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2024-04-23

最近祖父のクソセリフ

•(家族に向かって)め〇らしかおらんな

から家に向かって手伝えと手を振って合図したのに誰も来なかったから。誰が気付くねん

素人しかおらんな

田んぼしろかき手伝ってたとき

あほ

自分の思うように物事いかないとき

2024-04-18

anond:20240418141351

Householdとか日本祖父祖母いるその辺の農家なら数千万からなあ

バブルの時が(当たり前だが)為替とか表面的にバブルだっただけで、

生活レベル特に落ちてないと思うよ

しろ庶民仕事楽になって美味いもん食えてると思う

海外に対する影響力が落ちたというのは問題だがバブルだったわけでそりゃ仕方ない

2024-04-16

anond:20240416133449

母方の祖父実家が茅葺トタンで土間のあるガチ古民家だけど(さすがに住んでる人はいない)

かまどは撤去されて流しになってて土間にはダイニングテーブルが置いてある

何が言いたいかって日本には今も昔も台所で「正座して」飯食う文化は無いですよねってこと

2024-04-14

anond:20240414212325

それは親とか祖父祖母のせいであって

俺にも良い仕事を回せとかいって回ってくるわけないじゃん

金ないから俺にも金くれってのと同じわけで

2024-04-11

anond:20240411111909

👨‍🦳👨‍🦳👨‍🦳これ今でもたまに見たくなるやつwwww

 

W.O.キャンディは甘くてクリーミーなのか?最終鬼畜祖父ヴェルタース・O

https://www.nicovideo.jp/watch/sm2023607

2024-04-09

anond:20240409141611

漫画は今でも読む方法がなんぼでもあるけど、ドラゴンボールアニメって何気にからいかけて見る方法ってあんまないから、累計で考えれば漫画版のほうが多く見られてるかもしれない。

