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2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。

仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

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 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-04-12

anond:20240411132520

誰か相談乗って欲しいです。

私、精神的に心が壊れてきてて。

精神科に行きたいんですけど、中々難しくて。

2ヶ月待ちとか、そんな感じなんですよね。

で、バイト決まってたんです。

ちなみにまだバイトシフト?日程は決まってなくて。

オリエンテーション的なのに、今度行くんです。

で、かなり凄く、あれで。

バイトできなさそうで。

サークルは無理やり入っちゃったからあれですけど、バイトはやめようかなとか考えてて。

こういう場合って、まだバイト入ってない状態ではあるけど辞めれるんですかね?

2024-01-29

Mensa会員になって5年ぐらいったったので印象まとめる

自分: 地方でその地域に住んでるMensaの人たちと交流ある程度。公式例会みたいな東京で会員集めて色々決めるみたいなのは行ったことないし、委員会みたいなのもかかわったことないレベル

あんまり変な人はいない

少なくとも変なテスト高得点出した人っていうフィルタをした割にはやばいやつ遭遇率は普通社会と大差ない印象だった。

ただいないわけじゃないし、昔委員会で色々トラブル起こしてる人もいたみたいだし、人間関係トラブルはあると思う。

その辺は人がそれなりに集まればそうよねという感じ、超少数の地方とかでなければ避ければいいだけなのでそんなに問題いかなという印象。

雰囲気理系っぽい?

理系じゃないから知らないけど理系の人が多いし、落ち着いてる人が多い感じがする。

自分体育会系だったので言えるけど、少なくとも体育会系のノリみたいなのはなかった。

意外とコミュニケーション取ってくれる人が多い

例えば県外から出張できたMensaの人を交えて飲み会するとか、定期的にそういう場を提供してくれる人とか。

ただこれはそもそもMensaでの集まりほとんどはMensa運営企画するわけじゃなくて個々人がやることなので、集まるのが能動的に人と関わりたい人になるからかもしれない。

実際オリエンテーションで見かけた人たちの8割ぐらいは見なくなった気がする。

ボドゲ楽しい

自分にとってのMensaはほぼボドゲを遊ぶための場になってる。

個人的ボドゲカフェみたいなところに単身突撃して入れてもらうみたいなのハードルが高すぎるので、ボドゲ遊びたい人にはいコミュニティかもしれない。

連休でみんなで泊まり込みで重めのボドゲしようといっても集まってくれる人がいたりするので本当に助かる。

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結局のところただの人の集まりしかないので、共通趣味をうまく見つけて遊べたら友達もできるし楽しいという感じ。

Mensa会員という話はリアルでは誰にもしていないし、運営側にもかかわる気はないので、うまく使えば友人が作れたり趣味を共有できたりする便利コミュニティというのが自分の印象でした。

ただ個人的にこれはすごく大きくて、社会人になってから家に遊びに行ったりするレベルでの友人はMensa経由でしかできていないので入ってよかったなと思います

職業の幅も広かったり趣味の幅も広かったりでいろんな話がきけるのもいいです。印象深いのはお坊さんの話と世界一周した人の話かな、研究者の人とかもたまにいるけどむずすぎて何言ってるかわからないという。

2023-12-22

生存バイアスしかない不眠症と付き合ってきた50年

※単に実家が太かったという結論で終わるかもしれない

小学校時代

四年生ぐらいまでのことはあまり覚えてません

5~6年の時は既に寝つきが悪く、朝起きるのがほんとうに毎朝しんどかったです

廊下公園で走り回ったりなどはしてました

食は細かった

9時にはお布団に入らされてました

布団の中で海中電灯で漫画読んだりしてた

起きれてた理由は起きないとしばかれるからです

(起きずにしばかれたことはそんなに多くないが、機嫌が悪いともっと些細な理由でしばかれるので)

中学校時代

小学校時代とあまり変わらず。

学校はずっと楽しかったのでそれも起きるモチベだったか

(というか家にいるのが辛かった)

高校時代

詳細は省きますが、祖父母保護者代わりになりました。

小中に比べたら学校がそこまで楽しくなくなりましたが、友人に恵まれて、行ったり休んだりしてました

小中で無理やり起きていた(起こされていた)延長と、おじいちゃんの優しさで、起きれそうな時は起きて学校に行き

授業中に寝てました

家では夜中はずっとゲーム

おそらく単位は足りてません

追試とかいう話も周囲でも聞いたことがなかったので、

そもそも落ちこぼれが来るはずもない進学校

たまに来たイレギュラー事なかれ主義というか面倒なので色々書類いじって放置卒業できたのかと

大学時代

オリエンテーションかなにかの存在がわからず、あっという間に夏休みになり

バイト教習所に明け暮れている日々で取得単位ゼロ中退

フリーター時代

フリーターという名の半ニート

日雇いで小遣いを稼ぎ、ゲームに明け暮れる日々

おうちに屋根ライフライン各種も、お腹が減ったら食べれる食材もあったので実家の太さと寛容な家族大事

週に一回おばあちゃんが作ってくれたご飯を目の前で食べるくらいであとは完全に自分リズムでの生活

勝手炊飯器ご飯冷蔵庫食材を食べ、

ぶっ倒れるまでゲーム自動的に目が覚めるまで寝るの繰り返し

専門学校時代

このままではいけないと気づき

入学

幸いにして、起き続けるという才能はあったので、とりあえず、寝れそうになかったら置き続けるという作戦で2年間過ごしました

単位?出席日数はほとんどの教科でギリギリ

2/3以上の出席が必要だったので、事前に授業数を計算して常に1日休んでもまだ大丈夫以上の状態を保って、手帳に書いてました

結果分母はわからんが、3つぐらいがほんとにギリギリ、他ほとんどもあと1日~2日休んだら留年レベル卒業

サラリーマン時代

基本的専門学校と同じで、起きれそうになかったら起き続ける作戦

途中から奥さんが起してくれることに。(起きるまで起こしてくれるので100%起きれる)

職種的に、フレックスで9時に起きたら(10分後には電車に乗ってるので)コア間に合うというのもあって、遅刻しても怒られないというのもあって

有給と半休を全消化しつつ、休日出勤で得た代休も利用しつつで

いろいろぶっこわれて、退職して離婚

40歳ぐらい?

眠剤ガチャやらなんやらしつつ今に至る

2023-11-18

anond:20231116212314

爆笑問題は二人とも生まれ階層について嘘ついたり過小申告したり全然してないけど、彼らの昔の思い出話聞いてるだけでもうマジで金には一切困らず育てられたんだなっていうのビンビン伝わってくる

あと日芸なんて行かせちゃ絶対ダメだなと思った。マウント合戦に敗れて4月オリエンテーション合宿中退とか異常空間だろ

2023-10-07

anond:20231004010718

そうやって生存競争場所で選別の場所だって先に言ってくれればいいんだけど

建前上やってはいけないことになってるからモラルに欠ける人間が有利になるという

糞みたいなスクリーニングになってるんだよね

オリエンテーションで明言してみんなが効率よくいじめ戦略を立てるべきなんだよ

バトルロワイアルだって殺し合いですって最初説明したし

2023-09-28

男の人はどうして気が付かないの?


