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2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。


オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。


「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。


不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。


(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2017-01-13

倦蟄者言ふ様

不労所得とか、所得格差とか、職場環境格差とか、そういうものを全て、働く働かないに矮小化して、バイナリーに自分は優れていると思い込もうとしている。

その過程で、自分が周りに迷惑をかけたり、自分他人に劣後したり、自分がどれほどつまらない人生を送って来たか、全てを棚に上げている。

道徳の際限や客観性恣意的に設定して、憂さ晴らしの道具に貶めている。

逆になぜそこまで可笑しいのか理解できない。頭おかしいとしか言いようがない。人が職を持たないことがそんなに可笑しいというのが理解できない。隠棲隠遁隠居、そういう熟語を知らないんだろうか?それくらい当たり前に人は厭世だとか世をはかなむだとかして浮世から遠ざかりたがる。それがそんなに可笑しいというのは、非常識だし、普通感覚ではない。自分感覚おかしいのを棚に上げて普通他人をそこまで笑えるというのは、自意識が寡少な異常人格者だ。

可笑しいし、そこまで構う理由も分からない。いじめ心理だとしか言いようがないし、その善悪を判じたり論じたりすることのできない道徳心の欠如に気づけないことに、呆れざるを得ない。

劣等感が無いはずがない。その裏返しとしてやけに大きな態度に出たりする奴はいるかもしれんが、劣後することは客観的事実で、恰もそういう自認をしていないかのように人格攻撃するというのは、立派なヘイトスピーチにほかならない。

なぜ合意韓国側義務が発生したのか。

わかってる人はわかってて書いてないのだろうけど、今回の慰安婦像の件でなぜ日韓合意韓国側にも義務が発生したのか。

いままでの河野談話でもそうなんだけど、日本から謝罪に対して韓国側アクション義務として設定されたことはなかったかと思う。

なぜ今回こうなったかというと、鍵はGSOMIAにある。

日韓秘密軍事情報保護協定GSOMIA)はWikipedia時系列によると下記のようになっている。

1.2012年6月29日に締結される予定であったが、韓国側の都合により締結予定時刻の1時間前になって延期された。

2.2012年7月16日金星煥外交通商相ソウル訪問した前原誠司民主党政調会長に対してアメリカニュージャージー州に設置された日本軍慰安婦記念碑撤去運動日本側が行ったことなどが署名の延期の原因だと主張した

3.2015年12月28日 慰安婦問題日韓合意

4.2016年11月23日 日韓秘密軍事情報保護協定署名

こうして並べてみると慰安婦問題解決GSOMIAの前提となってしまったことがわかると思う。

倫理道徳問題であるはずの慰安婦問題を便利な政治ツールとして便利つかいしすぎて、よりにもよって安全保障問題にまで反映してしまったため

アメリカをも巻き込んで大騒ぎになった原因である

2017-01-10

宗教が違う人と結婚できるかどうか

長崎まれ長崎育ちで今は東京に住んでいるカトリック信者で、

うちの親は違うけど、親の兄弟や親戚には神父シスターがいる家系

冠婚葬祭カトリックのものしか体験したことがない感じ。


そろそろ結婚を考えているんだけど、相手仏教?の人(詳しい宗派は聞いていない)なので、

このまま結婚していいのかなとも思う。



土曜の夜or日曜の朝に教会へ通っているので、住むなら教会が近いところがいいなぁと思うし、

自分の中には「家族教会に行って家族でお祈りしてご飯を食べる」というのが常識というか、

どんなに家族ケンカしていてもそれで一旦落ち着くというか、そういうのがあったので、

教会に行くのを習慣としたいなぁというのはなんとなく思う。

子供が生まれたら洗礼も受けさせたいし、堅信までちゃんとやってほしいなとも思うし。



個人的には宗教一種道徳だと思っているのだけど、

世間一般からすると、あまり宗教って良いイメージがない気がして、

子供に先例を受けさせたい」とか、「毎週教会に通いたい」っていうのは、「熱心すぎる信者イメージ」がある気がして、引かれるんじゃないかなって感じもある。



宗教に対して「私はそんなの気にしないよ」とか「オレはそんなの気にしないよ」なんて言う人もいるけど、

正直そういうのはあまり信じていない。(「自分の中のキリスト教イメージ」を押し付けてきそうだから。)



本当なら同じカトリックの人と結婚するのがいいんだろうけど、

普通結婚相手として相性が良くて、尚且つカトリックの人を探すのって難易度が高いなとも思うし、

どうしたもんかな〜。

2017-01-09

DeNA従業員全員再教育からでは?