なんぼでもってのは例えば親兄弟が持ってたとか祖父親戚の家にあったとか近所の図書館漫画コーナーにあったとか古本市場立ち読みできたとかそういうやつね。

2024-04-04

昔、変なおばさんに声をかけられた

昨日、友達と「自分地元Googleマップで案内する」という遊びをしていて、ふと思い出したこと

小6の頃、帰宅したあと塾が始まるまで少し時間があって、近くの公園時間を潰していた。

当時、既に携帯電話を持たされていて、ベンチに座って必死ドワンゴメールしたら自動返信が返ってきてしりとりができるみたいなサービスで遊んでいた記憶がある。

不意に、ねえ、お願いがあるんやけど、と声かけられぱっと顔を上げると、

自分母親より少し上ぐらいに見える女性がそこに立っていた。

「おつかい行ってきてくれへん?おつり、全部あげるから

そう言ってその女性は5,000円札を手渡してきた。

かなり怪しかったが、その華奢な中年女性がいきなり襲ってくるようにも思えず、目の前の大金に目がくらんでしまった私は

「何を買ってきたらいいんですか?」と尋ねた。お釣りの大きさで決めようと思ったのだ。

ビールわかるやろ?缶のやつ。あれ一本こうてきてほしいねん。」

「え、お酒ですよね?私、買えへんと思います

大丈夫、おばちゃんのおつかいや言うて、これ持っていってもいいで」

そう言って女性は、自身運転免許証を手渡してきた。

さすがに見ず知らずの子供に運転免許証を預けるなんておかしい、と思った。

おかしいとは思ったのだが、よくよくそ女性を見るとかなり顔色が悪く、もしかすると自分のお使いを託そうとしているのかも?という気がしてきた。

免許証を預かるのは怖かったので、「とりあえず行ってみます」と行って、私は少し遠い酒屋に走った。

たまたま酒屋は配達中で空いていなかったが、その酒屋の前にビール自販機があり、

私はよく祖父にそこに使いっ走りをさせられたので、そこで容易にビールを買えることを知っていた。

しかし、その自販機は5,000円札に対応していなかった。

釣りが発生しないことにかなりうろたえたが、おばさんの5,000円札を預かってきた以上手ぶらで帰ることもできず、迷った挙げ句

塾の行き帰りのバス代としてもらっていた500円でビールを一本と、具合が悪そうなおばさんのためにお茶を一本買って公園に戻った。

おばさんは私が元々座っていたベンチで待っていた。

「ホンマに買ってきてくれたん?優しいなあ」

と言われてはじめて、この人は5,000円を持ち逃げされるリスクを背負っていたのかと気付いた。

私は息を切らしながら

自販機で買えたんですけど、5,000円札が使えへんから自分500円玉かいました、あと、おばちゃん具合悪そうやから…」

と、事の顛末説明してビールお茶と、ポケットの中ですっかりしわくちゃになった5,000札を手渡した。

「えっ!そうなん……。ありがとう…」

おばさんはビールお茶を受け取って、しばらくぼうぜんとした様子だったが、突然うつむいて顔を隠してしまった。

おばさんは泣いていたと思う。

それを確かめるほどの勇気は私にはなかった。

しばらく待っていたが、「あの…塾行かなあかんくて…」と私が切り出すと、

「うん、ありがとうね、5,000円はぜんぶあげるから、なんか美味しいもん食べな」

うつむいたまま言った。

本当に塾の時間が迫っていたので、私は後ろ髪を引かれながらも、その場を立ち去った。それ以来その女性を見たことはない。

2024-04-01

用法・語法や用例を調べもせずにすぐに間違いだと騒ぐ人々

https://twitter.com/taozikw/status/1774344519770849306

JR東日本の駅でこのポスターをみるたびに、この方は、我が子の出産ではなくて、妻の出産か我が子の誕生に駆けつけようとしているんでないの?と不思議なのですが・・・もしかしておじいさんになるところ?

このツイートリプライ引用を見ると、「我が子の出産」と言えば「(話者の)子が(話者の)孫を産む」以外にあり得ないとする人々が多く見受けられる

しかし、以下の用例はおそらくごく自然に読める者が大多数であろう

長男出産には立ち会えたが、次男ときには……」

男が子を産むことは2024年現在はあり得ないので、日本語話者は即座に「長男が産まれとき」の意味選択して理解できる

 

「我が父の出棺」といえば、大抵は父が喪主になって祖父や母を出棺する話ではなく父の遺体が出棺される話であろう

これと同様に、「〇〇の出産」も、文脈上明らかであれば〇〇が産まれることを指す場合は往々にしてある

 

「母の出産ときにはこうだったが、私の出産ときには……」

というと、

解釈する人はそれぞれそれなりにいると思われるし、話者男性であれば間違いなく後者解釈されるであろう

 

多義的であるので「我が子の出産」はコピーとして悪文ではあるかもしれないが、

文法・語法において「我が子が産まれる」という意味で使うのは間違いではない

しゅっ‐さん【出産】 の解説

[名](スル)

子が生まれること。また、子を産むこと。「男子を—する」

産物ができること。産物をつくること。産出。「—地」

2024-03-31

生き物ってカワイイ方向に進化してるよな


最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。

哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。

今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。

1.アナグマ

 去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。

 アナグマイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべ検索するとすぐに出てくる。

 で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチキツネアライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師地元住民殺処分されるところを見てきた。

 正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。

 そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスコンビニホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。

 結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。

 実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である農家は手を出さない。

 私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植え稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。

 私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋キツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属ネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。

 或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋ネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。

 後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父散弾銃を撃ってた。

 キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである

 祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。

「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」

「じいちゃんは、警察に行って銃の免許もっとるん?」

「わしはもっとらん。ひいじいちゃんもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」

「俺も撃ちたい」

「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」

「じいちゃんは捕まらのん

「捕まらんよ。ハタチの頃からずっと漁をやっとる」

 平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対マネしないように。

 さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣駆除行為はひっそりとやりたい。

 話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌であるしかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。

 その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議体験だった。

2.コガネムシ

 今度は市街地での話だ。

 まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわ路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつ出会った。

 歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!