恋愛的な意味になる。男性を見ていて、本当に鈍いと思うことがある。人生でそう何度もあるわけじゃない機会だ。ここで愚痴らせてほしい。女の子不憫すぎる。どうして男の人は気が付かないの?と思ったことがそれくらいある。

若い年齢ではないから、リアルな感じは伝わらないし、違和感もあるかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。

これまでに何十回とそういうのを見てきたけど、年代別に3人だけ語りたい。それぞれ、高校生の時とか、大学生の時とか、社会人の時とかいろいろある。

小町とかで書いた経験もない。文章は不足してると思う。読みにくかったらごめんなさい。



一つめは、高校部活での出来事になる。文化系部活に入っていて、社会福祉活動をしてた。今の言葉でいうと、ヒューマンライツ部みたいな名前だった。

ハンセン病とか、人権があやぶまれている人達のために募金活動をしたり、東日本大震災被害者のためにカンパお金を集めたり、署名活動をしたり、あとは非核運動にも参加していた。集めた募金の方は、政党や団体に寄付していた。

書いてるうちに懐かしくなってきた。自慢にはなるけど、実績のある部活動だった。広島県庁からも、文部科学省からインタビュー依頼があったり、賞をもらった。

忙しい時はとにかく多忙だったけど、普段はそこまでやることもなかった。そんな日は、狭い部室棟の一室で、みんなで雑談して盛り上がっていた。その部室で、ある時、当時は高3だった私と、同じく高3の女の子と、高2の男の子がいた。3人だけだった。

私は人権学習資料を読んでいて、あとの2人は楽しげにトークをしていた。ちょっとうるさくて、注意しようか迷ったけど、そういう雰囲気の2人なんだなと思ってやめた。

気がついたら6時半になっていて、もう帰ろうかと思ってたら、高3ちゃんが高2君に話をはじめた。

「ねえ。なべは帰りは自転車だっけ」

はい。坂降りたとこの駐輪場チャリ置いてます

「うちは電車なんだけど、じゃあ途中まで一緒だね」

「途中……あぁ、あの坂が途中で別れますよね」

「なあ、今日いっしょに帰らん? 駅まで。暗いし」

「途中までなら」

「駅まで帰らん?送ってくれん?怖い」

「うーん」

イライラしていた。高2君に。男はここまで愚かなんだろうかって、この時絶対にそう思っていた。高3ちゃんは黙ってたけど、一声を振り絞ったのを覚えてる。

「ねえ。なべー、今日一緒にかえろ?」

「すいません。帰れないです。今日は家まで急ぎなので」

さっきまで、あんなに楽しい調子で話してたのに。なんだったんだろう。だったら、さっさとあなた1人で帰ればいいのに。どうして、ここまできて駅まで送ってあげないの?

どうして、男の人はこんなことをするんだろう。たとえ乗り気じゃなくても、一緒に帰るのがマナーだと思う。高3ちゃんは、性格のいい子だった。外見だって。私から見てもブサイクじゃない。

なんで、高2君はあの時、誘いを断ったんだろう。一般的男子だったら、一緒に帰るものだと思う。

彼のような男性が減ってほしいと願う。高3ちゃん勇気無駄になってしまった。ひどすぎる。



二つめになる。

大学生の時だった。教職課程を取っていた私は、ある難しいグループ講義に参加していた。教育方法学だったと思う。6人でチームを作って、先生が出した課題に沿ってグループ内で討論をして、レポート半年間で4回作って提出する。2・3年生が中心の講義だった。

私が通っていた大学では教職課程最難関と言われていて、まじめに受けても3人中2人しか単位がもらえないという話だった(しかほとんどの人が「可」の評価)。当然必修科目だ。

私が入った講義グループ(チーム)は、3年生が1人、2年生が5人で偏りがあった。講義の初回はオリエンテーションで難しくなかったけど、2回目からは本格的な教育学の討論が入って(エリクソンの発達課題?)、みんな自分意見が出せずに苦戦してた。しかも、2週間後には関連付けたレポートを出さないといけない。

私もぜんぜんわからなかったけど、話の種はなんとか出てきて、ノート記述を書き留めていって……でも、次の回になると課題もっと難しくなった。上の課題が、別の経済問題(非正規雇用とかの多様な働き方)と関連付いていた。

ほかのみんなも黙り込んでしまってどうしよう、となったところで3年生の男の人が口火をきった。なんて言ったかは詳しく覚えてないけど、「先生意図は、どうやったら主体的な学びができる子を増やせるかだと思う〜」という内容からはじまって、経済問題につなげていって、話を終える頃にはグループ全員が小レポートを作れるくらいの論がたまっていた。

講義終了後に、担当講師の人が用意したチーム単位登録制SNSがあったんだけど、そこでも自分の論考をオープンにしていて、みんなその人の意見を参考にしていた。

第1回のレポートを終える頃には、チームのある女の子(大2ちゃん)が、その3年生(大3君)にひたむきな視線を送っていた。

講義中に話をする機会があったら、大2ちゃんはまっすぐに大3君の目をみていた。座っている同士だと、講義机の上に両手をちょこんと載せて、口を結んで彼を見ていた。お互いに立っている時だと、背筋をのばして大3君を見上げるみたいにして、できるだけ近くに寄ろうとしてる。

そういう姿を見るのが楽しみだった。大3君は、見た目はぼやっとしているけど、頭の回転が早くて、堂々としてた。私自身も、いい人だな、ご飯に誘われたらどうしようと思ってた。

第2回、第3回のレポートも提出が終わって、いよいよ最後レポートを出す直前の講義だった。

その講義責任者だった教育学部の教授から言われたのは、「最後レポートを出す前に、お互いを評価あいましょう」というものだった。5点満点で、メンバーがそれぞれ評価を出し合って、平均点が最終レポートに加算されるみたいだ。

その時、6人のメンバーは長机×2にそれぞれ座っていて、その5点満点の評価シートを眺めていた。緊張感があったと思う。人生初めての経験だった。

そしたら、大3君が言い出した。「これは、お互いに満点をつけるために存在しているとしか思えないから、みんなそうしよう」って。

みんなうんうん、と頷いていた。かくして、私たちはお互いに5点を投じ合った。大2ちゃんは、彼のそんな様子をあこがれの視線で観ていた。もう、第三者にもわかるような、それくらいわかりやすかった。