DeNAは盗んでも犯罪犯しても儲かれば何してもよいな会社で、

そういったことを粛々とやってくれる人を評価し、

そういう人たちがお偉いさんになる評価システムで長年やってきているとなると

教育必須だよね。

利己主義者ほど出世するってことでしょ。

教育と言ってもホントレベル小学校道徳の授業の素読あたりからする必要ありそうだが。

今のまま組織を変えないと、またやるよね?

間違いなく。100%同じあやまちを起こすと思う。

もう何回やっているんだよ?

自浄作用ない企業球団もたせている時点で

日本野球機構とかって仕事しているのかな。

強権発動しても良いレベルだと思う。

人のあるべき姿?

人としてのあり方ってのは、難しいなあ。

誰にとっても、ってのは絶対ないじゃん。誰にもその人なりの”常識”があり、”普通”があり、”あるべきと考えるあり方”がある。

じゃあさ、人として在るべき論ってもう語れなくない?多数の論を採用するの?それって偏らない?多数が正しいってこと?

あるいは、論語とか、正しいと”されている”考え方を採用するの?

人としてのあるべきって、何。道徳論?いいことをしよう?なぜそれがいいことか分かる?人を喜ばせる、不快にさせないことがいいことって判断

それともみんなあるべき姿って人間である以上、何となく分かっているの?分かっていて、できないか。あるいは、それにさえ気付いてないのか。

2016-12-31

道徳教科書を破り捨てろ

びりびり、

2016-12-29

もう学校の年数絞れば?

財政財政がーと言うけれど、

正直学校無駄がないかと聞かれればあまりそんなことがないと思う。

音楽とか体育とか、やってたことのすべてをやらなきゃいけなかったのだろうか。

小学校しか使わないリコーダー練習も、ポートボールなんて身長格差をするだけの競技も、わざわざ国が金をかけてまですることでもないような気がする。この話はどう考えても思い出補正否定はされるだろうが、義務教育高校大学時間費用を費やして疲弊してる若者とかそれを見て焦る大人を見ているとやっぱり学校もこのままでは無駄が多いのだろう。

とくに道徳なんてまったく記憶にない。いじめも横行してるし、自殺も増えるし、教科書の話も一個も覚えてない。たぶん一番役立たない。道徳なんて国語社会やればわかっていく話なのだ

その分を給食費とか食べる時間に回した方が私はいいと思う。15分の食事をさせながらよく噛みなさいなんて話をせず、ゆっくり食事する時間があった方がよっぽど落ち着くだろう。

教師精神病が増えたようだし、学校勉強もっと効率的にさせて、学校にいる、学校を動かす時間を減らさないと、学校が人の心身含めて国をまるごと食い潰すようになってしまいそうだ。

2016-12-27

ふと気になったんだけど海外にも「聖地巡礼」ってあるの?

日本みたいに道徳教育宗教がなければ何かを神格化してそれに金を落とす、パワースポットしか聖地巡礼しかりが成り立つけど

例えばこれがキリスト教圏内だったとしてこのようなビジネス通用するのか単純に疑問に思った

2016-12-22

子無し配偶者無しの貧乏人には子育て応援する動機がない

自分子供もいないのに次世代もクソもない。

ジジイババアになったとき詰むとしても社会福祉リソースを今の自分関係ないことに費やされることが我慢ならない。

そういった我儘を押さえつけていた常識道徳という名の同調圧力ももはやない。

2016-12-19

お前たちのせいで苦しんだ

こういうこと言うと、恵まれてきた健常者は、人のせいにする奴は成長が遅いとか、甘えだ死ねとか、全部お前が悪い自己責任とか色々言うんだろうな。

いやいや。お前らのせいだから

無関係他人ぶって加害者が一番たち悪いわ。

アトピーゾンビが一番苦しんだのは他人から誹謗中傷だ。電車内、すれ違いざま、店内、列に並んでいるとき、こっちは何もしていないのに嫌な目に遭わされ続けてきたし、ひそひそと悪口を言われ続けてきた。

