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2017-03-29

葬式の参列者のうち

本当に死をいたんでる人なんて何割いるんだろう。

私はまったくいたんでない。

その人の家族のうち数人じゃないかな。

自分祖父母のときはわりとどーでもよくて仕事休まなきゃいけないストレスのほうが大きかった。

自分の親や旦那ときは流石に悲しむ気はするけど、多分この三人くらいな気がする。

職場の隣の席の人が死んだので葬式に出るんだけど、ぶっちゃけほとんど話したことがないので義務感でしかない。

たぶん、他の職場の人たちもそうな気がする。みんな大人から出るだけで、内心この忙しい時期に死にやがってとしか思ってないだろうし少なくとも私は全くどーでもいい。

9割くらいはこんなもんじゃいかな。

自分が死んでもみんな内心イヤイヤくるのだろう。

葬式絶対しないでほしい。

葬式は残された人たちのためのもの、って言うけど別にこっちはそんなこと思ってないし。家族だけでしょ?それもすごく親しい人だけ。

すべての葬式密葬になってくれりゃいいのにな…

なので、家族には私が死んでも葬式はしないでね、と言ったんだけど「なにいってるの、やるよ!」と言われてしまった。

ホント勘弁してほしい、やめてくれ、職場の人に嫌われてるのにさらに嫌われることするのやめてくれ。

私は今まで隣の席の人のことはどーでも良かったけど、今回葬式に出ることにより大嫌いになったよ。人生トップクラスに嫌いな人になったわ。氏ね

2017-03-28

葬式絶対やらないでくれ、と伝えなきゃ

今まで出た葬式で心から出たくて出た葬式が一つもない。

祖父が死んでも祖母が死んでも上司が死んでも10年以上の付き合いの親友が死んでも、涙一つ流したことがないし、死んだ人のために出たのではなくて単に生きてる人との人間関係の都合で出ただけだ。

葬式なんてみんなそんなもんだ。大人の付き合いで出ているだけ。

それが休みの日にかかるものなら尚更。

きっと私の葬式にも人は何人か来るだろうけど「クソめんどくせぇな」と思いながらみんな来るんだろう。

そんなことになるのなら直葬、よくて密葬で済ませたい。

家族に「職場の人や友人は一切呼ばないでくれ」としかと伝えておかないと、私のようなイライラした気持ちを抱えた人をまた産んでしまう。

私は飲み会に誘われないくら職場で嫌われてるけども公務員的なお硬い職場なので嫌われてる好かれてる関係なく同じ部署の人は葬式に出るのが当たり前、なので、葬式やったらみんな来てしまう。

死んでまで職場の人に「コイツ死ねよ、マジで邪魔休みの日を奪いやがって」と恨みを買うのは正直勘弁。

ほんっとめんどくせぇ。なんで話したことない人の葬式に行かなきゃならんのか。仕事だと言われればそれまでだけど、その人の声も思い出せないのに。

はーー、めんどくせぇ。死んでもいいけど葬式すんな。

痴呆症祖母と私

ある日、就職活動をして自宅に帰ってきた私に

「財布が見当たらなかったんだけどあなた知らない?」

父方の祖母にそう言われた。

祖母痴呆が入っていたため家を引き払い実家で一緒に同居していた。

一緒に暮らすことになる半年前、財布やお金がない、鍵がない、まさか誰か泥棒が入ったのではと執拗に父に電話をかけてきていたので父は不安に思い病院に連れていった。

診断結果は痴呆症だった。

同居しても痴呆症は進行するばかり

家族の事や親戚の事をたまに忘れたり

デイケアセンターで貰ったみかん饅頭などの食べ物タンスや引き出しに隠したり。

タオル使用済みの下着をいたるとこにしまい込んでいた。

今、自分が置かれている状況をよく理解してない、一泊くらいの泊まりだと思っていて明日自分の家に帰るからと夕食を食べながら父によく言っていた。

しかし翌日にはけろっと忘れていた。

そんな時うちにきて初めてお金がないと言い始めた

次第にどんどん回数も増えていった


私には兄弟がいる

姉が二人、弟が一人

三女として生まれた私は昔の考えが凝り固まった父方の祖父からしたらあまり期待されていない孫だったと思う。

現に姉達は初孫で幼少期よく可愛がられ、弟は初めての男なのでとてもよく可愛がられた

うすうすは気づいていたが子供心にそれ以上嫌われたくないと私は思っていたのだろう。

まり祖父母とは会話をせず周りの話を聞きニコニコただ笑っていた事が多かった。

私がお腹にいた時、かすかにまた女かと思われたんだろう。

祖母が嫌いな母には悪い事をした。

痴呆症になっても私には気にもとめない祖母。逆に楽だった。

歳を重ねて私も嫌われたくないという気持ちもなくなり、極力顔を合わせたくなかったので助かった。



そんな時、祖母にいきなり財布がないと言われた。

続けてどこにあるか知らないかと言われた。

たまたま帰ってきてリビングにいた私はすぐリビングに入ってきた祖母から久しぶりに話しかけられたのでびっくりした、内容にも理解がすぐできずとっさの言葉が出なかった

知らないという一言すら出なかった。

たまたまそれを聞いていた姉が間髪入れずものすごい剣幕で祖母を叱りつけた



うちに泥棒はいないよ!もう一回探しなよ!



