろう。
だからもし作者が、大衆の感覚に迎合するようなスカッと露悪エンタメとしてこの作品=犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人を書いたつもりなのであれば、それはまあそういう需要もあるよねと納得はできる。売文稼業も大変ですねと労ってあげたいぐらいだ。
しかし、作者である立原透耶氏のTwitterを見てみると、過去にはこんな発言をしていることが分かった。
ttps://twitter.com/ttouya/status/987722368012316672?s=19
某テレビに出ている人が、ご自身のセクハラ被害など様々な不快な事を不快だと宣言された。しかしその方の発言により多くの方々が不快であると表明されている件についてはどう思われるのだろうか?間違った知識を広めたり、差別を助長する発言をされたりとか。被害意識はわかった。次は加害意識をぜひに
ttps://twitter.com/ttouya/status/988930817454784512?s=19
以前、わたしと同年代の独身女性が亡くなったとき、彼女を悼んだある女性が、あの人はちゃんと彼氏もいた、いわゆる結婚できない女ではなかった、まともな、素晴らしい女性だった、と言った。一瞬、悼む気持ちが吹っ飛んで目が点になった。判断基準が謎すぎる。
ttps://twitter.com/ttouya/status/988931421300375552?s=19
自称フェミニストの女性が、わたしに対して、何かあるたびに、結婚してない人にはわからないわ!子供を産み育ててないあなたには理解できないわ!あなたはしょせんその程度の経験値なのよ!と仰る。独身なら独身の、子供がいないなら子供がいない、そういう経験値を積んでいる。互いに尊重すべきでは?
ttps://twitter.com/ttouya/status/988932416608780288?s=19
わたしの年代で独身、子供なしだと、そりゃうもう罵詈雑言浴びせられまくっているわけで。若い頃は独身だから手頃に遊べる相手とみなされたセクハラが多く、一定年齢越えると、結婚できない哀れな人、問題のある人扱い。いやまあ変わり者だけどね、実際。でも言っていいこと悪いことはありますよ。
ttps://twitter.com/ttouya/status/988967869395316738?s=19
あー良くありますよね。独身男性にはゲイだろ!発言。側で聞いても不愉快です。その発言の中に何重もの差別が含まれていることに、なぜ気づかないのか。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1004857467312922624?s=19
亡くなった父は昭和7年生まれで、子供の時に戦争を体験して、周辺に死が当たり前のように蔓延していたのをいつも語ってくれた。だから戦争反対で言論や思想の自由を唱え、教育の大切さを常に主張、あらゆる差別に対しても猛然と憤っていた。さらに禁煙権も主張していた。つくづく新しかったと思う。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1004857961670250496?s=19
うっかり差別的な発言をしようものならこっぴどく叱られ、お前が言われる立場になったらどう思うんだ?と考えさせられた。専業主婦の母に給料を手渡す時には必ず、君が家庭をしっかり守ってくれているから稼げた、半分は君の稼ぎだ、と伝えていた。当時は本当に珍しいひとだった
ttps://twitter.com/ttouya/status/1045864270565539840?s=19
生きてたら87歳になる父は、わたしが幼い時から、娘さんをください、とか売れ残り、という言葉をテレビなんかで聞くたびに激怒して、俺の娘はモノじゃない!俺の妻もモノじゃない!女性はモノじゃない!こんなこと言う奴がもし来ても絶対に結婚認めないぞ!と吠えていましたが、父よ安心したまえ。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1045864786842374144?s=19
