はてなキーワード: 安易とは
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
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おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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精神を病んだきっかけは分からないけど、メンタルクリニックに通っている同僚がとにかく話を聞かない
聞いてませんじゃなくて、話をするんだけど全体の5~10%くらいで勝手に自分で結論付けて見当違いの回答をしてくる。いや最後まで聞こうよ、早押しクイズじゃないんだし
会話が怖いのかもしれないけどこれがデフォルトなのでどんどん社内での評価や印象も悪くなる
メンタルクリニックがどういうことしているかは分からないけど話を最後まで聞きましょうとか言わないの?それともこっちが怒らないとか最後まで聞いてとか言わないと駄目?
安易に答えを求めるというかなんか分かんないけど余裕がない感じ
いいえ、Study hard ではなく、態度(attitude)です
努力って語源はともかく現代では貴族の欺瞞にしか使われないからね
ついでに人を作るのは能力ではなく、態度
たとえば、自分の専門外に安易に言及したり、陰謀論を唱える学者を賢いと考える人はほとんどいないでしょ
でも、能力(Ability)だけにフォーカスを絞った客観的な事実は、高学歴で少なくとも低いIQではない
賢い人の振る舞い、穏やかな人の振る舞いをしていれば、周りの人はそのようにその人を認識するし、
長年にわたって積み重ねられた行動や習慣は、やがてその人の性質や性格と呼ばれるようになる
誰が言ったか不明だけど、世界中で似たようなことが大昔から言われている(マザーテレサではないです。ウィリアム・ジェームズ?)
あとこれだな
【視点】お三方の鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィアの当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。
私はいわゆるクィアの当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちからの批判の声」とは全く違った感想を抱いている。
私は、この「怪物」という作品から、他の映画や作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。
あまり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。
それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議な勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。
だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ「普遍的な物語」として描きつつ、しかし当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。
今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側からは安易なカテゴライズの道具として使われがちでもある。
だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。
そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。
「怪物」という作品は、そこに安易な名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。
私はむしろ、この作品が、クィアやLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな、陳腐なものになってしまったのではないかとすら思っている。
そしてラストシーンについても付け加えておきたい。
鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分を肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。
そして、その後は描かれなくて正解だったろう。
その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己を肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。
私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。