そのせいで幼少期からしづ精神おかしくなっていった。




コミュニティ内ではいい人を演じてる恵まれた健常者も他人にだったら何をしてもいいと思ってる。

その被害を被るのは決まって容姿の悪い非健常者のアトピーゾンビなどの恵まれない人だ。




自分たちは悪くない!罪のない善人健常者だ!人のせいにするな!」

「そもそもお前がアトピーゾンビなのが悪いんじゃないかきもいやつを排除して何が悪い自分たち正義の鉄槌を下しただけだ!」

そうやって自らの罪から目を背ける。背け続ける。

そういう人間がやがて親になって子供道徳を説くんだろうな。吐き気がするわ。死ねばいいのに

健常者ランドの健常者独特のルールにはついていけない。

健常者なんて死ねばいい。

2016-12-17

寂しい

という気持ち理解できない人々の方が、社会では多数派なのだなと思うことが多い。
自分にとっては当たり前のようにあった感情で、たぶんこの日記を読んでるような人にも身近なものだと思う。

大学3年生も終わり際だけど、思い返すと「優しい人」と「優しくない人」がかなりはっきり分かれたように思う。
高校の頃はここまですっぱりしたものは感じていなくて、いろんな地域性というか都会と田舎の違いなのかとも考えた。
けど実際はそうでもなくて、近郊に住んでいるはずのいくつかのバイト先にいる同僚たちも「分かれ方」が極端だった。
誰かに対する気遣いとか言葉の刺々しさとか、弱っている人々に対する行動だとか。ニュースとか流行語大賞を見ていてもそう思う。
それは外見とか学歴、すれ違い程度の関係ではわからないもので、大学に入った当初からの友人でも最近「優しくない」と気づいてしまうこともある。
長い付き合いだった友人が「優しくない」とわかったとき、何より先に自分の鈍感さを呪った。で、関係もそこで断った。たまに会っても無視する。

「優しくない」人々というのは、つまり「『寂しい』という気持ち理解できない」人々のこと。
悪いやつとか暴力的なやつにもたくさん種類はいるが、「優しさ」というスキルリーを遡っていけばこれが最初にあると思う。
なんか怖い人々は、道徳の授業とかで習った上辺だとか「世間常識」「物語」にある「寂しさ」くらいしか知らない。
「寂しい」という経験がぜんぜんなかったりする、としか思えない。で、そういう人々はこれまでずっと多数派だったのだろう。
そうでなければあんな人々が上に立っている理由がわからないし、世界にはこりゃもうダメでやんすと跪くしかない。

何年か前、母親更年期障害だった。家族とはまったく話さないので兄弟の年齢もよくわからないけど、たぶんあの振る舞いはそうだったのだと思う。
暴力的な方に症状が傾いているわけではない。もともとそういう性格ではないが、「いつも一人で何かするのが好きな」「変わった子」である自分に対しては暴力的だった。
外ではぜんぜん普通だったし(いや普通でもないし家事以外はダメダメだ)、つまり「寂しい子」には「優しくない」人なのである
父親典型的な優しくない人で、現在進行系なことを言えば「つらい、助けて」と繰り返す母親に「言うことを聞け」「薬を飲め」「言い訳をするな」「理由をわかるように言え」とか、
まあなんというか傍から見ていても、壊れぎみな母親には無理難題をズラズラ並べ立てて拒絶しテレビを見ている。
テレビの間に母親が入れば「邪魔!」と蹴ってどかすし、自分が部屋にいるときには明らかに暴力的現場からしかしないであろう大音声である