娘、ずっと独り身だからw
折に触れて思い返すけれども、亡き父は本当に差別とか大嫌いだったし、人はその人個人で判断せよ、という一本筋の通った人はでした。頑固な面もあったけれど、思想的にはとても柔軟で進歩的。わたしが大学院生の時に急死してしまったのが、本当に悔しい。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1048772034803560449?s=19
家庭内で女性差別がという書き込みをよく見るんですが、我が家は父と弟がたこ焼きやらすき焼き等担当し、さらに蟹とか面倒な食べ物はぜんぶ身を取り出す役目で、母が一番に、そのあとで姉とわたしがもしゃもしゃ食べていた。なので、一人暮らし始めたら、結構な確率で何もできないことに気がついた
ttps://twitter.com/ttouya/status/1048776023209197568?s=19
ちなみに生きてたら、今年87歳ですよ、うちの父。差別が嫌いであらゆる差別に敏感だった。私たち子供の何気ない一言にも、それは差別意識がある!傲慢だ!と叱ってくれた。こういう大人になりたかったけれど、わたし自身はかなり抜けてるので、頭がいい人にはなれず、器用な人にもなれず。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1099938651717300224?s=19
『ヒョンナムオッパへ』読了。作品として楽しめたのは後半二作でサスペンスとSF。もっとも激しい衝撃を受けたのは「更年」で、女性差別を実感しながらも男の子の母親として女の子差別する、娘がいるのに!その娘にはこれからの苦難を思って涙するという激しい矛盾
ttps://twitter.com/ttouya/status/1099939185115320321?s=19
韓国社会における根深い女性差別の実態が正面からぶつかってきて、息ができなくなった。読み終えてしばらく息ができなくなり、かなり精神的に落ち込んだほど。これは韓国だけの問題ではない。日本の、世界が抱える問題で、私の、私たちの問題だ。
ttps://twitter.com/ttouya/status/1165136503548203009?s=19
タクシーの運転手さんがいろんな意味で差別的な発言を繰り返すので、1つ1つ丁寧に反論した。一番ムカついたのは理由のない嫌韓、嫌中で、思わず「中国人の親友も韓国人の尊敬する友人もいます。どちらの文学も素晴らしいですよ!ご飯も美味しいし!中国はわたしにとって心の故郷なんです!」て言った
ttps://twitter.com/ttouya/status/1206575439310770177?s=19
そういや高校の時の人権作文の宿題で、古事記や日本書記における差別意識について書いたら、社会科の先生に呼び出され、同時はそのような考えだから仕方がない、それを差別というのはおかしいと懇々と説教された思い出が。もちろん当時も今も納得してませんw
ttps://twitter.com/ttouya/status/1247098426510036992?s=19
ttps://twitter.com/ttouya/status/1247104386179821568?s=19
なるほど、作家の基準で見ても、差別問題、特に女性差別や外国人差別には普段からかなり敏感な方らしい。「あらゆる差別に対しても猛然と憤っていた」御父上の薫陶のたまものだろうか。
いやいやいや……
ここまで差別問題に敏感なはずの作家が、高菜、食べてしまったんですか犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人なんていうステレオタイプを、何の注釈も留保も無しにストレートに書いてしまったんですか!!!!????
それは、なんていうか、さすがにマズくない?