でも結局、彼女の想いは報われなかった。最終レポートを出し終えて、「最後飲み会をしよう」となった時だった。福岡市内にある落ち着いた雰囲気居酒屋で、みんなで六人だけの飲み会を楽しんだのだけど、わたし達は一緒に見計らって、大3君と大2ちゃんをくっつけようという話になった。

席を隣にしたり、一緒に話す機会を作ったり、ふたりがいっしょになるように計らっていた。でも…大3君は、そんな彼女スルーしてた。仲良くする気配もなくて、ただ「そうだね」みたいに呟いてた。

その後、最後のチャンスということで、大2ちゃんが彼をご飯に誘ってみて、一緒にデートしたみたいだった。けど、大3君から特にアプローチはなく。

告白しようか、と思ったみたいだけど、傷つくのが嫌だからやめた方がいいかなって彼女は言ってた。私もそうした方がいいと思って「待った方がいいよ」と、一通り話を聞いた後で助言した。

私が許せなかったのは、その次の年の別講義で私と大3君が同じ班になった時、一緒にご飯に行く機会があったんだけど、彼はその時「実は、大2ちゃんのことが気になってた」と意味不明なことを言ってた。

こいつ最低だと思った。自分の想いも告げないのに、勝手にフラれた気になって、自分からは動かないのに。どうして、男性はここまで自分勝手なんだろう。

2ちゃんが気になってるなら、彼からご飯に誘って、彼からそれとない会話をして、彼から告白して、とにかく想いを告げるのは男性役割だ。



もう過ぎたことだけど、今でもそういう煮え切らない態度の男性を見ると、正直腹が立つことがある。

三つめになるけど、今の職場でいうと、私と同じ齢の30手前くらいの男性がいて、彼は多分、私の同僚の好意に気づいているのに、なにもしようとしない。私はすぐ近くの席で見てたから知ってる。

の子は、彼と目が合いそうになったらすぐに逸らしたり、廊下ですれ違う時に端っこに寄ったり、彼と話をする時にまっすぐ背を伸ばして彼の顔を見詰めたり、話をしている時は声が極端に高かったり、低かったり…そういうわかりやすい態度で示してるのに、その男性は知らん顔をしている。

結婚してる人じゃないよ。念のため。

その男性も、会社飲み会二次会では「あの子が気になるかも」ってトークをしてた。お酒の席だから冗談かもしれないけど、私からすると彼も彼女のことが気になってる。



男性って、どういう気持ちでそんなことをするんだろう。女の子からアプローチがあって、しか自分がその子を気になってるのに…どうしてそんな行動が取れるんだろう。

私にとっては、男性のそういうところが理解できない。悲しい話ばかりになったけど、我慢できなかった。今回は、自分気持ちを正直に言ってみたつもりだ。厳しい意見覚悟してる。一増田意見として読んでほしい。

2023-08-28

F欄の割にはまともな文章が書けてる

私は、Fラン大学出身です。私は、大学入学後、入学式の学科オリエンテーション学部から講義に出とくだけで進級できるとか思わないでください。」と言われました。

これは、おそらく、講義に出とくだけで進級できると勘違いしている学生がいると思ったから、言ったんだと思います

じゃあ早稲田慶應明治などの学生でも講義に出とくだけで進級できると勘違いしている学生は、いるんですかね?

f欄ってもっとボキャ貧爆サイ民みたいな鳴き声じみたワンパターンなことしか書けないのかとか思ってたよ

2023-07-27

anond:20230725153518

レポートの書き方はかなり指導されたけどな

入学直後のオリエンテーションでも『理科系の作文技術』は絶対に読めと言われたし

2023-05-07

anond:20230507141846

ワイも30間近で社会復帰たからギリ大丈夫やろ

プログラム系なら30歳まで無料講習就職まで面倒見てくれるとこあるし

興味本位オリエンテーション参加した事あるけど、バリバリニートぽいおっさん何人かいたぞ

ちゃんと探してんのか?

2023-02-07

見た目って大事だよね

大学入学前のオリエンテーションでさ、目についた同級生がいたのよ

派手な服とか特別整った顔立ちとかではないけどなぜか目についた、お互い

でも話しかけず隣にも座らず、その日は無関係の人のまま終わった

日付が変わって、入学式でまたその子が目についたのよ

また目があって、今度は話しかけて友達になった

15年ほどたった今も定期的に遊んでる

今週末も遊ぶ予定を入れて、それでふと馴れ初めを思い出した

今思えば外見の雰囲気だけで共通するものに気付いて、友達になれそうな気配を感じ取ったんだろうなあ

実際趣味性格は似てるところがあったし(細かく考えると全然違うけど大枠としてはね)

そう考えると見た目って大事

余談だけど誕生日も一緒だったよ

2022-11-28

日本電産忖度文化”の極み

人事部作成「永守会長対応マニュアル

「永守会長へは最高の敬意を込めて対応すること」

「永守会長に『さん』付けは厳禁」

「疲れ知らずの永守会長に『お疲れさまです』と言ってはならない」

 日本電産の内部で、永守重信会長社員対応する際の作法を説く手引書を作成していたことがダイヤモンド編集部取材で分かった。日本電産人事部作成したもので、毎年大量に入社する中途社員に向けたオリエンテーションで使われたという。

 その内容は、永守氏に対する呼称あいつの方法、社内で出会った際の立ち振る舞い、電話メールの受け方、食事会での作法まで多岐にわたり、異様なまでに細かなルールがある。

 1973年創業以降、ハードワークの社風を築いた永守氏。独自経営哲学で競合企業追随を許さない圧倒的スピード経営実践してきたが、時に社員罵倒する強烈な言動には批判もある。

 永守氏は「叱られた社員は私に感謝する。これがパワハラというなら会社はここまで成長していない」と意に介さない様子だが、社員に過度な圧力を掛ける企業風土は、永守氏個人にとどまらず、同氏を取り巻く側近らが組織的に醸成した面もありそうだ。