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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html
客観的におかしいことを真剣にやってしまいネットにさらされるバカ
目立ちたがりだが特に能力がないので馬鹿にしてよさそうなものを全力でバカにして目立とうとするバカ
誰でも見れる場所に投稿する癖に自分の想定する反応以外が来ないように予防線はりまくるバカ
パブリックだからと手あたり次第見えるようにそれに反応するバカ
色々把握しすぎた気になって何やっても二番煎じだと何もできなくなったバカ
とにかく早く出すことだけ考えて情報不十分なものを世の中に出すバカ
いくら準備しても100%なんてこないのにひたすら準備だけしてるバカ
ただ発言しただけでは周りが動かないと思い、必要悪ぶって周りをあおるバカ
煽られたのが普通にムカついたのでレス場に持ち込もうとするバカ
数字追っている奴を見ると本能的に嫌悪感を抱く本能に全力で屈しているタイプのバカ
能力、容姿、金、その他もろもろ何かしらに恵まれて歯に衣着せぬ物言いをしても許されるようになった傍若無人バカ
周りが気分良くなるように立ち回りまくってるバカ
なぜかメンタルダメージが全然効かないタイプの化け物、人も自分みたいになれると思っているが決してなれないことに気づいてないバカ
自分のメンタル状態を理由にネット上の知らない人間にならどんな立ち振る舞いをしてもいいと思っている画面の向こう側の人間すら想像できてないバカ
努力なら誰でもできるだろうと自分レベルの努力を他人にも強要するバカ
自分にできることならほかの人にもできるだろと安易に進めて道を踏み外させるバカ
自分のポジション的に有利だから賛同しているだけなのに、無駄に回る頭で後付けで理論をくっつけて論者ぶってるバカ
あらゆることを客観的に見れるような気分になっているが当事者に引きずり落されたとたん人間性を取り戻すバカ
最近、日本で難民申請を認めるかどうかで色々揉めているようだ。
人口減少が叫ばれている中で、産業を維持するために移民を入れて人口規模を維持するべきだという人も多い。
しかし、私が思うにこうした人は移民を舐めているのではないだろうか。
おそらく、平均的な日本人と同じような人が移民・難民として簡単に集まり、安価に使い倒せるとでも思っているのだろう。
現実は異なる。移民として期待される海外の中間層の「質」ははっきり言ってかなり低い。
発展途上国では高校生で九九の勉強をしているし、大学生は割り算ができない。(現在移民として期待されている層である)
先進国といわれるアメリカでも、多少発展途上国よりマシなものの、ほぼ同じような状況である。学校では薬物が蔓延しており、銃の持ち込みを防ぐために校門に金属探知機があり、そもそも勉強どころではなく、全くできない人が大部分だ。
母国語も怪しい人に日本語を教え、完璧に話せるようになるまで教育する。日本人が小学校から勉強することを同じように何年もかけて教える。社会に適合できるように一生付きっ切りで面倒を見る。
現在放送中のロボットアニメ『勇気爆発バーンブレイバーン』が面白いと今話題なっている。
なかでも話題となったシーンは、主人公がブレイバーンに搭乗して戦闘を行っていると主題歌が流れ始め「なんなんだこの歌は!?」と主人公がツッコミところである。
ただ気になるのは、それはあくまでもメタ的な面白さであることだ。
確かに熱血系のロボットアニメでは活躍と共に主題歌が流れるのは定番である。その上で、そこで流れる主題歌が演出ではなく実際にコックピットで流れている、となって笑えるのは明らかにそうした一連の流れを視聴者側が把握しているからだ。
ここでは別にそのようなメタさを批判したい訳でもなければ、良い悪いを議論したいわけでもない。
しかしブレイバーンというアニメの話題性はそうしたメタ性にあるというなら、それは新規さがあるのではなく従来の作品を踏襲した上でそれを利用しているに過ぎない。
要するに、目新しさがないのだ。
これはブレイバーンのみならず、昨今の作品にも同様のことが言える。新たな世界観や新規性のある設定を考えるというよりかは、これまでの作品を踏襲してメタ的にイジる、という安易な形に逃げているような気がするのだ。
80年代の作品では良くも悪くも実験的、新規的な作品が多かったが、今ではそうした作品群を食い潰さんとした粗めのメタ作品が量産され、以前であれば同人誌止まりであったような作品が一次作品として容認される。
クリームはそもそもシュークリームのようにサクサクして薄い生地に合うものなのだ
クリームパンがチョコやあんこやジャムのパンに苦戦しているのは明らかだ
もっちりして厚手の生地のタイヤキ市場にクリームが進出したのは悪手だった
上のしょうもないコメント書いた増田だけど、試しに「成人向け漫画に置き換えて」って言ってchatGPTに放り込んだらちゃんと置き換えてくれたから置いておくね。
娯楽で一番大事なのは要素・濃度の調整と表明、そして読者層の絞り込み。エロ漫画だろうが、グロテスクなストーリーだろうが、ギャグ漫画だろうが、最も重要なのはここ。