この作品の中に何重もの差別が含まれていることに、なぜ気づかないのか!!!そしてこれを差別と意識されてない方も多いように感じます!!!!!ってなもんよ。
敢えて最大限好意的に解釈するなら、加害の連鎖がより弱い方に向かう問題や、たとえ弱者であっても成人男性と女児では決定的な非対称性が存在することを強調したかった可能性はある。しかしそれで「犯罪加害者家族でイジメ被害者でたぶん軽度の知的障害もある引きこもりで動画配信者の独身男性による女児の誘拐監禁レイプ殺人」の差別性が、完全にチャラになるような書き方をされているとは到底思えん。
ここまで露骨で極端なケースはなかなかないだろうが、反差別・リベラル・フェミ寄りな人々が、自分たちの認識できる「差別」の範囲から外れたところでは差別に加担していること自体は実はありふれている。たとえば、イジメ被害者が根性ひん曲がって凶悪な犯罪者・悪役になるというような展開は、「拡散希望」に限らず反差別リベラルフェミ的な作家でも平然と(しばしば揶揄的に)書くことが多いし、反差別リベラルフェミ的な読者も抵抗なく受け入れているようだ。
現実で実際そういうことがあるからそれを反映して書いているだけ、といった反論が予想されるが、それを言うなら外国人による凶悪犯罪なんかにしたって、現在の日本でも(件数や割合はともかく)普通に存在するし、世界全体を見ても一般的に移民が増えると治安が悪化する傾向がある(とされている)。それでも、外国人犯罪の脅威を煽るような内容は差別的であり軽々しく書かれるべきではない、という認識が反差別リベラルフェミ勢力の間では共有されてるんじゃなかったのか。俗悪なステレオタイプにタダ乗りすることで対象を追い込みただでさえ巨大な生き辛さをいっそう加速させるという点で、イジメ被害者、そして犯罪加害者家族や知的障害者や引きこもりの凶悪犯罪展開は、外国人犯罪と何が違うのか。
こういうことを指摘すると、反差別側だけが一方的に高い義務を課される不公平さが語られたりするが、さすがにこれは本当に反差別の側に立ってるつもりなら当然非難されてしかるべきレベルの瑕疵でしかないでしょ。守られるべき弱者と思う存分石を投げていい弱者の間に恣意的に線を引いておいて、反差別もクソもないだろう(まさか、犯罪加害者家族やイジメ被害者や知的障害者や引きこもりが「弱者」であることまでは否定しないよね?)
もしもここまで言われても自作の問題に全く気づけないとしたら、立原透耶氏は二度と差別について語るべきではないし、作家としても筆を折るべきだとすら思う。自らの加害性に無自覚な人間がプロ作家の立場で無邪気に反差別ゴッコを続けるのは、社会にとっては無益を超えてはっきりと有害だからだ。
立原透耶氏および「拡散希望」を無条件に公開した北海道ミステリークロスマッチには、猛省を求める。
(猛省を求めるというのは猛烈に反省してくれというだけの意味であって、作品の公開停止などを要求するものではない)
(この増田は、犯罪加害者家族でイジメ被害者で軽度の知的障害がある引きこもりで動画配信者で独身男性の女児誘拐監禁レイプ殺人犯によって書かれました)
思いついたことを書くだけ。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボール、スラムダンク、キングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?
成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。
元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。
具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造があやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。
次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏の強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。
中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味で感情移入できる人間はごく一部である。
その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公に感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。
中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公の漫画を楽しめるのは、他人事をフィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生もジャンプを楽しめるわけだ。
感情移入とはいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入がほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)
つまり、今の小学生はジャンプの主人公に感情移入できないのである。
ジャンプの王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生~中年のお兄さんやおっさんなのである。しかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間もいるかもしれないが・・・)
ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳戦である。コナンはアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。
また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君はスポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンもボールを蹴ることがある。
不幸なのは、スポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲットは食指を伸ばさず、結果としてスポーツものは非公認ソフトBLとして扱われることになった。
ここで鬼滅である。
炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。
主人公が普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。
炭治郎は無知な田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通の社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。
彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである。
不思議なことに、フィクション(特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。
主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである。
良い映画の主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的な命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。
それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。
炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。
インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。
今やネットによって全世界基準で自分の順位のようなものが何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。
「自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ。
今の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションはファンタジーに過ぎるのである。
一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公を応援する側にシフトチェンジさせる。
今の時代、大人も子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。
慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存の作品では大体理不尽な目にあってきた。
それがモブであれば理不尽に死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品の主人公はわがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。
炭治郎は、物語の最初の最初に理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。
炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)
その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョなジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさなど不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。
炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプの主人公が生まれたのである。
彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行は無駄じゃなかった」と涙する。いい話である。
アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由は他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームドキャラだったのである。
鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。
自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較論である。個人の趣味は置いておく)
男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたことしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である。
旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。
実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的な人間的成長のカタルシスを端々で見せるからである。ほわほわ
ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである。
伊之助は全く以て迷惑で嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。
顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。
一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである。
炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。
元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。
視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。
一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?