 ダイヤモンド編集部では、日本電産人事部作成した「永守会長対応マニュアル」を独自に入手した。次ページでは、その内部資料を公開する。中身は時代錯誤ビジネスマナーオンパレード社員に過度な負担を強いて人材疲弊させる異様な企業風土が明らかになった。

https://diamond.jp/articles/-/313403

うーん

創業社長として日本モーターを世界に定着させたのはすごい人だけど、

王朝化しすぎたのかなあ

M&Aしまくったのが一因にあるのは間違いない

2022-10-23

少年自然の家に泊まってきた

家族キャンプイベント家族4人で参加

午後一集合、とりあえず部屋に荷物を置く。

2段ベッド4つの8人部屋を家族で使う。

2段ベッドですでに子供がはしゃぐ。

息子は3回ぐらい天井に頭ぶつける。

オリエンテーションの後軽い自己紹介

娘にやれと言ったらずっと順番来るまで、不安そうな顔でやらなきゃダメ?と聞いてくる。結局俺が喋る。

野外でアスレチック

楽しいけど歩く距離が長いのでアラフィフの俺と妻にはかなりハード

食堂ご飯食べてからかぼちゃジャックランタン作り。かぼちゃも道具も用意してくれる。

娘と息子が道具を取り合いながら完成。

ラウンジで焼きいもと焼きマシュマロ

風呂に入って10時就寝。普段は12時まで寝つけない俺も疲れてたのですぐに寝る。

翌日、朝食も食堂

終わったらメインイベント野外炊飯食材は持参。

薪は用意してあって道具も貸してくれる。

キャンプは全く未経験なので作るのはカレーと串にさしてあって焼くだけの焼き鳥

火おこしは2回失敗したけど3回目で成功

飯盒で炊いたご飯は水が少ないせいで固めだったけど、カレー焼き鳥普通に旨かった。

焼き鳥は鉄のフライパンで焼いたけど、テフロンのやつよりうまい気がする。

道具はきれいに洗って返却。水が冷たいかゴム手袋持ってきてよかった。

4人で一泊2食とアクティティいっぱいでたった9000円でなんかもうしわけないぐらい。

2022-10-17

大人の〇〇ちゃん

今年8月結婚に伴い上京転職した。

転職先はよくある、派遣元正社員になり派遣先で頑張る、特定派遣

転職先には3人先輩がいる。

Aさん(入社6年目)

Bさん(入社4年目)

Bさんが私の教育担当だった。わりと親切に教えてくれていた。

今月から新しくCさんが入ることになった。

Cさんは、私たちより干支1週くらい年上の方なのだ

短期離職を繰り返している人のようだった。

初日オリエンテーションでは前職、前前職、前前前職…の悪口を言う会みたいになっていた。

それ以外にも、業務を教えれば関係ない質問を繰り返し

(ウインドウって×マークしか閉じちゃいけないんですか?とか

改行ってエンタキーじゃないとだめ?それってなんでですか?どういうことですか?←エンタキーの話)

全く進まない。

進んだと思えば「面倒くさいですね」とため息をこぼしながら言う。

それで私以外の2人は(私もだけど)、完全に萎縮。

かと思えば、仕事で使うPCでTwitterや5chまとめサイトなども見ようとしてブロックされ、派遣先から怒られる始末。

それでも「私はやってません!」と言う。←ログを見せても知らんぷり

このCさんへのOJTを先輩2人が拒否し、私がやることに。

毎日この調子で疲れるし、私のOJTに不備があれば、その場に入ってではなくCさんが帰ったあとや居ない時に厳しく言われる。

結構ズタボロな毎日を送っている。

派遣先からクレームがあり、上司が1人ずつ面談

私含めて3人はCさんにとっとと辞めてほしいと思っている。

だが、Cさん本人はやる気に満ちている。

そして、現場を見ていない上司(派遣元)は、Cさんがどうすれば、辞めなくてもいいかを考えていた。

あさっての方向に頑張ってるなという印象でしかないが…その期待も上司はあっさり裏切られた。

上司も来るグループミーティング上司に怒られると察したCさんは、「子どもが熱で…」と早退し、グループミーティングを欠席した。

そして、その日の夜グループミーティングを終えてサイゼリア上司たちとご飯を食べていると信じられない光景が。

Cさんが来た。

しかも夫と、熱の出たはずの子供と、楽しそうに。

席につくなりマスクもせずゲラゲラかい声で笑い、職場いかにぬるいかを喋っていた。

ノーマスクドリンクバーに行くしその場で飲んでおかわりしてるし…

私たちはこれを受けて「やった!!」と思った

上司の心象が悪くなりさえすれば首になる日も近いだろう。

そして月曜日

ミーティング欠席の詫びもなく。いつも通りのCさんだった

上司から信じられない言葉が来た。

増田さんを中心に、Cさんをきっちり指導してください。

やりたくないなら、合理的理由を述べなさい。」というお達し。

…え?

私は小学生の時、ハンディキャップをもった〇〇ちゃんのお世話係を押し付けられて…

まりにも大変で、本人からは癇癪、同級生から応援という名の押し付けあい不登校になった。

今その気持ちが蘇ってきてる。

どうしよう。

大人になってまでこんな目にあわないといけないの…?

私もいい歳であんまり短期離職なんてしたくないのだが。

どうしよう。。。。

2022-10-11

医学部に入ってから誰にも本音を話せなくなった

 医学部入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。

 僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部一般枠で合格した。ちなみに僕の家系医者はおらず、両親は地元会社員である

 入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーション開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIX鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。

 しか入学後の部活新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓セレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。

 とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。

 そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年から解剖学生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味しかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。

 つい最近、W君とCBTに向けてiPadQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部受験したのかと問い詰めた。W君は、一言だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。

 「親ガチャ」というセンシティブワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。

 為せば成る努力は実を結ぶ、と言った陳腐スローガンを掲げてきた地元高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。

 息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。

 そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。

2022-07-23

anond:20220723005653

増田くん、おり、よろしく

「は?」

新人くるから。」

「おりって?」

オリエンテーションだよ、そんなことも知らないのか。」

2022-07-12

原理研究会

自分学生の頃は、ネットは今のように普及しておらず、スマホはもちろん、ガラケーすらもなかった。

そのため、サークル情報は、サークルが配布しているチラシや、先輩や友達から口コミしかなかった。

当然、当時の自分常識知らずだったし、原理研究会統一教会信者運営していることなど知る由もなかった。

自分大学入学時のオリエンテーションで、色々な部活勧誘を受けたが、その中に原理研究会があった。

チラシの内容はよく覚えていないが、世の中の原理原則を探求するようなことが活動方針であったような気がする。

自分勉強けが取り柄の陰キャだったので、入学直後は友達もいなかったし、一人暮らしだったので、情報入手する手段が全くなかった。

実際、自分のような勉強けが取り柄の陰キャからみると、世の中の原理原則を探求する、という謳い文句結構魅力的に思えた。

結局、サークルに入るのは面倒くさそうなので入ることはなかったが、もし入っていたら統一教会勧誘を受ける日々だったのだろうと思うとゾッとする。

自分のように、18かそこらで大学入学して一人暮らしを始めて、陰キャ勉強しか取り柄のない人間はそれなりにいると思う。

そんな人間が、原理研究会に入って、その何割かが、そのまま統一教会に入信するのだろう。

入信のきっかけは寂しさとかもあるかもしれないけど、信者の女の先輩に色目を使われたりとかもありそうだ。

自分男子出身で当時は童貞だったし、恋愛経験も皆無だったので、もし原理研究会に入ってしまい、そこそこ外見の女の先輩から色目を使われたら、もうアウトだったろうと思う。