私は姉の大きな声にはっと我に返った

うちにきて財布がないとは言いつづけていたがどこにあるか知らないかというのは誰も聞かれた事がなかった

父母、他の兄弟には聞いたこともなかった質問が私にだけぶつけられていた。

姉は祖母言葉から私が盗んだと思っているのを感じ取ったのだ。

から声を荒げた。

叱りつけられた祖母バツが悪そうな顔をしてそそくさと自室に戻っていった。

就職活動用のスーツのまま呆然と立っていた私に姉は痴呆症から、仕方ない、気にするなと言った

姉は精一杯フォローしてくれた。

でも私はなんだか惨めな気分だった。

あとから悲しい気持ちが追い上げるようにきてカッと顔が熱くなって目が痛くなった。


祖母はしばらくして老人ホームに入所した。共働きの両親の世話では限界がきたからだ、

私は就職が決まり親を説得させ無理やり実家をでた。

万が一でも祖母暮らしたくなかったからだ。

から話を聞くに老人ホームに入所してから財布については話すことはなくなった。日に日に私たち兄弟名前を忘れ娘である叔母の名前最近思い出せなくなっていた。

顔は少し穏やかになったそうだ。



私は今でもよくあの時の言葉祖母の顔を思い出す。

シワシワの顔、目も落ちくぼんで、ぎっと私の顔を睨んでいたようだった。

祖母はあれが正気だったのかたまたま痴呆症でいった言葉だったのか今でもよく分からない。

私はそんな祖母を憎みきれないのだ。病気から、と諦めていた気持ちが時たまふつふつと怒りが湧き上がっては急激に冷めていくその繰り返しだった。

憎みきれたらどんだけ楽なのだろうと思いながらぶつけようのない怒りを持って生活を送っている。

ずっとずっと永遠に祖母がいつか死んでも私の心には深く残るのだろう。

2017-03-25

親に感謝してることはいくつもあるけど一番は「歯」

僕は虫歯が一本もない。歯を磨いているからではない。そういう体質なのだ

母は幼少期に虫歯で悩んだらしい。僕を育てる際、徹底して自分で使ったスプーンを使わない、ジュースより麦茶積極的に飲ませる等の対策をしてくれた。

おかげで無敵な体質になれた。ありがとう

追記

矯正もやってくれた。お金足んないか祖父母に頼んで。僕は歯だけなら完璧。本当に感謝してもしきれない。

2017-03-24

俺は仕事に誇りと命を掛けていると言った父親

自営業なんだけど、とにかく金がなく、それでいて、家庭を省みることも無かった。帰宅は決まって深夜だ。

当然のように、私が幼い頃に離婚して、親権だけは持ちつつも、それ以降私に連絡を取ることはなかった。

十数年前経ち、父方の祖父葬式で久々に会った父はまだ昔と同じようなことを言い続けていた。

親のスネを齧りながら続けてきた仕事けが父のプライドなんだろう。

祖父葬式から数年後、父は仕事を辞めた。

理由は、祖父遺産が入ったからだ。

散々私に説教を垂れたクソッタレは、数千万円と引き換えに、大切に抱え続けたゴミのような誇りを捨てた。

本当に、ゴミクズである

私が仕事を辞めるために、一日でも早く死んで祖父葬式を私に遺してくれることだけが、父に対する私の願いである。

http://anond.hatelabo.jp/20170323051122

2017-03-23

祖父母のお葬式映画の話

先日、高齢だった祖母が亡くなった。

遠く離れて暮らしており、交流子供の頃から夏休みと年の暮れにほぼ一日ずつ。

世間でそれが多いか少ないかは知らないけれど、一人っ子だった父方の、より高齢だった祖父母宅への泊まりがいつも優先されていて

私の中で母方の祖父母は「二番目のおじいちゃんとおばあちゃん」だった。

関係は良好だったと言っていい。けれど母方の祖父母には、その家に近く住む叔父叔母イトコが何人もいた。

私と名前の少し似ているイトコたちと私へ、祖母はいつも名前を呼び違えた。

お葬式で私はきっと泣けないだろう。そう思っていた。だって祖父の時には泣けなかったから。泣かなかったから。


先に亡くなった祖父お葬式の時。

泣いているイトコを見て「ああ私は泣いていないな」と思ったのだった。

祖父との思い出をたぐりよせようとして、交流の深いイトコたちを差し置いて私が泣いていいのだろうかとも思った。


ところでここで映画の話になる。「エンディングノート」という映画だ。

祖父葬式からしばらくして、映画館で見た。

内容は、ガンで闘病のうえ亡くなったお父さんの姿を娘さんが撮影したドキュメンタリーだ。静かで私的映画だ。

娘さんにはお子さんがいる。お父さんがそのお子さん、つまり「孫」と対面するシーンがある。

「孫の存在のものをお父さんが大事だと感じている」のがもう映像からひしひしと伝わる。美しいシーンだ。

祖父を亡くした後に私はその映画を見て「人というものは生まれたという存在だけで大事に思うことがあるのだ」と思った。

あんな風とは違うにしても、私が生まれとき祖父母は子供大事存在ができたことを喜んでくれただろうと思った。

祖父お葬式で泣けなかったことは私の中でどこかわだかまっていたけれど、一つの解を映画からもらった。

母方の祖父だけでなく父方も含めて。繋がりがほかより薄いなんて判断できない。

それに私にとっても大事な両親の、大事な人たちだ。


…戻って、祖母お葬式の話である

上記の祖父映画の話を経ていたので「泣けないだろう」とは思ってもつらすぎることはなかった。

お棺へ花を入れるくだり、イトコたちは泣いていた。私は泣いていなかった。

でも「お父さんとケンカしないようにね」と言いながら叔母が花を入れて。弟がそれに「よくケンカしてたね」と軽く囁いてきたとき

──私も知ってる。と思ったらふいに涙が出てきた。

ヤンチャな悪戯っ子のような物言い祖父と、面倒見はいいが口うるさくあしらう祖母のやりとりが浮かんだ。


そうしてもう一つ、その数日前に見た映画を思い出した。

「ぼくとアール彼女さよなら」という、やさしい青春映画

その中のとてもいい台詞を思い出して、またひとつ、すこし赦されたような気がした。


自分に対してどこかに書いておきたかったのと、

映画好きなので私に大事ものをくれた映画のことを宣伝したいなぁという気持ちで書いた。そんだけ。

2017-03-21

今日は暇だけど寂しいので久々にその辺のID掲示板チャットしてみた。当方オタクおっさん

ひとつiPhoneのappのCChat。プロフ見まくると30秒広告出てうざいけどチャット自体無料

近所の子を一人捕まえることができた。旅行が好きだけどあまり行けないらしい。

最初は素っ気なかったけど、話が広がって来るにつれ彼女のほうが積極的に。ご飯作ったあとみてみたら「どうしたの?」とか5つくらい並んでた。急かすなぁ。

北海道出身でこっち来たと聴いてセイコマの話とか行ってみたい観光地で盛り上がる。結局2時間チャットして彼女が寝たので終了。

あと堂々と援交の書き込みがあって少々驚く。他のappじゃバンされてるけどここはまだなのね。

試しに送ってみて、業者は嫌がる世間話地域の話と顔あとで送るから今度とやってみたけど、普通にいつでも待ってる会ったら一緒に食べに行こって返された。どうやら業者じゃなさそうだ。

でも援交娘興味ないんだよねー。2万出して女買うくらいならボードゲームとかPCパーツ買う。19らしいし顔写真可愛いから買ってくれる人はいるんじゃないかな。うん。

今はスカちゃんでみつけた子の悩み聴いてあげてちょっと甘えられて寝落ちちゃったので寝息を聴いてたら寝言で僕のHN言ってた。可愛い

両親も祖父祖母も亡くしてでもちゃんと働いてるすごい真面目な子。でも最近彼氏仕事辞めて逃げちゃったらしい。

行って一緒に暮らしたい。でも15歳差ってちょっと壁感じるね。ミドリカワ書房リンゴガールが頭に流れた。うん。

久々にネットナンパもどきしたけど、なんか5年前よりすんなり絡みやすい。男女比は変わらない気がするけど。

中身のない文章スマヌ。

2017-03-20

一人っ子って家では親や祖父母としかコミュニケーションとれないの?

家にいてまで友達電話Lineコミュニケーション取りたくないし、親や祖父母とコミュニケーション取り続けるのもしんどいし、そう考えると兄弟姉妹って子供精神的にコミュニケーションしててちょうどいい存在な気がするな