 その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しか車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。

 私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。

 土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。

 どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。

 今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギコナラにくっつけてやる。

3.トカゲ

 これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。

 ある日、家の庭の中にある小道(※田舎から家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。

 現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。

 息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。

 好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。

 私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。

 その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。

 3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。

 次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。

「餌をあげてしまったの?」

「うん。お腹すいてると思って」

「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」

「うん」

「……どう思った?」

「わかんない」

人間常識トカゲ常識は違ったのかもしれないね

「うん」

 そんなやり取りをしたかな。

 そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。

 息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。

4.セミ

 先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女アスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。

 ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。

 その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。

 次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女セミちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。

 一応、セミかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人いるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。



話は長くなったが、結びにしよう。

大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類鳥類可愛いのばかりが残った。

それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。

あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。

2024-03-27

私が生まれた時祖父は52歳だった

祖父は7人兄弟長男だ。

祖父農家林業をしていた。

私は3歳の頃、弟が産まれから半年ほど祖父の家に預けられた。祖父のことも祖母のことも好きだったので嬉しかった。

祖父民謡を流しながらトラックに私を乗せて苗を買いに行ったり田に連れて行ってトラクターコンバインに一緒に乗せてくれた。

スーパーに一緒に行って買い物をしたり、祖父知り合いの家にこれがオレの孫だと連れて行かれたりしていた。

当時はおじいちゃんってすごくお年寄りなのに私のこと大好きでアクティブですごいって思っていたけれど当時55歳だったんだよね、若かったんだなーって。

その後も盆正月におじいちゃんの家に行くとおじさんたちが集まって、私や弟、従兄弟たちと花火したりバーベキューしたり川にカニ取りに行ったり、かまくら作ったり雪合戦したりとかまってくれたんだけど、若いおじさんたちってまだ50歳なってなかったんだなーって。

それだけなんだけどさ。

私が今36歳で、結婚して住んでるとこから飛行機2回乗り継いで、今日5歳と3歳の子ども連れて実家に来てるんだけど、88歳になるおじいちゃんは今もすごく元気で、私と私の子どもたちに会えたことをすごく喜んでくれて。

ほんとありがたいことだわ、何に感謝してるのかわかんないけどほんとありがたいわありがとう

anond:20240327141413

うちの祖父母がそんな感じだったな

いつも祖母がビクビクしてた

先に祖父が死んだら祖母はすぐにボケて施設に入ったけど、施設でも早く家に帰って家事しないと怒られると言ってる


きっと増田もそんな人生を辿るのだろう

中学校教員だけど、仕事休んで旅をした

私は中学校教員だ。

どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。

その顛末を話したい。

休むことにした経緯

大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。

なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果教育実習中学校に配属された。

実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。

この感覚が忘れられず、私は中学校教員になった。


着任当初から雑用が大量に入り、忙殺される毎日だった。

これって本当に教員仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。

また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本年寄りは何でもありの価値観蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。

これらの業務事務職員仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。

授業準備をしたくても事務作業で全く手に付かず。

やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。

建前では休憩時間はあるらしいが、その時間業務が振ってきて休むこともできず。

おまけに最近アクティブラーニングICT重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。


それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。

体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。

生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。

授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。

アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ鉄道ネタ自虐ネタ淫夢ネタちょっと不謹慎ネタなどを入れるだけで笑いが取れた。

定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。

勤務時間外も、次はどんな授業をしようかと自然に考えていた。


しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。

例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つから教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。

なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。

また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。

(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)


あいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。

生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。

他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。

鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。

どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。

事情聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的からやっている」と。

今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。

大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。

管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。

その後校長教頭の2名から時間のお説教

教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。

校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言


なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。

気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。

隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。

私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなた完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。

また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。


何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。

テレビをつけると、時代劇切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。

通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。

(日本労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)