実はそれがきっかけで気づいて、今日までずっと考えてきていた。
更年期障害が何かはわからないし、母親は正真正銘の「優しくない」人間自我も薄く、
自分も「寂しい」人間でありながら「寂しい」人間に対して暴力を振るったり大事な物を平気で壊したり高校生活の邪魔をしてきたり三者面談で変なことはするし
あいつのおかげで楽しかった部活動は辞めざるを得なくなったし(自分の弱さもあるが母親の行動も大概である)いまだにそれに対して謝罪のようなものもないし
筆者が本当にブチ切れてそれでも暴力だけは振るわずに全部考えや気持ちを言っても「そう思ってたの。で?」と頭に詰まってるのはメロンパンだとしか思えない
驚異的な中身の薄さと空っぽさと人生に対する甘ったるさを感じることしかできないか病気してもまったく同情できないし自業自得だろうとしか言えなかった。

話が逸れたけど、「優しくない」人というのは、どんな人間であれ「寂しい」という気持ちを持つのに(精神に来る更年期障害中なら尚更だろう)、
それに対して本当にまったく欠片も慈悲を感じない、そんな父親の行動を目の当たりにして気づけたわけだ。

ああ、本当に他人の「寂しさ」を理解できずに自分本位しか行動できない人間はいるのだなぁ、と。
で、「寂しい」はずの人も何も与えられなければ自我が薄くなって、「もっと優しくない」人間になるのだなと。

自分は違う。断言する。自分も「変わった子」と言われ続けて就職できるかも怪しい底辺だけど、違う。
最近インターネットもあるし、学校暴力性は排除されていて、若い先生には優秀で「優しい」人が多くなった(両極端だとは思う)。
自分現代学校システムのよいところに出会えていなかったら自死必至だったし、ネットがなかったとしたら確実に自我が壊れていただろう。
「寂しい」という気持ちを、共有するためのシステム社会にはできてきたのだ。リアルは様々な絶対零度が群雄占拠しているが。

いや、本当に泣きながら文章を打ってた。大学3年生だしモラトリアム終了の節目くらいしか大したことはないんだけど(就活…)。
なんか急に書き残しておきたくなった。ここ最近研究とかでいろんな「寂しい」人を見たり知ったりしてきていて、けど、
自分はまだ前向きでいられるし、簡単に「優しくない」人には負けたりしないなと実感した時に、こういう気持ちになった。
匿名インターネットだとか匿名でもないインターネットとか、自分の友人とか、学校先生とかカウンセラー先生とか。
いろんなもの感謝したくなったし、「寂しい」人にはなんだかんだ生きていける術もあるのだと伝えたくなった。

いや、本当はリアルにクソみたいな人々が多くて毎日つらいけど、よくわからん
さーバイトだよバイト。寂しい人々に幸あれ。

2016-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20161212104657

wikiより

明治時代に入り、1885年明治18年)に当時の文部森有礼によって儒教的道徳教育規制する命令が出された。だが、元田永孚宮中保守的漢学者の影響によって教育勅語などに儒教の忠孝思想が取り入れられ、奨励された。

こいつらだわ、諸悪の権現

森有礼英語国語政策も出してたし、こいつが生きてたらいろいろ変わってただろうな。

2016-12-11

現実ありのままを認められない日本人の異常性(精神疾患性)

噂に聞いたのだけれど、ある芸能人セクシュアリティがどうこうってことで騒がれているそうですね。

結論から言って、セクシュアリティの相異(多様性)を認められない日本社会の方が異常です。

セクシュアリティということ自体がそもそもきわめてプライベートことなのに、それが勝手暴露されていじくり回される人々って、気色悪いし危険です。

ただでさえ、シスヘテロでない(ヘテロセクシュアルでなかったり、トランスジェンダーであったりする)ってことだけでも、あれやこれやと言われたり、興味本位ネタにされたりする社会です。しかも近年は、少子化問題とか言って、結婚しろ子供産めっていう、儒教的教義道徳)を押し付け社会的圧力があって、たかホモセクシュアルでさえも狩られそうな雰囲気です(一種ヘイトです)。公言する(いわゆる「カミングアウト」)ってだけでも、人生や命が懸かるんです。