2017-03-16

雑記

子供の頃通っていた公文式で、本棚に置いてあった将棋漫画を読んだ事をふと思い出した。


その後将棋に興味を持ち、百均で盤と駒を買ってもらい、同日中祖父と指したんだった。

確か自分が勝ったはずだ。ただ会社経営していた彼が子供に負けるはずもないので、

当然手加減をしていたのだろう、そしてそれに気づかず私はぬか喜びをしていたんだ。


私は今棋士でもなく、ましてや趣味でさえもう暫く指していない、

それ自体が今の自分形成するかと訊かれれば首を傾げざるを得ないほど、

全くもって意味のない記憶だが、私は確かに覚えている。覚えていたのだ。


そうした何かを与えられたという記憶と関連付けられて、

初めて私は祖父を亡くしていることを惜しんでいるような気がする。

から今日久々にネット将棋を指したのだ。そして負けた。


言うまでもなく、私は将棋が下手なのだ

2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

まれてこなければよかった

金もない友人もいない恋人もいない

こんなにさびしく苦しい人生なら

まれてこなければよかった

そうだ

まれてこないようにしよう

そう決意した

おれはタイムマシン製作にとりかかった

それから数年が経った

長年の辛抱強い研究開発の結果

おれはタイムマシン発明することができた

これを世間に発表すれば富と名声と金を得られるだろうが、今やそんなことをしては邪道だと思うに至る

当初の目的であるおれ自身を産まれてこないようにすることこそがおれの至高の目的であり純粋尊い意思なのだ

初志貫徹、おれはこの用途以外には決して使うまい

あのときの決意を簡単に変えるほど、おれはヤワ人間じゃない

完成したタイムマシンで早速、五世祖父時代に遡った

この五世祖父を殺してしまえばおれが産まれてくることはない

五世祖父とはなにかというと

先祖を遡っていくとき

祖父 → 曽祖父 → 高祖父 → 五世祖父という順番になるのが五世祖父

おれがなぜこれほど遡って消滅させるかというと

やはり近しい先祖は心情的にも自ら手をかけにくいものから

ただし遡れば遡るほどその他の大勢の子孫の存在への影響がでかくなる可能性がある

残念ながらおれはこのときそこまで考えが至らずに配慮を欠いていたのだ

まったくてへぺろってやつだな

やれやれやな

さてさて

過去時代で五世祖父の居場所を見つけて

五世祖父が夜道を歩いているおりに

草木の陰からいざとびかかろとすると

不思議現象が起こったのだ

えーさて

ここで問題です(ババン)

なんというパラドックスが起こったでしょう?

(三十三才男)

2017-03-09

なにげに子育て支援のあつい市に住んでいるんだけど。

私の住むA市は昔から貧しくて住民のガラが控えめに言っても悪い事で知られているらしい。(私自身は他県出身者なので伝聞で知るのみなのだけれど)

まりにもA市が不人気なので地価が周りの市よりも大分安く、お陰で家賃も安いので、助かるが。

実は地価が安い事以外にもA市には良いところがあって、それは子育て支援が手厚いことだ。

狭い市なわりに保育園は充実しているし、料金も安価。ちゃんと機能している児童館があり、学童保育もあり、子育て支援センターがあり、公共スポーツ施設では子供向けの安いスポーツ教室が多数ひらかれているなど、子育て世帯にとってはここは穴場だ。

それでも全体的に印象が悪いし、ベッドタウンとしては優秀でも仕事も無ければ遊ぶ場所もないので、あまり住みたい人は多くないらしい。

旦那さんが国家公務員をしているという知人から聞いた話では、

「こんな所に住んでると同僚達に対して格好がつかないので、地価が高くても保育園がなくても境界を一歩跨いで隣のB市に住みたい、と、旦那がゴネてて困る」

のだそうだ。

(ちなみに知人の家はB市との境界線のすぐ側にある)

子育て支援は充実しているが市は不人気で段々過疎りつつあるので、私の育児ライフ最初の数年はかえってとても快適だった。

運動公園子育て支援センター児童館、市立幼稚園、市運営する習い事etc.どこに行っても空いているので、のびのびと子供を遊ばせる事が出来た。各所にいる指導員さんや先生達も気持ちに余裕があって、おおらかに子供達と接してくれる。その為か土地の子供達もまっすぐで穏やかな子へと成長していっている様に見える。

ところがここ二年ばかりで状況が急激に変わりつつある。

というのも、子育て支援センター児童館や市の習い事がやたら混む様になった。

その原因はというと、各種子育て支援事業フリーペーパーインターネットなどを通じで広く宣伝されるようになったからではないか?と私は見ている。

あるいは、保護者情報収集能力が上がっている。

今、施設利用者の多くが周辺の市から来た人々である

運営習い事に通う子供達のほとんどが他市の子供達で、A市の子供達が応募に受からないという事態になった。

元々A市は貧しく情弱の多い地域である。実は市内の幼い子を持つ親達はA市の子育て支援事業が充実している事を意外と知らない。

何もしらずに昭和みたいな密室育児祖父母頼みの育児で頑張っている人が多い様だ。

A市の保護者は他市の保護者情報戦で負けて各種サービスを受ける機会を逸している、ということ。


多くの子育て支援事業納税者ではない人達が好きに使っている、というのがどうやらついに問題として行政から認識されたらしく、次年度からは多くのサービスで市外出身者の利用を制限する事が決まった。

子育て支援センター等で無料で開かれていたイベント講習会などが一部取り止められたり有料化され、市民と市外民とで応募枠と料金が差別化された。

運営習い事にも市外民の利用には大きな制限がかけられる事になった。


そういう訳で、来月からはまたA 市の子供達とその保護者ガラガラ施設のんびり遊んだり学んだり出来るという訳だが、今度は人が来なさすぎてせっかくのサービス予算が着かなくなったり廃止心配が出てしまう……。

A市の保護者乳幼児を0歳から保育園に入れて朝から夜遅くまで働かなくて済む人は多くはなく、よって市営のベビーマッサージだの親子水泳教室だのは間違いなく閑古鳥が声高に啼いてしまうだろう。