エロゲが一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか。
ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術を評論してみようとした
浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志や東浩紀がオタク文化評論をしてる。
一方で別の文脈でオタキングや同人誌における作品評論もあって、
彼らはフロイトの精神分析や民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように
指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって
50未満のオタクたちは、かなりのボリュームが存在しているであろうに取り残されている。
(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸や
最近のオタクはルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)
で、重要なのは芸術の評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラスの作業領域で
実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。
西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。
こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクストで
「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので
上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。
でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。
ここで登場するのが、大塚英志や東浩紀が薫陶を受けたポストモダン。
この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学や価値観より
マイナーとされた文学、価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。
「コーチおやじ」というものが存在する。主な生息地は動画サイトに若者が投稿した演奏動画のコメント欄で、そこによく出没する。
主な生態としては基本的にダメ出し。やれ「ピッチが」だの「モタる」だの「音の粒が揃ってない」だの具体的な計測方法のない切り口でダメ出しをする。そして主に若い女の子がギターやベース、ドラムを演奏している動画に現れては、そう言ったダメ出しをすることを好む。
(あと最近気づいたのは、街角で弾き語りをやっている女の子にも何やら延々と喋ってるおやじもよく見かける。これはダメ出しなのか何だかわからないが、腕を組み得意げに何やら喋ってる。女の子は片付けをしたいらしく困惑した笑顔で対応するのだが、彼女のその困惑には気づかず笑顔にだけ気をよくしてペラペラ喋ってる。CD-Rを買ってあげてるのかはわからないが買ってなさそうだ。)
またコーチおやじは、女の子が習得する楽器に関してステレオタイプの先入観を持っているだめピアノ、シンセ、エレクトーンなどの鍵盤楽器の投稿動画にはまったくと言っていいほど姿を見せない。そこにも稚拙な演奏が相当あるにも関わらずである。だからロック系の曲を演奏するギター、ベース、ドラム専門に出現する。とにかく女の子がこれらの楽器がうまいことを許せないのだ。
たまにそのダメ出しに対して誰かがコメント欄で反論をすると「批評も許されないのか」「慣れ合ってヨイショコメントしかしちゃいけないのか」的な開き直りを見せる。ひどい場合はコーチおやじのダメ出しコメントばかりが動画に並び、いつしか投稿主は動画を削除してしまう場合もある。
コーチおやじの本質、それは「尊敬されたい」「愛されたい」である。「なるほど!わかりました!これからも指導お願いします師匠!」と言われたいのだ。とっくの昔に現役でなくなってる、もしくは現役時代そのものが存在しなかったかもしれない自分にだ。空想の、虚構の、眩い白日夢はこの上なく心地よいのだ。また相手が女性動画主だったらあわよくばねんごろになりたいってのもあるって言ったら邪推し過ぎだろうか。