ただ、自分のような不細工童貞陰キャ男を筆おろししてくれるなら、入る価値はあったかもしれないけど。

(実際は大学卒業前に風俗筆おろししてもらいました。)

2022-07-11

プロテスタント大学での統一教会の扱い

統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント大学での統一教会の扱いについて説明するよ。

https://anond.hatelabo.jp/20220710130132

因みに日本ミッションスクールイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。

 

プロテスタント校では統一教会絶対認定

 

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッションである大学では統一教会活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない

特にピリピリしているのが学内での勧誘原理研偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。

 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

曰く 

 

1.当該学生は呼び出される。

2.教会牧師教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。

3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。

4.偽装サークルを作っていた場合サークル強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース

5.停学の解除条件統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。

6.断った場合例外なく退学。

7.偽装サークル主催者猶予無しに退学。

 

統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。

その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。

増田卒業後にネット原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。

免疫まで無くなってしまうのはちょっと考えものかもな。

 

熾烈な戦闘脱会運動

 

なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。

統一教会国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。

それで牧師たちがこの邪教から学生相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語肉体言語込みになる。

 

1.まずターゲット道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。

2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。

3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。

 

こんな風に非常に強引な手法洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナーカルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。

だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。

 

通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。

人身保護仮処分請求

 

から教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。

牧師達は第三者なので親は仕事を休んで家裁に行く必要もある。

 

からネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。

人権学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校ホームルームであって、こっちは法廷である

本人脱会後で終わりじゃない

 

本人の脱会成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。

非常にしつこく信者接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。

本人は何とか大学卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。

とにかく身を隠す為の生活余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。

実家引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法従事すると本人も家族人生なんて無くなるからずっとましである

 

オウム事件で非ミッションスクールにも飛び火

 

プロテスタント牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一ミッションスクールから手を引いてやりやす普通の私学国公立オルグをしていた。

ところがオウム事件日本中を震撼させると学内でのオルグ問題になってくる。

そこで多くの大学方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会原理研勧誘注意喚起が出され、「原理研偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。

 

因みに1990年頃の大学改革米国式実学学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師自己啓発セミナー勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。

 

名称変更問題

統一教会1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内勧誘が非常に難しくなった。

そこで統一名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合通称:家庭連合だ。

因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営流行のようななのだ

共産主義親玉ソ連が無くなって自由主義陣営共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度攻撃している!家族父性大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族大家族なのか、戦後核家族なのかは敢えて問わないようにした。

 

この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である

これを第2次安倍内閣下村大臣時代に通してしまった。

これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘脱会運動オウム事件で流れた血の果てに統一勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。

 

日本保守プロテスタントの折の悪さ

保守派の論客自民党議員カソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。

それは、以上の経緯で日本プロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。

そもそも統一信者霊感商法家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。

反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)

そういう事情が影響していると思われる。

から日本プロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。

だが、ネットで「日本プロテスタント共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである

2022-06-05

非モテの加害性についての認識

結構前になるが以前、おぎの議員出会い目的趣味に入ってくる事に対する苦言をツイートしていた件からあることを思い出した。大学生の頃のことだ。

一部の女性から非モテ男性=「ストーカーになりそう」「性的加害しそう」というイメージを持っている人がいる。

多くの非モテ男性は加害欲求など持たないどちらかというと引っ込み思案でおとなしい人が多いとこれまで会ってきた人たちから実感してる。

私も10代の頃に恋愛するチャンスに恵まれないどころか同種のバッシング女子やその彼氏たちから受けてきたから実感としても分かる。

知人友人の非モテカテゴライズされる男性たちもどちらかというと優しい人間が多い。

だが、その中に稀に迷惑非モテ男性存在があり、白饅頭が言うところの透明化されて存在認識されない大多数の非モテ男性に変わってそのような迷惑非モテ男性強制的女性認知に入ってくることによって悪いイメージを持ち他の非モテ男性が色眼鏡で見られる被害が起こっているのではないかと思っている。

私が体験した例について書くと、私は地方文系大学出身の男。書くのは他学部の1学年下の男学生についての話だ。

彼はこれから書く事によってよく見かけるようになったんだが、会話を数回したことある程度で名前も覚えていない顔見知り程度の間柄。

彼とは大学生協の新入生オリエンテーションを手伝った際に自分担当したことで知り合った。

当時、サークルでの悩みがあり私は大学が設けているカウンセラーが常駐している相談室という場所に通っていたんだ。

そこは訪れる学生同士が交流やすいように待合室が談話室のようになっていて、そこでその彼とも時々顔を合わすことがあった。

多少、引っ込み思案な性格なのかな?という印象を受ける青年最初特に印象に残っていなかったが、回数が少ないながら何回か会っているうちに会話の最中に他の人が喋っている時に小さな声で俯きながら「彼女欲しい」と何度も呟いたり女性芸能人写真携帯に表示してニヤニヤしているところを見てちょっと関わりたくないなと思うようになった。

当時、私は演劇研究会に入っていて年3回の公演があるため、稽古間中は授業やバイト以外の時間ほとんど部室棟の閉館時間まで部室や稽古使用する部屋で過ごしていた。

しばらくたって部室棟で彼を見かけるようになったが、どうやら国際問題について勉強するサークルに入ったようだった。

その頃には彼とは会話をすることはなくなっていたので、興味がないし自分活動で忙しいこともありそれ以外の様子は知らないままでいた。

私の通っていた大学ではキャンパス全体を使った文化系サークルの合同発表会のような行事があるんだが、私の所属していた演劇研究会はその行事で年度最初の公演を行うため観客の呼び込みや各ステージの準備などを行っていた。

隣の教室は例の彼のいるサークル研究発表の展示を行っていた。

受付で作業をしていると突然そこから大きな物音がした。何か起きたのかと様子を見に行くと例の彼がパネルを倒し、壁や備品を蹴るなど暴れていた。

その場にいたのが女子が多かったので助けを求められ、柔道経験者の先輩が止めに入り私が守衛を呼びに行った。

彼は暴れながら「なんで彼女できないんだよ!?」「いっぱい女子がいるのにおかしい!」など言っていて、その場にいた隣のサークル女子が単に暴れている事以上のものに怯えている様子だったのでその段階で何があったのかはなんとなく想像がついた。

その後、対応守衛さんに任せて私のサークルは無事にその日予定していた2ステージの公演を終えることができた。

行事が終わってから隣のサークルメンバーに聞くと彼はディスカッション資料集めなどの活動中にも会話に入らず女子をジロジロ見たり、小声で「彼女欲しい」と呟いたりでかなりサークル内で疎まれていたそうだ。