そんな状況にもモヤモヤを感じずにはいられないのだけれども、それ以外にもとても気になるのが、市外から子育て支援センター児童館を利用しに来る人々の事だ。

そういう人は殆どが職を持ち一年前後の育休中である子供は小さい子は生後一ヶ月に満たず、大きい子は一歳くらい。

そういう保護者の話を聞いてみると、大体の人が沢山の施設ハシゴしてまわっている。

ある人は周辺数市の支援センターを全部周り尽くして、ここが最後の一軒だと言っていた。

一年程度の限られた期間そうしてベスト支援施設を探して放浪の旅をすることに費やしている。

ハイハイもままならない赤ちゃんをたった一、二時間遊ばせる為だけに、車で往復一時間以上かけて、育児道具フルセットを詰めた荷物を背負ってやって来る。


どこもかしこも気に入らないと言う。

曰く、子供がグズってしま施設に馴染んでくれない。

曰く、施設職員があまりフレンドリーではない。

曰く、どこも数人のママ友グループが出来ており、誰も話し掛けてくれない。

要は、一見でパーフェクトに快適な施設でなければ二度目はないという事らしい。

なんだか、受験戦争就活的な逼迫感があり、育児の楽しさが無さそうだ。

一体何がそんなに彼らを追い立てるのだろう?

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308145525

近しい人が死んで悲しいときに涙って簡単に出ないものだよ。

あなたのなかでまだお祖父さんお父さんがなくなったときの涙が固まって出てきてないんだよ。

そんなことを忘れて暮らしていてある日自分の子供が生まれから「そういえばお父さんもこうしてくれたっけ。」なんて記憶を懐かしく辿ったとき

前触れもなく悲しくもないのに涙があふれる時があるんだよ。

ほんと、なんでもないときにだよ。

あいう瞬間が成仏だって勝手に思ってる。

からない

彼のお母さんの体調が悪いらしい。病院で精密検査を受け、入院するかもわからないレベルらしい。

私はどう声をかければいいのか分からなかった。心配気持ちもわかるけど、あまり無理しすぎないようにね。としか言えなかった。

私は既に祖父と父を亡くしている。祖父小学校高学年、父は中学生の時。

心臓の動きが止まりピーーーーというあの機械の音。お医者さんが心臓の音を聞き、瞳孔が開ききっていることを確認して「○時○分、ご臨終です」と言う。全て10年以上前記憶うろ覚えだ。

人は死んだら生き返らない。

サンタクロース存在しない。

どちらも小学生なりに理解をしていた。

祖父が亡くなったときも、父が亡くなったときも、悲しくて涙が流れたが10分もしないうちに止まった。

泣いたって生き返らないから。

自殺とかだったらまた違ったのかもしれない。

私の場合はどちらも病死だった。その時の私はクソガキだったから、医者から直接病名などを聞いたわけではない。

母が親戚に話しているところを聞いて知った。音楽を聴いているふりをして、少し音量を下げて聞き耳を立てていた。

「早く元気になってね」

何度言っただろう。

もうずっと目を覚まさな祖父、日に日に弱っていく父。

祖父モルヒネを投与して1カ月ほど持ちこたえたが、父は3日で亡くなった。

悲しいという感情は確かにある。しかし、心のどこかでもう戻ってこない、もういないと思っている。

はいつか死ぬ。それが生まれてすぐかもしれないし、しわしわのよぼよぼになってからかもわからない。

死ぬタイミングは(自殺しない限り)選べない。

私は人の死に対して疎いのだろうか。何かの感情が欠落しているのだろうか。

お母さんが心配気持ちは分かるが、だが私は自分の母とそこまで仲が良くないか理解がしにくい。

父もある日突然病気発覚!というわけではなかった。

からこそ、彼にどう声をかけていいかからない。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307114119

親とちゃんと話し合ってもう少し待ってもらわなきゃ

放っぽり出した所でうまく行くわけがない

ダメなら祖父母にチクる

2017-03-06

世代が変わるごとに普通学歴が上がっていくということは

エリートとかじゃなくてあくまでも中間層下位の話だけど

祖父母の時代は中卒も割りと普通

親の世代高卒も割と普通

自分ときだと大卒普通



ということは、自分の子世代には修士普通、孫世代博士普通になるのだろうか。

既に院進学率は昔よりかなり増えてるし、昔は修士なんて必要あるはずなかった職業修士が求められるようになってるし、あり得る気がしなくもない。

祖父母の同級生で、中卒の人がやっていた職業を、自分の孫世代博士がやるようになるのだろうか、とかトンデモなことを考えてみた。

たとえばアベ政治が怖い、分からない、兄が武器商人だ、弟が政治家だ、父が新聞記者だ、祖父満州国官僚だ、ってじゅうぶん怖いのを気持ち悪いで終わらせていいのか・・・http://imgur.com/WDhANHh

親戚の女の子

親が離婚し父方に引き取られ、父は他県に出稼ぎのため祖父母に育てられる。

高校生のころ父は出稼ぎ先で20くらいの若い女と再婚

高校で成績トップ学校から進学を進められるも、父に進学するなと言われて高卒地元就職

私だったらグレてる。

2017-03-05

男性向けコンテンツ女性向けコンテンツ

ちょっと前に、「ラブライブ!」が某バラエティで紹介され、ライブシーンのVTRが流されているときに、ワイプに写っていた芸人が「これ少女マンガ?」とつぶやいていたのが気になった。