たとえ公言せずに隠していたとしても噂が流れて社会生活に悪影響が出ます。実際にはシスヘテロの人でも虚偽の噂が流れて社会生活に影響が出ることがあり、「自分シスヘテロだ」って言って噂を否定することになるでしょうが、それは結果的には世のシスヘテロでない人に対する否定的価値観を表明する効果が出てしまますヘイト片棒をかつぐことになります)。

私は生まれつき染色体異常で、幼い頃から今までもずっと、周りの人々から酷い扱いを受けてきました。皆、私に対してだけ態度が変わり、職業柄で私に接さないといけない人(店員とか教諭とか医者とか公務員とか)でさえも嫌々やっていることが露骨です。陰口叩かれたりありもしない噂を流されたりするのはいものことで、勝手ホモセクシュアルだという虚偽の噂が流されていました。面と向かって罵詈雑言を浴びせられもしてきたし、殴る蹴るや盗むや壊すといったことは学校ではしょっちゅうやられていました。私からすると、不条理です。なんで私ばっかり迫害を受けるのか。

人間というのにはどうにも、現実自分にとって都合が悪かったり好きでなかったりすると、認めたがらない性向がありますね。例えば「正常性バイアス」というのもそうでしょう。

例えば、自分の中にも若干はあるゲイ性向が怖いから、嫌だからゲイ嫌悪する男がいるのでしょう。自分のことを褒めてくれない(承認欲求を満たしてくれない)からゲイ嫌悪する女がいるのでしょう。レズビアンヘイトされるのも同様ですし、そのほか多彩に実在するセクシュアリティについてここではいちいち言及しませんが。

例えば、現実には醜いから、「美しい国」って言うんでしょ。弱いから「強い」って言うんでしょ。どこぞの首相とか大統領とかも現実を認める能力を欠いているわけでしょうし、現実を認めたくない人々の心情を利用して権力を獲ったんでしょうね。だからきっと、世の中は良くなるどころか、更に悪化していくのでしょうね。自分さえ良ければいいんでしょうし、自国さえ良ければいいんでしょ。けどおそらく、一過性の愉快しか得られず、将来へのツケを増やしていくばかりになると思いますね。

今の人々は、現実を認められないし、現実を観る能力すら欠いてきています。周りの人が言うこと、マスコミが言うこと、SNSとかで流れていることが、現実とすりかわって認識されています自分自身の眼や脳で見なくなり、自分の脳で感じたり考えたりすることを放棄するようになってきています。こうした異常性について自覚がないから、ものごとはよくなるどころか悪化していく一方なのでしょうね。