その後、彼は研究発表を破壊行動によりできなくしたことによりサークルを辞めさせられたとのこと。。

ここで話が終わりになるとよかったんだが、今度は私が関わり合いになるできごとがあった。

当時、私は同じ学部の2学年下の後輩の女子と付き合っていた。2講目の講義で同じものを受講できるものは一緒に受講して昼休みを一緒に過ごすようにしていた。

学内の休憩スペースで一緒に生協弁当を買って食べたりしていたのだが、ある日、例の彼が私達が一緒に過ごしているのを目撃した。

それから私か彼女をつけているのか私達の近くに座ってニヤニヤ私達を見るということを毎日のようにするようになった。

彼女はそれを怖がっていてその場を離れたり、講義後にお互いのアパートでお昼を食べるようにしたりと行動パターンを変えた。

他にも私の学部女子が多いんだが、クラスメイトや同じゼミメンバーと行動するとき女子グループに私一人もしくはもう一人男子が混ざっている状態になることが多々あった。次の授業が一緒で一緒に移動したりすることがあるからだ。

その際にうしろから例の彼がニヤニヤしながら着いてくるということが何度かあり、他のクラスメイトたちは気づいていないものの私はかなり不快に思った。

その後、私のいる演劇研究会に彼が入部希望だとやってきた。

その時は私と部長の二人だったので、二人で対応したがとりあえず暴れられても困るため「話を聞いて検討してからにしてほしい」と前置きしてサークル説明をした。

彼は活動説明は上の空できちんと聞いていないようで「女の子は何人いますか?」「カップルはいるんですか?」などという質問をしてきた。

正直、演劇が好きだったり、入部当初は演劇のものに詳しくなくても創作活動をしたいというモチベーションで集まっている団体だったため興味がない人に来られても困ると思ったため、「次の公演が翌月あるのでそれを見てから検討してください」とお茶を濁して帰ってもらった。

部長は発表会で暴れた所にはいなかったが、見学者リストに書いた名前を見て名前を知っているとのことだった。

彼はあちこち文化系サークル見学にきては同じような質問をして活動内容の説明にはあからさまに興味がないという態度を取るというのを繰り返しているらしく、サークル代表者MTGで注意すべき人物名前が共有されているとのことだった。そのMTGは彼が来た前日のことだったらしい。

サークル見学だけではなく部室棟に出入りしている女子へのつきまといなどもあったそう。

その日、サークル活動を終えてアパートに帰る途中に待ち伏せされてキャンパス内で一人になった時に絡まれた。

「何人もいるんなら一人ぐらい女をよこせ」といった旨の事を喚いた挙げ句、暴れだしたため走って逃げて守衛室に助けを求めた。

その後、学生課にクレームを入れて少なくとも私のいる場所には現れなくなり、彼を見ることはなくなった。

これは私が経験した内容だが、他にも彼と似たような行動をする男が2,3人確認されているとクラスメイトからいたことがある。

彼のような男との同一視による抑圧によって非モテ男性がやってもいない加害行為嫌悪憎悪をぶつけられるのならば大変不幸なことだと思う。

実際に非モテについて話をしている場ではこのような同一視を見かける。Twitterはもちろん、頻度こそ少ないが実生活でも。

非モテ問題に対してよく言われることとして、見た目を整える、自信を持った態度を取るなどのソリューションを白饅頭氏は書いたりしてるがそれは効果があるとは思ってる。

だが、それらの行動を取ることすら許さないほどの抑圧をこのような同一視から受ける事も私も高校までで経験してきたし、見てきたこともある。

このような少数の問題のある人間イメージがある属性全体に当てはめられてそこから蔑視が行われる件について考える必要があるのかなとTwitterの男女論に思うことがある。

同種の状況に困っている男性は大変多いと思う。

最後出会い目的にある趣味活動に入ってくることだが、私自体はあまり肯定的に見れない部分はあるもの否定はしていない。

その人がその場に敬意を持ってその趣味活動を好きになって仲間になってくれるのであれば歓迎してるくらいだ。

私が話に出した彼のようにその場にいる異性にしか興味を持たず場を荒らすのであれば来てほしくないので、リスペクトや仲間になれるかで歓迎するかどうかが決まるという事じゃないかと思う。

ただ、非モテ男性自身のない人が多いため、なにか夢中になれる趣味を見つけそこから自信を身に着けて自己肯定する力をつけるのはとても良いことだと思っている。

私も非モテだあることを悩んでいた頃は異性から嫌悪をぶつけられたが、大学演劇学業にのめりこんでそこから自信を得てから周囲からの見られ方も変わって、デートしてくれる女性やその中から恋人になってくれる女性も現れるようになった。

男性は同性がうっすら嫌いとすもも氏が言っていて理解できる部分もある。しかし、同じ立場から苦境の外へ導く力があるのもまた同性だと思うので個人的には仲間という関係他者と築ける状況が必要かなと思っている。

あくまでこれは私の経験からの実感なので、もしよろしければこの経験マクロ視点から観測可能ものなのかは興味があるが悲しいか知識不足で分からないというのが現状だ。

私にとっても、自身の身の危険と一歩間違えれば彼と同一視されていた可能性があるという両面から恐ろしかった経験だったため、誰かに話してみたいと思って書いてみた次第だ。

2022-05-29

anond:20220528225041

ジェンダーアイデンティティ(性同一性)と別にジェンダーエクスプレッション(性別表現)という概念があるくらいなんだから、「自分を男/女と感じる事」と「男/女らしさを好む事」はまた別の話なんだろう。セクシュアルオリエンテーション性的指向)という概念もある。

「僕は男だからスカートを穿きたくない」は、「僕はスカートを穿きたくないから男だ」ではないし、仮にスカートが男らしいとされる社会だったら穿きたくないと思わないだろう(あるいは「僕は男だけどスカートを穿きたくない」と思うかもしれない)。

ジェンダー存在しない社会においてジェンダーアイデンティティ存在するかは知らないが、ジェンダー存在しない社会なんて非現実的思考実験しかありえないんじゃないか

ジェンダーが固定的に存在しない社会」はイコールジェンダーが流動的にも存在しない社会」ではない。

ジェンダー存在しない社会というのは、「男が口紅差しスカートを穿いてもいい社会」ではなく「男が女と同じくらい口紅差しスカート穿く社会」だし、「高収入の女が低収入でナヨナヨした相手結婚してもいい社会」ではなく「高収入の女が高収入の男と同じくらい低収入でナヨナヨした相手結婚する社会」だし、「男が男を好きになってもいい社会」ではなく「男が女と同じくらい男を好きになりトイレ更衣室も男女で分かれてない社会」だ。

2022-01-21

獣医学部に行って後悔した話

anond:20220114133403

今なら心の整理がついたので、獣医学部に行って後悔した話を書きつづる。

から20数年前、私立大学獣医学部に進学した。

学力的に言えば、国公立のかなりいいところを狙えるくらいの偏差値ではあったものの、思った通りの合格は勝ち取ることは出来ず、とはいえ資格さえもらえればどこでもいいかと滑り止めの私立大学に進学した。