私自身も、田舎に行ったときから持って行った「ぱにぽに」を読んでいたら祖父から「お前、男なのに少女マンガ読んでいるのか!情けない!」と言われたのを覚えている。

また、軽巡矢矧」の生き残りであるハウステンボス経営者への雑誌取材で、艦これ矢矧を見せたら、彼は「最近女の子も船に興味を持ってくれてるんだね」的なことを言っていた

私のようなオタクからしたら、このような系コンテンツはどう見ても男性向けとしか思えないので、不思議だった。

中年以上には、萌えコンテンツは女向けのように思われてしまうのだ。

でも最近ようやくわかった。彼らは男向けのコンテンツとは「巨人の星」や「あしたのジョー」みたいに、ほとんど男しか出てこないコンテンツと思っているのではないかと。

逆に女向けコンテンツも「アタックNo.1」、「エースをねらえ」のようなほとんど女しか出てこないコンテンツと思っているのではないかと。

逆なんだよなぁ・・。むしろ今では「女ばかり出ている」作品こそ男向け、「男ばかり出ている」作品こそ女向けなんですよ・・。もちろん例外はあるけどね。

からプリキュアに男が群がって、ジャンプ少年漫画に女が群がるんだよね。

2017-03-04

上司コンビニ店員にはやさしくて嫉妬

やな上司というのはどこにでもいるが、うちにも鬼上司がいる。

所謂自分にも厳しいが他人へも厳しいタイプ

正論でぶん殴ってくる」という比喩は彼にぴったりだ。

そんな上司が、コンビニ店員にはやさしく接していて嫉妬してしまう。

  

上司「~~頂けますか?」

店員「~しますか?」 上司「お願いできますか?」「助かります

 

非常に物腰の低い、もはや謙っていると言ってもいいような接し方をする。

ある時、店員に対してすごく丁寧に接しますよねと思わず言ってしまった。

上司は、う~んと考えたて答えた。

子供の親って厳しいけど、祖父母ってやさしいだろ。親は責任もあるし期待もしているから、厳しく接する。

でも祖父母は責任もないし期待もしていないから、ただ純粋にかわいがれる。

多分そんな感じに近いと思うよ。」

 

その言葉が「お前には期待してる」に聞こえて、今日も頑張ろうと思った

祖父が死んだ

96歳。最後はあまり延命的な措置もせず、穏やかに息を引き取った。

正月に顔を見たときにはまだ体調がよかったが、

2月に入って入院したあたりから

もうほとんどご飯とかも食べれなくなっていたらしい。


自分もっと冷たくて、あんまり他人に関心のない人間だと思ってた。

それでも小さい頃よくしてもらった祖父を思い出すと涙がでた。

何もできない自分。もう声をかけてもらえないんだという寂しさ。

病院に向かう新幹線ホームでこらえることができなかった。


いつか死ぬ自分は、祖父のように穏やかに死ねるだろうか…

2017-03-03

発達障害医療機関に行けというけど

http://mess-y.com/archives/42524

これのブコメ

@irodori_kotori

発達障害かな?と感じたら医療機関へと言うけど予約取るの簡単じゃない。某クリニックの初診予約(5月分)30分リダイヤルで頑張っても撃沈。/ADD傾向で怠けてると思われて父親祖父の躾が激烈化してる息子を救いたい。

その通りだよなと思う

精神病院に行けば何かしらの処方があるかと近隣病院サイトをチェックしてみたが「大きな総合病院に行け」と書いてあるばかりだ

まれつきの障害で完治するわけじゃないし、永久に通うことになるなら駅の近くで対処して欲しい

アルコール依存症の方で受診すればいいのか?