2016-12-09

山奥の廃村で、一人の赤子が産声をあげる

赤子は山を下りとある港町にたどり着いた。

そこで、赤子は一人の優しい老人と出会う。

赤子は、世話をしてくれた礼として、老人にiPadを買い与えた。iPadによって初めて世界とつながることのできた老人は、煌めく情報世界に魅了されていった。

しかし、医療系のバイラルメディアによって、老人の病が悪化してしまう。

悲しみに泣く赤子の頭には、二本の角が生え始めていた。




泣き腫らした赤子は、日の出ずる彼方に向かって歩き出した。むかうは首都トーキョーシティ

道中、角の生えた赤鬼に対し、人々は石を投げつけた。

自業自得だ、ネットを信じる奴が馬鹿だ、と。

しかし、赤鬼は何も言い返すことなくひたすらに歩き続けた。

心に余裕のある人間は、正しい判断ができるだろう。心の弱っている人間に、救いを求める人間に、私は何ができるだろう。




傷ついた心と身体を癒すため、赤鬼鉄格子背中にして、地べたに腰を下ろした。

ふと振り返った先にあったのは、左右対称の巨大建造物国会議事堂だった。

そう、赤鬼トーキョーについたのだ。

そしてその時だ、伸びきった赤鬼の角に、一粒の雫が滴り落ち、ひとつの決意を赤鬼にもたらす。




ネット上の表現活動について、その特殊性に鑑み、公共の福祉のために、今以上の規制必要であると考えるに至った。

政治活動を開始する。

ネット上の信頼性に欠ける情報煽情的タイトル著作権法に反する記事ポルノ画像等、国民生活の秩序を侵害するおそれのある表現に対し、規制を求めていこうではないか

もちろん、偏見実証性のない事実をもとに規制がなされてはいけない。

しかし、我が国における教育による遵法精神倫理道徳観の涵養は、その実効性に欠けると言わざるを得ない。

今こそ、立法による解決が求められるのである

騙される人間を、リテラシーのない馬鹿と切って捨てることができようか。

正論をぶつけて悦に浸っても、社会の安定は導かれないのである

さて、どこからはじめるか。




雨にぬれ赤鬼に、数多の雷光祝言を挙げる。

ここに、一人の増田が生まれた。




こーゆー増田って、書くの難しいわ。

ライターって尊敬する。

小保方晴子村田マリ、あと規範意識について

時の人である村田マリ氏については、会ったこともなければ分野もぜんぜん違うのですが、小保方氏とは分野も近いし所属的にも近いです。

ある記事ブコメに、村田マリは小保方と近いのではないかとありました。なるほどその観点はわかりやすい。

小保方氏が結局何をしていたかというと、ミーティングなどでのボスの反応を基準としてプレゼンテーション作成し続けていたということ。だから、直属のボスには非常に評判が良い。ボスの反応がよくなるような材料を作るためには、サイエンス規範に逸脱することを厭わない。だからボス以外の同僚からは評判が悪いし、論文としての科学界での評価は最悪です。最終的に彼女の才能は、国民の反応をポジティブにするような記者会見で最大限発揮されたものの、サイエンス相手にしたというのは彼女にとって分が悪い勝負でした。サイエンスを敵に回すというのは、世界を敵に回すのと同じことですから

それで、ギガジンとかの村田マリ氏への罵詈雑言めいているが一面の真実を含んだ記事などを見て、かつ上記ブコメを参考にすると、要するに村田マリ氏はPVとかの反応だけに合わせてwebメディアを作ったということでいいのですかね。メディアとしての規範無視して。盗作など法律的問題もいろいろ騒がれているけど、結局のところ最大の問題は、「一部上場企業が、医療などの情報について誤った記事を、PVを稼げるからというだけで作成してよいのか」という、やっぱり規範意識問題だと思います

さて、サイエンスとの勝負で小保方氏は敗北を喫したが、メディアとの勝負村田マリ氏の勝負はどのように決着するか、注目しています

ところでやはりこの両者に通じるのは、端的に、規範意識の欠如ですよね。高度に発達した社会であり、犯罪率も極めて低い日本のような国において、相対的貧困などと同じように、やや見えにくいが確実に社会ダメージを与えているような事柄なのだと思います

そしてこれは、確かにこれまで学校教育において規範意識教育、これはあまりなされていないと思います。では新しい道徳教育はこれに一石を投じることはできるのか?リベラルサイエンティストである私は、不安を感じるところが大きいのが確かですが、しかしなにもしないというのは、第二の小保方、第二の村田マリが今後も出現し続ける未来意味するのであって、それはあまり私の期待する社会ではないです。

2016-12-04

炎上中の某D社の謝罪文について

読んでいて理解できなかった一文がある。

その結果、共通する運営体制方針の9つのメディアWELQiemoFind TravelcutaUpInCAFYJOOYGOINPUUL)に関して、マニュアルライターの方々への指示などにおいて、他サイトから文言転用を推奨していると捉えられかねない点がございました。この点について、私自身、モラルに反していないという考えを持つことができませんでした。

http://dena.com/jp/press/2016/12/01/1/

ここの最後の一文はなんかおかしくないか

これは「(運営方針が)道徳に則っているとは考えていなかった」という主張で、今回の件は故意にやりましたと自白していると捉えていいのだろうか……?