そして、絶対的最適解はない。
読者毎に求めているものも違う。
重要なのは、事前にタイトルや表紙で宣言した内容に合致した要素・濃度になっていること。
過激すぎれば「安易にエロを盛り込んでる安っぽい作品だ」と感じるだろう。
薄すぎれば「もっと濃厚な表現を期待していたのに、物足りない」と感じるだろう。
『エロ漫画』という作品に対して求めている濃さというものが、それぞれの読者の中に漠然とあるってことだ。
そこに対して作者はおおむね最大公約数的なものを提供するし、それに満足できない読者は勝手に「濃いめにして」とか口にする。
エロ漫画なんかは性描写の強弱を巧みに調整することで、読者に合わせたものを提供する仕組みを作っている。
漫画はまだいいんだが……これがアニメ・ゲームなんかになると途端に面倒くさくなる。
スリリングな展開が続くアニメは集中力のある読者からすれば密度が高い体験になるが、ストーリーに興味がない読者からは「無駄に過激で意味不明だった」というクレームがやってくる。
ゲームで敵を弱くしすぎると退屈になり、強くしすぎても不満が出る。
同じようなモチーフを繰り返し描く漫画は退屈だと言われるが、それを一切やらずにエロシーンばかりになると読者はしょっちゅう飽きてしまうばかりで嫌になってくる。
絶妙なバランスが読者毎に変わるのならば、もう出来ることは事前に「これは過激ですよ」「これは穏やかですよ」とアピールするしかない。
如何にソレを魅力的に、かつ不要な読者層にはアピールしすぎないようにやるかだ。
たとえばエロ漫画なんかには『エッチなシーンが満載!とにかくエッチなシーンが満載よ!』で売っている作品があり、そういった作品はエッチな要素を楽しむのに邪魔にならない程度のストーリーしかない。
そういうった作品を「エッチだけじゃない!ストーリーも魅力的だ!」なんて売り方をすると、大失敗をする。
余計な要素を入れてしまったことが、本来の読者層を遠ざける要因になるからだ。
なんでもかんでも増やしまくればいいという発想をするのは、クリエイターとしての基本がなってないアホだ。
1冊100円ぐらいのエロ漫画が欲しくてコンビニに行って、1冊500円の4冊セットしか置いてなかったら……必要な買うかも知れないが、どうしても満足度は下がるだろう。
必要なものを適切な濃度で提供するためには、余計なものをいかに削るのが重要になる。
これが出来ないと、読者は離れる。
足すことばかり考えて引くことが出来ない奴は、無能ということだ。
これです。→ https://hiyokomagazine.hatenablog.com/entry/63
私怨に過ぎないのでここに書いてるんですが、この手の童貞自虐芸って女性が安易にマネていいものじゃないと思うんですよね。
ブクマ数は今の段階で一桁程度だし、ブコメも人畜無害なものしか並んでないんですけど、こんなのが受けると面白くないんですよ、僕が。
昔のテキストサイトの非モテ自虐芸みたい感じで締めてくれてますけど、この手のおもしろ系独白って、多くの男はこうしないと気が狂いそうだからテキストに吐き出していたんであって、これは非モテ男子の魂の呻吟というか怨嗟というか、そういうものですよ。
だからこそみじめな、みっともない、ダッサい嘲笑の対象である童貞どもがネタとして笑い飛ばして何とか精神の平衡を保つことができたものなんですよ。
それをね、いくら「自分が男だったら」みたいなエクスキューズ付けたってね、29歳OL様が面白ネタで安易に童貞出してくんなって話ですよ。
いや、それに匹敵するような強烈なマイナスが貴女にあればまだしもよ? 芥川賞の市川沙央とかみたいな
ブログ見るに普通に彼氏様がいる(いた?)ような量産型サブカル気分のOL様に安易に童貞弄りしてほしくないんだよねマジで。
婚活増田の流れに乗ってみる。婚活増田に辟易してる人にはごめん。
タイトルの通り、悪条件でも婚活でゴールできたよ、というエールや、事例が参考になればと思い書いてみる。
心折れそうな場面がかなり多かった世代だと思うので、同年代の女性の参考になればと思った。
そのため、マッチングアプリ婚活の成功ロールモデルが同年代にあまりいない。
40間近で婚活してるのはみっともないのでは、という世間?の圧力(現時点でアラフォー世代特有の感覚かと思う)
他にもあるけど、このあたりがつらくなってくる。でも、妥協せずに結婚ができた。
毒親持ちの為、妥協した結婚をするくらいなら、死…ではなく、女友達を探してルームシェアして楽しく過ごそうと決めていた。
自分の場合、更にパニック障害と肥満持ちだけど、納得がいく結婚ができた。
それは結婚相手も同じで、私で良かった、婚活諦めないで良かった、毎日が楽しい、と隙あらば言ってくれる。よかった。
20代後半時はオタ婚活が流行っていた時期だったので、秋葉原にオタ婚活パーティなど5回くらい足を運んだ。マッチングは1度だけしたけども、縁にはならず。
とにかく大量の男性と一度に会話することで、自分の好みが絞られたり、自分の婚活男性から見た相場感が知れたので参加したことに意味はあった。
ネット婚活もした。ただ経験値不足もあり、無駄にメッセージに1か月以上掛け、会ってごめんなさい(お相手からも)という事が多かった。