自分ではなく弟のことだが


うちの弟は今30歳なんだけど、小学生の頃に発達障害だと判断されて区のカウンセリングに通っていた

当時自分小学生だったので詳しいことは知らないんだけど、区役所ではない何かの役所?のようなビルまで送り迎えをしていた

箱庭療法かいろいろやったらしい

それが彼にどのような効用をもたらしたかはよく分からない


弟の症状は多動性障害がメインだった

授業中、ずっと座っていることができなくて立ち上がってしま

小二くらいまでは自分クラスまで遊びにきたりしていた

シーンとしている授業中にスーッと引き戸が開き、その隙間から弟の顔が覗いて、自分と目があった途端にニッコリ笑う顔を覚えている

あれは正直ちょっと面白かった

全校朝会でも列を抜け出して前方で当時流行っていたクレヨンしんちゃんの真似をしようとしたり

まりパンツを下ろしてぞ〜うさん♪をやった

あれは恥ずかしすぎて全然面白くなかった

先生も誰も怒っていた記憶はなかったが、自分ものすごく怒ったのでその後の再発はなかった気がする

たぶん

でもしてたような気もするし、あいつがそういう奴だっていうのは受け入れられていたから、もうその時には腹も立たなかったか

同学年の弟がいるクラス女子に「あんなのが自分の弟になったら恥ずかしくて死んじゃう」みたいなこと言われた時には、こいつに弟の良さの何がわからんだと思った

でも弟はそいつの弟とも友だちだったので家に出入りしていたらしく、そこそこお世話になっていたらしい

自分クラスメイト男子には可愛がられていて、本人も年上に声を掛けられるのが嬉しいらしく、いつも彼らの気を引くためにひょうきんなことをしていた

同学年での扱いはどうだったか知らないが、なんとなく女子から嫌われているらしいという雰囲気は伝わってきてた

女の子を叩いて泣かせたり

女の子のものを取りあげたり

そんなことをして人気者になる方がおかし

ただ男子はいつも家に大挙して遊びにきていたのでハブられたり虐められたりはなかったようだ


母親は大変だったと思う

父が子育てが一番大変な時期に不倫やらかしたり、会社が傾きかけて借金取りから逃げ出すために家出をしたりで信用がなかったため、ほぼ彼女一人で対応することになった

バリキャリとして働きに出ていたので手が回るはずがない

連絡簿を弟の担任に手渡す度に「お前も大変だろうが頑張れよ」というようなことをたまに言われたが、なにを?という感じだったし、今でもわからないのだが、もしかしてあの時自分がもう少し弟の世話を上の子らしくやっていれば彼の将来は違ったのかもしれないと考えたりもする