2016-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20160605004638

それっぽい言説で自分価値観もっと言えば自分人生のものが正しいということをこの世全てのものを利用して主張する人間

あるいは世間での倫理観道徳観、「良識」というものに対して対立することでしか自分を保てない人間

そういう人間の主張は、その実全くとるに足らないどころか人間社会にとって害悪しかないのでスルーしてしまったほうがいいと思うのだが、人間はそれをスルーできない

それは歪んだ鏡であり、そこに映る自身を切り捨てることが出来ない

やがて鏡を見た人間自体を歪ませる

歪んだ人間はその歪さを社会投射することでしか己を保てなくなる

そうして人間社会は緩やかに健全性を失っていく

2016-11-19

オタク現代ポリコレを装備しても使いこなせない

ポリコレという概念人権保護やら道徳やらとだいたい同じでありまして、本来ポリコレ異性愛男性キモオタのことも守ってくれるのだ、というのは全く正しい。

オタクだって人間だもの。貧しい人や学のない人も人間だもの人権ポリコレはあまねく守ってくださる。本当なら。




しかし現状を見ると、ペドフィリアセクシャルマイノリティに含めてくれという論の旗色の悪さとか、メンズリブやマスキュリズムの低調さが象徴するように、今のところオタクポリコレ積極的に利用しづらい。

ポリコレはいわばオタクも装備できる武器であり防具なはずなのだが、どこで失敗したのか、オタクの手には馴染まないようにチューニングされてしまっている。

全く使えないとは言わない。ポリコレによる恩恵を一切受けていないとは思わない。たとえば「ポリコレってオタクジャンルに対して妙に厳しすぎるだろ」という反論は、オタク側が「不当な差別はよくない」というポリコレを使っている例だ。

しかしどうも効果はいひとつで、このポリコレってのを自分たちのために利用しきれてないんだよなという感じが漂う。




理想的解決策としては、オタクポリコレ肯定を前提とした議論に参加し、ポリコレの用いられ方を自分たちも使いやすいように改善していけばよいのだろう。

だが、建設議論というのは多くの人にとって負担でとても面倒なものであり、まして既にアウェー状態リングに上がるほどの意欲を持てというのは困難な話だ。

「話し合いましょう、根気強く丁寧に、色々調べて、難しいことを悩んで、広く長い視野を持って、傷つくこともあるだろうけど我慢して、感情的不快感などは冷静さのフィルターを通して、ひとつずつ物事を善くするため考えていきましょう」

そんな誘い、よっぽど能力や気力や体力や適性や時間や意欲のある人間しか応じない。

そこまでして、ポリコレという手に馴染まない装備を自分も使えるようチューニングしたがるオタクあんまりいない。




それはまあ、ポリコレを使いこなせるようになればとても便利で強力であろう。

から長期的な視点で見れば、苦労しつつもポリコレ議論に向き合い、オタク立場を守るポリコレ運用方法確立させるのが良手だ。

でもやらねえ! めんどいから! 長期的な視点より今の快楽を貪ることで精いっぱいだよ! おれっちバカから

自分は使いこなせないのに他グループ活用する装備なんだったら、ポリコレなんてまるきり否定してやるぜ!

もしも将来ポリコレが本当になくなったらオタクも困るんだろうな。

でも知らねえ! おれっちバカから! 将来のことを考えるなんてダルいぜ!





生きるってのはだいたいの人間にとってストレスまみれでいっぱいいっぱいだから、その上に正しさを気にしろ、将来にも目を向けろなんてのは要求しすぎだ。それでも正しさに殉じられる人たちがいるのは不思議なことだが、誰もがそれをするのはムリ。

求めているのは正しさなんかじゃない、今の苦痛を一瞬でも誤魔化す気持ちよさ。

なのに正しさで説得しようとされても耳を傾ける気にはならない。気持ちよくしてくれなきゃ。

刹那快楽主義未来は暗いとは思うけど他に憂き世に効く麻酔がないからしゃーない。




まとめ

ポリコレ原理的には異性愛男性オタクも守るものだけど、実際は異性愛男性オタクが援用しづらい状態になっている。

しかポリコレ用法改善していく面倒な議論に参加するモチベーションは抱きづらいので、ポリコレ自体攻撃する動きが大きくなるのも仕方がない。






ちなみに

異性愛男性オタクキモオタオタク、などの言葉が混在してるけど、明確な使い分けをしているわけではない。

女オタや同性愛オタクでもポリコレ加護の薄さに悩んでいる人もいるだろうなと思う反面、「オタク」と呼ぶとポリコレ加護を実感している人も含んでしまいそうだと考えたので、複数呼び方をしてお茶を濁しただけ。なんならオタクである必要もないので、ポリコレ恩恵が薄いと感じている人は自分を当てはめてください。