その後の数日、外出したいとも思わなかった。


ふと思いついた逃避行

そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。

しかし今回はその気持ち特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。


渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」

島村卯月「早く休まないと…大変です!」

本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」


あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。

今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。

そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。

高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。


だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。

一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。

なぜなら母親仕事を、父親世間体神聖視しているからだ。

母親祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。

まり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。

父親偉そうに上司にも独りよがりイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。

自分の思い通りにならない、またはその仕事責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。


その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。

となると、どのような手段で休もうか。

休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復絶望的だろうと思った。

じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。


ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。

利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。

ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。

日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式手続きは出勤できてから問題ないらしい。

ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。

逃避行精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。

病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。


1日目・江ノ島に行った

今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除トイレ掃除を念入りに。

教員労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。

始業後に連絡すると迷惑だろうから自分所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間制限特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。

学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。

「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?

また、始業時間直後には勤務校に電話し同様のことを伝えた。

元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。

何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。


混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。

家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。

どんなラフ恰好って?それは…

本田未央ちゃんフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツ羽織

本田未央ちゃんスポーツタオル首にかけ

本田未央ちゃん腕時計(キャラアニスーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に

本田未央ちゃんリストバンドを右腕に

本田未央ちゃんハンカチポケット

本田未央ちゃん渋谷凛ちゃん島村卯月ちゃんぬいぐるみカバンしま

・八宮めぐるちゃんライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーカバンに付けた。

どうだ、カッコイイだろ。


普段通勤時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。

まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。

ATMお金を引き出し、藤沢までの切符ロマンスカー指定券を購入(本当は特急券不要快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。

江ノ島方面ロマンスカー夕方までないとのことなので、相模大野普通電車に乗り換えることにした。

指定列車まで時間があるので新宿駅周辺を散策

横断歩道信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーかい宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。


コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。

飽きたので、Amazon大崎甜花ちゃんフルグラフィックTシャツポチっと購入。送料込みで7,321円也。

小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間代々木上原向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急緩行線走行するようになったらしい。


藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。

乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間制限されないICカードしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。

ここまでの切符を入れ、すばやくICカードタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードEX-IC不要)。

ここから神奈川ジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。

強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。

大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両棺桶じゃないぞ。

思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスかぶつかるのでは。

湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。

15分程度で終点湘南江の島に到着。テラスアイドルたちと記念撮影


そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。

雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。

1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。

岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎セリフを考えると非常に面白い

最後物販店くじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。

景品は大きなイルカぬいぐるみだった。


江ノ島にも行った。

時間が遅いので頂上を経由してその奥の海岸洞窟だけ見た。

恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影

気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。


時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。


帰りは江ノ電鎌倉を経由。

江ノ電は意外にもVISAタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。

日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州一般的QRコード付きの切符任意場所印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。

そこでVISAタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。

そんななか、また担当アイドルが話しかけてきた。

島村卯月「本当に休めましたか?もう一日休んだ方が…」

渋谷凛「ねぇ、まだ疲れてるでしょ。明日も休めば」

本田未央今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」

よし、明日箱根へ行こう。


2日目・箱根に行った

勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。

電話教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。


汗で汚れるのだから昨日と同じシャツは着れない。

そこで、今日アロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんTシャツを。


いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。

グーグルマップでその幼稚園電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。

その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間かぶっており保護者子供を預けに来ていた。

乙倉悠貴ちゃんTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツボタンを閉めて事務室へ。

対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。


暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。

昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。

昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。

今日バス電車を乗り継いで新宿へ。今日小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。

なんと小田急自動券売機クレジットカード対応していた。箱根湯本までの切符特急券を買うと、なぜか乗車券小田原箱根湯本のものしか出てこなかった。

仕方ないので隣の券売機新宿小田原切符を購入。

小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿小田原切符特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札事情を話すことにした。

今日セブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。

電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。

車内でつまみを全部食べ終わってからPermalink | 記事への反応(12) | 13:12

2024-03-26

anond:20240326134447

ゲームやらないから知らんけど、生活の糧として仕事を安定させようとしたらそういうアウトプットになるんじゃない?