仲のよい兄弟として認識されていたし、実際ケンカもあったし泣かしもしたが、それは四六時中一緒にいたからだ


中学生になってから小学校と同じようにはいかなかった

弟には全校生徒に顔を知られる快感というのが身に染みついていて、根が派手でトンデモな方向にむいているのはそれが原因だろうと思う

それともそれも含めて障害なのかもしれないが、それくらいなら個性のうちではある

中学校に上がり、弟は落ち着いたように見えた

年相応の少年としての情緒を育み、部活動にもチャレンジしたが顧問先生に目を付けられて止めた

これは単純に巡り合わせの不幸だった

問題だったのは成績の方だ

壊滅的に勉強ができず、かといって塾にも向いていない弟は家庭教師をつけることになった

柔らかい女子大学生の先生で、根気よく教えてくれたと思う

ただ、根本的に勉強への意欲を欠く弟の成績を爆上げするには及ばなかった

その後、高校中退するまでずっと見てくれていたが結果には結びつかなかった


高校は昼間もやっている定時制のところに入ったらしい

その頃には別々に暮らしていたためなんとなくしか把握していない

都内にはそのような定時制高校がいくつかあり、弟が通っているのは自由校風で知られた学校だった

中学担任も向いているんじゃないかと言っていた

この先生自分担任したことはなかったが、気に入られていていたのか、たまに呼び止められて話をすることがあった

担任していた生徒の一人が自分の友人で、そいつ揉め事を起こした時に相談を受けたりとか、弟が上がってきた時には「おまえの弟なんとかしてくれ」とか

「おまえの弟なんとかしてくれ」は昔から先生によく言われるセリフで、みんな笑いながら言うので漫才セリフ回しみたいなものだろうと思っていた

だが「あいつはたぶんこの先、苦労するよ」としみじみ言われたとき、そうなのか、とハッとするものがあった

しかし弟の人生は弟のものだし、自分は目の前の人間の表情しか見ずに雰囲気だけで話しているところがあるので「そうでしょうね〜」と流した


弟は高校中退した

その後、いろいろあって今は一緒に暮らしているが、正直お先が真っ暗である

好きな業界バイトをしていた時はよかった

好きなものだったからだろう、そこそこ働けていたらしく、バイトマネージャクラスにまでは行けたらしい

だが、家族から「将来性がないことをいつまでも続けていていいのか」と言われ、そのバイトをやめてしまった

それ以外のことが何もできないなんて、その時はさすがに考えていなかったんだろうと思う

いろいろ試して、でもできないのでまた業界に違う居場所を見つけた

そこは前の場所よりは経営的に真面目なところで、なんというか手堅い仕事をしていた

業界というからには似たような仕事内容ではあるのだが、肝心の成果物を弟はどうしても愛せなかった

自分の良いと思ったものが認められず、どうでもいいと感じる部分がウケているのに納得がいかず、弟はまた転職する

転職先は彼の嗜好に合致し、やる気を持って仕事に向き合っていたらしい

が、気づいた時に彼はサボりがちになり、気がついたら仕事をやめていた

それから三年くらい、末端のバイトをしたり、バイト面接を受けては落とされ、落とされ、落とされ、落とされ、落とされ、落とされ


深酒が過ぎるようになってからカウンセリングを受けてみてはどうかと彼に伝えてみた

壁を殴って敷金礼金が戻らなかったことがある

あれはもう二度とゴメンだし弟もそう思っているだろうが、酒はその信念をなかったことにする

アルコール脳みそが萎縮してからでは遅いし、もうだいぶ縮こまっているんじゃないかとも思うが、弟にとって数少ないストレス緩和手段を取り上げることへの疑問もある


弟は自分自身を嫌っているのに、それを変える方法を知らない

それ以前に自分自身障害への理解もない

本も読まないしニュースも見ないし、そもそも理解する気もないのだと思う

世界社会との接触がないものから自分の外にある知識自称に興味を持つということがない

テレビを見、ゲームをし、インターネット無料コンテンツでただただ時間を浪費している

ADHDの本を居間に置いておいた

読んでみるといいと伝えたが読んでいるのかはわからない

本は弟よりも父親効果があった


発達障害への対応には家族理解と協力と、専門家指導が不可欠だと思う

環境指導が揃わないことには何ともならない

線香

線香が大大大嫌いである。

臭いも大嫌いだが、臭いがなかなか取れないことや、煙で部屋が汚れるのも嫌いである。