だがコーチおやじの願望が叶う日は決して来ない。なぜならば若者たちが動画を公開するときに期待するものは「賛辞」と「励まし」だけなのだから。コーチおやじの「尊敬されたい」「愛されたい」とは対極の、はるかに青く純粋な衝動だ。コメントでもっともらしいダメ出しなんかもらわなくとも、彼らは再生数という言い訳の出来ない評価と対峙することになるのだから。こういうとコーチおやじは「再生数がすべてなのか」と半笑いで反論しようとするだろう。そうだ、すべてだ。
ここまで読んだ人は気づくと思うが、俺がまさにそのコーチおやじだった。
ここは「だった」と過去形で言わせてもらう。何故ならば俺はその空想の中の自尊心を、よりによって自分の息子に剥ぎ取られ、丸裸な状態の滑稽な初老の男である自分を突きつけられ、激しい屈辱と自己嫌悪とともに目が覚めたのだ。「コーチおやじの滑稽さ」に。(ちなみに息子は音楽はやっていないのだが、どう突きつけられたかは本題とそれるので省略する。ただ、涙ながらに訴えられ目が覚めたとだけ言っておく)
80年代に成毛茂という70年代のギタリストがやっていた深夜番組は、その骨太の説得力に薫陶を受けた何人かの門下生が凄腕ギタリストとなり、副産物として有象無象の門前の小僧を生み出した。ようするに「薫陶」ではなく「受け売り」止まりの奴らだ。俺はまさしくこのクラスタの人間。
そして90年代から00年代にかけてE〇Pとかの音楽専門学校に入ったはいいが、バンドやるでもなく真面目に授業受けるでもなく、身に付いたものはと言えば出会い系サイトのサクラのバイトによる昼夜逆転の生活習慣というだけの奴ら。
両方に共通しているものは、何ら後進が手本とできる見本となる演奏音源や映像を残すことも公開することもなく(そもそも今で言うところの「なろう」だったので存在すらしないかもしれない)、ただ曲と楽器と半端な受け売りの楽典の知識だけを元に、投稿動画をあれこれ批評と称してこき下ろす。全員が全員そうだとは言わないがコーチおやじの本質はおおむねこれだと思う。
あのな、ご同輩。今は時代が違うんだよ。まず機材が違う。昔のようにMDやテープを何度も聴き直して音を拾わなくてもコピーができる。アンプだってライン録りで遜色ない音もできる。8トラックでピンポン録音なんてアホらしいことだってする必要もない。だけど彼らはそうやって楽になった分のリソースをどこに注ぐと思う?彼らはやっぱりその分純粋に練習に注ぐんだよ。彼らは試行錯誤の必要がない分まっすぐに練習するんだよ。俺たちよりも合理的なやり方で、何よりも当時の俺たちと同じくらいの熱意でもって。今の若い子たちの演奏が(女の子のそれも含めて)抜群にうまいように聴こえるのは錯覚じゃない。本当にうまいんだよ。
だから彼らが、あなた方やかつての俺がかすかに期待する「尊敬」や「愛情」をお前らに向けることは未来永劫あり得ないんだ。とっくに現役じゃないかそもそも現役だった時代すら存在しなかったおやじたちに。だからコメント欄で偉そうなダメ出しするのはやめよう。気に入ったらlikeをクリックして、気に入らなかったらdislikeすらクリックせずに二度と観なければいいだけの話だ。
とは言えやはり俺もいまだに「尊敬」と「愛情」が欲しいことは否定できないので、
DTMと呼ばれるものに手を出すことにした。つまり若い連中が群雄割拠する世界に、かつて打ち込み専門の誰かが言った「楽器が弾けるというのはデカい」をわずかな希望として胸に秘めながら、ひっそりと足を踏み入れることにした。pro toolを始めとした機材を大人買いした。使い方を早くマスターするためにインストラクターに素直に教えを乞うた(オヤジは金があるんだよ)。これで俺も再生数に一喜一憂する奴らの仲間入りだ。指がすっかり動かなくなったというより広がらなくなって難儀してはいるんだが、まあコーチおやじよりは健全だと思ってる。
このあと行政法と会社法のでっけえ試験があるが全く勉強していない。
ピ逃げを繰り返していたので全く頭に入っていない
いずれも必修なので詰んでいる
なんとなく死んでみたい
今、家庭が離散の危機にあること、バイトをクビになったこと、好きな人が人生に迷っていてなんの力にもなれなかったこと、持病の発作がまた増えてきて薬で対処しきれなくなってきたこと、身の回りのコンピューターが一斉に壊れてお金がなくなりつつあること、自分の猫背や喋り方や所作がガイジ丸出しで嫌なのにASDのせいで注意が持続できず全く治せないこと、躁鬱気味で食欲不振とドカ食いを繰り返してるせいで体重は落ちてるのにお腹だけ出てきたこと、何をしてもボーッとして爆速で時間が過ぎていくこと、こう書いている間にも好きな人の顔が頭をちらついて勃起が収まらないこと、などの悩みを抱えている