http://anond.hatelabo.jp/20161118102742

またいつものNHK朝ドラとかを貶めての「この世界の片隅に」の持ち上げかと思ったら、一緒くたにしていて笑った

その通りで、いくらこの世界の片隅に」は他の作品と違う!と言おうが、内容は変わらない戦中映画だし道徳教材にぴったりな映画

君の名は。」みたいに「内容は置いといて絵がスゴイ!背景がスゴイ!」はいくらでも言えばいいと思うけど

2016-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20161117134404

まぁそういう中で育ちながらおそらく犯罪もせず生きてるんだろうから貴方自身は至極まともなんでしょう。

しかし本当は貴方のような人が、反出生主義的に生きるのではなく、

貴方の親のような過ちをこれから先の人々が繰り返さないために

何らかの形でアウトプットし続けた結果の山積が、

人道や倫理道徳なんでしょうけどね。



元増田だけど、「失敗例を以ってすべてを否定」すると

人間ひいては生物全否定になるわけで無意味から

そういうのはいわゆる「中二病」なんであって、

ゲームラスボスですら散々っぱら開陳し説き尽して今日び言わない「とっくにカタの付いた話」なんであって、

増田以外で言うのは止めといたほうが良いな。

自分子供だったとして放射能マンと仲良く出来た自信がない

流石に金寄越せとは言わんけど「一緒に遊ぼうぜ―」とはなれないな。

「菌」と口にだすことすらせずそっと避けて暮らすと思うし給食の時はそいつから距離離して座ると思う。

道徳の授業でエイズ持ちの子供ともお互いに血を出したり唾を飛ばし合わなければ安全に遊べるよピース!みたいな写真が載っていたのを見て「でもお互いに血を流してたら危ないんだろ…一生棒に振るかも知れないのに一緒に楽しく遊べとか無理だわ…」と考えた事を思い出す。その授業の感想文では適当ごまかして皆仲良しピース!と書いておいたけど本心エイズマンと一緒に遊べるかよばーかだった。

イジメが罰せられるべきなのは間違いなく。

暴力は悪だ。

恐喝は悪だ。

だけど放射能を垂れ流していると噂をされている子供とも仲良くしろ子供説明するのは簡単じゃない。よっぽど優秀な教師じゃないと出来ないと思うし、子供理解力がないと無理だろう。そもそもちゃんとした知識を持った大人が今どれだけいるのだろうか。

2016-11-15

個人的な肌感覚だと

既存の古い倫理道徳が古臭さゆえに嫌われて更新要求された結果

ネオリベの要素を取り込んだ新たな道徳倫理としてポリコレが出てきたという感じなんだよな

LGBT保護すべきだけどキモいもの(e.g.キモくて金のないおっさん)は保護対象ではないし自己責任から罵倒してもいいという

更新された倫理

2016-11-12

「このご時世、子供を産み育てる事にメリットがない」っていうのは「子供産まない自由」というのとは次元が違う話だと思うわ。

例えば同性婚の話に喩えてみれば分かる。

「こんな同性愛差別の酷い社会同性婚する事にメリットが感じられないか自分はしたいと思わない」……この理屈、変ですよ。

子供産まない自由』の根底にあるべき発想は「そもそも子供を産みたいと思わない」であって、

メリットが感じられないから産まない」とは違うと思う。

後者は「産み育てやす社会にしてくれ」という、リベラルぶったその実保守的道徳丸出しの意見同義だよね。

子供を産み育てやす社会」というのは、

まず先に子供を産んでいない女性が一人の人間として尊重され当たり前に生活できる前提があって、その後の話だと思う。

しかし実際にはそれらの主張は未婚・未産女性迫害とセット。

から現状では私は「子供を産み育てやす社会思想には全力で反対する。

子供を産み育てやす社会にしょう」…子供を産んだ女性には褒賞を与え、産まない・産めない女性には罰を与えよう。

リベラルフェミニスト人達の主張も要はこういう事ですからね。

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