私は世間一般では裕福な家庭だった。ボンボンだ。

もちろん、一握りのすごいお金持ちというわけではないが、安定して世帯年収1千万は超えていて、とくに浪費しない家だったので、私立大学獣医学部学費と、一人暮らし生活費を与えられる幸運に恵まれた。

私は、昔からソロバンをはじいて行動する可愛くない子供だったので、浪人して1年分の年収が失われる損失、10代の1年が受験勉強に浪費されるという損失などを秤にかけて、資格を得られるなら食いっぱぐれることはないだろうということも計算にいれて(入れたつもりだった)、私立大学に進学した。

いや、違うかもしれない。

お金を出してくれるという安心があって、獣医になれれば私立でもまあいいや。と思ってたから、たいして勉強しなかった。

塾にも行ったことがない。

今あの頃に戻れるなら、もう少し勉強して、一浪してでも東大京大かに入っておけと自分に言いたい。

さて、私立獣医学部というのは、学費が高い。

が、医学部なんかとは違って、一般家庭でも出せないこともない額ではある。

私立理系大学学費が120万くらいのところ、200万。高いといえば高いし、卒業まで6年だ。

といっても、理系修士まで進学する人が多いので、獣医以外の理系なら4年で済むというわけでもないかもだが。

さて、入学して早々(正確には入学式の数日前から)、私はまた人生設計の続きを始めた。

とりあえず入学は果たした。たぶん、ストレート卒業できるだろう。さて、卒業後どうする。

思ったよりも動物病院に勤務は待遇が悪い件

求人票をみてビックリしたのが、週休二日社会保険完備が半分くらいだったこと。

社会保険完備だと初任給が数万安く、逆に初任給が高いところは代わりに社会保険が完備されてないか、あるいはボーナスがない。

今考えれば、個人事業主のところに就職するというのは、そんなもんなんだと思うけれども、当時は動揺した。

給与も、全体的に、当時の大卒初任給より1割くらいは高いような気がしたが、正直がっかりした。

そして、卒業を控えたと思われる6年生らの会話を盗み聞き、動物病院勤務医を選んだということは、いつかは独立を考えなければいけないもの(少なくとも当時は)ということを知った。

考えてみれば当たり前だ。動物病院ほとんどは個人事業主で、終身雇用はあり得ない。

この、中小企業サラリーマンより少しいい程度の給与水準で、開業資金が数千万、無理ではないがかなり苦労するのは18歳でも解った。

自分のような奨学金の返済もないボンボンなら十分可能ではあるけれど、やりたいかと言われたらやりたくはない。

公務員という選択肢があるもの

皆が喜びにあふれてるなか、将来への不安悶々として新入生オリエンテーションに参加。

卒業後の進路の紹介として公務員の話を聞く。

実際、知らないわけではなかった。

獣医といっても皆が動物治療生計をたててるわけではなく、公務員として公衆衛生家畜衛生分野で生きる獣医が多いらしい。

そうはいっても、誰がなるんだ?と思っていた。

この記事を読む人にもご存じない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、公務員として獣医が働く先は大きく二つ。

公衆衛生分野

自治体によって部署名称は違うのだけど、農業関係の部と、ヒトの衛生に関わる部のどちらかに配属される。

農業関係の部だと、家畜保健所に配属されて、自治体のなかの家畜保健所を数年ごと点々とする。

公衆衛生分野、つまりヒトの衛生に関わる部で獣医活躍する場所というと、食肉検査所と保健所の二種類。

食肉検査所というのは、屠畜場で流れてくる肉にオーケーを出す仕事

保健所というのは、スーパーバックヤード指導とか、食中毒が出たらその調査とかなんだけど、なぜそこに獣医なのかというと、もともとは、野良犬捕獲仕事が多かった時代に、狂犬病予防員野良犬捕獲の陣頭指揮という肩書獣医の枠が用意されていたことに由来してて。

今だったらコロナでそれどころじゃないんだけども。

さてさて、仕事内容はとにかくとして、オリエンテーションを終えてからさっそくリサーチ

給料はやっぱり高くない。6年出てるのに、修士よりも低い。このへんも自治体によるけども。

またまた落ち込む。

就職氷河期で仕事があるだけで勝ち組みたいなムード時代ではあったけども、なまじ高校時代偏差値に己惚れていたため、

仕事があるだけラッキーじゃねーよ!年収1千万は目指してーわ!

と泣きたくなる。

単純に、親の年収は超えたかったってのもありますけども。親よりは学校勉強が出来た自負があったので。

さてさて、獣医学部卒業しても、思った以上に楽な人生は送れなそうということに気づいて、いよいよ一年次の学生生活が始まった。

続く(まだ本題には入れてない)

2021-11-06

適応障害と診断されてからの記録⑤

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

〜4ヶ月

退職手続き入社手続きで忙しくなってきた。とはいえ働いていないので、郵送されてきた書類をコツコツと片付けるだけで良かった。休職当初は仕事関係文書なんて全く読めなかったので、よくここまで回復したものだ。

この時点でも眠れない日は時々あったが、日中はだいぶ元気になって、少しは新しい仕事に備えて勉強しようという意欲が湧いてきていた。歩きながら「しにたい」と呟くことも無くなっていた。

退職手続き最後にどうしても1回だけ出社する必要があり、緊張しながら会社に向かった。会社パニック発作でも起こすのではないかと思ったが大丈夫だった。出社

していた人何人かに挨拶をして、オフィスを後にした。感慨深さは特になく、とにかくさっさと去りたかった。10年超勤めてもこんなものかという寂しさはあった。

退職手続き入社手続きも一通り終わり、最後の休暇期間はのんびりと過ごした。だんだん眠れるようにもなってきて、電車で遠出もできた。相変わらず働きたくなかったが、日曜日の夜に「明日会社行きたくない〜」とごねる程度の気持ちになっていた。

〜5ヶ月

ついに新しい職場での業務スタートした。完全に在宅で、最初の一週間はオンラインオリエンテーションのため休憩が長く、定時で上がれるのが良かった。それでもめちゃくちゃ疲れるので、休憩の時はベッドに横になり、夜もぐったりしていた。無理するなと医者に言われていたので、業務時間外に勉強するようなことはしなかった。週5働いてるとか多すぎる、みんなえらすぎる。


週末は疲れを取り戻すように寝ていたが、気持ちの落ち込みはほぼなかった。入社して三週間くらい経ってようやく、体力が戻ってきたような感じがあった。その頃、医者にも通院も服薬もも不要だと診断された。ほんの数ヶ月前は号泣しながら話をしていたのに、あっさりと治療完了したので拍子抜けした。