そりゃそうだ
他の人を頼っている時点でかいけつさせる気概がないようなもので生きていてもしょうがない
生活が怠い、面倒くさい
打っている間にも時間は過ぎ、単位が落ちる可能性は加速的に高まっている
人生に目的があったはずだけど自分がそこに入れているビジョンがどんどん見えなくなってきた
受け入れて貰える為の存在がない
存在がボヤッとしている
自分の色素がどんどん抜けていって、そこに色を足せる気もしていない
いるか分かんないやつにはいるか分かんない仕事しか務まらないだろう
僕は結婚する気がない
子育てを一度しか受けたことがないし、11歳も12歳も15歳も18歳も20歳も同じ人間からしか薫陶を受けてない
随分と誕生日を祝ってもらってなかった
好きな人に数年ぶりに祝ってもらったばかりか、本当に久々に誕生日プレゼントなるものをもらうことができた
嬉しくて嬉しくて、貰ったものを抱きしめて泣いてばかりだった
その彼女が人生を迷って塞いでいるところに心無い言葉しかかけられなかった
もらうだけ貰って突っぱねたクズ男とは僕のことだ
殺してくれ
人として好いているが、それは性的に好いているおかげで全部を肯定してしまう精神状態にあるからではないのか
チンコでものを考えているから彼女のことを尊敬する気持ちになるのか
その口で尊敬していますなんて言ったところでそれはまことのことばなのか
不正義ではないのか
不誠実ではないのか
そんなに失礼なことを僕が今しているなら彼女から離れたほうがいい
拒絶されて当然だ
でも離れるのなんて嫌だ
死んだほうがましだ
サークルの会長をやっているせいで急に失踪するわけにもいかない
人から受けた恩を完全に切り捨てられるほど薄情じゃない
そうしてしまうと本当に苦しくなるのが目に見えている
されて嫌なことができない呪いにかかっている
いじめられてた時に教師が先方にした説教が今、僕の首をティッシュの綱で締め上げている
一部の友人は悲しむかもしれない
僕が死なれたらどう思うか?
先輩が死んだ時に散々味わったあの気分を、他の連中にも味わわせるのか
また、の人もいる
バーカ
こんなに悩まなきゃいけないなら死んだほうがましだ
蕁麻疹が出るまで考えて禄に眠れなくなってんだ
生活が脅かされている
俺の身にもなってみろ
死なせてくれ
どうして死んではいけないんですか
苦しいのに死ぬ気も起きないのはなんでなんだ
倫理観が縛るならそれは誰の為にある
生きて帰ってくるな
横浜線を止めてこい
どうせ試験はDかRだ
泣いてんじゃねえようるせえハゲ
どっかに上げることをモチベにしないと文章も書けない愚かな男だよ
画面がみえねえ
うてないあらおわり
なんか書いといたほうがいいような気がしたので書いておく。
なんてところもあれば、中身はARMでLinuxですみたいなところもあるし、その中間でRTOS使ってます。ということもある。
ただ、歴史的経緯として、マイコン制御などと呼ばれていたような時代から組込みソフトウェア開発がはじまって、
時代をくだるにつれて最終製品の機能が高機能化、複雑化するにしたがってソフトウェア開発の規模も比例的に、
あるいは指数関数的に拡大しているわけで、NonOSでアセンブラやCで書くという仕事は相対的に減っている。
(なんせ、ある程度高価格、高付加価値な製品を作らなければ国内メーカーは潰れるしかない)
なので、一番規模が小さいところの仕事はなくなりはしないし、働いている人は食いっぱぐれないとは思うけど、
わざわざ新たに飛び込むのは正直オススメしない。
で、問題は規模の大きい方で、当時マイコン制御をやっていたようなベテランやそれに薫陶を受けた開発者が
「勉強」をせずにこちらの方にコンバートするとどうなるかという話だ。
コンパイラはC++11,C++14であるにもかかわらず、Cもどきのコードを書くし、プロセスは巨大だし、
強烈に古臭いアーキテクチャを擬似的にOS上に構築してしまう。
その結果出現するのは、ひたすら肥大化しアンタッチャブルになったコードと原因不明のバグである。
IoTがどうのこうのなんて言っていても、組み込みが専門じゃない人がラズパイとセンサー買ってきて
一日半あればできるようなことを、ああだこうだやっているようじゃやっぱり生き残る道はないんじゃないかなー。
山本常朝
山本常朝