最近文化資本モリモリ勢も世代を重ねて祖父くらいの世代から既にモリモリだった感じになってるだろうし、ワークライフバランス重視というかライフ中心主義みたいな価値観流行りだから上流階級ほどそこに素直に乗っかるでしょ。

実家茶の間

実家に帰ったら、母が昼間からこたつに入ってワイドショーを見てる。

大谷翔平専属通訳がどうのって話題

「そんだけ賭博につっこんてで奧さんも知らんかったってそんな筈ないで」

「こんだけ稼いでてなんでこんなことするんやろな」

大谷翔平もかなんやろなー」

二階の会見。

「この人いくつなん。お祖父ちゃんと同じ歳ちゃうん」

「いいかげん辞めたらええのになー」

なんか適当コメントするコメンテーター

「この人好かんわ」

チャンネルを変える。

国会中継やってる。

見ない。飛ばす。

なんかドラマ再放送やってる。

見ない。これも飛ばす。

別のワイドショー

能登ニュース

「ほんまこわいなー」

また二階の会見になる。

「またこれや」

ちゃんねるを変える。

ワイドショーツッコミながら、えんえんと。

この実家茶の間空気がいくつになっても嫌だ。

この空気が嫌で嫌で実家から足が遠のく。

うちだけか。

どこも一緒なのかな、田舎実家茶の間

祖父も叔母も皆すべき道を通り

自分身体大事にしていて

私のこれはこのまま行けば何かを脅かす物になるのか

いや既に蝕まれているものはあるけど

   精神異常

   2月22日に、本人が住んでいるところに30000円を返還せよと言いに行っただけのこと。来月には返せる・・・というので、3月25日に行った。

   貸した金を返せというだけのことで、そもそも何で返さないのか?それ自体が頭がおかしい。貸した金と関係のないことを延々という。借りておいて盗人猛々しい

   非常に状態が悪く、近隣住民からは、自演臭がするし、3000円ずつ返そうかしらなどという有益にも有用でもないようなことを言う。

   借主はとんずらこいて遠くの方に逃走し、22日以降に帰って来たがまた逃走しているらしい。祖父もぐら、祖母もぐら、母親もぐら、父親もぐら、もぐら、もぐら、もぐら、もぐら、もぐら、もぐら

   の中の一人で、都合のいいことは知っていて都合の悪いことは知らないという。周辺の住環境は、2月22日にみたときは、学校がある、海がある、といった状況だが、昔から何度か

   自転車で来ていた場所で初めて来たわけではない。一般人が与り知らない、バクサイなどのSNS使用して裏で連絡を取り合っていない限り知りえないような言動を行う。

   用が終わると周辺の環境は真っ暗としており、空き家のような家もあれば、明かりがついている家もある。空き家のような家だからと言って住んでいないわけではなく多分誰かそこに

   いるのであろうと思う。借主のもぐらは、男と逃亡したが、男は逮捕されたという。しかし具体的なことは何も言わない。何も具体性がない。

2024-03-25

anond:20240325130041

代々同じ土地に住んでる人の発想って感じ

自身は少なくとも祖父世代から筋金入りの根無し草やで

2024-03-22

ビースターズ最終章アニメ楽しみだなー

あの世界の白眉は、異種族同士でも子供をつくれるところ

現実ではコモドオオトカゲオオカミ交尾しても子供はできない

でもあの世界ではできる

体のスケール現実動物に準じた世界主人公レゴシが

それほど大きくないハイイロオオカミ(160cmぐらい)なのに、長身で190cmぐらいあるのは祖父コモドオオトカゲ(2m超える)だから

クォーターレゴシは純血のオオカミかのように生きていけるが、コモドオオトカゲの要素も濃く受け継いだ母の人生過酷

現実では生まれない血の組み合わせによる生きづらさが最終章テーマかな

わりと行き当たりばったりに描いてるっぽくて雑な作品だが、アニメはいい感じにまとめてくれそう

2024-03-21

  私が思いますのに、佐藤延岡市についてどのように思っているのか分かりません。私は卒業アルバムから中村慎治の実家が、野地町4-2196-1にあることを知りましたが

  グリコ牛乳特約店と書いてあるばかりで人が住んでいるのかは分からない。午前4時になると明かりがついているので、その親の老婆が住んでいる可能性はありますが、2023年11月