通院をやめた後もたまに不安になる時があったので2回ほど頓服薬を飲んだが、それ以降は全く大丈夫になった。


〜6ヶ月

気持ちも体力ももうほぼ元通りで、人と会っても冗談が言えて笑えるようになった。食欲も睡眠も元どおりで、朝までぐっすり眠れている。病気だった頃の様子を知っている友人に会った時「顔色が良くなった。あの頃は目が死んでた」と言われるほどだった。

心の病気が完全に治るには病気だった期間の倍かかるという。自分場合いつからいつまでが病気だったのか定義けが難しいが、症状が酷かったのが2ヶ月くらいだったので、概ね合っているのだろう。

もう自分は元通りにはなれないかもしれないと絶望して毎日泣いていたが、ちゃんと元気になって、働けているので絶望する必要はないと思う。とにかく無理をして自分を追い詰めてしまうのが良くない。これから先も20年30年働くのだから、そのうちの数ヶ月休んだってしたことはない(と思えるようになった)。

今でも一番辛かった時のこと、当時の上司に言われた言葉などを思い出して不安になったり悲しくなったりする時があるので、自分の闘病生活区切りをつけるためにまとめておきたかった。次の記事で闘病中に読んだ本や参考にしたウェブサイトなどをまとめて終わりにしようと思う。読んでいる人もほとんどいないと思うが、今悩んでいる誰かの役に立つと嬉しい。

つづく →適応障害と診断されてからの記録 まとめ

2021-10-06

anond:20211006080013

まず全体的な所感ですが、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)と"ふるまう性"(ジェンダー・エクスプレッション)の議論混同されているように思います。フィクトセクシュアルという言葉自体が新興的なもので、まだなかなか定義の定まらないものですが、おそらくは性的指向に近い概念を指す言葉ではあるのでしょう。そこには実際のところ多様なあり方が共存しているものだとは思います。ただ、ここで私が述べたかったのは、フィクトセクシュアル(として概ね括れる文化圏)の人々が持つ、"ふるまう性"に関する独特の文化のことです。

アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」

こんな風に言っているブックマーカーがかなり多く、いた。それはフィクトセクシャル的な分離の考え方ではありえない判断ですよね?

これは全く誤解していると言わざるを得ません。むしろ、「アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」という言説こそがまさに、フィクトセクシュアル的な"ふるまう性"のあり方に即したものであると私は思います。フィクトセクシュアルの性のあり方は、単なる「分離」とは異なると思います。私はしばしば「漂白」という言葉を使います。私が以前に書いたエントリが参考になるかもしれません。→anond:20210925104708)

チューバ採用する問題と、職場水着ポスター問題は、前者が「私たち論理」で後者が対人性愛者の論理で捉えられるべき範疇にある。現実水着ポスター問題解決した対人性愛者の論理空想キャラクターに当たり前のように適用するのはフェアじゃない。そうして生じた問題そもそも、野蛮さも危険さもないVチューバとしての自己表現を歓迎するフィクトセクシャル常識では起こらないのだ。

こちらは誤読されているように思います

私たち論理」も、対人性愛者の論理も、適用可能範囲自体には特に制限はありません。私が言いたいのは、その論理が「誰のためのものか」ということです。「AかつBが原因」であるとき、「Aを排除すれば、Bだけでは問題は起こらないのだから、Aこそが真の原因である」と強弁するのは、Bにとっては非常に都合の良い論理でしょう。しかし、Aの立場からすれば「Bを排除すれば、Aだけでは問題は起こらないのだから、Bこそが真の原因である」と強弁することも可能なはずです。そこをフェアに議論して欲しいと言っているのです。

ならば、「助かる」はどうなる。

そこはまず、私が既に述べている

(完全に無垢無謬とまでは言いませんが。)

対人性愛者の論理と、「私たち論理」の使い分けは、時に未熟なこともあるかもしれません。

とした議論の射程範囲でもありますが、全く擁護できないわけでもありません。くしゃみやせきに関しては基本的に「忌避すべきもの」という慣わしがあり、「うっかりミュートできなかった」場合には配信者側が謝るということもしばしばありました。(今もあると思います。)それに対して、「気にしないで」という意味で「助かる」という言葉をかける人も大勢いると思います。そこは一概に括れないところだと思います

問題を起こすのは対人性愛なのだから、対人性愛者用の論理適用されるのが正しいだろう。

そのような話ではありません。「問題を起こすのは対人性愛なのだから、非対人性愛者に迷惑をかけない範囲で、対人性愛者同士で解決する」のが筋ではありませんか?有無を言わさず巻き込まれることになる、本来無関係である非対人性愛者の声を「些末なもの」として排除することを、「必要悪」として肯定することをやめてほしいのです。

2021-08-24

つくば市小学校9月からオンライン授業になるってよ。

さっき緊急連絡メールで以下の情報がきた。

---------------------------------------------

1 9月以降の対応について

原則、登校はせず、基本的にはオンライン活用した授業・学習しますがプリント等の課題も併せて進めます

保護者仕事等の都合上やむを得ない場合は、登校可とします(自宅での学習と同様)

・家庭にインターネット環境がない場合も登校可としま

・登校する場合は、弁当持参で午後3時頃までの学習します(その後は下校あるいは児童クラブ等)

・近日中に改めて、家庭のインターネット環境の状況などオンライン授業に向けた準備に係るアンケート調査実施します(学校において既に把握している場合は除く)

感染が拡大している中、給食提供することにより、給食の配膳、片づけ時は複数人が触れる食器や配膳器具から感染リスクが高くなることがどうしても避けられないため、申し訳ありませんが給食提供は行いません。登校する児童生徒は弁当持参を原則しますが、夏休み中の児童クラブ同様、業者への弁当注文も検討しています

2 登校について

〇9月1日(水)

・登校日とします(2時間程度で下校)

・配布物、今後の学習の進め方のオリエンテーション等を行います

学習者用端末の受け渡しも行います

感染心配で登校しない場合でも欠席扱いにはなりません

・登校が難しい児童生徒については、電話等で確認の上、個別対応しま

〇9月2日(木)から9月10日(金)までの期間

原則、登校しません

〇9月13日(月)以降について

・今後の感染状況を踏まえて改めて連絡しま

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正直、とてもホッとしている。

まだ親二人とも1回目のワクチンも打てていなかったので、このまま普通に学校が始まるとなると、学校クラスタ子供感染→親感染→詰み だなと戦々恐々としていたからだ。

学習者用端末の普及を前から進めていたからできることなのかもしれないが、同じような端末がある自治体はそうした方がいいと思う。

リモートワークできない親の子供は登校できるという救済策があるのもいい。

うちは片方リモートワークなので、どうにか対応できそうだ。

昼ごはんを一緒につくるとか、運動不足解消にリングフィットやるとか、いろいろ考えないとあかんなとは思う。

とにかく、つくば市、良く決めてくれた。ありがとう

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