そしてマッチングアプリ。
パニック障害の事もあり、あまり安易には外出ができなかったため、下記の方針にした。
この方針のおかげか、マッチングアプリの人口の多さのおかげか、結婚相談所で言う仮交際・真剣交際にどんどん進めるようになった。
移動がいらないのが本当に助かった。
パニック障害持ちのため、ここぞという外出は頓服薬を服用すればいいのだけど、気心知れてない人と会う・数をこなさないとならない初回時点でそこまでの負荷はちょっと自分には厳しかった。
婚活ガチ勢の割に、結婚相談所に入会しなかったのも、それが理由だった。(初回はホテルのラウンジでお茶という形式が多いため)
今の人に出会う直前は、平日21時からビデオ通話の予定を取り付け、1週間に新規の人3~4人と通話していた。
盛り上がると2時間近くしゃべるので、めちゃくちゃ喉が疲れた。
アラフォー男性は30代前半の時に撮った良い感じのプロフ写真から変えずに使う人がかなり多い。思い至らないだけだと思うけど、実物と写真があまりに違ってガックリすることが40代に近い男性ほど多い。
なので、ビデオ通話のおかげで早めに実物を見られるのが良かった。見た目等でガックリしても、この段階ならお互いに傷は浅いので。
食事目的でないと分かる、交通費・お茶代負担が要らない、土日がつぶれない、早めに女性の顔が見られてメッセージより深い話ができる、とビデオ通話した全員から好評だった。
顔や声、相手の部屋の雰囲気などが分かると、お互いにときめき度も早めに上がりやすい…気がする。
私は太ってるので服の選択肢がかなり限られるけど、プラスサイズ展開があって安いハニーズとかで良いので、ワンピースやコートは定期的に新しくした。
(自分が狙ってる男性層が、ファッションに詳しくなさそうだったのもあり。)
フェミニンな恰好をするのに抵抗はなかったので、婚活制服だと思って、似合った服は初回で使いまくった。
いまは部屋着で在宅作業。だるだるしてる。でも、2人で買い物時は多少おしゃれしてるので許してほしい。
医療脱毛は20代の時に少しずつやって済ませた。脇・ひじ下・ひざ下やっとくと出かける前のチェックがなくなって楽。
ワキガの手術も20代でした。形成外科で保険適用。デオナチュレを塗る頻度が減ってるので、デート中に不安になることが減った。(10年前の手術なので多少は効果が薄れてきてはいる)
急にハードル高くなったかもしれないが、これは美容に興味ない人ほどお勧めしたい。
自分は顔のパーツ自体はそこまで悪くないと思ったので、男女ともに整えるとキレイ・こなれ感がでる眉はプロにお任せすることにした。
眉アートメイクをした写真に変えてからプロフの通過率がかなり良くなった。
プロに作ってもらった眉のおかげで、少し整えるだけで良くなり、本当に楽になった。美容に興味ある人はその状態を維持できるけど、興味ない人ほど維持することが難しいので。
美容院行った直後に屋外で自撮り。笑顔。レタッチアプリで毛穴や頬のライン整えたりした。
会ったときに「違う!」と思われる程はいじらなかった。太ってる事はしょうがないので、そのうえで身ぎれいにするようにしてた。
体形を気にしない男性は意外と多いので、あまり卑下せずにどんどん進んだ方が良い。
婚活開示してると、婚活でつらい時に話を聞いてもらいやすい。友人の婚活でない天然の恋愛話の進捗を聞かせてもらったり、作業通話での女性陣でときめきメモリアルも楽しかった。
自分の親が不仲なので、ハッピーな夫婦の実態や工夫を知りたくて既婚の友人に聞きまくった。
婚活のMP回復にも役立った。惚気話を求める妖怪になりつつあったけど、意外とみんな楽しく話してくれた。
のろけエピソードは幸せ自慢になりかねないので、SNSに書かないし、ねだられないと他人に話せないから楽しいよ、と言われることが多かった。
「結婚は諦めよう…」という気持ちにならずに、しぶとくこの年まで婚活を続けて折れず粘れたのは、友人のエピソードを聞いて希望を持ち続けたおかげだと思う。
パニック障害が一番きつかった時期は自宅で寝てても発作が出たり、スーパーのレジ待ちすら倒れそうだったので、
美容院やアートメイク等は体調が回復して調子が良い時に頓服飲んで少しずつ進めてた。
体調が悪い時は無理せず婚活も休んでた。
婚活時は、初回のビデオ通話時にパニック障害の事は伝えるようにした。(デート先に制限が出るので、と)
電車移動がきつく、車移動はokだったので、車で行けるデートスポットや、早めの家デート提案してた。
今はマスク必須の圧がなくなったのと、薬が効いていてだいぶ調子が良いけども、自身のメンタルダウン時の取説を整備して、彼へ事前に伝えておくのがベターかな、と思った。
彼は世間によく言う「理解のある彼くん」になってくれたけど、負担を掛けたくない…と思うところも含めて、弱ってるんだけども。
初回~3回会うまで行った(結婚相談所でなら仮交際)は、たぶん30人前後。10年近く婚活が長引いた割には少ないと思う。
仕事の繁忙や同人活動で活動のムラはかなりあったので、あまり真面目な婚活者ではないと思う。