祖父祖母葬儀法事で家の中が線香の臭いで充満し、息ができず、眠れないこともあった。

初め、母から理解されなかったが、徐々に受け入れられ、線香は有事の時分のみの使用となった。

そんな私が嫁いだ先は、毎日3度線香をあげる家であった。

勿論、四十九日はとうに過ぎているのだが、なぜか毎日の習慣になっている。

しかも、仏間が居間と近いうえ、食事時間に線香をあげる。

その上、家族の月命日にはお坊さんが来て特別なにおいのする線香をあげてゆく(参加は必須)。

嫁入り当初は本当に耐えられず、居るだけで死ぬような想いをしていたが、

毎日いるうちに服につく匂いもその匂い中食べるご飯にも慣れてきた。

だが、今日お下がりのご飯を自分のお弁当に入れてしまった。

梅で誤魔化したのできっと大丈夫だろうと、つめた際には安請け合いしたが、

なんとも言えない線香の味が口の中に広がっている。

線香が苦手である事実墓場まで持ってゆくつもりだが、なぜなぜどうして、仏は私にこのような苦行を強いるのか。

一時保育って

http://anond.hatelabo.jp/20170215221311

http://b.hatena.ne.jp/entry/324953633/comment/irodori_kotori:embed]

こういう批判って専業主婦だけど一時的に預けたい人(本当は育児ノイローゼ寸前)とかの抑制とかにも繋がっていくから地獄。週5フルタイム勤務で保育園入れられなくて同居選んだけど、それも甘えって言う人いるしな。 - irodori_kotori のコメント / はてなブックマーク


一時保育って普通いわゆる「保育に欠ける」状態でなくても利用出来る様な気がしていたのだけど違うのか?

と思ってちょっとググってみた。

私が住んでいる市とその周辺の市町村ホームページを見た限りでは、一時保育の利用は何らかの事情で「保育に欠ける」以外に「育児を忘れてリフレッシュしたい」というのもOKだと殆ど自治体で明記していた。

調べた中で某市だけがそれを明記していないが、そもそも一時保育を市の事業として行っておらず完全に市内の各保育園に丸投げしているらしい。


で、うちの市では一時保育への申込みはどの様にするのかというと、基本的に早いもの勝ちだ。

まず実施保育園に事前登録をしなければならない。

事前登録をするには保護者自分で園に電話を掛けて面接の予約を取る。(役場の窓口や保健所児童館などに問い合わせても良いが、すると実施保育園電話番号を教えてくれて自分電話するように言われる)そして後日、園に子供を連れていき親子で面接を受け、それで問題が無さそうなら登録が出来る。

大抵の場合からないという事は無い。ただ、母乳以外の飲食物摂取出来る子供である事は必要な条件であるらしい。

実際一時保育を利用する時は、事前登録済みである事と、それから利用したい日の半月前に園に電話で予約する必要がある。

当日利用は定員に空きがある時のみだ。

という風に、予約順でのみ利用出来るか否かが決まる。

すごく混んでいたとしても、利用理由の緊急性や必然性トリアージがなされる事はない。

この一時保育のシステムについては、出生届市役所に出した時に窓口で貰える大量の書類の中の一枚に書かれているのだが、案外目を通さない人が多いのか、あまり広くは知られていない印象だ。


私自身は一時保育を利用した事はなく、保育園併設の子育て支援センターで、職員さんや実際利用している保護者人達から話を聞いただけなのだが、多くの一時保育利用者常連さんの様だ。

前述の様に利用手続きちょっと面倒臭いのと制度自体があまり知られていないからそうなるのかもしれない。

私の知っている限りでは、一時保育の利用理由は、週に3日以内のパートをしている、上の子学校行事、本当にただの息抜きの他、祖父母と同居の為に保育園に落ちたが祖父母が体力的に育児するのが難しいとか、一時保育が子供教育に良い影響を与えると信じているとか、そんな感じ。

ともかく、普通保育園とは違って利用するのに審査はないので、子供を預けてみたい人は、自分なんかが申し込んで良いのか?なんて悩む必要はないと思う。

2017-03-01

祖父母の家では

ビール小皿に少量入れて花壇のそばに置いていた

ビール臭いにつられてナメクジが集まるらしい

なのでビールナメクジイメージが強くて飲み会で困ったことをふと思い出した

今はまあ飲めるようになったけど

でもやっぱり気分の良いものではない

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