山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。
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1 略歴
3 史料
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
略歴[編集]
万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路(現在の佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩士山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田作左衛門女。
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき、鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。
11歳で父に死別し、14歳のとき、光茂の小々姓(いわゆる児小姓・稚児小姓)となり、名を市十郎と改める。延宝6年(1678年)20歳に元服して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、田代陣基が生まれている。
この間、私生活面では20歳年長の甥・山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。失意のこの頃、佐賀郡松瀬の華蔵庵において湛然和尚に仏道を学び、21歳のときに仏法の血脈けちみゃく(師から弟子に法灯が受けつがれること)と下炬念誦あこねんじゅ(生前葬儀の式、旭山常朝の法号を受けた)を申し請けている。
『葉隠』で慈悲心を非常に重んじている素地はこのとき涵養されたといえよう。さらにこの前後、神・儒・仏の学をきわめ藩随一の学者といわれながら下田(現在の佐賀県大和町)松梅村に閑居する石田一鼎を度々訪れて薫陶を受けた。このことも後の『葉隠』の内容に大きな影響を与えている。
天和2年(1682年)24歳のとき、6月、山村六太夫成次の娘と結婚、同年11月、御書物役を拝命。28歳のとき、江戸で書写物奉行、あと京都御用を命ぜられている。帰国後の33歳のとき、再び御書物役を命じられる、命により親の名“神右衛門”を襲名した。
5年後の元禄9年(1696年)、また京都役を命ぜられ、和歌のたしなみ深い光茂の宿望であった三条西実教よりの古今伝授(古今和歌集解釈の秘伝を授かること)を得ることのために、この取り次ぎの仕事に京都佐賀を奔走した。古今伝授のすべてを授かることは容易ではなかった、が元禄13年(1700年)ようやくこれを受けることができ、隠居後重病の床にある光茂の枕頭に届けて喜ばせ、面目をほどこした。
同年5月16日、藩主の光茂が69歳の生涯を閉じるや、42歳のこの年まで30年以上「お家を我一人で荷なう」の心意気で側近として仕えた常朝は、追腹禁止により殉死もならず、願い出て出家した。5月19日に藩主の菩提寺たる曹洞宗高伝寺の了意和尚より受戒、剃髮して名を旭山常朝と改めた。7月初旬に佐賀城下の北10キロの山地来迎寺村(現在の佐賀市金立町)黒土原に朝陽軒という草庵を結び、「尋ね入る法のりの道芝つゆぬれてころも手すずし峰の松風」と詠じて隠棲した。
田代陣基が、常朝を慕い尋ねてきたのはそれから10年後、宝永7年(1710年)3月5日のことである。『葉隠』の語りと筆記がはじまる。
のち、朝陽軒は宗寿庵となり、光茂の内室がここで追善供養し、自分の墓所と定めたので、常朝は遠慮して、正徳3年(1713年)黒土原から西方約11キロの大小隈(現在の佐賀市大和町礫石)の庵に移り住む。正徳4年(1714年)5月、川久保領主神代主膳(光茂七男、のちの佐賀藩五代藩主鍋島宗茂)のために、藩主たる者の心得を説いた『書置』を書き、翌5年、上呈する。
享保元年(1716年)9月10日、田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年)10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所は八戸龍雲寺。
辞世の歌:
重く煩ひて今はと思ふころ尋入る深山の奥の奥よりも静なるへき苔の下庵
虫の音の弱りはてぬるとはかりを兼てはよそに聞にしものを
「架電」がいまいち納得いかない。 http://www.weblio.jp/content/%E6%9E%B6%E9%9B%BB