真剣交際1人目は酒量の多さ(ストロング缶1日3~5本)から、ほぼ下戸である増田と生活スタイルが合わなそうで申し訳ないが別れた。(ほかにもいろいろ…)
2人目は持病があった。初回時に開示されていたけども、デート時に違和感が増え、聞くと今も進行していると。
それでも交際を進めたかったが、正式な病名や遺伝の事を聞いても答えてくれず、共同生活が想像できず別れた。
3人目はマッチング、ビデオ通話して、私が同人活動の原稿で忙しく、実際に会ったのは1か月後。
その後はクリスマス家デート、初詣と恋人らしいイベントをこなして、
初対面から2か月後に同棲物件選び、3か月後に同棲開始、4か月後のイベント時にプロポーズをお願いして、5か月で婚姻届けを提出した(する)
かなりのスピード感かと思う。親の顔合わせは入籍後の予定。(お互い親に思う所があるので、顔合わせはやらないかもしれない)
婚活うまくいった場合を最速で行くとこれぐらいの期間がかかる、という目安になるかなと。
届けを出すだけの最低限の形式でも、親挨拶の日程決めたり共働きで結婚は大変だと思った。
相手は、同年代理系男性。だいたい全部好み。良くも悪くも毒親っぽい実家環境が似てたり、親の介護が今から憂鬱だったり、「結婚」に求めるものが似てて、早いうちにお互い良いなとなった。
相手もしぶとく婚活頑張ってきたエピソードが多く、「婚活はもうこりごりじゃ~!」と言って猫とゴロゴロしてる。かわいい。毎日楽しいです。
https://twitter.com/innocent_bridal
はてなで話題になった結婚物語さん(ttps://twitter.com/NakoudoT)もオススメなんだけども、
イノセントのほうが穏やかな表現が多いので、TLに流れてきても素直に受け止めやすかった。男性主体の結婚相談所で業界3位という売りがあり、男性心理が分からない自分には助かった。
真剣交際に進んだときに(これはイノセントのツイートでみたやつや!!)が頻出してちょっと笑った。入会してないのに申し訳ない。感謝しかない。
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最近だとこのスペースで、「婚活男子の7割がプロポーズをする意味を感じていない」に笑った。女性側からすると驚愕だけど、男性側はそんなもんなのかーと男性理解が深まる。
男性目線で言うと、南国飯さん(ttps://twitter.com/dokuwakugomen)も参考になったけど、悪い例も多いので元気があるときにさらっと見る程度で。
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「結婚さえできればいいと思っていたけど」
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4344030192
アラサーの時に読んでぶっささった本。長女体質で結婚出来れば何でもいいと思っていたアラサー時の自分の意識改革させられた。
この2冊はほぼ同じ出来事を描いてるけど、猫好きなので私には1冊目の人たらしの猫に教わる恋愛指南がとても刺さった。
ttps://www.amazon.co.jp/dp/B07QV8TW77/
一時期炎上してた婚活エッセイマンガ。私は好きだし元気貰ってた。
他にも、「パニくる!?」などパニック障害のエッセイマンガいろいろ、回復過程での婚活時に注意することが想定出来た。
このマニュアルにある事をしてると事前準備がしっかりしてる人なんだな~とか、男性は、こういう事がおっくうだと考えているのかなど、さらっと参考にしてた。
ブコメ見て、言われたらそうだな、と思った。たぶん痩せるための行動はしてた。
コロナ禍前はジム通いでトレーナーにメニュー組んでもらって週2,3は通って順調に落とせて15kgは減らせてた。料理もその時、自炊でダイエットのために練習したおかげでいま助かってる。
ただ、コロナ禍突入さらにパニック障害なもんで、マスクで運動が無理で、解約してしまった。体重はだいぶ戻った…つらい。
去年からオンラインジムに切り替えて、ダンベルやらボクササイズ毎日30分は運動してるけど、やっぱりジムのウェイト系マシンには敵わないと思ってる。
アラサー時はジム行けばどんどん痩せたけど、アラフォーだとマジで体重落ちないね?!女性の代謝低下はエグイ。そういう場面でもアラフォー女性の婚活は心折れること多いんじゃないかな。
あと、ブコメに言われてから考えてみたけど、親が毒親で容姿への罵倒が多かった影響なのか、他人に体形について期待されてる事、それ自体がツラいんだよね。
努力すれば痩せられるかもだけども、自分自身も体形へのとらわれが強いので、そこで判断されることに疲れてしまった。
マッチングアプリ始めた30前半の頃はジム通いしつつ「痩せて婚活しよう」と序盤は思ってたけど、いざ始めたら「体形を気にしない男性って意外と多いんだな?」と気づいた。
そこからは自分が完全な状態でなくてもいいから、婚活と言う場に出続けることを意識した。仕事の忙しさで受けるストレスも波があるので割り切った方がいいのかなと。