  のグーグルマップに移りこんでいる車に乗り込んでいる男がそうかとも思いますが、本人は東京かどこかに仕事に出ているのでその高齢になる親しかそこに住んでいない気がします。

  従いまして多分、電話訪問等をしても、慎治はいないのではないか平成9年のことですが慎治の家に電話をしたときにそこの母親電話に出て、慎治は風呂に入っていますという返答が

  あっただけですが、美しい家に住んでいるような感想があった。しかし、今回言ってみたら、汚いあばら家のような感じだった。これがあの中村慎治の家なのだろうかと思った。もしかしたら祖父祖母

  だけが住んでいて、母親と本人は都会に出て言っているのかも知れませんが、平成9年の時点で、慎治と母親が、4-2196-1に住んでいたとは理解し難い。

2024-03-20

うちの会社では社員恋愛にも社員同士の結婚も何も言わないけど、長年「子供が生まれたら女性退職」というルールは守ってもらっていた。

その代わり、子供のいる社員には大手企業以上に様々な名目で手当てを支給してきた。

これは会社のためでもなく、社員のためでもなく、純粋子供のためのルールだった。

うちの会社創業者は私の父親

満州から幼かった叔父や叔母を引き連れて祖母と共に日本に帰ってきた過去がある。

祖父シベリアに行きそのまま亡くなった。

父はそれなりの歳だったので、祖母と父が家計を支え叔父や叔母を育てた。

それでも父がおらず母も働きに出ており、とても寂しがる叔父や叔母の姿を見てきたそうだ。

時は流れ、私は新卒入社した会社退職後継者として父の会社入社した。

その頃、結婚して子供が生まれても会社退職する気のない事務女性がちらほら出始めた。

幼い頃の叔母や叔父の悲しみを知る父は「平和な世の中であえて子供に寂しい思いをさせる母親とは何事か!子供には母親まな板を叩く音で目を覚まし、まな板を叩く母親背中に迎えられ家に帰る権利がある!」と憤激し今のルールを制定した。

時はさらに流れて私が代表、父が会長となり、さらに父が亡くなってからもこのルールは守ってきた。

しかし、私が膵臓がんにより会長に退いて病床に伏している間に後継の甥はこのルール廃止してしまった。

今ではむしろ子育て仕事を両立できる」ことを人材募集の場でアピールしているらしい。

人手が得られて会社は喜ぶ。

働けて社員は喜ぶ。

収入二馬力になり配偶者社員も喜ぶ。

裏では寂しく泣く子供かな。

2024-03-18

祖父の死にかた

祖父おかしな咳をしていて祖母病院に行くよう言われていたのに病院が嫌いだと放置して煙草を吸い続けて、ついに救急車で運ばれて肺がんの末期で、打つ手なしの状態になっており入院7日で死亡した。75歳だった。

祖母祖父を見送ったあと脳出血で倒れて手術し、身体障碍と認知症が出ている状態で15年くらい介護施設にいて、たしか88歳で死んだ。

どっちの死に方が良いか

自分は、祖父の死に方が良い。救急車で運ばれる直前まで、車を運転し、好きに動き回り、自由に生きていた。死ぬギリギリまで好きに動き回っていたい。

2024-03-17

anond:20240317220011

明治時代郵便ポストの『郵便』を「垂れ便」と読み間違えてホースを上向きにして発射したオマエの曾祖父の話はいいんだよ😁

2024-03-13

祖父や両親の話聞いてるとここには不幸の連鎖が起きてるなあ

というのがわかる

ご近所の先祖話を聞くと今に続くエリート歴史にさもありなん

という気になる

モテないのはそういう宿業が身から立ち上ってるせいかもしれん

そもそもモテたいと思わないところがDNA自体ここで終わりや

と決めてんのかも

85歳の祖父肺炎になってICUに入った

が、復活した

強風の中ゴルフ行ってきて、今カレー食べてる

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